無職転生 ~愚弟の兄は全身鎧の剣士~ 作:鎧の剣士
ルーデウスが旅立ってから、家の中は少し静かになった。
朝食の席にあった弟の姿はなく、食卓で聞こえていた魔術の話も、シルフとの出来事もない。
ノルンはまだ小さく、アイシャも生まれたばかりだ。家の中が静かになったというより、騒がしさの種類が変わったというべきかもしれない。
俺の日常は、相変わらず訓練が中心だった。
剣術、魔術、身体を鍛えるための基礎訓練。どれも地味で、楽しいことばかりではない。
それでも、いざというときに動けない方が面倒だ。
「アル、今日は実戦形式を多めにやるぞ」
朝の訓練前、パウロが木剣を肩に担いで言った。
「また?」
「まただ。実戦で使えなきゃ意味がないからな」
俺は小さく息を吐き、木剣を構えた。
◇
最初は剣神流の打ち込みから始まった。
踏み込み、振り下ろし、引き戻す。基本の動作を繰り返し、速度と正確さを意識する。
パウロの剣は相変わらず速い。
こちらの攻撃を受け止めたと思えば、すぐに反撃が飛んでくる。俺はそれを避け、あるいは木剣で受けながら、次の動きを探した。
「もう一歩踏み込め!」
「分かってる!」
言われた通りに足を踏み込む。
その瞬間、いつもより身体が前に出た。
木剣がパウロの剣にぶつかり、乾いた音を立てる。
「……ん?」
パウロが一瞬だけ眉を動かした。
「どうしたの?」
「いや。今の打ち込み、少し重かったな」
「そう?」
自分ではいつも通りのつもりだった。
「気のせいか。続けるぞ」
その後は水神流の訓練に移った。
相手の攻撃を受け流し、隙を見て反撃する。力任せに受け止めるのではなく、剣の角度と身体の位置で攻撃を逸らす。
パウロの木剣が肩口へ迫る。
俺は反射的に剣を動かした。
カンッ!
受け流した木剣が、思ったよりも早く相手の懐へ戻る。
パウロは身体を引いて避けた。
「今の反応は悪くない」
「最近、少し慣れてきたのかも」
「そうかもしれんな」
パウロはそう答えたものの、俺の足元をちらりと見た。
俺は気づかなかった。
最後は北神流だ。
相手の意表を突き、状況に応じて動きを変える。わざと隙を見せたり、攻撃の軌道を変えたりする。
この流派は、型通りに動くだけでは通用しない。
俺はフェイントを交えながら攻めたが、パウロには簡単に見抜かれた。
「まだ動きが素直だな」
「父さんが相手だからだよ」
「相手のせいにするな」
そう言って、パウロは木剣を振る。
俺は身体をひねって避けた。
その動きも、いつもよりわずかに速かった。
パウロは何も言わなかった。
◇
昼前、休憩を挟んで実戦形式の訓練が始まった。
「今日は攻守を決めない。好きに攻めてこい」
「分かった」
俺は木剣を構え、パウロの動きをうかがった。
先に仕掛ければ、簡単に受け止められる。かといって待ち続けても、パウロの方から攻めてくる。
まずは距離を保ち、相手の踏み込みに合わせて動く。
パウロが一歩前へ出た。
俺はすぐに後退する。
その足運びに合わせて、パウロの木剣が伸びてきた。
右肩を狙った一撃。
俺は剣を傾け、軌道を逸らす。続けて反撃しようとしたが、パウロはすでに距離を取っていた。
「悪くない」
「どうも」
短く返し、再び構える。
今度は俺から仕掛けた。
右へ踏み込むと見せかけて、左へ体重を移す。北神流のフェイントを混ぜた動きだ。
パウロの視線がわずかに動いた。
そこを狙って踏み込む。
だが、パウロは俺の狙いを見抜いていた。
木剣が正面から迫る。
避けきれない。
そう判断した瞬間、身体が勝手に動いた。
足が地面を強く蹴る。
身体が軽い。
いつもなら届かない距離を、一瞬で詰めていた。
パウロの木剣が空を切る。
俺はその懐へ入り込み、木剣を振り上げた。
ガッ!
パウロの木剣が大きく弾かれた。
「なっ……!」
パウロの目が見開かれる。
俺自身も何が起きたのか分からなかった。
今の踏み込みは、明らかに普段と違った。腕に伝わった衝撃も、いつもの自分の力とは思えないほど重い。
「アル、止まれ!」
パウロの声で、俺は動きを止めた。
「今のは何だ?」
「何って……普通に避けただけだけど」
「普通じゃない。もう一度やってみろ」
言われた通りに構え直す。
しかし、何度試しても先ほどの動きは再現できなかった。
「……できないな」
「お前、今、自分の身体に何かした覚えはあるか?」
「ないよ。避けようとしたら、勝手に身体が動いたんだ」
パウロは俺をじっと見た。
それから、少し考えるように顎へ手を当てる。
「闘気か……?」
「闘気?」
「体内の魔力を使って、身体能力を強化する技術だ。魔術とは違う。剣士や戦士は身体を鍛えるうちに、自然とそれを纏えるようになる」
「俺が、それを使ったってこと?」
「おそらくな。さっきの踏み込みと打ち込みは、普通の身体能力だけじゃ説明がつかん」
パウロは驚きを隠せない様子だった。
「しかも、お前は自分で気づいていなかったんだろう?」
「うん」
「……そうか」
パウロはもう一度、俺の全身を眺めた。
「まだ一瞬だけだ。自分で自在に扱えるわけじゃない。だが、兆候が出たのは間違いない」
俺は自分の手を見た。
闘気。
この世界の剣士や戦士が、常人離れした身体能力を発揮するための技術。
それを、俺は知らないうちに使っていたらしい。
「今後も身体を鍛えろ。無理に再現しようとする必要はない。いつも通り訓練を続けていれば、いずれ自分で感覚をつかめるはずだ」
「分かった」
「しかし……驚いたな」
パウロはまだ感心したように俺を見ていた。
俺としては、できればこれ以上面倒なことが増えないでほしいのだが。
◇
その後も訓練は続いた。
剣術では三つの流派を繰り返し、身体の動きや間合いを確認する。闘気については、パウロから無理に意識しないように言われた。
午後は魔術の練習だ。
水を操り、火を起こし、風を動かす。どれも実用的な範囲では使えるようになってきたが、戦闘で自由自在に使えるほどではない。
回復魔術も同じだ。小さな傷なら治せるが、深い傷や大量の出血をすぐに元通りにできるわけではない。
剣術も魔術も、まだまだ鍛える必要がある。
夕方には、ゼニスからノルンとアイシャの面倒を見るように頼まれた。
「アル、少しだけノルンとアイシャを見ていてくれる?」
「分かった」
小さな妹達を見る。
ノルンとアイシャは俺の顔を見て、きゃっきゃと声を上げた。
ルーデウスがいなくなって、俺は家の中で一番上の子供になった。
以前なら、弟に任せていたこともある。だが今はそうはいかない。
まあ、面倒ではあるけれど、妹の世話くらいはする。
◇
夜。
自室で鎧の手入れをしながら、俺は昼間の出来事を思い返していた。
闘気。
自分では使ったつもりがないのに、身体が一瞬だけ別物のように動いた。
魔術のように呪文を唱えたわけでもない。魔力を外へ放出した感覚もなかった。
ただ、身体が軽くなった。
あれが闘気というものなのだろう。
まだ自在に使えるわけではない。次に同じことができる保証もない。
それでも、少しだけ前に進めた気がする。
剣術、魔術、回復魔術。そして闘気。
やることは多い。
俺は鎧の表面を布で拭き、最後に傷の具合を確かめた。
いつか全身を覆う黒い鎧を身につける。
その目標は変わらない。
ただ、その鎧を着こなすためにも、俺自身が強くならなければならない。
……明日も訓練か。
できれば休みたい。
だが、今日のようなことがまた起きるなら、鍛錬を続ける意味は十分にある。
俺は鎧を片づけ、明日に備えて眠ることにした。