キヴォトスに単身ドリフトしちゃった藤原拓海(30) ~頭文字D Archive Stage~ 作:曇りのち晴れ男
ついに来てしまった。決戦の土曜日が。
ヒノム火山から吹き下ろす夜風は、微かに硫黄の匂いと、細かな火山灰の粒子を含んでいた。街灯もまばらな黒曜峠の頂上展望スペースは、普段であれば深夜に訪れる者など誰もいない寂れた場所のはずだ。
しかし今夜ばかりは、その常識は完全に覆されていた。
「(な、なんなのよこの人数は……っ!?)」
私は自慢のコートの襟を立て、極力「冷酷で余裕のあるアウトローのボス」の表情を崩さないように努めながら、内心で悲鳴を上げていた。
展望スペースからコースの第一コーナーにかけてのガードレール沿いには、ゲヘナの生徒を中心としたおびただしい数のギャラリーが群れを成していた。どこから持ってきたのか煌々と焚かれた投光器。路肩に無造作に停められた見物客の車両やバイク。お祭り騒ぎのように飲み物片手に談笑する者から、賭けのオッズを叫んでいるいかにも素行の悪そうな連中までいる。
先日、SNSで一瞬だけ拡散されたあの情報が、これほどの野次馬を呼び寄せるとは。
本来なら、便利屋の専属ドライバーであるタクミと一緒に、社用車であるあのハチロクに乗って颯爽と登場する青写真を描いていた。アウトローのボスが凄腕のドライバーを引き連れて現れる、映画のワンシーンのような完璧な演出。
だが、現実は違った。タクミはどうしてもギリギリまで足回りのセッティングを煮詰めたいと言って聞かず、ハチロクの下に潜り込んだまま、私たちだけを先によこしたのだ。
火山灰が降る最悪の路面コンディション。それに合わせてサスペンションの減衰力やタイヤの空気圧を調整しなければ戦えないのだと、彼は言っていた。
「くふふ……便利屋と美食研究会のただのバトル……ってわけじゃなくなってきたねぇ♪」
横に立つムツキが、周囲の熱気と喧騒を面白がるようにぐるぐると見渡しながら、楽しげに笑い声を上げた。彼女の手には、ちゃっかり屋台か何かで買ってきたらしいクレープが握られている。
「どっ……どどどどうしましょう……全員殺してしまいましょうか……!?」
「余計にややこしくなるだけだから」
一方で、この異常なプレッシャーに完全に耐えきれなくなっていたのはハルカだ。彼女は青ざめた顔で周囲のギャラリーを睨みつけながら、愛用のショットガンをガチャリと物騒な音を立ててコッキングした。震える指先が今にも引き金にかかりそうになっている。
すかさずカヨコがハルカのショットガンの銃身を掴み、下へと向けさせた。
三人はそれぞれ思い思いの反応を見せているが、私自身は居ても立っても居られない状態だった。
約束の時間は23時。
手元の腕時計に視線を落とす。針はじりじりと動き、対決の時間は刻一刻と迫ってきている。
どうして主役であるはずのハチロクがまだ来ないのか。もしや、ここに来るまでの道中でセッティングを誤って事故を起こしてしまったのではないか。あるいは、相手が勝てない車だと悟って、どこかへ逃げてしまったのではないか。
……いや、それはない。あの時のタクミの目は、絶対に逃げるような男の目ではなかった。
それでも、募る不安は私の胃を容赦なくキリキリと締め付けていく。
「(早く、早く来なさいよタクミ……! これじゃあ私たち便利屋が、ただの待ちぼうけを食らってるマヌケ集団に見えちゃうじゃない……!)」
腕を組み、不敵な笑みを顔面に貼り付けたまま、私は心の中で祈り続けていた。
ギャラリーたちの間でも、「ハチロクはまだか」「美食研究会はどうしたんだ」という囁きが次第に大きくなり、焦燥感を含んだざわめきが展望スペースを満たし始めた。
……すると。
遠く、麓へと続く暗闇の奥底から、空気をビリビリと震わせるような異質な重低音が響いてきた。
「あ、来たみたいだよ~」
ムツキがクレープを食べる手を止め、音のした方角を指差す。
ギャラリーたちのざわめきが一瞬にして静まり返り、全員の視線が一つの方向へと集中した。
だが、近づいてくるその音を聞き、私は背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
違う。タクミの運転するハチロクの音じゃない。
あのハチロクのエンジンは、もっと甲高く、乾いた叫びを上げるはずだ。しかし今、闇夜を切り裂いて黒曜峠を駆け上がってくるこの音は、大地そのものを鳴動させるような、爆発的な存在感を示す暴力的な音だった。
強烈なヘッドライトの光が、上り最終コーナーの闇を打ち払う。
ギャラリーが息を呑んで道を空けたその先から、姿を現したのは──白黒のパンダカラーではなく、鈍いガンメタルの装甲をまとった巨大なスポーツカーだった。
「あれが……美食研究会の……」
カヨコが小さく呟く。
クルマの名前は、スカイラインGT-R。
ハチロクとは何もかもが根底から違う、圧倒的な質量とパワーを誇示するかのように、そのグレーの怪物は地を這うような低い姿勢で展望スペースへと滑り込んできた。
プシューッ、と威圧的な破裂音が吐き出される。ただそこに停止しただけで、周囲の空気が一気に制圧されるほどのすさまじい威圧感。
「(こんなバケモノみたいな車を相手に……タクミはあの古い社用車で勝負するっていうの……!?)」
私はヒールのつま先が震えそうになるのを必死に堪えながら、目の前に鎮座した灰色の怪物をただ呆然と見つめることしかできなかった。
ガンメタルの巨体が発する暴力的な熱気が、冷たい夜風を押し返して展望スペースに立ち込める。
アイドリングの重低音が響く中、ガチャリとR32の重たいドアが開いた。
降りてきたのは、ゲヘナの制服に身を包んだ長身の少女。美食研究会のアカリだった。
普段なら給食部特製の料理を前にして目を輝かせているであろう彼女だが、今の彼女の全身から立ち上っているのは、食欲などという可愛らしいものではない。
獲物を引き裂く機会を今か今かと待ちわびる、飢えた肉食獣のような闘気だった。
彼女がヒールの音を響かせて歩みを進めると、群がっていたギャラリーたちがそのただならぬオーラに圧され、スルスルと道を空けていく。
アカリは真っ直ぐに、私たち便利屋68の陣取る場所へと歩み寄ってきた。
そして、私の横で静かに佇んでいるカヨコへと視線を向け、優雅に、けれど背筋が凍るような冷たい笑みを浮かべた。
「この間はありがとうございます。恨むなら運命……でしたっけ? 今の私は、その運命にひどく感謝していますよ」
「……」
あの日、逃走する美食研究会のトラックのタイヤを、カヨコが容赦なく撃ち抜いた直後に放ったのであろう言葉。それをそっくりそのまま返しつつ、アカリは背後のR32を誇らしげに一瞥した。
あの時タイヤを撃ち抜かれ、無様に敗北したからこそ、彼女はこの怪物──GT-Rという新たな牙を手に入れたのだ。だから感謝している。その言葉の裏にある異常なまでの執念に、カヨコは表情一つ変えずに沈黙を貫いていたが、その警戒心が極限まで高まっているのは長年の付き合いである私には痛いほど分かった。
このままでは、カヨコが完全に呑まれてしまう。
社長として、社員を守らなければならない。私は震えそうになる膝に力一杯喝を入れ、大きく一歩前へ踏み出して、その凍りつくような空気を強引に切り裂いた。
「ま、まだこっちのドライバーは来てないわ! お、おとなしく待っていなさい……っ!」
声がわずかに裏返ってしまったかもしれない。
強気なアウトローのボスを演じようとしたものの、目の前の怪物を乗りこなすアカリの放つプレッシャーは尋常ではなく、どうしても語尾が弱気になってしまう。
嘲笑される。そう覚悟して私はぎゅっと目を瞑りかけたが、アカリの反応は私の予想とは全く異なるものだった。
「ふふ……便利屋68のボスは伊達じゃないということですか。大勢のギャラリーに囲まれたアウェイのこの状況に臆するかと思いましたが、流石の貫禄ですね」
「(別に狙ってはないけれど、怖いけれど!)」
心の中で大粒の涙を流しながら叫ぶ私をよそに、アカリは満足げに頷いた。
「いいでしょう、そもそも約束の時間は23時ですから。私は車の中で少し休ませてもらいます」
それだけ言うと、アカリは優雅にクルリと踵を返し、再び凄まじい熱を放つGT-Rの運転席へと戻っていった。
バタン、と重厚なドアが閉まる音が響く。
ガラス越しに、アカリがシートに深く腰掛け、目を閉じて精神を集中させているのが微かに見えた。闘いの前の静寂。それは、嵐の前の不気味な凪そのものだった。
「……社長、無理しなくていいから」
隣でカヨコが、微かに同情を含んだ小声で囁いてくる。
私は強張っていた肩の力を一気に抜き、誰にも見えないようにコートの下でガクガクと震える足を必死に押さえ込んだ。
時計の針は、22時50分を回ろうとしている。
火山灰が混じる夜風が、さらに冷たさを増して吹き抜けていく。ギャラリーたちの期待に満ちたざわめきが、まるで私たちを処刑台へと追い立てるカウントダウンのように聞こえて仕方がない。
「(お願いタクミ……早く来てぇっ!!)」
私は遠く、誰もいない麓へと続く暗闇の峠道を縋るような思いで見つめながら、心の中でただひたすらに専属ドライバーの名前を叫び続けていた。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
便利屋68が契約してくれている、ゲヘナ市街の片隅にある薄暗い屋根付きの月極駐車場。
ガレージジャッキでウマをかけられ、四輪を浮かせたハチロクの下に潜り込みながら、オレは作業灯の明かりを頼りにサスペンションを睨みつけていた。
アルが無理をして用意してくれた金で、足回りは一新した。ブッシュ類もすべて打ち替え、ショックアブソーバーもスプリングも、オレが指定したパーツが入っている。
だが、頭の中に黒曜峠のコースレイアウトを浮かべるたび、本当にこのままのセッティングでいいのかという疑念が、ねっとりとオレの思考にまとわりついていた。
相手はR32。あの重たい車重をものともせず、アテーサE-TSの電子制御で強引にトラクションを稼ぎ出す。もしスペックが俺のいた世界と同じなら、日産が誇る最強のモンスターマシンだ。
対するオレのハチロクは、軽さだけが武器のFR。
しかも、オレ自身の腕は10年のブランクで完全に錆びついている。この間のテストランでも、あろうことか得意技である『溝落とし』を失敗し、スピンを喫してしまった。
実力を失っている今のオレが、コンディション最悪の峠で格上のGT-Rに挑む。下手をすれば、完膚なきまでに負けてしまうかもしれない。
「(考えろ……涼介さんなら、なんて言うのかを)」
プロジェクトDで走っていた頃、オレはただステアリングを握り、涼介さんの指示通りに走るだけでよかった。コースの解析から相手マシンの弱点、天候の変化によるタイヤのタレ具合まで、あの天才的な頭脳がすべてを計算し、完璧な戦略を与えてくれていたのだ。
だが、ここは群馬の峠じゃない。涼介さんも、啓介さんも、史浩さんもいない。
今、オレは一人だ。ドライバーであり、メカニックであり、そして自分自身のナビゲーターにならなければならない。この絶望的なバトルの戦略は、オレ自身が頭を絞ってひねり出すしかないのだ。
腕時計を見ると時刻は22時20分。黒曜峠への道のりを考えると、約束の23時まではもうほとんど時間がない。
焦りがオレの額に冷たい汗を浮かばせる。
ハチロクのタイヤを見つめ、サスペンションの構造を睨む。
低ミュー路面。GT-Rという車。ハチロクの軽さ。
ふと、頭の中でパズルのピースがカチリと音を立ててはまった。
有効な手段。相手が乗っているのが『あの車』であり、なおかつ今日の路面が『火山灰』であるというこの極限の状況下で、ハチロクがあのバケモノに喰らいつけるかもしれない、ただ一つの明確な『弱点』へのアプローチ。
「(そうだ……これならいけるかも……!!)」
オレはジャッキを素早く下ろし、ハチロクを地面に着地させた。
そして急いでフロントへと回り込み、ボンネットを乱暴に開けた。ストラットタワーバーの根本、フロントサスペンションのアッパーマウントに手を伸ばす。
ショックアブソーバーの減衰力調整ダイヤル。
オレはそれを指先で弾くように回し、あえて『柔らかく』なる方向へと数クリック戻した。
通常、バトルのような極限のコーナリングスピードを求める場合、足回りは限界まで固めるのがセオリーだ。だが、今のオレの頭の中にあるビジョンを形にするためには、サスペンションのしなやかなストロークがどうしても必要だったのだ。
すべての作業を数分で終え、ボンネットをバタンと閉める。
手についた油汚れをズボンで適当に拭い、運転席へと乗り込んだ。
「いろいろやっちゃって、バトルの最中に分解しなきゃいーけど……」
オレは自嘲気味に呟きながら、キーを捻った。
甲高いエキゾーストノートが、駐車場に響き渡る。
4AGの吹け上がりは最高だ。勝負に出るための、ただ一つの仕掛けも完了した。あとは、オレの腕と度胸次第。
クラッチを繋ぎ、ハチロクを夜の街へと飛び出させる。
約束の時間はもうすぐそこだ。
静まり返ったゲヘナの市街地を抜け、火山灰の舞う黒曜峠へ向けて。
白黒のパンダトレノは、まるで放たれた大きな一つの弾丸のように、一直線に闇を切り裂いて飛んで行った。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
「もうダメよ……もう22時58分よ……」
私は力なく呟き、厚い雲と火山灰に覆われた黒曜峠の星空を、絶望的な気持ちで見上げた。
時計の秒針が無情にも時を刻んでいく。約束の23時までは、あと2分しかない。
ヒノム火山からの風は冷たさを増し、ギャラリーたちの放つ熱気や喧騒との温度差が、私の胃をさらに痛めつけていた。
ふと視線を横に向けると、ムツキは相変わらずギャラリーが勝手に開いている屋台に並び、手に入れたばかりのたこ焼きを無邪気に頬張っていた。ハルカはムツキから渡されたらしいりんご飴を両手で持ちながらオロオロとしており、カヨコに至っては、スマホで何かを見ている。
この異常なプレッシャーの中で、一人で胃を痛めている自分がひどく滑稽に思えてきた。
「(どうして……? どうして来てくれないの、タクミ……)」
私はコートの裾を握りしめ、ギュッと目を瞑った。
あの大金を持ったまま、本当に逃げてしまったのだろうか。仮にもこの数ヶ月、便利屋68の仲間として一緒に過ごしてきた仲だというのに。
私たちがピンチになれば必ず車で駆けつけてくれて、呆れながらも結局は最後まで面倒を見てくれた。そんなタクミが、私たちを見捨ててしまったのだろうか。
そんな考えすら頭に浮かんでしまった、その時だった。
ガチャリ、と重たい音がして、向かいに停まっていたGT-Rのドアが開いた。
車内で待機していたアカリが、ゆっくりと降りてくる。彼女は腕時計を一瞥した後、呆れたような、そしてどこか哀れむような視線をこちらへと向けてきた。
「どうやら、ゲヘナのハチロクは逃げ出したようですね。一回の勝利を死守するために逃げるとは……見損ないました」
静かな、けれどはっきりと響く嘲笑。
その言葉が耳に届いた瞬間、私の口から反射的に声が飛び出していた。
「っ、違うっ! タクミは……!」
そこまで言って、私はハッと息を呑み、言葉を詰まらせた。
彼のことをひどく言われて、黙ってはいられなかった。でも、そこから先が続かなかった。
タクミは絶対に逃げないと、胸を張って言い切るだけの自信が、今の私にはなかったのだ。セッティングに手間取っているだけだと信じたかったけれど、心のどこかで「相手がGT-Rだから逃げたのかもしれない」と疑ってしまっていたのは、他ならぬ私自身だったのだから。
アカリは何も言わず、ただ優雅に微笑んでいる。その余裕に満ちた態度が、痛いところを突かれた私の惨めさをさらに増幅させた。
「……っ」
私は悔しさのあまり顔を逸らし、視界が滲んでいくのを感じた。
別に、クルマのバトル自体にそれほど興味があったわけじゃない。勝とうが負けようが、便利屋68のアウトローとしての活動がすぐに終わるわけでもない。
それでも。
自分が抱える自慢のドライバーが、戦いもせずに尻尾を巻いて逃げた卑怯者として、敗北の烙印を押されてしまうというのが、どうしようもなく悔しかった。彼がそんな男じゃないと、一番近くで見てきた私だからこそ、信じ切れなかった自分が情けなくて、涙が溢れそうになる。
グッと唇を噛み締め、涙目に耐えていた、その時だった。
遠く、黒曜峠の麓へと続く暗闇の中から、風を切り裂くような乾いた音が響いてきた。
GT-Rの地を這うような重低音とは全く違う。もっと軽快で、荒々しく、そしてどこまでも突き抜けるような、エンジンの甲高い咆哮。
聞き間違えるはずがない。私たちが節約してパーツを買い、彼が毎日整備していた、あの古い社用車の心臓の音だ。
ざわめいていたギャラリーたちの声がピタリと止む。
アカリの微笑みが消え、鋭い視線が闇の奥へと向けられる。
全員の視線が、展望駐車場の入り口へと集中した。
やがて、ブラインドコーナーの奥から、闇を切り裂く黄色みがかった二つの光──パカパカするヘッドライトが姿を現す。
スキール音を響かせ、リアをわずかに滑らせながら駐車場へと滑り込んできたのは、間違いなく白と黒のツートンカラーに彩られた、私たちのハチロクだった。
いよいよその車のボディが街灯の下で鮮明に見えた瞬間、私は堪えきれずに叫んでいた。
「っっっ……。たっ、タクミぃ!!!」
ハチロクはGT-Rのすぐ横にピタリと停車し、サイドブレーキが引かれた。
窓ガラスが下がり、見慣れた顔がひょっこりと顔を出す。
「悪い、待たせた」
油で少し顔を汚し、いつも通りの少し気怠げな表情を浮かべたタクミが、悪びれる様子もなくそう言った。
「本当に待ったわよ! 私はもう、タクミが便利屋のことを見捨てたんじゃないかと心配で心配で……でも悔しくて……っ」
私は涙を拭うのも忘れ、タクミの運転席の窓枠に身を乗り出して捲し立てた。
怒り半分、安堵半分。アウトローのボスの威厳なんて、もうどこかに吹き飛んでしまっていた。
そんな私の様子を見て、タクミは少しだけ驚いたように目を丸くした後、ふっと、どこか遠い昔の記憶を懐かしむような、優しい表情を浮かべた。
「心配すんな。走り屋っていうのは、勝負を挑まれたら受けて立たないといけね~からな」
どこか懐かしむように放たれたその言葉には、一切の迷いも、怯えもなかった。
目の前にいるバケモノみたいなGT-Rを前にしても、火山灰の降る最悪のコンディションを前にしても、彼はただ純粋に、一人の『走り屋』としてそこに来てくれたのだ。
走り屋って何なのかわからないけれど。
その確かな声を聞いて、私の胸の奥にあった不安と迷いは、一瞬にして綺麗に消え去った。
私は目元を乱暴に袖で拭うと、バンッと力強くハチロクのルーフを叩いた。そして、クルリと振り返り、唖然としているアカリと美食研究会の面々に向かって、ビシッと指を突きつける。
「スタートの準備をするわよ! 車に乗りなさい!!」
涙声の混じった、けれど誰よりも大きく響き渡る声で、私はボスとしての号令を高らかに告げた。
「……ふふ★」
時計の針は、23時ちょうどを指していた。
灰の降る黒曜峠の頂上で、GT-Rとハチロク──二台のマシンが、静かに、そして凶暴に並び立った。
想定ユーロビート・楽曲
黒曜峠に現れるハチロクと同時に
waiting for you/A-one