無職転生 ~愚弟の兄は全身鎧の剣士~   作:鎧の剣士

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第9話 兄は弟の授業を見学する

朝の鍛錬を終えるころには、俺はすっかり疲れていた。

 

 原因は分かっている。

 

 パウロだ。

 

「今の動き、もう一度やってみろ」

 

「はい」

 

 俺は木剣を構え直した。

 

 鎧を着た状態で剣を振り、動きの癖を修正する。言われたことを意識して繰り返すうちに、最初は気づかなかった細かな違いが見えてくる。

 

 剣を振り下ろすときの肩の位置。踏み込んだときの足の向き。振り終えたあとの重心。

 

 どれも少し意識するだけで、動きやすさが変わった。

 

「そうだ。その感覚を忘れるな」

 

 パウロが頷いた。

 

「今の動きを、あと百回だ」

 

 ……増えた。

 

 いや、待て。

 

 俺は今、動きを改善した。改善した結果、同じ動作を楽にできるようになった。つまり、俺の努力は確実に成果を上げている。

 

 なのに、なぜ成果を上げるたびに仕事が増えるのだろう。

 

 世の中の労働環境は、五歳児の剣術訓練にまで同じ問題を抱えているらしい。

 

「どうした?」

 

「いえ。勉強になります」

 

「ははは、いい心がけだ!」

 

 違う。

 

 俺は心がけを褒めてほしいのではない。そろそろ休憩を褒めてほしい。

 

 しかし、ここで疲れた顔を見せれば、体力がついたと思われてさらに鍛錬を増やされる可能性がある。

 

 俺は表情を変えず、木剣を構えた。

 

「次をお願いします」

 

「よし、気合が入っているな!」

 

 違うんだ、父さん。

 

 これは気合ではない。追加訓練を避けるための防衛本能だ。

 

 だが、説明するのも面倒なので、俺は黙って剣を振った。

 

 ◇

 

 午後。

 

 俺はルーデウスの魔術の授業を見学していた。

 

 もちろん、魔術を学ぶためではない。

 

 弟がどんなことを教わっているのか、少し気になっただけだ。

 

 それに、今後何かと魔術を頼る機会があるかもしれない。どんなことができて、何ができないのかを知っておくのは損ではない。

 

 決して、自分も魔術を覚えたくなったわけではない。

 

 ……本当に、少し見学するだけだ。

 

「アルベルトさんも、授業に興味があるのですか?」

 

 ロキシーが俺に尋ねた。

 

「弟が何を学んでいるのか、気になっただけです」

 

「なるほど。ご家族の勉強を見守るのも大切なことですね」

 

 ロキシーは納得した様子で頷いた。

 

 違う。

 

 俺が気にしているのは、弟の成績よりも、将来的に魔術をどこまで便利に使えるかという点だ。

 

 とはいえ、そんなことを正直に言う必要もない。

 

 俺は大人しく部屋の隅に座った。

 

「では、ルーデウス。前に使った魔術を、もう一度見せてください」

 

「はい!」

 

 ルーデウスは元気よく返事をした。

 

 彼の手元に水が集まり、形を変える。

 

 水の塊は以前にも見たことがある。だが、ロキシーはそれを見ただけで終わらせなかった。

 

「今の魔術では、何を意識しましたか?」

 

「水の形を保つことです」

 

「では、形を保つことに集中しすぎると、どうなりますか?」

 

「えっと……動かしにくくなる、とか?」

 

「実際に試してみましょう」

 

 ロキシーは次々と条件を変え、ルーデウスに考えさせた。

 

 水を大きくしたときと小さくしたとき。形を変えるとき。思ったとおりに動かなかったとき。

 

 そのたびにルーデウスは試し、失敗し、考え、もう一度試した。

 

 俺は黙ってそれを見ていた。

 

 ルーデウスは魔術を使える。しかも、三歳児としてはかなり上手いらしい。

 

 だが、使えることと、仕組みを理解していることは別なのだろう。

 

 俺も剣術を教わっているから、それは少し分かる。

 

 ただ剣を振るだけなら、繰り返せばそれなりに形になる。しかし、なぜその動きが必要なのか、どこに無駄があるのかを理解すれば、同じ練習でも得られるものが変わってくる。

 

 ……まあ、理解が深まった結果、追加訓練が発生する場合もあるのだが。

 

「うーん、なるほど……」

 

 ルーデウスは水を消し、考え込んでいた。

 

「今まで何となくできていたことも、ちゃんと考えると分からないことがあるんですね」

 

「そうですね。魔術は、ただ使えるだけでなく、どうすれば思いどおりに扱えるのかを考えることも大切です」

 

 ロキシーの言葉に、ルーデウスは真剣な顔で頷いた。

 

 どうやら、いい先生に巡り合えたようだ。

 

 俺が教えられることには限界がある。そもそも、俺は魔術を使えない。

 

 弟が自分で学び、考え、成長していくのなら、それに越したことはない。

 

 ……そして、魔術が上達すれば、鎧の手入れを頼むときにも、もっと細かい注文ができるかもしれない。

 

 いや、違う。

 

 今のは兄として弟の成長を願っただけだ。

 

 決して、将来の雑用効率を計算したわけではない。

 

「兄さん」

 

 授業が一区切りついたところで、ルーデウスがこちらを向いた。

 

「どうした?」

 

「さっきから、何か考えてる?」

 

「いや。ロキシー先生の教え方は丁寧だなと思っていた」

 

「本当に?」

 

「本当だ」

 

 半分は本当だ。

 

 残り半分については、追及しないでほしい。

 

 ルーデウスは少し疑わしそうな顔をしたが、すぐにロキシーへ向き直った。

 

「先生、もう一度やってみてもいいですか?」

 

「もちろんです」

 

 授業が再開される。

 

 俺はその様子を眺めながら、静かに息を吐いた。

 

 魔術を覚えるのは大変そうだ。

 

 覚えれば便利なのだろうが、学ぶ時間も必要になる。俺には剣術の鍛錬があり、鎧の手入れもある。そこに魔術の勉強まで加えれば、休む時間がさらに減る。

 

 今すぐ始めるのは、やはり得策ではない。

 

 必要になったときに考えよう。

 

 俺はそう結論づけた。

 

 この判断がいつまで通用するのかは、まだ分からない。

 

 少なくとも、今日のところは問題ない。

 

 ◇

 

 夜。

 

 俺は鎧の手入れをしていた。

 

 金属の表面を確かめ、汚れを落とし、傷や留め具に異常がないかを確認する。

 

 昼間の鍛錬でついた細かな汚れを落としていると、ふと、午後に見たルーデウスの授業が頭に浮かんだ。

 

 ロキシーは、ルーデウスがすでにできることについても、なぜできるのかを考えさせていた。

 

 ただ成功したから終わり、ではない。

 

 失敗したら原因を探し、次に試す。

 

 剣術でも同じことを言われている。

 

 俺は鎧の留め具を確かめながら、昼間の自分の動きを思い返した。

 

 パウロに指摘された肩の位置。踏み込んだときの足。振り終えたあとの重心。

 

 少しずつ直していけば、無駄な動きは減らせるはずだ。

 

 無駄な動きが減れば、疲れにくくなる。

 

 疲れにくくなれば、余計な休憩を取らずに済む。

 

 ……いや、待て。

 

 今日の俺は、動きがよくなったせいで追加訓練を課されたのではなかったか。

 

 この理屈でいくと、上達するほど鍛錬の量が増える可能性がある。

 

 恐ろしい。

 

 剣術の上達とは、終わりのない労働契約なのかもしれない。

 

 俺は手入れを終えた鎧を置き、深く息を吐いた。

 

 それでも、剣術を鍛えることは必要だ。

 

 鎧を着て戦う以上、技術が足りなければ危険が増える。できるだけ安全に戦いたいなら、面倒だからといって必要な努力まで放り出すわけにはいかない。

 

 そこは分かっている。

 

 分かっているからこそ、必要なことだけを効率よく身につけたいのだ。

 

 明日は今日より少しでも上手く動く。

 

 そして、できれば追加訓練は避ける。

 

 この二つを両立させる方法を、俺は真剣に考えることにした。

 

 ……まずは、明日の鍛錬を乗り切ってから。

 

 俺は鎧を所定の場所に置き、寝床へ向かった。

 

 明日も、いつもどおりの一日になるだろう。

 

 せめて、百回が二百回に増えないことを祈っておこう。

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