男の娘皇帝から股間を守れ! 作:股間Υ紳士
人生において、これほど雇い主の恋路を全力で応援した朝はない。
「——北方の美青年剣闘士、ゾティクス?」
「はい。皇祖母マエサ様が推薦された青年です」
朝の光が差し込む近衛隊長官の執務室。
副官ルキウスが差し出した人事記録には、彫刻のように端正な美青年の肖像が描かれていた。
「昨夜、陛下の新しいお側付きとして召し抱えられました。いたくお気に召したご様子で、今朝からずっと私室に留め置かれております」
…………きた。
きたあああああああ⁉︎
ついに、待ちに待った瞬間が到来した!
——そう、つまるところだ。
あのお転婆な男の娘皇帝に、『年相応のお気に入り』ができたのである!
きのうも特製薔薇香水を頭からぶちまけられ、私の筋肉は今も薔薇園のような匂いを放っている。
だが、そんな貞操の危機とも今日でおさらばだ。
私も、その私の股間の息子も、ようやく枕を高くして眠れるというものだ。
美少年には——美青年。
これぞ需要と供給の完全一致ではないか!
「素晴らしい! これは実に喜ばしい人事ではないか、ルキウス!」
「えっ……? そ、そうでございますか……?」
「うむ! 十四歳の少年皇帝には、年頃の話し相手が必要だ。私のような筋肉ダルマがずっとお側にいては、宮廷の風紀によろしくないからな!」
歓喜のあまり、私は執務机をバンッと叩いた。
これで厄年を乗り切り、故郷パンノニアでオリーブ農園を買って隠居する道筋が見えてきたぞ!
「よし、今のうちに未決書類を片付けよう」
机の上には、カリストゥス司教から届いた福祉や特別祭祀の申請書が山積みになっていた。
御前試合の警備手配に加え、連日の徹夜続きで頭は痺れるように重い。
だが、あの几帳面な司教殿が持ってくる書類なら、まず間違いあるまい。
私は山積みの羊皮紙へ『皇帝の黄金印章』をポンポンと押し進めた。
ノールック承認こそ、多忙な管理職の嗜みだ。
最後の一枚に判を押し終えたところで、私はふと真顔に戻り、ルキウスを見上げた。
「……とはいえ、ルキウス。マエサ様の推薦というのが引っかかる。そのゾティクスの古巣である、剣闘士宿舎の身辺を洗っておけ」
「しょ、承知いたしました!」
浮かれていても危機管理は怠らない……。
これぞまさに、できる大人の仕事術である!
□■□■□
夕暮れ時、宮殿の巡回を終えた私は、薔薇の咲き誇る中庭の回廊で足を止めた。
大理石の柱の陰へそっと身を潜める。
白亜の小屋に、二つの影が寄り添っていた。
「——では陛下、こちらの一粒もどうぞ」
「あははっ、ゾティクスってば気が利くね!」
長椅子に寝そべるヘリオガバルスの傍らで、美青年が恭しく膝をついていた。
青年が白い指先で冷えた白葡萄をつまみ、少年皇帝の紅い唇へと差し出す。
卓上の香炉からは、煙がゆらゆらと昇っていた。
「くすぐったいよ、ゾティクス」
「シリアの太陽にも勝る陛下の美しさの前では、つい指先も迷いましょう」
青年が少年の白い指先にそっと唇を寄せた。
うーむ! 歯が浮くようなキザな台詞だが、今の私には天使の福音に聞こえる。
いいぞ、もっとやれ! そのままゴールインだ!
ヘリオガバルスもまた、アメジストを連想させる紫紺の瞳を細め、熱っぽい吐息を漏らす。
——と同時に、私の隠れている柱の方角を、チラチラと横目で窺った。
「…………」
私は柱の陰で丸太のような腕を組み、父親のような温かい笑みを浮かべて何度も頷いた。
明日は大闘技場での盛大な御前試合である——。
特等席に二人を並べて座らせ、そのまま仲をより深めていってもらうとしよう!
□■□■□
翌日の昼下がり。
五万の観衆が詰めかけた大闘技場は、地鳴りのような歓声と熱気に揺れていた。
「……ふーむ」
貴賓席へ向かう回廊で、私は眉をひそめた。
出入り口に、黒い鎧を着た『都市警備隊』の兵士たちが槍を立てて並んでいるのだ。
要するに、専属警備である我々を差し置いて、皇祖母マエサの私兵が会場に居座っている。
そこへ、回廊の奥から副官のルキウスが血相を変えて駆け寄ってきた。
「長官、大変です! 昨日お命じになった剣闘士宿舎の調査結果ですが……!」
ルキウスは都市警備隊に聞こえぬよう、私の耳元で声を潜めた。
「昨夜から都市警備隊が宿舎を封鎖し、ゾティクスの関係者たち数十名を軟禁しております‼︎」
「——なんだと?」
眉間の皺が一段と深くなる。
ゾティクスはマエサが推挙してきた男だ。
身内の手駒であるはず存在の仲間を、なぜ私兵を使ってまで人質に取る必要がある?
「……きな臭いな」
嫌な汗が背筋を伝った。
仲間を人質に取られた美青年が、丸腰の皇帝の真後ろに控えているのだ。
何を指示されているかまでは知らんが、碌な企みであるはずがない。
万一の場合、警備責任で私の首が物理的に飛ぶ!
都市警備隊がここに居座っているのも、いざという時の封鎖役か……?
背後の人質を押さえられたままでは、あの美青年が会場で何をしでかすか分かったものではない。
「ルキウス! 今動員できるありったけの部隊を率いて、剣闘士宿舎へ急行しろ! ゴロツキどもを叩きのめし、人質を無傷で救出するのだ!」
「はっ! ですが、長官の警護が……!」
「それは私一人で十分だ。人質を全員救出したら、外苑から『黄金の角笛』を吹き鳴らせ!」
「了解いたしましたッ‼︎」
ルキウスを見送り、私は貴賓席へ飛び込んだ。
特等席には、紫の長衣を纏うヘリオガバルスと、剣を備えたゾティクスが睦まじく控えていた。
脇の卓上には、本日の御前試合の勝者に授与される『木剣(ルディス)』の装飾箱が並んでいる。
「あっ、オリエンタ〜! どこ行ってたのさ?」
ヘリオガバルスは椅子からぴょんと飛び降り、私の身体に、すりすりと頬を擦り寄せてきた。
「あのね、あいつ全然面白くないの! 話しかけても『御意』しか言わない置物なんだもん!」
「陛下。昨日の中庭では、あれほど楽しそうに白葡萄を食べさせてもらっていたではないですか」
「……えへへ、やっぱり見てたんだ? ねえ、ボクが他の男と仲良くしてるのを見て、ヤキモチ焼いた? ねえ焼いたでしょっ!」
紫紺の瞳が、隠しきれない期待に揺れている。
いや、ヤキモチどころか、心の中で赤飯を炊いて祝杯を挙げていたところだが?
とはいえ正直に言えば、去勢刀が抜かれるやも。
私が呆れ半分で苦笑しかけた、その瞬間だった。
「——陛下。特製の冷たい果実茶でございます」
背後からゾティクスが踏み込み、銀の杯をヘリオガバルスの口元へと差し出す。
「えー、いらないよそんなの。ボクは今、オリエンタと話してるところで——」
ヘリオガバルスが鬱陶しそうに振り向き、だが無下にはせず銀杯へ手を伸ばしかけた、その刹那。
ゾティクスの呼吸がピタリと止まり、その左手が腰の剣の柄へわずかに掛かった——!
「——陛下、飲んではなりませんッ!」
私は咆哮すると同時に、ヘリオガバルスの華奢な身体を左腕で抱きすくめ、右の裏拳で銀の杯を真横へ弾き飛ばした!
ガシャアアアンッ‼︎
銀杯が石柱に激突して転がり、琥珀色の茶が床の深紅の薔薇へとぶちまけられた。
その、次の瞬間——。
ジュウウウウッ!
不気味な泡を立てて茶が紫色へと変色し、触れた深紅の薔薇が瞬く間に黒く爛れて溶け落ちた!
「ひっ……⁉︎ ば、薔薇が溶けてる……⁉︎」
ヘリオガバルスが息を呑み、恐怖のあまり私の腕の中で小さく震え上がった。
そして、ゾティクスの端正な顔から、それまでの優美な仮面が剥がれ落ちた。
——暗殺の失敗を悟った表情。
すると、彼は素早く一歩後ろへと跳び退き、冷たく光る長剣をギラリと抜き放ち、五万の観衆と砂場の剣闘士たちへ向けて絶叫した!
「暗殺だァァァッ! 近衛隊長官オリエンタが皇帝陛下の茶に『毒』を盛り、私がそれを阻止したぞオオオッ! 兵士たちよ、剣闘士たちよ、謀反人オリエンタを討ち取れェェェッ‼︎」
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おい待てコラ⁉︎
杯を持ってきたのはお前だろうがっ⁉︎
床で激しく泡立ち、溶け落ちる深紅の薔薇。
そして、茶を出すと同時に抜かれた白刃。
——パズルのピースが、カチリと噛み合った。
猛毒を用意し、私に罪を着せる筋書きか!
だが、五万の観衆に貴賓席の細かなやり取りなど見えるはずもない。
さらに回廊の都市警備隊が、出入り口の鉄格子をガシャン! と外から鎖で封鎖し、槍の穂先を揃えて雪崩れ込んできているではないか⁉︎
「長官が謀反を起こしたぞ‼︎」
「弁明を許すな! 陛下をお救いしろ!」
買収された警備隊長が、大声で会場を扇動する。
砂場の剣闘士たちも同胞ゾティクスの言葉を信じ込み、怒りに任せて階段を駆け上がってくる!
「う、嘘つき! 違うよみんなっ⁉︎ オリエンタはボクを助けてくれたんだよ‼︎」
私の左腕の中でヘリオガバルスが必死に叫ぶが、五万人の悲鳴と怒号にかき消されて届かない。
「逆賊オリエンタ! ここで死ねええいっ‼︎」
口先では救出を叫びながら、先頭の警備兵たち数人の槍はあからさまに、皇帝をも狙っていた!
これはまさしく、エマージェンシー!
——だがしかーし‼︎
「うおおおおおおお⁉︎ 邪魔だァッ——‼︎ 雇い主に怪我をさせたら、私の退職金が吹き飛ぶだろうがァッ! んっ〜〜ふんぬ‼︎」
私は左腕でヘリオガバルスを抱きかかえたまま、空いた右腕一本で、貴賓席の『分厚い木製の長椅子』を軽々と持ち上げた!
「「「なっ……⁉︎」」」
固まる兵士たちへ向け、頑丈な長椅子をハエ叩きのように片手でぶん回す! マッソパワー全開!
ドガアアアアアンッ‼︎
凄まじい轟音とともに十本の槍がへし折れ、都市警備隊の兵士たちが壁際へと吹き飛んでいった!
木製家具も、大胸筋で振れば立派な攻城兵器だ。
私はそのまま深く息を吸い、かつて三万の軍団兵を一声で統率した腹の底からの咆哮を放った!
「——鎮まれェェェェッ! 誇り高きローマの民たちよ、今すぐに目を覚ませェェッ‼︎」
ビリビリビリッ⁉︎
大闘技場の石壁そのものが共鳴し、五万の観衆の鼓膜を物理的に震わせる超絶大音声!
階段を駆け上がってきていた剣闘士たちの足がピタリと止まり、闘技場全体が静まり返った。
…………。
完全なる静寂の中、私は階段の剣闘士たちへと右手の指先を突きつけた。
「よく聞け、剣闘士たち! 貴様らの誇り高き剣を、こんなあからさまな嘘で汚すつもりか⁉︎」
私は階段の最前列にいる男たちを睨み据え、床の残骸を指差した。
「そこの足元を見ろ! 深紅の薔薇が無残に溶けているだろうが! この猛毒の茶を、今まさに陛下の口へ差し出していたのは誰だ? ——そこにいるゾティクスだ!」
「ぐっ……⁉︎」
ゾティクスの頬が引きつる。
階段を上がってきた剣闘士たちが息を呑んだ。
私は左腕の皇帝に、強く証言を促した。
「おっしゃってください、陛下! 貴方に茶を飲ませようとしてきたのは一体誰かなのかを‼︎」
「ゾティクスだよ! ボクは遠慮したのに渡してきて……オリエンタが弾いてくれたんだ!」
凛と響き渡る少年皇帝の肉声。
静まり返った闘技場に、その言葉が木霊した。
「そ、そんな馬鹿な……⁉︎ あのゾティクスが、本当に皇帝陛下を……?」
階段の剣闘士たちが顔を見合わせ、動揺がさざ波のように広がっていく。
「皇帝の側近たる者が、毒見も通していない茶を主君に出すはずがあるか! 最初から陛下を毒殺し、私に罪を着せるための謀略である!」
私は壁際で呻く刺客たちを足蹴にした。
「こいつらもこいつらでそうだ! 救出を装いながら、真っ先に突いてきたのは私の腕にいた陛下の喉首! 毒殺が失敗したと見るや、口封じに皇帝ごと私を突き殺そうとしたのだ!」
□■□■□
ヘリオガバルスの視界には、床でどす黒く泡立ち、無残に溶けた薔薇の残骸が焼き付いていた。
(……あの茶を一口でも飲んでいたら、ボクの身体はあんなふうに溶けて死んでいたんだ)
ぞわっと背筋が凍りついた。
もしあのまま果実茶を喉へ流し込んでいたら、今頃は苦悶の叫びを上げて息絶えていたのだろう。
あの男を送り込んだのは、お祖母様だ。
(ああ……お祖母様は、ボクのことが邪魔で、殺そうとしたんだ……‼︎)
家族にとって、自分は最初から最後までただの『着せ替え人形』だったのである。
絶望が指先まで凍りつかせた、その時——。
ギュッ、と自分が抱きしめられている左腕の力強さに、はっとその温もりがあることを感じた。
分厚い鋼のような胸板。
ドクン、ドクンと力強く脈打つ鼓動。
「陛下、お怪我はありませんか? 私の背中から離れないでください。指一本、触れさせません」
(ああ……オリエンタは、昨日の中庭で、ボクを他の男に押し付けようとしてたんじゃないんだ)
あの時からずっと、自分に危険がないか目を光らせ、誰よりも早く毒の茶を見抜いて、片腕一本でこの身を敵から守ってくれていたのだ——。
(いつだってボクを一番に見て、本気で叱って、命がけで守ってくれるのは……世界中でこの筋肉バカだけなんだ……!)
恐怖は跡形もなく吹き飛んでいた。
代わりに少年の胸の奥を満たしたのは、決して誰にも渡さないという、焼けつくような炎だった。
□■□■□
「おい、嘘だろゾティクス……⁉︎」
「俺たちを騙したっていうのか⁉︎」
真実を悟った剣闘士たちが激昂し、クルリと向きを変えてゾティクスへ刃を突きつけた!
「…………」
都市警備隊の残党たちにも、それが向けられる。
「「「ひ、ひいっ⁉︎」」」
孤立無援となったゾティクス。
私はそんな彼を見据え、静かに語りかけた。
「……ゾティクスよ。武人であるお前が、なぜこんな汚れ仕事に手を染めたのか、理由はおそらくだが既に分かっている。それは、宿舎にいる仲間たちを、人質に取られていたからだな?」
「な、なぜそれを……⁉︎」
「近衛隊の情報網を甘く見るな! 私の部下が精鋭部隊を率いて宿舎へ突入し、都市警備隊のゴロツキどもを全員縛り上げた頃合いだろう」
——その瞬間。
ポオオオオオオオオッッッ‼︎
闘技場の外苑から、任務完了を知らせる近衛隊の『黄金の角笛』の音が青空へと響き渡った——。
「あ……ああ……っ!」
ゾティクスは手から剣を取り落とし、石畳にガクンと膝をついた。
張り詰めていた仮面が剥がれ落ち、美青年たる端正な顔を大粒の雫で濡らす。
「仲間たちは……無事なのですか……」
「私は部下を信頼している。人質は全員無事だ」
私はそのまま膝をつく美青年を見下ろした。
ゾティクスは震える手で石畳に額を擦りつけ、声を絞り出した。
「……完敗です、長官殿。人質を取られていたとはいえ、主君に毒を向けた大罪人。せめて武人として、私の首を潔くお刎ねください……!」
私は抱きかかえていたヘリオガバルスを、石畳の上へとそっと降ろした。
「処刑など誰がするものか。死なれては人件費の無駄だろう!」
私は皇帝に向き直り、頭を下げて進言した。
「陛下。この男は人質を取られ、黒幕に踊らされたに過ぎません。どうか寛大なお慈悲を賜り、彼らを許してやってはいただけないでしょうか?」
ヘリオガバルスはゾティクスを不満げに睨んだが、私の真摯な視線に気づくと、ふいと顔を赤らめてそっぽを向いた。
「……ふんっ! オリエンタがそこまで言うなら、許してあげないこともないけど!」
皇帝の言葉に、ゾティクスは打たれたように目を見張り、石畳に額を擦りつけて男泣きした。
「あ、ありがとうございます……! この御恩、生涯忘れません……‼︎」
「よーし! というわけで、寛大なお許しも出たわけだ。であれば……早速仕事を与えよう!」
私は卓上にあった装飾箱をパカっと開けた。
そして中から、奴隷剣闘士の自由と引退の証である『木剣(ルディス)』の束を鷲掴みにする。
「ゾティクス、そして剣闘士たちよ! その勇敢なる武に報い、本日をもってお前たち全員に『自由の木剣』を授与する」
「「「おおおおおっ……⁉︎」」」
「ただし! 自由になったからといって履歴書の空白は許さんぞ? 貴様ら全員、本日より私直轄の『近衛遊撃隊』として雇い入れる! 有給休暇と退職金、昼寝付きの超優良ホワイト職場だ‼︎ 文字通り死ぬ気で働いて恩を返済せェッ!」
ブラック奴隷からホワイト遊撃隊への超速採用に、剣闘士たち全員が歓喜の雄叫びを上げた。
「「「皇帝陛下バンザーイッ! オリエンタ長官バンザーイッ‼︎ ローマバンザーイッ!」」」
五万の静かに見守っていた観衆からも、割れんばかりの大歓声が爆発し、闘技場が大きく震えた。
……よし‼︎
これで自由に動かせる部隊もできたことだし、陛下の身辺警護も万全、私の定年退職も盤石だな!
□■□■□
その夜。
すべての事後処理を終えて私室へ戻った私は、大きく伸びをして長椅子に腰を下ろした。
「ふう……近衛隊の警護体制もより一層強くなったし、私の隠居計画もまた一歩着実に——」
——バァンッ‼︎
前触れもなく私室の扉が蹴り開けられ、華奢な影が飛矢のように飛び込んできた!
「オリエンタのバカァァッ‼︎」
「うおっ⁉︎ へ、陛下——⁉︎」
そのイタズラっ子な犯人。
ヘリオガバルスは私の胸板へと全力でダイブし、手足を絡みつかせ、ギュッとしがみついてきた。
「昨日、ボクがあの男と庭で笑ってたのは、オリエンタのためだったんだよ⁉︎ なのに柱の陰でニコニコ見守って……もしかしなくともボクを他の男に押し付けようとしてたでしょ‼︎」
「えっ……い、いやあ? それは陛下に年相応のご友人ができて嬉しくて……」
「それに! なんであんな男をかばって、お願いまでして許したのさ! あいつのこと気に入ったの⁉︎ ならあいつ処刑するよ⁉︎」
「い、いえ! ただの即戦力の確保というか、人材確保のためでして……!」
「言い訳禁止! ボクが欲しいのは、オリエンタだけなんだよ? よそ見する悪い筋肉には、二度と逃げられないよう罰を与えなきゃね!」
「ば、罰? まさかまた去勢刀や香水を——」
「——ううん、もっと直接的なやつ‼︎」
ヘリオガバルスが襟元をグイッと引き寄せる。
首筋へ小さな紅い唇を押し当て——そのまま.
ガブリッ!
「い、痛たたたたっ⁉︎ ちょ、陛下‼︎ 噛みつくのはおやめくださいいいいいてててて⁉︎」
ようやく唇を離したヘリオガバルスは、舌先でぺろりと唇を舐め、小悪魔めいた笑みを浮かべた。
「ふふん、一生消えないボクの『所有印』だよ! 明日もその首筋をみんなに見せびらかして仕事するんだからね! これで宮廷中の誰も、ボクのオリエンタに手を出せないもんねっ!」
「しょ、所有印って……私は陛下のペットではないのですが……?」
吸血鬼か⁉︎ いや、十四歳のオスガキ皇帝だ!
明日、どんな顔をして朝礼へ出ればいいのだ⁉︎
ヒリヒリする首筋を押さえ、私が天井を仰いで悶絶していた、まさにその時だった。
--
ドタバタドタバタッ!
回廊から激しい足音が迫り、泥と血にまみれた北方の伝令兵が入り口へ転がり込んできた。
「ちょ、長官! 緊急事態でございます‼︎」
「……どうした? 軟膏なら自分で塗るぞ」
「ほ、北方の国境を守る『ドナウ軍団』への給与銀貨が、造幣局によってすべて粗悪な『鉛の偽銀貨』にすり替えられておりました!」
「鉛の偽銀貨だと……?」
「は、はい! 給料をちょろまかされたと激怒したドナウ軍団三万が武装蜂起し、すでに帝都ローマへ向けて進軍を開始しております‼︎」
◆ゾティクス
歴史家カッシウス・ディオ著『ローマ史』第79巻16節に記録された実在の寵臣候補。
本作では暗殺剣闘士から、近衛遊撃隊長へと華麗なる転身を遂げている。
史実では、美貌を見込まれて鳴り物入りで宮廷に召し抱えられた男。
ところが皇帝の別の愛人に薬を盛られ、肝心の初夜に股間の剣がピクリとも起たず、激怒した皇帝から即日追放されたという。
だが歴史家ディオ曰く「そのおかげで後の宮廷粛清に巻き込まれず命拾いした」らしい。
ある意味で、我らが主人公が最も見習うべき男。
(※日本語圏では情報が少ないため、気になった方は英名『Aurelius Zoticus』で検索オススメ)