とある学園都市の第零位《ゼロナンバー》   作:右左右左右

11 / 18
第二章 消えた十二号
第11話 存在しない搬送車


「その車両、七月十二日には動いていませんよ」

 

 七月二十四日、午前十一時十七分。

 

 学園都市第七学区外縁部。

 

 民間の車両整備会社が管理する保管施設で、作業着姿の女性がそう告げた。

 

「……え?」

 

 少女の声が震える。

 

 長い青緑色の髪を灰色の帽子に収めた、十五、六歳ほどの少女。

 

 被験体番号、N-13。

 

 その手には、一枚の紙が握られていた。

 

《被験体識別番号:N-12》

 

《移送処理日:七月十二日》

 

《移送車両:登録番号K-041》

 

 昨日、丹羽宗一郎から入手した移送記録。

 

 消えた少女の行方を追う、数少ない手掛かりだった。

 

「……動いてないって、どういうこと?」

 

「文字どおりです」

 

 整備担当者は端末を操作した。

 

「K-041は七月九日に車両不具合が見つかり、運行停止になっています。修理待ちで、この施設に保管されたままですね」

 

「……でも」

 

 少女は紙を差し出した。

 

「……ここに、書いてある」

 

「確かに登録番号は一致していますが……」

 

 女性は困ったように眉をひそめた。

 

「少なくとも、当社の管理記録では運行していません」

 

「ふうん」

 

 横から、楽しそうな声がした。

 

「じゃあ、実物を見せてもらえる?」

 

 久遠零司だった。

 

 黒髪に混じる銀色の髪。

 

 眠たげな灰紫色の瞳。

 

 黒と灰色を基調とした服装。

 

 片手には、途中の売店で購入した炭酸飲料。

 

 緊張感とは無縁の姿である。

 

「車両の確認ですか?」

 

「うん。まだ置いてあるんでしょ?」

 

「ええ。保管区画にあります」

 

「じゃ、見たいな」

 

 女性は少し迷った。

 

 本来、部外者を整備区画へ案内することはできない。

 

 しかし、今回は事情が違った。

 

 朝方、施設の管理責任者宛てに、車両登録情報の照会依頼が届いていた。

 

 必要な範囲での現物確認についても、事前に許可されている。

 

 依頼者は、目の前にいる少年。

 

 久遠零司。

 

 照会に掛かる費用も、すでに支払われていた。

 

「……分かりました」

 

 女性は頷いた。

 

「こちらへどうぞ」

 

     ◇

 

 保管区画の奥。

 

 そこに、一台の小型搬送車が置かれていた。

 

 白い車体。

 

 学園都市内の研究機関でよく使われている、自動運転対応の業務用車両。

 

 車体側面には、管理番号が記されている。

 

《K-041》

 

「……これ」

 

 少女は思わず駆け寄った。

 

「……本当に、あった」

 

「そりゃ、登録されてるからね」

 

 零司が隣へ歩いてくる。

 

「問題は、動いてたかどうかでしょ?」

 

「……うん」

 

 少女は車両を見回した。

 

 タイヤの一つが取り外されている。

 

 車体は整備用の支持器具によって持ち上げられ、床には工具が並んでいた。

 

「こちらをご覧ください」

 

 整備担当者が、車体の下部を指差す。

 

「駆動系統に異常がありまして。七月九日に運行停止措置が取られています」

 

「修理は?」

 

 零司が尋ねる。

 

「交換部品の入荷待ちです。昨日も動作確認はしていません」

 

「じゃあ、十二日もここに?」

 

「ええ」

 

 女性は頷いた。

 

「保管記録と整備日報の両方に残っています」

 

 少女は、車体へ手を伸ばしかけた。

 

 そして、止めた。

 

「……じゃあ」

 

 小さな声。

 

「……あの子は、何に乗せられたの?」

 

 返事はなかった。

 

 少なくとも、ここにある車両ではない。

 

 研究施設の記録が間違っているのか。

 

 誰かが別の車両を使用したのか。

 

 それとも。

 

 最初から、移送そのものが嘘だったのか。

 

「……零司」

 

「ん?」

 

「……どう思う?」

 

 零司は車両を見つめた。

 

 それから、あっさりと答えた。

 

「書類がおかしいんじゃない?」

 

「……それは、分かる」

 

「なら、別の記録を探せば?」

 

「……別の?」

 

「うん」

 

 零司は整備担当者へ振り返った。

 

「ねえ。この車が動いてなかったこと、他にも証明できる?」

 

「整備日報なら残っていますよ」

 

「見せてもらえる?」

 

「管理情報が含まれますので、公開できる範囲に限りますが」

 

 女性は携帯端末を取り出した。

 

 数回操作する。

 

 そして。

 

「……あれ?」

 

 その表情が変わった。

 

「どうしたの?」

 

 零司が尋ねる。

 

「おかしいですね」

 

 女性は画面を操作し直した。

 

「七月十二日の記録だけ、閲覧できません」

 

「……え?」

 

 少女が顔を上げる。

 

「昨日までは、確かに確認できたはずなんですが……」

 

 電子音。

 

 画面に警告が表示された。

 

《対象記録:K-041》

 

《管理権限による閲覧制限》

 

《照会履歴の送信完了》

 

 整備担当者の顔色が変わった。

 

「……照会履歴?」

 

 零司の口元が、わずかに上がる。

 

「へえ」

 

 少女は、その表情を見た。

 

 そして、嫌な予感がした。

 

「……零司」

 

「うん?」

 

「……何か、来る?」

 

 少年は答えなかった。

 

 代わりに、保管区画の入口へ視線を向ける。

 

 そこには、いつの間にか三人の男女が立っていた。

 

     ◇

 

「車両管理部門から来ました」

 

 先頭の女が、身分証らしきものを提示した。

 

 三十歳前後。

 

 黒いスーツ。

 

 短く切り揃えられた髪。

 

 表情には、ほとんど感情が浮かんでいない。

 

「K-041に関する管理情報の照会が行われたと報告を受けています」

 

 整備担当者が眉をひそめる。

 

「管理部門? どちらの所属ですか?」

 

「詳細は確認中です。端末をこちらへ」

 

「いえ、正式な手続きがなければ――」

 

「手続きを待つ必要はありません」

 

 女が片手を上げた。

 

 直後。

 

 背後の男が、小型端末を操作した。

 

 低い電子音。

 

 保管区画の照明が、一斉に落ちた。

 

「きゃっ!?」

 

 整備担当者が悲鳴を上げる。

 

 非常灯が点灯するまでの数秒間。

 

 暗闇の中で、何かが動いた。

 

 ガシャンッ!

 

 金属音。

 

 続いて、短い呻き声。

 

「……ぐっ!」

 

 非常灯が点灯した。

 

 整備担当者は床へ倒れ込んでいた。

 

 その横には、壊れた携帯端末。

 

 そして。

 

「……あーあ」

 

 久遠零司が、呆れたように呟いていた。

 

「随分と乱暴だね」

 

 女は表情を変えない。

 

「久遠零司」

 

 その名前を聞いた瞬間、少女の肩が強張った。

 

 零司は首を傾げる。

 

「知り合いだっけ?」

 

「あなたの情報は確認しています」

 

「ふうん」

 

「これ以上、N-12に関する調査を続けないでいただきたい」

 

「それ、昨日も聞いたよ」

 

 零司は笑った。

 

「同じ人?」

 

 女は答えなかった。

 

 ただ、静かに続ける。

 

「警告は伝達済みのはずです」

 

「うん」

 

「にもかかわらず、調査を継続した」

 

「そうだね」

 

「こちらとしても、対応を変更せざるを得ません」

 

 女の背後で、男たちが動いた。

 

 取り出したのは、銃ではない。

 

 小型の円筒形装置だった。

 

 床へ置かれた装置が、低い駆動音を発する。

 

 次の瞬間。

 

 保管区画の防火シャッターが作動した。

 

 ガァンッ!

 

 出入口が閉ざされる。

 

 同時に、天井の消火設備が待機状態へ移行した。

 

「……なっ!?」

 

 整備担当者が顔を上げる。

 

「何をするつもりですか!」

 

「必要な記録を回収します」

 

 女は淡々と答えた。

 

「それが終われば、退出していただいて構いません」

 

 零司は、装置を眺めた。

 

「へえ。随分と準備がいいね」

 

「あなたと交戦するつもりはありません」

 

「じゃあ、何しに来たの?」

 

「情報の回収です」

 

 女は少女へ視線を向けた。

 

「そちらの被験体が持つ資料も含めて」

 

 少女は反射的に、服の内側へ手を伸ばした。

 

 N-12の移送記録。

 

 昨日、丹羽の研究施設から持ち出した紙。

 

 そして、通信履歴の写し。

 

 すべて、自分で集めたものだった。

 

「……渡さない」

 

 女は、小さく息を吐いた。

 

「抵抗は推奨しません」

 

「……嫌」

 

「それは残念です」

 

 背後の男が、一歩踏み出した。

 

 しかし。

 

「ねえ」

 

 零司が口を開いた。

 

「僕のこと、知ってるんだよね?」

 

 女が振り返る。

 

「……ええ」

 

「じゃあさ」

 

 少年は、いつもの笑みを浮かべた。

 

「一つ聞いていい?」

 

「何でしょう」

 

「どうして、僕が大人しく従うと思ったの?」

 

 沈黙。

 

 女の表情が、わずかに変わった。

 

 零司は続ける。

 

「君たち、僕が何者か知ってるんでしょ?」

 

「……はい」

 

「だったら、命令するより先にやることがあると思うんだけど」

 

「……何を?」

 

「交渉だよ」

 

 零司は笑った。

 

「何をくれるの?」

 

 女が、初めて言葉に詰まった。

 

     ◇

 

「……交渉?」

 

「うん」

 

 零司は頷いた。

 

「僕に調査をやめてほしいなら、何か代わりにくれないと」

 

「金銭であれば、相応の額を――」

 

「お金かぁ」

 

 零司は少し考えた。

 

「それも悪くないけどね」

 

 そして。

 

「N-12について教えてよ」

 

 女の表情が止まった。

 

「…………」

 

「どこにいるの?」

 

 答えはなかった。

 

「生きてる?」

 

 沈黙。

 

「そもそも、何でそんなに隠したいの?」

 

 女は、小さく息を吐いた。

 

「……開示できません」

 

「そっか」

 

 零司は頷いた。

 

「じゃあ、交渉不成立だね」

 

 女が片手を上げた。

 

 その瞬間。

 

 背後の男が装置を起動した。

 

《消火設備:強制作動》

 

 警告音が響く。

 

 天井の噴出口が開き、消火剤が放出されようとする。

 

 しかし。

 

 何も起きなかった。

 

「…………」

 

 男が端末を確認する。

 

《作動異常》

 

《圧力条件不成立》

 

「……何?」

 

 零司は、天井を見上げた。

 

「あ、それ?」

 

 少年は笑った。

 

「止めといたよ」

 

 あまりにも簡単な説明だった。

 

 消火設備が正常に動作するためには、一定の圧力条件が必要となる。

 

 弁の開閉。

 

 配管内の流体。

 

 放出機構に掛かる力。

 

 それらの物理的な条件が、零司によって変更されていた。

 

 設備は動作命令を受けている。

 

 だが、命令された結果を生み出せない。

 

 それだけだった。

 

「……能力干渉を確認!」

 

 男の一人が叫ぶ。

 

 女の表情が険しくなった。

 

「想定どおりです。第二段階へ」

 

「了解!」

 

 男が別の装置を取り出した。

 

 小型の電磁投射装置。

 

 発射されたのは、複数の金属製ワイヤーだった。

 

 鋭い音を立てて、零司へ向かって飛来する。

 

 だが。

 

「……遅いなぁ」

 

 少年は、動かなかった。

 

 ワイヤーが空中で停止する。

 

 続いて、方向を変えた。

 

「……っ!?」

 

 装置を持つ男の手元へ、ワイヤーが巻き付く。

 

 そのまま腕を拘束した。

 

「ぐあっ!」

 

 男が膝をつく。

 

 もう一人が後退する。

 

 しかし、零司は追わなかった。

 

 女の方へ視線を向ける。

 

「ねえ」

 

 笑顔だった。

 

「まだ何かある?」

 

 女は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……なるほど」

 

 その声には、恐怖よりも諦めが滲んでいた。

 

「通常の対能力者装備では、やはり対応できませんか」

 

「そうみたいだね」

 

「ですが」

 

 女の視線が動いた。

 

 零司ではない。

 

 保管区画の奥。

 

 事務記録を保管している、小さな管理室だった。

 

「……目的は達成できます」

 

 直後。

 

 管理室の奥で、破裂音が響いた。

 

     ◇

 

「……っ!」

 

 少女が振り返る。

 

 管理室の窓から、黒い煙が上がっていた。

 

「……火!?」

 

 整備担当者が叫ぶ。

 

 その部屋には、紙の整備日報や古い搬送記録が保管されている。

 

 電子化される前の資料も、多数残されているはずだった。

 

 そして。

 

 七月十二日の記録。

 

 K-041が動かなかったことを証明できる、数少ない手掛かり。

 

「……零司!」

 

 少女が叫んだ。

 

 少年は、煙の上がる管理室を見た。

 

「……あー」

 

 少しだけ眉を上げる。

 

「そっちが目的だったんだ」

 

 女が淡々と告げる。

 

「あなたと戦う必要はありません」

 

 零司を倒す。

 

 そんな無謀な目的ではなかった。

 

 最初から、狙いは情報の破壊。

 

 車両に関する証拠が失われれば、調査は振り出しに戻る。

 

 だからこそ。

 

 零司を足止めしている間に、別の手段で記録を処分する。

 

 それが、相手の作戦だった。

 

「……なるほどね」

 

 零司が、小さく笑う。

 

「結構考えてるじゃん」

 

 少女は、その声に苛立った。

 

「……笑ってる場合じゃない!」

 

「ん?」

 

「……あの中に、記録が……!」

 

 少女は管理室へ駆け出した。

 

「おい、待て!」

 

 整備担当者が叫ぶ。

 

「危険だ!」

 

 だが、少女は止まらなかった。

 

 管理室の扉。

 

 煙。

 

 そして、内部に見える書類棚。

 

 息を止め、扉へ手を掛ける。

 

 鍵は掛かっていなかった。

 

「……っ!」

 

 熱い空気が、顔へ流れ込む。

 

 少女は思わず後ずさった。

 

 怖い。

 

 身体が震える。

 

 研究施設での記憶が蘇る。

 

 だが。

 

(……逃げない)

 

 少女は歯を食いしばった。

 

 七月十二日。

 

 N-12。

 

 あの子が、どこへ行ったのか。

 

 その答えが、ここにあるかもしれない。

 

「……お願い」

 

 少女は小さく呟いた。

 

 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 

 次の瞬間。

 

 周囲の光が、微かに揺らいだ。

 

 彼女の能力。

 

 観測干渉。

 

 それが、不完全ながら発現し始める。

 

 少女の姿が、入口付近の監視装置から認識しづらくなる。

 

 しかし。

 

 能力によって炎が消えるわけではない。

 

 熱を防げるわけでもない。

 

 燃え始めた紙を元に戻せるわけでもない。

 

 それでも。

 

 少女は中へ踏み込んだ。

 

「……見つける……!」

 

 書類棚。

 

 古い日報。

 

 管理番号。

 

 煙で視界が霞む中、必死に文字を追う。

 

 そして。

 

《K-041》

 

 見つけた。

 

「……あった!」

 

 少女が手を伸ばす。

 

 しかし、その直後。

 

 棚の上部が崩れた。

 

「……っ!」

 

 重い金属製の棚が、少女へ倒れ込む。

 

 避けられない。

 

 そう思った瞬間。

 

 棚が、空中で停止した。

 

「……危ないなぁ」

 

 背後から、呑気な声。

 

「さすがに、それは無茶じゃない?」

 

 零司だった。

 

 いつの間にか、管理室の入口に立っている。

 

 少年が指を動かすと、倒れかけていた棚が元の位置へ戻った。

 

 周囲の炎も、まるで燃焼に必要な条件を失ったかのように弱まっていく。

 

「……零司」

 

「ん?」

 

「……これ!」

 

 少女は、手にした書類を掲げた。

 

 煤で汚れた、古い整備記録。

 

「……見つけた!」

 

 零司は、それを見た。

 

 そして、少しだけ目を細める。

 

「……へえ」

 

 少女は必死に書類を抱え込んだ。

 

 火傷しそうなほど熱い紙。

 

 震える手。

 

 煙を吸い込み、咳き込む身体。

 

 それでも、離さない。

 

 零司は一瞬だけ考えた。

 

 そして、少女の身体を軽く持ち上げた。

 

「……えっ!?」

 

「外で見ようよ」

 

 次の瞬間。

 

 二人の姿が、管理室の外へ移動していた。

 

     ◇

 

「……逃走を確認」

 

 保管区画の外。

 

 黒いスーツの女が通信端末を操作していた。

 

 拘束された男たちは、すでに救援を要請している。

 

 しかし、彼女自身は退路を確保していた。

 

『状況は?』

 

 通信の向こうから、低い声が響く。

 

「電子記録の一部削除は成功」

 

『紙媒体は?』

 

「処分を試みましたが、久遠零司に介入されました」

 

 短い沈黙。

 

『……第零位か』

 

「はい」

 

『交戦したのか?』

 

「短時間のみ。こちらの装備では拘束できませんでした」

 

『だろうな』

 

 声の主は、驚いていなかった。

 

『それで、資料は?』

 

「被験体N-13が一部を確保した模様です」

 

『……そうか』

 

 女は次の指示を待った。

 

 しかし、返ってきた言葉は意外なものだった。

 

『構わない』

 

「……よろしいのですか?」

 

『今の段階なら、問題ない』

 

 女の眉が動く。

 

「ですが、K-041の偽装が露見する可能性があります」

 

『それはもう露見している』

 

 通信の向こうで、誰かが小さく笑った。

 

『むしろ、どこまで辿り着けるのか見てみたい』

 

「……監視を継続しますか?」

 

『不要だ』

 

 即答だった。

 

『久遠零司がいる限り、下手な追跡は逆効果になる』

 

「では」

 

『予定を変更する』

 

 女は姿勢を正した。

 

『次の段階へ進めろ』

 

「……承知しました」

 

 通信が切れる。

 

 女は端末をしまった。

 

 そして、保管施設へ視線を向ける。

 

「……久遠零司」

 

 小さく、その名前を呟いた。

 

 極秘識別番号、ZERO。

 

 学園都市の公式序列には存在しない少年。

 

 彼について与えられている情報は、極めて限られている。

 

 だが、一つだけ確かなことがあった。

 

 この少年を力で排除するという選択肢は、現実的ではない。

 

 少なくとも、今の装備と人員では。

 

「……厄介ですね」

 

 女は小さく息を吐いた。

 

 そして、その場を離れた。

 

     ◇

 

 午後三時過ぎ。

 

 保管施設の外。

 

「……大丈夫?」

 

 零司が少女へ尋ねた。

 

「……うん」

 

 少女は頷いた。

 

 もっとも、顔には煤がつき、帽子も汚れている。

 

 咳は収まったが、まだ少し息苦しそうだった。

 

「一応、診てもらった方がいいと思うよ」

 

「……分かった」

 

 少女は素直に頷いた。

 

 保管施設の職員たちは、すでに警備員と消防設備担当者へ連絡を取っていた。

 

 負傷した整備担当者も救護を受けている。

 

 騒ぎの中心にいた零司たちは、事情を説明した後、施設の外へ出ていた。

 

 少女は、手元の書類を見下ろす。

 

「……これ」

 

「うん」

 

「……本物だと思う?」

 

 零司は書類を覗き込んだ。

 

 印刷された文字。

 

 手書きの確認欄。

 

 そして、古い管理印。

 

「少なくとも、最近作った紙には見えないね」

 

「……じゃあ」

 

「中身まで本当かどうかは、別だけど」

 

 少女は頷いた。

 

 以前なら、すぐに信じてしまったかもしれない。

 

 だが、今は違う。

 

 研究施設の記録が嘘だった。

 

 車両管理の情報も、誰かが消そうとした。

 

 ならば。

 

 紙に書かれていることが、必ずしも真実とは限らない。

 

「……ちゃんと、確かめる」

 

 少女は呟いた。

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「うん」

 

 それから、書類の一部を指差す。

 

「で、これ見た?」

 

「……何?」

 

 少女が視線を向ける。

 

 そこには、七月十二日の整備日報が記されていた。

 

《車両番号:K-041》

 

《状態:運行停止》

 

《整備区画:第二保管庫》

 

《運行許可:無効》

 

 そして、その下。

 

 別の紙が、整備日報に重なっていた。

 

 小さな搬出照合票。

 

 何かを確認するための、簡易的な控えだった。

 

《七月十二日 十九時四十二分》

 

《照合対象:K-041》

 

《車体確認:未実施》

 

《代替搬送:承認済》

 

 少女の指が止まった。

 

「……代替搬送……?」

 

 零司は頷いた。

 

「みたいだね」

 

「……それって」

 

「車両は使ってないけど、別の方法で運んだってことかな」

 

 少女は、もう一度紙を見た。

 

 K-041。

 

 動かなかった搬送車。

 

 それなのに、研究施設では移送車両として記録されていた。

 

 理由は、まだ分からない。

 

 だが。

 

 この紙には、もう一つの情報が残されていた。

 

《二次搬送先:第十学区・第六中継倉庫》

 

「…………」

 

 少女は、その文字列を見つめた。

 

「……第十学区……」

 

 零司が、横から覗き込む。

 

「へえ。場所が出てきたね」

 

 少女は頷いた。

 

 N-12がそこへ運ばれたという証拠ではない。

 

 だが、七月十二日にK-041の番号を利用して行われた別の搬送が、確かに存在していた。

 

 少なくとも、その記録が残っている。

 

「……ここに行けば」

 

 少女は小さく呟いた。

 

「……何か、分かるかもしれない」

 

 零司は笑った。

 

「そうかもね」

 

 少女は、紙を胸元へ抱えた。

 

 研究施設から逃げ出した夜。

 

 自分は、ただ助かりたかった。

 

 誰かに迎えに来てほしかった。

 

 それだけだった。

 

 だが、今は違う。

 

 自分の足で調べた。

 

 自分の意思で危険な場所へ踏み込んだ。

 

 そして。

 

 自分の手で、一つの手掛かりを掴んだ。

 

「……零司」

 

「ん?」

 

「……明日、ここに行きたい」

 

 少女は書類を示した。

 

 第十学区。

 

 第六中継倉庫。

 

 零司は、その文字列を眺める。

 

 それから。

 

「いいよ」

 

 あっさりと頷いた。

 

「……本当?」

 

「うん」

 

「……どうして?」

 

 零司は少し考えた。

 

 そして。

 

「さっきの人たち、結構面白かったから」

 

 少女は眉をひそめた。

 

「……それだけ?」

 

「それだけじゃないよ」

 

 零司は笑った。

 

「僕に手を引けって言った人、まだ顔見せてくれてないし」

 

 少女の表情が変わった。

 

「……あの、警告の?」

 

「そう」

 

 零司は頷いた。

 

「僕のこと知ってるみたいなのに、僕は相手のこと知らないんだよね」

 

 その瞳が、わずかに細くなる。

 

「それって、ちょっと不公平じゃない?」

 

 少女は、何も言わなかった。

 

 ただ、少しだけ理解した。

 

 零司が今回の事件に関わり続ける理由。

 

 それは、自分を助けるためだけではない。

 

 自分の知らない相手が、一方的に命令してきた。

 

 そのこと自体が、彼の興味を引いているのだ。

 

 そして。

 

 その興味が失われたとき、零司がどうするのか。

 

 少女には、まだ分からなかった。

 

     ◇

 

 同日、午後六時過ぎ。

 

 学園都市の某研究施設。

 

 丹羽宗一郎は、端末に表示された報告を確認していた。

 

《車両登録番号K-041》

 

《管理記録の一部消失》

 

《関連施設における不審事案》

 

《現場確認者:久遠零司》

 

「……やれやれ」

 

 丹羽は眼鏡を外した。

 

「また、久遠様ですか」

 

 ため息が漏れる。

 

 しかし、その表情には少しだけ笑みが浮かんでいた。

 

 久遠零司。

 

 何を考えているのか分からない少年。

 

 だが、彼が関わる場所では、必ず何かが起きる。

 

 それは、丹羽にとって不安であると同時に、研究者としての興味を刺激するものでもあった。

 

「……それにしても」

 

 丹羽は、別の資料を開いた。

 

《被験体N-12》

 

《移送処理日:七月十二日》

 

《移送経路:非公開》

 

《受領確認:未照合》

 

「……第十学区、ですか」

 

 小さく呟く。

 

 久遠零司たちが何を調べているのか。

 

 詳細は把握していない。

 

 だが、K-041の記録が不自然であることは、丹羽自身も認識していた。

 

 そして。

 

 その車両番号が、別の搬送に利用されていた可能性。

 

 その情報を知れば、研究者として気になることがある。

 

「……誰が、移送記録を処理したのでしょうね」

 

 丹羽は、端末を操作した。

 

 しかし、表示されたのは短い警告だった。

 

《閲覧権限がありません》

 

「…………」

 

 丹羽は、しばらく画面を見つめていた。

 

 そして。

 

「……なるほど」

 

 静かに笑った。

 

「私にも、知らされていないことがあるようですね」

 

     ◇

 

 午後九時過ぎ。

 

 久遠零司の部屋。

 

「……ここ」

 

 少女は、テーブルの上に広げた地図を指差した。

 

 第十学区。

 

 第六中継倉庫。

 

 一般の学生が立ち入るような場所ではない。

 

 物流施設や廃棄物処理設備が多く集まる区域。

 

 その一角に、目的の倉庫が存在していた。

 

「……明日、行こうと思う」

 

「うん」

 

 零司はソファに腰掛けていた。

 

 少女は、手元の紙を見つめる。

 

「……でも」

 

「ん?」

 

「……また、あの人たちが来るかもしれない」

 

「だろうね」

 

 零司はあっさりと頷いた。

 

「……怖くないの?」

 

「別に?」

 

「……わたしは、怖い」

 

 少女は、正直に答えた。

 

 零司は、少しだけ目を細めた。

 

「じゃあ、やめる?」

 

 少女は首を横に振った。

 

「……やめない」

 

 その声には、迷いがなかった。

 

 零司は、しばらく少女を見つめていた。

 

 そして。

 

「……そっか」

 

 小さく頷いた。

 

「じゃあ、行こう」

 

 少女は、ゆっくりと息を吐いた。

 

 そのとき。

 

 零司の携帯端末が振動した。

 

「……ん?」

 

 画面を見る。

 

 見知らぬ送信元。

 

 短い文章だった。

 

『久遠零司』

 

『本日の件、確認した』

 

 零司の目が細くなる。

 

 続いて、二通目。

 

『これ以上、N-12の行方を追う必要はない』

 

 そして。

 

 三通目。

 

『知りたいのなら、直接会おう』

 

「…………」

 

 零司は、しばらく画面を見つめていた。

 

 そして。

 

 口元に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。

 

「……へえ」

 

 少女が顔を上げる。

 

「……何?」

 

「どうやら、向こうも話す気になったみたい」

 

「……向こう?」

 

「僕に警告してきた人」

 

 少女の表情が強張る。

 

 零司は、端末を操作した。

 

『いいよ』

 

『どこで?』

 

 送信。

 

 数秒後。

 

 返信が届いた。

 

『第十学区』

 

『第六中継倉庫』

 

 零司の笑みが、さらに深くなった。

 

「……なるほど」

 

 少女は、画面を見つめた。

 

 そこには、先ほど自分たちが調べていた場所と同じ名前が表示されている。

 

「……どうして」

 

 小さく呟く。

 

「……同じ場所なの……?」

 

 零司は肩をすくめた。

 

「さあ?」

 

 そして、楽しそうに笑った。

 

「でも、これで決まりだね」

 

 少女は、地図を見下ろした。

 

 第十学区。

 

 第六中継倉庫。

 

 消えた少女の手掛かり。

 

 自分たちを妨害してきた何者か。

 

 そして、久遠零司を名指しで呼び出す人物。

 

 すべてが、同じ場所へ繋がっている。

 

「……零司」

 

「ん?」

 

「……これ、罠だと思う?」

 

 零司は、少し考えた。

 

 そして。

 

「たぶんね」

 

 あっさりと答えた。

 

 少女は目を見開く。

 

「……だったら!」

 

「でもさ」

 

 零司は笑った。

 

「罠だって分かってるなら、何が仕掛けてあるか楽しみじゃない?」

 

「…………」

 

 少女は、額に手を当てた。

 

 やはり。

 

 この少年は、根本的なところで普通ではない。

 

 だが。

 

 今回は、少しだけ違った。

 

「……分かった」

 

 少女は顔を上げた。

 

「……わたしも行く」

 

「うん」

 

「……でも、約束して」

 

 零司が首を傾げる。

 

「何?」

 

 少女は、真っ直ぐに彼を見つめた。

 

「……あの子のことが分かっても、勝手に決めないで」

 

 少しの沈黙。

 

 零司は、少女を見つめた。

 

 そして。

 

「……いいよ」

 

 小さく頷いた。

 

「君に関することは、君が決めればいい」

 

 少女は、ほっと息を吐いた。

 

 しかし。

 

「ただし」

 

 零司が続ける。

 

「僕に関することは、僕が決めるからね」

 

「……分かってる」

 

 今度は、即答だった。

 

 零司は、少しだけ驚いたように目を瞬かせた。

 

 それから。

 

「……いいね」

 

 楽しそうに笑った。

 

 少女は、地図を折り畳んだ。

 

 もう、逃げるだけではない。

 

 研究施設から飛び出した、あの夜とは違う。

 

 今度は、自分の意思で向かうのだ。

 

 あの子の行方を確かめるために。

 

 そして。

 

 自分が知らなかった真実を、自分の目で確かめるために。

 

     ◇

 

 同じ夜。

 

 学園都市の別の場所。

 

 科学の街には似つかわしくない、異質な気配が静かに動いていた。

 

 それは、通常の能力者による現象ではない。

 

 信仰。

 

 象徴。

 

 術式。

 

 科学とは異なる体系の中で成立する、もう一つの力。

 

 魔術。

 

 その力を扱う者たちの事情によって、一人の少年が戦いへ巻き込まれようとしていた。

 

 上条当麻。

 

 右手に幻想殺しを宿す、学園都市のレベル0。

 

 彼がこれから何を失い、何を守ろうとするのか。

 

 久遠零司は、まだ知らない。

 

 そして、今のところ知ろうともしていなかった。

 

 彼の関心は、別の場所に向いていたからだ。

 

 第十学区。

 

 第六中継倉庫。

 

 そこで待つ、正体不明の何者か。

 

 久遠零司は、窓の外へ視線を向けた。

 

 そして、静かに笑った。

 

「……明日が楽しみだね」

 

 その隣で。

 

 N-13は、折り畳んだ地図を強く握りしめていた。

 

 正義の味方ではない少年と。

 

 自分の意思で歩き始めた少女。

 

 二人が向かう先には、誰も知らない真実が待っている。

 

 それが救いなのか。

 

 絶望なのか。

 

 まだ、誰にも分からなかった。

 

 ただ一つ。

 

 明日、何かが起きる。

 

 その予感だけは、確かに存在していた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。