——あれから、四年が経った。
十四歳だった生意気なあの悪ガキ皇帝は、ついに十八歳という大人の節目を迎えていた。
前世の歴史が正しければ、暗殺されて大下水道へ投げ込まれるはずだった『魔の十八歳』である。
肩まで届くほど艶やかな栗色の巻き毛。
陶器のように滑らかで透き通る白い肌。
宝石を溶かしたかのような、澄んだ紫紺の瞳。
中性的な容姿の面影を色濃く残しながらも、息を呑むほど端正な顔立ちをした、妖艶にして気高き絶世の美男子へと、彼は見事に開花している。
……とはいえ。
外見がどれほど神々しく成長しようとも、その中身は良い意味でも悪い意味でも『永遠』だった。
「ふっふ〜ん! オリエンタはボクがいないと何もできない筋肉バカだからねっ!」
「……陛下、真面目に書類を読んでいる最中の私をワザと煽るのはおやめください」
「だーめ! 死ぬまで更新される終身雇用だから、一生ボクの隣から逃がさないんだもん!」
宮殿の長官執務室の長椅子で、十八歳になった皇帝は長くてしなやかな美脚を投げ出し、生意気に唇を尖らせて笑っていた。
(うちの若き雇い主は、美貌のステータスだけ完凸して中身は初期値のままか……うむむ)
四年前、あの夕暮れの執務室で『労働基準法』を求めて絶叫した私であったが——。
結果として、そのマッスルな執念は途方もない大事業へと結実することとなった。
私が皇帝に出会った時、己の股間と命を守るために叫んだ、あの数々の出まかせの提案たち。
それらは今や、帝国屈指の法学者たちを、限りなく黒に近いホワイトで総動員した至高の法典——『世界法大典』として完璧に成文化されていた。
帝都を見れば、そこに広がるのは大繁栄の光景。
『パンと大浴場の完全開放』。
穀物配給の完全無償化により、焼き立ての無料パンを両手いっぱいに抱えて頬張る子供たち。
丘の向こうにあるカラカラ浴場からは、朝風呂を満喫するローマ市民たちの陽気な笑い声が届く。
大通りを行き交うのは、パルティア国境を通じたシルクロード交易からの豪奢な隊商たち。
シリア薔薇香水の輸出による莫大な外貨獲得と、純金の新通貨『ソラリス金貨』の流通。
——かつてほぼ空っぽだった国庫は、今や床が抜けそうなほどの黒字を叩き出していた!
「……文句なしの百点。いや、百二十点ッ‼︎」
思わず口元がほころぶ。
この巨大な帝国は、間違いなく富んだのだと。
周囲の人間模様も、この四年の歳月で大きく様変わりしており、これがなかなか面白い。
皇母ソエミアス様は、『帝国服飾・純絹職能結社』のトップとしてなんと大成功。
明日の皇帝陛下『親政祝祭』に向けて、東方の極上シルクを何十にも重ねて織り上げた『純白のシルクマント』を息子へ誇らしげに贈呈したとか。
従弟のアレクサンデル殿——十六歳となった若君は、毎朝の筋トレと勉学を続け、文武両道の聡明な少年として元老院から信頼を集めている。
そして北方の国境からは、今まさに、明日の祝祭パレードと恩賞授与のため、ドナウ軍団の代表三万がフラミニア街道へ凱旋集結していた。
「う〜ん? オリエンタ、にやにやしてる?」
「あっ、いえ陛下。少し思い出し笑いです」
「そっかそっか! ならボクも一緒に笑う!」
「は、はははは……」
だが、だ。
私には、どうしても納得のいかない、一つの巨大な問題というか事情があった。
私ももう良い年だろう。
所帯を持っていても全くおかしくない年齢だ。
なのになぜ、清らかな身のままなのか?
宮廷の誰もが振り返る近衛隊長官であり、スーパーモテ男であるはずの私が、なぜ『純潔』という名の名誉を死守し続けているのか?
——理由は極めて恐ろしく、単純明快。
あれは二年前に時を遡る……。
□■□■□
東方シルクの輸出とシリア薔薇酒が大成功を収めた、ある祝宴の夜。
極上の美酒にべろんと酔った皇母ソエミアス様が、私をサロンへ呼び出したのだ。
「ちょっと長官〜、私の私室へいらっしゃい〜? 新作衣装の採寸を手伝ってほしいの。ねっ?」
まあ一応、上司の母君であるので私は従った。
そして部屋へ入った瞬間——。
私の思考は完全に停止した。
「ん〜〜? どうしたのオリエンタ長官?」
薄暗い部屋に漂うのは、甘く濃密な香水の匂い。
ベッドに横たわっていた皇母は、透ける極薄シルクを一枚まとっただけの、ほとんど全裸に近いあられもない姿であった!
「えっ……あの。ソエミアス様、こちらは?」
ほんのりと桜色に火照った肌。
美酒にとろりと潤んだ、艶やかな琥珀色の瞳。
適度に熟されて、妖艶さと母性的な包容力が極限まで濃縮された、芳醇で圧倒的な色香。
「うふふ……オリエンタ長官。いつも息子のために頑張ってくれて、私……嬉しいわ〜?」
吐息を漏らしながら、皇母は立ち上がると、私の胸板にしなやかな指先を這わせてきた。
「なっ⁉︎」
薄絹越しに押し当てられる、途方もない豊満さと、息を呑むほどの体温。
「私、最近少し退屈でね……? オリエンタ長官のその立派な筋肉、今日だけ一晩の夜は、少しだけ抱き枕にさせてくれないかしら……?」
耳元に吹かれる、アルコールの混ざった吐息。
(どうしよう……! なんてパワーだ……! この包容力のフェロモンはまさに致死量……⁉︎)
私の股間と理性が非常警報を鳴らし、あわや時に流されるように一線を越えそうになった——。
——その瞬間!
バタン、と音もなく。
頑丈な扉が無音でスーッと開き、純金の短刀を握りしめ、紫紺の瞳を深淵のように真っ暗にした十六歳の陛下が無言で入室してきたのだ。
「お母様ぁ? ボクのオリエンタに、一体何をさせようとしてるのかなあ……?」
扉口に立つ十六歳の皇帝から放たれる、凍てつくような漆黒の雰囲気。
だが、美酒でぐでんぐでんに酔った皇母は、手招きするように優雅に微笑んだ。
「あらぁ〜? あなたも混じるかしらぁ〜?」
……混ざるわけがあるかァァァッ⁉︎
純金の短刀を握りしめ、血走った眼で睨みつける皇帝の【殺気】。
極薄シルク越しに体をすり寄せ、とろりと微笑む皇母の【呑気】。
私は文字通り【殺気と呑気】に挟まれていた。
(ど、どうしてこうなった……⁉︎)
次の瞬間、主君の青筋がピキピキと弾け飛んだ。
「混ざるわけない‼︎ 今すぐ出てお母様ッ!」
「あらあら、怒られちゃったわ〜?」
短刀を振り回す主君に廊下へ追い立てられながらも、皇母は千鳥足で優雅に去っていった。
「ふぅ……ふぅ……ふぅ‼︎」
肩で息をしながら戻ってきた十六歳の皇帝。
彼は部屋の枕(ガチョウの羽毛入り)を両手で振り回し、私をポカポカとタコ殴りにしてきた。
「オリエンタのえっち! 浮気者! お母様の胸ばっかり見てたでしょ⁉︎」
「滅相もない! これは不可抗力です‼︎」
「嘘つき! 鼻の下伸びてたもん! ボクのモノなのに、お母様になびくなんて許さないよ‼︎」
痛くも痒くもない連打を受け止めながら、私は反論の一言も出せなかった。
「いい⁉︎ オリエンタはボクが好きなの! だから誰も触っちゃダメ! 頭のてっぺんから足の先まで全部ボクの! 約束守って‼︎」
そう絶叫した悪ガキ皇帝は、夜が明けるまで私の右腕にしがみついてから、スピーと眠りこけた。
---
そして翌朝。
目を真っ赤に腫らした若き主君は、全宮廷へ『長官への接近禁止令』を正式に布告したのだ。
——この事件以降だ。
私は女性との接触を握手すら厳禁とされ、鉄壁の身持ちを強いられる羽目になったのは。
□■□■□
思わず遠い目になってしまった。
……色恋を物理的に封殺された結果、残ったのは無駄に仕上がった筋肉だけである。
「長官殿、お疲れのようですな」
執務机の前で物思いに耽っていると、背後から穏やかな声が静かに響いた。
進み出たのは、祝祭に関する特例申請書類を持参した男——教皇カリストゥスであった。
「ええ、明日の祝祭の準備で目がかすみますよ」
「祝祭パレードにて、アッピア街道の民たちが沿道で祝賀を催すためのものです。問題がなければ、承認と皇帝印章をこちらに」
教皇カリストゥスが差し出した巻物は、丁寧に紫の絹紐で封じられ、末尾の『自筆署名・捺印欄』だけが外に出ていた。
「あー、アッピア街道での祝賀か。カリストゥス、あなたが束ねるなら心配もあるまい」
その時、ふわりと甘い薔薇の香りが漂った。
ヘリオガバルスが、銀の茶器を差し出してくる。
「ほらオリエンタ、ボクが淹れてあげたハーブティー! 喉が渇いたでしょ、はい飲んで!」
「おっと……ありがとうございます、陛下」
温かい茶を受け取りながら、私は巻物の末尾にサラサラと自筆の署名を走らせ、首から下げた『皇帝の黄金印章』をポンと軽く押した。
教皇カリストゥスは静かに微笑み、「感謝いたしますぞ、長官殿。では陛下、確かに」と、署名済みの巻物を長椅子のヘリオガバルスへ恭しく手渡して退室した。
入れ替わりに、副官ルキウスが進み出る。
「長官、シリアからの定期報告です。エメサのマエサ様は重い病床に伏しており、起き上がることも敵わぬとのことです」
「ふむ、そうか……」
私は安堵の息を漏らした。
念のため、シリアへ派遣した巡回監察官や商人の定期便にも照会をかけていたが、現地の役人も同じ報告を寄越していた。
(誰しもが、寄る年波には勝てぬということか)
すると、ハーブティーの盆を片付けたヘリオガバルスが、楽しそうに笑いかけてきた。
「じゃあオリエンタ、祝祭パレードの衣装が届いたから、隣の部屋で着替えてくるね! 一番に見てほしいから、待ってて!」
「畏まりました。お待ちしております、陛下」
少年皇帝は嬉しそうに、隣室へと走っていった。
——よし、仕事完了!
若き主君が席を外した今こそ、長年の悲願を果たす絶好のチャンス‼︎
明日の祝祭が終われば、陛下は名実ともに成人の単独親政へと移行する。
アレクサンデル殿も立派に育ってらっしゃる。
世界法大典とソラリス金貨により、帝国の秩序と財政は極めて盤石となった。
いつ私が抜けようと、国家が勝手に回る仕組みはすでに完成している。
つまるところだ。
今度こそ、誰にも邪魔されずに夜逃げ隠居を果たす時が来た——!
私は執務机の引き出しの二重底から、夜な夜な書き溜めていた秘密の羊皮紙を取り出した。
そこには堂々たる表題が躍っている。
『オリーブ農園開墾ならびに退職届』
ふっふっふ、完璧な計画書だ。
故郷にてのんびりと暮らすという人生設計!
「あの……長官。大変申し上げにくいのですが」
すると、横から覗き込んだ副官ルキウスが、なんとも不思議そうな顔で口を開いた。
「ん? なんだルキウス」
「長官の故郷パンノニアは、冬になるとドナウ川すら凍結する極寒の地です」
「……ほう?」
「そのような場所にオリーブを植えても、一冬で凍死して全滅しますが……」
「…………え?」
「パンノニアで消費されるオリーブ油は、すべて温暖な属州からの輸入品でございます」
…………。
し、知らんかったあああああああっ⁉︎
前世の雑な先入観で『ローマといえばどこでもオリーブだろ!』と思い込んでいた私のガバ知識が、ここにきてなんたる不覚⁉︎
……いや、待てよ。オリーブが駄目なら寒冷地に強いブドウがある! ブドウ農園に転換してワインを作ればいいではないか!
「あははっ! バカだなぁ〜オリエンタは!」
不意に、楽しげな声が響いた。
煌びやかな祝祭の絹衣をまとったヘリオガバルスが、戻ってきていたのである。
「パンノニアでオリーブなんて育つわけないじゃん! 寒さで全部枯れちゃうよ! 毎日、冷たい麦粥しか食べられなくなっちゃうんだから!」
「へ、陛下……⁉︎ もう着替えを……」
「麦粥なんてイヤ! キミは一生ボクの側で美味しいご飯を食べるんだよっ!」
無邪気に笑うヘリオガバルス。
しかし、その視線が机の上の羊皮紙に留まった、まさにその瞬間だった——。
「…………」
楽しげに笑っていた十八歳の美男子皇帝の顔から、ふっと笑みが消え失せた。
アメジストの瞳から、スッと光が失われていく。
「……あのさぁ。終身雇用だって約束したのに、キミはまたボクを置いて逃げる気だったんだ?」
「はっ⁉︎」
——背筋に冷たいものが走った!
だが次の瞬間、ヘリオガバルスはふっと悪魔のように妖艶に微笑んだ。
そして懐から、先ほどカリストゥスから受け取った、あの紫の絹紐の巻物を取り出したのだ!
「でも残念! キミの退職届は受理できませーん! これを見てごらん?」
パッと机の上に広げられた巻物。
そこに記されていた堂々たる大文字を目にした瞬間、私の眼球は飛び出しかけた——。
『太陽神ならびに天の主の御名において誓う、帝国神前同性婚姻誓約書』
『配偶者:ローマ帝国近衛隊長官 オリエンタ』
『神父・立会人:ローマ教皇カリストゥス』
末尾には、たった今私が自分で書いた署名と、くっきりと押された皇帝の黄金印章が!
「な、なんじゃこりゃあああああああっ⁉︎」
「あははっ! あの教皇のおじさんと裏で結託して準備してたんだもん! 『どんな特例申請でも承認する』って約束したでしょ?」
勝ち誇った顔で胸を張る美男子皇帝。
「さっき自分で黄金印章をポンと押したじゃん! 今日からオリエンタは、ボクの、【皇帝の夫】! 死ぬまで逃がさない終身雇用なんだよっ!」
「カリストゥス⁉︎ ハメたなあのジジイィッ⁉︎」
反乱軍にも皇祖母の謀略にも勝った私が、紙切れ一枚のノールック押印で陥落するとは……!
私の絶叫が執務室に響き渡る。
するとヘリオガバルスは至近距離まで詰め寄り、大きな紫紺の瞳を潤ませて唇を尖らせた。
「だからさ……いつまでお祖母様が権力のために押し付けた、嘘っぱちの名前でボクを呼ぶの?」
「……アントニヌス陛下?」
「違う! 太陽神と一つになったボク自身の名前——『ヘリオガバルス』って呼んで?」
至近距離で見つめてくる、息を呑む端正な美貌。
私は深いため息をつき、観念したように少年の頭へポンと手を置いた。
「……分かりました、ヘリオガバルス陛下」
「ふふんっ、よろしい!」
□■□■□
翌日。
全ローマ市民がどよめく中、未曾有の大祝祭パレードと婚礼の儀が執り行われた。
ユピテル神殿前の大広場。
純白の司教冠を戴いたローマ教皇カリストゥスが、神父として軍団と市民へ高らかに宣言する。
「天の主と、万物を照らす太陽の御名において! 偉大なる皇帝ヘリオガバルス陛下と、帝国を支えし近衛隊長官オリエンタ殿の婚姻を、永遠なる契りとしてここに祝福いたします!」
うおおおおおおおっ⁉︎ と地鳴りのような大歓声がローマの空を大きく震わせた。
「皇帝陛下の夫が誕生したぞー!」
「パンも風呂も無料だから、めでたいことなら何でも大歓迎だァーッ!」
すると隣のヘリオガバルスが、腰の鞘からチャキッとあの『純金の去勢刀』を抜き放ったのだ!
「へ、陛下⁉︎ 晴れの舞台で私の股間を……⁉︎」
「違うよ! 夫婦最初の共同作業だよっ!」
ヘリオガバルスは私の手をギュッと握ると、祭壇に運ばれてきた巨大な『祝賀の婚礼パン』の真ん中へ、二人で一緒に黄金の刃を突き立てた。
かつて私の股間を脅かした恐怖の凶器は、こうして夫婦の契りを祝うパン切り包丁へと見事な転身を遂げたのである。
熱狂する市民たちを横目に、豪華な礼装を着せられた私は、乾いた笑いを浮かべて天を仰いだ。
(これが偉大なるローマ帝国の真なる姿……)
□■□■□
その日の夜。
宮殿の奥にある、天蓋付きの豪奢な寝室にて。
薄い極上シルクの寝衣をまとったヘリオガバルスが、ベッドの上で妖艶に微笑みながら、銀の杯を差し出してきた。
「さぁオリエンタ……新婚初夜の乾杯だよ? アレクサンドリア秘伝の『高純度薔薇酒精』なんだから、ぐいっと飲んでね?」
ふふん、と悪戯っぽく笑う皇帝。
どうやら私をべろべろに酔わせて、ベッドの上で主導権を握る腹積もりらしい。
だが、杯を差し出すその華奢な指先が、緊張と期待で僅かに震えているのに気づいてしまった。
……やれやれ。ここまで一途に愛されて、今さら男が逃げるわけにもいくまい。
「飲んでやる! ここまで来たらやるまでだ‼︎」
私は覚悟を決め、黄金の杯を一気に呷った。
——カッと喉が焼け付くような熱さ。
次の瞬間、私の脳内で何かがブチ切れた。
高純度アルコールが血を沸騰させ、過酷な残業ストレスと定年退職を潰された行き場のないエネルギーが、理性のリミッターを完全粉砕した!
「ぐ……ぬうううううッ」
ボコッ、と腰布を突き破らんばかりに大隆起する、我が股間のグラディウス!
私の双眸に、ギラリと獣の光が覚醒した。
「ふっふっふっ……ふふふふふふふ‼︎」
「えっ……? お、オリエンタ……?」
ガシィッ!
後退ろうとした少年の華奢な手首を、私の剛腕が逃すまいと鷲掴みにした。
そのまま、羽毛のベッドへと豪快に押し倒す!
「へ……? あれっ……⁉︎」
覆いかぶさってきた私の筋肉ダルマな巨体を見上げ、ヘリオガバルスは目を白黒させた。
ドスの利いた笑顔で、少年の耳元へ低く囁く。
「よくも私の長年の定年退職プランを、鮮やかに吹き飛ばしてくれましたね、我が主君?」
「えっ、ちょ、オリエンタ⁉︎ こういうのって普通、ボクがキミを可愛がるはずじゃ……⁉︎」
「定年退職を潰した落とし前は、今夜たっぷりこのベッドの上で支払ってもらうぞォォッ‼︎」
少年の白い頬が、林檎のように真っ赤に染まる。
紫紺の瞳をとろりと潤ませ、恥ずかしそうに胸板へ小さな手を添えてくる。
「も、もう……バカぁ……。乱暴にするのはナシだからね……? 優しくしてよ……?」
甘く蕩けた吐息とともに、寝室が大きく揺れた。
その夜は、長く永く更けていく——。
□■□■□
——それから、さらに数年の月日が流れた。
「皇帝の夫」として散々こき使われた私であったが、ついに念願の【正式な定年退職】を果たす日がやってきたのだ!
二十歳を越え、文武両道にして誠実無比な名君へと成長した従弟アレクサンデル。
ヘリオガバルスは元老院と民衆が見守る中、平和裏に帝冠を彼へと継いだのである。
歴史の暗殺の運命など、跡形もなく消え去った。
名君アレクサンデル・セウェルスの治世の幕開けに、帝都中が歓喜に沸き立っている。
---
宮殿の裏門。
身軽な平服に着替え、退職金と荷物をまとめた私は、待たせていた馬車に乗り込もうとしていた。
「ふう……実に長い戦いだったが、ついに完全なる自由だ! さらばローマ! 私はパンノニアのブドウ農園で、優雅なスローライフを送るぞ!」
背後から、軽やかな足音が駆けてきた。
「おーい! オリエンタ〜!」
振り返れば、可愛らしい旅装に身を包んだヘリオガバルスが、満面の笑顔で馬車の荷台へと飛び込んできたではないか!
「へ……? へ、陛下⁉︎」
「もう陛下じゃないよ! 皇帝を辞めたんだから、一緒にパンノニアへ行くでしょ!」
「えっ⁉︎ 退職したのは私一人のはずですが⁉︎」
「だーめ! ボクたちは神前で永遠を誓い合った夫婦なんだから、一生一緒なんだもん!」
悪戯っぽく笑いながら、ヘリオガバルスは私の腕にギュッと抱きついてきた。
「ふふっ、美味しいワインを作ろうね、ボクだけのオリエンタ?」
「……まったく。パンノニアは寒いですよ?」
「夫のためなら、どこまででもついていく!」
私は苦笑しながら、御者へ出発の合図を出した。
青く澄み渡るローマの空の下。
二人を乗せた馬車は、きっと幸福な未来へ向かって、ガラガラと軽快に走り出していった——。
—完結—
◆おまけ
二人が隠居先のパンノニアで開墾したブドウ農園から生まれた銘醸ワイン『オリエンタ』は、「太陽の情熱と剛腕の守護が宿る奇跡の美酒」として後世のヨーロッパ王侯貴族やバチカン教皇庁の御用達となり、現代に至るまで世界最高峰のワインとして長年愛され続けている。
また、教皇カリストゥスとの協調により太陽神信仰と公同派を融合させた新宗派『ソラリス派(太陽公同派)』がローマ全土へ広まり、後世の教会は帝国と皇帝を守り抜いたオリエンタの功績を称えて彼を『股間の守護聖人(サン・オリエンティウス)』として正式に列聖した。
◆あらすじの質問への回答
男の娘での*は『入学』です。
ここまで読んだ全ての読者諸兄姉に感謝を!
偉大なるローマ帝国の歴史と、ヘリオガバルスという人物を少しでも楽しんで頂けたら幸いです
全八話という短さではありましたが、魅力は詰め込めるだけギッシリ積載したつもりです(なお、プロットから出番を逃したマエサの反乱軍五万は、作者の頭の中で永遠に待機しております)
改めて皆様に深く感謝申し上げます
それではまた、いつかの作品で会いましょう
——我らがグラディウスよ、永遠なれ!