無職転生 ~愚弟の兄は全身鎧の剣士~ 作:鎧の剣士
転生してから、しばらくの時間が過ぎた。
俺、アルベルト・グレイラットは、今日も庭で剣を振っていた。
もちろん、鎧を着て。
……いや、別に毎日着る必要はないと思うんだよ。
でも、父さん――パウロが言うには、鎧を着た状態で体を動かすことに慣れておけば、いざというときに役立つらしい。
それはわかる。
わかるんだけどさ。
「はあ……暑い」
俺は剣を下ろし、兜の隙間から息を吐いた。
まだ朝だというのに、すでに汗をかいている。
鎧の中は蒸し暑いし、腕は重いし、足も疲れる。
これで敵と戦えと言われたら、俺は敵より先に暑さと戦うことになりそうだ。
……いや、鎧を着ている以上、そこから逃げるわけにもいかないんだけど。
俺は鎧を見下ろした。
見た目はいい。
本当にいい。
全身を金属で覆った剣士。
剣を構えれば、それだけで強そうに見える。
最高だ。
ただし、実際に着て動くと大変である。
人生とはままならないものだ。
「兄さん!」
そんなことを考えていると、ルーデウスがやってきた。
「おう、ルーデウス。どうした?」
「魔術の練習をしていたんですけど、少し休憩しようと思って」
「へえ。頑張ってるな」
「はい!」
ルーデウスは元気よく返事をした。
うんうん。
弟が努力するのはいいことだ。
俺も見習わなければならない。
……とはいえ、今は休憩したい。
俺は心の中で大きく頷いた。
よし。
俺も休憩しよう。
そう思って剣を片づけようとした、そのときだった。
「兄さんは、今日も剣術の鍛錬ですか?」
「まあな」
「毎日続けているなんて、すごいです」
「いや、別に……」
すごいというより、やめる理由がないだけだ。
それに、パウロに見つかったら、どうせ訓練させられる。
だったら最初からやっておいたほうが、後で面倒が少ない。
そういう、非常に合理的な理由である。
……合理的?
いや、単に怒られたくないだけだな。
「それで、ルーデウス。魔術って、そんなに便利なのか?」
「え?」
ルーデウスが首を傾げた。
俺は自分の鎧を指さした。
「例えば、こういう鎧の手入れとかさ。魔術で簡単にできたりしないのか?」
そう。
俺が最近、気になっていたこと。
それは魔術の利便性である。
この世界には魔術が存在する。
しかも、ルーデウスは幼いながらに魔術を使いこなしている。
だったら、何か便利な使い方があるのではないだろうか。
例えば、鎧についた汚れを落とす魔術。
汗で蒸れた鎧を冷やす魔術。
できれば、鎧を着たり脱いだりするのを手伝ってくれる魔術。
最後のはさすがに無理かもしれないが、夢を見るくらいは自由だろう。
「鎧の手入れ、ですか?」
「そうそう。汚れを落としたり、錆びないようにしたりさ。魔術でできたら便利だと思わないか?」
ルーデウスは少し考え込んだ。
「うーん……。水を使えば汚れは落とせますし、火を使えば乾かすこともできると思いますけど……」
「おお!」
できるのか!
さすが魔術。
文明の利器だ。
「ただ、錆びないようにするとなると、ちょっと工夫が必要かもしれません」
「なるほどなあ」
俺は感心した。
この世界の魔術、思ったより便利だ。
これなら鎧の手入れも、少しは楽になるかもしれない。
いや、待てよ。
水で洗って、火で乾かす。
つまり、ルーデウスに頼めば、鎧の手入れが楽になる可能性があるということだ。
これはいい。
弟の才能を活用する。
兄弟の助け合い。
素晴らしい。
「ルーデウス」
「はい?」
「今度、鎧の手入れを手伝ってくれないか?」
「……鎧の手入れを?」
「ああ。魔術を使えば、普通にやるより楽そうだし」
ルーデウスは、なぜか少し驚いた顔をした。
そして、俺の鎧をじっと見つめた。
「兄さんは……」
「ん?」
「剣術だけでなく、魔術との連携まで考えているんですね」
「……は?」
何を言っているんだ、こいつ。
いやいやいや。
違う違う。
俺はただ、鎧の手入れを楽にしたいだけだ。
魔術との連携とか、そんな格好いい話じゃない。
「剣士が魔術を使うことを考えるのは、悪くないと思うんだ」
俺はとりあえず、適当に答えた。
だって、否定したら話が長くなりそうだったから。
すると、ルーデウスは目を輝かせた。
「なるほど……! 剣術と魔術を別々に考えるのではなく、組み合わせて使うことも大切なんですね!」
……。
違うんだけどなあ。
俺は心の中で頭を抱えた。
どうしてこうなるんだ。
俺が「楽をしたい」と言うと、なぜか周囲には「深い戦術を考えている」と伝わってしまう。
いや、そもそも俺の言い方が悪いのか?
でも、毎回そこまで考えて話すのも面倒くさい。
……まあ、いいか。
ルーデウスがやる気になったなら、別に損はない。
俺はそう自分に言い聞かせた。
◇
その日の昼過ぎ。
俺は鎧を外し、庭の隅で休んでいた。
いやあ、鎧を脱ぐと涼しい。
人類の文明って素晴らしい。
いや、この場合は鎧を脱いだだけだけど。
俺がそんなことを考えていると、ルーデウスが水を持ってやってきた。
「兄さん、少し試してみてもいいですか?」
「何を?」
「鎧の汚れを落とす魔術です」
「おお、頼む!」
俺は即答した。
助かる。
これで鎧の手入れが少しでも楽になるなら、大歓迎だ。
ルーデウスは鎧の前に立ち、集中し始めた。
小さな水の塊が生まれ、鎧の表面へと流れていく。
水は金属の表面を滑り、泥や汗の跡を洗い流した。
「おおお……!」
思わず声が出た。
すごい。
普通に便利だ。
これなら布で何度も拭く手間が減る。
ルーデウスはさらに水を操り、鎧の細かい隙間に入り込んだ汚れまで洗い流していった。
……天才か?
いや、実際に天才なんだろうな。
原作知識がある俺としては、ルーデウスが優れた魔術師になることは知っている。
ただ、こうして目の前で見せられると、改めて感心する。
すごい才能だ。
俺も負けていられない。
……いや、別に魔術で勝負するつもりはないけど。
「兄さん、どうでしょう?」
「すごいぞ! めちゃくちゃ便利だ!」
俺が素直に褒めると、ルーデウスは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
うん。
いい弟を持ったものだ。
これからも、ぜひ鎧の手入れをお願いしたい。
俺は心の中で、そんなことを考えていた。
だが、そのとき。
「……兄さん」
「ん?」
「この魔術、戦闘でも使えると思いませんか?」
「戦闘?」
「はい。相手の動きを水で妨害したり、視界を遮ったり……。鎧の隙間に水を流し込むことも、理論上はできるかもしれません」
……。
おい。
なんか、物騒な話になってきたぞ。
俺は思わず自分の鎧を見た。
いや、待て。
それは困る。
鎧の隙間に水を流し込まれたら、普通に不快だ。
しかも、戦闘中にやられたら大変なことになる。
俺は慌てて首を振った。
「いやいや、そこまでしなくてもいいだろ。普通に汚れが落ちれば十分だ」
「……!」
ルーデウスが目を見開いた。
「そうか……!」
えっ。
何が?
「兄さんは、魔術の威力よりも実用性を重視しているんですね!」
「……え?」
「戦闘で使えるかどうかだけでなく、普段の生活で役立つかどうかも大切にしている……。確かに、魔術は戦いのためだけにあるわけじゃありませんからね!」
ルーデウスは、ひとりで納得したように頷いていた。
……。
いや、俺はただ、鎧の隙間に水が入ったら気持ち悪いと思っただけなんだが。
なんでそんなに感動しているんだ。
俺はもう、何も言わないことにした。
余計なことを言えば、さらに誤解が深まりそうな気がする。
沈黙は金。
鎧も金属。
つまり、俺は今、金属的な沈黙を守っているわけだ。
……何を言っているんだ、俺は。
◇
夕方。
パウロが庭にやってきた。
「おい、アルベルト。今日の訓練はどうだった?」
「えっと……いつも通り?」
「そうか。ルーデウスから話を聞いたぞ」
……ん?
俺は嫌な予感を覚えた。
「魔術を使った鎧の手入れについて、いろいろ考えていたそうだな」
ああ。
その話か。
「いや、考えていたというか、ただ便利そうだなって……」
「なるほど。剣術だけにこだわらず、ほかの技術も取り入れようとしているわけか」
「……まあ」
違う。
いや、違わないけど、違う。
俺は単に、楽をしたいだけなんだ。
だが、パウロは真剣な表情で頷いた。
「剣士だからといって、剣だけを考えていればいいわけじゃない。周囲の環境や、使える道具をどう活用するかも大切だ」
「……そうだね」
「お前はまだ幼いが、そういうことに気づけるのはいいことだ」
パウロは俺の肩を叩いた。
「よし。明日からは、剣術の訓練に加えて、鎧の手入れも自分でしっかりやるんだぞ!」
「……え?」
待って。
今、何て言った?
「魔術に頼りきりになるわけにはいかんからな。道具の扱いも、剣士にとって大切な技術だ」
いやいやいや。
俺は魔術に頼りきるなんて一言も言っていない。
そもそも、鎧の手入れを楽にしたかっただけだ。
なのに、どうして手入れの訓練が追加されるんだ。
俺は空を見上げた。
夕焼けがきれいだ。
世界はこんなにも美しいのに、俺の明日はどうしてこんなにも厳しいのだろう。
……いや、原因はだいたい俺なんだけどさ。
◇
その夜。
俺は自室で、鎧の手入れをしていた。
布で表面を拭き、汚れを落とし、細かい部分を確認する。
……面倒くさい。
いや、本当に面倒くさい。
でも、鎧は大切だ。
これから強くなるためにも、装備の手入れくらいは覚えておいたほうがいい。
それはわかっている。
わかっているんだけどさ。
誰か代わりにやってくれないかな。
ルーデウスに頼む?
いや、さすがに毎回頼るのは兄としてどうなんだ。
パウロに頼む?
もっと怒られそうだ。
……自分でやるしかないか。
俺はため息をつきながら、布を動かした。
そのとき、ふと気づいた。
鎧の表面に、細かな傷が増えている。
訓練で使っているのだから当然だ。
だが、これを放置しておけば、いつか大きな問題になるかもしれない。
剣も、鎧も、使えば傷つく。
だからこそ、手入れが必要なのだ。
……なるほどな。
俺は少しだけ、真面目な気持ちになった。
この世界で生きていく以上、強くなるだけでは足りない。
武器や防具を扱う知識も必要だし、危険を避ける工夫も必要だ。
前世の知識があるからといって、何でもうまくいくわけじゃない。
むしろ、知っているからこそ、油断してはいけないのかもしれない。
……うん。
今日は、ちょっといいことを考えた気がする。
俺は満足げに頷いた。
よし。
明日からも頑張ろう。
できるだけ楽に。
できるだけ安全に。
そして、できるだけかっこよく。
それが俺の目標だ。
……まあ、明日の訓練が増えたことだけは、どうしても納得できないけど。