男の娘皇帝から股間を守れ! 作:股間Υ紳士
胃薬(ミント)を噛みながら、疾走していた。
「おい、状況はどうなっている⁉︎」
「はっ! ユピテル神殿前です! すでに数千の市民が神殿を包囲しております‼︎」
背後を走る近衛兵たちが、青ざめて叫び返す。
石畳を蹴る軍靴の音が、重々しく響いた。
丘へ駆け上がると、怒号と煙が視界を覆う。
「異邦の邪神をローマから叩き出せッ!」
「伝統あるユピテル神殿を冒涜するなァ!」
投石。罵声。
そして掲げられた松明の炎。
ローマ最高神ユピテルを祀る大神殿の階段。
その中央に、ドスンと居座っていたのは——。
真っ黒な、異形の巨石だった。
高さは大人の背丈を超え、円錐形に尖っている。
表面には特有の焦げ跡と、鈍いガラス質の光沢。
要するに、ただの馬鹿でかい石(隕石)である。
その横で、白長衣を纏ったユピテル神官団の大神官が、真っ赤な顔をして叫んでいた。
「許されぬ! 最高神の玉座に、正体不明の黒い岩を並べて祀るなど前代未聞!」
元老院議員たちも腕を組み、冷笑を浮かべる。
「そうだ! 神官団が祭儀を拒絶するぞ‼︎」
例えるなら、伝統ある老舗の大神社に、新参のヤバい怪獣像をねじ込もうとして皆ブチギレ状態。
神官団による祭儀の全面ストライキ。
神託が止まれば政務も止まり、帝都の機能は完全に麻痺するだろう。
そして、その黒い巨石のすぐ傍ら。
金色の天蓋付きの輿の上に、少年皇帝がいた。
その十四歳の男の子は必死に虚勢を張っている。
「何が邪神だ! 太陽神こそ最高神だぞ! ボクの神様を侮辱する奴は全員死刑だ!」
だがその声は、数千の怒号にかき消される。
「小僧を引きずり降ろせ!」
「エメサ(生まれ故郷)へ帰れ!」
群衆の殺気が一段と跳ね上がった。
□■□■□
ヘリオガバルスの指先は、小刻みに震えていた。
手首につけた無数の黄金の腕輪が、カチカチと乾いた音を立てる。
(……こ、怖い)
息が詰まる。
周り中が敵だった。
誰もが自分を憎悪に満ちた目で睨みつけている。
太陽神をローマの頂点に据える。
それがエメサの大神官たる使命だと信じていた。
だが、現実は違った。
(どうして……? ボクはただ神様を……)
ふと、神殿の回廊の物陰に視線を遣る。
そこには、冷たい瞳でこちらを見つめる祖母マエサの姿があった。
助けてくれる気など微塵もない。
勝手に暴走したのだから民衆に引き裂かれればいい——そう言わんばかりの冷酷な眼差し。
(おばあ様もお母様も、なんでボクを助けてくれないの? ……こわい、怖いよ)
喉の奥がカラカラに渇く。
投げられた石が、天蓋の柱を直撃して砕けた。
悲鳴を上げて身を縮めた、その時だった——。
ズズン。
地響きのような足音が階段を踏み抜く。
「——おいコラ、お前ら! 子供に向かって石投げてんじゃねえぞ⁉︎」
冷えた空気の真ん中へ、巨大な影が割り込む。
見上げるような背丈。
彫刻のように盛り上がった筋肉の巨躯。
見慣れた、むさ苦しい近衛隊長官の顔。
「き、筋肉バカ……!」
「陛下、下がっててください。仕事なので」
オリエンタは少年の小さな手首を乱暴に掴むと、そのまま自分の背中側へとグイッと引き寄せた。
骨太で、信じられないほど温かい手のひら。
怒号も、罵声も、投げつけられる小石も。
その分厚い背中が、壁となってすべて遮断した。
(あったかい……)
少年の胸の奥で、カチリと何かが音を立てた。
言葉には表現できない、未知の心地よさだった。
□■□■□
震える悪ガキを庇い、私は深くため息をついた。
まったく、手のかかる主君である。
こんな巨石を神殿へねじ込もうとすれば、反対派が暴れるなど中学生でも分かる。
……って、まだ十四歳だったか。
——ヒュン!
鋭い風切り音が鼓膜を打った。
群衆の奥から放たれた鋭利な投石が、しれっと私の下半身すれすれを猛スピードでかすめ飛ぶ。
(危ねええええ⁉︎ 股間を狙ってきやがった⁉︎)
大胸筋なら石など弾き返せる。
だが、急所ばかりはどうしても鍛えようがない!
ともかく、ここで皇帝が失脚すれば、私の近衛隊長官の椅子も、退職金も、すべて灰燼に帰す。
それだけは絶対に阻止せねばならない。
私が睨みつけると、暴徒の先頭にいたゴロツキどもが、ゴクリと唾を呑んで足を止めた。
マッスルの威圧感は古代でも万能である。
だが、その時。
アッピア街道の方面から、血相を変えた伝令の近衛兵が階段を駆け上がってきた。
「ちょ、長官! 凶報でございます‼︎」
「……今度は何だ。これ以上厄介事を増やすな」
「暴徒の一部が扇動され、『不吉な新興宗教の巣窟を焼き払え』と叫び、キリスト教徒の墓所を襲撃しているようです‼︎」
「ええっ——⁉︎」
思わず素っ頓狂な声が出た。
宗教対立のドサクサに紛れて、無関係なところへ八つ当たりとは、どこの世界でもゴロツキのやることは変わらない。
神官長がここぞとばかりに鼻を鳴らした。
「ふん! 邪神同士勝手に潰し合え! 我がユピテルの神威を思い知るがよい!」
「……神官長。後でじっくり話を聞きますので、そこで大人しく待っていてください」
神官長を黙らせ、私は副官へ向き直った。
「副官ルキウス、第一隊で神殿を包囲しろ。石を投げる輩は豚箱へ放り込め。怪我人を出すな」
「は、はっ! 承知いたしました!」
「陛下、私の帯から離れないでください」
「わ、分かった……!」
私はヘリオガバルスを抱え上げると、地下墓地(カタコンベ)へと向かった。
□■□■□
アッピア街道沿いの地下墓地は、すでに煙と悲鳴に包まれていた。
粗末な服を着た男たちが、棍棒や松明を振り回して地下へと押し寄せている。
墓所の入り口には、無数の十字架の印。
老人や子供、貧しい身なりの信徒たちが、恐怖に震えながら身を寄せ合っていた。
「異端のネズミどもめ! 神々の怒りを鎮めるため、生贄にしてやる!」
暴徒の首領格が大声を上げ、幼子を庇う母親へ棍棒を振り下ろそうとした、まさにその瞬間——。
バキィッ‼︎
「ぎゃあああっ⁉︎」
振り下ろされた棍棒ごと、首領の身体が真横へと消し飛んだ。
土壁にめり込み、白目を剥いて崩れ落ちる。
煙幕の中から姿を現したのは、当然私だ。
「ふっ、これが正義の隣人愛パンチ……か」
前世で理不尽な休日出勤を強いられた怨念。
それを右腕に込め、間髪入れずに踏み込む。
「な、なんだこの大男は——」
「喰らえっ! アガペータックル‼︎」
逃げ惑う暴徒の胴へ、体当たりを叩き込む。
二人がまとめて宙を舞い、石畳の上で転がった。
さらに棍棒を振り上げた三人組の腕を鷲掴み、怪力でへし折って放り投げる。
「よし、これで私も聖人の一人になれるな!」
わずか一分。
三十人を超える暴徒たちは、誰一人立ち上がれなくなっていた。
「……す、すっごい」
私の背中で、ヘリオガバルスが目を丸くして息を呑んでいる。
暴力はすべてを解決する、筋肉は裏切らない。
「あ、ありがとうございます……将軍様」
怯えきった信徒たちの奥から、一人の男が静かに歩み出てきた。
五十がらみ、日に焼けた温厚そうな顔立ちの男。
だが、その身のこなしには、ただの聖職者ではないような、抜け目のない鋭さが宿っていた。
「私はこの地下共同体の司教を務めております、カリストゥスと申します」
「ふむ、私は近衛隊長官オリエンタだ。ゴロツキは片付けたから安心するように」
名乗りつつ、私は周囲を見渡した。
壁際には番号の振られた麦袋が積まれ、薬品の壺が整然と並んでいる。
奥の壁には、幾何学的に整えられた埋葬用の棚。
机の上には、几帳面な文字で記された出納帳まで置かれていた。
「……して、カリストゥス司教。ここは信仰の場というより、ずいぶんと物資の配給所や両替商の倉庫に似ているな」
カリストゥスは驚いたように目を見張り、次いで困ったように眉を下げた。
「お恥ずかしい。若い頃、主人のもとで両替や金貸しの帳簿をつけておりました……。そのせいか、神に仕える身となっても、台帳や物資を几帳面に管理せねば落ち着かぬ性分でして」
なるほど。
聖職者の衣を纏った、筋金入りの実務家か。
前世でもそういえば、こういう現場を完璧に回すベテランが一番頼りになったものだ。
「話が早くて助かるというもの。では単刀直入に、あなたたちの組織は、普段は何を?」
「貧しい者へパンを配り、死者を埋葬しております。その……国家からは怪しまれておりますが」
困り顔で俯く司教。
今まで私の背中で静かに黙っていたヘリオガバルスだったが、大きな紫紺の瞳を瞬かせ、おずおずと口を開いた。
「……キミたちも、自分たちの神様を信じているだけなのに、石を投げられているの?」
カリストゥスは驚いたように目を見張った。
現れたのは、息を呑むほど可憐な美少年だった。
その胸元には、豪奢な黄金の鎖が輝いている。
「……左様でございます。私たちはただ、互いに助け合っているだけにすぎません」
「ボクと同じだ……!」
ヘリオガバルスは喜色の表情を浮かべる。
だが同時に、悲しげに眉をひそめた。
「あいつら、自分たちの神様以外は全部邪神だって言って、人の大切なものを馬鹿にするんだ!」
少年の瞳に、悔しさと怒りが混じる。
彼は、私の太い腕にすがりついた。
「オリエンタ! ボク、この人たちを助けてあげたい! ボクの神様を信じなくてもいいから、この人たちを苛める奴らを全員処刑して!」
「……へ、陛下。全員処刑は勘弁してください。一応は手続きというものがありますので」
苦笑しつつ、私はカリストゥスへ向き直った。
「カリストゥス司教。元老院を通すような国家公認は、今すぐには約束できないのが現状……しかし、私の職権でこの一帯を『特別巡回区』に指定し、暴徒を厳罰に処すことは可能かと」
「えっ……本当ですか、長官殿⁉︎」
驚きの様子を見せる相手。
だがそこに、私はびしっと指を一本あげた。
「その代わり、あなた方の手で貧民の救済を、地下の治安維持をこれからも担ってほしい。それは、帝都の治安に繋がるので……いかがかな?」
カリストゥスが感極まったように頭を下げる。
「驚嘆いたしました! 近衛隊が盾となってくださるだけで、私たちには奇跡の救いです!」
そこへ、ヘリオガバルスが自らの細い指から、黄金の印章指輪を外して差し出した。
「これ、ボクの指輪! 門に掲げておけばいいよ。……近衛兵たちも、この紋様を見れば悪いようにはしないから!」
カリストゥスは差し出された小ぶりな指輪を受け取り、まじまじと見つめた。
重厚な純金、太陽の光輪を刻んだ緻密な彫り。
元両替商である彼の鋭い目が、金属の純度と宮廷直属の刻印を一瞬で見抜く。
目の前の可憐な少年が、並の身分の者ではないと察したのだろう。
だが司教は大人の分別として、あえて素性を深く問い質すような野暮な真似はしなかった。
ただ恭しく、深々と腰を折る。
「……ありがたくお預かりします、若君。主の御心にかけ、この温情は決して忘れません」
少年にとっては純粋な善意。
司教にとっても、大人の礼節を保った受け答え。
「では陛下、神殿へ戻りましょう。あの石頭の神官たちに、現実を教えてやらねばなりません」
「うん! オリエンタ、やっちゃえ!」
よし、これにて問題はひとまず解決。
残るは、上の神殿の石頭どもである。
□■□■□
大神殿へ戻っても、神官団は依然として強気な姿勢で座り込んでいた。
「戻ったか、筋肉バカ! 我らが抗議を続ける限り、帝国の政務は停止するぞ! その黒い邪石を今すぐ川へでも投げ捨てろ!」
このッ……! バカという方がバカなんだぞ⁉︎
「神官長殿。それは構いませんが、お布施がゼロになっても構わないのですか?」
階段の中段で腕を組むと、神官長は鼻で笑った。
「ふん! 伝統ある神殿だ、痛くも痒くない!」
「本当にそうでしょうか。神殿の修繕費すら出ず、借金があるのは知っていますよ?」
「う、うむむ……!」
神官長の顔が少し悔しげに歪む。
ここぞとばかりに私は畳み掛けていく。
「そこで提案。最高神ユピテルと太陽神エル・ガバルの『合同祭祀』を行うのはどうでしょう?」
合同祭祀(コラボフェス)。
聞き慣れない単語に、神官長が眉をひそめる。
「合同祭祀……? いや神々を混ぜるなど……」
「理由など後からいくらでも作れます。『最高神が東方の若き神を養子に迎えた』とでも、神話をあなた方が整えればよいのです」
「……むむぅ」
よし、あと一押しといったところか。
後ろから近衛兵が香水の壺を運び込んでくる。
「また、特製香水を神前で限定販売し、香煙を焚く。これぞ神前クラウドファンディング!」
「く、くらうど?」
「富裕層が押し寄せ、売上は三倍を下らない。大祭期間は寄進特別枠も認められちゃう‼︎」
信心深さとは、すなわち利回りである。
三倍の売上。
神官長の目が、ギラリとゴールドに輝いた。
「おお……! よく見れば実に神々しい太陽の御神体! ユピテル大神も大歓迎しておられる!」
「「「うんうん!」」」
一瞬で手のひらを返す神官団。
チョロすぎる。しんしんならぬきんきんだ。
「よし、じゃあ決まり! 近衛兵、酒樽を開けろ! 香水のサンプルと無料パンを配りまくれ! 今日から三日三晩、大祭の始まりだァ⁉︎」
「「「うおおおおっ‼︎ 酒! パン!」」」
暴動は一瞬にして、祝祭へと早変わりした。
「太陽神様バンザーイッ! ユピテル様万歳!」
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夜になり、ユピテル神殿は幻想的な篝火と薔薇の香煙に包まれていた。
隕石の周りには花輪が飾られ、神官たちが鈴を鳴らし熱心に祝詞を上げている。
香水を求める貴族や市民が長蛇の列を作り、集金箱はすでに黄金で満杯だ。
「はあ……まったく、骨が折れたな」
神殿の柱に寄りかかり、ワインを喉に流し込む。
胃の痛みが、酒で少しだけ麻痺していく。
「オリエンタ!」
背後から、鈴を転がすような甘い声。
振り返ると、なぜか巫女装束を纏ったヘリオガバルスが立っていた。
薄絹の裾を翻し、上気した頬を紅く染めている。
「見てよ、オリエンタ! ボクの神様が、ローマでお祝いされてる‼︎ あんなに怒ってた大人たちも、みんなも、全員が全員笑ってるよ!」
「ええ。全ては太陽神様の御石の力ですね」
ふっとそう返すと、彼はぶんぶんと頭を振った。
「ううん、違うよ。キミが守ってくれたからだ」
少年皇帝は駆け寄ってきて、私の太い腕にギュッと抱きついてきた。
陶器のような肌の温もりと、甘い香油の匂い。
紫紺の瞳が、星のように潤んで夜を照らす。
「ボクね、分かったんだ。キミこそが太陽神の遣わしてくれた運命の人だよ!」
「…………はい?」
ヘリオガバルスは私の首に両手を回し、爪先立ちで顔を寄せてきた。
それは危険すぎる、魔性の魅惑的な笑み。
「キミの逞しい筋肉は『最高の大巫女』にふさわしい! さあ神前でボクと永遠の口づけを!」
桃色の唇が、ぐんぐん間近に迫ってくる。
……おいおいおい、正気か⁉︎
「いえ、断じてお断りしますッ!」
両手を突き出し、少年の顔面をガッチリ挟んだ。
そのままアイアンクローで固定する。
「むぎゅううううっ⁉︎」
「いいですか陛下、私はノンケです! 神前結婚などベスビオス山が逆噴射するほどのこと‼︎」
「ふがっ! ぼ、ボクは超・可愛いのにぃ……⁉︎ 顔を挟むな筋肉バカァァッ‼︎」
少年皇帝の手足がジタバタと空を切る。
まったく、油断も隙もありゃしない。
……まあ、可愛らしいのは否定しないが。
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神殿の騒ぎをどうにか収め、執務室へ戻ったのは夜半過ぎだった。
だが、机の上に置かれていたのは、平穏な就寝を許さない一枚の緊急報告書だった——。
『東方シリア属州より、皇母ユリア・ソエミアス様が大量の純絹およびティルス紫の染料を携え、帝都へと電撃帰還。明朝、女性のみで構成される「女性元老院」の設立を勅命にて公布予定』
…………。
「クーデター⁉︎」
◆カリストゥス
ヘリオガバルスと同時代に在位していた、実在の第十六代ローマ教皇。
元奴隷で、主人の下で銀行を任されていた。
破産して鉱山送りにされるなど、聖職者らしからぬ波乱万丈な人生を送った男。
アッピア街道の地下墓地(聖カリストゥスのカタコンベ)の管理者だった。
イタリア版山手線(もしくは環七)内側にあるので、とてもリッチな立地。