キヴォトスに単身ドリフトしちゃった藤原拓海(30) ~頭文字D Archive Stage~   作:曇りのち晴れ男

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第二話 around the another world

 

 銃弾の飛び交う音にビクビクと肩をすくめながら、オレは建物の陰から陰へとひそひそと身を隠すように街を歩いていた。

 路地裏に身を潜め、壁に貼られたポスターや、街のあちこちに掲げられた看板を目にして、オレはこのイカれた無法地帯の正体を知ることになる。

 

『ゲヘナ学園』

 

 ポスターや掲示物には、デカデカとそう書かれていた。ここは一つの独立した国家やスラム街などではなく、あくまで『学園』の自治区内だというのだ。冗談ではない。あちこちで手榴弾を投げ合い、アサルトライフルから容赦なく鉛玉を放っているあの物騒な女の子たちは、ゲヘナという学校に通う皆『生徒』だというのだ。

 

「(……み、水。水でも飲んで落ち着きたい)」

 

 いつどこから流れ弾が飛んできて死ぬか分からないという極限の緊張状態にいたせいで、自分の喉がカラカラに乾ききっていることに今まで気づかなかった。口の中は砂を噛んだようにパサパサで、唾液すらまともに飲み込めない。

 オレは周囲の銃撃戦の音が少し遠のいたのを見計らい、ひそひそと隠れるようにして、通り沿いにあった一軒のコンビニエンスストアへと逃げ込んだ。

 

「いらっしァせ~」

 

 自動ドアをくぐると、外の喧騒が嘘のように静かで、涼しい空調の風が火照った顔を撫でた。見慣れた陳列棚、明るい照明。少しだけ日常の風景に戻ってきたことに安堵するが、すぐに現実的な問題に直面した。

 

「通貨は、円なのか……」

 

 商品棚に目をやると、ペットボトルの飲料やパンの値札についているのは、見慣れた通貨だった。しかし困った。現状、オレの財布に入っている現金は、イギリスで使っていたポンド紙幣と硬貨だけだ。日本円など一円も持ち合わせていない。

 これでは、命を繋ぐための水一つ、満足に買うことができない。カウンター下から銃でも抜いてきそうな異世界のコンビニ店員に、ポンドから円への為替交渉する気力など今のオレには残っていなかった。

 

「(おっ、クレジットも使えるのか)」

 

 絶望しかけたオレの視界に、レジの横に掲げられた『各種クレジットカードご利用可能』という文言が飛び込んできた。マークも見慣れた国際ブランドのものだ。とはいえ、世界そのものが違うように感じるこの不可解な状況で、オレのクレカが果たして使えるのかは極めて怪しい。

 だが、背に腹は代えられない。オレは冷蔵ケースから冷えたミネラルウォーターのペットボトルを一本取り出し、祈るような気持ちで水を持ってレジへと向かった。

 

 無愛想な店員にカードを差し出す。読み取り機にカードを通し、永遠にも感じられる長い通信時間の後──ピロン、という気の抜けた電子音と共に、レジからレシートが吐き出され、問題なく会計ができた。

 

「(……通った。良かった)」

 

 オレは深く胸をなでおろし、店を出てまた戦場に戻る勇気も出ず、バッドマナーだとは思いつつも店内で水をあけて飲み始める。

 冷たい水が、乾ききった食道を通って胃の腑に落ちていく。生命線が繋がったような安堵感。水分の補給と共に、極度の緊張でオーバーヒート気味だった脳内が冷却され、徐々に冷静な思考回路が戻ってくる。

 

「(よし……まずは落ち着こう。ここは危険すぎる。安全な場所を探して、現状を把握しないと。警察か、それに代わる組織に保護を求めるか……いや、そもそも警察なんて機能してるのか……?)」

 

 これからどうしようか、本格的に生き残るための計画を考えようと、オレがペットボトルのふたをキュッと閉めた、次の瞬間だった。

 鼓膜を破るような、強烈な衝撃音が鳴り響く。

 

 反射的に目をきつく閉じ、両腕で顔を覆って身を屈める。無数のガラス片が雨あられのように店内に降り注ぎ、陳列棚がなぎ倒される凄まじい破壊音がさく裂した。

 数秒後、破壊の嵐が静まり返った店内で、オレはゆっくりと瞼を上げる。

 

 もうもうと立ち込める白煙と、舞い散る粉塵。その向こう側に、一台の車両のシルエットが浮かび上がる。

 コンパクトなハッチバックのボディ。現代の丸みを帯びたデザインとは対極にある、直線的で角ばったフォルム。

 

 そして、煙が晴れるにつれて露わになったそのツートンカラーの配色を目にした瞬間──オレは、息を呑んだ。

 

 白と黒の、パンダ色。

 フロントバンパーからサイドステップにかけて走る、見慣れすぎた黒いライン。

 間違いない。AE86型、スプリンタートレノ。通称『パンダトレノ』だ。

 

 ドクン、と。

 心臓が大きく跳ね、オレの身体はまるで重力を失ったかのように、ふわりと宙に浮いたような錯覚に陥る。

 

 どうして、こんな異世界のど真ん中に、オレの青春のすべてだったあの車が、あの相棒がいるんだ。無論ナンバーは違うため、オレのハチロクではない。

 

 それでも、トレノがそこには存在していた。

 

 オレのつま先から、そのパンダトレノまでの距離は、わずか数メートル。あと数メートル、いや、あと数歩でも近づいていたら、オレの脆い身体は壁と車体の間に挟まれて、確実に轢かれていた。

 だが、死の恐怖などどこかへ吹き飛んでいた。激しく脈打つ心臓は、命の危機からではなく、魂を激しく揺さぶられるような強烈な感動と郷愁によるものだった。パチパチ……と金属が収縮する音を立てている車から、ガチャリとドアが開く音がして、誰かが降りてくる。

 

「げほっ……。あ~あアルちゃん。やっちゃったね!」

 

 真っ先に助手席側から転がり出てきたのは、白い髪をサイドテールにした、小悪魔のような笑みを浮かべる少女だった。彼女は土煙を手で払いながら、運転席に向かって全く悪びれる様子もなく声をかける。

 

「移動手段として動きはしたけど、ロクにメンテナンスしてなかったみたいだね……」

 

 続いて助手席から降りてきたのは、白と黒の髪をした気怠げな表情の少女。彼女はひしゃげたフロント部分を冷静に観察しながら、淡々と車の状態を分析している。

 そして、運転席からフラフラと這い出てきたのは──大きなコートを羽織った、どこか偉そうな、けれど今は完全にパニックに陥っている様子の少女だった。

 

「ちょっと……これじゃただのコンビニ強盗じゃないのよ~っ!!」

 

 彼女──アルと呼ばれた少女は、頭を抱えて店内の惨状を見渡し、絶叫した。

 

「私はアル様が強盗になろうとついていきます……!」

 

「そうじゃないのよ! ならないのよ!」

 

 アルが最後に降りてきた紫髪の少女に必死にツッコミを入れるが、他の三人はどこ吹く風で、コンビニの残骸の中でわちゃわちゃと騒ぎ始めている。

 生死の境をさまよった直後だというのに、彼女たちの間には緊張感の欠片もない。まるで、日常のちょっとしたドジをやらかしたかのようなテンションだ。

 

 オレは、手に持ったペットボトルを呆然と握りしめたまま、そのシュールすぎる光景をただ見つめるしかなかった。

 

「(騒がしい子たちだなぁ……)」

 

 この世界は、やはり根本から何かが狂っている。オレの常識は、ここでは全く通用しないらしい。

 

「どっ、どどど、どうして? どうしてエンジンが止まっちゃったの!?」

 

 粉砕されたコンビニの入り口で、コートの少女──アルと呼ばれていた彼女は、沈黙してしまったトレノのボンネットと運転席を交互に見比べながら、パニックを起こしたように声を張り上げていた。

 自慢げに羽織っているコートの裾はガラスの破片で汚れ、威厳を保とうとする態度は、情けないほどの焦燥感によって完全に打ち消されている。

 

 オレは、ペットボトルを握りしめたまま、そのひしゃげたハチロクを冷静に観察した。

 

 確かに正面からガラスと陳列棚に突っ込んだせいで、ボディは無残にも傷ついている。だが、先ほどオレの目の前まで突っ込んできた直前、事故の寸前に聞こえたエンジン音や駆動音自体は、ごく普通の車の音だった気がする。不自然な異音も、パーツが脱落するような兆候もなかった。

 

 となれば、衝撃の際に心臓部が壊れたのか? 

 

 いや、そんな様子は見受けられない。この世界の建造物や生徒たちが異常に頑丈であるように、このゲヘナの量産車両もまた、フロントが多少ひしゃげた程度で機能停止するようなヤワな造りにはなっていない、と思う。

 

 オレは、ゆっくりとアルの横へと歩み寄った。

 

「その……衝突するとき、エンストしたんじゃないか?」

 

「え?」

 

 突如として声をかけられたアルは、目を丸くしてオレを見た。他の三人の少女たちも、不審者を見るような目でこちらに視線を向ける。

 

「見た感じ、まだ動きそうだぜ、コレ」

 

 オレはそう言いながら、半開きのドアから体を滑り込ませ、慣れたような動きで運転席に座った。

 シートに腰を下ろした瞬間、身体の奥底で、眠っていた何かが微かに粟立つ感覚に包まれる。

 

 オレは無意識のうちに左足でクラッチペダルを奥まで踏み込み、キーを捻った。

 

 少しの躊躇いもなくセルモーターが回り、その車は何事もなかったように元気な産声を上げて動き出した。タコメーターの針が跳ね上がり、アイドリングの振動がステアリングを通してオレの手のひらに伝わってくる。

 やっぱりな。

 

「(まぁ、本気で減速したいならエンジンブレーキも使った方がいいから、正面衝突の時にクラッチを踏まない方がいいのは確かか)」

 

 障害物にぶつかる寸前、パニックになってブレーキペダルだけを全力で踏み抜いたのだろう。クラッチを切らずに急停止すれば、当然エンジンはストールする。教習所で習うような初歩的なエンストだ。

 とはいえ、衝突時の衝撃を和らげ、少しでも制動距離を縮めるために、意図的にギアを繋いだままエンストさせてエンジンブレーキの抵抗を利用するという考え方もある。諸説はあるが。

 

「動いた……! 動いたわよみんな!」

 

 ぱぁっと顔を輝かせて喜ぶアル。だが、その無邪気な喜びは、次の瞬間には凍りつくことになった。

 彼女たちの視線の先、コンビニの外の通りから、不快なローター音を響かせながら、武装した数機の無人ドローンがこちらへ向かって飛んでくるのが見えたからだ。銃口のようなものが、明確にこの車を捉えている。

 

「もしかして、追われてるのか?」

 

 オレが尋ねると、ツインテールの少女──ムツキは、全く悪びれることなくケラケラと笑い飛ばした。

 

「そう! ちょ~っとドジっちゃって、追われてるの! アルちゃんの運転じゃ、また事故っちゃうかもね☆」

 

「い、いざとなったら、私がドローンを皆殺しに……! アル様に仇なす者どもに、死を……!」

 

 紫髪のハルカと呼ばれていた少女が、突然どこから取り出したのかショットガンを構え、ドス黒いオーラを放ちながら震え声で物騒なことを口走る。

 

「(物騒な子だなァ……)」

 

 オレは額に汗を浮かべながら、サイドミラー越しに接近してくるドローンを確認した。

 どういう事情があるかはわからない。このゲヘナというイカれた街で、彼女たちが何をやらかして追われているのか知る由もない。だが、年端も行かない女の子たちが武装した機械に追われているというのは、いささか同情してしまう。

 先刻、彼女たちの車が大破損し、文字通り死にかけたというのならなおさらだ。このまま彼女たちだけで逃げれば、次はコンビニではなく崖の下か、もっと硬い壁に突っ込んで、今度こそ大惨事になりかねない。

 

 いや、同情なんてのは、ただの言い訳に過ぎないのかもしれない。

 オレは、ステアリングの感触を確かめるように、リムを両手でそっと握りしめていた。

 

 アイドリングの振動が、シートを通してオレの背中を、腰を、太ももを震わせている。エンジンが、生きている。車が、オレの操作を待っている。

 

「……オレ、運転しようか」

 

「え?」

 

 全員の視線が、一斉にこちらに向く。

 怪訝そうな顔、面白がるような顔、警戒する顔。無理もない。ただのコンビニの客だったはずの得体の知れない大人が、突然逃走用の車の運転を代わると言い出したのだから。

 

「ちょっと窮屈かもしれねーけど、後ろに3人乗ってくれ」

 

「は~いっ! 面白そうだし、乗っちゃお!」

 

 ムツキが即座に賛同し、シートを倒して後部座席に飛び乗ろうとする。だが、アルが慌ててそれを制止した。

 

「ちょちょちょっと待ってムツキ! ……あなた、名前すら知らない私たちに、どうしてそんな提案をするの?」

 

 どうして、か。

 イギリスで事故に遭い、二度と本気で走れない身体になったと思い込んでいた。ハンドルを握ることすら諦めていた。だが今、この世界でオレの身体は不思議なほど軽く、ペダルを踏む足には確かな力が宿っている。

 

 無論身体には負傷の傷跡が残っている。昔のように本気で走ることなどできないだろう。

 

 それでも。

 

「……分からない。ただ、車が運転したかっただけなんだ」

 

 自分でも驚くほど、自然に出た言葉だった。

 取り繕うことも、カッコつけることもない、純粋な本音。それを聞いたアルは、毒気を抜かれたようにぽかんと口を開けた。

 

「こ、この車、言ってしまうけれどスポーツカーでも何でもないのよ。ただアウトローっぽかったから、中古で安く買っただけで……」

 

 ごにょごにょと言いごもるアル。ボロくて遅いクルマだと、自虐しているのだろう。

 だが、オレにとってそんなことはどうでもよかった。親父のハチロクだって、最初はただの古い商用車だと思っていた。それでも、あの車は誰よりも速く駆け抜けた。

 こいつにだって、できないわけはない。

 

 オレはただ自然に、日常の挨拶でも交わすように、言葉を投げかけた。

 

「タイヤ4つ着いてて走りゃー、立派にクルマだよ」

 

 その言葉に、アルの目が微かに見開かれた。

 ただのボロ車を肯定されたからか、それともオレに何か確信めいたものを見たのか。アウトローを気取る彼女は、自分の命と逃走劇を賭けてみたくなったのかもしれない。

 

「……みんな、後ろに乗って」

 

 アルは決断を下し、ほか三人が乗り込んだのを確認してから素早く助手席へ滑り込んできた。

 

「あ、アルちゃんズル~い! 助手席に座りたいんだ!」

 

 後部座席に押し込まれたムツキが、不満げに頬を膨らませる。

 

「助手席に誰が乗るかなんて今はどうでもいいでしょう!?」

 

 バタン、と慌ただしくドアが閉まる音が響く。

 オレを含め、五人の人間が乗ったハチロク。車重は増し、リアのサスペンションがグッと沈み込むのを感じる。決してベストなコンディションではない。

 だが、オレの胸の奥で、十年間くすぶり続けていた種火が、爆発的な勢いで燃え上がり始めていた。

 

「あなた、名前は何て言うの?」

 

「藤原拓海」

 

「そう……頼んだわよ、タクミ」

 

 オレはクラッチペダルを深々と踏み抜き、左手でシフトノブを掴む。

 純正のシフトノブ。それをRの位置へと迷いなく叩き込み、ガコン、という硬質な機械音が、ダイレクトに腕の神経へと伝わってくる。

 

「(……もう、シフトレバーの感覚すら懐かしい)」

 

 バックミラーで後方の安全と、崩れ落ちたコンビニの入り口の隙間の確認を済ませる。

 右足でアクセルペダルを煽り、タコメーターの針を適切な回転数で保持。そして、左足のクラッチを一気に繋いだ。

 

 後輪がコンビニの滑りやすい床材を蹴り上げ、凄まじいスキール音と共にタイヤが悲鳴を上げる。

 オレを乗せたハチロクは、追ってくるドローンの機銃掃射を間一髪で躱し、ロケットのような勢いでバックのままコンビニエンスストアから表の道路へと飛び出していった。

 





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around the world/m.o.v.e
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