『……十三……』
ザザッ。
『……まだ……』
耳障りな雑音。
『……見つけ……』
そこで、音声は途切れた。
「…………」
七月二十六日、午前九時十二分。
久遠零司の部屋。
N-13は、携帯端末に表示された波形を睨んでいた。
昨日、第六中継倉庫で八雲誠司から受け取った音声記録。
保存時間は、三・八秒。
何度再生しても、内容は変わらない。
十三。
まだ。
見つけ。
それだけだった。
「……おかしい」
少女は呟いた。
向かいのソファでは、久遠零司が漫画を読んでいる。
「何が?」
「……この音声」
少女は画面を指差した。
「……途中で、切れてる」
「そうだね」
「……でも、変なの」
零司が顔を上げた。
「へえ?」
「……最後だけ、急に終わってる」
少女は、もう一度音声を再生した。
雑音。
途切れ途切れの声。
そして、最後の部分。
『……見つけ……』
そこで、波形が途切れる。
「……通信が切れたなら、もっと雑音が残っててもいいんじゃない?」
「場合によると思うけど」
「……でも」
少女は首を振った。
「……誰かが、途中で切った可能性もある」
零司は、少しだけ目を細めた。
「……なるほどね」
少女は端末を握りしめた。
昨日、八雲は言った。
通信の保存時間は三・八秒。
しかし、本当にそれだけなのだろうか。
八雲は、他にも何かを隠しているのではないか。
そして昨夜。
零司の端末へ届いた、差出人不明の警告。
『八雲誠司を信用するな』
『あの男は、まだ何かを隠している』
「……確かめたい」
少女は顔を上げた。
「零司」
「ん?」
「……八雲に、連絡できる?」
「できると思うよ」
「……じゃあ、電話して」
「僕が?」
「……うん」
零司は、少し考えた。
それから、携帯端末を差し出した。
「はい」
「……え?」
「自分で聞きたいんでしょ?」
少女は、端末を見つめた。
それから。
「……そうだった」
小さく呟く。
零司の端末を受け取り、昨日の通信履歴から八雲の連絡先を選択する。
発信。
数回の呼び出し音。
そして。
『……もしもし』
聞き覚えのある声が響いた。
「……八雲誠司?」
『その声は……N-13ですか』
「……うん」
『何かご用でしょうか』
少女は、短く息を吸った。
「……昨日の音声」
そして、はっきりと告げた。
「……続きを、聞かせて」
通信の向こうで、沈黙が落ちた。
◇
『……何のことでしょうか』
八雲の声は穏やかだった。
だが、少女は引かなかった。
「……三・八秒の音声」
『ええ』
「……あれ、本当に全部?」
『…………』
「……途中で、切ってない?」
返事はなかった。
その沈黙だけで、少女の疑念は強まった。
「……あるんだ」
『……何がでしょう』
「……続き」
再び、沈黙。
数秒後。
『……久遠様はいらっしゃいますか』
「……いる」
『代わっていただけますか』
少女は零司を見た。
少年は、ソファに寝転がったまま漫画を読んでいる。
「……零司」
「ん?」
「……代わってほしいって」
「嫌だ」
即答だった。
「……え?」
「君に掛かってきた話でしょ?」
零司はページをめくった。
「自分で話せば?」
「…………」
少女は端末へ視線を戻した。
「……代わらないって」
『……そうですか』
八雲が小さく息を吐く。
『では、直接お話ししましょう』
「……今度こそ、本当のことを教えて」
『条件があります』
少女の表情が険しくなった。
「……また、取引?」
『ええ』
八雲は淡々と答えた。
『こちらも無償で情報を提供するわけにはいきませんので』
少女は拳を握りしめた。
しかし、すぐに言い返すことはしなかった。
昨日、自分は八雲と交渉した。
必要な情報を得るために、自分が持つ情報を差し出した。
今回も同じだ。
「……何が欲しいの?」
『あなたが研究施設から持ち出した端末です』
「……駄目」
『……即答ですか』
「……渡したら、また記録を消されるかもしれない」
『そのようなことは――』
「……昨日も、全部話してくれなかった」
少女は言葉を遮った。
「……もう、簡単には信用しない」
八雲は黙り込んだ。
それから。
『……では、妥協案を』
「……何?」
『端末そのものを引き渡す必要はありません。通信記録の確認だけを認めていただきたい』
少女は考えた。
危険はある。
だが、端末を直接操作させなければ、少なくとも奪われる可能性は低くなる。
「……触らせない」
『構いません』
「……見るだけ」
『承知しました』
「……その代わり、音声は全部聞かせて」
数秒後。
『……分かりました』
八雲が答えた。
『では、場所を指定してください』
少女は少し驚いた。
「……わたしが?」
『ええ。昨日の件もありますからね』
少女は端末を握り直した。
そして、思い出す。
昨日の倉庫。
武装した飛行装置。
八雲を狙った攻撃。
あの場所へ、もう一度行く必要はない。
「……人がいる場所」
『……具体的には?』
「……第七学区の駅前」
少女は続けた。
「……人通りの多いところで、話したい」
八雲は、しばらく黙っていた。
そして。
『……よろしいでしょう』
通話が切れた。
少女は、ゆっくりと息を吐いた。
「……決まった」
「お疲れ」
零司が漫画を閉じた。
「結構ちゃんと話せたじゃん」
「……聞いてたの?」
「隣にいたからね」
「…………」
少女は、少しだけ頬を膨らませた。
しかし、すぐに真剣な表情へ戻る。
「……零司」
「ん?」
「……一緒に来て」
零司は首を傾げた。
「どうして?」
「……怖いから」
少女は、正直に答えた。
「……でも、確かめたい」
零司は、しばらく彼女を見つめていた。
そして。
「いいよ」
あっさりと頷いた。
「僕も、あの人にはまだ聞きたいことあるし」
少女は、少しだけ安堵した。
だが、その直後。
「ただし」
零司が続ける。
「交渉は君がやってね」
「……え?」
「君が始めたんだから」
少年は立ち上がった。
「最後までやってみなよ」
少女は、数秒ほど彼を見つめていた。
そして。
「……分かった」
小さく頷いた。
◇
午後一時二十六分。
第七学区の駅前広場。
夏休みの昼下がり。
周囲には、多くの学生が行き交っていた。
待ち合わせをする人々。
買い物袋を提げた学生たち。
広場に設置された大型ディスプレイ。
その一角にある屋外の休憩スペースで、八雲誠司は二人を待っていた。
「……お待ちしておりました」
昨日と同じ黒いスーツ。
細い眼鏡。
穏やかな表情。
しかし、よく見ると顔色が悪かった。
「……昨日、襲われたから?」
少女が尋ねた。
八雲は少しだけ目を細める。
「……ええ。あまり眠れませんでした」
「そっか」
零司は隣の椅子へ腰を下ろした。
「大変だね」
「……他人事ですね」
「実際、他人事だし」
八雲は苦笑した。
少女は、そのやり取りを無視して口を開く。
「……音声」
八雲へ手を差し出す。
「……約束、守って」
男は、しばらく少女を見つめていた。
それから、小型の記録媒体を取り出した。
「こちらです」
少女は受け取ろうとして、手を止めた。
「……全部?」
「ええ」
「……本当に?」
八雲は目を伏せた。
「……今回は」
その言葉に、少女の眉が動く。
今回は。
つまり、昨日は違った。
「……やっぱり、隠してたんだ」
八雲は否定しなかった。
「……申し訳ありません」
「……謝ってほしいんじゃない」
少女は、静かに言った。
「……理由を聞きたい」
八雲は小さく息を吐いた。
「あなたがN-12を探していることは分かっていました」
「……うん」
「そして、我々も彼女を探しています」
少女の表情が険しくなる。
「……だから?」
「あなたが捜索を続けるように、情報を調整しました」
その言葉に。
少女は、しばらく動かなかった。
「…………」
そして。
「……わたしを、利用したかったから?」
「……はい」
八雲は答えた。
「あなたがN-12を探し続ければ、我々にも新しい手掛かりが得られる可能性があります」
少女の拳が震えた。
昨日、渡された短い音声。
その声がN-12かもしれないと思った。
助けを求めているのかもしれないと思った。
だから、何度も聞き返した。
それなのに。
目の前の男は、最初からその反応を期待していたのだ。
「……最低」
八雲は、何も言い返さなかった。
少女は記録媒体を受け取った。
そして。
「……もう、あなたの言葉だけでは信じない」
はっきりと告げた。
八雲は静かに頷く。
「……それで構いません」
◇
記録媒体には、複数のファイルが保存されていた。
音声。
通信時刻。
保存装置の管理情報。
そして、関連する記録の一覧。
少女は、零司の予備端末を利用してファイルを開いた。
《音声記録》
《七月十九日 十八時四十一分》
《保存時間:十一・六秒》
「……十一秒……」
少女が呟いた。
昨日聞かされた三・八秒とは、明らかに違う。
「……再生する」
八雲が小さく頷いた。
少女は、画面に指を伸ばした。
電子音。
短い雑音。
そして。
『……十三……』
聞き覚えのある声。
『……まだ……』
少女は、息を止めた。
『……見つけ……』
ここまでは、昨日と同じだった。
だが。
音声は、そこで終わらなかった。
『……見つけないで……』
「…………!」
少女の目が見開かれた。
さらに、雑音が続く。
『……あの人に……』
途切れ途切れの声。
『……知られたら……』
そこで、音声が途切れた。
沈黙。
周囲では、学生たちの笑い声が響いている。
遠くから、電車の到着を告げる案内音が聞こえる。
だが、少女には何も聞こえていなかった。
「……見つけないで……?」
小さく呟いた。
助けを求めていると思っていた。
見つけてほしいのだと。
しかし、実際の音声は違った。
見つけないで。
その言葉は、まるで警告のようだった。
「……どうして……」
少女の唇が震える。
「……どうして、そんなこと……」
零司は、隣で黙って画面を見つめていた。
そして。
「……なるほどね」
小さく呟く。
少女が顔を上げる。
「……何?」
「これ、最初のメッセージと合わないね」
零司が指摘した。
少女は端末を見た。
研究施設から逃げ出す直前に届いた文章。
『外へ出ろ』
『必ず迎えに行く』
そして、今回の音声。
『……十三……』
『……まだ……見つけないで……』
確かに、言葉の向きが違う。
一方は、外へ出るよう促している。
もう一方は、何かを見つけないよう警告している。
「……同じ人じゃ、ない?」
少女が尋ねた。
零司は肩をすくめる。
「可能性はあるね」
「……でも、N-12の番号が使われてた」
「番号が同じだからって、使った人まで同じとは限らないでしょ?」
少女は黙り込んだ。
確かに、その通りだった。
N-12の識別情報。
それを本人が使ったのか。
誰かが無断で利用したのか。
まだ分からない。
だが。
「……八雲さん」
少女は顔を上げた。
「……この音声、どこで録ったの?」
八雲は答えた。
「第六中継倉庫の保安通信系統です」
「……じゃあ、文章の方は?」
「丹羽研究室側の通信経路を通っています」
少女の瞳が動いた。
別の経路。
別の装置。
そして、二分間の差。
「……本当に、別の人かもしれない」
少女は呟いた。
八雲は静かに頷く。
「……ええ」
そのときだった。
零司が、不意に顔を上げた。
「……あれ?」
「……何?」
少女が振り返る。
零司は、広場の向こう側を見つめていた。
「……また来たんだ」
◇
「記録媒体を回収しろ」
低い声。
人混みの中から、二人の男が歩いてきた。
普通の私服。
目立たない外見。
しかし、その視線は明らかに八雲と少女へ向けられていた。
「……っ!」
八雲の表情が変わる。
「……なぜ、ここが……!」
男の一人が、上着の内側へ手を伸ばした。
取り出したのは、小型の電子装置。
その先端が、記録媒体へ向けられる。
「……零司!」
少女が叫んだ。
しかし。
「んー」
零司は、すでに男の方を見ていた。
「また情報を消すつもり?」
次の瞬間。
男の手元で、電子装置が不自然に変形した。
内部の回路が、音もなく破損する。
「……なっ!?」
男が驚いた隙に、もう一人が動いた。
狙いは少女。
正確には、少女が持つ記録媒体だった。
男の手が伸びる。
「……っ!」
少女は反射的に後ずさった。
だが、その瞬間。
思い出した。
研究施設。
逃亡。
何度も使わされた、自分の能力。
観測干渉。
周囲へ届く情報を、不安定にする力。
少女は、意識を集中した。
(……見ないで)
ほんの一瞬。
男の視線が、少女から外れた。
「……?」
男の動きが止まる。
目の前にいたはずの少女。
その姿が、認識しづらくなった。
消えたわけではない。
透明になったわけでもない。
ただ、そこにいるはずの人物へ意識を向けようとしても、うまく捉えられない。
「……どこだ!?」
男が周囲を見回す。
その間に。
少女は、記録媒体を服の内側へしまい込んだ。
そして、零司の背後へ移動する。
「……零司!」
「うん」
少年は、小さく笑った。
「いい使い方だね」
その直後。
男たちの身体が、同時に動きを止めた。
「……ぐっ!?」
腕。
脚。
身体を支える力。
その釣り合いが、零司によって変更されていた。
男たちは、立ったまま拘束される。
抵抗しようとしても、動けない。
「……さて」
零司は、ゆっくりと歩み寄った。
「君たち、昨日の飛行装置とは違う人?」
男は答えなかった。
その額には、冷たい汗が浮かんでいる。
「……命令だ」
片方の男が、苦しそうに呟いた。
「記録を……回収しろと……!」
「誰から?」
「……言えるわけが……」
「そっか」
零司は、あっさりと引き下がった。
そして、八雲へ振り返る。
「知り合い?」
八雲は首を横に振った。
「……少なくとも、私の指揮下にはいません」
「ふうん」
零司は、男たちへ視線を戻した。
「じゃあ、別の人が動かしてるんだね」
その表情には、いつもの余裕があった。
しかし。
灰紫色の瞳が、少しだけ細くなる。
「……何だか、随分と必死だなぁ」
男たちは答えない。
零司は、少し考えた。
そして。
「まあ、いいや」
片手を上げる。
男たちは、その場へ膝をついた。
拘束は続いている。
だが、呼吸や会話には支障がない。
零司は携帯端末を取り出した。
「警備員さん、呼んどこうか」
八雲は、呆然と少年を見つめていた。
昨日の武装飛行装置。
今日の回収要員。
いずれも、零司をまともに拘束することすらできない。
事前に能力を把握している者が相手でも、結果は変わらなかった。
目の前にいるのは、ただの能力者ではない。
八雲は、改めてそれを理解した。
◇
午後三時過ぎ。
駅前広場から少し離れた場所。
少女は、壁際のベンチへ腰を下ろしていた。
「……大丈夫?」
零司が尋ねる。
「……うん」
少女は頷いた。
しかし、顔色は悪い。
能力を使った直後から、軽い頭痛が続いている。
七月十九日の逃亡時ほどではないが、完全に回復したわけではなかった。
「無理しない方がいいよ」
「……分かってる」
少女は、記録媒体を取り出した。
小さな記憶装置。
先ほど男たちが奪おうとしたもの。
「……守れた」
零司が隣へ腰を下ろす。
「そうだね」
「……わたしの力で」
少女は、小さく呟いた。
零司は、その言葉を聞いて目を細めた。
「……嬉しい?」
少女は少し考えた。
そして。
「……少し」
答えた。
以前、自分の能力は研究者たちのために使わされていた。
実験のため。
数値を取るため。
誰かの命令に従うため。
しかし、今回は違う。
自分で使うと決めた。
守りたい情報があったから。
奪われたくなかったから。
そして、その結果。
記録媒体を守ることができた。
「……でも」
少女は、零司を見た。
「……あなたが、あの人たちを止めてくれたから」
「うん」
「……わたし一人じゃ、無理だった」
零司は、少し考えた。
それから、笑った。
「別に、一人で全部やる必要ないんじゃない?」
少女は目を瞬かせた。
「……え?」
「使えるものがあるなら、使えばいいでしょ」
零司は肩をすくめた。
「僕が近くにいたんだから、頼ればいいし」
「…………」
「それを決めるのも、君じゃない?」
少女は、しばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……うん」
そのとき。
「……N-13」
八雲が、二人へ歩み寄ってきた。
少女の表情が変わる。
「……何?」
「……一つ、確認させてください」
八雲の声は、先ほどまでとは違っていた。
少しだけ、焦りが混じっている。
「……音声の内容についてですが」
「……うん」
「……これ以上、調べるつもりですか?」
少女は、迷わず頷いた。
「……もちろん」
「……危険です」
「……知ってる」
「今の襲撃を見れば、分かるでしょう」
「……うん」
少女は、八雲を見つめた。
「……だから、余計に知りたい」
八雲は口を閉ざした。
「……あの子が、何から逃げたのか」
少女は続ける。
「……誰に、知られたらいけないのか」
その瞳には、強い意思が宿っていた。
「……ちゃんと、確かめる」
八雲は、しばらく黙っていた。
そして。
「……そうですか」
小さく息を吐いた。
どこか、諦めたような声だった。
◇
「……あれ?」
零司が、記録媒体の内容を確認していた。
少女が顔を向ける。
「……何?」
「これ、音声だけじゃないね」
「……え?」
端末には、複数の項目が並んでいた。
音声の原本。
通信経路の記録。
そして。
《関連保安記録》
《七月十二日》
少女の目が見開かれた。
「……十二日……?」
「うん」
零司は項目を開いた。
画面に表示されたのは、第六中継倉庫の管理記録だった。
《時刻:二十時三分》
《対象区画:第六中継倉庫・搬送室》
《操作内容:外部非常解錠》
《承認識別:Y-07》
《操作状態:正常終了》
「……外部、非常解錠……?」
少女が呟いた。
七月十二日。
N-12が倉庫から姿を消した日。
八雲の説明では、搬送コンテナが破損し、対象が消失したという。
しかし。
今、画面には別の記録が残されている。
「……これって」
少女は、八雲へ視線を向けた。
「……外から、開けたってこと?」
八雲の表情が変わった。
「…………」
零司は、さらに画面を操作する。
《承認識別照合》
《Y-07》
《登録管理者:八雲誠司》
沈黙。
少女の手が止まった。
「…………え?」
もう一度、画面を見る。
八雲誠司。
間違いない。
そこに記されているのは、目の前の男の名前だった。
「……八雲さん」
少女の声が震えた。
「……これ、どういうこと?」
八雲は答えなかった。
その顔から、いつもの穏やかな笑みが消えている。
「……あなたが、開けたの?」
少女は立ち上がった。
「……あの子が入ってた、コンテナ……!」
八雲は、ゆっくりと目を閉じた。
そして。
「……ええ」
静かに答えた。
少女の呼吸が止まる。
「……私です」
八雲は、目を開いた。
「七月十二日、午後八時三分」
淡々とした声。
だが、その表情は先ほどまでとは違っていた。
「N-12が収容されていた搬送コンテナの外部ロックを解除したのは、私です」
「…………!」
少女は、言葉を失った。
昨日。
八雲は言った。
N-12は倉庫から姿を消した。
正規の搬出記録もない。
逃走した可能性が高い、と。
しかし。
実際には。
目の前の男が、コンテナを開けていた。
「……嘘、ついたの?」
少女が尋ねた。
八雲は、しばらく黙っていた。
そして。
「……はい」
小さく答えた。
少女の拳が震える。
「……どうして……!」
八雲は答えなかった。
零司は、二人のやり取りを眺めていた。
そして、少しだけ笑う。
「……なるほど」
少年が口を開いた。
「だから、君のことも狙ってたんだ」
八雲が顔を上げる。
零司は続ける。
「N-12が逃げた理由を知られたくない人がいる」
「…………」
「で、君はその件に関わってる」
零司は、記録を指差した。
「だから、口を塞ごうとしたんじゃない?」
八雲は黙っていた。
否定もしない。
肯定もしない。
その反応を見て、零司の笑みが深くなる。
「……面白いね」
八雲は、ゆっくりと息を吐いた。
「……久遠様」
「ん?」
「……あなたは、どこまで知っているのですか?」
零司は首を傾げた。
「今、君が話したところまでだけど?」
「…………」
「だから、続きが聞きたいんだよね」
八雲は、しばらく零司を見つめていた。
そして。
「……分かりました」
静かに頷いた。
「ここまで知られた以上、隠し続ける意味もないでしょう」
少女が顔を上げる。
「……教えて」
八雲は、ゆっくりと眼鏡を外した。
そして、二人を見つめた。
「……ただし」
その声には、明らかな緊張があった。
「これから話すことは、丹羽主任にも伏せている情報です」
少女は頷いた。
「……うん」
八雲は続けた。
「N-12は、単に事故で行方不明になったわけではありません」
沈黙。
「……どういうこと?」
少女が尋ねる。
八雲は、小さく息を吸った。
そして。
「……あの夜、私は命令を受けたのです」
その言葉に、零司の目が細くなる。
「……誰から?」
八雲は、答えるまでに数秒を要した。
そして、ようやく口を開いた。
「……N-12を、外へ出せと」
少女の瞳が揺れた。
「……命令?」
「ええ」
八雲は頷いた。
「通常の管理系統には存在しない経路から、直接指示が届きました」
零司は、少しだけ身を乗り出した。
「へえ」
「……発信元は?」
少女が尋ねる。
八雲は首を横に振った。
「……特定できませんでした」
「…………」
「ただし、命令には私の管理権限を上回る認証が付いていました」
その言葉に、少女は息を呑んだ。
八雲は続ける。
「私は、その指示に従ってコンテナの外部ロックを解除しました」
そして。
「……扉を開けた後、監視系統に異常が発生したのです」
少女は、ゆっくりと端末へ視線を戻した。
七月十二日。
午後八時三分。
外部非常解錠。
その直後に記録された、監視映像の欠落。
そして、午後八時六分には空になっていたコンテナ。
すべてが、繋がり始めていた。
「……じゃあ」
少女は、小さく呟いた。
「……あの子は、自分で逃げたんじゃないの?」
八雲は、静かに答えた。
「それは、まだ分かりません」
そして。
「ただ、少なくとも」
眼鏡の奥の瞳が、僅かに細められた。
「……誰かが、彼女を外へ出そうとしていたことだけは確かです」
少女は、拳を握りしめた。
N-12。
消えた十二号。
その失踪は、偶然の事故ではなかった。
誰かが、扉を開けさせた。
誰かが、彼女を外へ出そうとした。
そして。
その一週間後。
同じ識別番号を使った通信が、N-13へ届いている。
偶然なのか。
それとも。
すべてが、最初から繋がっているのか。
少女には、まだ分からなかった。
しかし。
久遠零司は、静かに笑っていた。
「……なるほどね」
少年は携帯端末を閉じた。
そして、八雲へ視線を向ける。
「じゃあ、次はその命令を出した人を探そうか」
その声は、どこまでも軽かった。
だが、八雲の表情が強張る。
「……久遠様」
「ん?」
「……それは、おすすめできません」
「どうして?」
八雲は、ゆっくりと息を吐いた。
「……私でさえ、相手の正体を知らないのです」
零司は笑った。
「だから、探すんじゃない?」
その答えに。
八雲は、何も言えなかった。
そして、少女は思った。
この少年は、やはり恐ろしい。
相手の正体が分からないからこそ、普通なら慎重になる。
だが、零司は違う。
知らないから、興味を持つ。
分からないから、確かめようとする。
そして、その先に何が待っているのか。
そんなことは、実際に見てから考えればいいと思っている。
「……零司」
「ん?」
少女は、静かに顔を上げた。
「……わたしも、調べる」
その瞳には、迷いがなかった。
「……誰が、あの子を外へ出したのか」
そして。
「……どうして、わたしにもメッセージが届いたのか」
零司は、少しだけ目を細めた。
それから。
「……いいね」
楽しそうに笑った。
「じゃあ、続きといこうか」
七月二十六日。
消えた十二号の事件は、新たな段階へ進んだ。
N-12の失踪。
N-13へのメッセージ。
記録を消そうとする者たち。
そして、八雲誠司へ命令を下した、正体不明の存在。
それらは、まだ一つの答えには結びついていない。
だが。
少なくとも、もう単なる失踪事件ではなくなっていた。
誰かが、意図的に扉を開けた。
そして誰かが、その事実を隠そうとしている。
その先にあるものが何なのか。
久遠零司は、まだ知らない。
だからこそ。
その表情には、隠しきれない期待が浮かんでいた。