キヴォトスに単身ドリフトしちゃった藤原拓海(30) ~頭文字D Archive Stage~   作:曇りのち晴れ男

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第三話 ゲヘナのハチロク

 

 バックギアで路地に飛び出した直後、オレは素早くクラッチを切り、汚れにまみれたシフトノブを1速へと叩き込んだ。

 アクセルを煽り、再び乱暴にクラッチを繋ぐ。後輪がアスファルトを空転して白煙を上げ、車体が猛烈な勢いで前へポンッと押し出された。タコメーターの針が跳ね上がり、4AG特有の乾いたエンジン音がキャビンに響き渡る。

 

「ちょ、ちょっとタクミ、タクミ! 飛ばしすぎじゃないかしら!?」

 

「(……おせぇ~……)」

 

 視覚的な勢いに反して、オレの背中を押すGは驚くほど貧弱だ。

 ペダルから伝わるエンジンの吹け上がり自体は悪くない。シャーシの軋みやステアリングの重さからして、どこからどう見てもオレの乗っていたAE86そのものだ。

 

 となると、駆動系か足回りのメンテナンスが絶望的なのだろう。サスペンションのショックは完全に抜けきっており、加速のたびにリアがフワフワと落ち着かない。そして何より致命的なのが、路面と接しているタイヤだった。

 

 硬化しきって溝もろくにない、名ばかりの輪ゴムみたいなタイヤ。これではエンジンのパワーを路面に伝えることすらままならない。

 

「(ドリフトなんてしようもんなら、ドッカンだな。10年ぶりの慣らしだ、最低限走って、グリップで行くか……!)」

 

 ルームミラーを一瞥する。背後からは無人ドローンが編隊を組んで追跡してきており、時折ババババッという発砲音と共に、銃弾がハチロクのリアバンパーやトランクをかすめていく。だが、ドローン自体の最高速度はそれほど速くない。直線なら引き離せるはずだ。

 

 問題はコーナーだった。

 市街地の直角コーナーが迫る。オレは右足のつま先でブレーキを踏み込みながら、踵でアクセルを煽り、3速から2速へシフトダウンする。

 ステアリングを切り込んだ瞬間──輪ゴムのようなタイヤが悲鳴を上げ、予測の倍以上の速さでリアが外側へと滑り始めた。

 

「遊んでるわよね!? 時々逆方向にハンドル切って遊んでるわよね!?」

 

 滑り出したリアに合わせ、オレは反射的にステアリングを逆方向へ──カウンターを当てる。

 それはドリフトを維持するためのカウンターではない。完全にグリップを失おうとする車体の姿勢を強制的に引き戻し、スピンを回避してグリップ走行のラインに乗せるための、緊急回避的なステアリング操作だ。コーナーを抜けるたびにタイヤが横滑りを始めるため、そのたびに適宜カウンターを当てて車体を真っ直ぐに向け直さなければならない。

 

「(運転しづれぇ~……)」

 

 アライメントも狂っているのか、ステアリングのセンターが異様に曖昧だ。お世辞にも褒められた状態ではないこの車を真っ直ぐ走らせるだけでも、信じられないほど神経をすり減らす。

 

 コーナーを抜け、長いストレートに差し掛かった。

 オレはアクセルペダルを床まで踏み抜く。鈍い加速とはいえ、ギアを3速、4速と上げていけば、それなりの速度には到達する。

 

「タクミ! タクミ!! メーターが見たことないとこまで進んでるわよ!!」

 

 車速が上がり、スピードメーターの針が右側へと傾いていく。

 

「キンコンキンコンうるさいわね!! 何よこの音!?」

 

「アルちゃんうるさ~い」

 

 後部座席から、ムツキと呼ばれていたサイドテールの少女がケラケラと笑う声が聞こえた。

 オレはアルの叫びをBGMにしながら、再びルームミラーを確認する。引き離したはずのドローンのうち、一台だけが異常な速度で食いついてきているのが見えた。

 おそらく、他のドローンとは仕様が違うのだろう。面積が大きく抵抗を受けやすいハチロクに対し、ドローンの空気抵抗は小さい。その影響だろうか。

 

 次第に、そのドローンが運転席の右側──オレの真横にまで並びかけてきた。

 窓ガラス越しに、無機質な銃口がこちらへ、オレの頭へと向けられるのがはっきりと見えた。

 

「(げ。ヤバい……)」

 

 ここの生徒たちと違い、オレの身体はただの人間だ。あんな至近距離から鉛玉を撃ち込まれれば、頑丈な身体を持たないオレは確実に死ぬ。

 咄嗟に急ブレーキを踏んで射線をずらすか、ステアリングを右に切ってドローンごと壁に叩きつけるか。脳内で瞬時にいくつかの回避パターンを弾き出そうとした、その時だった。

 

「退いて」

 

 オレの耳元で、冷たく、静かな声がした。

 後部座席に座っていた白黒の髪の少女──カヨコが、シートの右側のわずかなスペースから、オレと運転席の窓の間へと滑り込むように身を乗り出してきたのだ。

 彼女は狭い車内でオレの視界を遮らないよう、無駄のない動きでハンドガンを構えると、窓の外を並走するドローンに向けて迷いなく引き金を引いた。

 

 パンッ、という乾いた銃声。

 放たれた弾丸はドローンの推進ローターを的確に撃ち抜き、バランスを崩した機械の塊は火花を散らして後方の壁へと激突し、爆発した。

 

「……なにがなんだかわかんねーけど、サンキュー」

 

 オレが短く礼を言うと、カヨコは小さく頷き、再び後部座席へと身体を戻していった。

 

「カヨコ課長はやっぱりすごいです……」

 

 同じく後部座席から、ハルカと呼ばれていた紫髪の少女が、心底感極まったような震え声で尊敬の念を漏らしている。

 

「な~んであなたたちはそんなに冷静なの!?」

 

 車内は、銃撃戦とカーチェイスの真っ只中だというのに、後部座席の彼女たちは驚くほど肝が据わっていた。

 オレは前方に現れた次のコーナーの進入角を見極めるため、ブレーキングポイントを探る。タイヤのグリップ力がどこまで持つか、この車重とサスペンションの状態でどう荷重を移動させるか。

 考えるべきことは山のようにある。オレはただひたすらに前だけを見据え、再びギアを落とした。

 

 ■■■

 

 ひとしきり走り、どこかの山の頂上に到着したころ。

 追ってきていた無人ドローンの姿は、とうの昔にバックミラーから消え去っていた。

 

 オレは誰もいない、見晴らしの良い駐車スペースに車を滑り込ませて、サイドブレーキを引く。

 キーを捻ってエンジンを切ると、キャビンを満たしていたやかましい重低音がフッと途絶える。代わりに耳に届いてきたのは、酷使されたエンジンルームから聞こえる「チン……カン……」という金属の冷却音と、限界を超えて発熱したブレーキパッドが放つ、焦げたような独特の匂いだった。

 

 10年ぶりだ。こんな風に、命を削るようなギリギリのテンションで峠道を駆け上がったのは。

 身体にはじんわりと嫌な汗をかいているが、ステアリングを握っていた両手には、確かな熱と、忘れかけていた高揚感が残っていた。

 

 ガチャリと長く重たい運転席のドアを開け、車を降りる。

 冷たい山風が火照った顔を撫でていく。空気が薄く、どこか硫黄のような匂いが混じっていることに気がついた。眼下に広がるのは、先ほどまで逃げ回っていた無機質で雑多な街並みだが、視線を上げると、遠くの景色の中に不気味な煙を上げる巨大な山のシルエットが浮かび上がっていた。

 

「ここら辺、火山があるのか……」

 

 オレがポツリと呟いた、その時だった。

 助手席のドアが勢いよく開き、中からコートの少女──アルが、地面に倒れ込むようにして転がり出てきた。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 彼女が這いつくばったまま息を乱していると、空になった運転席の背もたれが、後ろからバタンと前に倒された。

 3ドアハッチバック特有の、後部座席からの窮屈な乗り降り。前に倒れたシートとピラーの間の狭い空間から、白と黒の髪をした少女──カヨコが、器用に身体をくねらせて降りてきた。あんな無茶苦茶な運転で後部座席に押し込められていたというのに、彼女は息一つ乱さない涼しい顔だ。

 

「ヒノム火山。あの火山がある影響で、ゲヘナには温泉が多いの」

 

 カヨコはオレの隣に並び、淡々とその山頂を見つめて説明してくれた。

 

「ちょ……ちょっと!! 何のんきに話してるの!?」

 

 地面に倒れかかっていたアルが、勢いよく飛び起きてカヨコに詰め寄る。顔は真っ青で、まだ足元がフラフラと覚束ない。

 

「あんな……あんなジェットコースターみたいな運転されて、よく平気でいられるわね!? 私、途中で三回くらい三途の川が見えたのだけれど!?」

 

「アルちゃんが助手席に乗りたいって言ったんじゃ~ん」

 

 倒れた助手席の隙間からひょっこりと顔を出したムツキが、ケラケラと笑いながらツッコミを入れる。彼女もまた、車酔いとは無縁のようだ。

 アルは言葉を詰まらせた後、今度はターゲットを変えたのか、ものすごい形相でオレの方へと近づいてきた。

 

「タ、タクタク……タクミ!!」

 

 ズンッ、と。

 アルはオレの目の前、鼻先が触れ合うのではないかという距離まで詰め寄ってきた。彼女の瞳孔は開き、肩で大きく息をしている。

 

「ち、近い……」

 

 あまりの剣幕に、オレは思わず半歩後ずさった。運転に文句を言われるのか、それともこんなボロ車で無茶をしたことを怒られるのか。

 身構えるオレに対し、アルは口をパクパクとさせながら、何かを必死に絞り出そうとしていた。

 

「か……」

 

「か?」

 

「かっこ……」

 

 少し高揚したような顔で、目をキラキラと輝かせていたアル。

 だが、自分の状態を俯瞰的に見てハッとしたのか、彼女は慌ててゴホンと咳払いをし、少しきりっとした、無理に威厳を取り繕ったような顔に切り替えた。

 

「こほん……藤原タクミ、あなた、仕事は何をしているの?」

 

 腕を組み、アウトローのボスらしき雰囲気を醸し出しながら、アルはオレを上目遣いに見据えた。

 仕事。

 その単語を聞いて、オレは思わず遠い目をしてしまった。イギリスで一人、スーパーで豆腐と切り身魚を買って、味気ない夕飯を食っていた数時間前の自分。あれが、はるか昔のことのように思える。

 

「オレ、何が何だか分かってねーんだ。気づいたらここにいて、仕事も何も……。ほら、免許証。多分、一切知らないこと書いてあると思う」

 

 オレはズボンのポケットから財布を取り出し、中に入っていた日本の方の古い運転免許証をアルに手渡した。

 アルは怪訝そうな顔でそれを受け取る。すると、面白がっていたムツキと、心配そうな顔をしているハルカ、そしていたって冷静なカヨコの三人も、アルの背後からその小さなプラスチックのカードを覗き込んだ。

 

「何これ。見たことない身分証だね~」

 

「こ、これは偽造免許証……!? まさか、他の学園からのスパイ……!?」

 

「ハルカ、落ち着いて。……でも、確かに変」

 

 カヨコが免許証の文字列を指でなぞる。

 

「『グンマケン』、『ヘイセイ』……? 『公安委員会』……。どれもキヴォトスには存在しない地名や年号ばかり。それに、この素材も、フォーマットも、私たちが見たことある免許証とはまったく違う」

 

 4人はオレの免許証を見て、そこに書かれている単語に目を凝らし、ひそひそと協議を始めた。

 当然だろう。ここはイギリスでも日本でもない。銃弾を浴びてもケロリとしている女子高生が、アサルトライフルを撃ち合いながら生活している、根底から常識の狂った異世界なのだ。極東の島国の運転免許証など、彼女たちにとっては何の意味も持たない紙切れと同義だ。

 

 ぶっちゃけオレもいつ撃たれるかわからなくて怖い。

 

「要するに、キヴォトスの外から来たってこと……?」

 

 カヨコの推論に、オレは肩をすくめて答えた。

 

「この世界がキヴォトスって名前なことも、今知ったくらいだし」

 

 その言葉に、アルは少し信じられないといった顔をしている。

 記憶喪失を疑っているのか、それとも本当に異世界人が目の前にいるという事実のスケールに戸惑っているのか。

 だが、アルはすぐに表情を引き締め、オレの免許証をスッと突き返してきた。オレがそれを受け取ると、彼女はヒールの音を鳴らして、再びオレの正面へと近づく。

 

「藤原タクミ。さっきの運転、とても助かったわ。そこで提案があるのだけれど」

 

 すこし咳払いをしてから、アルは言う。

 風にコートをはためかせ、彼女はビシッとオレに指を突きつけた。

 

「あなたを、便利屋68のドライバーとして雇わせてもらうわ」

 

 便利屋68。

 それが、彼女たちの組織の名前らしい。

 正直、何をする組織なのかも、どれくらいヤバい連中なのかも、オレにはまったく見当がつかない。銃を持ち歩き、ドローンに追われ、コンビニに車ごと突っ込むような連中だ。まともな仕事をしているとは思えない。

 

 普通なら、断るべき場面だ。

 

 だがオレの脳裏には、数時間前の、あの暗くて冷たいアパートのベッドで感じていた途方もない虚無感がよぎっていた。

 二度と本気で走れない身体。目標を失い、ただ息をして時間を消化していくだけの果てしない直線道路。

 

 そんな絶望の中にいたオレの前に、この世界は、再びステアリングを握るチャンスをくれたのだ。しかも、目の前にあるのは、奇跡のように現れたオレの相棒、トレノだ。タイヤが酷かろうが、足回りが死んでいようが、オレが頑張って手を入れれば、こいつはまた最高の車に化ける。

 

 イギリスで使っていた金銭はこの世界では紙屑同然。頼れる知り合いもいない。

 だけど、オレには運転する技術があり、この車がある。

 

「(……悪くないかもな)」

 

 銃弾が飛び交うのは勘弁だが、退屈に殺されるよりはマシだ。

 それに、このどこか抜けたところのある騒がしい女の子たちは、不思議と嫌な感じがしなかった。

 

「……給料、出んのか?」

 

 オレが少し意地悪く尋ねると、アルは一瞬ビクッと肩を震わせた後、必死に余裕の笑みを浮かべてみせた。

 

「と、当然よ! 私たちは泣く子も黙るアウトロー、便利屋68なんだから! ドライバーの一人や二人、余裕で養ってあげるわ!」

 

「アルちゃん……先月の家賃、まだ滞納してるのに~……」

 

「しっ! ムツキ、今はそういうのいいから!」

 

 小声で現実的な問題をつぶやくムツキを、アルが慌てて制止する。

 オレは思わず、フッと笑い声を漏らしてしまった。

 なんだか、地元のガソリンスタンドで、池谷先輩や健二先輩たちとダラダラ過ごしていたあの頃の空気に、少しだけ似ている気がしたのだ。

 

「分かった。行く当てもねーし、乗せてもらうよ」

 

 オレがそう答えるとアルはパァッと顔を輝かせたが、またすぐにふふんと偉そうな態度に戻った。

 

「賢明な判断ね。ドライバーとしてしっかり働いてもらうわよ!」

 

「はいはい。とりあえず、明日にでもこいつのタイヤとオイル、全部交換させてくれ。まともに走らせるなら、そこからだ」

 

 オレは、太陽に照らされたハチロクのボンネットを優しく叩いた。

 不思議な縁で結ばれた異世界での再会。

 

 ここから、オレのキヴォトスでの生活が始まった。

 

「ねぇカヨコ、タイヤっていくらくらいするの……?」

 

「このくらい」

 

「~~っ!?」

 





想定ユーロビート

冒頭から中盤まで
SPACE BOY/Dave Rodgers



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