無職転生 ~愚弟の兄は全身鎧の剣士~ 作:鎧の剣士
俺はルーデウス・グレイラット。
前世では三十四歳の引きこもりだった男だ。
中学時代までは、それなりに勉強もできたし、友人もいた。だが、高校受験の失敗と、その後に受けたいじめをきっかけに、俺は家から出られなくなった。
兄や姉、弟、そして両親が心配してくれていたことは覚えている。
それでも俺は、差し伸べられた手を振り払い続けた。
気づけば、家族との関係は取り返しがつかないところまで壊れていた。
最後には家を追い出され、行く当てもなく町をさまよった。そして、トラックに轢かれそうになった高校生たちを助けようとして、俺は死んだ。
……今さら、過去を美化するつもりはない。
俺は間違いを犯した。後悔もある。
だからこそ、二度目の人生では少しでもまともに生きたいと思っていた。
そんな俺が生まれ変わった先には、両親と、二歳年上の兄がいた。
アルベルト・グレイラット。
家族からはアルと呼ばれている。
前世にも兄はいた。だから、兄がいること自体に驚きはなかった。
ただ、今世の兄には気になるところが多かった。
◇
俺が赤ん坊だった頃から、アルは剣の稽古をしていた。
もちろん、当時の俺にできるのは、泣いて、飲んで、眠ることくらいだ。まともに動けるようになってからも、兄の考えていることがわかるわけではない。
それでも、目の前で繰り返される行動には、自然と目が向いた。
父パウロから剣を教わり、何度も打ち負かされる。
それでも翌日には木剣を握っていた。
ただ、兄は闇雲に努力する人間ではなかった。
疲れれば休む。無駄だと思えばやり方を変える。危険だと判断すれば、無理に踏み込まない。
面倒くさそうな顔をしていることも多いが、必要だと判断したことは投げ出さない。
(楽をしたいのか、強くなりたいのか。どっちなんだろうな)
いや、両立させたいのかもしれない。
そんなことを考え始めたのは、兄が鎧に興味を示していると知ってからだった。
ある日、俺は兄に尋ねた。
「兄さん、どうしてそんなに鎧が好きなの?」
アルは手入れしていた金属製の防具から顔を上げた。
「身を守れるからな」
「それだけ?」
「それだけじゃない。全身鎧って格好いいだろ」
あまりにも率直な答えだった。
「戦うときに安心できるし、見た目もいい。なら、好きになる理由としては十分だろ」
(なるほど。格好よくて安全なのが最高ってことか)
俺は納得した。
兄は英雄になりたいわけでも、誰より強くなりたいわけでもないらしい。
少なくとも、今の俺にはそう見えた。
ただし、鎧を着れば何もかも解決すると思っているわけではなさそうだった。父との稽古では、装備に頼るだけでは通用しないことも学んでいる。
兄は鎧が好きだ。
それと同時に、鎧だけでは身を守りきれないことも理解しようとしていた。
(やっぱり、変わった兄貴だな)
俺はそう思いながら、再び兄の稽古を眺めた。
◇
俺が三歳になった頃、我が家に魔術の家庭教師がやって来た。
ロキシー・ミグルディア。
青い髪を三つ編みにした、小柄な少女だった。手には杖を持ち、眠たげな目でこちらを見ている。
(ロリっ子魔術師キターーーッ!!)
前世の俺が、心の中で叫んだ。
(青髪! ジト目! 無愛想そうな雰囲気! じつにパーフェクト!)
……落ち着け、俺。
今の俺は三歳児で、目の前にいるのは魔術の先生だ。
「よろしくお願いします、師匠!」
俺は表向き、礼儀正しく挨拶した。
内心では大騒ぎだったが、それはそれとして、魔術を教えてもらえること自体が嬉しかった。
前世では空想の中にしかなかった魔術を、自分の手で使える。
これが楽しくないわけがない。
俺は師匠から魔力の扱い方や魔術の基礎を学び、夢中になって練習した。
最初は思い通りにいかないこともあったが、練習を重ねるにつれて、少しずつできることが増えていく。
魔術は面白かった。
努力した分だけ、結果が返ってくる。その実感が、俺をますます夢中にさせた。
そして、俺が魔術を覚え始めると、兄も魔術を習得しようと動き始めた。
最初は、俺の影響だと思った。
俺が魔術を使うのを見て、興味を持ったのだろう。兄弟なのだから、同じものに惹かれても不思議ではない。
しかし、兄の様子を見ていると、少し違う気もした。
アルは魔術そのものに夢中になっているというより、剣だけでは補えない部分を埋めようとしているように見えたのだ。
剣の稽古を続けながら、魔術も覚える。
自分に必要だと考えたものを、一つずつ身につけているようだった。
(兄貴は、何を考えているんだろうな)
本人に聞けば、きっと何かしら答えてくれるだろう。
だが、口にした答えが、考えていることのすべてとは限らない。
俺は兄のことを、もう少し観察してみることにした。
◇
師匠との授業を重ねるうち、俺は魔術だけでなく、彼女自身についても少しずつ知ることになった。
ある日の授業中、俺はふと、師匠の青い髪が気になった。
「師匠。その青い髪って、生まれつきなんですか?」
「はい。ミグルド族には、青い髪をした者が多いんです」
「ミグルド族?」
聞き慣れない言葉に、俺は首をかしげた。
「魔族の一種です。私もミグルド族なんですよ」
(えっ、魔族?)
俺は驚いた。
見た目が幼いこともあって、勝手に人間の少女だと思い込んでいたのだ。
「魔族って、いろいろな種族がいるんですか?」
「ええ。種族によって姿も特徴も違います」
師匠はいつもの落ち着いた調子で説明してくれた。
ミグルド族は長命な種族で、青い髪が特徴の一つなのだという。
(なるほどな。青い髪には、ちゃんと理由があったわけか)
俺は師匠の髪を見ながら頷いた。
魔族と聞くと、前世で触れた物語では、敵役や恐ろしい存在として描かれることも多かった。
だが、目の前にいる師匠は、魔術を教えてくれる先生だ。
真面目で、教えることには妥協がない。俺が失敗すれば、どこが悪かったのかを丁寧に説明してくれる。
魔族であることと、その人物がどんな人間なのかは、別の話なのだ。
「教えてくれてありがとうございます、師匠」
「いえ。授業に関係することですから」
師匠はそう言って、教材に目を戻した。
「それでは、続きをやりましょう」
「はい!」
俺は気持ちを切り替え、再び魔術の練習に取り組んだ。
◇
さらに授業を重ねたある日、師匠は別の魔族についても教えてくれた。
「魔族には、スペルド族という種族もいます」
「スペルド族?」
「エメラルドグリーンの髪と、額にある赤い宝石が特徴です」
俺は説明を聞きながら、その姿を想像した。
「ミグルド族とは違うんですね」
「ええ。種族が違えば、特徴も違いますから」
師匠はそこで、少しだけ声の調子を変えた。
「ただ、スペルド族については、知っておいたほうがいいことがあります」
昔の戦争で、スペルド族は非常に恐れられたのだという。
その恐怖は戦争が終わっても消えず、スペルド族への偏見や迫害につながっている。
「緑色の髪をしているだけで、スペルド族と誤解されることもあります」
「髪の色だけで、ですか?」
「はい。相手がどんな人物なのかを知らないまま、怖がられることもあるんです」
俺は黙って話を聞いた。
会ったこともない相手を、見た目や噂だけで判断する。
前世でも、俺は他人の言葉を悪い方向に受け取って、相手の事情を確かめようとしなかったことがある。
もちろん、だからといって、自分の過去とスペルド族の境遇を同じだと言うつもりはない。
ただ、知らない相手を決めつけることの危うさは、少しだけわかる気がした。
「実際に会ってみなければ、その人がどんな人なのかはわからないですよね」
俺がそう言うと、師匠は一瞬だけ目を見開いた。
「……そうですね。もちろん、相手が危険かどうかを見極めることも大切ですが、見た目や噂だけで決めつけるべきではありません」
「はい、師匠」
師匠は小さく頷き、授業を再開した。
俺は魔術の練習に戻りながら、さっきの話を考えていた。
この世界には、まだ知らないことがたくさんある。
知識を得ることと、物事を正しく理解することは、必ずしも同じではない。
それを忘れないようにしようと思った。
◇
それから三年が過ぎ、俺は六歳になった。
兄のアルは八歳。
俺は魔術の腕を伸ばしながら、父から剣の基本も教わっていた。
一方、兄は剣の稽古を続けながら、魔術も身につけようとしている。
怠そうな顔をすることはある。面倒くさそうにため息をつくこともある。
だが、やるべきことを放り出すわけではない。
必要だと思ったことには取り組み、無駄だと判断したことには深入りしない。
まるで、自分が生きていくうえで必要なものを、一つずつ揃えているようだった。
(兄貴は、いったい何を目指しているんだろう)
剣士になりたいのか。
鎧を着た騎士になりたいのか。
それとも、ほかに何か考えがあるのか。
俺には、まだわからない。
前世の俺は、自分の殻に閉じこもり、周りの人間が何を考えているのかを確かめようともしなかった。
今度は、少し違う生き方をしてみたい。
そう思ったからといって、すぐに何もかも変えられるわけではない。それでも、目の前の人間をよく見て、わからないことは少しずつ知っていけばいい。
俺は、稽古に励む兄の姿を眺めた。
アルが何を考え、何を目指しているのか。
その答えは、まだ見つかりそうになかった。