無職転生 ~愚弟の兄は全身鎧の剣士~ 作:鎧の剣士
朝。
俺は目を覚ました瞬間、昨日のパウロの言葉を思い出した。
『明日は剣術と魔術、それぞれの使い道について考えてみよう!』
……嫌な予感しかしない。
そもそも、俺は魔術を覚えたいなんて一言も言っていない。
ルーデウスの魔術を見せてもらって、便利そうだと思っただけだ。
鎧の手入れに使えたら楽だな、と。
それだけである。
なのに、どうして剣術と魔術の連携なんて話になっているんだ?
俺は布団の中で寝返りを打った。
このまま寝たふりをしていれば、訓練が始まる時間を過ぎるかもしれない。
いや、無理だろう。
パウロはこういうとき、容赦なく起こしに来る。
そして、寝坊した分の訓練が増える可能性すらある。
……起きるか。
仕方なく体を起こした俺は、ため息をつきながら鎧に手を伸ばした。
今日も一日が始まってしまう。
◇
「よし、二人とも集まったな!」
家の外に出ると、パウロが待っていた。
その隣には、すでに準備を終えたルーデウスがいる。
やる気満々だ。
眩しい。
朝からあんなに元気なのは、どういう仕組みなのだろう。
「今日は少し趣向を変えるぞ」
パウロは木剣を肩に担ぎながら言った。
「アルベルトは剣術、ルーデウスは魔術。それぞれ得意なものがある。だが、自分の得意分野だけにこだわる必要はない」
……ほら、始まった。
「剣士だから剣だけ、魔術師だから魔術だけ。それでは対応できない状況もある。状況に応じて、いろいろな手段を考えられるようになることが大切だ」
パウロの話はもっともだった。
もっともだったが、俺としては耳が痛い。
いろいろな手段を覚えれば、それだけ訓練が増える。
できれば、今の剣術だけで勘弁してほしい。
「まずはルーデウス。魔術を使うとき、相手が近づいてきたらどうする?」
「距離を取るか、相手の動きを止める方法を考えると思います」
「そうだな。では、アルベルト。相手が魔術を使ってきたら、どうする?」
「……避ける?」
「それも一つだ。だが、避けられない場合は?」
知らん。
そんな状況にならないことを祈る。
俺は剣士だ。
魔術師と戦うことになったら、まずは逃げ道を探す。
それでも駄目なら、鎧を信じて耐える。
いや、耐えられる保証なんてないのだが。
「相手との距離や状況によって、対応は変わるだろうな」
俺は無難な答えを返した。
「そうだ。その通りだ!」
パウロが大きくうなずいた。
……え?
今ので正解なの?
「一つの方法に固執せず、状況に合わせて判断する。簡単なようで、実際には難しいことだ」
パウロは満足そうに笑った。
俺はただ、余計なことを言いたくなかっただけなのだが。
どうやら今日も、何かを深読みされているらしい。
◇
「では、実際にやってみよう!」
パウロが木剣を構えた。
「アルベルトは剣を構えろ。ルーデウスは少し離れた場所から、できる範囲で魔術を使ってみろ」
「はい!」
ルーデウスが元気よく返事をした。
俺は木剣を構えながら、心の中で叫んだ。
待ってくれ。
俺、そんなこと聞いてない。
魔術を使う弟と戦う訓練なんて、いつ決まったんだ。
「兄さん、よろしくね!」
「……おう」
ルーデウスは真剣な表情で両手を構えた。
俺も木剣を握り直す。
相手は弟だ。
まだ幼いし、本格的な戦闘になるわけでもない。
それでも、魔術という未知の手段を相手にするのは少し怖い。
痛いのは嫌だ。
怪我も嫌だ。
できることなら、穏便に終わらせたい。
「始め!」
パウロの声が響いた。
「えいっ!」
ルーデウスの手元に水が生まれた。
水の球がこちらへ飛んでくる。
俺は反射的に横へ動いた。
水の球は地面に落ち、ぱしゃりと弾ける。
……危なかった。
いや、別に危なくはない。
当たっても水だ。
ただ、鎧の中に水が入ったら気持ち悪い。
それだけだ。
「なるほど!」
パウロが声を上げた。
「アルベルト、よく見て動いたな!」
いや、濡れたくなかっただけです。
続けて、ルーデウスが水を放つ。
俺は再び横へ避けた。
今度は少し早めに動いたため、余裕を持ってかわすことができた。
……よし。
この調子で全部避けよう。
攻撃なんてしなくてもいい。
当たらなければ、それで十分だ。
「兄さん、すごい……!」
ルーデウスが目を輝かせた。
何がすごいんだ。
俺はただ濡れたくないだけだぞ。
「アルベルト、相手の動きをよく見ているな。無理に攻めず、確実に避けることを優先している」
パウロまで感心している。
いや、攻めたら反撃されるかもしれないだろ。
そんな危険を冒す理由がない。
俺は安全第一なのだ。
◇
何度か水の球を避けたところで、パウロが手を上げた。
「そこまで!」
助かった。
俺はすぐに木剣を下ろした。
これ以上続けたら、いつか水をかぶることになりそうだ。
鎧の中まで濡れたら、着替えるのも乾かすのも面倒になる。
そうなる前に終わってくれてよかった。
「アルベルト。今の訓練で何を感じた?」
パウロが尋ねてきた。
何を感じたか。
そうだな。
水魔術は便利だが、濡れると面倒。
以上。
……いや、さすがにそれを言うわけにはいかない。
「相手の動きをよく見て、無理に近づかないことが大切だと思った」
実際、そう思った。
近づかなければ、少なくとも木剣で叩かれる心配は減る。
距離を保つことは大切だ。
「そうだな。相手の得意な距離に不用意に入らない。それは重要だ」
パウロがうなずいた。
「ルーデウスも、相手が避けることを前提に狙いを考える必要がある。魔術を当てることだけでなく、相手がどう動くかを考えるんだ」
「はい!」
ルーデウスは真剣に返事をした。
どうやら、二人とも得るものがあったらしい。
よかった。
俺はもう帰って休みたい。
しかし、パウロは木剣を持ち直した。
「よし、次は役割を交代してみよう」
……は?
「ルーデウスはそのまま魔術。アルベルトは、避けるだけじゃなく、どうすれば相手に近づけるかを考えてみろ」
聞いてない。
さっきまで避けていればよかったのに、どうして急に攻めなければならないんだ。
俺は木剣を握りしめた。
逃げたい。
でも、逃げたら訓練が増えるかもしれない。
それはもっと嫌だ。
「……わかった」
俺は渋々うなずいた。
こうして、訓練は続くことになった。
◇
次の訓練では、俺は少しずつ距離を詰めることを意識した。
もちろん、無理はしない。
水が飛んできたら避ける。
危なそうなら、一度下がる。
相手の動きが止まったときに、少しだけ前へ出る。
それを繰り返した。
派手な動きはない。
格好いい必殺技もない。
ただ、相手の様子を見ながら、危なくない範囲で近づいていくだけだ。
……これ、いつ終わるんだろう。
俺はそんなことを考えながら、また一歩前へ出た。
「そこだ!」
パウロの声が飛ぶ。
俺は反射的に木剣を振った。
ルーデウスの手元に届く前に、パウロが間に入って止めた。
「よし、そこまで!」
ようやく終わった。
俺は心の底から安堵した。
汗がひどい。
鎧も重い。
もう何もしたくない。
「兄さん、すごかったよ!」
ルーデウスが駆け寄ってきた。
「相手の動きを見ながら、無理せず距離を詰めていた。あれなら、魔術を使う相手にも対応できるんだね」
「いや、まあ……」
俺は曖昧に返事をした。
実際には、濡れたくないし、叩かれたくないし、早く終わらせたかっただけだ。
しかし、ルーデウスは何かを学んだ様子だった。
「僕も、もっと練習するよ。魔術を当てるだけじゃなくて、相手の動きも考えないとね」
うん。
頑張ってくれ。
俺は心の中で弟を応援した。
できれば、その練習に俺を巻き込まないでほしい。
◇
訓練の後、俺は家に戻って鎧を脱いだ。
全身にまとわりつく熱気が、一気に逃げていく。
ああ、生き返る。
鎧を着ているときは、あれほど格好いいのに。
脱いだ瞬間、ただの重たい金属の塊になる。
いや、そこがいいのかもしれない。
普段は面倒でも、身につけたときの格好よさは変わらない。
……俺は何を考えているんだ。
疲れているせいだろう。
俺は鎧を手入れするための布を手に取った。
今日は水をかぶらずに済んだ。
それだけでも幸運だ。
水魔術を覚えれば便利なのかもしれないが、覚えるまでにどれだけ訓練が必要なのだろう。
考えるだけで気が重い。
そもそも、俺は剣士になりたいのだ。
魔術師になりたいわけではない。
剣術を鍛えて、鎧を着て、できるだけ安全に強くなる。
それが俺の目標だ。
余計なことに手を広げて、毎日忙しくなるのは避けたい。
「アルベルト、少しいいか?」
鎧を拭いていると、パウロがやってきた。
……嫌な予感がする。
「何?」
「今日の訓練だが、お前はなかなかいい動きをしていたぞ」
「ありがとう」
「相手の攻撃を避けるだけでなく、状況を見て距離を詰めていた。あれは大切なことだ」
パウロは満足そうにうなずいた。
「これからは、剣術だけでなく、ほかの相手と戦うことも想定して訓練していこう」
……え?
ほかの相手?
「魔術師だけじゃない。槍を使う相手や、体格の大きな相手もいる。どんな相手にも対応できるようになっておいた方がいい」
それは、確かに正しい。
正しいのだが。
つまり、訓練が増えるということではないだろうか。
「……わかった」
俺は小さくうなずいた。
断る理由を考えるより、さっさと返事をした方が話が早い。
どうせ、いずれは必要になるのだろう。
だったら、今のうちに少しずつ覚えておいた方がいい。
……まあ、ほどほどにしてほしいけど。
◇
その日の夜。
俺は夕食を食べながら、今日の訓練について考えていた。
パウロは、俺がいろいろな相手を想定して動いていると思っている。
ルーデウスは、俺の動きから魔術師との戦い方を学ぼうとしている。
だが、実際のところ、俺はただ濡れたくなかっただけだ。
そして、できるだけ早く訓練を終わらせたかった。
……このままでは、何をするにも深い意味があると思われてしまう。
いや、別に困らないか。
実際に強くなれるのなら、勘違いされていても悪い話ではない。
ただし、訓練が増えすぎるのは困る。
俺は食事を終え、ゼニスに礼を言った。
「ごちそうさま」
「はい。今日もよく頑張ったわね、アルベルト」
「うん。ちょっと疲れた」
「明日は無理をしすぎないようにね」
ゼニスの言葉に、俺は心の中で深くうなずいた。
そうだ。
無理はよくない。
安全第一。
ほどほどに努力。
そして、できれば楽をする。
それが俺の生き方だ。
……明日も訓練があるけど。
俺は小さくため息をついた。
どうやら、楽な生活への道のりは、まだまだ遠いらしい。