キヴォトスに単身ドリフトしちゃった藤原拓海(30) ~頭文字D Archive Stage~   作:曇りのち晴れ男

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第六話 反撃のイグニッション

 

『くっ……離れない! ストレートで並ばれます!』

 

『追いつかれた……ッ!』

 

『偶然、仕事先が被っただけ。恨むなら運命を恨んで』

 

『あらあら……捕まってしまいましたね』

 

『……やって……くれましたね……』

 

 ──そして、現在。

 

 ■■■

 

 風紀委員会の無機質な拘束室から抜け出すことなど、私たち美食研究会にとっては、メインディッシュの焼き上がりを待つ間の、ほんの退屈しのぎにも満たない余興である。

 堅牢なはずの扉のロックを少しばかり『強引に』解除し、見回りの風紀委員たちが別の騒ぎに気を取られている隙を突いて、私たちはあっさりとゲヘナへと舞い戻ってきた。

 

 謎の凄腕ドライバーに追い越され、理不尽な横槍によって風紀委員に捕まり、あの屈辱的で散々な目に遭った日から、数日が経過していた。

 

 晴れて自由の身となった私とアカリは、硝煙の匂いが薄っすらと漂うゲヘナの街並みを、あてもなく並んで歩いている。

 いつもであれば、拘束期間中にフウカさんが新しく仕入れたであろう幻の食材を再強奪するため、足早に給食部へと向かっているはずの時間だ。しかし、今日の私たちには、そのような『美食』への探求心を掻き立てるだけの食欲が、不思議なほど湧いてこなかった。

 

「アカリさん? どこか上の空のようですけれど」

 

 私が横を歩くアカリに声をかけると、彼女はふと足を止め、どこか不機嫌そうに、けれど鋭い視線をこちらへと向けた。

 

「……そういうハルナさんこそ」

 

 彼女の口から微かなため息が漏れる。

 互いに理由は分かり切っている。言葉にするまでもない。

 

 あの夜、暗闇の市街地を異常な速度で駆け抜け、私たちの強奪したトラックをいとも容易く仕留めてみせたあのドライバーの存在が、脳裏にチラついて仕方がないのだ。

 

 フウカさんが給食部の食材を守るため、なりふり構わず便利屋68というアウトローを外部委託で雇ったであろうことなど、今となってはどうでもいい。風紀委員に捕まり、数日間の自由を奪われたことすら、些末な問題に過ぎない。

 

 ただ、あのドライバーを、ねじ伏せたい。

 

 私たちの愛する『美食』の道を力ずくで塞ぎ、アカリの完璧なドライビングを遥かに上回る狂気の技術を見せつけたあの存在。それは、私たちがこれまでのゲヘナでの生活において味わったことのない、強烈で、そして酷く苦い『敗北の味』だった。

 

 美食を追求する者として、この苦味を口の中に残したまま次の料理へと進むことは許されない。この屈辱という名の前菜を完全に消化するためには、彼らを上回る力をもって、その背中を完全に捉えるしかないのだ。

 

「……以前より、思っていたことがあります」

 

 私は歩きながら、静かに口を開いた。ゲヘナの荒廃した風景が、流れるように後方へと過ぎ去っていく。

 

「美食研究会の車両を買おうと思っているのですが、どうでしょう?」

 

「それは……」

 

 アカリは言葉に詰まった。

 彼女の聡明な頭脳は、私の一言でその真意を一瞬にして理解してくれたのだろう。

 

 今まで私たちは、移動や逃走の手段として、その場にある給食部のトラックや、手頃な車両を『お借り』して済ませてきた。自分たち専用の車両を所有する発想がなかったわけではない。

 美食研究会の活動資金をかき集めれば、立派な車両を買うこと自体は問題ないのだ。

 

 だが、今この現時点で、わざわざ自分たち専用の車を買う理由は、一つしかない。

 あの市街地の迷路で私たちを圧倒した、あのツートンカラーの車に追いつき、そして打ち負かすための『牙』を手に入れるため。

 

「アカリさん。あなたに車を選んでもらおうと思い、今日お誘いしました」

 

 私が微笑みかけると、アカリの瞳に再び、あの夜見せたような好戦的で危険な光が灯った。彼女は小さく頷き、私の少し前を歩くようにして歩調を速めた。

 

 やがて、私の先導していた散歩は、ゲヘナの自治区のはずれにある、一つの古ぼけた建物の前で止まった。

 

「ここは……」

 

 アカリが訝しげに建物を、そしてその奥に広がる敷地を見上げる。

 錆びついたトタン屋根。かすれて読み取れなくなった看板。ゲヘナの生徒であれば、誰もがスクラップ工場か廃墟だと見間違えるであろうその場所は、昔からこの地でひっそりと営業を続けていたであろう、マニアックな中古車屋だった。

 

 ゲヘナ……はおろか、キヴォトスにおいて車両といえば、重装甲の戦車や、防弾ガラスで覆われた装甲車が一般的だ。だが、ここはそういった軍事的な実用性よりも、純粋な『走り』を追求した過去の遺物をかき集めている、知る人ぞ知る特異な店である。

 

 私たちが店の前に立ったのを察知してか、薄暗いガレージの奥から、油にまみれたツナギを着た初老の店主がゆっくりと歩み出てきた。

 手にはスパナを握り、いかにも職人気質といった険しい顔つきをしている。

 

「……あんたか、連絡してきたのは」

 

 店主は私の姿を上から下まで値踏みするように眺め、低い声で尋ねてきた。

 

「えぇ。並んでいる車は、自由に見て構いませんね?」

 

「今時、来店の連絡をするなんて丁寧なこった。非通知からだから何事かと思ったがな。勝手に見てけ」

 

 店主はぶっきらぼうにそう言うと、顎で敷地の奥をしゃくる。

 それを見て私とアカリは、だだっ広い敷地に所狭しと並べられた『車の海』の中へと足を踏み入れた。

 

 並んでいるのは、どれもゲヘナの表通りでは見かけないような奇妙な車ばかり。

 分厚い装甲もなければ、機銃をマウントするためのターレットもない。空気抵抗を減らすために低く抑えられた車高、流線型のボディ。どれもこれも、ただ純粋に『速く走ること』だけを目的に設計された、ストイックな機械の塊たち。

 

「しかし、いまだに信じられませんね。ゲヘナが出している量産車両が私の運転についてくるなんて」

 

 車の間を縫うように歩きながら、アカリが忌々しそうに吐き捨てた。

 彼女のプライドは、まだあの夜の敗北から立ち直りきっていない。圧倒的なスペックを持つスーパーカーに負けたのならまだしも、あの大衆車のような見た目の旧型車に、コーナーのたびにプレッシャーをかけられ、最後には抜き去られたのだ。

 

「量産車両、という呼び方も、もはや『あの人』には失礼でしょう。そうですね……昔の資料によれば、あの古い量産車両の設計図は、その86番目の車両だったはず……となれば、ハチロク……などと呼ぶのがおあつらえ向きだと思いませんか?」

 

 私がそう名付けると、不思議とあの亡霊に実体が伴ったような気がした。ハチロク。あの異常なドライバーの手足となって動いていた、白と黒の機体。

 

 ふと、隣を歩いていたはずのアカリの返事が聞こえなくなり、私は彼女がいたであろう方向へと振り向いた。

 

 そこには、敷地の奥の少し開けたスペースで足を止め、一台の車に目を輝かせているアカリの姿があった。

 彼女の視線の先にあるのは、鈍い光を放つガンメタル──グレーのボディカラーをした、一台の車。

 

 装甲車などに比べれば、驚くほど薄っぺらい見た目をしている。ドアの厚みも、鉄板の材質も、銃弾を一発受ければ容易く貫通してしまいそうなほど脆弱に見える。

 だが、大きく張り出した前後のフェンダー、地面に噛みつくように低く構えられたフロントリップ、そしてトランクリッドにそびえ立つ無骨なリアスポイラー。それは、ただの移動手段ではない、獲物を狩るために研ぎ澄まされた『肉食獣』のようなオーラを放っていた。

 

「良い車に目を付けたな」

 

 いつの間にか背後に立っていた店主が、自慢げに声をかけてくる。

 

「……」

 

 アカリは答えない。いや、答えられないのだ。

 

「この車……なんだかわかりませんが、とても……」

 

 普段はどんな時でも余裕の笑みを崩さず、流暢に言葉を紡ぐアカリが、まるで初めて本物の宝石を見た少女のように、感動を表現できずに立ち尽くしている。

 それほどまでに、このグレーの機体に一目惚れしてしまったのだろう。直感で理解したのだ。この車が、あの忌々しい『ハチロク』を屠るための、自分にとっての最高の相棒になり得るということを。

 

「お嬢ちゃん、乗ってみるかい?」

 

 店主が、ツナギのポケットから無造作に取り出したキーをチャラチャラと鳴らして提案した。

 

「いいのですか? 大切な売り物じゃあ……」

 

 珍しく遠慮がちなアカリの態度に、私は少しばかり驚かされた。普段の彼女であれば、許可を取るよりも先に強引にドアをこじ開けているところだ。それだけ、この車に対する敬意と、未知の領域に対する緊張感があるということだろう。

 

「なぁに、車を買う時って言うのは試乗ができるもんさ。知らんのか」

 

 店主はニヤリと笑うと、アカリの手に冷たいキーを放り投げた。

 アカリはそれを受け取ると、ゆっくりと深呼吸をし、グレーのボディのドアハンドルへと手を伸ばす。

 新たなる美食の探求。いや、新たなる『狩り』の準備が、今ここから始まろうとしていた。

 

 ■■■

 

 ゲヘナ学園の自治区の郊外、ヒノム火山の麓から中腹にかけてうねるように続くワインディングロード──黒曜峠。

 

 空気を微かに染める硫黄の匂いと、ゴツゴツとした赤黒い火山岩が剥き出しになった荒涼とした景色が続くこの場所は、キヴォトスの中でもひと際異彩を放っている。

 

 この世界の住人たちは移動に電車やヘリ、あるいは装甲車を使うことが多く、わざわざ普通の車に乗って、しかもこんな何もないつづら折りの峠道を走りに来る物好きなど皆無に等しい。

 だからこそ、日中であっても対向車を気にする必要がなく、気兼ねなくアクセルを踏み抜くことができる。オレにとっては、これ以上ないほど都合の良いテストコースだった。

 

 4AGの甲高い咆哮が、人けのない火山にこだまする。

 

 タコメーターの針が七千回転を指したところで、素早くクラッチを切り、シフトアップ。再びアクセルを踏み込むと、ハチロクは荒い路面を蹴り立てて加速していく。

 ドリンクホルダーに置かれた紙コップの水は、遠心力でふちのギリギリを渦巻いているが、決して外にはこぼれない。

 

 便利屋の連中の依頼がない空き時間。オレはこうしてハチロクを持ち出し、黒曜峠を走り込んでいた。目的は一つ。全盛期の腕を、あの頃の走りの感覚を取り戻すためだ。

 

 直線が終わり、前方にきついアールを描く右のヘアピンコーナーが迫ってくる。

 オレは右足のつま先でブレーキペダルを繊細に踏み込みながら、同時に踵でアクセルを煽り、左足でクラッチを操作する。

 完璧なブリッピングでエンジンの回転数を合わせ、シフトダウンによるショックを殺す。

 

「(……ここで)」

 

 フロントに十分な荷重が乗った瞬間、オレはステアリングを鋭く右へ切り込んだ。

 同時に、コーナーのイン側、アスファルトと土の境界線にある『くぼみ』へと視線を送る。雨水を流すために作られたであろう、コンクリートで固められた側溝。秋名の峠にあるそれと、形状も深さもよく似ている。

 

 かつて秋名山で習得し、それ以降のプロジェクトDでの数々の強敵とのバトルで幾度となく使ってきた、オレの代名詞とも言える技術。

 ──溝落とし。

 

 イン側のタイヤを側溝に落とし込み、遠心力に引っ張られる車体を物理的に引っ掛けることで、タイヤの限界グリップを遥かに超えたオーバースピードでコーナーをクリアする大技。

 身体が、手足が、あの時の感覚を覚えているはずだ。頭で考えるよりも先に、本能がラインを描き出している。

 

 狙い違わず、ハチロクの右フロントタイヤが側溝へと落ち込み、硬質な音を立てて溝の壁面に引っ掛かった。

 いける。車体にかかる強烈な遠心力を側溝が受け止め、アウト側に膨らもうとするハチロクのノーズを、強制的にイン側へと縫い付ける。ここまでは完璧だ。あの頃の秋名と同じ、鋭角で恐ろしいほどに速いコーナリング。

 

 あとは、クリッピングポイントを過ぎた瞬間にステアリングを戻し、アクセルを踏み込んで溝からタイヤをスムーズに脱出させるだけ。

 

 ──だが。

 

「くっ……!?」

 

 タイヤを溝から引き抜こうとした瞬間、ステアリングから伝わってきたのは、想定していた滑らかな手応えではなく、車体全体をへし折るような強烈な反発力だった。

 アクセルを踏み込むタイミングが、ほんのコンマ数秒、遅れたのだ。いや、ステアリングを戻す角度が微妙に狂っていたのか。それとも、サスペンションの伸び縮みを計算する身体のセンサーが鈍っていたのか。

 

 あれほど練習したのに。あれほど実戦で使い込んできた技だというのに。

 

 10年。

 

 イギリスに渡り、プロのラリーストとしての道を歩もうとした矢先の事故。そこからの長く苦しいリハビリと、車から離れていた途方もない空白の時間。

 その残酷なまでの年月は、オレの肉体から『溝落とし』という針の穴を通すような精密な技術を、無情にも奪い去ってしまっていた。

 

 バコンッ、という不快な音と共に、右フロントタイヤが強引に溝から弾き出される。

 その反動で車体のバランスが完全に崩壊した。リアタイヤのグリップが限界を超え、ハチロクの車体がコマのように左へ向かって激しくスピンを始める。

 

「うおっ……!」

 

 オレは咄嗟にクラッチを蹴り飛ばし、ステアリングを猛烈な勢いで逆方向へ──カウンターステアを当ててスピンの収束を図る。

 だが、完全に姿勢を乱した車体はすぐには止まらない。白煙を上げながらアスファルトの上を滑り、フロントバンパーがアウト側のガードレールにキスをする寸前で、オレは力任せにブレーキペダルを踏み抜いた。

 

 凄まじいスキール音とタイヤの焦げる匂いを撒き散らしながら、ハチロクは道路のど真ん中で完全に真横を向いた状態で、ギリギリ立ち止まった。

 静まり返った車内に、オレの荒い呼吸だけが響いている。

 

 ドクン、ドクンと耳の奥で心臓が嫌な音を立てていた。谷底へ落ちていった時の、あの内臓が浮き上がるようなフラッシュバックが脳裏をかすめる。

 

 オレはステアリングに額を押し当て、深く、深く息を吐き出した。

 

「……やっぱり、できない……」

 

 絞り出すようにこぼれた声は、自分でも驚くほど情けなく、震えていた。

 わかっていたことだ。頭の中にある「全盛期のオレ」のイメージと、今の現実の身体の動きには、埋めようのないズレがある。イギリスのベッドで絶望していた時に比べれば、こうしてハチロクを運転できているだけでも奇跡のようなものだ。

 それでも、身体が、感覚が、あの頃の輝きを失ってしまったという事実を直視するのは、酷く辛かった。

 

 ふと視線を落とすと、ダッシュボードのドリンクホルダーに置いていた紙コップが倒れ、中の水がセンターコンソールから助手席のシートにかけて、派手にぶちまけられていた。

 スピンの遠心力に耐えきれず、すべて飛び出してしまったのだ。

 

「……はぁ」

 

 オレは重い溜息をつきながら、ダッシュボードに常備しているタオルを手に取った。

 びしゃびしゃになった車内を、無言のまま丁寧に拭いていく。プラスチックのパネルについた水滴を拭き取り、シートに染み込んだ水分を叩くようにして吸い取らせる。

 

 ハチロクのエンジンは、オレの情けない失敗など気にする様子もなく、いつも通り生きている。アイドリングの鼓動が、左手を通して真っ直ぐに伝わってくる。

 

「そうだな……。10年サボってたんだ。一朝一夕で戻るわけがねぇ」

 

 失ったものを数えて立ち止まっている暇はない。オレはこのキヴォトスで、もう一度ステアリングを握ると決めたのだから。

 左手でシフトノブを1速へと叩き込み、クラッチを繋いでハチロクの向きを進行方向へと戻した。

 

 黒曜峠を下りきるまでは、まだいくつものヘアピンコーナーが残っている。

 もっと、走りの腕を取り戻すために。

 

 かつての自分に追いつき、そして追い越すために。オレはアクセルペダルを、再び深く踏み込んだ。

 

「ん……」

 

 麓に差し掛かる、連続するS字カーブを抜けた時のことだ。

 開け放った窓の外から、オレのハチロクが奏でる4AGとは全く質の違う、図太くて暴力的なエキゾーストノートが、山の斜面に反響して下から響いてきた。

 

 重低音を轟かせるその連続音は、明らかに大排気量のターボ車特有のものだ。しかも、エンジンの吹け上がりからして、とんでもないスピードでこの急勾配を駆け上がってきているのが分かる。

 

「(対向車……!)」

 

 オレは反射的にステアリングを切り、レコードラインを捨てた。

 道路の幅をいっぱいに使い、対向車線をはみ出してアウト・イン・アウトを描く走りをやめる。

 

 直後、目の前の右コーナーの奥から、地を這うような低いシルエットが猛烈な勢いで飛び出してきた。

 大きく張り出したフェンダー、空気を切り裂くような特徴的なフロントグリル。

 

「(GT-R……!)」

 

 すれ違うほんの一瞬。その車の正体を正確に捉えた。

 日産・スカイラインGT-R。型式、BNR32。言い方を変えれば、R32。

 

 脳裏に一瞬、妙義ナイトキッズのリーダー、中里さんの厳つい顔がよぎった。まさか中里さんもこのキヴォトスに飛ばされてきたのかと錯覚するほどの、R32特有の圧倒的なオーラと威圧感。だが、すれ違ったあのR32のボディカラーは、中里さんの乗っていたブラックアウトされた黒ではなく、鈍い光を放つガンメタル──グレーだった。

 

 凄まじい風切り音と排気音を残し、グレーのR32はあっという間にオレの横をすり抜け、登りのストレートへと消えていく。

 ルームミラー越しにその後ろ姿を見送るオレの背筋に、ゾクッとしたものが走った。

 

 この黒曜峠のバンピーで荒れた路面、しかも斜度のきついヒルクライムであれほどのスピードを乗せてコーナーをクリアしていくなんて、ただパワーに任せてアクセルを踏んでいるだけの素人じゃない。ブレーキを残すタイミングも、ノーズの入り方も完璧なのだろう。

 相当に走り慣れている。この黒曜峠を、オレが秋名を走っていた時のように、何百回、何千回と走り込んでいるような……そんな凄みと凄まじいオーラがあった。

 

「(もしかしたら、何回も鉢合わせるかもしれないなァ)」

 

 オレはステアリングを握り直しながら、小さく独りごちた。

 

 これだけ見晴らしが良く、走り屋にとって都合の良い峠だ。今までたまたま出会っていなかっただけで、あのグレーのR32のドライバーも、オレと同じようにここをホームコースとして走っているのかもしれない。

 これからこの峠に通い詰めれば、そのうち麓の駐車場や山頂のスペースで親交を深め、車のボンネットに腰掛けて並んで缶コーヒーでも飲む日が来るかもしれない。

 

 銃弾が飛び交い、日常的に爆発が起きるこの狂った世界にも、純粋に峠を攻めるヤツがいる。その事実が、オレの胸の奥を熱くさせた。

 走り屋同士の、言葉のいらない奇妙な連帯感。それを想像し、オレは少しだけ気分が軽くなるのを感じる。

 

 あのR32のドライバーがどんなヤツなのか、少しの期待を抱きながら、オレは心地よいエンジン音の響きと共に、黒曜峠のダウンヒルを下っていった。

 

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