とある学園都市の第零位《ゼロナンバー》   作:右左右左右

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第13話 切り取られた言葉

『……十三……』

 

 ザザッ。

 

『……まだ……』

 

 耳障りな雑音。

 

『……見つけ……』

 

 そこで、音声は途切れた。

 

「…………」

 

 七月二十六日、午前九時十二分。

 

 久遠零司の部屋。

 

 N-13は、携帯端末に表示された波形を睨んでいた。

 

 昨日、第六中継倉庫で八雲誠司から受け取った音声記録。

 

 保存時間は、三・八秒。

 

 何度再生しても、内容は変わらない。

 

 十三。

 

 まだ。

 

 見つけ。

 

 それだけだった。

 

「……おかしい」

 

 少女は呟いた。

 

 向かいのソファでは、久遠零司が漫画を読んでいる。

 

「何が?」

 

「……この音声」

 

 少女は画面を指差した。

 

「……途中で、切れてる」

 

「そうだね」

 

「……でも、変なの」

 

 零司が顔を上げた。

 

「へえ?」

 

「……最後だけ、急に終わってる」

 

 少女は、もう一度音声を再生した。

 

 雑音。

 

 途切れ途切れの声。

 

 そして、最後の部分。

 

『……見つけ……』

 

 そこで、波形が途切れる。

 

「……通信が切れたなら、もっと雑音が残っててもいいんじゃない?」

 

「場合によると思うけど」

 

「……でも」

 

 少女は首を振った。

 

「……誰かが、途中で切った可能性もある」

 

 零司は、少しだけ目を細めた。

 

「……なるほどね」

 

 少女は端末を握りしめた。

 

 昨日、八雲は言った。

 

 通信の保存時間は三・八秒。

 

 しかし、本当にそれだけなのだろうか。

 

 八雲は、他にも何かを隠しているのではないか。

 

 そして昨夜。

 

 零司の端末へ届いた、差出人不明の警告。

 

『八雲誠司を信用するな』

 

『あの男は、まだ何かを隠している』

 

「……確かめたい」

 

 少女は顔を上げた。

 

「零司」

 

「ん?」

 

「……八雲に、連絡できる?」

 

「できると思うよ」

 

「……じゃあ、電話して」

 

「僕が?」

 

「……うん」

 

 零司は、少し考えた。

 

 それから、携帯端末を差し出した。

 

「はい」

 

「……え?」

 

「自分で聞きたいんでしょ?」

 

 少女は、端末を見つめた。

 

 それから。

 

「……そうだった」

 

 小さく呟く。

 

 零司の端末を受け取り、昨日の通信履歴から八雲の連絡先を選択する。

 

 発信。

 

 数回の呼び出し音。

 

 そして。

 

『……もしもし』

 

 聞き覚えのある声が響いた。

 

「……八雲誠司?」

 

『その声は……N-13ですか』

 

「……うん」

 

『何かご用でしょうか』

 

 少女は、短く息を吸った。

 

「……昨日の音声」

 

 そして、はっきりと告げた。

 

「……続きを、聞かせて」

 

 通信の向こうで、沈黙が落ちた。

 

     ◇

 

『……何のことでしょうか』

 

 八雲の声は穏やかだった。

 

 だが、少女は引かなかった。

 

「……三・八秒の音声」

 

『ええ』

 

「……あれ、本当に全部?」

 

『…………』

 

「……途中で、切ってない?」

 

 返事はなかった。

 

 その沈黙だけで、少女の疑念は強まった。

 

「……あるんだ」

 

『……何がでしょう』

 

「……続き」

 

 再び、沈黙。

 

 数秒後。

 

『……久遠様はいらっしゃいますか』

 

「……いる」

 

『代わっていただけますか』

 

 少女は零司を見た。

 

 少年は、ソファに寝転がったまま漫画を読んでいる。

 

「……零司」

 

「ん?」

 

「……代わってほしいって」

 

「嫌だ」

 

 即答だった。

 

「……え?」

 

「君に掛かってきた話でしょ?」

 

 零司はページをめくった。

 

「自分で話せば?」

 

「…………」

 

 少女は端末へ視線を戻した。

 

「……代わらないって」

 

『……そうですか』

 

 八雲が小さく息を吐く。

 

『では、直接お話ししましょう』

 

「……今度こそ、本当のことを教えて」

 

『条件があります』

 

 少女の表情が険しくなった。

 

「……また、取引?」

 

『ええ』

 

 八雲は淡々と答えた。

 

『こちらも無償で情報を提供するわけにはいきませんので』

 

 少女は拳を握りしめた。

 

 しかし、すぐに言い返すことはしなかった。

 

 昨日、自分は八雲と交渉した。

 

 必要な情報を得るために、自分が持つ情報を差し出した。

 

 今回も同じだ。

 

「……何が欲しいの?」

 

『あなたが研究施設から持ち出した端末です』

 

「……駄目」

 

『……即答ですか』

 

「……渡したら、また記録を消されるかもしれない」

 

『そのようなことは――』

 

「……昨日も、全部話してくれなかった」

 

 少女は言葉を遮った。

 

「……もう、簡単には信用しない」

 

 八雲は黙り込んだ。

 

 それから。

 

『……では、妥協案を』

 

「……何?」

 

『端末そのものを引き渡す必要はありません。通信記録の確認だけを認めていただきたい』

 

 少女は考えた。

 

 危険はある。

 

 だが、端末を直接操作させなければ、少なくとも奪われる可能性は低くなる。

 

「……触らせない」

 

『構いません』

 

「……見るだけ」

 

『承知しました』

 

「……その代わり、音声は全部聞かせて」

 

 数秒後。

 

『……分かりました』

 

 八雲が答えた。

 

『では、場所を指定してください』

 

 少女は少し驚いた。

 

「……わたしが?」

 

『ええ。昨日の件もありますからね』

 

 少女は端末を握り直した。

 

 そして、思い出す。

 

 昨日の倉庫。

 

 武装した飛行装置。

 

 八雲を狙った攻撃。

 

 あの場所へ、もう一度行く必要はない。

 

「……人がいる場所」

 

『……具体的には?』

 

「……第七学区の駅前」

 

 少女は続けた。

 

「……人通りの多いところで、話したい」

 

 八雲は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

『……よろしいでしょう』

 

 通話が切れた。

 

 少女は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……決まった」

 

「お疲れ」

 

 零司が漫画を閉じた。

 

「結構ちゃんと話せたじゃん」

 

「……聞いてたの?」

 

「隣にいたからね」

 

「…………」

 

 少女は、少しだけ頬を膨らませた。

 

 しかし、すぐに真剣な表情へ戻る。

 

「……零司」

 

「ん?」

 

「……一緒に来て」

 

 零司は首を傾げた。

 

「どうして?」

 

「……怖いから」

 

 少女は、正直に答えた。

 

「……でも、確かめたい」

 

 零司は、しばらく彼女を見つめていた。

 

 そして。

 

「いいよ」

 

 あっさりと頷いた。

 

「僕も、あの人にはまだ聞きたいことあるし」

 

 少女は、少しだけ安堵した。

 

 だが、その直後。

 

「ただし」

 

 零司が続ける。

 

「交渉は君がやってね」

 

「……え?」

 

「君が始めたんだから」

 

 少年は立ち上がった。

 

「最後までやってみなよ」

 

 少女は、数秒ほど彼を見つめていた。

 

 そして。

 

「……分かった」

 

 小さく頷いた。

 

     ◇

 

 午後一時二十六分。

 

 第七学区の駅前広場。

 

 夏休みの昼下がり。

 

 周囲には、多くの学生が行き交っていた。

 

 待ち合わせをする人々。

 

 買い物袋を提げた学生たち。

 

 広場に設置された大型ディスプレイ。

 

 その一角にある屋外の休憩スペースで、八雲誠司は二人を待っていた。

 

「……お待ちしておりました」

 

 昨日と同じ黒いスーツ。

 

 細い眼鏡。

 

 穏やかな表情。

 

 しかし、よく見ると顔色が悪かった。

 

「……昨日、襲われたから?」

 

 少女が尋ねた。

 

 八雲は少しだけ目を細める。

 

「……ええ。あまり眠れませんでした」

 

「そっか」

 

 零司は隣の椅子へ腰を下ろした。

 

「大変だね」

 

「……他人事ですね」

 

「実際、他人事だし」

 

 八雲は苦笑した。

 

 少女は、そのやり取りを無視して口を開く。

 

「……音声」

 

 八雲へ手を差し出す。

 

「……約束、守って」

 

 男は、しばらく少女を見つめていた。

 

 それから、小型の記録媒体を取り出した。

 

「こちらです」

 

 少女は受け取ろうとして、手を止めた。

 

「……全部?」

 

「ええ」

 

「……本当に?」

 

 八雲は目を伏せた。

 

「……今回は」

 

 その言葉に、少女の眉が動く。

 

 今回は。

 

 つまり、昨日は違った。

 

「……やっぱり、隠してたんだ」

 

 八雲は否定しなかった。

 

「……申し訳ありません」

 

「……謝ってほしいんじゃない」

 

 少女は、静かに言った。

 

「……理由を聞きたい」

 

 八雲は小さく息を吐いた。

 

「あなたがN-12を探していることは分かっていました」

 

「……うん」

 

「そして、我々も彼女を探しています」

 

 少女の表情が険しくなる。

 

「……だから?」

 

「あなたが捜索を続けるように、情報を調整しました」

 

 その言葉に。

 

 少女は、しばらく動かなかった。

 

「…………」

 

 そして。

 

「……わたしを、利用したかったから?」

 

「……はい」

 

 八雲は答えた。

 

「あなたがN-12を探し続ければ、我々にも新しい手掛かりが得られる可能性があります」

 

 少女の拳が震えた。

 

 昨日、渡された短い音声。

 

 その声がN-12かもしれないと思った。

 

 助けを求めているのかもしれないと思った。

 

 だから、何度も聞き返した。

 

 それなのに。

 

 目の前の男は、最初からその反応を期待していたのだ。

 

「……最低」

 

 八雲は、何も言い返さなかった。

 

 少女は記録媒体を受け取った。

 

 そして。

 

「……もう、あなたの言葉だけでは信じない」

 

 はっきりと告げた。

 

 八雲は静かに頷く。

 

「……それで構いません」

 

     ◇

 

 記録媒体には、複数のファイルが保存されていた。

 

 音声。

 

 通信時刻。

 

 保存装置の管理情報。

 

 そして、関連する記録の一覧。

 

 少女は、零司の予備端末を利用してファイルを開いた。

 

《音声記録》

 

《七月十九日 十八時四十一分》

 

《保存時間:十一・六秒》

 

「……十一秒……」

 

 少女が呟いた。

 

 昨日聞かされた三・八秒とは、明らかに違う。

 

「……再生する」

 

 八雲が小さく頷いた。

 

 少女は、画面に指を伸ばした。

 

 電子音。

 

 短い雑音。

 

 そして。

 

『……十三……』

 

 聞き覚えのある声。

 

『……まだ……』

 

 少女は、息を止めた。

 

『……見つけ……』

 

 ここまでは、昨日と同じだった。

 

 だが。

 

 音声は、そこで終わらなかった。

 

『……見つけないで……』

 

「…………!」

 

 少女の目が見開かれた。

 

 さらに、雑音が続く。

 

『……あの人に……』

 

 途切れ途切れの声。

 

『……知られたら……』

 

 そこで、音声が途切れた。

 

 沈黙。

 

 周囲では、学生たちの笑い声が響いている。

 

 遠くから、電車の到着を告げる案内音が聞こえる。

 

 だが、少女には何も聞こえていなかった。

 

「……見つけないで……?」

 

 小さく呟いた。

 

 助けを求めていると思っていた。

 

 見つけてほしいのだと。

 

 しかし、実際の音声は違った。

 

 見つけないで。

 

 その言葉は、まるで警告のようだった。

 

「……どうして……」

 

 少女の唇が震える。

 

「……どうして、そんなこと……」

 

 零司は、隣で黙って画面を見つめていた。

 

 そして。

 

「……なるほどね」

 

 小さく呟く。

 

 少女が顔を上げる。

 

「……何?」

 

「これ、最初のメッセージと合わないね」

 

 零司が指摘した。

 

 少女は端末を見た。

 

 研究施設から逃げ出す直前に届いた文章。

 

『外へ出ろ』

 

『必ず迎えに行く』

 

 そして、今回の音声。

 

『……十三……』

 

『……まだ……見つけないで……』

 

 確かに、言葉の向きが違う。

 

 一方は、外へ出るよう促している。

 

 もう一方は、何かを見つけないよう警告している。

 

「……同じ人じゃ、ない?」

 

 少女が尋ねた。

 

 零司は肩をすくめる。

 

「可能性はあるね」

 

「……でも、N-12の番号が使われてた」

 

「番号が同じだからって、使った人まで同じとは限らないでしょ?」

 

 少女は黙り込んだ。

 

 確かに、その通りだった。

 

 N-12の識別情報。

 

 それを本人が使ったのか。

 

 誰かが無断で利用したのか。

 

 まだ分からない。

 

 だが。

 

「……八雲さん」

 

 少女は顔を上げた。

 

「……この音声、どこで録ったの?」

 

 八雲は答えた。

 

「第六中継倉庫の保安通信系統です」

 

「……じゃあ、文章の方は?」

 

「丹羽研究室側の通信経路を通っています」

 

 少女の瞳が動いた。

 

 別の経路。

 

 別の装置。

 

 そして、二分間の差。

 

「……本当に、別の人かもしれない」

 

 少女は呟いた。

 

 八雲は静かに頷く。

 

「……ええ」

 

 そのときだった。

 

 零司が、不意に顔を上げた。

 

「……あれ?」

 

「……何?」

 

 少女が振り返る。

 

 零司は、広場の向こう側を見つめていた。

 

「……また来たんだ」

 

     ◇

 

「記録媒体を回収しろ」

 

 低い声。

 

 人混みの中から、二人の男が歩いてきた。

 

 普通の私服。

 

 目立たない外見。

 

 しかし、その視線は明らかに八雲と少女へ向けられていた。

 

「……っ!」

 

 八雲の表情が変わる。

 

「……なぜ、ここが……!」

 

 男の一人が、上着の内側へ手を伸ばした。

 

 取り出したのは、小型の電子装置。

 

 その先端が、記録媒体へ向けられる。

 

「……零司!」

 

 少女が叫んだ。

 

 しかし。

 

「んー」

 

 零司は、すでに男の方を見ていた。

 

「また情報を消すつもり?」

 

 次の瞬間。

 

 男の手元で、電子装置が不自然に変形した。

 

 内部の回路が、音もなく破損する。

 

「……なっ!?」

 

 男が驚いた隙に、もう一人が動いた。

 

 狙いは少女。

 

 正確には、少女が持つ記録媒体だった。

 

 男の手が伸びる。

 

「……っ!」

 

 少女は反射的に後ずさった。

 

 だが、その瞬間。

 

 思い出した。

 

 研究施設。

 

 逃亡。

 

 何度も使わされた、自分の能力。

 

 観測干渉。

 

 周囲へ届く情報を、不安定にする力。

 

 少女は、意識を集中した。

 

(……見ないで)

 

 ほんの一瞬。

 

 男の視線が、少女から外れた。

 

「……?」

 

 男の動きが止まる。

 

 目の前にいたはずの少女。

 

 その姿が、認識しづらくなった。

 

 消えたわけではない。

 

 透明になったわけでもない。

 

 ただ、そこにいるはずの人物へ意識を向けようとしても、うまく捉えられない。

 

「……どこだ!?」

 

 男が周囲を見回す。

 

 その間に。

 

 少女は、記録媒体を服の内側へしまい込んだ。

 

 そして、零司の背後へ移動する。

 

「……零司!」

 

「うん」

 

 少年は、小さく笑った。

 

「いい使い方だね」

 

 その直後。

 

 男たちの身体が、同時に動きを止めた。

 

「……ぐっ!?」

 

 腕。

 

 脚。

 

 身体を支える力。

 

 その釣り合いが、零司によって変更されていた。

 

 男たちは、立ったまま拘束される。

 

 抵抗しようとしても、動けない。

 

「……さて」

 

 零司は、ゆっくりと歩み寄った。

 

「君たち、昨日の飛行装置とは違う人?」

 

 男は答えなかった。

 

 その額には、冷たい汗が浮かんでいる。

 

「……命令だ」

 

 片方の男が、苦しそうに呟いた。

 

「記録を……回収しろと……!」

 

「誰から?」

 

「……言えるわけが……」

 

「そっか」

 

 零司は、あっさりと引き下がった。

 

 そして、八雲へ振り返る。

 

「知り合い?」

 

 八雲は首を横に振った。

 

「……少なくとも、私の指揮下にはいません」

 

「ふうん」

 

 零司は、男たちへ視線を戻した。

 

「じゃあ、別の人が動かしてるんだね」

 

 その表情には、いつもの余裕があった。

 

 しかし。

 

 灰紫色の瞳が、少しだけ細くなる。

 

「……何だか、随分と必死だなぁ」

 

 男たちは答えない。

 

 零司は、少し考えた。

 

 そして。

 

「まあ、いいや」

 

 片手を上げる。

 

 男たちは、その場へ膝をついた。

 

 拘束は続いている。

 

 だが、呼吸や会話には支障がない。

 

 零司は携帯端末を取り出した。

 

「警備員さん、呼んどこうか」

 

 八雲は、呆然と少年を見つめていた。

 

 昨日の武装飛行装置。

 

 今日の回収要員。

 

 いずれも、零司をまともに拘束することすらできない。

 

 事前に能力を把握している者が相手でも、結果は変わらなかった。

 

 目の前にいるのは、ただの能力者ではない。

 

 八雲は、改めてそれを理解した。

 

     ◇

 

 午後三時過ぎ。

 

 駅前広場から少し離れた場所。

 

 少女は、壁際のベンチへ腰を下ろしていた。

 

「……大丈夫?」

 

 零司が尋ねる。

 

「……うん」

 

 少女は頷いた。

 

 しかし、顔色は悪い。

 

 能力を使った直後から、軽い頭痛が続いている。

 

 七月十九日の逃亡時ほどではないが、完全に回復したわけではなかった。

 

「無理しない方がいいよ」

 

「……分かってる」

 

 少女は、記録媒体を取り出した。

 

 小さな記憶装置。

 

 先ほど男たちが奪おうとしたもの。

 

「……守れた」

 

 零司が隣へ腰を下ろす。

 

「そうだね」

 

「……わたしの力で」

 

 少女は、小さく呟いた。

 

 零司は、その言葉を聞いて目を細めた。

 

「……嬉しい?」

 

 少女は少し考えた。

 

 そして。

 

「……少し」

 

 答えた。

 

 以前、自分の能力は研究者たちのために使わされていた。

 

 実験のため。

 

 数値を取るため。

 

 誰かの命令に従うため。

 

 しかし、今回は違う。

 

 自分で使うと決めた。

 

 守りたい情報があったから。

 

 奪われたくなかったから。

 

 そして、その結果。

 

 記録媒体を守ることができた。

 

「……でも」

 

 少女は、零司を見た。

 

「……あなたが、あの人たちを止めてくれたから」

 

「うん」

 

「……わたし一人じゃ、無理だった」

 

 零司は、少し考えた。

 

 それから、笑った。

 

「別に、一人で全部やる必要ないんじゃない?」

 

 少女は目を瞬かせた。

 

「……え?」

 

「使えるものがあるなら、使えばいいでしょ」

 

 零司は肩をすくめた。

 

「僕が近くにいたんだから、頼ればいいし」

 

「…………」

 

「それを決めるのも、君じゃない?」

 

 少女は、しばらく黙っていた。

 

 そして、小さく頷いた。

 

「……うん」

 

 そのとき。

 

「……N-13」

 

 八雲が、二人へ歩み寄ってきた。

 

 少女の表情が変わる。

 

「……何?」

 

「……一つ、確認させてください」

 

 八雲の声は、先ほどまでとは違っていた。

 

 少しだけ、焦りが混じっている。

 

「……音声の内容についてですが」

 

「……うん」

 

「……これ以上、調べるつもりですか?」

 

 少女は、迷わず頷いた。

 

「……もちろん」

 

「……危険です」

 

「……知ってる」

 

「今の襲撃を見れば、分かるでしょう」

 

「……うん」

 

 少女は、八雲を見つめた。

 

「……だから、余計に知りたい」

 

 八雲は口を閉ざした。

 

「……あの子が、何から逃げたのか」

 

 少女は続ける。

 

「……誰に、知られたらいけないのか」

 

 その瞳には、強い意思が宿っていた。

 

「……ちゃんと、確かめる」

 

 八雲は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……そうですか」

 

 小さく息を吐いた。

 

 どこか、諦めたような声だった。

 

     ◇

 

「……あれ?」

 

 零司が、記録媒体の内容を確認していた。

 

 少女が顔を向ける。

 

「……何?」

 

「これ、音声だけじゃないね」

 

「……え?」

 

 端末には、複数の項目が並んでいた。

 

 音声の原本。

 

 通信経路の記録。

 

 そして。

 

《関連保安記録》

 

《七月十二日》

 

 少女の目が見開かれた。

 

「……十二日……?」

 

「うん」

 

 零司は項目を開いた。

 

 画面に表示されたのは、第六中継倉庫の管理記録だった。

 

《時刻:二十時三分》

 

《対象区画:第六中継倉庫・搬送室》

 

《操作内容:外部非常解錠》

 

《承認識別:Y-07》

 

《操作状態:正常終了》

 

「……外部、非常解錠……?」

 

 少女が呟いた。

 

 七月十二日。

 

 N-12が倉庫から姿を消した日。

 

 八雲の説明では、搬送コンテナが破損し、対象が消失したという。

 

 しかし。

 

 今、画面には別の記録が残されている。

 

「……これって」

 

 少女は、八雲へ視線を向けた。

 

「……外から、開けたってこと?」

 

 八雲の表情が変わった。

 

「…………」

 

 零司は、さらに画面を操作する。

 

《承認識別照合》

 

《Y-07》

 

《登録管理者:八雲誠司》

 

 沈黙。

 

 少女の手が止まった。

 

「…………え?」

 

 もう一度、画面を見る。

 

 八雲誠司。

 

 間違いない。

 

 そこに記されているのは、目の前の男の名前だった。

 

「……八雲さん」

 

 少女の声が震えた。

 

「……これ、どういうこと?」

 

 八雲は答えなかった。

 

 その顔から、いつもの穏やかな笑みが消えている。

 

「……あなたが、開けたの?」

 

 少女は立ち上がった。

 

「……あの子が入ってた、コンテナ……!」

 

 八雲は、ゆっくりと目を閉じた。

 

 そして。

 

「……ええ」

 

 静かに答えた。

 

 少女の呼吸が止まる。

 

「……私です」

 

 八雲は、目を開いた。

 

「七月十二日、午後八時三分」

 

 淡々とした声。

 

 だが、その表情は先ほどまでとは違っていた。

 

「N-12が収容されていた搬送コンテナの外部ロックを解除したのは、私です」

 

「…………!」

 

 少女は、言葉を失った。

 

 昨日。

 

 八雲は言った。

 

 N-12は倉庫から姿を消した。

 

 正規の搬出記録もない。

 

 逃走した可能性が高い、と。

 

 しかし。

 

 実際には。

 

 目の前の男が、コンテナを開けていた。

 

「……嘘、ついたの?」

 

 少女が尋ねた。

 

 八雲は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……はい」

 

 小さく答えた。

 

 少女の拳が震える。

 

「……どうして……!」

 

 八雲は答えなかった。

 

 零司は、二人のやり取りを眺めていた。

 

 そして、少しだけ笑う。

 

「……なるほど」

 

 少年が口を開いた。

 

「だから、君のことも狙ってたんだ」

 

 八雲が顔を上げる。

 

 零司は続ける。

 

「N-12が逃げた理由を知られたくない人がいる」

 

「…………」

 

「で、君はその件に関わってる」

 

 零司は、記録を指差した。

 

「だから、口を塞ごうとしたんじゃない?」

 

 八雲は黙っていた。

 

 否定もしない。

 

 肯定もしない。

 

 その反応を見て、零司の笑みが深くなる。

 

「……面白いね」

 

 八雲は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……久遠様」

 

「ん?」

 

「……あなたは、どこまで知っているのですか?」

 

 零司は首を傾げた。

 

「今、君が話したところまでだけど?」

 

「…………」

 

「だから、続きが聞きたいんだよね」

 

 八雲は、しばらく零司を見つめていた。

 

 そして。

 

「……分かりました」

 

 静かに頷いた。

 

「ここまで知られた以上、隠し続ける意味もないでしょう」

 

 少女が顔を上げる。

 

「……教えて」

 

 八雲は、ゆっくりと眼鏡を外した。

 

 そして、二人を見つめた。

 

「……ただし」

 

 その声には、明らかな緊張があった。

 

「これから話すことは、丹羽主任にも伏せている情報です」

 

 少女は頷いた。

 

「……うん」

 

 八雲は続けた。

 

「N-12は、単に事故で行方不明になったわけではありません」

 

 沈黙。

 

「……どういうこと?」

 

 少女が尋ねる。

 

 八雲は、小さく息を吸った。

 

 そして。

 

「……あの夜、私は命令を受けたのです」

 

 その言葉に、零司の目が細くなる。

 

「……誰から?」

 

 八雲は、答えるまでに数秒を要した。

 

 そして、ようやく口を開いた。

 

「……N-12を、外へ出せと」

 

 少女の瞳が揺れた。

 

「……命令?」

 

「ええ」

 

 八雲は頷いた。

 

「通常の管理系統には存在しない経路から、直接指示が届きました」

 

 零司は、少しだけ身を乗り出した。

 

「へえ」

 

「……発信元は?」

 

 少女が尋ねる。

 

 八雲は首を横に振った。

 

「……特定できませんでした」

 

「…………」

 

「ただし、命令には私の管理権限を上回る認証が付いていました」

 

 その言葉に、少女は息を呑んだ。

 

 八雲は続ける。

 

「私は、その指示に従ってコンテナの外部ロックを解除しました」

 

 そして。

 

「……扉を開けた後、監視系統に異常が発生したのです」

 

 少女は、ゆっくりと端末へ視線を戻した。

 

 七月十二日。

 

 午後八時三分。

 

 外部非常解錠。

 

 その直後に記録された、監視映像の欠落。

 

 そして、午後八時六分には空になっていたコンテナ。

 

 すべてが、繋がり始めていた。

 

「……じゃあ」

 

 少女は、小さく呟いた。

 

「……あの子は、自分で逃げたんじゃないの?」

 

 八雲は、静かに答えた。

 

「それは、まだ分かりません」

 

 そして。

 

「ただ、少なくとも」

 

 眼鏡の奥の瞳が、僅かに細められた。

 

「……誰かが、彼女を外へ出そうとしていたことだけは確かです」

 

 少女は、拳を握りしめた。

 

 N-12。

 

 消えた十二号。

 

 その失踪は、偶然の事故ではなかった。

 

 誰かが、扉を開けさせた。

 

 誰かが、彼女を外へ出そうとした。

 

 そして。

 

 その一週間後。

 

 同じ識別番号を使った通信が、N-13へ届いている。

 

 偶然なのか。

 

 それとも。

 

 すべてが、最初から繋がっているのか。

 

 少女には、まだ分からなかった。

 

 しかし。

 

 久遠零司は、静かに笑っていた。

 

「……なるほどね」

 

 少年は携帯端末を閉じた。

 

 そして、八雲へ視線を向ける。

 

「じゃあ、次はその命令を出した人を探そうか」

 

 その声は、どこまでも軽かった。

 

 だが、八雲の表情が強張る。

 

「……久遠様」

 

「ん?」

 

「……それは、おすすめできません」

 

「どうして?」

 

 八雲は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……私でさえ、相手の正体を知らないのです」

 

 零司は笑った。

 

「だから、探すんじゃない?」

 

 その答えに。

 

 八雲は、何も言えなかった。

 

 そして、少女は思った。

 

 この少年は、やはり恐ろしい。

 

 相手の正体が分からないからこそ、普通なら慎重になる。

 

 だが、零司は違う。

 

 知らないから、興味を持つ。

 

 分からないから、確かめようとする。

 

 そして、その先に何が待っているのか。

 

 そんなことは、実際に見てから考えればいいと思っている。

 

「……零司」

 

「ん?」

 

 少女は、静かに顔を上げた。

 

「……わたしも、調べる」

 

 その瞳には、迷いがなかった。

 

「……誰が、あの子を外へ出したのか」

 

 そして。

 

「……どうして、わたしにもメッセージが届いたのか」

 

 零司は、少しだけ目を細めた。

 

 それから。

 

「……いいね」

 

 楽しそうに笑った。

 

「じゃあ、続きといこうか」

 

 七月二十六日。

 

 消えた十二号の事件は、新たな段階へ進んだ。

 

 N-12の失踪。

 

 N-13へのメッセージ。

 

 記録を消そうとする者たち。

 

 そして、八雲誠司へ命令を下した、正体不明の存在。

 

 それらは、まだ一つの答えには結びついていない。

 

 だが。

 

 少なくとも、もう単なる失踪事件ではなくなっていた。

 

 誰かが、意図的に扉を開けた。

 

 そして誰かが、その事実を隠そうとしている。

 

 その先にあるものが何なのか。

 

 久遠零司は、まだ知らない。

 

 だからこそ。

 

 その表情には、隠しきれない期待が浮かんでいた。

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