とある学園都市の第零位《ゼロナンバー》   作:右左右左右

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第19話 消えた十二号との再会

 七月二十八日、午後四時十七分。

 

 学園都市第七学区。

 

「……暑い」

 

 久遠零司は、心底嫌そうに呟いた。

 

 手にはコンビニで買ったアイス。

 

 隣を歩くN-13は、呆れたように少年を見上げる。

 

「……さっきも言ってた」

 

「暑いものは暑いんだよ」

 

「……能力で何とかできないの?」

 

「できるけど、ずっと調整するの面倒じゃん」

 

「…………」

 

 少女は何とも言えない顔をした。

 

 数百トンの貨物列車を浮かせ、武装した警備部隊を壊滅させた少年が、暑さ対策を面倒くさがっている。

 

 何度見ても、理解しがたい人物だった。

 

「……久遠様」

 

 背後から声が掛かる。

 

 八雲誠司だった。

 

 黒いスーツは埃まみれ。

 

 先ほどまで拘束されていた影響もあり、歩き方が少しぎこちない。

 

「……本当に徒歩で向かうのですか」

 

「もうすぐでしょ?」

 

「そうですが……」

 

「じゃあ頑張って」

 

 零司は、最後の一口を食べた。

 

 八雲は諦めたように息を吐く。

 

 その様子を見ていたN-13が、前方を指差した。

 

「……あれ?」

 

 通りの向こう。

 

 古びた建物が見えていた。

 

 周囲を背の高いビルに囲まれた、五階建ての灰色の建物。

 

 壁面には古い通信設備の跡が残り、屋上には撤去されていないアンテナが並んでいる。

 

《第七学区・旧通信管理棟》

 

 入口には、施設閉鎖を知らせる看板。

 

 しかし。

 

「……人がいる」

 

 少女が呟いた。

 

 建物の脇には、黒いワゴン車が停まっていた。

 

 さらに、二階の窓から僅かに光が漏れている。

 

 閉鎖された施設にしては、不自然だった。

 

 零司は建物を見上げた。

 

「……まだ使ってるみたいだね」

 

「……入れる?」

 

「入ろうと思えば」

 

 少年は、あっさりと答えた。

 

 そのとき。

 

 建物の二階で、何かが動いた。

 

 カーテンの隙間。

 

 小さな黒い筒。

 

 それが、零司たちのいる方向へ向けられる。

 

「……あ」

 

 零司が呟いた。

 

 次の瞬間。

 

 パシュッ!

 

 乾いた発射音。

 

 窓から飛び出した小型弾頭が、三人へ向かって飛来した。

 

 しかし。

 

 それは零司の数メートル手前で停止した。

 

「……催涙弾?」

 

 零司は、空中に浮かぶ弾頭を眺めた。

 

 そして、少し考える。

 

「こんなところで使ったら、通行人も巻き込むでしょ」

 

 軽く指を動かす。

 

 弾頭が、発射元の窓へ向きを変えた。

 

「返すね」

 

 直後。

 

 パリンッ!

 

 二階の窓ガラスが割れた。

 

 続いて、白い煙が噴き出す。

 

『うわああっ!?』

 

 建物の中から悲鳴が聞こえた。

 

 零司は、満足そうに頷く。

 

「はい。邪魔者一人」

 

 N-13は額を押さえた。

 

「……まだ始まってもいないのに」

 

「向こうから撃ってきたんだよ?」

 

「……それは、そうだけど」

 

 零司は笑った。

 

「じゃ、行こっか」

 

     ◇

 

 旧通信管理棟、二階。

 

「侵入者だ!」

 

「第零位を確認!」

 

「主任へ連絡しろ!」

 

 廊下を警備員たちが走っていた。

 

 施設内には緊急警報が鳴り響いている。

 

 しかし、外部へは音が漏れていない。

 

 周囲に気づかれないよう、防音設備だけは維持されているらしかった。

 

「……第零位が、どうしてここに……!」

 

 警備責任者が通信端末へ怒鳴る。

 

『例の被験体と一緒です!』

 

「……N-13もいるのか!?」

 

『はい!』

 

 男は舌打ちした。

 

「最悪だ……!」

 

 そのとき。

 

 背後から声がした。

 

「何が?」

 

「……っ!?」

 

 男が振り返る。

 

 そこには、黒髪に銀色の髪が混じる少年が立っていた。

 

 久遠零司。

 

 その後ろにはN-13と八雲。

 

「な、何故ここに……!」

 

「階段があったから」

 

 零司は、当然のように答えた。

 

 警備員たちが銃を構える。

 

「動くな!」

 

「うん」

 

 零司は足を止めた。

 

 次の瞬間。

 

 ガシャンッ!

 

 警備員たちの銃が、一斉に床へ落ちた。

 

 引き金を引こうとしても、指が動かない。

 

 正確には、銃を保持する腕へ伝わる力が、不自然に変化していた。

 

「……なっ!?」

 

「はい、おしまい」

 

 零司が片手を動かす。

 

 警備員たちの身体が、壁際へ押しつけられた。

 

 腕も脚も動かない。

 

 だが、呼吸はできる。

 

 零司は、そのまま横を通り過ぎようとした。

 

「……久遠様」

 

 八雲が声を掛ける。

 

「この方々は、よろしいのですか?」

 

「何が?」

 

「……拘束したままですが」

 

「僕たちが出たら解けるようにしとくよ」

 

「……そうですか」

 

 八雲は、それ以上何も言わなかった。

 

 少女は廊下の奥を見た。

 

 古い案内板。

 

《通信管理室》

 

《回線保守室》

 

《地下共同溝》

 

「……こっち」

 

 N-13は、回線保守室を指差した。

 

「……R-4は、たぶんこの奥」

 

 零司は頷いた。

 

「じゃ、案内よろしく」

 

 少女が先頭に立つ。

 

 その背中を見ながら、零司は少しだけ笑った。

 

 最初は、逃げることしかできなかった少女。

 

 今は、自分から危険な場所へ進もうとしている。

 

 もっとも。

 

 それを褒めるつもりはなかった。

 

 本人が勝手に選んだことなのだから。

 

     ◇

 

 午後四時二十六分。

 

 回線保守室。

 

「……あった」

 

 N-13が足を止めた。

 

 室内には、古い通信装置が並んでいた。

 

 壁一面の配線。

 

 使われなくなった回線切替装置。

 

 そして、比較的新しい管理端末。

 

 その中央に、目的の表示があった。

 

《R-4》

 

《基準信号中継装置》

 

《運用状態:稼働中》

 

「……これだ」

 

 少女は端末へ近づいた。

 

 八雲も隣へ並ぶ。

 

「……間違いありません」

 

 表示されている装置番号は、研究施設の記録と一致していた。

 

 R-4。

 

 N-12に関連する基準信号を中継していた装置。

 

 そして、N-13の端末へ組み込まれていた観測用部品と通信していた設備。

 

「……七月二十七日」

 

 少女は履歴を確認した。

 

《二十三時十四分》

 

《基準信号送信》

 

《対象:N-13端末》

 

《応答確認》

 

「……やっぱり」

 

 小さく呟く。

 

 あの夜、零司の部屋付近で検出されたN-12関連信号。

 

 それは、この装置から送られたものだった。

 

 N-12本人が近くにいた証拠ではない。

 

 少女は一度目を閉じた。

 

 期待していた答えではなかった。

 

 しかし、これで一つの疑問は解消された。

 

「……次」

 

 少女が画面を操作する。

 

 七月十九日。

 

 午後六時四十一分。

 

 N-12の識別情報が使用された音声通信。

 

 その履歴を検索した。

 

《該当記録:一件》

 

「……あった!」

 

 少女が声を上げる。

 

 零司が顔を向けた。

 

「見つかった?」

 

「……うん」

 

 画面には、通信経路が表示されていた。

 

《七月十九日 十八時四十一分》

 

《通信種別:音声》

 

《発信端末識別:N-12》

 

《発信経路:地下保守回線》

 

《接続先:N-13》

 

「…………!」

 

 少女の目が見開かれた。

 

 接続先。

 

 N-13。

 

 それは、自分の識別番号だった。

 

「……わたしに?」

 

 少女が呟く。

 

 八雲が画面を覗き込む。

 

「……なるほど」

 

「……何?」

 

「この通信は、N-13を宛先として発信されています」

 

 八雲は続けた。

 

「ただし、実際に接続された記録はありません」

 

 画面の下部。

 

《接続状態:中断》

 

《音声保存:十一・六秒》

 

 少女は、唇を噛んだ。

 

 十一・六秒。

 

 昨日、八雲から受け取った音声と同じ長さだった。

 

「……じゃあ」

 

 少女は、小さく呟く。

 

「……あの声は、わたしに話そうとしてたんだ」

 

 零司は画面を見た。

 

「少なくとも、君宛ての通信だったみたいだね」

 

「……うん」

 

 少女は頷いた。

 

 だが、まだ分からない。

 

 その声が本当にN-12本人のものだったのか。

 

 なぜ途中で通信が切られたのか。

 

 そして。

 

 N-12は、今どこにいるのか。

 

 そのときだった。

 

 ピッ。

 

 管理端末に、警告が表示された。

 

《緊急保全処理》

 

《記録媒体初期化:開始》

 

「……っ!?」

 

 八雲の表情が変わる。

 

「まずい!」

 

「……何?」

 

「記録を消去する命令です!」

 

 画面の表示が赤く変わる。

 

《残り三十秒》

 

 零司は、面倒くさそうに息を吐いた。

 

「……また?」

 

 そして、端末へ手を伸ばす。

 

 カチリ。

 

 内部で小さな音がした。

 

《初期化処理:異常停止》

 

《記録媒体:保護状態》

 

 消去処理が止まった。

 

「……はい」

 

 零司は手を離した。

 

「続けていいよ」

 

 少女は、思わず笑いそうになった。

 

 ここまで来ると、研究施設側が少し気の毒になってくる。

 

 どれほど周到に準備しても、目の前の少年には通用しない。

 

 しかし。

 

 問題は、記録の消去だけではなかった。

 

     ◇

 

「……失敗した?」

 

 旧通信管理棟、四階。

 

 御影直哉は、管理端末を睨んでいた。

 

 PROJECT:ECHO第三段階の実施管理者。

 

 中央保管庫での観測実験が失敗した後、彼はR-4へ移動していた。

 

 目的は、残存する通信記録の回収と処分。

 

 だが。

 

《初期化処理:異常停止》

 

《原因:不明》

 

 表示された結果は、最悪だった。

 

「……久遠零司か」

 

 御影は、低く呟いた。

 

 通常の能力者なら、電源を落とすだけで済む。

 

 あるいは、保護処理を突破できずに諦める。

 

 しかし、ZEROは違う。

 

 装置を壊さず、必要な部分だけを停止させる。

 

 物理的な制約を利用した対策が、まるで意味を持たない。

 

「……ならば」

 

 御影は、机の引き出しを開いた。

 

 中から取り出したのは、小さな操作装置。

 

 電子回線とは独立した、物理的な緊急処分装置だった。

 

 保守室の記録媒体を、薬剤で破壊する仕組み。

 

 通信が遮断されても、作動させられる。

 

「……ここまでだ」

 

 御影が操作装置を握った。

 

 その瞬間。

 

「それ、何?」

 

「……っ!?」

 

 背後から声がした。

 

 御影が振り返る。

 

 そこには、久遠零司が立っていた。

 

 いつの間にか。

 

 何の前触れもなく。

 

「……貴様!」

 

 御影が操作装置を起動しようとする。

 

 しかし。

 

 指が動かなかった。

 

 手の中で、装置の外装が音もなく割れる。

 

 内部の部品が、空中へ浮かび上がった。

 

「……なっ!?」

 

 零司は、その部品を眺めた。

 

「また記録を消すつもり?」

 

 御影は後ずさった。

 

「……どうやって、ここまで……!」

 

「階段」

 

 零司は、あっさりと答えた。

 

 そして、少しだけ眉をひそめる。

 

「ていうかさ」

 

 その声から、笑みが消えた。

 

「君たち、毎回同じことばっかりするよね」

 

「…………」

 

「記録を消して、逃げて、また別の装置で同じことをする」

 

 零司は、ゆっくりと御影へ近づいた。

 

「正直、飽きてきた」

 

 御影の表情が引きつる。

 

 背後には窓。

 

 目の前には、規格外の能力者。

 

 逃げ場はない。

 

「……待て!」

 

 御影が叫んだ。

 

「私は、命令に従っただけだ!」

 

 零司は足を止めた。

 

「そう」

 

「……そうだ!」

 

「じゃあ、その命令を出した人は?」

 

「……それは」

 

「知らない?」

 

 御影は黙った。

 

 零司は、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「またそれかぁ」

 

 少年が、軽く手を動かす。

 

 次の瞬間。

 

 御影の身体が、宙へ浮き上がった。

 

「ぐっ……!?」

 

 足が床から離れる。

 

 背中が壁へ押しつけられる。

 

 呼吸はできる。

 

 だが、身体を動かせない。

 

「……殺すつもりか!」

 

 御影が叫んだ。

 

 零司は首を傾げた。

 

「まだ決めてないよ」

 

「…………!」

 

「君が何を知ってるかによるかな」

 

 少年は、御影の目を見た。

 

「僕、面倒な尋問とか嫌いなんだよね」

 

 その声は、静かだった。

 

「だから、簡単に話してくれると助かる」

 

 御影は、息を呑んだ。

 

 この少年にとって、自分を殺すことは特別な選択ではない。

 

 必要と判断すれば、実行する。

 

 ただし、今は情報を持つ相手として利用価値がある。

 

 それだけだった。

 

「……分かった」

 

 御影は、ゆっくりと答えた。

 

「……話す」

 

     ◇

 

 午後四時三十八分。

 

 回線保守室。

 

「……古い記録装置?」

 

 N-13が、首を傾げた。

 

 八雲が、壁際の設備を指差していた。

 

「ええ。こちらです」

 

 そこには、古い機械式の記録装置があった。

 

 電子管理系統とは別に、通信障害時の保全用として設置されていたものらしい。

 

 八雲は説明した。

 

「緊急時に、通信経路の切替履歴を独立して保存する設備です」

 

「……じゃあ、消されてない?」

 

「可能性はあります」

 

 少女は装置を見つめた。

 

 古い金属製の筐体。

 

 取り外し可能な記録媒体。

 

 そして、手動操作用のレバー。

 

「……開けてみよう」

 

 少女が言った。

 

 八雲は頷いた。

 

 二人で固定具を外す。

 

 内部には、細長い記録用テープが残っていた。

 

「……あった」

 

 少女は、ゆっくりと取り出した。

 

 そこには、複数の日付が印字されている。

 

 七月十二日。

 

 七月十九日。

 

 そして。

 

《七月十九日 十八時四十一分》

 

《地下保守回線・外部接続》

 

 少女の指が止まった。

 

「……これ」

 

 八雲が覗き込む。

 

《接続先:N-13》

 

《接続状態:中断》

 

《経路異常:音声記録のみ保存》

 

 その下には、別の情報があった。

 

《発信側回線》

 

《地下共同溝・第四保守室》

 

「……第四保守室?」

 

 少女が呟いた。

 

 八雲は、壁面の案内図を確認した。

 

「……この建物の地下です」

 

 少女が顔を上げる。

 

「……近い?」

 

「ええ。階段を下りた先にあるはずです」

 

 少女は、記録媒体を保管袋へ入れた。

 

 そして、すぐに立ち上がる。

 

「……行こう」

 

 八雲が頷いた。

 

 そのとき。

 

 零司が保守室へ戻ってきた。

 

「お待たせ」

 

 少女が振り返る。

 

「……どこ行ってたの?」

 

「ちょっと上」

 

「……何してたの?」

 

「面倒な人を捕まえてきた」

 

 零司の背後。

 

 一人の男が、空中に浮かんでいた。

 

 御影直哉だった。

 

「…………」

 

 八雲が目を見開く。

 

「……御影主任!?」

 

「知り合い?」

 

 零司が尋ねる。

 

 八雲は頷いた。

 

「PROJECT:ECHO第三段階の実施管理者です」

 

 N-13の表情が変わった。

 

「……この人が?」

 

 御影は、少女から目を逸らした。

 

 零司は、面倒くさそうに息を吐いた。

 

「この人、研究計画のことは結構知ってるみたい」

 

 そして、御影へ視線を向ける。

 

「ほら。さっきの話、もう一回」

 

 御影は、唇を噛んだ。

 

 それから。

 

「……第三段階は」

 

 ゆっくりと口を開いた。

 

「N-13を研究施設の外へ出し、ZEROと接触させることを前提に設計されていた」

 

 少女の目が見開かれる。

 

「……やっぱり」

 

「ただし、実際にZEROが依頼を引き受けるかどうかは不確定だった」

 

 御影は続ける。

 

「予定外の行動も含めて、観測対象だったんだ」

 

 零司が、少しだけ笑った。

 

「つまり、僕が君たちの言うとおりに動かなくても、記録するつもりだったんだね」

 

「……そうだ」

 

 N-13は、拳を握りしめた。

 

「……じゃあ、あのメッセージも」

 

 御影は答えた。

 

「七月十九日の通知は、計画の一部だ」

 

「……誰が書いたの?」

 

「上位管理系統が用意したものだ。私は配送準備を担当しただけだ」

 

 少女は、御影を睨んだ。

 

 七月十九日。

 

 研究施設から逃げ出した日。

 

 あのメッセージに希望を抱いた。

 

 誰かが迎えに来てくれるのだと信じた。

 

 だが、それは研究計画の一部だった。

 

 自分を外へ出し、零司と接触させるための誘導。

 

「……ふざけないで」

 

 少女が呟いた。

 

 御影は、何も言わなかった。

 

 そのとき。

 

「……でも」

 

 少女は顔を上げた。

 

「……七月十九日の音声は?」

 

 御影の表情が変わった。

 

「……何?」

 

「……N-12から、わたしへ掛けられた通信」

 

 少女は続ける。

 

「……あれも、あなたたちが用意したの?」

 

 御影は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……違う」

 

 静かに答えた。

 

「少なくとも、私が指示したものではない」

 

 少女の呼吸が止まった。

 

「……じゃあ」

 

 御影は、唇を噛んだ。

 

「……あの通信は、予定外だった」

 

 零司の目が、僅かに細くなる。

 

 御影は続けた。

 

「N-12の識別情報を使用した音声通信が、七月十九日に検出された」

 

「……うん」

 

「我々は、その発信元を追跡した」

 

 少女の拳が握りしめられる。

 

「……見つかったの?」

 

 御影は首を横に振った。

 

「……発信者の身柄は確保できなかった」

 

 そして。

 

「ただし、最後に通信が確認された場所は分かっている」

 

 少女が息を呑む。

 

 御影は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……この建物の地下だ」

 

     ◇

 

 午後四時四十六分。

 

 地下共同溝。

 

 古い階段を下りると、湿った空気が漂っていた。

 

 壁沿いには、何本もの配管。

 

 天井には、使われなくなった通信ケーブル。

 

 足元には、薄く水が溜まっている。

 

「……暗い」

 

 N-13が呟いた。

 

 零司は、指を軽く動かした。

 

 天井の古い照明が、順番に点灯する。

 

 パチッ。

 

 パチッ。

 

 パチッ。

 

 暗かった通路が、ゆっくりと明るくなった。

 

「……便利だね」

 

 少女が言った。

 

「そう?」

 

「……うん」

 

 零司は、小さく笑った。

 

「こういうのは楽だから好き」

 

 その後ろでは、御影が八雲に付き添われながら歩いていた。

 

 零司の能力によって、両腕の動きが制限されている。

 

 逃げようにも、逃げられない。

 

 少女は、通路の奥を見つめた。

 

 地下第四保守室。

 

 七月十九日。

 

 N-12の識別情報を使った通信が発信された場所。

 

 そこに、何が残されているのか。

 

 分からない。

 

 しかし。

 

 今までで最も、N-12本人に近づいている気がした。

 

「……あれ?」

 

 少女が、突然足を止めた。

 

 零司が振り返る。

 

「どうしたの?」

 

「……足跡」

 

 少女は、床を指差した。

 

 薄く積もった埃。

 

 その上に、小さな靴跡が残っていた。

 

 しかも。

 

 まだ乾ききっていない。

 

「……最近、誰か通った」

 

 八雲が顔を上げる。

 

「……確かに」

 

 零司は、通路の奥へ視線を向けた。

 

 そして。

 

「……いるね」

 

 小さく呟いた。

 

 少女が顔を上げる。

 

「……誰か?」

 

「うん」

 

 零司は頷いた。

 

「奥の部屋」

 

 少女の心臓が跳ねた。

 

「……N-12……?」

 

「それは、見てみないと分からない」

 

 零司は答えた。

 

 そして、通路の奥を指差す。

 

「行く?」

 

 少女は、迷わなかった。

 

「……うん」

 

     ◇

 

《第四保守室》

 

 古い金属製の扉。

 

 鍵は掛かっていなかった。

 

 N-13は、ゆっくりと手を伸ばした。

 

 そして、扉を押す。

 

 ギィ……。

 

 錆びた蝶番が、耳障りな音を立てた。

 

 室内は薄暗かった。

 

 机。

 

 椅子。

 

 古い通信装置。

 

 そして、壁際に置かれた小さな鞄。

 

 誰かが使用していた形跡が残っている。

 

「……誰か、いる?」

 

 少女が呼びかけた。

 

 返事はなかった。

 

 零司は、入口で立ち止まっている。

 

 御影の表情が、僅かに強張った。

 

「……馬鹿な」

 

 小さく呟く。

 

「……ここにいるはずが……」

 

 その声を、零司は聞き逃さなかった。

 

「知ってる人?」

 

 御影は答えない。

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「まあ、いいや」

 

 そして、室内の奥へ視線を向ける。

 

「出てきたら?」

 

 沈黙。

 

 数秒後。

 

 壁際の影が動いた。

 

 小さな物音。

 

 そして。

 

「……動かないで」

 

 少女の声が響いた。

 

 N-13は息を呑んだ。

 

 室内の奥。

 

 そこに、一人の少女が立っていた。

 

 淡い茶色の髪。

 

 肩にかかるほどの長さ。

 

 痩せた身体。

 

 灰色の上着。

 

 そして、警戒するような瞳。

 

 年齢は、N-13とそれほど変わらない。

 

「…………」

 

 N-13は、動かなかった。

 

 見覚えがあった。

 

 研究施設。

 

 白い廊下。

 

 時折、扉の向こうに見えた少女。

 

 一度だけ、短い会話を交わしたことがある。

 

 その少女が、目の前にいた。

 

「……十二号?」

 

 声が震えた。

 

 目の前の少女は、僅かに目を見開いた。

 

 そして。

 

「……十三?」

 

 その声。

 

 七月十九日の音声記録。

 

 何度も聞き返した、途切れ途切れの声。

 

 それと同じ声だった。

 

「…………!」

 

 N-13は、一歩前へ出た。

 

「……本当に……?」

 

 目の前の少女は、小さく頷いた。

 

「……うん」

 

 その瞬間。

 

 N-13の表情が崩れた。

 

「……生きてた……!」

 

 声が震える。

 

 そして、少女は駆け寄った。

 

 N-12は、一瞬だけ身構えた。

 

 しかし。

 

 N-13だと分かると、力を抜いた。

 

「……十三」

 

 N-13は、少女の手を握った。

 

 温かい。

 

 確かに、そこにいる。

 

 通信記録でも。

 

 識別番号でも。

 

 観測信号でもない。

 

 生きている人間だった。

 

「……よかった……」

 

 N-13が呟いた。

 

「……本当に、よかった……!」

 

 N-12は、困ったように笑った。

 

「……ごめんね」

 

 その言葉に。

 

 N-13は、首を横に振った。

 

「……謝らないで」

 

 そして。

 

「……探してた」

 

 小さく告げた。

 

「……ずっと、探してた」

 

 N-12は、目を伏せた。

 

 その表情には、安堵と申し訳なさが混じっていた。

 

 しかし。

 

 次の瞬間。

 

 彼女の視線が、N-13の背後へ向けられた。

 

 黒髪に銀色の髪。

 

 灰紫色の瞳。

 

 そして、どこか楽しそうな表情。

 

 久遠零司。

 

 その姿を見た瞬間。

 

 N-12の顔から、血の気が引いた。

 

「……っ!?」

 

 少女は、N-13の手を強く握った。

 

「……十三!」

 

 その声には、明らかな焦りがあった。

 

「……その人から、離れて!」

 

 N-13が目を見開く。

 

「……え?」

 

 N-12は、零司を睨んだ。

 

 その瞳には、恐怖が浮かんでいた。

 

「……どうして、その人と一緒にいるの……!?」

 

     ◇

 

「……僕?」

 

 零司は、不思議そうに首を傾げた。

 

 N-12は答えなかった。

 

 ただ、N-13を庇うように前へ出る。

 

「……近づかないで」

 

「近づいてないけど」

 

 零司は肩をすくめた。

 

「……君、僕のこと知ってるの?」

 

 N-12は、唇を噛んだ。

 

 そして。

 

「……ZERO」

 

 小さく呟いた。

 

 八雲の表情が変わる。

 

 御影は、目を伏せた。

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「そっか。名前は知ってるんだ」

 

 N-12は、少女を庇ったまま続けた。

 

「……学園都市の暗部で、仕事をしてる人」

 

「うん」

 

「……人を殺すことも、何とも思ってない」

 

「そうだね」

 

 即答だった。

 

 N-12の表情が強張る。

 

 N-13は、二人を見比べていた。

 

 そして、静かに口を開いた。

 

「……十二号」

 

 N-12が振り返る。

 

「……十三?」

 

「……知ってる」

 

 N-13は、ゆっくりと頷いた。

 

「……零司が、そういう人だってこと」

 

 N-12の目が見開かれる。

 

「……だったら!」

 

「……でも」

 

 N-13は、言葉を遮った。

 

「……わたし、ここにいる」

 

 N-12は、何も言えなかった。

 

「……自分で決めて、一緒に来た」

 

 その言葉に、N-12の表情が揺れた。

 

 少女は、零司を振り返る。

 

 少年は、二人のやり取りを眺めていた。

 

 介入する様子はない。

 

「……ねえ」

 

 N-13が、もう一度N-12へ向き直る。

 

「……昨日のメッセージ」

 

 携帯端末を取り出す。

 

『十三』

 

『今すぐ、その少年から離れろ』

 

「……これ、送ったの?」

 

 N-12は、数秒ほど黙っていた。

 

 そして。

 

「……うん」

 

 小さく頷いた。

 

 N-13の呼吸が止まる。

 

「……じゃあ」

 

 N-12は、N-13の手を握りしめた。

 

「……怖かったから」

 

「……何が?」

 

「……十三が、また利用されること」

 

 N-12は、零司へ視線を向けた。

 

「……その人も、研究施設から仕事を受けたんでしょ?」

 

 N-13は頷いた。

 

「……うん」

 

「……だったら、危ないよ」

 

 その声は、切実だった。

 

「……あの人たちは、十三を外へ出すことまで計画してた」

 

「……知ってる」

 

 N-12の目が見開かれる。

 

「……え?」

 

「……PROJECT:ECHO」

 

 N-13が告げた。

 

 その名前に、N-12の顔色が変わった。

 

「……どこで、それを……?」

 

「……調べた」

 

 N-13は、はっきりと答えた。

 

「……零司と一緒に」

 

 N-12は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……そう」

 

 小さく息を吐いた。

 

 その表情には、複雑な感情が浮かんでいた。

 

 恐怖。

 

 警戒。

 

 そして、僅かな安堵。

 

「……十三」

 

 N-12が、静かに口を開いた。

 

「……七月十九日の通信、聞いた?」

 

 N-13は頷いた。

 

「……うん」

 

「……途中で、切られたでしょ」

 

「……うん」

 

 N-12は、目を伏せた。

 

「……あれ、わたしが送ったの」

 

 N-13の呼吸が止まる。

 

 七月十九日。

 

 午後六時四十一分。

 

 十一・六秒の音声通信。

 

 N-12の識別情報を使用した、未接続の通話。

 

 その発信者が、ようやく分かった。

 

「……やっぱり」

 

 N-13は、小さく呟いた。

 

 N-12は続けた。

 

「……十三に、見つけないでって伝えたかった」

 

「……どうして?」

 

「……探されたら、居場所が知られると思ったから」

 

 N-13が眉をひそめる。

 

「……誰に?」

 

 N-12は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 そして。

 

 八雲の隣に立つ男へ視線を向けた。

 

 御影直哉。

 

 その顔を見た瞬間。

 

 N-12の表情が、冷たく変わった。

 

「……その人」

 

 小さく告げる。

 

「……御影直哉」

 

 御影の顔色が変わった。

 

「……十二号……!」

 

 N-12は、男を睨んだ。

 

「……七月十二日」

 

 そして。

 

「……わたしをコンテナから出した後、追いかけるように指示した人」

 

 N-13の目が見開かれる。

 

「……え?」

 

 N-12は続けた。

 

「……あの日、わたしは逃がされたんじゃない」

 

 静かな声だった。

 

「……逃がされたことに、されたの」

 

 その言葉に。

 

 八雲の表情が強張った。

 

 零司が、少しだけ目を細める。

 

 N-12は、御影を見据えた。

 

「……最初から、外へ出した後の行動を調べるつもりだったんでしょ?」

 

 御影は、答えなかった。

 

 その沈黙が、何より雄弁だった。

 

     ◇

 

「……なるほどね」

 

 零司が、静かに口を開いた。

 

 御影が顔を上げる。

 

 少年は、少しだけ笑っていた。

 

「十二号を外へ出して、逃げた後の行動を観測する」

 

 そして、N-13へ視線を向ける。

 

「一週間後、十三号にも同じことをする」

 

 御影は、唇を噛んだ。

 

「……それが、ECHOの計画だったの?」

 

 零司が尋ねる。

 

 御影は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……第三段階の一部だ」

 

 静かに答えた。

 

「観測干渉能力を持つ被験体が、管理環境から離れた場合にどう行動するのか」

 

 御影は続けた。

 

「その追跡と、外部の能力者との接触による変化を測定する」

 

 零司が、少しだけ笑った。

 

「で、僕まで研究対象にしようとしたんだ」

 

「……そうだ」

 

「ふうん」

 

 少年は、御影を見つめた。

 

 そして。

 

「じゃあ、一つ聞きたいんだけど」

 

 御影が顔を上げる。

 

「……何だ」

 

「君たち、僕が計画どおりに動くと思ってたの?」

 

 御影は答えられなかった。

 

 零司は肩をすくめる。

 

「仕事を受けるかどうかも気分次第なのにさ」

 

 少年は、小さく笑った。

 

「結構、無茶な計画立てたね」

 

 N-13は、零司を見た。

 

 そして、N-12へ向き直る。

 

「……十二号」

 

「……何?」

 

「……もう、逃げなくていいよ」

 

 N-12の目が見開かれる。

 

「……十三……?」

 

「……わたしも、もう逃げたくない」

 

 少女は、はっきりと告げた。

 

「……あの人たちが何を考えてるのか、ちゃんと知りたい」

 

 N-12は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……でも」

 

 小さく呟く。

 

「……まだ、終わってないよ」

 

 N-13が眉をひそめる。

 

「……どういうこと?」

 

 N-12は、部屋の隅に置かれた小さな鞄へ視線を向けた。

 

 その中には、一つの記録媒体が入っていた。

 

「……七月十二日」

 

 N-12が、静かに口を開く。

 

「……わたし、持ち出したものがあるの」

 

 N-13の目が見開かれる。

 

「……何?」

 

 N-12は、鞄から記録媒体を取り出した。

 

 そして。

 

「……ECHOの、最初の計画書」

 

 その言葉に。

 

 御影の表情が変わった。

 

「……馬鹿な……!」

 

 N-12は、男を睨んだ。

 

「……消したと思ってた?」

 

 御影は、何も言えなかった。

 

 N-12は続けた。

 

「……七月十二日より前の記録」

 

 そして、零司へ視線を向ける。

 

「……あなたの名前が登録される前のもの」

 

 零司の目が細くなる。

 

「……へえ」

 

 N-12は、記録媒体を握りしめた。

 

「……これを見れば、分かると思う」

 

 N-13が尋ねる。

 

「……何が?」

 

 N-12は、静かに答えた。

 

「……最初は、誰を使うつもりだったのか」

 

 その言葉に、零司の笑みが深くなった。

 

「なるほど」

 

 少年は、少しだけ身を乗り出す。

 

「それは気になるなぁ」

 

 御影の顔から、血の気が引いた。

 

 しかし、零司は彼を見ていなかった。

 

 興味は、すでに別のものへ移っている。

 

 七月十二日以前の計画。

 

 まだ自分が組み込まれていなかった頃のPROJECT:ECHO。

 

 その最初の構想。

 

 そして。

 

 なぜ、そこへ第零位である自分が追加されたのか。

 

「……ねえ」

 

 零司は、N-12へ声を掛けた。

 

「その記録、見せてくれる?」

 

 N-12は、警戒するように少年を見つめた。

 

 だが、すぐには拒否しなかった。

 

 目の前の少年は、確かに危険な存在だ。

 

 それでも。

 

 N-13が、ここまで辿り着けた理由の一つが彼にあることも、否定できない。

 

 N-12は、ゆっくりと記録媒体を差し出した。

 

「……変なこと、しないで」

 

 零司は笑った。

 

「それは約束できないかな」

 

「…………」

 

「でも、壊したら中身が見られないでしょ?」

 

 少年は、媒体を受け取った。

 

 そして、楽しそうに笑った。

 

「だから、今は壊さないよ」

 

 N-12は、困ったように目を伏せた。

 

 その隣で、N-13が小さく息を吐く。

 

「……やっぱり、そういう人なんだ」

 

「……みたい」

 

 N-12が答えた。

 

 二人は顔を見合わせた。

 

 そして、ほんの少しだけ笑った。

 

 七月十二日。

 

 N-12が姿を消した日。

 

 七月十九日。

 

 N-13が研究施設から逃げ出した日。

 

 そこから九日。

 

 ようやく、二人は再会した。

 

 しかし。

 

 PROJECT:ECHOの計画は、まだ終わっていない。

 

 そして、久遠零司は。

 

 自分たちを利用しようとした何者かの計画書を手に、静かに笑っていた。

 

「……さて」

 

 少年は、記録媒体を眺める。

 

「今度は、どんな面倒事かな」

 

 少しだけ考えた後。

 

 その口元に、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。

 

「……ま、面白ければいいか」

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