無職転生 ~愚弟の兄は全身鎧の剣士~ 作:鎧の剣士
「今日は、アルから仕掛けてみろ」
朝の庭で、パウロが稽古棒を構えた。
俺は木剣を握ったまま、父さんを見上げる。
「仕掛ける、ですか?」
「そうだ。相手の攻撃を待つだけじゃなく、自分から動いて相手の反応を引き出すんだ。剣を振るだけが攻めじゃないからな」
なるほど。
昨日は槍を想定した相手に、どう対処するかを学んだ。
今日は、こちらから相手を動かす練習らしい。
……できれば、相手が勝手に隙を見せてくれるのが理想なのだが。
そう都合よくはいかないから、こうして練習しているのだろう。
俺は木剣を構えた。
「お願いします」
「おう、来い!」
パウロが待ち構える。
俺はすぐには斬りかからなかった。
真正面から攻めても、父さんに簡単に止められるだけだ。かといって、何もせずにいれば怒られる。
つまり、何かをしているように見せながら、できるだけ危険を避けたい。
……いや、ちゃんと練習しよう。
俺は一歩、前に出た。
パウロの視線がこちらに向く。
もう一歩進もうとすると、稽古棒の先端がわずかに動いた。
俺は足を止める。
「ほう」
パウロが頷いた。
「相手の反応を見ているのか?」
「はい」
嘘ではない。
危なそうだったから止まったのだが、そのときの相手の反応を見たのも事実だ。
「いいぞ。相手がどう動くかを確かめるのも、攻めの一つだ。無闇に突っ込む必要はない」
おお。
どうやら、今のところは正解らしい。
無闇に突っ込まなくていい。
なんと素晴らしい言葉だろう。
俺はこの方針を大切にしていきたい。
◇
「もう一度だ。今度は、相手の反応を利用してみろ!」
パウロの声に、俺は内心でため息をついた。
反応を利用する。
言葉にするのは簡単だが、実際にやるとなると難しい。
とりあえず、俺は木剣を前に出し、攻撃するように見せた。
パウロの稽古棒がこちらを向く。
その瞬間、俺は踏み込もうとした。
だが、パウロは一歩下がった。
木剣は空を切る。
「惜しいな」
父さんが笑う。
いや、惜しいのだろうか。
相手の反応を引き出すところまでは成功した気がするのだが。
「今のは、相手を動かすことだけで満足してしまったな」
パウロが続けた。
「相手が動いたあと、自分が何をするのか。それを考えておかなきゃいけない」
俺は木剣を構え直した。
確かに、相手を動かしたところで、こちらが何もできなければ意味がない。
相手の反応を見てから考えていては、間に合わないこともある。
つまり、仕掛ける前に、その先まで考えておく必要があるわけだ。
……面倒くさい。
だが、理屈は分かる。
相手が右に動いたらどうするのか。
後ろに下がったらどうするのか。
攻撃を止めて反撃してきたらどうするのか。
考えることが多すぎる。
俺は剣術を習い始めたことを、ほんの少しだけ後悔した。
いや、鎧を着て格好よく戦うという夢を諦めるわけにはいかない。
ここは耐えるしかないだろう。
「もう一度、やってみます」
「おう!」
俺は再びパウロに向かっていった。
◇
その後も、何度か同じ練習を繰り返した。
相手を誘おうとすれば、こちらの動きが不自然になる。
自然に攻撃しようとすれば、相手の反応を利用する余裕がなくなる。
うまくいったと思っても、パウロは簡単に対応してくる。
当然だ。父さんは俺よりずっと経験豊富なのだから。
それでも、失敗を繰り返すうちに、一つだけ分かったことがある。
相手を思いどおりに動かすことは難しい。
ならば、相手がどう動いても対応できるように、あらかじめ選択肢を用意しておけばいいのではないか。
もちろん、すべての状況に備えることなどできない。
それでも、何も考えずに攻めるよりはマシだろう。
俺は次の動きを考えながら、木剣を構え直した。
「よし、今日はここまでだ!」
その声を聞いた瞬間、俺の肩から力が抜けた。
助かった。
「今日は、相手の反応を引き出すことを考えられていたな。まだ、その先の攻めにつなげるのは難しいが、焦る必要はない」
「はい。ありがとうございました」
「こういう技術は、何度も繰り返して身につけるものだ。これからも頑張れよ」
……何度も繰り返す。
できれば、あまり繰り返したくない言葉である。
とはいえ、今日の練習は無駄ではなかった。
相手を動かすことと、その動きを利用することは別物だ。
それだけでも覚えておけば、いつか役に立つだろう。
俺は木剣を片づけ、家へ戻った。
◇
昼食の席では、パウロが今日の訓練について話していた。
「アルは、自分から仕掛ける練習を始めたんだ。まだうまく攻めにつなげられないが、考え方は悪くない」
「そうなのね。頑張っているのね、アル」
ゼニスが微笑む。
「まあ、まだまだだよ」
俺はそう答えて、食事を続けた。
向かいに座るルーデウスは、何やら考え込んでいる。
「兄さん。相手の反応を引き出すって、魔術でもできるのかな?」
「さあな。相手がどう動くかによるんじゃないか?」
俺は深く考えずに答えた。
魔術については、ルーデウスのほうが詳しい。
俺が口を出したところで、たいした助言にはならないだろう。
「例えば、相手が避けたくなる場所に魔術を撃てば、動く方向をある程度は誘導できるかもしれない……」
ルーデウスは小さく呟いた。
……おお。
何やら、自分で答えを見つけ始めたようだ。
俺は魔術を使えないので、その考えがどれほど実用的なのかは分からない。
ただ、自分で工夫しようとするのはいいことだろう。
そして、弟が魔術を極めてくれれば、俺も便利な魔術を教えてもらえるかもしれない。
鎧の汚れを落とす魔術は、すでに使ってもらっている。
次は、鎧の中を涼しくする魔術などどうだろうか。
汗をかく量が減れば、手入れも少しは楽になるはずだ。
……いや、そもそも鎧を着て訓練しなければいいという話ではない。
それでは俺の夢が台無しになってしまう。
「そういえば、ルディの魔術もずいぶん上達したわね」
ゼニスが言った。
「ああ。独学であれだけ使えるのは大したものだ」
パウロも頷いた。
「だが、これからもっと学ぶなら、きちんと教えてくれる先生がいたほうがいいかもしれんな」
「先生?」
ルーデウスが顔を上げる。
「ああ。家庭教師を探してみるのもいいかもしれないな」
家庭教師。
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭に一人の人物が浮かんだ。
……ああ、そうか。
ルーデウスの家庭教師といえば、ロキシーだ。
青い髪の魔族で、水聖級魔術師。
前世で知っていた物語では、ルーデウスに魔術を教える師匠となる人物だった。
もちろん、この世界で実際に会ったことはない。
前世の知識が、今後もそのまま通用する保証だってない。
それでも、家庭教師を雇うという話が出たのなら、彼女がやって来る可能性は十分にあるだろう。
……ついに会うことになるのか。
いや、待て。
ロキシーが来るということは、ルーデウスの魔術がさらに伸びるかもしれないということだ。
弟が強くなるのはいいことだ。
将来、何か危険なことが起きたときにも、頼りになるかもしれない。
問題は、俺まで魔術を習うよう勧められる可能性だ。
剣術だけでも毎日訓練しているのに、これ以上やることを増やされたら困る。
俺は剣士になりたいのであって、何でもできる万能人間を目指しているわけではない。
……ただ、治癒魔術くらいなら、覚えておいても損はないのかもしれない。
母さんが治癒魔術を使うところは、これまでにも何度か見ている。
怪我を治せるというのは、素直に便利だと思う。
だが、習得するとなれば話は別だ。
魔術を覚えるための時間と手間を考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。
怪我をしたら母さんに治してもらえばいい。
今のところ、それで困っていないのだから。
……まあ、将来、自分で治せたほうが楽だと思う日が来るかもしれないが。
「兄さん?」
ルーデウスの声で、俺は我に返った。
「どうしたの? 難しい顔をしてたけど」
「いや。家庭教師が来るなら、ルディも忙しくなるだろうと思ってな」
「うん! もっと魔術を覚えられるかもしれない!」
ルーデウスは嬉しそうに頷いた。
その様子を見て、俺も小さく頷く。
まあ、いいことではある。
ロキシーが来るなら、原作どおりに進む部分もあるだろうし、俺の知らない展開になる部分もあるだろう。
だったら、余計なことをせず、まずは様子を見るのが一番だ。
安全第一。
面倒ごとはできるだけ回避。
そして、可能なら楽をする。
それが俺の生き方である。
◇
昼食のあと、俺はいつものように鎧の手入れをした。
今日の訓練を思い返すと、まだまだ課題は多い。
相手の反応を引き出すこと。
そして、その反応を利用して攻めること。
簡単には身につかないだろうが、少しずつ練習していくしかない。
俺は鎧の表面を布で拭き、傷や汚れがないことを確かめた。
剣術を鍛え、鎧を着て、できるだけ安全に戦う。
そのために必要な努力なら、するつもりだ。
ただし、必要以上の努力はしたくない。
魔術だって、便利なものなら興味はある。
怪我を自分で治せるようになれば、治療を頼む手間も省けるかもしれない。
だが、それは今すぐ覚えなければならないものでもない。
まずは剣術だ。
それから、必要になったら考えよう。
俺は鎧を片づけ、明日の予定に思いを巡らせた。
……できれば、明日は訓練が軽めでありますように。
まあ、父さんの性格を考えると、あまり期待はできないのだが。