膝に食い込んだ破片の感触が頭に残った。背中をぶつけた衝撃よりもそこに意識が向いたことが何処かおかしかった。
すでに僕の身は土に汚れ、砕けた石が服の中に入り込んでいるというのに、踏ん張れず崩れ落ちた拍子に感じたそれだけがいかに私たちが激しい戦闘を繰り返していたのかを克明に告げている。
コンディションを確認する。
まず傷の状態。両腕、全体的に傷んでいるが先程の攻撃を受け止めた箇所のダメージが大きい。左は骨折まで行っただろうか。損傷率は左は67%、右は24%。
肩、左の損傷率が高い。有り体に言って深い裂傷を負っている。攻撃を避けきれずに受けたことが原因。骨まで見えそうなほど裂けているうえに雷属性由来の火傷が加わっている。失血しないのは僥倖だが、無理に動かしたことで引きつった傷口が開き始めているのを確認。動かせば動かすほど危険な状態になり、負ける確率は現時点よりも跳ね上がるだろう。
胴体。直撃は避けていたため大きな負傷はないが、壁に激突したことで肺の中の空気は80%排出され、呼吸が乱れている。雷属性の攻撃の余波で細かな火傷がついている。腐れ縁のド根性馬鹿のと比べ、余波であっても筋肉が引きつり、動作の精度は平均して5%下がっている。
両足。雷を纏うことで高速移動をする魔王軍幹部の魔族に対応するために激しく動かした結果、酷い疲労に襲われている。普段を100%だとして、現在のパフォーマンスは希望的観測を使用しても23%。さらに胴体への蹴りを受け止めた後から脛骨の状態が悪い。耐久性は30%減ったといえる。
武器。レイピア型である僕の剣は既に折れている。戦闘を開始してから数えて3分後。速度のギアを上げた魔族の攻撃を辛うじて受け止めた瞬間に甲高い音を立てて折れたのだ。損傷率は92%。残った刃もヒビが入っており使えそうにない。
最後に魔力。稼働率を100%で動かしていたため脳疲労に加え、総量は残り20%。出力も平常時と比べ60%以下だ。
僕の属性は水属性、対して魔族の属性は雷属性。
そう、不利だ。学園の図書館で調べたえデータによれば、過去に行われた試合、記録された戦闘の双方において不利な方の属性は勝率が著しく低い。数値にすれば10%を下回り、さらに単純な技術の差があれば5%を切る。
ここにあの馬鹿が居れば話は違った。例え技術の差があろうと雷属性に対して炎は少なくとも対等まで持っていける。二対一であれ救援が来るまでば持ちこたえられた。
正直、自分でも笑ってしまう。こんなありもしない想像に駆られるほど僕は楽観的だっただろうか。もしかしたらほんの数%だけ、あいつに毒されているのかもしれない。
実力は僕が一番あるのだからとしんがりを買って出たのもそれが原因か。確かにあのまま全員でかかっても蹴散らされ、稚拙な連携の隙を突かれることで全滅していた可能性が高い。
「――もう終わりか。てこずらせおって」
悠々と魔族が歩きながらそう言った。
細かい傷はあれど未だ健在な魔族は、見せつけるように腕を掲げた。
魔力が手に集中し、バチバチと細かな電気をまき散らしながらエネルギーが凝縮されていく。
やがてそれは球体という最も普遍的な魔力弾の形で落ち着き、3m手前で立ち止まった魔族が静かに標準を向けてきた。
出来る限り逃げ回って攻撃を避け、ヒットアンドアウェイで戦った。
少しは魔力総量を削れたはずなのだが、あの様子を見るに成果としては多く見積もって33%削れたぐらいか。
僕のコンデションは最悪。対してあちらのコンデションは良好。
僕の魔力量は現在23%。残量としては戦えないわけではない。ただ、回復魔法の素養がなかったことを恨むのみだ。
さて、結論から言おうか。詰みだ。
生存可能性もこの状況下では一桁すらない。どうあがいたところであの魔族は僕の一挙一動に射線を合わせ、実に96%もの確率で射貫いてくるだろう。これは今までの戦闘で僕が身体を張って集めたデータから算出された確かな数値といえる。
ただ、言えることとしては。僕はうまくやった方だろう。属性不利の状況で十二分な時間を稼ぐほどの大立ち回りを繰り広げ、いくらか魔力量を削ることに成功した。後のことは逃がした同級生たちが呼んだ増援に任せればいい。
だというのに、僕の目に映るのは魔力弾を撃たんとする幹部ではなく、あの熱血馬鹿であった。
思えば、あいつは入学した当初から一方的に絡んできた鬱陶しいやつだった。あいつとの腐れ縁が始まったのもその時からだ。
あいつは模擬戦で僕に負かされた後、何度も模擬戦を申し込んできた。その度に断っていたのだが、あるときに押し切られて以来、模擬戦の時にはあいつと組むという空気感が醸造されたのは今でも不本意に思っている。
戦うなら戦うで、属性の相性を理解させるために徹底的に叩きのめした。あいつの放つ炎を上から水で潰し、火の玉のことごとくを水の壁で防ぎ、持ち味を全て奪ったうえで勝ち続けた。
それでもあいつは『その方が燃える』と馬鹿の一つ覚えのように突っ込んでくる。いや、馬鹿だからこそか。少なくともデータとしては使えそうもない、面白みのない存在だった。
それが変わったのは模擬戦も5度目に達したころだろうか。
動きが違うと、模擬戦を流れ作業のように見ていた僕の意識を変えた。
僕の放つ弾の軌道を読んで避けたり、炎を広げるのではなく集中して水の壁全体を壊すのではなく自分が通れるだけの隙間だけを作ったり、さらには水弾が膨れ上がって質量を持つ前に炎で潰すという小賢しい真似までし始めた。
模擬戦の度に動きを修正し始めた。
始めはデータとして使えるかもなと軽く見ていたが、だんだんと、無意識に意固地になって攻撃し始めた自分がいた。
僕の目の前まで肉薄してきたときにはその考えもなくなり、焦りだけが残った。
死が目前に迫る中、頭にあったのは焦って張った杜撰な壁を抜かれて拳を叩き込まれた時に言われたセリフだった。
『俺はお前が言う通り馬鹿だ。確かにお前のそのデータってのはすげぇよ。今まで負け続けてきたんだからわかる。だが戦場ってのは変わり続けるものだろ?』
『……だから僕は負けたと?僕が集めてきた全ては無駄だったのか?』
『それも違うと思う。俺はお前を始めてみた時につまらなさそうに感じた。だから興味を持って手合わせをして負けたわけだが、やった後に俺は
相も変わらず要領を得ない返事に、負けた悔しさも相まって憤ったものだが、その言葉を受けて納得している自分もいた。
確かに、僕はデータだけを集めてそれを眺めるだけで、それを己の中に吸収して力へと変えていなかったのかもしれない。それが立ち止まってるっていうことだろう。
自分で大量に集め、そして集めるだけにとどまったデータというのはいうなれば積みあがった本と同じだ。読みこんで吸収すれば手元にはいらなくなるはずのそれが大量に重なっているのは、言ってしまえば壁と同じだ。
自分を高みに上げるためのそれがいつしか自分を閉じ込める高い壁と化していた、というのに今気づいたのは皮肉か何かか。
積みあがっただけの大量の
あいつが内側に持っていただけで僕が気づいていなかっただけのデータ。
今僕が必要としていて、今この状況下でも取り入れることができるデータ。
それは――――
「……根性、か」
「何か言ったか?人間。俺の手を煩わせたその小賢しさに免じて遺言を許してやろう。囀れ」
あいつが初めて僕を打ち破った時、そんなことを口走っていた気がする。
それに、これを言えば背中が押された気になって何でもできそうに思えるんだとも。
あの時は下らない精神論だと切って捨てたが、「背中を押す」というのは確かに馬鹿にならないのかもしれないな。
あの馬鹿に影響されたようで誠に癪に障るが、言ってやろうじゃないか。
「ど、根…性ォォ……!!」
そう言ったら不思議と身体が軽いように感じた。
疲労と負傷であれだけ笑っていた膝が動いた。立ち上がれた。それだけで十分だ。
「ほう、まだ立ち上がるか」
「さっき、遺言がどうとか言っていたな。さっきまでの僕ならばポツリと呟いてその魔力弾を受け入れていただろう。だがね、考えが変わった」
根性とやらを入れたところで現状は変わらない。
魔力量は底をつきかけ、傷だって治ったわけじゃない。
この状況下で生き残る確率も低いままだ。
だが、それがどうした。あるじゃないか、確率が。そこに。
「君風情に教えてやる義理は1%だってないね」
「ならば、ここで何も残さず死ぬがいい」
それが合図だった。
地を駆ける。といっても、地を蹴るのではなく、上体を前に投げ出した勢いを殺さないようにだ。
模擬戦で負けた後、僕だって変わらないわけじゃなかった。無意識にでもデータを取り入れようとしたんだろう。自己の改善のための修練という形でそれは出ていた。
極東に伝わる武術のうち、縮地。それを不完全にでも再現しなければこの身体で目的の距離まで近づくことはできない。
幹部の手から雷の魔力弾が撃たれる。物理的な質量まで感じさせるほどの密度。本能的な忌避感さえ呼び起こすほどの雷の塊。
まともに当たれば消し炭になる。だったら、逸らせばいい。
僕は今から自分に取って最も慣れ親しんだデータを捨てる。
ただでさえ損傷の激しい左腕に鞭を打ち、雷に手を突っ込んだ。
「ぎッ、あ”あ”あ”あ”ッッ!!!」
激しい雷エネルギーに晒され瞬く間に炭化していく左腕。
神経が焼き尽くされる痛みと竦む身体を無視し、強引に腕を振った。
残存する魔力量のうち12%を支払って雷を導く。
今まで集めたデータの中で水は雷を通すということは身にも心にも染みてよくわかっている。
だから、雷の魔力弾に当たって生きて幹部の目の前に肉薄できたという事実を、僕は奇跡という言葉で終わらせたくない。
左の肩の感覚がない。左目の視界だって不明瞭だ。それでも敵の驚いた顔くらいはわかった。
左腕を失ってすぐだが、さらに右腕を捧げる。
残った8%をなけなしの身体強化と、残り全てを右腕に集中させる。
「――なにッ!?貴様ァッ!」
そして、動揺した相手は注意がばらけ、足元がおろそかになる。
相手からすれば僕の身体が突然がくりと落ちたかのように見えるだろう。当然、膝の力を抜いたのだから。
このまま行けば僕の顔は地面に直撃し、顔でブレーキを踏むようなことになるだろう。だが、それでいい。腕さえ届けば。
慣性のままに進む僕の身体は魔族の腕をすり抜け、斜め下へと進みながら懐にもぐりこんだ。
激しい動揺で乱れた魔力操作と、極限状態で研ぎ澄まされた今の感覚ならば、何故か成功するという確信が生まれた。
それはいうなればただの打撃。水属性をもって相手の水分に干渉するという点を除けば。
攻撃の当たる瞬間に干渉を行うことで、衝撃全てを内部に伝え攻撃を徹すという古い本に書いてあった技。
それを――――
成功させた。
「――グガァッッ!!??」
なけなしの力を振り絞って立てた僕の拳は魔族の腹に接触。インパクトが生まれる瞬間に身体の水分に干渉し、衝撃が内部まで伝わる。
体当たりのようにぶつかった拳は当たった箇所を破壊、貫いた。
圧倒的に不利な属性に対して干渉を成功させた代償か、右腕も壊れたが。
悲鳴を上げる魔族を余所に、殴り抜けたことで幾分か弱まった勢いのままに僕の身体は飛んでいく。そのまま顔から着弾、顔を中心として擦り傷や切り傷を無数に作りながら転げまわり、止まった。
もはや一かけらも動くことができない。両腕を損傷、そのうち左腕は再起不能まで行っている。
あれで魔族は生命力が高い。腹部の一部が破壊されたとしても、動けるほど頑丈だ。
実力差の開いた僕に一矢報いられたことで激怒し、惨たらしく殺そうとするかもしれない。
だが、これでいい。僕のデータからすれば――――
「――よく持ちこたえた。後は任せろ」
これぐらいの時間を稼げれば救援が駆け付けてくるだろうから。