七月二十八日、午前十一時二十七分。
学園都市第十学区、地下貨物搬送施設。
「……一つ、確認してもよろしいでしょうか」
八雲誠司の声には、隠しきれない緊張があった。
「久遠様。あなたは本当に、あの計画を潰すおつもりですか?」
「ん?」
久遠零司は振り返った。
黒髪に混じる銀色の髪。
眠たげな灰紫色の瞳。
つい先ほど数百トンもの貨物列車を動かし、施設の警備部隊を制圧した少年とは思えないほど、気の抜けた表情だった。
「まだ決めてないよ」
「……先ほど、壊しに行くと」
「言ったね」
零司は頷いた。
「でも、何を壊すかは見てから決める」
「…………」
「研究設備だけでいいかもしれないし、責任者を消した方が早いかもしれない」
あまりにも軽い口調だった。
八雲の背筋を冷たいものが走る。
「……あなたは」
「何?」
「人の命を、何だと思っているのですか?」
零司は不思議そうに首を傾げた。
「命は命でしょ?」
それだけだった。
深い思想も、正義の主張もない。
八雲は何も言えなくなった。
その隣で、N-13が壁面の案内図を確認していた。
「……零司」
「ん?」
「……ここ」
少女が指差したのは、地下施設の最深部。
《中央研究区画》
《Eブロック》
八雲の表情が変わる。
「……そこは」
「知ってるの?」
零司が尋ねた。
「PROJECT:ECHOの管理区画です」
少女が顔を上げた。
「……そこに、記録がある?」
「おそらく」
八雲は頷いた。
「ただし、中央の管理系統から切り離された保管設備もあるはずです。私の権限では確認できませんが」
「つまり、現物を見ないと分からないってことだね」
零司は、通路の奥へ視線を向けた。
分厚い隔壁。
複数の監視装置。
その向こうで、何かが動く音がした。
「……来たみたい」
少年が呟いた。
◇
『全員、配置につけ』
地下第五区画。
重装備の警備兵たちが、廊下を進んでいた。
人数は十二名。
学園都市製の強化外骨格。
対能力者用の拘束装置。
小型の自動迎撃機。
通常の治安維持部隊とは明らかに異なる装備だった。
『対象は久遠零司。極秘識別ZERO』
隊長らしき男が、通信越しに指示を出す。
『通常の能力者として扱うな。各員、単独行動は禁止』
『了解』
『ただし、優先回収対象は被験体N-13だ』
隊長は続けた。
『ZEROとの交戦は可能な限り回避しろ。回収を妨害された場合は、目標を変更する』
『変更先は?』
短い沈黙。
『被験体の処分だ』
隊員たちから異論は出なかった。
それが命令だったからだ。
『了解。処分条件を確認』
隊長は携帯端末を操作した。
《対象:N-13》
《回収優先》
《回収不能時:処分許可》
承認。
その直後。
通路の向こうから、呑気な声が響いた。
「へえ」
全員が顔を上げた。
「随分と物騒な相談してるんだね」
久遠零司だった。
その背後には、N-13と八雲誠司。
隊長は瞬時に銃を構えた。
「停止しろ!」
「止まってるよ?」
「それ以上近づくな!」
零司は足を止めた。
隊長の視線が動く。
黒髪の少年。
その隣にいる少女。
そして、元管理担当者。
目標を確認。
『第二班、被験体を――』
そこまでだった。
隊長が命令を終える前に、零司が右手を軽く動かした。
ガシャンッ!
十二人の足元で、強化外骨格が一斉に停止した。
「……なっ!?」
隊員たちが体勢を崩す。
関節部の駆動機構が、命令とは異なる方向へ力を伝え始めていた。
装備が自分たちの動きを妨げている。
「制御不能!」
「外骨格を切り離せ!」
隊長が叫ぶ。
その判断は早かった。
装備を緊急解除し、身軽になった隊員たちが散開する。
しかし。
「そういうの、もう見飽きたんだけど」
零司は、ため息をついた。
直後。
隊員たちの銃が、手元から滑り落ちた。
弾倉が外れる。
遊底が抜ける。
内部の部品が、空中で分離していく。
武器は、数秒と経たずに使用不能となった。
「……化け物め!」
隊長が叫んだ。
その手が腰の予備拳銃へ伸びる。
零司は、ただ見ていた。
隊長は銃を抜いた。
狙いを定める。
零司ではない。
N-13だった。
「……っ!」
少女の身体が強張る。
引き金が引かれた。
銃声。
そして。
次の瞬間、隊長の首が不自然な方向へ跳ねた。
男の身体が、床へ崩れ落ちる。
動かない。
撃ち出された弾丸は、少女へ届かなかった。
零司によって運動方向を書き換えられ、発射した本人へと戻されていた。
「…………」
数秒の沈黙。
残った隊員たちは、誰一人として動けなかった。
床に倒れた隊長。
その身体から広がる血。
そして、目の前に立つ少年。
「……さて」
零司が口を開いた。
「まだ続ける?」
返事はなかった。
少年は、少しだけ首を傾げた。
「やるなら相手するけど」
隊員の一人が、ゆっくりと両手を上げた。
続いて、別の隊員。
武器を失った兵士たちが、次々と戦意を放棄する。
零司は、それを確認すると頷いた。
「じゃあ、そこで待ってて」
床面の固定具が外れ、金属製の資材が隊員たちの周囲へ移動する。
即席の拘束設備。
逃げられない程度に、手足の動きを封じる。
それだけだった。
しかし。
N-13は、動けなかった。
◇
「……死んだの?」
少女の声は、小さかった。
零司が振り返る。
「誰?」
「……あの人」
少女は、床に倒れた隊長を見つめた。
「……撃った人」
「ああ」
零司は答えた。
「死んでるね」
「…………」
少女は、息を呑んだ。
これまで、零司が敵を倒す姿は何度も見てきた。
弾丸を止める。
機械を破壊する。
兵士を拘束する。
どれほど危険な相手でも、簡単に無力化してしまう。
だから。
今回も、そうするのだと思っていた。
「……殺したの?」
「うん」
即答だった。
後悔も、動揺もない。
まるで、何でもないことを聞かれたかのような返事。
「……どうして」
少女が呟く。
零司は首を傾げた。
「君を撃ったから」
「……でも」
少女の声が震える。
「……止められた、でしょ?」
「止めたよ。弾はね」
「……だったら!」
思わず声が大きくなった。
零司は、少女を見つめていた。
そして、静かに口を開く。
「殺す必要がないと思えば、殺さない」
少年の口元から、笑みが消えていた。
「でも、必要だと思ったら殺すよ」
「…………」
「それだけ」
少女は、何も言えなかった。
零司は続ける。
「僕、そういう仕事もしてきたからね」
その言葉に、少女の表情が変わった。
「……仕事?」
「うん」
零司は、床に倒れた隊長へ視線を向ける。
「暗殺とか、口封じとか。学園都市の裏側には、色々あるんだよ」
何でもない口調だった。
「……本当に?」
「嘘ついてどうするの?」
少女は唇を噛んだ。
知らなかった。
この少年が、強いことは知っていた。
危険な存在であることも、何となく理解していた。
だが。
人を殺すことに、これほど迷いがないとは思っていなかった。
「……わたし」
少女は、ゆっくりと顔を上げた。
「……あなたが、何をするか分からない」
「そうだろうね」
零司は否定しなかった。
少女は、しばらく黙っていた。
そして。
「……怖い」
小さく呟いた。
零司は、その言葉を聞いても表情を変えなかった。
「そっか」
それだけだった。
少女は、再び床へ視線を向ける。
死んだ隊長。
拘束された兵士たち。
零司は、誰が悪いかを判断して命を奪ったわけではない。
相手を排除することを選んだ。
ただ、それだけ。
「……零司」
「ん?」
「……わたしは、同じようには考えられない」
零司は頷いた。
「別にいいんじゃない?」
少女は顔を上げた。
「……え?」
「君まで僕と同じになる必要ないでしょ」
少年は、通路の奥へ視線を向けた。
「でも、僕が君と同じになるとも限らない」
「…………」
「それは覚えておいてね」
少女は、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと頷いた。
「……分かった」
怖い。
それは変わらない。
零司の行動を、すべて受け入れられるわけでもない。
だが、今ここで立ち止まれば、N-12の手掛かりを失う。
少女は、拳を握りしめた。
「……行こう」
零司が、少しだけ目を細めた。
「いいの?」
「……うん」
少女は、真っ直ぐに前を見た。
「……まだ、聞きたいことがあるから」
零司は、小さく笑った。
「了解」
そして、再び歩き始めた。
八雲は、その背中を見つめていた。
これが、第零位。
学園都市の暗部で、その存在を知る者たちが恐れる理由。
強さだけではない。
他人が作った規則にも、善悪にも、必ずしも従わない。
しかも、その気になれば実行できてしまう。
八雲は、ゆっくりと息を吐いた。
自分は、とんでもない相手を事件に巻き込んでしまったのかもしれない。
◇
『……第三区画、制圧されました』
中央管理室。
白衣の女が、報告を聞いていた。
画面には、床へ倒れた警備隊長が映し出されている。
《生命反応:消失》
《残存部隊:戦闘不能》
女は、しばらく黙っていた。
そして。
「……予想以上ですね」
静かに呟いた。
彼女の名前は、鳴瀬沙耶。
PROJECT:ECHOの実験管理責任者だった。
三十一歳。
能力開発研究の分野で、数多くの実験に関わってきた研究者。
その経歴は、表向きには優秀なものだった。
だが、彼女が扱ってきた研究には、公表されていないものも多い。
その一つが、PROJECT:ECHO。
観測干渉能力を持つ被験者を利用した、特殊な情報管理実験だった。
「……ZEROの制圧は不可能と判断します」
警備担当者が報告する。
鳴瀬は頷いた。
「分かっています」
「では、撤退を?」
「いいえ」
女は、画面を切り替えた。
《中央研究区画》
《研究資料:保管中》
《実験記録:未処理》
「……記録を処分します」
警備担当者の表情が変わった。
「すべてですか?」
「ええ」
鳴瀬は淡々と答えた。
「この計画の詳細を、久遠零司に知られるわけにはいきません」
「……しかし」
「何か?」
「中央保管庫には、複製できない資料も存在します」
鳴瀬は、少しだけ眉をひそめた。
「……仕方ありません」
操作端末へ手を伸ばす。
その瞬間。
「それは困るなぁ」
背後から声がした。
鳴瀬の指が止まった。
ゆっくりと振り返る。
そこには、一人の少年が立っていた。
黒髪に銀色の髪。
灰紫色の瞳。
そして、気の抜けた笑み。
「……久遠零司」
「正解」
少年は、片手を上げた。
「こんにちは」
鳴瀬は、息を呑んだ。
中央管理室。
複数の隔壁。
電子認証。
警備設備。
そのすべてを通り抜けた。
しかも、侵入警告は一度も作動していない。
「……どうやって」
「歩いてきたよ?」
零司は、背後の通路を指差した。
そこには、分厚い隔壁があった。
ただし。
扉は、元の位置には存在していなかった。
壁面の金属が、不自然に左右へ押し広げられている。
「……隔壁を」
「邪魔だったからね」
零司は笑った。
その後ろから、N-13と八雲が姿を現した。
鳴瀬の表情が険しくなる。
「……八雲誠司」
「お久しぶりです、鳴瀬主任」
八雲は、疲れたように答えた。
「できれば、もう少し穏やかな形で再会したかったのですが」
「あなたには、まだ説明していただくことがあります」
「……でしょうね」
そのやり取りを遮るように、少女が前へ出た。
「……PROJECT:ECHO」
鳴瀬の視線が動く。
「……何ですか?」
「……その計画について、教えて」
少女は、真っ直ぐに女を見つめた。
「……N-12と、わたしのこと」
鳴瀬は、数秒ほど黙っていた。
そして。
「……なるほど」
静かに息を吐く。
「そこまで知られていましたか」
◇
「PROJECT:ECHOの目的は、観測干渉能力の発現条件を解析することです」
鳴瀬は、端末の画面を開いた。
零司は、その隣の椅子へ腰を下ろす。
少女は立ったまま、画面を見つめていた。
《PROJECT:ECHO》
《研究区分:特殊能力干渉》
《管理対象:N-12/N-13》
《研究段階:第二段階》
「……二人とも、研究対象だったの?」
少女が尋ねる。
「ええ」
鳴瀬は頷いた。
「ただし、役割は異なります」
画面が切り替わる。
《N-12》
《観測基準対象》
《N-13》
《観測干渉対象》
「……観測基準?」
少女が首を傾げた。
鳴瀬は説明を始めた。
「あなたの能力は、周囲の観測情報を不安定にする性質があります」
「……うん」
「しかし、その現象がどの範囲まで作用するのか、正確な解析は困難でした」
画面に、複数の測定結果が表示される。
「そこで、別の被験者を比較対象として配置したのです」
少女の表情が変わった。
「……それが、あの子?」
「ええ」
鳴瀬は頷いた。
「N-12には、あなたの能力発現時に比較するための観測基準としての役割が与えられていました」
「…………」
「彼女自身の能力についても、別途研究が進められていましたが、詳細はこの計画の中では――」
「……待って」
少女が言葉を遮った。
鳴瀬が顔を上げる。
「何でしょう」
「……それって」
少女の声が震えた。
「……最初から、わたしたち二人を一緒に調べるつもりだったの?」
「そうです」
即答だった。
少女は拳を握りしめた。
研究施設にいた頃。
隣の部屋にいた少女。
時折、廊下ですれ違った。
一度だけ、微笑みかけてくれた。
その記憶が蘇る。
「……あの子と、会わせてくれなかったのも?」
「不要な接触が、実験結果へ影響する可能性がありましたので」
「…………」
少女は、何も言えなかった。
自分たちは、ただの研究対象だった。
出会うことも。
話すことも。
研究者たちによって制限されていた。
零司が口を開く。
「で、七月十二日にN-12が消えた」
「……ええ」
鳴瀬は頷いた。
「それによって、計画は中断されるはずでした」
少女が顔を上げる。
「……中断?」
「観測基準対象が失われれば、継続して比較することが困難になりますから」
「じゃあ、何で続いてるの?」
零司が尋ねた。
鳴瀬は、少しだけ目を細めた。
「……そこが、問題なのです」
画面が切り替わる。
《七月十二日》
《N-12:所在不明》
《計画管理状態:継続》
《管理権限:上位認証》
「……計画が、止まらなかった?」
八雲が呟いた。
「ええ」
鳴瀬は頷いた。
「本来なら、N-12の消失によって実験計画は停止するはずでした」
しかし。
「……上位管理系統が、計画の継続を承認したのです」
零司の目が細くなる。
「誰が?」
「分かりません」
鳴瀬は答えた。
「認証の発行元は、私の権限では確認できませんでした」
「……また、それか」
八雲が小さく呟く。
零司は、少しだけ笑った。
「みんな、知らないんだね」
「……申し訳ありません」
鳴瀬は、表情を変えずに答えた。
「ですが、事実です」
少女は、画面を見つめていた。
N-12が消えた。
それでも計画は続いた。
そして、一週間後。
自分へメッセージが届いた。
「……じゃあ」
少女が顔を上げる。
「……七月十九日の通知も、この計画の一部だったの?」
鳴瀬は、しばらく黙っていた。
そして。
「……少なくとも」
静かに答えた。
「その通知は、計画の管理系統を利用して送信されています」
「…………」
「ですが、私が指示したものではありません」
少女は唇を噛んだ。
また、分からない。
誰かが、勝手に自分たちを動かしている。
その正体だけが、見えてこない。
しかし。
少女は、ふと別のことに気づいた。
「……ねえ」
鳴瀬が顔を上げる。
「……N-12がいなくなったのに、どうして計画を続けられたの?」
「……それは」
鳴瀬の表情が、僅かに変わった。
少女は続ける。
「……比較する相手がいないなら、実験できないんでしょ?」
「…………」
「……だったら、何を調べてたの?」
その質問に。
鳴瀬は、初めて答えに詰まった。
◇
「……なるほどね」
零司が、小さく笑った。
「確かに変だ」
少女は、画面を見つめたまま続ける。
「……あの子がいなくなったなら、普通は別の人を探すんじゃないの?」
「…………」
「……でも、あなたたちは探してるだけで、計画は止めなかった」
鳴瀬は、ゆっくりと息を吐いた。
「……それは」
言葉を選ぶ。
そして。
「……N-12の観測記録が、完全には失われていなかったからです」
少女が目を見開く。
「……え?」
鳴瀬は、別の画面を開いた。
《観測基準対象:N-12》
《実体確認:不能》
《関連信号:断続的に検出》
「……信号?」
少女が呟く。
「ええ」
鳴瀬は頷いた。
「彼女が姿を消した後も、管理系統にはN-12に関連する信号が残り続けていました」
画面に、複数の時刻が並ぶ。
《七月十三日》
《七月十五日》
《七月十九日》
《七月二十三日》
少女の瞳が動く。
「……十九日」
自分が研究施設から逃げ出した日。
その日にも、信号が記録されていた。
「……あの子が、生きてたってこと?」
「断定はできません」
鳴瀬は首を横に振った。
「識別情報だけを利用している第三者の可能性があります」
零司が口を開く。
「でも、何かが動いてるのは確かなんだ」
「……はい」
「ふうん」
少年は、画面を見つめた。
そして。
「じゃあ、その記録を全部見せてよ」
鳴瀬の表情が強張った。
「……それは」
「見せられない?」
零司が尋ねる。
鳴瀬は、しばらく黙っていた。
そして。
「……中央保管庫に保存されています」
少女が顔を上げる。
「……どこ?」
鳴瀬は、部屋の奥を指差した。
そこには、分厚い金属製の扉があった。
《ECHO DATA ARCHIVE》
零司は、立ち上がった。
「じゃ、開けようか」
「……待ってください!」
鳴瀬が声を上げる。
「何?」
「そこは、通常の電子管理系統から切り離された保管庫です」
「うん」
「内部の資料は、物理的な認証を必要とします」
「へえ」
零司は扉へ近づいた。
そして、軽く手を伸ばす。
ガコンッ。
重い音。
扉の固定機構が外れる。
分厚い金属板が、ゆっくりと左右へ開いていく。
「……開いたよ?」
零司は振り返った。
鳴瀬は、何も言えなかった。
◇
中央保管庫。
そこには、大型の記録装置が並んでいた。
研究施設の管理系統から切り離された、独立型の保存設備。
複数の記録媒体。
物理的な認証装置。
そして、非常時の資料処分機構。
少女は、室内へ足を踏み入れた。
「……ここに、全部あるの?」
鳴瀬は頷いた。
「少なくとも、PROJECT:ECHOに関する主要な記録は」
「……じゃあ」
少女は、すぐに中央の操作端末へ向かった。
画面には、複数の項目が並んでいた。
《PROJECT:ECHO》
《研究計画概要》
《被験体管理記録》
《観測信号履歴》
《外部通信履歴》
少女は、迷わず最後の項目を選択した。
《外部通信履歴》
《閲覧権限:認証要求》
「……開けない」
鳴瀬が近づく。
「私の認証でも、すべては閲覧できません」
少女は、画面を睨んだ。
零司なら、装置そのものを壊せる。
だが、壊してしまえば記録も失われる可能性がある。
物理的な力だけでは、情報の中身を知ることはできない。
「……八雲」
少女が振り返る。
「……Y-07の認証、使えない?」
八雲は首を横に振った。
「すでに失効しています」
「……じゃあ」
少女は考えた。
認証。
管理権限。
通信記録。
研究施設で、何度も見てきた仕組み。
そして。
「……あ」
小さく声が漏れた。
零司が顔を向ける。
「どうしたの?」
「……これ」
少女は、画面の下部を指差した。
《緊急保全記録》
《外部認証不要》
《閲覧可能範囲:限定》
「……非常時の記録」
鳴瀬の表情が変わった。
「……待ちなさい」
少女は、その言葉を無視した。
操作する。
画面が切り替わる。
《緊急保全記録》
《最終同期情報》
《保存日時:七月二十七日》
少女の目が見開かれた。
「……昨日?」
零司が覗き込む。
そこには、短い文字列が表示されていた。
《関連識別:N-12》
《最終信号検出:七月二十七日 二十三時十四分》
《位置情報:第七学区》
少女の呼吸が止まった。
「……第七学区……?」
自分たちが暮らしている場所。
零司の部屋がある区域。
そして。
《推定検出範囲:第七学区・住宅区画》
画面には、簡易的な地図が表示された。
少女は、その場所を見つめた。
「……零司」
「うん」
「……これ」
ゆっくりと顔を上げる。
「……わたしたちの家の近く……」
零司の目が細くなった。
表示された地点。
その近くには、確かに零司の住む集合住宅が存在していた。
「……へえ」
少年は、静かに画面を見つめた。
N-12。
七月二十七日。
午後十一時十四分。
自分たちが部屋にいた時間帯。
その近くで、N-12に関連する信号が検出されていた。
もちろん、本人がそこにいたとは限らない。
識別番号だけを使った通信かもしれない。
位置情報が偽装されている可能性もある。
それでも。
偶然にしては、随分と都合がよかった。
「……あの子」
少女が呟く。
「……近くに、いたの……?」
誰も答えなかった。
ただ。
その瞬間。
零司の携帯端末が振動した。
新しいメッセージ。
差出人は不明。
『久遠零司』
『ようやく気づいたか』
零司の口元が、ゆっくりと上がる。
続いて、二通目。
『お前が探していたのは、最初から近くにいた』
少女が、画面を見つめた。
「……どういうこと?」
零司は答えなかった。
そして。
三通目。
『だが、もう遅い』
その直後。
少女の携帯端末が鳴った。
「……え?」
画面を見る。
見知らぬ送信元。
短い文章だった。
『十三』
『今すぐ、その少年から離れろ』
少女の身体が硬直した。
零司が顔を向ける。
「……何?」
少女は、震える手で端末を差し出した。
少年は、その文章を読んだ。
数秒の沈黙。
そして。
「……あはっ」
零司が笑った。
その声に、少女は思わず顔を上げた。
少年の灰紫色の瞳には、これまで以上に強い興味が宿っていた。
「……なるほどね」
零司は、ゆっくりと携帯端末を持ち上げた。
「僕から離れろ、か」
その口元に、楽しそうな笑みが浮かぶ。
「……面白いこと言うじゃん」
少女は、何も言えなかった。
N-12。
消えた少女。
七月十二日の失踪。
七月十九日のメッセージ。
そして、七月二十七日の通信記録。
すべてが、久遠零司の周囲へ集まり始めている。
偶然なのか。
誰かの計画なのか。
それとも。
この少年の存在そのものが、何かを引き寄せているのか。
まだ、誰にも分からない。
ただ一つ。
確かなことがあった。
何者かが、N-13へ直接警告してきた。
久遠零司から離れろ、と。
その理由は、まだ明らかになっていない。
しかし。
零司は、その警告を見つめたまま笑っていた。
「……さて」
少年が、小さく呟く。
「今度は、僕が邪魔者ってことかな」
その声には、恐怖も怒りもなかった。
ただ。
自分の知らない何者かが、直接こちらへ干渉してきたこと。
その事実を、楽しんでいるようだった。