無職転生 ~愚弟の兄は全身鎧の剣士~ 作:鎧の剣士
第16話 雨の日の休息
「アル、次は踏み込みからの横薙ぎだ。鎧を着ているからって、動きまで鈍くしていいわけじゃないぞ!」
「分かってるよ、父さん」
俺は木剣を構え直し、パウロの動きを見据えた。
庭での訓練は、いつも通り続いていた。
木剣を振るい、足を運び、相手の動きに合わせて体勢を変える。鎧を着た状態での剣術は、普通の服装で動くのとは勝手が違う。重さに振り回されないようにしながら、必要な時には素早く動けるようにする。それが今の俺の課題だった。
パウロの剣を受け止め、横へ流す。
しかし、次の瞬間には木剣の切っ先が俺の胸元へ迫っていた。
「そこまでだ」
「……また負けか」
「今のは悪くなかった。受け流したところまではな。だが、そこで安心しただろ」
パウロが木剣を肩に担ぐ。
「相手は一度攻撃を防がれたくらいで、止まってくれるわけじゃない。次の動きまで考えておけ」
「はいはい」
「返事は一回でいい!」
そんなやり取りをしながら、俺は再び構えようとした。
その時、頬に冷たいものが当たった。
ぽつり。
空を見上げると、いつの間にか灰色の雲が広がっていた。
「雨か?」
パウロが空を見上げた直後、二滴、三滴と雨粒が増えていく。
「今日はここまでだ。道具を片付けて、軒下に入るぞ!」
「了解」
俺たちは手早く木剣を片付け、庭に面した軒下へと移動した。
幸い、雨が本降りになる前に避難できた。鎧もほとんど濡れていない。
庭を眺めていると、雨脚はあっという間に強くなった。
「こりゃ、しばらく止みそうにないな」
「そうだな。今日は訓練も終わりだ」
「助かるよ。さすがに雨の中まで剣を振りたくない」
「お前は本当に正直だな……」
パウロは呆れたように笑った。
俺としては、濡れた鎧の手入れをする羽目になるより、ずっといい。雨の中で無理に訓練する理由なんてないのだ。
俺たちは道具を片付けて家の中へ戻った。
◇
しばらくして、玄関の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ただいまー!」
ルディの声だった。
続いて、もう一人の子供の声がする。
「た、ただいま……!」
俺が居間から顔を向けると、ルディとシルフが並んで立っていた。
二人とも、見事なまでにずぶ濡れだった。
髪から水が滴り、服は肌に張り付いている。外で何をしていたのかは知らないが、あの雨の中を歩いて帰ってきたのだろう。
「お前ら、ずいぶん派手に濡れたな」
「魔術の練習をしてたら、急に雨が降ってきたんだよ!」
ルディがそう説明する。
シルフも、濡れた前髪を指で払いながら頷いた。
「最初はすぐ止むと思ったんだけど……途中から、どんどん強くなっちゃって」
「タオルを持ってくるわ。二人とも、そのまま廊下を歩き回らないでね」
ゼニスの声がして、二人は慌ててその場に留まった。
俺は二人の様子を眺めながら、内心で小さく息を吐いた。
……ああ、この時期か。
俺には原作の知識がある。
ルディとシルフが仲良くなっていくことも、ルディがシルフを男の子だと思い込んでいることも、そして、その勘違いが原因でちょっとした騒ぎになることも知っていた。
だからといって、俺がわざわざ口を挟む必要はない。
二人が友達として遊んでいるだけなら、それでいい。俺に直接被害が及ぶわけでもないし、俺が先回りして忠告すれば、かえって余計な面倒を招く可能性だってある。
そもそも、弟の友人関係にまで首を突っ込むつもりはなかった。
俺は二人にタオルが渡されるのを確認すると、再びソファへ腰を下ろした。
「アル、ずいぶん落ち着いてるな」
隣に座ったパウロが言う。
「だって、もう訓練は終わりだろ?」
「そういう意味じゃないんだが……まあいい」
パウロは苦笑して、濡れた二人がゼニスに連れられていくのを見送った。
俺も特に気にせず、のんびりとした時間を過ごすことにした。
◇
雨はなかなか止まなかった。
窓の外では、屋根を叩く雨音が絶え間なく続いている。
俺は鎧を脱いで手入れを済ませ、動きやすい服に着替えていた。訓練が中止になった以上、今日はもう休んでいいだろう。
剣の手入れも、鎧の確認も終わった。
あとは夕食まで適当に過ごすだけだ。
……そう思っていた時だった。
「きゃあああっ!」
二階から、甲高い悲鳴が響いた。
俺は本をめくる手を止めた。
一瞬遅れて、パウロが立ち上がる。
「なんだ、今の声は!?」
「シルフの声じゃない?」
俺がそう答えると、パウロは眉をひそめ、階段へ向かった。
俺はその背中を見送った。
さて、何が起きたのやら。
……いや、知っている。
知っているのだが、あえて知らないふりをしておく。
俺は本を閉じ、居間で待つことにした。
わざわざ自分から確認しに行く必要はない。パウロが様子を見に行ったのだから、何か問題があれば向こうから話が来るだろう。
しばらくして、階段を下りてくる足音が聞こえた。
パウロは、なんとも言えない顔をしていた。
「……ルディのやつ」
「何があったんだ?」
俺は一応、尋ねてみた。
パウロは額を押さえながら、事情を説明し始めた。
どうやら、ルディはシルフを男の子だと思い込んでいたらしい。
そもそも名前がシルフではなく、シルフィエットだしな。
ところが、濡れた服を着替える段になって、その勘違いが明らかになった。シルフは女の子だったのだ。
そのことを知ったルディが慌て、シルフもまた、突然の出来事に驚いて悲鳴を上げたらしい。
幸い、パウロが間に入ったことで、それ以上の騒ぎにはならなかったという。
「まったく……女の子相手に、何をやってるんだ、あいつは」
パウロは深々とため息をついた。
「本人は男の子だと思ってたんだろ? だったら、急に気づいて慌てたんじゃないか」
「だからって、相手を驚かせていいわけじゃないだろう。シルフィエットもすっかり怯えていたぞ」
「そりゃそうだ」
俺は頷いた。
内心では、やっぱりそうなったか、と思っていた。
原作知識にある出来事だ。ルディがシルフを男の子だと思い込んでいたことも、それがきっかけで騒ぎになることも、俺にとっては予想の範囲内だった。
だから、雨の中を帰ってきた二人を見ても、俺は何も言わなかった。
事前に注意することもできたかもしれない。だが、俺に実害があるわけではないし、二人の関係にわざわざ介入する理由もない。
俺が知っている未来を、何もかも自分の都合で変える必要はないのだ。
「ルディには、あとでちゃんと言っておく。相手が誰であっても、嫌がることを無理にしてはいけないとな」
パウロの表情は、父親としての真剣なものに変わっていた。
「それがいいと思う」
俺も素直に同意した。
原作で知っていたからといって、何が起きても構わないというわけではない。俺がわざわざ先回りして介入する必要はないが、実際に問題が起きたなら、親がきちんと対処すればいい。
俺はその程度の距離感で十分だと思っていた。
やがて、二階から物音がしなくなった。
雨はまだ降り続いている。
今日の訓練は中止。ルディとシルフの間には、ちょっとした騒ぎが起きた。
だが、俺の一日はいつも通りに終わっていく。
俺は本を開き直し、次に読むページを探した。
……明日は晴れるといいな。
濡れた鎧の手入れをする羽目にならなかったことだけは、今日の幸運だった。