七月二十七日、午前九時十八分。
学園都市第七学区。
久遠零司の部屋。
「……やっぱり、おかしい」
テーブルに向かっていた少女が呟いた。
画面には、二つの通信記録が並んでいる。
《七月十九日 十八時四十一分》
《第六中継倉庫・通信検出》
そして。
《七月十九日 十八時四十三分》
《N-13端末・メッセージ受信》
二分間の差。
発信元は不明。
どちらの記録にも、N-12に関連する管理識別情報が使われている。
しかし、それだけでは二つの通信が同じ人物によるものだとは断定できない。
「……どうして、二分も違うんだろう」
「時計がずれてたとか?」
ソファから声がした。
久遠零司だった。
片手に携帯ゲーム機。
画面から目を離さないまま、適当に答えている。
「……それも、考えた」
「じゃあ、何が問題?」
「……他にも、気になることがある」
少女は画面を切り替えた。
昨日、八雲誠司から受け取った記録媒体。
その中に保存されていた、七月十二日の保安記録。
《二十時三分》
《搬送室・外部非常解錠》
《承認識別:Y-07》
八雲本人が認めた操作だった。
上位権限から指示を受け、N-12が収容されていたコンテナを解錠した。
直後に監視映像が途切れ、午後八時六分にはコンテナが空になっていた。
「……七月十二日」
少女が呟く。
「……あの子が、いなくなった日」
零司はゲーム機を置いた。
「それが?」
「……七月十九日まで、七日間ある」
「うん」
「……その間、あの子は何をしてたの?」
零司は首を傾げた。
「知らない」
「……そうだよね」
少女は、少しだけ唇を噛んだ。
N-12は七月十二日に姿を消した。
そして、七月十九日に自分へメッセージが届いた。
もし、あの子が送ってくれたのなら。
七日間、どこかに潜伏していたのだろうか。
それとも、別の誰かが番号を使ったのだろうか。
少女は、自分が持っている古い端末を見つめた。
研究施設から持ち出した、画面の割れた携帯端末。
その中には、まだ調べていない情報があるかもしれない。
「……零司」
「ん?」
「……この端末、もっと詳しく調べたい」
「この前の修理屋さんじゃ駄目なの?」
「……通信の中身じゃなくて、記録の作られ方を調べたい」
零司が顔を上げる。
「へえ」
少女は続けた。
「……いつ届いたかは分かってる。でも、いつ作られたのかは、まだ調べてない」
数秒の沈黙。
それから、零司が笑った。
「……なるほど」
少年は携帯端末を取り出した。
「じゃあ、詳しい人を探してみようか」
◇
午前十一時四十二分。
第七学区の電子機器修理街。
大通りから一本外れた路地に、小さな工房があった。
《槙野電子技研》
古びた看板。
入口には、営業時間すら書かれていない。
少女が扉を開けると、電子部品特有の匂いが鼻を突いた。
「……すみません」
「そこ、踏まないで!」
「……えっ!?」
突然の怒鳴り声。
少女が足を止める。
足元には、小さな基板が並んでいた。
「まったく、客が来るなら先に連絡しなさいよ……」
作業台の奥から、一人の女性が姿を現した。
二十代後半ほど。
短く切った茶色の髪。
作業用のゴーグルを額に上げ、油汚れのついた上着を着ている。
「修理? 改造? それとも違法品?」
早口で尋ねる。
零司が片手を上げた。
「こんにちはー」
「……あんた誰?」
「久遠零司」
「知らない」
「そっか」
零司は笑った。
「知り合いから紹介されたんだけど」
女性は眉をひそめた。
「誰から?」
零司が携帯端末を見せる。
そこには、ある技術者の紹介文が表示されていた。
「……ああ、あいつか」
女性は小さく息を吐いた。
「で、何が欲しいの?」
零司は少女を指差した。
「この子の端末を調べてほしいんだって」
女性が少女へ視線を向ける。
「……何を調べたい?」
少女は、一歩前へ出た。
「……メッセージの作成時刻」
「受信時刻じゃなくて?」
「……うん」
女性の目が、僅かに細くなった。
「珍しい依頼ね」
「……できる?」
「端末を見ないことには分からないけど」
女性は手を差し出した。
「貸して」
少女は少し迷った。
そして。
「……中の情報は、消さないで」
女性が眉を上げる。
「当たり前でしょ。解析前に複製取るわよ」
「……それと」
「まだあるの?」
「……通信機能は、切ったままにして」
その言葉に、女性の表情が変わった。
少女の手元の端末。
割れた画面。
研究施設で使用されていたと思われる特殊な外装。
そして、標準品では見られない通信端子。
「……あんたたち」
女性は、少しだけ声を落とした。
「これ、どこから持ってきたの?」
零司が笑った。
「秘密」
「帰って」
「えー」
少女は慌てて口を開いた。
「……研究施設から」
女性の視線が動く。
「……研究施設?」
「……わたしが、使ってた端末」
少女は続けた。
「……中に、大事なメッセージが残ってる」
女性は、しばらく二人を見つめていた。
それから、深く息を吐いた。
「……槙野梓」
「……え?」
「私の名前。店の看板にも書いてあるでしょ」
女性は作業台を指差した。
「とりあえず、そこに置いて」
◇
「……面倒なもの持ってきたわね」
作業開始から十五分。
槙野梓は、露骨に嫌そうな顔をしていた。
「これ、一般流通品じゃないわよ」
「……知ってる」
「専用の管理領域があるし、通信基板も改造されてる。しかも、外部認証用の部品まで載ってる」
槙野は端末を裏返した。
「普通なら、研究施設の管理者しか触れないようになってるはずだけど」
「……調べられる?」
「急かさないで」
槙野は、細いケーブルを接続した。
端末を外部通信から隔離し、内部の記録領域を読み出す。
画面に、複数のデータが表示された。
《受信記録》
《通信管理情報》
《内部保存領域》
「……あった」
槙野が呟いた。
少女が身を乗り出す。
「……何?」
「メッセージの受信履歴」
画面に、七月十九日の記録が表示される。
《受信日時:七月十九日 十八時四十三分》
《配信状態:完了》
《送信者識別:欠落》
「……これなら、知ってる」
少女が呟く。
「そうでしょうね」
槙野は、さらに操作した。
「問題は、この前の処理記録よ」
画面が切り替わる。
《中継処理履歴》
《配送要求:保留》
《配信予約情報:存在》
「……予約?」
少女が眉をひそめる。
槙野は小さく頷いた。
「このメッセージ、受信した瞬間に作られたものじゃない可能性があるわ」
「……どういうこと?」
「簡単に言えば、前から用意してあった文章を、決められた時刻に届けたってこと」
少女の呼吸が止まった。
「……いつ?」
「今、確認してる」
槙野の指が、素早く動いた。
文字列が次々と画面を流れる。
そして。
《配送要求作成日時》
《七月十二日 二十時五分》
「…………」
少女は動かなかった。
七月十二日。
午後八時五分。
それは。
N-12が搬送コンテナから消えたとされる時間帯だった。
「……零司」
少女が、小さく呼びかける。
「見えてるよ」
零司は、いつの間にか背後から画面を覗き込んでいた。
その表情には、珍しく真剣な興味が浮かんでいる。
「……ちょうど、あの日だね」
「……うん」
少女は、画面を見つめた。
七月十二日、午後八時三分。
八雲誠司が、コンテナの外部ロックを解除した。
そして、二分後。
誰かが、N-13宛てのメッセージの配送要求を作成した。
「……あの子が……?」
思わず呟く。
だが、槙野が首を横に振った。
「待って。これだけで送信者は分からない」
「……え?」
「保存されているのは配送要求の作成時刻。実際に誰が文章を作ったかまでは記録されてない」
槙野は、画面の別の箇所を示した。
「しかも、管理情報が欠けてる。時刻そのものが書き換えられてる可能性もある」
「…………」
「だから、断定はできないわ」
少女は、ゆっくりと頷いた。
期待した。
あの子が、逃げ出す直前に自分へメッセージを残してくれたのだと。
そう思いたかった。
しかし、まだ証拠は足りない。
零司が口を開いた。
「でも、偶然にしては面白いね」
「まあね」
槙野も頷いた。
「時刻が正しければ、何者かが七日前からこの通信を準備していたことになる」
少女は、もう一度画面を見た。
『外へ出ろ』
『必ず迎えに行く』
七月十九日に受け取った文章。
その配送要求が、七月十二日に作られていた。
もし本当なら。
メッセージを送った人物が、七月十九日に生きていたことの証明にはならない。
だが同時に。
七月十二日の時点で、N-13を外へ出そうと考えていた何者かが存在したことになる。
「……どうして」
少女は、小さく呟いた。
「……七日も、待ったの?」
誰も答えなかった。
◇
「もう一つ、確認したいことがあるの」
槙野が、端末を操作しながら言った。
「……何?」
「この配送要求、普通の外部通信から作られていない」
少女が顔を上げる。
「……研究施設の中から?」
「正確には、施設の管理系統を通してる」
槙野は画面を指差した。
《要求受付系統:施設管理回線》
《処理方式:予約配送》
《要求元認証:制限情報》
「……認証情報が、読めない」
少女が呟く。
「そう。削除されたのか、最初から閲覧できないようになってるのかは分からない」
槙野は椅子の背もたれへ身体を預けた。
「ただ、外から普通に送ったメールとは違うわね」
零司が、楽しそうに口を開いた。
「ねえ、槙野さん」
「何?」
「その予約、誰でも作れるの?」
「無理」
即答だった。
「少なくとも、施設管理回線にアクセスできる権限が必要」
「ふうん」
「もちろん、権限を盗んだり、偽装したりする方法はあるけど」
「そっか」
零司は小さく笑った。
「じゃあ、研究所の中の人とは限らないんだね」
「その通り」
槙野は頷いた。
少女は、二人の会話を聞いていた。
七月十二日。
N-12の失踪。
七月十九日。
自分へのメッセージ。
そして、その後の逃亡。
すべての出来事が、一本の線で繋がりかけている。
だが。
何者が、その線を引いたのか。
まだ分からなかった。
「……ありがとう」
少女は槙野へ頭を下げた。
「……助かった」
「まだ終わってないわよ」
槙野は、画面を閉じなかった。
「……え?」
「この端末、受信したメッセージ以外にも、管理系統の通信が残ってる」
少女の表情が変わる。
「……他にも?」
「ほとんどは通常の認証記録だけどね」
槙野が、別の項目を開いた。
そこには、七月十九日以前の通信履歴が並んでいた。
少女は、画面へ顔を近づける。
その中に。
一つだけ、見覚えのある文字列があった。
《Y-07》
「……っ!」
少女の手が止まる。
「……零司!」
「ん?」
「……これ!」
画面に表示された認証識別。
Y-07。
八雲誠司に割り当てられていた管理識別番号。
七月十二日。
N-12の搬送コンテナを開けたときに使用されたものと、同じだった。
「……八雲さんの番号」
少女が呟く。
零司が画面を覗き込んだ。
「……本当だ」
槙野は首を傾げた。
「知ってる番号?」
「……うん」
少女は頷いた。
「……あの子を閉じ込めてたコンテナを、開けた人の」
槙野の指が止まった。
「……ちょっと待って」
女性は、少女へ視線を向けた。
「今、何て言った?」
◇
工房の空気が変わった。
槙野は、ゆっくりと端末から手を離した。
「……その番号、どこで知ったの?」
少女は、零司を見た。
少年は肩をすくめる。
「話してもいいんじゃない?」
「……でも」
「君の持ってる情報でしょ?」
少女は少し考えた。
そして、槙野へ顔を向ける。
「……七月十二日」
ゆっくりと話し始めた。
N-12が研究施設から移送されたこと。
第六中継倉庫へ運ばれたこと。
八雲誠司が、何者かの命令でコンテナを解錠したこと。
そして、その後にN-12が姿を消したこと。
槙野は、最後まで黙って聞いていた。
「……なるほど」
小さく呟く。
「……話が大きくなってきたわね」
少女は頷いた。
「……この番号、何か分かる?」
槙野は、もう一度画面を確認した。
《認証識別:Y-07》
《接続日時:七月十二日 二十時四分》
《接続状態:一時承認》
「……四分」
槙野が呟く。
少女の目が動いた。
午後八時三分。
八雲によるコンテナの解錠。
午後八時四分。
N-13の端末に残っていたY-07の認証記録。
午後八時五分。
メッセージの配送要求が作成された。
「……順番に、並んでる」
少女が呟く。
槙野は頷いた。
「ただし、これは認証処理の履歴よ」
「……うん」
「八雲って人が直接この端末を操作した証拠ではない」
「……分かってる」
少女は、画面を見つめた。
同じ時間帯。
同じ認証番号。
そして、自分へのメッセージ。
偶然かもしれない。
偽装された記録かもしれない。
それでも。
調べる価値はある。
「……これ、保存して」
少女が言った。
槙野は頷く。
「もちろん。元データと一緒に複製しておく」
作業が進む。
その途中。
ピッ。
槙野の作業用端末が、短い電子音を鳴らした。
「……何?」
画面に、警告が表示される。
《外部照会を検知》
《対象:通信管理領域》
《管理認証要求》
槙野の表情が険しくなった。
「……おいおい」
次の瞬間。
《遠隔初期化要求》
《実行待機》
「……っ!」
少女が息を呑んだ。
「……また、消される!?」
「落ち着いて!」
槙野は素早く操作した。
外部接続は、すでに切ってある。
だが、端末の管理基板には独立した制御機構が組み込まれていた。
外部から受け取った管理命令を、内部に保存しておく仕組み。
その命令が、解析中に有効になろうとしていた。
「……こんなものまで仕込んでるの!?」
槙野が舌打ちする。
少女の顔から血の気が引いた。
せっかく見つけた情報。
七月十二日の記録。
それが、また消される。
「……零司!」
少女が叫んだ。
しかし、少年は慌てなかった。
「んー」
画面を覗き込む。
「これ、止めればいいの?」
「不用意に触らないで!」
槙野が叫んだ。
「下手に電源を切ったら、保護処理まで走る!」
「へえ」
零司は少しだけ笑った。
「面倒な作りだね」
そして、端末へ視線を向ける。
次の瞬間。
画面の表示が止まった。
《遠隔初期化要求》
《実行待機》
そのまま、変化しない。
「……え?」
槙野が目を見開いた。
管理命令は、実行を要求し続けている。
しかし、実行に必要な記憶素子の書き換え処理が成立しない。
零司が、その物理的な条件を変更していた。
管理基板は正常に動こうとしている。
だが、情報を書き換えることだけができなくなっていた。
「……何をしたの?」
槙野が呟く。
「ちょっと止めただけ」
零司は笑った。
「複製、終わった?」
「……あ、ああ」
槙野は慌てて操作を再開した。
保存処理が進む。
元の端末とは別の、独立した記録装置へデータが複製されていく。
数秒後。
《複製完了》
「……できた」
槙野が息を吐いた。
零司は頷く。
「じゃあ、もういいかな」
少年が指を離した。
直後。
元の端末の画面が暗転した。
「……っ!」
少女が身を乗り出す。
だが。
槙野は、別の記録装置を持ち上げた。
「大丈夫」
小さく笑う。
「こっちは残ってる」
少女は、ゆっくりと息を吐いた。
「……よかった」
槙野は、暗転した端末を見つめた。
そして、零司へ視線を向ける。
「……あんた」
「ん?」
「何者?」
零司は笑った。
「ただのレベル0だよ」
「……嘘つけ」
槙野は即答した。
◇
午後三時過ぎ。
電子機器修理街の路地。
少女は、手にした記録媒体を見つめていた。
七月十二日の認証記録。
メッセージの配送要求。
そして、七月十九日の受信履歴。
今度は、独立した複製も残されている。
「……零司」
「ん?」
「……八雲に、聞きたいことがある」
零司が顔を向ける。
「また?」
「……うん」
少女は頷いた。
「……あの人、本当に何も知らなかったのかな」
七月十二日。
午後八時三分。
外部非常解錠。
午後八時四分。
Y-07による一時認証。
午後八時五分。
配送要求の作成。
すべてが近接している。
少なくとも、偶然と片づけるには不自然だった。
「……八雲が、あの子を逃がしたのなら」
少女は続けた。
「……わたしへのメッセージにも、関わってるかもしれない」
零司は少し考えた。
「あり得るね」
「……調べたい」
「じゃあ、連絡してみれば?」
少女は頷いた。
携帯端末を取り出す。
八雲誠司。
昨日、別れたばかりの男。
その連絡先を選択する。
発信。
数回の呼び出し音。
しかし。
『お掛けになった番号は、現在ご利用いただけません』
「……え?」
少女が端末を見つめる。
もう一度、発信する。
結果は同じだった。
『お掛けになった番号は、現在ご利用いただけません』
「……零司」
「ん?」
「……繋がらない」
零司は、自分の端末を取り出した。
八雲の連絡先を確認する。
そして、短く操作した。
「……あれ?」
少年の目が、僅かに細くなる。
「どうしたの?」
少女が尋ねる。
零司は画面を見せた。
《登録情報なし》
八雲誠司。
その人物が使用していた通信契約の登録情報が、照会できなくなっていた。
「……消された?」
少女が呟く。
「かもしれないね」
零司は、少しだけ笑った。
「昨日まで普通に使えてたのに」
少女の表情が強張る。
「……あの人、大丈夫なの?」
「さあ?」
零司は首を傾げた。
八雲誠司。
N-12の搬送コンテナを解錠した男。
何者かの命令に従い、その後の記録を隠した人物。
昨日は、自分たちへ情報を提供していた。
しかし。
今日になって、連絡先が使えなくなった。
偶然なのか。
それとも、何者かが彼の通信手段を封じたのか。
まだ分からない。
「……零司」
「ん?」
少女は、少し迷った。
そして。
「……八雲を、探したい」
零司が目を瞬かせる。
「へえ」
少女は続けた。
「……あの人、嘘をついた」
「うん」
「……わたしを、利用しようとした」
「そうだね」
「……でも」
少女は、手元の記録媒体を握りしめた。
「……まだ、聞いてないことがある」
零司は、しばらく少女を見つめていた。
そして。
「なるほど」
小さく笑う。
「今度は八雲さんを追うんだ」
少女は頷いた。
「……うん」
それは、八雲を助けたいからではない。
彼を許したからでもない。
ただ。
真実を知るために、必要だからだ。
少女は、自分の意思でそう決めた。
◇
同日、午後六時四十分。
学園都市某所。
薄暗い部屋。
複数のモニターが並ぶ、その一角。
一人の男が、椅子に腰掛けていた。
画面には、短い報告が表示されている。
《N-13端末》
《管理領域初期化:未完了》
《記録複製:確認》
《関連人物:久遠零司》
「……失敗か」
男が小さく呟いた。
背後から、別の声が響く。
『対象の端末に対する遠隔処理は、完了していません』
「見れば分かる」
『追加の処理を実行しますか』
男は、しばらく考えた。
そして。
「……不要だ」
静かに答える。
「久遠零司がいる限り、同じ方法は通用しない」
『では、どのように?』
男は、画面を切り替えた。
そこには、別の人物の情報が表示されていた。
《八雲誠司》
《管理権限:停止》
《通信契約:無効》
《所在確認:保留》
「……こちらを優先しろ」
『承知しました』
男は、静かに画面を見つめた。
久遠零司。
学園都市の第零位。
通常の能力者とは異なる存在。
正面から排除することは困難。
しかし。
彼の能力にも、できないことはある。
知らない情報を、何もないところから生み出すこと。
誰かの意思を、完全に予測すること。
そして。
すでに失われた記録を、必ず復元できるとは限らないこと。
「……力が強いだけでは、どうにもならないこともある」
男が呟いた。
その声には、僅かな苛立ちが混じっていた。
そして。
画面に、新しい情報が表示される。
《被験体N-12》
《関連計画:継続》
《対象状態:未確定》
男は、その文字列を見つめた。
数秒後。
「……十二号」
小さく呟く。
「お前さえ、余計なことをしなければ……」
その先の言葉は、誰にも聞こえなかった。
◇
午後九時過ぎ。
久遠零司の部屋。
「……七月十二日」
少女は、端末を見つめていた。
「……午後八時五分」
メッセージの配送要求が作成された時刻。
まだ、その正確性は確認できていない。
しかし、八雲が操作した認証番号と、極めて近い時間帯に記録されていた。
「……零司」
「ん?」
少年は、ソファに座っていた。
「……一つ、考えたことがある」
「何?」
少女は、画面を指差した。
「……もし、あの子が七月十二日にメッセージを準備してたなら」
「うん」
「……七月十九日まで、待つ理由があったのかもしれない」
零司は、少しだけ目を細めた。
「例えば?」
「……分からない」
少女は正直に答えた。
「……でも」
少しだけ言葉を探す。
「……わたしが、逃げられる日を知ってたとか」
「へえ」
「……研究所の予定を、誰かに教えてもらってたとか」
零司は頷いた。
「あり得るね」
少女は続けた。
「……ただの思いつきだけど」
「別にいいんじゃない?」
零司は笑った。
「調べれば、当たりかどうか分かるでしょ」
少女は、ゆっくりと頷いた。
七月十二日。
N-12の失踪。
七月十九日。
自分の逃亡。
二つの出来事は、一週間離れている。
だが、その間に何があったのかは、まだ分からない。
「……七日間」
少女が呟く。
「……その間に、何があったんだろう」
零司は答えなかった。
ただ、携帯端末を操作している。
少女は、画面へ視線を戻した。
そのとき。
「……あれ?」
零司が声を上げた。
「……何?」
「八雲さんのことなんだけど」
少女が顔を上げる。
零司は、自分の端末を見せた。
画面には、短い文字列が表示されている。
《Y-07》
《管理認証:失効》
《失効日時:七月二十七日 十二時十四分》
「……これ」
少女の目が見開かれた。
「……今日?」
「うん」
零司は頷いた。
「僕が調べられた範囲だと、今日のお昼に使えなくなってる」
少女は、しばらく画面を見つめていた。
午後十二時十四分。
それは、自分たちが槙野の工房で端末の解析を始めた頃だった。
「……偶然?」
少女が呟く。
「さあ?」
零司は笑った。
「でも、面白いタイミングだね」
少女は、もう一度記録を確認した。
七月十二日。
午後八時四分。
Y-07による一時認証。
そして。
七月二十七日。
午後十二時十四分。
Y-07の失効。
同じ識別番号。
同じ管理系統。
誰かが、八雲の権限を停止した。
それが通常の処分なのか。
それとも、彼の口を封じるためなのか。
まだ分からない。
だが。
少女は、静かに顔を上げた。
「……零司」
「ん?」
「……明日、八雲の居場所を調べたい」
零司は、少しだけ考えた。
そして。
「いいよ」
あっさりと頷いた。
少女は、端末を閉じた。
N-12。
八雲誠司。
そして、七日間の空白。
まだ、何も終わっていない。
しかし。
確かなことが一つあった。
誰かが、七月十二日の出来事を隠そうとしている。
そして、その影響は今も続いていた。
少女は、窓の外へ視線を向けた。
学園都市の夜景。
無数の灯り。
そのどこかに。
消えた十二号がいるのかもしれない。
あるいは。
すでに、誰にも見つけられない場所へ連れて行かれたのかもしれない。
少女は、強く拳を握りしめた。
もう、ただ待っているだけではいられない。
七日間の空白。
その中に隠された答えを、自分の手で見つける。
そう決めた。
その隣で。
久遠零司は、携帯端末を眺めながら笑っていた。
「……さて」
少年が、小さく呟く。
「次は、どんなものが出てくるのかな」
その声に、恐怖はなかった。
ただ、未知への興味だけがあった。
そして。
学園都市の暗部では、次の動きが始まっていた。
久遠零司とN-13。
その二人が、どこまで真実へ近づけるのか。
まだ、誰にも分からなかった。