男の娘皇帝から股間を守れ! 作:股間Υ紳士
深夜の執務室に、緊迫の雰囲気が満ちていた。
「……すまん、もう一度言ってくれ。首の痛みで聞き間違えたのかもしれん」
ヒリヒリと熱を持つ己の首筋を押さえながら、私は目の前の床に突っ伏した伝令兵に問うた。
そこには、先刻まで私の首筋に甘噛み(ガチ噛み)していた十四歳の少年皇帝もいた。
しかし、そのヘリオガバルスの紅潮していた頬からも、完全に血の気が引いている。
「は、はい! 北方の国境を守る『ドナウ軍団』への給料として送られた銀貨が、すべて粗悪な『鉛の偽銀貨』でございました!」
「…………」
「給料をちょろまかされたと激怒したドナウ軍団三万は、すでに陣地を焼き払い、帝都ローマへ向けて進軍を開始しております!」
ドナウ軍団三万の武装蜂起。
その一報は、深夜の静寂を粉砕した。
「ルキウス! おいルキウス、どこにいる!」
「は、はい長官! ここに!」
青ざめた副官ルキウスが、書類の束を抱えて部屋へ駆け込んでくる。
「今すぐ近衛営舎を非常呼集しろ! 帝都城壁の守りを固めさせ、同時に国庫の地下金庫をすべて開帳させるのだ!」
「は、ハッ!」
「夜が明ければ、帝都中の商人や両替商にも噂が広まるぞ。一刻の猶予もない!」
私は矢継ぎ早に指示を飛ばした。
首筋の痛みなど、遥か彼方へ消し飛んでいた。
前世で、会社のメインバンクから「明日付けで融資を引き揚げる」と通告された時と同じ、あの胃に穴が空くような悪寒が背筋を駆け上がる。
ドナウ軍団三万。
それは、私が兵士として泥水をすすり、蛮族と戦い抜いた古巣である。
ローマ帝国最強の精鋭部隊——。
彼らは質実剛健で仲間思いだが、ひとたび給料を踏み倒されたとなれば、皇帝すら平気で広場に引きずり出して首を刎ねる獰猛な獣と化す。
金とはいわば餌である、その餌が粗悪となれば、スーパーストライキ(物理)を実行するは摂理。
(……よりによって、アレをけしかけてきたか)
黒幕の顔が、即座に脳裏へ浮かび上がった。
皇祖母、マエサ。
あの老獪狡猾な女以外に、国家の基幹である軍団の給料を弄べる権力者など存在するはずがない。
「ねえ、ボクたち……どうなっちゃうの?」
「陛下はお休みを。あとは我々の仕事です」
□■□■□
東の空が白み始めた、夜明け頃。
執務室の机の上には、これはもうなんとも悲惨極まりない、財政試算が積み上がっていた。
「……長官、これが軍団の給与銀貨の現物です」
夜通し走り回った部下が、泥まみれの革袋から取り出した一枚のデナリウス銀貨。
私はそれを受け取り、指先で軽く弾いた。
——カツッ。
銀特有の澄んだ高い音ではない。
濡れた土を叩いたような、鈍い濁音。
ぐいっと怪力で親指をめり込ませてやると、脆い金属が粘土のようにぐにゃりと歪み、中から黒ずんだ鉛の塊が顔を出した。
「表面だけを薄い銀でメッキした、鉛の粗悪貨か……。こんなゴミを送りつけられたら、誰だってブチギレて反乱を起こすに決まっている……」
副官のルキウスが悲鳴のような声を上げた。
「左様です! 給料をちょろまかされたドナウ軍団三万が、フラミニア街道——北方国境と帝都を結ぶ軍用大幹線を南下中なのです! 帝都の市場も完全に麻痺いたしました!」
しかし、パニックを起こしている暇はない。
金で起きた火事は、金で消すしかないのだ。
「……ルキウス。国庫にある正真正銘の金塊をすべて吐き出せば、ドナウ軍団三万の給料の補填と、取り付け騒ぎの鎮火は可能か?」
だが彼は泣きそうな顔で首を横に振った。
「不可能です長官! 没収した金塊と高級薔薇香水の売上をすべて投入しても……軍団兵三万を納得させる担保には三割足りません!」
「……三割だと?」
「はい、金貨一万枚相当が不足しております!」
胃の奥がキリキリと悲鳴を上げた。
前任者が残した天文学的な赤字を、ここ数ヶ月の増収でようやく埋め始めたばかりなのだ。
エジプトや属州からの税が入るのは秋の終わり。今この瞬間に動かせる手元の現金(キャッシュ)など、どこをどう絞り出しても底をついている!
「このままじゃ、黒字倒産というわけか……」
完全に詰みの盤面だった。
軍団兵三万は怒り狂い、帝都へと南下中。
あと半日もすれば、ローマへと到達するだろう。
黄金が足りぬままでは、どんな美辞麗句を並べても、彼らはここを焼き払うまで止まらない。
このままでは、私のオリーブ農園隠居計画が、跡形もなく灰燼に帰してしまうではないか‼︎
「失礼します。兄上……?」
その時、執務室の扉が控えめに開いた。
入ってきたのは、早朝の筋トレと算術を学ぶ十二歳の少年——アレクサンデルだった。
皇祖母マエサの暮らす、宮殿の奥の離宮にて預けられている聡明な男の子。
「アレクサンデル殿ですか。その、申し訳ございませんが、今日の稽古は中止です。現在、宮廷がそれどころではない状況になっておりまして」
「は、はい、外の騒ぎは聞いております……。軍団への給与が偽銀貨で、暴動寸前だと……」
「ええ。造幣局の連中が、銀貨の中身を粗悪な『鉛』で水増しをしてしまったのです」
私がため息をつきながら答えると、アレクサンデルの聡明な瞳が大きく見開かれた。
「鉛……⁉︎ 造幣局が、大量の鉛を……⁉︎」
「ええ。あんなほぼ価値のない金属など、皆が貨幣に使うはずがないのですがね……」
「ま、まさか!」
「? ……何か知っておいでですか?」
少年はゴクリと喉を鳴らすと、懐から折り畳まれた一枚の羊皮紙を差し出してきた。
「兄上、これをお納めください。今朝早く、離宮にあるお祖母様の書斎を掃除した折、机の上に広げられていた『帳簿』です」
「帳簿……?」
「はい! 兄上に教わった複式簿記の通りに数字を追っていたら、どうしても辻褄が合わない使途不明金がありまして……。そこには『鉛三万ポンド、造幣局長官邸の別邸倉庫へ搬入』と、長官の受領印つきで記されていたのです!」
紙面を走るマエサの丸い筆跡。
鉛三万ポンド——それは、およそ十トンにも達する途方もない量だ!
(……あのアマ、数ヶ月も前からこの通貨テロを仕込んでいたのか!)
ドナウ川まで偽銀貨を運び、軍団が怒って帝都へ行軍してくるまでのタイムラグ——。
すべてを完璧に逆算し、この廃位裁判のタイミングに合わせて爆発させたのだ。
(……ふっふっふっ、これは動かぬ証拠!)
「アレクサンデル殿、よくやってくれました‼︎ これはローマを救う決定打になりえます!」
「本当ですか、兄上⁉︎ 筋肉と数字は、決して嘘をつかないとは本当なんですね!」
「マッソーとマッスーは絶対に裏切らない‼︎」
私は、少年の頭を力強くクシャクシャ撫でた。
しかし、犯人の証拠が手に入ったところで、目の前の「担保の三割が足りない」という物理的な壁は消えてはくれないのだ。
長官を締め上げたところで、足りない黄金が湧くわけでも、ドナウ軍団が止まるわけでもない。
「……ルキウス、馬を用意しろ。帝都で一番金を持っている連中の元へ行く」
「へ……? 一番金を持っている連中ですか?」
「決まっているだろう。地上でダメなら……『地下』に頼むまでだ——」
□■□■□
宮殿の奥深く、豪奢な皇帝の私室。
薄暗い部屋の片隅で、十四歳の少年皇帝ヘリオガバルスは、膝を抱えて小さく震えていた。
豪奢な絹の寝衣は乱れ、陶器のように白い肌は蒼白に染まっている。
昨晩、無邪気にオリエンタの首筋へ噛みついて笑っていた面影はどこにもない。
少年は、自らの華奢な両手をじっと見つめた。
(……ボクのせいだ)
重い扉の向こうからは、怯え切った侍従たちの囁き声が漏れ聞こえていた。
ドナウ軍団三万の蜂起。
飢えて裏切られた兵士たちが、帝都へ向けて怒涛の進軍を始めているという。
かつてドナウ軍団の将校だったオリエンタが、兵士たちの怒りの矢面に立てばどうなるか?
それは裏切り者として、かつての戦友たちの手で真っ先に八つ裂きにされるに決まっている。
自分を道具ではなく、一人の人間として真正面から叱ってくれた唯一の人。
広い背中で守り、頭を撫でてくれた大切な存在。
(ボクのせいで、オリエンタが死んじゃう……)
紫紺の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
少年は震える小さな両手で、胸元に下げた黄金印章をぎゅっと抱きしめた。
——ああ、皇帝になどならなければ。
---
バァンッ!
乱暴に扉が開け放たれ、見慣れた巨大な筋肉の塊がのっそりと現れた。
「何を湿気た顔をしているのです陛下。出陣の勅書に押すため、黄金印章を預けてもらいますよ」
「オ、オリエンタ……⁉︎」
涙で濡れた顔を見られ、ヘリオガバルスは慌てて袖で目をこすった。
「だ、ダメだよオリエンタ! 逃げて‼︎ ドナウ軍団はお祖母様が操っているの! キミだけでも、今すぐ遠くへ逃げてよ⁉︎」
必死に叫び、すがりついてくる少年皇帝。
私はため息をつくと、その栗色の巻き毛に大きな掌をポンと乗せ、そっと優しく撫でた。
「雇い主が勝手に倒産宣言をするなというのです。私は退職金も有給休暇も貰っていませんよ」
「ぇ……?」
「天下のローマ皇帝が、そんな安っぽい陰謀に怯えてどうするのです。いいですか陛下? 心を強くお持ちください。あなた様こそが、帝国そのものなのです。太陽として照らし続けてください」
呆気にとられる皇帝の胸元から、握りしめられていた黄金印章をそっと受け取り、懐へ収めた。
「では、少しばかり。『知り合い』から運転資金を融通してまいります。——それでは、失礼」
「あ……ま、待ってよオリエンタ!」
背後からの呼び声を背中で受け止めながら、私は目にも留まらぬ速さで回廊を駆け抜けた!
□■□■□
アッピア街道の地下——『カタコンベ』。
ひんやりとした冷気が漂う地下礼拝堂で、カリストゥス司教は算盤を弾く手を静かに止めた。
元銀行員だった彼の目が、私を射抜いている。
「……いやはや、近衛隊長官殿。ドナウ軍団三万の給与を補填するための担保として、我がキリスト教互助会の全資産を貸し出せと?」
「そうだ。金銀の聖杯、信徒から集めた寄付金、教会の地下金庫に眠る貴金属のすべてだ」
「断る理由しか見当たりませんな。我らは国家から迫害されている身。そんな大金を差し出して、万が一ドナウ軍団に踏み倒されたら、教会は一夜で破産いたします」
冷淡に告げるカリストゥス。
だが、私は怯まず懐から羊皮紙を取り出した。
「踏み倒しなどさせん。新通貨『ソラリス金貨(太陽金貨)』の鋳造益から、年利五分の利息をつけて返済する」
「……ほう? 年利五分とは魅力的な話ですな」
カリストゥス司教は細い目をさらに眇め、油断なく冷ややかに告げた。
「ですが長官殿。我らの教えでは、金を貸して利息を取ることは禁じられております。主がそんな汚れた利回りを許されるとお思いで?」
私は軽やかに返してみせる。
「実はあなた方の教え……『聖書』とやらを少し齧ってみたのだがね。どうも、主はユダヤの民らしい。そして律法において、『異邦人から利子を取ること』は禁じられていないとか?」
そして続けざまに言葉を重ねる。
「我ら帝国は紛れもない異邦人だ。ならばその異邦人から利息を取り、貧しい兄弟への施しに使うのであれば、天の神とて文句はあるまい」
カリストゥスは驚いたように、しかし笑んだ。
「くくっ……まさか主の言葉をそのようにねじ曲げるとは。実に悪魔的な解釈ですな、長官殿?」
「褒め言葉として受け取っておこう。だが、これだけではないぞ? さらに——」
私は身を乗り出し、低い声で囁いた。
「——将来、教会の頼みならどんな特別な勅書でも一つ、私が責任を持って陛下に承認させよう」
カリストゥスの眉が、ピクリと跳ねた。
「……どんな勅書でも、ですかな?」
「ああ。教義に関わる特例であろうと、元老院を無視して皇帝の勅許を勝ち取ってやる。これは国家の、近衛隊長官としての、命懸けの絶対だ」
礼拝堂にしんとした沈黙が降りた。
やがてカリストゥスは、すでに懐にある承認書を思い浮かべるように、ニヤリと口元を歪めた。
「ふっ……実に悪魔的ですな、長官殿。しかし主は、きっとお許しになるでしょう。それが子羊を救うとあらば。よろしい、提案を受けましょう」
そして私は仰々しく言ってみせた。
「神は約束を、悪魔は契約をすると言う……であるならば、人は何か? それは信用であると!」
「……ごくりっ」
「ソラリス金貨は、人類の信用そのものとなるに違いない……。感謝する、カリストゥス司教」
カリストゥスは苦笑し、鉄の鍵を差し出した。
「ただし! 必ず生きて約束を果たしてくださいよ。あなたが倒れたら、我らも倒れますので」
「安心しろ。私は定年退職するまで死なん!」
教会の地下金庫から運び出された、純金の聖杯や香炉、眩い金塊の数々。
それらを重装馬車へと手早く積み込ませ、私は手綱を力強く握り直した。
青ざめる副官ルキウスが、震える声を絞り出しながら私へと駆け寄ってきた。
「ちょ、長官! 近衛兵も連れず、本当に一人で行くのですか⁉︎ 相手は三万の軍団ですよ!」
「近衛兵を連れて行けば、奴らは『武力鎮圧』と受け取って全面戦争になる。帝都の目前で内戦を起こすわけにはいかん」
「ですが、黄金の馬車を護衛もなしに……!」
「武器を持たぬ丸腰の私と、山積みの黄金。これ以上の和平の使者があるか?」
私は不敵に笑い、ルキウスの肩を力強く叩いた。
「ルキウス、お前は宮殿へ戻り、アレクサンデル殿と陛下をお守りするんだ」
「は、はいッ! ご武運を‼︎」
——かくして、武器は揃った。
あとは現場の荒くれ共を、納得させるのみッ!
□■□■□
帝都の北、フラミニア街道。
天頂へと昇った正午の太陽が、砂埃の舞う平原をじりじりと照らしつけていた。
強行で南下してきたドナウ軍団三万。
そんな彼らは、帝都までわずか半日の平原に布陣し、殺気立った唸り声を上げていた。
無数の長槍が森のように林立し、兵士たちの怒号が街道を揺るがしている。
「偽銀貨を寄越しやがって!」
「俺たちを騙した宮廷の豚を皆殺しにしろ!」
怒りと飢えに染まった軍団の殺気は、今にもローマへ雪崩れ込まんばかりの迫力だった。
——しかーし!
ズズゥゥン……‼︎
地響きのような車輪の音とともに、街道の向こうから一台の重装馬車を駆る男が現れた。
護衛の兵は一人もいない。
ただ筋骨隆々の巨躯に真紅のマントを翻し、堂々と手綱を握って敵陣へ乗り込んできたのは——。
「お、オリエンタ隊長……⁉︎」
先頭の百人隊長が、驚愕に目を見開いた。
三万の兵士たちの間に、ざわりと動揺が走る。
「ドナウの英雄が、なぜ一人で……⁉︎」
私は三万の衆目を浴びながら、軍団の最前列へとズカズカ歩み寄った。
目の前に立ちはだかる、百人隊長。
その足元に深く刺さっていた『ドナウ軍団旗』。
「…………」
私は無言で近づいていく。
そして、鉄の柄を右手一本でガシッと掴んだ。
「むむ……むむむむむむ!」
さらには前世のデスマーチで培った理不尽への怒りを、今ここに腕力へとエネルギー変換した!
「うおおおおおおマッソーッ‼︎」
ゴパァッ!
大地を引き裂く音とともに、深く打ち込まれた巨大な軍団旗を、私は片手で軽々と引き抜いた!
そのまま豪快に頭上へ高く掲げ、再び街道の中央へ深々と思いっきり突き刺し直す!
ガアァァァンッ!
街道の敷石が砕け散り、凄まじい衝撃波が前列の兵士たちを後ずさりさせるほど、強く圧倒した。
「「「…………」」」
——静寂。
三万の荒くれ共が、完全に息を呑んだ。
そのタイミングを見計らって、深く息を吸う。
「ドナウの猛者たちよ! よく聞けいィ‼︎」
私の怒声が、街道中に雷鳴の如く轟いた。
「貴様らの給与を奪い、偽銀貨を流したのは皇帝陛下でも宮廷でもないッ! 貴様らの誇りを弄び、内乱を起こさせようとした黒幕の陰謀だ!」
背丈以上の高さはある荷馬車へと駆け上がった私は、積まれた木樽の蓋を豪快に蹴り飛ばした!
——ジャラララランッ!
溢れ出たのは、太陽の光を浴びて眩く輝く、純金の聖杯や黄金の地金の山々‼︎
「「「なっ……⁉︎」」」
さらに、皇帝の黄金印章が押された上質な羊皮紙の束を天へと掲げた。
「ここにある積まれた財宝すべてを担保に、新通貨『ソラリス金貨(太陽金貨)』を鋳造して全額支払う! さらにこの『兵士年金手形』により、退役後の生活を我らが帝国が全額保証する!」
兵士たちの目が、黄金の輝きに釘付けになった。
「偽銀貨など川に捨てろ! 本物の黄金と年金を受け取り、軍団の誇りを取り戻せ‼︎」
街道を覆う、息の詰まるような沈黙。
やがて、最前列の古参の百人隊長が、恐る恐る足元の金塊を一つ拾い上げた。
ずしり——と手首にめり込む、鉛とは比べ物にならない圧倒的な重み。
「……重い。鉛なんかの比じゃない……正真正銘、本物の金だ!」
百人隊長がゆっくりと顔を上げ、信じられぬといった面持ちで私を見つめた。
「隊長……あんたも宮廷の豚どもとグルになって、俺たちを騙したのかと!」
「馬鹿を言え! ドナウの戦友を売るような真似、この筋肉が許すと思うか」
私の言葉に、百人隊長の顔がくしゃりと歪んだ。
男は金塊を高々と掲げると、喉が裂けんばかりに力強く絶叫した——!
「本物だ! オリエンタ隊長が、本物の黄金を持ってきてくれたぞォォッ‼︎」
「「「うおおおおおおおっ‼︎」」」
「本物の金だ! 純金だあッ!」
「オリエンタ隊長バンザーイッ!」
「俺たちの英雄バンザーイッ‼︎」
最前列の熱狂は津波のように後方へと伝播し、三万の怒号は歓喜の歓声へと裏返った。
大地を揺るがす地鳴りのような叫びが、真昼の青空へと気持ちの良いほどに突き抜けていく。
私は軍団長たちを集め、厳格に命じた。
「新金貨の鋳造と引き渡しが終わるまで、諸君らはこの街道沿いに駐屯して待機せよ。勝手な帝都への立ち入りは厳禁だ」
そして、懐から取り出した特製の筒と、皇帝の黄金印章を掲げて見せた。
「帝都を一望できる高台——『ヤニクルムの丘』の狼煙台に、私の連絡武官を置く。正当なる皇帝の黄金印章を確認し、かつ紫の狼煙が上がった時のみ、金貨受領のための入城を許可する。二つの合図が揃うまでは、しばしここで待機を頼むぞ」
「「「ハッ! 了解いたしました!」」」
完全なる二重認証システムの構築。
これで軍団の暴走も、敵の偽計も完全に防げる。
「隊長! 酒の樽を開けてきました! 一杯やっていってください!」
百人隊長たちが笑顔で杯を差し出してきた。
危機の回避。
古巣の掌握。
すべてが完璧に解決した。
「ああ、少しだけなら飲も——」
——まさにその瞬間だった。
---
ヒヒィィィンッ!
街道の彼方から、口から泡を吹かせた早馬が、猛烈な勢いで本陣へと突っ込んできた!
落馬しながら転がり込んできた伝令兵は、泥まみれの顔で私の足首にすがりついた。
「ちょ、長官! 超緊急事態でございます‼︎」
「……もおおおおお⁉︎ 次は何ごとだ⁉︎」
「マエサ様の陽動です! 緊急会議と騙して皇帝陛下を議事堂へおびき出し、元老院の息がかかった都市警備隊三千により完全包囲されました! 議場内の陛下は軟禁され、たった今より『狂帝アントニヌスの廃位裁判』が開廷されます‼︎」
差し出された杯が、私の手から滑り落ちた。
街道の祝勝の空気が、一瞬にして凍りつく。
ああ……ドナウ軍団の蜂起は、私を帝都から引きずり出すための壮大な囮に過ぎなかったのだ。
「……申し訳ないが前言撤回! 酒宴は中止‼︎」
私は馬の鞍の上へと颯爽と飛び乗った。
手綱を握る拳に、ギリギリと青筋が浮かぶ。
「おのれ、あのクソババア……最初からこれが本命だったかァァッ‼︎」
私は議事堂に向け、全力で馬を蹴り立てた——!
◆デナリウス銀貨の改悪と鉛
古代ローマにおいて、軍事費の膨張による銀貨の品質改悪(鉛や青銅での水増し)は深刻なインフレを引き起こした。
特にセウェルス朝(今ここ)から軍人皇帝時代にかけての通貨危機はすさまじく、兵士への給料遅配や偽金は即座に反乱へと直結。
実際、「兵士の給料をケチった皇帝」は何人もブチギレた軍団兵に暗殺・処刑されている(ヘリオガバルス前の皇帝も同じ理由で死亡)。
酷い時は、銀貨なのに銀含有率が1%未満とかいう、いやそれ銀メッキだろ⁉︎ 硬貨が爆誕。
ローマ帝国全土で物価は1000%も高騰した。
参考文献:Currency and the Collapse of the Roman Empire (通貨とローマ帝国の崩壊)