無職転生 ~愚弟の兄は全身鎧の剣士~   作:鎧の剣士

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第5話 兄は魔術を覚えたくない

朝。

 

 俺は目を覚ました瞬間、昨日のパウロの言葉を思い出した。

 

『明日は剣術と魔術、それぞれの使い道について考えてみよう!』

 

 ……嫌な予感しかしない。

 

 そもそも、俺は魔術を覚えたいなんて一言も言っていない。

 

 ルーデウスの魔術を見せてもらって、便利そうだと思っただけだ。

 

 鎧の手入れに使えたら楽だな、と。

 

 それだけである。

 

 なのに、どうして剣術と魔術の連携なんて話になっているんだ?

 

 俺は布団の中で寝返りを打った。

 

 このまま寝たふりをしていれば、訓練が始まる時間を過ぎるかもしれない。

 

 いや、無理だろう。

 

 パウロはこういうとき、容赦なく起こしに来る。

 

 そして、寝坊した分の訓練が増える可能性すらある。

 

 ……起きるか。

 

 仕方なく体を起こした俺は、ため息をつきながら鎧に手を伸ばした。

 

 今日も一日が始まってしまう。

 

     ◇

 

「よし、二人とも集まったな!」

 

 家の外に出ると、パウロが待っていた。

 

 その隣には、すでに準備を終えたルーデウスがいる。

 

 やる気満々だ。

 

 眩しい。

 

 朝からあんなに元気なのは、どういう仕組みなのだろう。

 

「今日は少し趣向を変えるぞ」

 

 パウロは木剣を肩に担ぎながら言った。

 

「アルベルトは剣術、ルーデウスは魔術。それぞれ得意なものがある。だが、自分の得意分野だけにこだわる必要はない」

 

 ……ほら、始まった。

 

「剣士だから剣だけ、魔術師だから魔術だけ。それでは対応できない状況もある。状況に応じて、いろいろな手段を考えられるようになることが大切だ」

 

 パウロの話はもっともだった。

 

 もっともだったが、俺としては耳が痛い。

 

 いろいろな手段を覚えれば、それだけ訓練が増える。

 

 できれば、今の剣術だけで勘弁してほしい。

 

「まずはルーデウス。魔術を使うとき、相手が近づいてきたらどうする?」

 

「距離を取るか、相手の動きを止める方法を考えると思います」

 

「そうだな。では、アルベルト。相手が魔術を使ってきたら、どうする?」

 

「……避ける?」

 

「それも一つだ。だが、避けられない場合は?」

 

 知らん。

 

 そんな状況にならないことを祈る。

 

 俺は剣士だ。

 

 魔術師と戦うことになったら、まずは逃げ道を探す。

 

 それでも駄目なら、鎧を信じて耐える。

 

 いや、耐えられる保証なんてないのだが。

 

「相手との距離や状況によって、対応は変わるだろうな」

 

 俺は無難な答えを返した。

 

「そうだ。その通りだ!」

 

 パウロが大きくうなずいた。

 

 ……え?

 

 今ので正解なの?

 

「一つの方法に固執せず、状況に合わせて判断する。簡単なようで、実際には難しいことだ」

 

 パウロは満足そうに笑った。

 

 俺はただ、余計なことを言いたくなかっただけなのだが。

 

 どうやら今日も、何かを深読みされているらしい。

 

     ◇

 

「では、実際にやってみよう!」

 

 パウロが木剣を構えた。

 

「アルベルトは剣を構えろ。ルーデウスは少し離れた場所から、できる範囲で魔術を使ってみろ」

 

「はい!」

 

 ルーデウスが元気よく返事をした。

 

 俺は木剣を構えながら、心の中で叫んだ。

 

 待ってくれ。

 

 俺、そんなこと聞いてない。

 

 魔術を使う弟と戦う訓練なんて、いつ決まったんだ。

 

「兄さん、よろしくね!」

 

「……おう」

 

 ルーデウスは真剣な表情で両手を構えた。

 

 俺も木剣を握り直す。

 

 相手は弟だ。

 

 まだ幼いし、本格的な戦闘になるわけでもない。

 

 それでも、魔術という未知の手段を相手にするのは少し怖い。

 

 痛いのは嫌だ。

 

 怪我も嫌だ。

 

 できることなら、穏便に終わらせたい。

 

「始め!」

 

 パウロの声が響いた。

 

「えいっ!」

 

 ルーデウスの手元に水が生まれた。

 

 水の球がこちらへ飛んでくる。

 

 俺は反射的に横へ動いた。

 

 水の球は地面に落ち、ぱしゃりと弾ける。

 

 ……危なかった。

 

 いや、別に危なくはない。

 

 当たっても水だ。

 

 ただ、鎧の中に水が入ったら気持ち悪い。

 

 それだけだ。

 

「なるほど!」

 

 パウロが声を上げた。

 

「アルベルト、よく見て動いたな!」

 

 いや、濡れたくなかっただけです。

 

 続けて、ルーデウスが水を放つ。

 

 俺は再び横へ避けた。

 

 今度は少し早めに動いたため、余裕を持ってかわすことができた。

 

 ……よし。

 

 この調子で全部避けよう。

 

 攻撃なんてしなくてもいい。

 

 当たらなければ、それで十分だ。

 

「兄さん、すごい……!」

 

 ルーデウスが目を輝かせた。

 

 何がすごいんだ。

 

 俺はただ濡れたくないだけだぞ。

 

「アルベルト、相手の動きをよく見ているな。無理に攻めず、確実に避けることを優先している」

 

 パウロまで感心している。

 

 いや、攻めたら反撃されるかもしれないだろ。

 

 そんな危険を冒す理由がない。

 

 俺は安全第一なのだ。

 

     ◇

 

 何度か水の球を避けたところで、パウロが手を上げた。

 

「そこまで!」

 

 助かった。

 

 俺はすぐに木剣を下ろした。

 

 これ以上続けたら、いつか水をかぶることになりそうだ。

 

 鎧の中まで濡れたら、着替えるのも乾かすのも面倒になる。

 

 そうなる前に終わってくれてよかった。

 

「アルベルト。今の訓練で何を感じた?」

 

 パウロが尋ねてきた。

 

 何を感じたか。

 

 そうだな。

 

 水魔術は便利だが、濡れると面倒。

 

 以上。

 

 ……いや、さすがにそれを言うわけにはいかない。

 

「相手の動きをよく見て、無理に近づかないことが大切だと思った」

 

 実際、そう思った。

 

 近づかなければ、少なくとも木剣で叩かれる心配は減る。

 

 距離を保つことは大切だ。

 

「そうだな。相手の得意な距離に不用意に入らない。それは重要だ」

 

 パウロがうなずいた。

 

「ルーデウスも、相手が避けることを前提に狙いを考える必要がある。魔術を当てることだけでなく、相手がどう動くかを考えるんだ」

 

「はい!」

 

 ルーデウスは真剣に返事をした。

 

 どうやら、二人とも得るものがあったらしい。

 

 よかった。

 

 俺はもう帰って休みたい。

 

 しかし、パウロは木剣を持ち直した。

 

「よし、次は役割を交代してみよう」

 

 ……は?

 

「ルーデウスはそのまま魔術。アルベルトは、避けるだけじゃなく、どうすれば相手に近づけるかを考えてみろ」

 

 聞いてない。

 

 さっきまで避けていればよかったのに、どうして急に攻めなければならないんだ。

 

 俺は木剣を握りしめた。

 

 逃げたい。

 

 でも、逃げたら訓練が増えるかもしれない。

 

 それはもっと嫌だ。

 

「……わかった」

 

 俺は渋々うなずいた。

 

 こうして、訓練は続くことになった。

 

     ◇

 

 次の訓練では、俺は少しずつ距離を詰めることを意識した。

 

 もちろん、無理はしない。

 

 水が飛んできたら避ける。

 

 危なそうなら、一度下がる。

 

 相手の動きが止まったときに、少しだけ前へ出る。

 

 それを繰り返した。

 

 派手な動きはない。

 

 格好いい必殺技もない。

 

 ただ、相手の様子を見ながら、危なくない範囲で近づいていくだけだ。

 

 ……これ、いつ終わるんだろう。

 

 俺はそんなことを考えながら、また一歩前へ出た。

 

「そこだ!」

 

 パウロの声が飛ぶ。

 

 俺は反射的に木剣を振った。

 

 ルーデウスの手元に届く前に、パウロが間に入って止めた。

 

「よし、そこまで!」

 

 ようやく終わった。

 

 俺は心の底から安堵した。

 

 汗がひどい。

 

 鎧も重い。

 

 もう何もしたくない。

 

「兄さん、すごかったよ!」

 

 ルーデウスが駆け寄ってきた。

 

「相手の動きを見ながら、無理せず距離を詰めていた。あれなら、魔術を使う相手にも対応できるんだね」

 

「いや、まあ……」

 

 俺は曖昧に返事をした。

 

 実際には、濡れたくないし、叩かれたくないし、早く終わらせたかっただけだ。

 

 しかし、ルーデウスは何かを学んだ様子だった。

 

「僕も、もっと練習するよ。魔術を当てるだけじゃなくて、相手の動きも考えないとね」

 

 うん。

 

 頑張ってくれ。

 

 俺は心の中で弟を応援した。

 

 できれば、その練習に俺を巻き込まないでほしい。

 

     ◇

 

 訓練の後、俺は家に戻って鎧を脱いだ。

 

 全身にまとわりつく熱気が、一気に逃げていく。

 

 ああ、生き返る。

 

 鎧を着ているときは、あれほど格好いいのに。

 

 脱いだ瞬間、ただの重たい金属の塊になる。

 

 いや、そこがいいのかもしれない。

 

 普段は面倒でも、身につけたときの格好よさは変わらない。

 

 ……俺は何を考えているんだ。

 

 疲れているせいだろう。

 

 俺は鎧を手入れするための布を手に取った。

 

 今日は水をかぶらずに済んだ。

 

 それだけでも幸運だ。

 

 水魔術を覚えれば便利なのかもしれないが、覚えるまでにどれだけ訓練が必要なのだろう。

 

 考えるだけで気が重い。

 

 そもそも、俺は剣士になりたいのだ。

 

 魔術師になりたいわけではない。

 

 剣術を鍛えて、鎧を着て、できるだけ安全に強くなる。

 

 それが俺の目標だ。

 

 余計なことに手を広げて、毎日忙しくなるのは避けたい。

 

「アルベルト、少しいいか?」

 

 鎧を拭いていると、パウロがやってきた。

 

 ……嫌な予感がする。

 

「何?」

 

「今日の訓練だが、お前はなかなかいい動きをしていたぞ」

 

「ありがとう」

 

「相手の攻撃を避けるだけでなく、状況を見て距離を詰めていた。あれは大切なことだ」

 

 パウロは満足そうにうなずいた。

 

「これからは、剣術だけでなく、ほかの相手と戦うことも想定して訓練していこう」

 

 ……え?

 

 ほかの相手?

 

「魔術師だけじゃない。槍を使う相手や、体格の大きな相手もいる。どんな相手にも対応できるようになっておいた方がいい」

 

 それは、確かに正しい。

 

 正しいのだが。

 

 つまり、訓練が増えるということではないだろうか。

 

「……わかった」

 

 俺は小さくうなずいた。

 

 断る理由を考えるより、さっさと返事をした方が話が早い。

 

 どうせ、いずれは必要になるのだろう。

 

 だったら、今のうちに少しずつ覚えておいた方がいい。

 

 ……まあ、ほどほどにしてほしいけど。

 

     ◇

 

 その日の夜。

 

 俺は夕食を食べながら、今日の訓練について考えていた。

 

 パウロは、俺がいろいろな相手を想定して動いていると思っている。

 

 ルーデウスは、俺の動きから魔術師との戦い方を学ぼうとしている。

 

 だが、実際のところ、俺はただ濡れたくなかっただけだ。

 

 そして、できるだけ早く訓練を終わらせたかった。

 

 ……このままでは、何をするにも深い意味があると思われてしまう。

 

 いや、別に困らないか。

 

 実際に強くなれるのなら、勘違いされていても悪い話ではない。

 

 ただし、訓練が増えすぎるのは困る。

 

 俺は食事を終え、ゼニスに礼を言った。

 

「ごちそうさま」

 

「はい。今日もよく頑張ったわね、アルベルト」

 

「うん。ちょっと疲れた」

 

「明日は無理をしすぎないようにね」

 

 ゼニスの言葉に、俺は心の中で深くうなずいた。

 

 そうだ。

 

 無理はよくない。

 

 安全第一。

 

 ほどほどに努力。

 

 そして、できれば楽をする。

 

 それが俺の生き方だ。

 

 ……明日も訓練があるけど。

 

 俺は小さくため息をついた。

 

 どうやら、楽な生活への道のりは、まだまだ遠いらしい。

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