とある学園都市の第零位《ゼロナンバー》   作:右左右左右

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第15話 第零位の実力

「記憶の抽出を開始します」

 

 七月二十八日、午前十時四十二分。

 

 学園都市第十学区。

 

 地下貨物搬送施設の一室。

 

「……随分と、乱暴な手段ですね」

 

 八雲誠司は、拘束椅子に座らされていた。

 

 両手首には固定具。

 

 頭部には複数の電極。

 

 正面のモニターには、脳波の測定結果が表示されている。

 

「協力していただければ、身体的な負担は軽減できます」

 

 白衣の女が告げた。

 

「七月十二日の命令について、覚えていることをすべて話してください」

 

「すでに報告したはずですが」

 

「報告書と実際の記憶が一致しているとは限りません」

 

 女は端末を操作した。

 

《神経活動解析》

 

《記憶想起誘導:準備完了》

 

 八雲の表情が強張る。

 

「……この装置、まだ実用段階ではないはずです」

 

「そうですね」

 

 女は、あっさりと頷いた。

 

「記憶の再構成には誤差が生じます。場合によっては、被験者自身の記憶に影響を与える可能性もあります」

 

「それを分かっていて、使うのですか」

 

「必要ですので」

 

 女は八雲を見下ろした。

 

「あなたは、許可されていない情報を外部へ提供しました」

 

「…………」

 

「N-12の移送記録。七月十九日の通信。そして、管理識別Y-07」

 

 女は続ける。

 

「どこまで知っているのか、確認する必要があります」

 

 八雲は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……私を処分するつもりですか」

 

「結果次第です」

 

 女は笑わなかった。

 

「では、始めましょう」

 

 装置が起動する。

 

 低い電子音。

 

 八雲は、思わず目を閉じた。

 

 そのときだった。

 

 ピッ。

 

 警告音が響いた。

 

《外部区画への侵入を検知》

 

「……何?」

 

 女がモニターへ視線を向ける。

 

 そこには、施設の正面入口が映し出されていた。

 

 黒髪に銀色の髪が混じる少年。

 

 その隣に立つ、青緑色の髪の少女。

 

 女の表情が変わった。

 

「……久遠零司」

 

     ◇

 

「……ここで、合ってる?」

 

 N-13は、目の前の巨大な施設を見上げた。

 

 第十学区地下貨物搬送施設。

 

 学園都市内の物流を支える、大規模な輸送設備の一つ。

 

 地上部分には、巨大な搬入口が並んでいる。

 

 その奥には、地下へ続く搬送レール。

 

 大型コンテナを運ぶ自動搬送装置。

 

 そして、複数の管理棟があった。

 

「住所は合ってるよ」

 

 零司が携帯端末を確認する。

 

「……八雲、本当にここにいるのかな」

 

「分かんない」

 

「……え?」

 

「最後の管理記録がここに繋がってただけでしょ?」

 

 少女は頷いた。

 

 今朝、槙野梓から連絡があった。

 

 昨日複製した通信記録を調べ直したところ、八雲の管理認証Y-07が失効する直前に、別の保守端末から照会されていたことが判明したのだ。

 

 その端末の登録先が、この地下貨物搬送施設だった。

 

 ただし、八雲本人がここにいる証拠ではない。

 

 認証情報だけが利用された可能性もある。

 

「……それでも、調べたい」

 

 少女が言った。

 

「うん」

 

 零司は頷いた。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 二人が正面入口へ近づく。

 

 すると。

 

『停止してください』

 

 機械的な音声が響いた。

 

《立入禁止区域》

 

《許可のない進入を禁止します》

 

 警告灯が点灯する。

 

 少女が足を止めた。

 

「……どうする?」

 

 零司は、目の前のゲートを見つめた。

 

 そして。

 

「開いてないね」

 

「……見れば分かる」

 

「じゃあ、開けようか」

 

 少年が軽く指を動かした。

 

 ガコンッ!

 

 金属音。

 

 重いゲートが、左右へ開いた。

 

 警告灯は赤く点滅したまま。

 

 電子錠は、施錠命令を出し続けている。

 

 だが、物理的な固定機構が、その命令に従わなくなっていた。

 

「……行こ」

 

 零司が歩き始める。

 

 少女は、開いたゲートを見つめた。

 

 そして、小さく息を吐く。

 

「……毎回、簡単に壊すよね」

 

「壊してないよ」

 

 零司は笑った。

 

「開けただけ」

 

 少女は、蝶番の一部が不自然に曲がっていることには触れなかった。

 

     ◇

 

《警告》

 

《第一防衛区画突破》

 

「……何ですって?」

 

 中央管理室。

 

 白衣の女は、モニターを睨んだ。

 

 画面には、開いたままの正面ゲートが映っている。

 

 警備システムは正常に作動していた。

 

 にもかかわらず、ゲートそのものが開かれている。

 

「……能力干渉」

 

 女が呟いた。

 

 背後に立つ警備責任者が口を開く。

 

「第零位です。事前資料どおり、物理的な拘束は困難と考えられます」

 

「分かっています」

 

 女は端末を操作した。

 

「第二防衛区画を起動」

 

「……よろしいのですか?」

 

「構いません」

 

 画面に、複数の搬送装置が表示される。

 

「相手が通常の能力者ではないことは承知しています」

 

 女は、静かに続けた。

 

「ですが、能力には必ず作用条件があります」

 

 そして。

 

「それを確認するための設備です」

 

 操作を確定する。

 

《自律搬送機群》

 

《防衛動作へ移行》

 

     ◇

 

「……零司」

 

「ん?」

 

「……何か、動いてる」

 

 少女が足を止めた。

 

 広い搬送区画。

 

 その奥で、複数の巨大な機械が動き始めていた。

 

 大型コンテナを運搬する無人搬送車。

 

 重い荷物を吊り上げる自動クレーン。

 

 そして、地下レールを走行する貨物輸送装置。

 

 本来、物流のために使用される機械たち。

 

 それらが一斉に、二人へ向きを変えた。

 

「……うわ」

 

 零司が、少しだけ目を丸くする。

 

「結構たくさんあるね」

 

 少女は顔を強張らせた。

 

「……全部、こっちに来るの?」

 

「みたいだね」

 

 次の瞬間。

 

 ゴォンッ!

 

 床が震えた。

 

 巨大な無人搬送車が、二人へ向かって加速する。

 

 その質量は数十トン。

 

 人間が正面から受け止められるものではない。

 

「……っ!」

 

 少女が息を呑む。

 

 しかし。

 

 零司は、一歩も動かなかった。

 

「……んー」

 

 迫り来る巨大な車体。

 

 その距離が、十メートルを切る。

 

 五メートル。

 

 三メートル。

 

 そして。

 

「止まって」

 

 少年が、小さく呟いた。

 

 ゴギンッ!

 

 鈍い音。

 

 巨大な搬送車が、その場で停止した。

 

 タイヤは回転し続けている。

 

 駆動装置も、最大出力で動作している。

 

 しかし。

 

 車体は、一センチも進まない。

 

「…………」

 

 少女は、呆然と見上げた。

 

 目の前には、巨大な金属の塊。

 

 それが、見えない壁に衝突したかのように停止していた。

 

「……すごい」

 

 思わず呟く。

 

 零司は、首を傾げた。

 

「そう?」

 

 次の瞬間。

 

 天井から、複数の警告音が響いた。

 

 自動クレーン。

 

 大型の吊り下げアーム。

 

 それらが一斉に動き始める。

 

 吊り上げられたコンテナが、二人の頭上へ移動した。

 

「……上!」

 

 少女が叫ぶ。

 

 直後。

 

 固定具が解除された。

 

 数十トンのコンテナが落下する。

 

 だが。

 

 零司は、上を見ることすらしなかった。

 

「邪魔だなぁ」

 

 軽く、指を鳴らす。

 

 その瞬間。

 

 コンテナが、空中で停止した。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 巨大な金属の箱が、重力を忘れたかのように浮かんでいる。

 

 零司は、その一つへ視線を向けた。

 

 そして。

 

「……あ」

 

 何かを思いついたように笑った。

 

「これ、使えるかも」

 

 少年が指を動かす。

 

 空中のコンテナが、ゆっくりと移動した。

 

 そして、次々と床へ降りていく。

 

 ただし、元の位置ではない。

 

 暴走する搬送車の進路を塞ぐように。

 

 クレーンの稼働範囲を制限するように。

 

 そして、二人の周囲に安全な通路を作るように。

 

 巨大なコンテナが、正確に配置されていく。

 

 ガコン。

 

 ガコン。

 

 ガコン。

 

 重い金属音が、規則正しく響いた。

 

 やがて。

 

 すべての搬送装置が、身動きできなくなった。

 

「……はい」

 

 零司は、満足そうに頷いた。

 

「これで通れるね」

 

 少女は、目の前の光景を見つめていた。

 

 数十トンもの機械。

 

 巨大なコンテナ。

 

 自動搬送設備。

 

 それらが、たった一人の少年によって制御された。

 

 しかも。

 

 本人は、ほとんど歩いただけだった。

 

「……零司」

 

「何?」

 

「……本当に、レベル0なの?」

 

 少年は笑った。

 

「記録上はね」

 

 少女は、何とも言えない顔をした。

 

     ◇

 

《第二防衛区画》

 

《全装置:制御不能》

 

「…………」

 

 中央管理室。

 

 白衣の女は、モニターを見つめていた。

 

 そこには、搬送区画の映像が表示されている。

 

 十数台の大型搬送装置。

 

 複数の自動クレーン。

 

 数百トンに及ぶ貨物。

 

 それらが、まるで玩具のように扱われていた。

 

「……想定以上ですね」

 

 警備責任者が呟いた。

 

 女は答えなかった。

 

 ただ、記録を確認する。

 

《運動制御異常》

 

《荷重分布異常》

 

《摩擦条件異常》

 

《電気的制御信号:正常》

 

「……なるほど」

 

 女の目が細くなる。

 

「機械の制御系統を乗っ取っているわけではない」

 

「……では?」

 

「物理現象そのものへ干渉している可能性があります」

 

 女は静かに告げた。

 

「通常の発火能力や念動能力とは、規模が違いすぎる」

 

 警備責任者が息を呑んだ。

 

「……それでは、対抗手段が……」

 

「あります」

 

 女は画面を切り替えた。

 

 そこには、施設の地下構造が表示されていた。

 

「能力で止められるなら、止めざるを得ない状況を作ればいい」

 

「……どういう意味でしょう」

 

 女は答えなかった。

 

 代わりに、操作を実行する。

 

《第三防衛区画》

 

《緊急搬送指令》

 

《対象:地下貨物線》

 

《安全停止制御:解除》

 

     ◇

 

「……ねえ」

 

 零司が、突然足を止めた。

 

「……何?」

 

 少女が振り返る。

 

 少年は、遠くの搬送レールを見つめていた。

 

「……何か、来る」

 

 次の瞬間。

 

 地下から、轟音が響いた。

 

 ゴゴゴゴゴッ!

 

 巨大な貨物列車。

 

 複数の大型コンテナを連結した、自動運転の輸送車両。

 

 それが、異常な速度で接近していた。

 

 前方には、急な曲線。

 

 その先には、作業員用の連絡通路。

 

 警告灯が赤く点滅する。

 

《緊急警告》

 

《貨物列車:制御不能》

 

《推定衝突まで――》

 

「……零司!」

 

 少女が叫んだ。

 

 しかし、少年は動かなかった。

 

 ただ、ゆっくりと目を細めた。

 

「……へえ」

 

 貨物列車が迫る。

 

 レールが悲鳴を上げる。

 

 車体が揺れ、コンテナ同士が激しく衝突する。

 

 普通なら、すでに事故は避けられない。

 

 だが。

 

 零司は、静かに右手を伸ばした。

 

「……じゃあ」

 

 口元に、笑みが浮かぶ。

 

「ちょっと、派手にやろうか」

 

 その瞬間。

 

 周囲の空気が、僅かに震えた。

 

 貨物列車の運動。

 

 車体に掛かる力。

 

 レールとの接触条件。

 

 各車両間に伝わる衝撃。

 

 それらを構成する物理的な条件へ、零司の演算が介入する。

 

 次の瞬間。

 

 ゴォンッ!!

 

 巨大な貨物列車が、空中へ持ち上がった。

 

「…………っ!?」

 

 少女の目が見開かれる。

 

 数百トンもの車体。

 

 それが、レールから離れていた。

 

 車輪が空転する。

 

 連結部分が軋む。

 

 しかし、車体は崩れない。

 

 零司は、指先を軽く動かした。

 

 貨物列車が、ゆっくりと方向を変える。

 

 まるで、巨大な模型を動かすように。

 

 そして。

 

 ドォンッ!

 

 列車は、隣接する空き搬送区画へ静かに降ろされた。

 

 衝撃は、最低限に抑えられていた。

 

 貨物は崩れない。

 

 車体も破損していない。

 

 ただ、数百トンの金属の塊が、予定とはまったく違う場所へ移動しただけだった。

 

「……これで、よし」

 

 零司は、軽く手を払った。

 

 少女は、声が出なかった。

 

 目の前で起きた現象。

 

 巨大な貨物列車が、空を飛んだ。

 

 それも、何の前触れもなく。

 

「……零司」

 

「ん?」

 

「……今の、どうやったの?」

 

 零司は首を傾げた。

 

「動かしただけだよ?」

 

「……説明になってない」

 

「そう?」

 

 少年は笑った。

 

 少女は、深く息を吐いた。

 

 そのとき。

 

 施設内のスピーカーから、女の声が響いた。

 

『……久遠零司』

 

 零司が顔を上げる。

 

「ん?」

 

『あなたの能力について、認識を改める必要がありそうです』

 

「そう?」

 

『ええ』

 

 女の声には、僅かな緊張が混じっていた。

 

『これほど大規模な物理干渉を、ほぼ同時に成立させるとは思いませんでした』

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「で?」

 

『……何でしょう』

 

「次は?」

 

 沈黙。

 

 零司は続けた。

 

「まだ何か用意してるんでしょ?」

 

 その声は、どこまでも楽しそうだった。

 

「せっかくだから、見せてよ」

 

 数秒後。

 

『……なるほど』

 

 女が、静かに息を吐いた。

 

『では、最後の手段を使わせていただきます』

 

 その瞬間。

 

 施設内の大型ディスプレイが起動した。

 

     ◇

 

《中央拘束区画》

 

《被拘束者:八雲誠司》

 

 画面には、椅子に拘束された八雲が映し出されていた。

 

 頭部には複数の電極。

 

 その周囲には、医療機器のような装置が並んでいる。

 

「……八雲!」

 

 少女が叫んだ。

 

 八雲は、ぐったりと俯いていた。

 

 女の声が響く。

 

『目的の人物はこちらにおります』

 

 零司は、画面を見つめた。

 

「……へえ」

 

『これ以上の侵入は、おすすめしません』

 

「どうして?」

 

『装置の作動を停止できなくなる可能性があります』

 

 画面が切り替わる。

 

《神経活動解析》

 

《強制想起処理:待機》

 

 女は続けた。

 

『この装置は、神経活動を利用して特定の記憶を想起させるものです』

 

「ふうん」

 

『強制的に処理を続ければ、記憶障害を引き起こす可能性があります』

 

 少女の顔から血の気が引いた。

 

「……やめて!」

 

『あなた方が退去すれば、処理を中止します』

 

 女は淡々と告げた。

 

『ただし、これ以上近づけば、結果は保証できません』

 

 少女は、零司を見た。

 

 しかし。

 

 少年は、画面を見つめたまま笑っていた。

 

「……なるほどね」

 

 そして。

 

「じゃあ、聞きたいことがあるんだけど」

 

『何でしょう』

 

「その装置、壊れたらどうなるの?」

 

『……壊れる?』

 

「うん」

 

 零司は首を傾げた。

 

「動かなくなったら、八雲さんはどうなる?」

 

 女は、数秒ほど黙った。

 

 そして。

 

『安全停止処理を経ずに停止すれば、神経活動へ影響を与える可能性があります』

 

「そっか」

 

 零司は頷いた。

 

「じゃあ、壊さなきゃいいんだね」

 

『……何を』

 

 女が言いかけた、その瞬間。

 

 画面が激しく乱れた。

 

《警告》

 

《神経活動解析装置:異常》

 

《出力制御:不成立》

 

「……っ!?」

 

 女の声が途切れる。

 

 零司は、楽しそうに笑った。

 

「動かなくすればいいんでしょ?」

 

 その言葉と同時に。

 

 ディスプレイへ、新しい警告が表示された。

 

《電極出力:0》

 

《強制想起処理:中断》

 

《安全停止へ移行》

 

「…………」

 

 少女は、呆然と画面を見つめた。

 

 数百メートル先にある装置。

 

 直接触れることすらできない機械。

 

 それを、零司は何事もなかったかのように停止させた。

 

 しかし。

 

「……あれ?」

 

 零司が、少しだけ眉を上げた。

 

「……何?」

 

 少女が尋ねる。

 

 少年は画面を見つめた。

 

「八雲さん、そこにはいないみたい」

 

「……え?」

 

「映像だけだね」

 

 少女は目を見開いた。

 

 画面には、確かに八雲が映っている。

 

 だが、映像の隅にある時刻表示。

 

 そこには、数分前の時刻が表示されていた。

 

《記録映像》

 

《十時五十八分》

 

「……録画……?」

 

 少女が呟く。

 

 零司は頷いた。

 

「みたいだね」

 

 その瞬間。

 

 スピーカーから、女の声が響いた。

 

『……気づきましたか』

 

 零司は笑った。

 

「うん」

 

『では、今から本当の場所へ移送します』

 

 画面が切り替わる。

 

 そこには、別の通路が映し出されていた。

 

 拘束された八雲。

 

 その周囲に、複数の警備員。

 

 そして、移動式の医療装置。

 

『あなたがこちらへ辿り着くまでに、十分な時間があります』

 

 女は続けた。

 

『すべての情報を回収し、彼の記憶を確認する時間が』

 

 零司は、少しだけ目を細めた。

 

「……そっか」

 

 少女は、画面を見つめていた。

 

 そして。

 

 あることに気づいた。

 

「……零司」

 

「ん?」

 

「……この人たち」

 

 少女は、画面の隅を指差した。

 

「……さっきから、同じところを通ってる」

 

 零司が顔を向ける。

 

 画面には、八雲を運ぶ警備員たち。

 

 その背後には、壁面の管理番号が映っていた。

 

《地下第三搬送区画》

 

 少女は、施設の案内図を思い出した。

 

 入口に設置されていた、古い搬送区画の配置図。

 

 そして、地下レールの接続経路。

 

「……近い」

 

 少女が呟いた。

 

「……あの人たち、まだ近くにいる」

 

 零司の目が、僅かに細くなった。

 

「……へえ」

 

 少女は続ける。

 

「……この施設、同じ場所を通るようになってる」

 

 搬送レール。

 

 連絡通路。

 

 貨物用エレベーター。

 

 そのすべてが、中央搬送区画へ繋がっていた。

 

「……だから」

 

 少女は、零司を見た。

 

「……ここから、行けるはず」

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「……なるほど」

 

 小さく笑った。

 

「じゃあ、案内してよ」

 

 少女は頷いた。

 

「……うん」

 

 今度は、自分の番だった。

 

     ◇

 

 地下第三搬送区画。

 

「……急げ!」

 

 警備員が叫んだ。

 

 移動式の拘束装置が、通路を進む。

 

 その上には、八雲誠司。

 

 意識はある。

 

 しかし、拘束具によって自由に動けない。

 

「……まったく」

 

 八雲が、小さく呟いた。

 

「こんなことになるとは……」

 

「黙っていろ」

 

 警備員が命じた。

 

 そのとき。

 

 ピッ。

 

 通路の照明が、僅かに明滅した。

 

「……ん?」

 

 警備員が顔を上げる。

 

 次の瞬間。

 

 通路の奥から、少女が現れた。

 

 青緑色の髪。

 

 灰色の帽子。

 

 濃紺のシャツ。

 

「……N-13!?」

 

 八雲が目を見開いた。

 

 警備員たちが、一斉に振り返る。

 

「対象を確認!」

 

「拘束しろ!」

 

 その瞬間。

 

 少女は、深く息を吸った。

 

(……見ないで)

 

 観測干渉。

 

 周囲に届く自分の存在情報を、不安定にする力。

 

 完全に消えるわけではない。

 

 攻撃を防げるわけでもない。

 

 だが。

 

 ほんの数秒だけ、敵の認識をずらすことならできる。

 

「……どこだ!?」

 

 警備員の一人が叫ぶ。

 

 目の前にいたはずの少女。

 

 その姿を、うまく捉えられない。

 

 少女は、その隙に走った。

 

 狙いは、八雲ではない。

 

 拘束装置の操作端末。

 

 その側面にある、緊急停止レバーだった。

 

「……っ!」

 

 少女は手を伸ばす。

 

 そして。

 

 ガコンッ!

 

 レバーを引いた。

 

《緊急停止》

 

《移送機構停止》

 

 拘束装置が、動きを止めた。

 

「……何だ!?」

 

 警備員が振り返る。

 

 少女の能力が揺らぐ。

 

 視界が霞む。

 

 頭の奥に、鈍い痛み。

 

(……もう、少し……!)

 

 少女は、歯を食いしばった。

 

 そして。

 

「……零司!」

 

 叫んだ。

 

 次の瞬間。

 

 通路の壁が、音もなく変形した。

 

     ◇

 

 ゴゴゴゴゴッ!

 

 分厚い隔壁。

 

 巨大な金属製の扉。

 

 それらが、まるで柔らかい粘土のように形を変えていく。

 

「……何!?」

 

 警備員が叫んだ。

 

 そして。

 

 開いた通路の向こうから、一人の少年が歩いてきた。

 

 黒髪に銀色の髪。

 

 灰紫色の瞳。

 

 どこか気の抜けた笑み。

 

「……こんにちは」

 

 久遠零司だった。

 

 警備員たちの顔から、血の気が引いた。

 

「……第零位……!」

 

 零司は首を傾げた。

 

「君たち、僕のこと知ってるの?」

 

 誰も答えない。

 

 ただ、警備員の一人が反射的に銃を構えた。

 

 しかし。

 

 引き金を引くことはできなかった。

 

 銃そのものが、手の中で分解されていた。

 

 金属部品。

 

 樹脂製の外装。

 

 電子制御機構。

 

 それらが、音もなく分離していく。

 

「……なっ!?」

 

 警備員が、呆然と手元を見る。

 

 零司は、楽しそうに笑った。

 

「危ないから、やめとこうね」

 

 次の瞬間。

 

 残りの警備員たちの装備も、一斉に分解された。

 

 銃。

 

 拘束具。

 

 通信装置。

 

 すべてが、元の部品へと分かれていく。

 

 その光景は、破壊というよりも、精密な分解作業に近かった。

 

 そして。

 

 零司が、軽く指を動かす。

 

 警備員たちの身体が、同時に浮き上がった。

 

「うわあっ!?」

 

「な、何だ!?」

 

 数人の大人が、空中で身動きできなくなる。

 

 零司は、彼らを壁際へ移動させた。

 

 そして、静かに床へ降ろす。

 

「はい、おしまい」

 

 少年は、満足そうに頷いた。

 

 警備員たちは、何も言えなかった。

 

 抵抗する暇すらない。

 

 武器を構えることも。

 

 逃げることも。

 

 仲間へ連絡することもできない。

 

 ただ、圧倒的な力によって無力化された。

 

 零司は、彼らにはもう興味がないようだった。

 

 少女へ視線を向ける。

 

「大丈夫?」

 

「……うん」

 

 少女は、少しだけ息を切らしていた。

 

 しかし、顔を上げる。

 

「……止められた」

 

 拘束装置。

 

 八雲を運んでいた機械。

 

 少女は、自分の能力を使ってそこへ辿り着き、緊急停止させた。

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「うん。ちゃんとできたね」

 

 少女は、小さく頷いた。

 

 そして。

 

 八雲へ向き直った。

 

「……話を、聞かせて」

 

 八雲は、しばらく少女を見つめていた。

 

 それから。

 

「……あなたは、本当に変わりましたね」

 

 小さく呟いた。

 

 少女は、首を横に振った。

 

「……まだ、何も分からない」

 

 そして、真っ直ぐに八雲を見つめる。

 

「……だから、教えて」

 

     ◇

 

 拘束具が解除された後。

 

 八雲は、近くの椅子へ腰を下ろした。

 

 零司は、壁際に立っている。

 

 少女は、その正面に座った。

 

「……七月十二日」

 

 少女が口を開く。

 

「……あの子を逃がしたとき、何があったの?」

 

 八雲は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……私は、命令を受けました」

 

 静かに答えた。

 

「N-12の搬送コンテナを解錠するように、と」

 

「……それは、聞いた」

 

「ええ」

 

 八雲は頷いた。

 

「ですが、実はもう一つ、指示があったのです」

 

 少女の表情が変わった。

 

「……もう一つ?」

 

「はい」

 

 八雲は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「七日後に、別の被験体へ通知を送るように」

 

 少女の呼吸が止まった。

 

「……え?」

 

「その被験体の識別番号は――」

 

 八雲は、少女を見つめた。

 

「N-13」

 

 沈黙。

 

 少女は、動かなかった。

 

「……わたし……?」

 

「ええ」

 

 八雲は頷いた。

 

「七月十二日、午後八時三分。私は上位権限からの命令に従い、N-12のコンテナを解錠しました」

 

 そして。

 

「その直後、同じ命令系統から追加の処理要求が届いたのです」

 

 少女の手が震えた。

 

「……それが」

 

「七月十九日、午後六時四十三分に、N-13の端末へ通知を送ること」

 

 八雲は、静かに続けた。

 

「私は、管理認証を承認しました」

 

 少女は、昨日の解析結果を思い出した。

 

《七月十二日 二十時四分》

 

《認証識別:Y-07》

 

《一時承認》

 

 そして。

 

《七月十二日 二十時五分》

 

《配送要求作成》

 

 すべてが、繋がった。

 

 八雲誠司。

 

 Y-07。

 

 N-12の解錠。

 

 そして、N-13への予約通知。

 

「……じゃあ」

 

 少女は、小さく呟いた。

 

「……あのメッセージは……」

 

 八雲は頷いた。

 

「少なくとも、私が承認した処理によって配送された可能性が高いでしょう」

 

「……誰が、文章を作ったの?」

 

「分かりません」

 

 八雲は、首を横に振った。

 

「命令の発信元も、通知の内容を用意した人物も、私には知らされていません」

 

 少女は、唇を噛んだ。

 

 七月十九日。

 

 研究施設から逃げ出した日。

 

 あのメッセージを受け取ったとき。

 

 誰かが、自分を助けようとしているのだと思った。

 

 必ず迎えに行く。

 

 そう書かれていたから。

 

 しかし。

 

 実際には。

 

 その七日前から、通知の配送が準備されていた。

 

「……どうして、七日後だったの?」

 

 少女が尋ねる。

 

 八雲は、静かに答えた。

 

「……それが、私にも分からないのです」

 

 沈黙。

 

 零司は、二人の会話を聞いていた。

 

 そして。

 

「……なるほどね」

 

 小さく呟く。

 

 少女が顔を上げる。

 

「……何?」

 

「いや」

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「これ、最初から予定されてたんだね」

 

「……予定?」

 

「うん」

 

 少年は続ける。

 

「N-12を外へ出すことと、七日後に君へメッセージを送ること」

 

 少女は、息を呑んだ。

 

「……同じ命令系統からの指示だったんでしょ?」

 

 八雲が頷いた。

 

「ええ」

 

 零司は笑った。

 

「だったら、別々の出来事じゃないかもしれないね」

 

 少女は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……誰かが」

 

 小さく呟いた。

 

「……わたしたちを、外へ出そうとしてた……?」

 

 零司は首を傾げた。

 

「そうかもね」

 

 その瞳が、僅かに細くなる。

 

「でも、何のために?」

 

 少女は答えられなかった。

 

 八雲も、何も言わなかった。

 

 そのとき。

 

 施設内のスピーカーが、再び鳴った。

 

『……久遠零司』

 

 白衣の女の声だった。

 

『そこまで辿り着かれるとは、予想外でした』

 

 零司は、天井へ視線を向ける。

 

「やっほー」

 

『……あなたの能力について、認識を改めました』

 

「そう?」

 

『ええ』

 

 女は、静かに続けた。

 

『ですが、一つだけ理解していただきたいことがあります』

 

「何?」

 

『あなたがどれほど強大な能力を持っていても、すべての情報を手に入れられるわけではありません』

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「知ってるよ」

 

 その答えに、女の声が止まった。

 

「……え?」

 

「だから、調べてるんじゃん」

 

 零司は、楽しそうに答えた。

 

「全部分かってたら、つまんないでしょ?」

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

『……なるほど』

 

 女は、小さく息を吐いた。

 

『あなたは、我々の想定とは違う意味で厄介な存在のようです』

 

 零司は笑った。

 

「褒め言葉として受け取っとくね」

 

 その直後。

 

 通信が切れた。

 

 八雲は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……久遠様」

 

「ん?」

 

「……あの方は、まだ諦めていません」

 

 零司は、首を傾げた。

 

「そうなの?」

 

「ええ」

 

 八雲は頷いた。

 

「今回の件は、N-12だけの問題ではありません」

 

 少女が顔を上げる。

 

「……どういうこと?」

 

 八雲は、しばらく迷った。

 

 そして。

 

「……本来、被験体N-12とN-13は、別々の研究対象でした」

 

「……うん」

 

「ですが、七月十二日以降、二人の管理記録が一部統合されています」

 

 少女の目が見開かれた。

 

「……統合……?」

 

「ええ」

 

 八雲は、静かに続けた。

 

「二人を同一の管理計画に組み込むよう、上位権限から指示があったのです」

 

 零司の目が、僅かに細くなる。

 

「……へえ」

 

 八雲は続けた。

 

「ただし、計画の目的までは、私にも知らされていません」

 

 少女は、拳を握りしめた。

 

 N-12。

 

 消えた少女。

 

 そして、自分。

 

 その二人が、同じ計画の中に組み込まれていた。

 

 七月十二日。

 

 七月十九日。

 

 七日間の空白。

 

 そのすべてに、誰かの意図が存在していた可能性がある。

 

「……零司」

 

 少女が、小さく呼びかける。

 

「ん?」

 

「……わたし、やっぱり探す」

 

 零司は頷いた。

 

「うん」

 

「……あの子が、どこにいるのか」

 

 そして。

 

「……誰が、わたしたちを動かそうとしてたのか」

 

 その瞳には、強い意思が宿っていた。

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「……いいね」

 

 少女は、八雲へ視線を戻した。

 

「……あの計画の名前、分かる?」

 

 八雲は、ゆっくりと頷いた。

 

「……一部だけなら」

 

 少女が息を呑む。

 

 八雲は、記憶を辿るように目を閉じた。

 

 そして。

 

「……管理計画の識別名は」

 

 静かに告げた。

 

「《PROJECT:ECHO》」

 

 沈黙。

 

 零司は、その名前を繰り返した。

 

「……エコー、ね」

 

 八雲が頷く。

 

「ええ」

 

 少女は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 N-12。

 

 N-13。

 

 そして、PROJECT:ECHO。

 

 消えた十二号の事件は、単なる研究施設からの逃亡ではなかった。

 

 その背後には、二人を結びつける管理計画が存在していた。

 

 しかし。

 

 その目的は、まだ誰にも分からない。

 

 少なくとも、今ここにいる三人には。

 

 零司は、静かに笑った。

 

「……なるほど」

 

 その目には、隠しきれない興味が浮かんでいた。

 

「ようやく、面白いところまで来たね」

 

 少女は、端末を握りしめた。

 

 自分の知らないところで、何かが決められていた。

 

 誰かが、自分たちの行動を誘導していた。

 

 それが事実なら。

 

 絶対に、許せない。

 

「……零司」

 

「ん?」

 

「……わたし、もう誰かの計画どおりには動かない」

 

 少年は、少しだけ目を細めた。

 

 そして。

 

「……そっか」

 

 小さく笑った。

 

「じゃあ、その計画、壊しに行く?」

 

 少女は、数秒ほど考えた。

 

 そして。

 

「……うん」

 

 はっきりと頷いた。

 

 零司は、楽しそうに笑った。

 

「決まりだね」

 

 その声に、迷いはなかった。

 

 学園都市の第零位。

 

 科学側の能力序列には存在しない少年。

 

 その圧倒的な力が、今度は一つの研究計画へ向けられようとしていた。

 

 PROJECT:ECHO。

 

 N-12とN-13を結びつける謎の管理計画。

 

 その全貌は、まだ明らかになっていない。

 

 だが。

 

 計画の関係者たちは、まだ知らなかった。

 

 自分たちが相手にしている少年が、どれほど気まぐれで。

 

 そして。

 

 どれほど、手に負えない存在なのかを。

 

 久遠零司は、静かに笑った。

 

「……さて」

 

 灰紫色の瞳が、僅かに細くなる。

 

「次は、誰に会えるのかな」

 

 その声は、どこまでも楽しそうだった。

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