宇宙船館の殺人〜悪役令嬢、エアロック追放まであと一時間〜 作:スペース令嬢
「艦長、一つよろしいかしら」
投票灯の赤が八つ灯ったままの会議室で、エレノアは天井に立ってグレイを見下ろした。
「もちろんです」
「わたくしの父が亡くなった
「地球の信号が途絶えた瞬間です。保安機構が自動で切り替えます」
エレノアはすぐには続けなかった。会議室の誰かが、居心地悪そうに腰帯の金具を鳴らした。
「では、その死はいつ観測されたのかしら?」
航路図をなぞっていたグレイの指が、止まった。
「それは、先ほど計算したとおり」
「計算ではなく、観測ですわ。記録装置は壊れていて、保安機構は今のオーナーが誰かしか覚えていない。わたくしたちの手にあるのは、あなたの計算だけですわ」
エレノアは卓の航路図へ流れていき、卓の縁をつかんで十八時十分の数字の上で止まった。
「ベンさんが殺された時、わたくしにはまだオーナー権限は相続されていなかったのですわ」
「何を根拠に!」
ドノヴァン保安主任が座席から身を乗り出しかけ、腰帯に引き戻された。
「あの扉はオーナー権限でしか開かん。お前の権限でだ」
「ええ。ですから、疑うべきは計算のほうですわ」
エレノアは会議室を見回した。
「重くてのんびり逃げている〈ホライズン〉には、地球の報せが先に届く。速く遠ざかるこの艦には、遅れて届く。そしてこの艦は出発の時、積んだ推進剤をすべて燃やし切りました。燃料が同じなら、軽い船ほど速くなる。ここまでは、間違いございませんわね?」
「今更何を」
そう返しながら、ドノヴァンの目が卓の航路図へ泳いだ。
「でしたら、目録より艦が軽かったら?」
「それは……」
「艦は計算より速く飛び、父の死は計算より遅れて届く。どれだけ遅れるかも、計算できますわ」
エレノアは会議室の壁のホワイトボードへ流れていき、マーカーのキャップを外した。
「ツィオルコフスキーのロケット方程式ですわ。燃料を燃やし切った船の速さは、噴射の速さと、燃やす前と後の重さの比で決まります。光の速さに近い船なら、相対論の形で」
ラピディティ = (u ÷ c) × ln(m₀ ÷ m₁)
「このラピディティが大きいほど、地球の報せは指数で遅れて届きます。この艦の噴射は光速の半分。燃え尽きた後の艦は二千トンで、二トン軽ければ千分の一。遅れは、艦内で過ぎた時間にその二つを掛けたぶんですわ」
8000時間 × 0.5 × (2 ÷ 2000) = 4時間
「出発から十一か月、およそ八千時間。父の死がこの艦に届いたのは十八時十分ではなく、二十二時十分ごろですわ」
そこまで言って、エレノアは言葉を切った。
「ならお前のスーツケースの中身は何なんだ!? 目録には二トンの金塊とあるんだぞ!」
ドノヴァンが怒鳴った。
「ご自身でお確かめになって」
エレノアは会議室の隅へ流れていき、固定帯で留めておいた銀のケースを外して、ドノヴァンへ向けてそっと押し出した。
「に、二トンの荷物だと!?」
ドノヴァンは慌てて座席に足を絡め、両腕を広げて待ち構えたが、胸に当たったケースは軽く跳ね返って、彼の頭の上をくるくると回りながら漂っていった。
「か、軽い……」
ドノヴァンは空になった両腕を広げたまま、天井を回るケースを見上げた。
「ええ、わたくしのスーツケースの中身はお菓子ですの。キャラメルとクッキーと、少しのチョコレート」
「ならば、金塊は!?」
「父に残してきましたの。どうせ持ってきても役に立ちませんもの。発射の直前でしたから、目録の書き換えが間に合わなかったのですわ」
あの時、父はただ黙ってエレノアを抱きしめた。
グレイが、初めてエレノアをまっすぐに見た。
「今そこに金塊がないことは分かりました。ですが、出発の時からなかったと、誰に言えます。オーナー証があれば、どこへでも移しておける」
「二トンを、どこへ? さっきのドノヴァンさんの構えをご覧になったでしょう。無重力でも、二トンの塊を動かして止めれば、艦がそのぶん揺れますわ。艦じゅうの振動計に残っているはず。お探しになってみて?」
グレイは航路図に目を落とし、それから会議室を見回した。
エレノアはグレイに向き直った。
「ユリアンさんは、わたくしのヒールにまで目くじらを立てる計器の番人でしたもの。保管区画の不審な揺れを観測し、確認をしに行ったのですわ。そして扉の前で、ベンさんを殺した方と鉢合わせて、口封じに殺されたのでしょう」
「根拠のない妄想ですね」
そう言うグレイの声が、わずかに上ずっていた。
「ユリアンさんを殺した凶器が見つかっておりませんでしたわね。艦長殿、お調べになってもよろしいかしら?」
「そんな権限がどこにある!」
グレイの声が、初めて荒れた。
「エレノア嬢にはない。だが、我々保安部にはある。調べさせてもらうぞ、艦長」
ドノヴァンが低く言った。
「ユリアンが殺された時間に食堂にいなかったのは、エレノアだけではない! ドノヴァン主任、あなたも二十分あまり席を外していたはずだ! そして私はその時、見回りで船尾にいた!」
会議室が、しんとした。
「私はトイレにいたと言ったはずだ!」
ドノヴァンが真っ赤になって言い返した。
「ええ、その通りですわ。振動計の記録は、その二十分、トイレを使っていた方がいたことを示しております。それが主任か艦長かは、分かりませんでしたの。……艦長が今、ご自分はトイレではなく船尾にいたとお認めになるまでは」
議長席のグレイが、初めてエレノアから目を逸らした。
「十九時三十五分、外からあの扉を閉められたのは、まだ権限をお持ちだった方だけ。艦長、あなたですわ」
誰も、何も言わなかった。投票灯の赤だけが、八つ並んで灯っていた。
長い沈黙のあとで、グレイがようやく口を開いた。
「ベンは、規律を乱した。記録を壊した。艦の目を潰したんです。あれは反乱だ。誰かが止めなければならなかった」
グレイの声は、卓の向こうまでやっと届くほど小さかった。
「それで、わたくしに罪を着せて腕輪を取り上げれば、権限は仮権限者のあなたに戻る。艦はまた、規律正しいあなたのものになりますものね」
「艦のためです」
「調べて、正しく裁く。それが規律だと、通路でおっしゃいましたわね」
エレノアの声が、少しだけ揺れた。
「この艦でいちばん規律を破ったのは、どなたかしら」
グレイは答えなかった。ドノヴァンがゆっくりと座席の腰帯を外した。
「艦長。立ってくれ」
ドノヴァンの手はグレイの肩にかかって震えていた。その時、グレイの声が割れた。
「一つだけ教えてくれ! エレノア! ベンはなぜ記録装置を壊したんだ!」
エレノアは、受信室の吸気格子に貼りついたままの包み紙を思い出した。
「ベンさんもユリアンさんも、わたくしのスーツケースが金塊ではなくキャラメルだと、とっくに知っておりましたわ」
グレイはただ、エレノアの顔を見ていた。
「今となってはあの方の考えは分かりませんけれど、もし想像するのなら……直視したくなかったのでしょう。家族の死を」
投票灯の赤が、一つずつ消えていった。
(完)
※物理の方程式部分はAIに書いてもらいました。
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