「記憶の抽出を開始します」
七月二十八日、午前十時四十二分。
学園都市第十学区。
地下貨物搬送施設の一室。
「……随分と、乱暴な手段ですね」
八雲誠司は、拘束椅子に座らされていた。
両手首には固定具。
頭部には複数の電極。
正面のモニターには、脳波の測定結果が表示されている。
「協力していただければ、身体的な負担は軽減できます」
白衣の女が告げた。
「七月十二日の命令について、覚えていることをすべて話してください」
「すでに報告したはずですが」
「報告書と実際の記憶が一致しているとは限りません」
女は端末を操作した。
《神経活動解析》
《記憶想起誘導:準備完了》
八雲の表情が強張る。
「……この装置、まだ実用段階ではないはずです」
「そうですね」
女は、あっさりと頷いた。
「記憶の再構成には誤差が生じます。場合によっては、被験者自身の記憶に影響を与える可能性もあります」
「それを分かっていて、使うのですか」
「必要ですので」
女は八雲を見下ろした。
「あなたは、許可されていない情報を外部へ提供しました」
「…………」
「N-12の移送記録。七月十九日の通信。そして、管理識別Y-07」
女は続ける。
「どこまで知っているのか、確認する必要があります」
八雲は、ゆっくりと息を吐いた。
「……私を処分するつもりですか」
「結果次第です」
女は笑わなかった。
「では、始めましょう」
装置が起動する。
低い電子音。
八雲は、思わず目を閉じた。
そのときだった。
ピッ。
警告音が響いた。
《外部区画への侵入を検知》
「……何?」
女がモニターへ視線を向ける。
そこには、施設の正面入口が映し出されていた。
黒髪に銀色の髪が混じる少年。
その隣に立つ、青緑色の髪の少女。
女の表情が変わった。
「……久遠零司」
◇
「……ここで、合ってる?」
N-13は、目の前の巨大な施設を見上げた。
第十学区地下貨物搬送施設。
学園都市内の物流を支える、大規模な輸送設備の一つ。
地上部分には、巨大な搬入口が並んでいる。
その奥には、地下へ続く搬送レール。
大型コンテナを運ぶ自動搬送装置。
そして、複数の管理棟があった。
「住所は合ってるよ」
零司が携帯端末を確認する。
「……八雲、本当にここにいるのかな」
「分かんない」
「……え?」
「最後の管理記録がここに繋がってただけでしょ?」
少女は頷いた。
今朝、槙野梓から連絡があった。
昨日複製した通信記録を調べ直したところ、八雲の管理認証Y-07が失効する直前に、別の保守端末から照会されていたことが判明したのだ。
その端末の登録先が、この地下貨物搬送施設だった。
ただし、八雲本人がここにいる証拠ではない。
認証情報だけが利用された可能性もある。
「……それでも、調べたい」
少女が言った。
「うん」
零司は頷いた。
「じゃあ、行こうか」
二人が正面入口へ近づく。
すると。
『停止してください』
機械的な音声が響いた。
《立入禁止区域》
《許可のない進入を禁止します》
警告灯が点灯する。
少女が足を止めた。
「……どうする?」
零司は、目の前のゲートを見つめた。
そして。
「開いてないね」
「……見れば分かる」
「じゃあ、開けようか」
少年が軽く指を動かした。
ガコンッ!
金属音。
重いゲートが、左右へ開いた。
警告灯は赤く点滅したまま。
電子錠は、施錠命令を出し続けている。
だが、物理的な固定機構が、その命令に従わなくなっていた。
「……行こ」
零司が歩き始める。
少女は、開いたゲートを見つめた。
そして、小さく息を吐く。
「……毎回、簡単に壊すよね」
「壊してないよ」
零司は笑った。
「開けただけ」
少女は、蝶番の一部が不自然に曲がっていることには触れなかった。
◇
《警告》
《第一防衛区画突破》
「……何ですって?」
中央管理室。
白衣の女は、モニターを睨んだ。
画面には、開いたままの正面ゲートが映っている。
警備システムは正常に作動していた。
にもかかわらず、ゲートそのものが開かれている。
「……能力干渉」
女が呟いた。
背後に立つ警備責任者が口を開く。
「第零位です。事前資料どおり、物理的な拘束は困難と考えられます」
「分かっています」
女は端末を操作した。
「第二防衛区画を起動」
「……よろしいのですか?」
「構いません」
画面に、複数の搬送装置が表示される。
「相手が通常の能力者ではないことは承知しています」
女は、静かに続けた。
「ですが、能力には必ず作用条件があります」
そして。
「それを確認するための設備です」
操作を確定する。
《自律搬送機群》
《防衛動作へ移行》
◇
「……零司」
「ん?」
「……何か、動いてる」
少女が足を止めた。
広い搬送区画。
その奥で、複数の巨大な機械が動き始めていた。
大型コンテナを運搬する無人搬送車。
重い荷物を吊り上げる自動クレーン。
そして、地下レールを走行する貨物輸送装置。
本来、物流のために使用される機械たち。
それらが一斉に、二人へ向きを変えた。
「……うわ」
零司が、少しだけ目を丸くする。
「結構たくさんあるね」
少女は顔を強張らせた。
「……全部、こっちに来るの?」
「みたいだね」
次の瞬間。
ゴォンッ!
床が震えた。
巨大な無人搬送車が、二人へ向かって加速する。
その質量は数十トン。
人間が正面から受け止められるものではない。
「……っ!」
少女が息を呑む。
しかし。
零司は、一歩も動かなかった。
「……んー」
迫り来る巨大な車体。
その距離が、十メートルを切る。
五メートル。
三メートル。
そして。
「止まって」
少年が、小さく呟いた。
ゴギンッ!
鈍い音。
巨大な搬送車が、その場で停止した。
タイヤは回転し続けている。
駆動装置も、最大出力で動作している。
しかし。
車体は、一センチも進まない。
「…………」
少女は、呆然と見上げた。
目の前には、巨大な金属の塊。
それが、見えない壁に衝突したかのように停止していた。
「……すごい」
思わず呟く。
零司は、首を傾げた。
「そう?」
次の瞬間。
天井から、複数の警告音が響いた。
自動クレーン。
大型の吊り下げアーム。
それらが一斉に動き始める。
吊り上げられたコンテナが、二人の頭上へ移動した。
「……上!」
少女が叫ぶ。
直後。
固定具が解除された。
数十トンのコンテナが落下する。
だが。
零司は、上を見ることすらしなかった。
「邪魔だなぁ」
軽く、指を鳴らす。
その瞬間。
コンテナが、空中で停止した。
一つ。
二つ。
三つ。
巨大な金属の箱が、重力を忘れたかのように浮かんでいる。
零司は、その一つへ視線を向けた。
そして。
「……あ」
何かを思いついたように笑った。
「これ、使えるかも」
少年が指を動かす。
空中のコンテナが、ゆっくりと移動した。
そして、次々と床へ降りていく。
ただし、元の位置ではない。
暴走する搬送車の進路を塞ぐように。
クレーンの稼働範囲を制限するように。
そして、二人の周囲に安全な通路を作るように。
巨大なコンテナが、正確に配置されていく。
ガコン。
ガコン。
ガコン。
重い金属音が、規則正しく響いた。
やがて。
すべての搬送装置が、身動きできなくなった。
「……はい」
零司は、満足そうに頷いた。
「これで通れるね」
少女は、目の前の光景を見つめていた。
数十トンもの機械。
巨大なコンテナ。
自動搬送設備。
それらが、たった一人の少年によって制御された。
しかも。
本人は、ほとんど歩いただけだった。
「……零司」
「何?」
「……本当に、レベル0なの?」
少年は笑った。
「記録上はね」
少女は、何とも言えない顔をした。
◇
《第二防衛区画》
《全装置:制御不能》
「…………」
中央管理室。
白衣の女は、モニターを見つめていた。
そこには、搬送区画の映像が表示されている。
十数台の大型搬送装置。
複数の自動クレーン。
数百トンに及ぶ貨物。
それらが、まるで玩具のように扱われていた。
「……想定以上ですね」
警備責任者が呟いた。
女は答えなかった。
ただ、記録を確認する。
《運動制御異常》
《荷重分布異常》
《摩擦条件異常》
《電気的制御信号:正常》
「……なるほど」
女の目が細くなる。
「機械の制御系統を乗っ取っているわけではない」
「……では?」
「物理現象そのものへ干渉している可能性があります」
女は静かに告げた。
「通常の発火能力や念動能力とは、規模が違いすぎる」
警備責任者が息を呑んだ。
「……それでは、対抗手段が……」
「あります」
女は画面を切り替えた。
そこには、施設の地下構造が表示されていた。
「能力で止められるなら、止めざるを得ない状況を作ればいい」
「……どういう意味でしょう」
女は答えなかった。
代わりに、操作を実行する。
《第三防衛区画》
《緊急搬送指令》
《対象:地下貨物線》
《安全停止制御:解除》
◇
「……ねえ」
零司が、突然足を止めた。
「……何?」
少女が振り返る。
少年は、遠くの搬送レールを見つめていた。
「……何か、来る」
次の瞬間。
地下から、轟音が響いた。
ゴゴゴゴゴッ!
巨大な貨物列車。
複数の大型コンテナを連結した、自動運転の輸送車両。
それが、異常な速度で接近していた。
前方には、急な曲線。
その先には、作業員用の連絡通路。
警告灯が赤く点滅する。
《緊急警告》
《貨物列車:制御不能》
《推定衝突まで――》
「……零司!」
少女が叫んだ。
しかし、少年は動かなかった。
ただ、ゆっくりと目を細めた。
「……へえ」
貨物列車が迫る。
レールが悲鳴を上げる。
車体が揺れ、コンテナ同士が激しく衝突する。
普通なら、すでに事故は避けられない。
だが。
零司は、静かに右手を伸ばした。
「……じゃあ」
口元に、笑みが浮かぶ。
「ちょっと、派手にやろうか」
その瞬間。
周囲の空気が、僅かに震えた。
貨物列車の運動。
車体に掛かる力。
レールとの接触条件。
各車両間に伝わる衝撃。
それらを構成する物理的な条件へ、零司の演算が介入する。
次の瞬間。
ゴォンッ!!
巨大な貨物列車が、空中へ持ち上がった。
「…………っ!?」
少女の目が見開かれる。
数百トンもの車体。
それが、レールから離れていた。
車輪が空転する。
連結部分が軋む。
しかし、車体は崩れない。
零司は、指先を軽く動かした。
貨物列車が、ゆっくりと方向を変える。
まるで、巨大な模型を動かすように。
そして。
ドォンッ!
列車は、隣接する空き搬送区画へ静かに降ろされた。
衝撃は、最低限に抑えられていた。
貨物は崩れない。
車体も破損していない。
ただ、数百トンの金属の塊が、予定とはまったく違う場所へ移動しただけだった。
「……これで、よし」
零司は、軽く手を払った。
少女は、声が出なかった。
目の前で起きた現象。
巨大な貨物列車が、空を飛んだ。
それも、何の前触れもなく。
「……零司」
「ん?」
「……今の、どうやったの?」
零司は首を傾げた。
「動かしただけだよ?」
「……説明になってない」
「そう?」
少年は笑った。
少女は、深く息を吐いた。
そのとき。
施設内のスピーカーから、女の声が響いた。
『……久遠零司』
零司が顔を上げる。
「ん?」
『あなたの能力について、認識を改める必要がありそうです』
「そう?」
『ええ』
女の声には、僅かな緊張が混じっていた。
『これほど大規模な物理干渉を、ほぼ同時に成立させるとは思いませんでした』
零司は、少しだけ笑った。
「で?」
『……何でしょう』
「次は?」
沈黙。
零司は続けた。
「まだ何か用意してるんでしょ?」
その声は、どこまでも楽しそうだった。
「せっかくだから、見せてよ」
数秒後。
『……なるほど』
女が、静かに息を吐いた。
『では、最後の手段を使わせていただきます』
その瞬間。
施設内の大型ディスプレイが起動した。
◇
《中央拘束区画》
《被拘束者:八雲誠司》
画面には、椅子に拘束された八雲が映し出されていた。
頭部には複数の電極。
その周囲には、医療機器のような装置が並んでいる。
「……八雲!」
少女が叫んだ。
八雲は、ぐったりと俯いていた。
女の声が響く。
『目的の人物はこちらにおります』
零司は、画面を見つめた。
「……へえ」
『これ以上の侵入は、おすすめしません』
「どうして?」
『装置の作動を停止できなくなる可能性があります』
画面が切り替わる。
《神経活動解析》
《強制想起処理:待機》
女は続けた。
『この装置は、神経活動を利用して特定の記憶を想起させるものです』
「ふうん」
『強制的に処理を続ければ、記憶障害を引き起こす可能性があります』
少女の顔から血の気が引いた。
「……やめて!」
『あなた方が退去すれば、処理を中止します』
女は淡々と告げた。
『ただし、これ以上近づけば、結果は保証できません』
少女は、零司を見た。
しかし。
少年は、画面を見つめたまま笑っていた。
「……なるほどね」
そして。
「じゃあ、聞きたいことがあるんだけど」
『何でしょう』
「その装置、壊れたらどうなるの?」
『……壊れる?』
「うん」
零司は首を傾げた。
「動かなくなったら、八雲さんはどうなる?」
女は、数秒ほど黙った。
そして。
『安全停止処理を経ずに停止すれば、神経活動へ影響を与える可能性があります』
「そっか」
零司は頷いた。
「じゃあ、壊さなきゃいいんだね」
『……何を』
女が言いかけた、その瞬間。
画面が激しく乱れた。
《警告》
《神経活動解析装置:異常》
《出力制御:不成立》
「……っ!?」
女の声が途切れる。
零司は、楽しそうに笑った。
「動かなくすればいいんでしょ?」
その言葉と同時に。
ディスプレイへ、新しい警告が表示された。
《電極出力:0》
《強制想起処理:中断》
《安全停止へ移行》
「…………」
少女は、呆然と画面を見つめた。
数百メートル先にある装置。
直接触れることすらできない機械。
それを、零司は何事もなかったかのように停止させた。
しかし。
「……あれ?」
零司が、少しだけ眉を上げた。
「……何?」
少女が尋ねる。
少年は画面を見つめた。
「八雲さん、そこにはいないみたい」
「……え?」
「映像だけだね」
少女は目を見開いた。
画面には、確かに八雲が映っている。
だが、映像の隅にある時刻表示。
そこには、数分前の時刻が表示されていた。
《記録映像》
《十時五十八分》
「……録画……?」
少女が呟く。
零司は頷いた。
「みたいだね」
その瞬間。
スピーカーから、女の声が響いた。
『……気づきましたか』
零司は笑った。
「うん」
『では、今から本当の場所へ移送します』
画面が切り替わる。
そこには、別の通路が映し出されていた。
拘束された八雲。
その周囲に、複数の警備員。
そして、移動式の医療装置。
『あなたがこちらへ辿り着くまでに、十分な時間があります』
女は続けた。
『すべての情報を回収し、彼の記憶を確認する時間が』
零司は、少しだけ目を細めた。
「……そっか」
少女は、画面を見つめていた。
そして。
あることに気づいた。
「……零司」
「ん?」
「……この人たち」
少女は、画面の隅を指差した。
「……さっきから、同じところを通ってる」
零司が顔を向ける。
画面には、八雲を運ぶ警備員たち。
その背後には、壁面の管理番号が映っていた。
《地下第三搬送区画》
少女は、施設の案内図を思い出した。
入口に設置されていた、古い搬送区画の配置図。
そして、地下レールの接続経路。
「……近い」
少女が呟いた。
「……あの人たち、まだ近くにいる」
零司の目が、僅かに細くなった。
「……へえ」
少女は続ける。
「……この施設、同じ場所を通るようになってる」
搬送レール。
連絡通路。
貨物用エレベーター。
そのすべてが、中央搬送区画へ繋がっていた。
「……だから」
少女は、零司を見た。
「……ここから、行けるはず」
零司は、少しだけ考えた。
そして。
「……なるほど」
小さく笑った。
「じゃあ、案内してよ」
少女は頷いた。
「……うん」
今度は、自分の番だった。
◇
地下第三搬送区画。
「……急げ!」
警備員が叫んだ。
移動式の拘束装置が、通路を進む。
その上には、八雲誠司。
意識はある。
しかし、拘束具によって自由に動けない。
「……まったく」
八雲が、小さく呟いた。
「こんなことになるとは……」
「黙っていろ」
警備員が命じた。
そのとき。
ピッ。
通路の照明が、僅かに明滅した。
「……ん?」
警備員が顔を上げる。
次の瞬間。
通路の奥から、少女が現れた。
青緑色の髪。
灰色の帽子。
濃紺のシャツ。
「……N-13!?」
八雲が目を見開いた。
警備員たちが、一斉に振り返る。
「対象を確認!」
「拘束しろ!」
その瞬間。
少女は、深く息を吸った。
(……見ないで)
観測干渉。
周囲に届く自分の存在情報を、不安定にする力。
完全に消えるわけではない。
攻撃を防げるわけでもない。
だが。
ほんの数秒だけ、敵の認識をずらすことならできる。
「……どこだ!?」
警備員の一人が叫ぶ。
目の前にいたはずの少女。
その姿を、うまく捉えられない。
少女は、その隙に走った。
狙いは、八雲ではない。
拘束装置の操作端末。
その側面にある、緊急停止レバーだった。
「……っ!」
少女は手を伸ばす。
そして。
ガコンッ!
レバーを引いた。
《緊急停止》
《移送機構停止》
拘束装置が、動きを止めた。
「……何だ!?」
警備員が振り返る。
少女の能力が揺らぐ。
視界が霞む。
頭の奥に、鈍い痛み。
(……もう、少し……!)
少女は、歯を食いしばった。
そして。
「……零司!」
叫んだ。
次の瞬間。
通路の壁が、音もなく変形した。
◇
ゴゴゴゴゴッ!
分厚い隔壁。
巨大な金属製の扉。
それらが、まるで柔らかい粘土のように形を変えていく。
「……何!?」
警備員が叫んだ。
そして。
開いた通路の向こうから、一人の少年が歩いてきた。
黒髪に銀色の髪。
灰紫色の瞳。
どこか気の抜けた笑み。
「……こんにちは」
久遠零司だった。
警備員たちの顔から、血の気が引いた。
「……第零位……!」
零司は首を傾げた。
「君たち、僕のこと知ってるの?」
誰も答えない。
ただ、警備員の一人が反射的に銃を構えた。
しかし。
引き金を引くことはできなかった。
銃そのものが、手の中で分解されていた。
金属部品。
樹脂製の外装。
電子制御機構。
それらが、音もなく分離していく。
「……なっ!?」
警備員が、呆然と手元を見る。
零司は、楽しそうに笑った。
「危ないから、やめとこうね」
次の瞬間。
残りの警備員たちの装備も、一斉に分解された。
銃。
拘束具。
通信装置。
すべてが、元の部品へと分かれていく。
その光景は、破壊というよりも、精密な分解作業に近かった。
そして。
零司が、軽く指を動かす。
警備員たちの身体が、同時に浮き上がった。
「うわあっ!?」
「な、何だ!?」
数人の大人が、空中で身動きできなくなる。
零司は、彼らを壁際へ移動させた。
そして、静かに床へ降ろす。
「はい、おしまい」
少年は、満足そうに頷いた。
警備員たちは、何も言えなかった。
抵抗する暇すらない。
武器を構えることも。
逃げることも。
仲間へ連絡することもできない。
ただ、圧倒的な力によって無力化された。
零司は、彼らにはもう興味がないようだった。
少女へ視線を向ける。
「大丈夫?」
「……うん」
少女は、少しだけ息を切らしていた。
しかし、顔を上げる。
「……止められた」
拘束装置。
八雲を運んでいた機械。
少女は、自分の能力を使ってそこへ辿り着き、緊急停止させた。
零司は、少しだけ笑った。
「うん。ちゃんとできたね」
少女は、小さく頷いた。
そして。
八雲へ向き直った。
「……話を、聞かせて」
八雲は、しばらく少女を見つめていた。
それから。
「……あなたは、本当に変わりましたね」
小さく呟いた。
少女は、首を横に振った。
「……まだ、何も分からない」
そして、真っ直ぐに八雲を見つめる。
「……だから、教えて」
◇
拘束具が解除された後。
八雲は、近くの椅子へ腰を下ろした。
零司は、壁際に立っている。
少女は、その正面に座った。
「……七月十二日」
少女が口を開く。
「……あの子を逃がしたとき、何があったの?」
八雲は、しばらく黙っていた。
そして。
「……私は、命令を受けました」
静かに答えた。
「N-12の搬送コンテナを解錠するように、と」
「……それは、聞いた」
「ええ」
八雲は頷いた。
「ですが、実はもう一つ、指示があったのです」
少女の表情が変わった。
「……もう一つ?」
「はい」
八雲は、ゆっくりと顔を上げた。
「七日後に、別の被験体へ通知を送るように」
少女の呼吸が止まった。
「……え?」
「その被験体の識別番号は――」
八雲は、少女を見つめた。
「N-13」
沈黙。
少女は、動かなかった。
「……わたし……?」
「ええ」
八雲は頷いた。
「七月十二日、午後八時三分。私は上位権限からの命令に従い、N-12のコンテナを解錠しました」
そして。
「その直後、同じ命令系統から追加の処理要求が届いたのです」
少女の手が震えた。
「……それが」
「七月十九日、午後六時四十三分に、N-13の端末へ通知を送ること」
八雲は、静かに続けた。
「私は、管理認証を承認しました」
少女は、昨日の解析結果を思い出した。
《七月十二日 二十時四分》
《認証識別:Y-07》
《一時承認》
そして。
《七月十二日 二十時五分》
《配送要求作成》
すべてが、繋がった。
八雲誠司。
Y-07。
N-12の解錠。
そして、N-13への予約通知。
「……じゃあ」
少女は、小さく呟いた。
「……あのメッセージは……」
八雲は頷いた。
「少なくとも、私が承認した処理によって配送された可能性が高いでしょう」
「……誰が、文章を作ったの?」
「分かりません」
八雲は、首を横に振った。
「命令の発信元も、通知の内容を用意した人物も、私には知らされていません」
少女は、唇を噛んだ。
七月十九日。
研究施設から逃げ出した日。
あのメッセージを受け取ったとき。
誰かが、自分を助けようとしているのだと思った。
必ず迎えに行く。
そう書かれていたから。
しかし。
実際には。
その七日前から、通知の配送が準備されていた。
「……どうして、七日後だったの?」
少女が尋ねる。
八雲は、静かに答えた。
「……それが、私にも分からないのです」
沈黙。
零司は、二人の会話を聞いていた。
そして。
「……なるほどね」
小さく呟く。
少女が顔を上げる。
「……何?」
「いや」
零司は、少しだけ笑った。
「これ、最初から予定されてたんだね」
「……予定?」
「うん」
少年は続ける。
「N-12を外へ出すことと、七日後に君へメッセージを送ること」
少女は、息を呑んだ。
「……同じ命令系統からの指示だったんでしょ?」
八雲が頷いた。
「ええ」
零司は笑った。
「だったら、別々の出来事じゃないかもしれないね」
少女は、しばらく黙っていた。
そして。
「……誰かが」
小さく呟いた。
「……わたしたちを、外へ出そうとしてた……?」
零司は首を傾げた。
「そうかもね」
その瞳が、僅かに細くなる。
「でも、何のために?」
少女は答えられなかった。
八雲も、何も言わなかった。
そのとき。
施設内のスピーカーが、再び鳴った。
『……久遠零司』
白衣の女の声だった。
『そこまで辿り着かれるとは、予想外でした』
零司は、天井へ視線を向ける。
「やっほー」
『……あなたの能力について、認識を改めました』
「そう?」
『ええ』
女は、静かに続けた。
『ですが、一つだけ理解していただきたいことがあります』
「何?」
『あなたがどれほど強大な能力を持っていても、すべての情報を手に入れられるわけではありません』
零司は、少しだけ笑った。
「知ってるよ」
その答えに、女の声が止まった。
「……え?」
「だから、調べてるんじゃん」
零司は、楽しそうに答えた。
「全部分かってたら、つまんないでしょ?」
数秒の沈黙。
そして。
『……なるほど』
女は、小さく息を吐いた。
『あなたは、我々の想定とは違う意味で厄介な存在のようです』
零司は笑った。
「褒め言葉として受け取っとくね」
その直後。
通信が切れた。
八雲は、ゆっくりと息を吐いた。
「……久遠様」
「ん?」
「……あの方は、まだ諦めていません」
零司は、首を傾げた。
「そうなの?」
「ええ」
八雲は頷いた。
「今回の件は、N-12だけの問題ではありません」
少女が顔を上げる。
「……どういうこと?」
八雲は、しばらく迷った。
そして。
「……本来、被験体N-12とN-13は、別々の研究対象でした」
「……うん」
「ですが、七月十二日以降、二人の管理記録が一部統合されています」
少女の目が見開かれた。
「……統合……?」
「ええ」
八雲は、静かに続けた。
「二人を同一の管理計画に組み込むよう、上位権限から指示があったのです」
零司の目が、僅かに細くなる。
「……へえ」
八雲は続けた。
「ただし、計画の目的までは、私にも知らされていません」
少女は、拳を握りしめた。
N-12。
消えた少女。
そして、自分。
その二人が、同じ計画の中に組み込まれていた。
七月十二日。
七月十九日。
七日間の空白。
そのすべてに、誰かの意図が存在していた可能性がある。
「……零司」
少女が、小さく呼びかける。
「ん?」
「……わたし、やっぱり探す」
零司は頷いた。
「うん」
「……あの子が、どこにいるのか」
そして。
「……誰が、わたしたちを動かそうとしてたのか」
その瞳には、強い意思が宿っていた。
零司は、少しだけ笑った。
「……いいね」
少女は、八雲へ視線を戻した。
「……あの計画の名前、分かる?」
八雲は、ゆっくりと頷いた。
「……一部だけなら」
少女が息を呑む。
八雲は、記憶を辿るように目を閉じた。
そして。
「……管理計画の識別名は」
静かに告げた。
「《PROJECT:ECHO》」
沈黙。
零司は、その名前を繰り返した。
「……エコー、ね」
八雲が頷く。
「ええ」
少女は、ゆっくりと顔を上げた。
N-12。
N-13。
そして、PROJECT:ECHO。
消えた十二号の事件は、単なる研究施設からの逃亡ではなかった。
その背後には、二人を結びつける管理計画が存在していた。
しかし。
その目的は、まだ誰にも分からない。
少なくとも、今ここにいる三人には。
零司は、静かに笑った。
「……なるほど」
その目には、隠しきれない興味が浮かんでいた。
「ようやく、面白いところまで来たね」
少女は、端末を握りしめた。
自分の知らないところで、何かが決められていた。
誰かが、自分たちの行動を誘導していた。
それが事実なら。
絶対に、許せない。
「……零司」
「ん?」
「……わたし、もう誰かの計画どおりには動かない」
少年は、少しだけ目を細めた。
そして。
「……そっか」
小さく笑った。
「じゃあ、その計画、壊しに行く?」
少女は、数秒ほど考えた。
そして。
「……うん」
はっきりと頷いた。
零司は、楽しそうに笑った。
「決まりだね」
その声に、迷いはなかった。
学園都市の第零位。
科学側の能力序列には存在しない少年。
その圧倒的な力が、今度は一つの研究計画へ向けられようとしていた。
PROJECT:ECHO。
N-12とN-13を結びつける謎の管理計画。
その全貌は、まだ明らかになっていない。
だが。
計画の関係者たちは、まだ知らなかった。
自分たちが相手にしている少年が、どれほど気まぐれで。
そして。
どれほど、手に負えない存在なのかを。
久遠零司は、静かに笑った。
「……さて」
灰紫色の瞳が、僅かに細くなる。
「次は、誰に会えるのかな」
その声は、どこまでも楽しそうだった。