兄は全身鎧の剣士 作:鎧の剣士
十歳の誕生日から、二ヶ月ほどが過ぎた。
あの日、父さんからもらった大剣は、今では毎日の鍛錬に欠かせない道具になっている。
最初は持ち上げるだけでも精いっぱいだった。
柄を両手で握り、どうにか地面から浮かせる。そこから少し動かすだけで腕が震え、剣先が大きく揺れた。
当然、まともに振ることなどできなかった。
だが、毎日少しずつ練習を続けた結果、今では構えた状態から狙った場所へ振り下ろせるようになっている。
以前は剣の重さに引っ張られ、振り終わるたびに身体が前へ流れていた。
今は足を踏ん張り、腰を回すことで、剣の勢いをある程度制御できる。
正面への振り下ろしだけでなく、右上から左下、左上から右下への斬り下ろしも、ゆっくりなら狙った位置へ通せるようになった。
さらに、振り終わった姿勢を崩さず、次の構えへ戻ることもできる。
ただし、そこまでだ。
同じ動作を何度も繰り返せば腕は疲れるし、途中で動きが乱れる。左右の斬り下ろしを続けて行うと、最後には剣先が狙いから外れてしまう。
実戦で使えるかと聞かれれば、まだ難しいだろう。
それでも、二ヶ月前と比べれば大きな進歩だ。
「アル、構えが高いぞ。もう少し腰を落とせ」
「こう?」
「そうだ。剣の重さに身体を持っていかれるな。足で支えろ」
父さんの声に従い、俺は足の位置を調整した。
大剣を構えるだけでも、身体の使い方が重要になる。
腕だけで支えようとすれば、すぐに疲れてしまう。足腰を使い、身体全体で重さを受け止める必要がある。
「よし。ゆっくり振ってみろ」
俺は息を整え、剣を振り下ろした。
風を切る音が響く。
剣先は、目印にしていた丸太の中央へ向かって落ちた。
以前なら、狙った場所を通すことさえ難しかった。今は、力を入れすぎなければ、ある程度は狙いを定められる。
だが、そこで止めることができず、身体がわずかに前へ傾いた。
「今のは悪くない。だが、振り終わった後に隙ができてる」
父さんは丸太の中央を指さした。
「狙ったところに剣を通すのはできるようになってきた。次は、振った後に自分の身体を止められるようにしろ」
「分かった」
「じゃあ、もう一度だ」
……このやり取りも、すっかり日常になった。
◇
大剣の鍛錬だけをしているわけではない。
いつもの木剣を使った剣術の修行も続けている。
剣神流、水神流、北神流。
三つの流派を並行して学ぶのは、相変わらず難しい。
剣神流では、踏み込みと攻撃の速さを意識する。
水神流では、相手の動きを見極め、攻撃を受け流して反撃につなげる。
北神流では、正面からの打ち合いにこだわらず、相手の意表を突く動きや状況に応じた戦い方を学ぶ。
それぞれに必要な技術が違う。
大剣を使うようになってからは、特にその違いを意識するようになった。
「アル。大剣を振る時と、普通の剣を振る時で、何が違うと思う?」
打ち合いの合間に、父さんが尋ねてきた。
「重さと間合い?」
「それもある。だが、一番気をつけなきゃならないのは、振った後だ」
父さんは木剣を軽く振ってみせた。
「普通の剣なら、振った後にすぐ次の動きへ移れる。だが、重い剣はそうはいかない。勢いがつけば止めるのも難しいし、無理に止めれば身体に負担がかかる」
「だから、最初から次の動きを考えておく?」
「そうだ。攻撃が当たるかどうかだけ考えてちゃ駄目だ。外した時にどうするか、受け止められた時にどうするか。そこまで考えて振れ」
なるほど。
攻撃を当てることだけを考えるのではなく、その後の行動まで考える。
これは大剣に限った話ではない。
俺が生き残るために必要な考え方でもある。
「じゃあ、もう一度やってみろ」
父さんが木剣を構えた。
俺も木剣を握り直す。
踏み込む。
攻撃を受けられる。
すぐに距離を取ろうとするが、父さんの剣が追ってくる。
「遅い!」
木剣が肩に当たった。
鎧越しでも衝撃は伝わる。
「攻撃を外した後、何をするか考えてなかっただろ」
「……はい」
「頭で分かってるだけじゃ駄目だ。身体で覚えろ」
父さんは木剣を肩に担いだ。
俺は肩をさすりながら、構え直す。
やはり、父さんは強い。
俺が何をしようとしているのか、動き出す前から見抜いているように感じる。
もっとも、実際にはこれまでの鍛錬で俺の癖を把握しているのだろう。
だからこそ、簡単には通用しない。
◇
闘気の鍛錬も続けていた。
一年前の打ち合いで初めて無意識に使い、誕生日を迎える頃には、自分の意思で短時間だけ発動できるようになっていた。
だが、そこから先が難しい。
身体が軽くなる感覚は分かる。
力が強くなり、反応も速くなる。
しかし、いつでも同じように使えるわけではない。
集中しすぎると動きがぎこちなくなり、闘気を意識しすぎれば、剣術そのものがおろそかになる。
「アル、また力が入ってるぞ」
「闘気を使おうとしてるんだけど」
「だからって、身体を固くするな。闘気を使うことばかり考えるな」
父さんは俺の構えを見ながら言った。
「身体を鍛えて、その力を自然に使えるようにするんだ。無理に何かをしようとする必要はない」
「でも、意識しないと使えない」
「最初はそんなもんだ。焦るな」
父さんは簡単に言う。
だが、焦るなと言われて焦らなくなるなら苦労はしない。
俺はもう一度構え直した。
今度は闘気を使うことだけに集中せず、相手の動きを見る。
父さんが踏み込んだ。
俺はその動きに合わせて足を動かす。
身体が軽くなった。
ほんのわずかな感覚だったが、確かに普段よりも速く動けた。
木剣を受け止める。
衝撃が腕に伝わる。
そのまま押し返そうとしたが、力が続かず、すぐに押し負けた。
「今のはよかったぞ」
父さんが木剣を下ろす。
「闘気が使えた?」
「少しな。だが、途中で途切れた」
「……やっぱり難しいな」
「当たり前だ。そう簡単に身につくもんじゃない」
父さんは笑った。
「剣術も同じだろ。最初から上手くできる奴なんていない。何度も繰り返して、少しずつ身体に覚えさせるんだ」
俺は自分の手を見た。
闘気を使えるようになったからといって、急に強くなれるわけではない。
むしろ、使いこなせない力をどう扱うかという、新しい課題が増えたようなものだ。
……面倒だな。
だが、身につけておけば、いずれ役に立つ。
そう考えて、俺は再び木剣を構えた。
◇
鍛錬を終えた後は、魔術の練習をする。
水、火、風の魔術。
それに治癒魔術。
どれも、使い続けなければ感覚が鈍ってしまう。
特に治癒魔術は、実際に怪我をした時に使えなければ意味がない。
ただし、治癒魔術を使えるからといって、無茶をしていいわけではない。
大きな傷をすぐに治せるわけではないし、失った血や体力が戻るわけでもない。
だからこそ、怪我をしないことが一番だ。
「アル、今日は治癒魔術の練習をするの?」
母さんが尋ねてきた。
「ああ。少しだけね」
「無理はしないでね。魔術を使うのも疲れるでしょう?」
「大丈夫。まだ余裕はあるよ」
「そう? 疲れたらちゃんと言ってね」
母さんはそう言って、俺の頭を撫でた。
治癒魔術を教えてもらう時、母さんはいつも丁寧に説明してくれる。
怪我の状態を見極めること。
傷の深さに応じて魔力を使うこと。
無理に治そうとせず、必要なら他人の助けを借りること。
どれも、生き残るためには重要なことだ。
魔術を覚えれば、できることは増える。
だが、できることが増えたからといって、何でも自分一人で解決できるわけではない。
そのことは忘れないようにしている。
◇
家の中では、ノルンとアイシャの世話を手伝うことも増えていた。
二人とも、少しずつ動き回るようになっている。
目を離すと、いつの間にか別の場所へ移動していることもある。
「アル、ノルンを見ていてくれる?」
母さんに頼まれ、俺は頷いた。
「分かった」
ノルンは床に座り、近くに置かれた布のおもちゃを手に取っていた。
しばらくは大人しく遊んでいたが、やがて俺の鎧に興味を持ったらしい。
小さな手を伸ばし、金属部分をぺたぺたと触る。
「それは触っても面白くないぞ」
言っても、もちろん分かるはずがない。
ノルンは俺を見上げ、楽しそうに笑った。
……まあ、危なくないならいいか。
俺は鎧の留め具に手を伸ばさないよう気をつけながら、ノルンの相手を続けた。
そのうちアイシャも近づいてきて、二人で俺の周りを動き回り始めた。
こうなると、鍛錬とは別の意味で気が抜けない。
剣を振るよりも、妹たちが転ばないように見ている方が難しいかもしれない。
◇
シルフィエットとは、相変わらず距離があった。
俺が話しかけても、返事はほとんどない。
向こうから話しかけてくることもなくなった。
以前なら、ルーデウスと一緒にいるところを見かけることもあったが、今はその姿もない。
シルフィエットにとって、ルーデウスが遠くへ行ったことは大きな出来事なのだろう。
俺が事前に知っていたことを話さなかったのも、許せないのだと思う。
だが、俺は謝るつもりはなかった。
ルーデウスがボレアス家へ行くことは、彼自身の成長につながる。
俺が余計なことをして、その流れを変える必要はない。
シルフィエットにどう思われようと、そこは変えるつもりがなかった。
ただ、顔を合わせるたびに気まずい空気になるのは、少々面倒だった。
……まあ、これも自分で選んだ結果だ。
仕方がない。
◇
夜。
鍛錬を終えた俺は、自室で大剣の手入れをしていた。
刃に汚れがないか確認し、柄の状態を確かめる。
二ヶ月前に受け取った時と比べれば、少しは扱えるようになった。
今では構えた状態から、狙った場所へ振り下ろせる。
左右からの斬り下ろしも、ゆっくりなら形になってきた。
振り終わった後に姿勢を保ち、次の構えへ戻ることもできるようになった。
まだ連続して振るには重すぎるし、実戦で相手の動きに合わせて扱うには経験が足りない。
それでも、最初の頃のように持ち上げるだけで精いっぱいというわけではない。
少しずつ、身体が重さを覚えてきている。
闘気も同じだ。
まだ安定して使えるわけではないが、以前よりも感覚をつかめるようになった。
剣術も、魔術も、少しずつ進歩している。
大きな変化ではない。
誰かに自慢できるような成果でもない。
だが、こうした積み重ねが、いずれ自分の命を守ることにつながるはずだ。
俺は大剣を壁に立てかけた。
明日も鍛錬がある。
できれば、今日より少しでも上手く扱えるようになりたい。
そして、いつかはこの大剣を鎧と一緒に使いこなし、どんな危険な状況でも落ち着いて対処できるようになりたい。
……もちろん、危険な状況そのものには遭遇したくないが。
俺は鎧の手入れ道具を片付け、寝台に向かった。
明日もまた、いつもどおりの一日が始まる。