とある学園都市の第零位《ゼロナンバー》   作:右左右左右

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第22話 偽物の錬金術師

 八月八日、午後三時十二分。

 

 学園都市第七学区、三沢塾。

 

 建物全体を揺らしていた振動が収まった。

 

 その直後。

 

『――――』

 

 廊下の向こうから、声が聞こえてきた。

 

 一人ではない。

 

 二人でもない。

 

 何十人もの声が、複雑に重なり合っている。

 

「……まずいな」

 

 ステイル=マグヌスが煙草を咥え直した。

 

 上条当麻が顔を向ける。

 

「何がまずいんだ?」

 

「始まったんだよ」

 

 ステイルは廊下の奥を睨んだ。

 

「偽・聖歌隊(グレゴリオ=レプリカ)だ」

 

「……聖歌隊?」

 

 上条が眉をひそめる。

 

 その隣で、久遠零司は天井を見上げていた。

 

「なるほど。さっきの生徒たち、まだ繋がってたんだ」

 

 ステイルの視線が動く。

 

「……君、何を知っている?」

 

「さっき、一人だけ術式を切ったんだよね」

 

「何?」

 

「でも、建物全体に繋がってるみたいだし」

 

 零司は軽く肩をすくめた。

 

「他の子たちは、そのままだったみたい」

 

 ステイルの表情が険しくなる。

 

「……君は、生徒に組み込まれた術式を解除できるのか?」

 

「できるよ」

 

 あっさりとした返答。

 

「ただ、全部まとめて触ると、仕組みが分からなくなりそうだったから」

 

「…………」

 

「せっかく珍しい魔術なんだし、ちょっと観察したかったんだよね」

 

 ステイルは深々と息を吐いた。

 

「……君の好奇心に付き合っている暇はないんだが」

 

「じゃあ、先に行けば?」

 

 零司は笑った。

 

「僕も勝手にするから」

 

 上条が、慌てて口を挟む。

 

「おいおい! 喧嘩してる場合じゃねえだろ!」

 

 その瞬間。

 

 廊下の先から、一人の男子学生が現れた。

 

 制服姿。

 

 片手には参考書。

 

 ごく普通の学生だった。

 

 しかし。

 

 その口は、絶え間なく何かを呟いていた。

 

 続いて、別の生徒。

 

 さらに三人、五人。

 

 教室の扉が開き、次々と学生たちが廊下へ出てくる。

 

「……おい」

 

 上条の表情が変わった。

 

「これ、全員……?」

 

「ああ」

 

 ステイルが答える。

 

「魔術の詠唱装置にされている」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 上条の拳が握りしめられた。

 

「……ふざけやがって」

 

 生徒たちの声が重なる。

 

 そして。

 

 彼らの頭上に、白く輝く球体が現れた。

 

「伏せろ!」

 

 ステイルが叫ぶ。

 

 次の瞬間。

 

 無数の光球が、一斉に放たれた。

 

     ◇

 

 轟音。

 

 廊下の壁が砕け散る。

 

 床が抉れ、天井の照明が破裂する。

 

 その中心で。

 

「うわっ!?」

 

 上条が頭を抱えていた。

 

 目の前を光球が通過した。

 

 直撃していれば、無事では済まなかっただろう。

 

 しかし。

 

 光球は、上条の手前で不自然に方向を変えていた。

 

 まるで、見えない壁に沿って流されたように。

 

「……え?」

 

 上条が顔を上げる。

 

 そこには、零司が立っていた。

 

「危ないね、これ」

 

 少年は、のんびりと呟いた。

 

 光球が次々と迫る。

 

 しかし、そのどれもが三人に届かない。

 

 零司の周囲だけ、攻撃の進路が書き換えられている。

 

 ステイルが目を細めた。

 

(……物理的な軌道をずらしているのか?)

 

 しかし、それだけではなかった。

 

 光球を構成する魔力そのものも、局所的に変質している。

 

 科学的な能力だけでは説明できない現象。

 

 ステイルは、隣の少年を見た。

 

「……君、本当に何者なんだ?」

 

「それ、さっきも聞いたよ」

 

 零司は笑った。

 

「今はこっちが先でしょ?」

 

 少年が、廊下に並ぶ生徒たちを指差した。

 

「この子たち、止めていい?」

 

「……できるのか?」

 

「できるって」

 

 零司は、面倒くさそうに答えた。

 

「何回も同じこと聞かないでよ」

 

 そして、軽く右手を上げた。

 

 その瞬間。

 

 廊下を満たしていた詠唱が、途切れた。

 

「…………え?」

 

 上条が目を瞬かせる。

 

 生徒たちの口は、まだ動いている。

 

 だが、声が重ならない。

 

 一人ひとりの詠唱が、別々のものとして分断されていた。

 

 零司は、周囲へ視線を巡らせる。

 

「……ふうん」

 

 生徒たちを利用していた術式。

 

 個々の人間の声を集め、一つの魔術として成立させる仕組み。

 

 その接続部分を、零司は見ていた。

 

「よくできてるね」

 

 小さく笑う。

 

「でも、こういうのって」

 

 指先を鳴らした。

 

 パキンッ!

 

 乾いた音が響く。

 

 生徒たちの頭上に浮かんでいた光球が、次々と砕け散った。

 

「繋がらなくすれば、終わりでしょ?」

 

 次の瞬間。

 

 生徒たちが、その場へ崩れ落ちた。

 

「……っ!」

 

 上条が慌てて駆け寄る。

 

「おい! 大丈夫か!?」

 

 一人の女子学生を支える。

 

 呼吸はある。

 

 脈も正常だった。

 

 ただ、ひどく疲弊している。

 

「……よかった」

 

 上条が息を吐いた。

 

 零司は、その様子を眺めていた。

 

「とりあえず、この階の分は切ったよ」

 

「……この階だけ?」

 

 ステイルが尋ねる。

 

「うん」

 

 零司は頷いた。

 

「全部一気にやると、術式を組んだ人が気づいて引っ込んじゃうかもしれないし」

 

 その答えに、ステイルは額を押さえた。

 

「……君は本当に」

 

「何?」

 

「……いや、もういい」

 

 ステイルは煙草を咥え直した。

 

 上条が顔を上げる。

 

「なあ、久遠」

 

「ん?」

 

「今の、助かった」

 

 零司が目を瞬かせる。

 

 そして。

 

「どういたしまして」

 

 軽く答えた。

 

 上条は、倒れた学生たちへ視線を戻した。

 

「……でも、まだ他の階にもいるんだよな」

 

「そうだね」

 

 零司は頷く。

 

「面倒な仕組みだよね、ほんと」

 

 上条は苦笑した。

 

「お前、そればっかだな」

 

「だって面倒なんだもん」

 

 零司は笑った。

 

「でも、作った人には会いたくなったかな」

 

     ◇

 

 午後三時二十一分。

 

 三沢塾、中央管理区画。

 

「……偽・聖歌隊の接続が切断された?」

 

 緑色の髪を後ろへ撫でつけた男が、眉をひそめた。

 

 白いスーツ。

 

 細身の身体。

 

 整った顔立ち。

 

 アウレオルス=イザード。

 

 少なくとも、その姿をした男だった。

 

「……あり得ん」

 

 男は、低く呟いた。

 

 複数の生徒を詠唱装置として利用する術式。

 

 科学側の人間には理解できないはずの魔術。

 

 それを、侵入者が解除した。

 

 しかも。

 

 術式の根幹を破壊することなく、局所的な接続だけを切り離している。

 

「……何者だ」

 

 男は、監視用の魔術式へ意識を向けた。

 

 そこに映し出されたのは、三人の少年。

 

 黒髪の学生。

 

 赤髪の魔術師。

 

 そして。

 

 黒髪に銀色の髪が混じる、もう一人の少年。

 

「……こいつか」

 

 男の目が細くなる。

 

 久遠零司。

 

 その名前は知らない。

 

 しかし、先ほどから術式へ干渉しているのは、この少年らしかった。

 

「……興味深い」

 

 口元に、冷たい笑みが浮かぶ。

 

「ならば、直接確かめてやろう」

 

     ◇

 

「……で、結局どうするんだ?」

 

 上条が尋ねた。

 

 三人は、上階へ続く連絡通路を歩いていた。

 

 廊下の両側には教室が並び、内部ではまだ授業が続いている。

 

 しかし、先ほどの騒動を考えると、その光景さえ不気味だった。

 

 ステイルが答える。

 

「アウレオルスの居場所を突き止める」

 

「その後は?」

 

「姫神秋沙を確保する」

 

 零司が顔を向けた。

 

「姫神?」

 

「この建物に監禁されている少女だ」

 

「ああ」

 

 零司は思い出した。

 

「さっきの巫女さん?」

 

 上条が頷く。

 

「そうだ。あの子を助けるために来たんだよ」

 

「へえ」

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

 ファストフード店にいた巫女装束の少女。

 

 ずいぶんと変わった格好だったが、普通の人間に見えた。

 

「何で捕まってるの?」

 

 ステイルが答える。

 

「吸血殺し(ディープブラッド)という特殊な力を持っているからだ」

 

「……吸血殺し?」

 

「ああ。吸血鬼を呼び寄せ、結果として死に至らしめる力だ」

 

 零司は足を止めた。

 

「……吸血鬼?」

 

 その声に、僅かな興味が混じる。

 

 ステイルは頷いた。

 

「信じられないか?」

 

「いや」

 

 零司は首を横に振った。

 

「むしろ、ちょっと会ってみたい」

 

「…………」

 

 上条が呆れた顔をした。

 

「お前、本当に怖いもの知らずだな」

 

「怖がる理由がないし」

 

 零司は笑った。

 

「それより、その巫女さんを利用して何するつもりなんだろうね」

 

 ステイルの表情が険しくなる。

 

「……錬金術師の目的は、まだ断定できない」

 

「ふうん」

 

 零司は肩をすくめた。

 

「じゃあ、本人に聞こうか」

 

 その瞬間。

 

 廊下の照明が、一斉に消えた。

 

     ◇

 

 カツン。

 

 足音が響いた。

 

 暗くなった廊下の奥。

 

 そこに、一人の男が立っていた。

 

 白いスーツ。

 

 緑色の髪。

 

 冷たい視線。

 

「……侵入者ども」

 

 男が口を開いた。

 

「随分と好き勝手に動いてくれたものだ」

 

 ステイルの表情が変わる。

 

「……アウレオルス!」

 

 上条が身構えた。

 

「こいつが……!」

 

 零司は、男を眺めていた。

 

 そして、少しだけ目を細める。

 

「……あれ?」

 

 何かが引っ掛かった。

 

 見た目は人間。

 

 声も、動きも、普通の人間と変わらない。

 

 だが。

 

 その身体を成立させているものが、妙だった。

 

 魔力。

 

 霊装。

 

 そして、中心部分に存在する特殊な基礎物質。

 

(……何だろ、これ)

 

 零司の口元が、僅かに上がった。

 

 男は、三人を見渡した。

 

「ここまで辿り着いたことは評価しよう」

 

 そして。

 

「だが、これ以上の侵入は認めん」

 

 白いスーツの袖から、細い鎖が伸びた。

 

 その先端。

 

 黄金色の鏃が、鈍く光っている。

 

 ステイルが叫んだ。

 

「避けろ!」

 

 次の瞬間。

 

 金色の鏃が、凄まじい速度で放たれた。

 

     ◇

 

 ガギンッ!

 

 鏃が、廊下の壁を貫いた。

 

 直後。

 

 コンクリートの表面が、黄金色に変化する。

 

「……は?」

 

 上条が目を見開いた。

 

 壁が、溶け始めた。

 

 高温の液体金属。

 

 それが、床へ流れ落ちていく。

 

「瞬間錬金(リメン=マグナ)だ!」

 

 ステイルが叫ぶ。

 

「触れるな! 金に変えられるぞ!」

 

「金!?」

 

 上条が思わず声を上げた。

 

「ちょっと待て! それって錬金術そのものじゃねえか!」

 

「だから錬金術師だと言っているだろう!」

 

「そういう問題じゃねえ!」

 

 二人が言い合っている間にも、鏃は何度も射出されていた。

 

 壁。

 

 床。

 

 天井。

 

 触れた部分が、次々と黄金へ変化する。

 

 廊下は、急速に危険な場所へ変わっていった。

 

 しかし。

 

「……なるほど」

 

 零司は、金色の液体を眺めていた。

 

「接触した物質を変換するんだ」

 

 少年が、指を動かす。

 

 床に広がっていた溶融金属が、空中へ浮き上がった。

 

「……何?」

 

 白いスーツの男が、眉をひそめる。

 

 金属が、零司の周囲で球形に集まっていく。

 

 その温度が下がる。

 

 液体だった金が、ゆっくりと固まり始めた。

 

「……金って重いよね」

 

 零司が呟く。

 

「これ、落としたら床が抜けそう」

 

 そのまま、金属の塊を廊下の隅へ移動させる。

 

 ゴトンッ。

 

 鈍い音。

 

 金の塊が、床へ降ろされた。

 

 上条は、その光景を呆然と見ていた。

 

「……お前、何やってんの?」

 

「片づけ」

 

「……片づけ?」

 

「危ないでしょ、これ」

 

 零司は、当然のように答えた。

 

 そのとき。

 

 男が、再び鏃を放った。

 

 今度は零司の胸元。

 

 しかし。

 

 鏃は、少年へ届かなかった。

 

 空中で停止する。

 

 鎖が軋み、張り詰める。

 

「……なっ!?」

 

 男の表情が変わった。

 

 零司は鏃を眺めた。

 

「これも面白いね」

 

 そして。

 

「でも、何回も撃つのは芸がないかな」

 

 指先を動かす。

 

 鎖が、途中から分解された。

 

 鏃が床へ落ちる。

 

 男は目を見開いた。

 

「……馬鹿な!」

 

 だが、すぐに別の鎖が袖口から現れた。

 

 破壊されたはずの武器。

 

 それが、再び形成されている。

 

「……へえ」

 

 零司が笑った。

 

「作り直せるんだ」

 

 男は、得意げに口元を歪めた。

 

「当然だ。私の錬金術を、その程度で封じられると思うな」

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「……ねえ」

 

 男が顔を上げる。

 

「何だ」

 

「君、本当にアウレオルス?」

 

 その瞬間。

 

 男の表情が、凍りついた。

 

     ◇

 

「……何を言っている」

 

 男の声が低くなる。

 

「私はアウレオルス=イザードだ」

 

「そう?」

 

 零司は、首を傾げた。

 

「何か変なんだよね」

 

 ステイルが顔を向ける。

 

「……どういう意味だ?」

 

 零司は、男を指差した。

 

「この人、人間っぽくないんだよ」

 

 沈黙。

 

 上条が目を瞬かせる。

 

「……は?」

 

「いや、見た目は人間なんだけど」

 

 零司は続けた。

 

「身体の中心に、変な魔術的な仕組みがある」

 

 その言葉に、ステイルの目が細くなった。

 

 男の魔力。

 

 術式の構造。

 

 そして、どこか不自然な存在感。

 

「……まさか」

 

 ステイルが呟く。

 

 男は、激しく顔を歪めた。

 

「黙れ!」

 

 次の瞬間。

 

 黄金の鏃が、一斉に放たれた。

 

 その数、十数本。

 

 上条とステイルへ向かって、別々の角度から襲い掛かる。

 

「……っ!」

 

 上条が右手を突き出した。

 

 真正面から迫った鏃へ、その手が触れる。

 

 パキンッ!

 

 魔術的な変換効果が消えた。

 

 しかし、鏃そのものの運動は止まらない。

 

「うおっ!?」

 

 上条が身を捻る。

 

 鏃が頬を掠めた。

 

 血が一筋流れる。

 

「上条当麻!」

 

 ステイルが叫ぶ。

 

 赤い炎が、廊下へ広がった。

 

 空中に刻まれたルーンが輝く。

 

「――魔女狩りの王(イノケンティウス)!」

 

 轟音。

 

 灼熱の巨人が、炎の中から現れた。

 

 巨大な腕が振り下ろされる。

 

 白いスーツの男が後退した。

 

 その直後。

 

 零司が、上条の前へ出た。

 

「……ねえ、上条君」

 

「何だよ!?」

 

「その右手、魔術も消せるんだ」

 

 上条は、目を見開いた。

 

「……お前、今それ聞く!?」

 

「だって気になるし」

 

「今は戦ってる最中だろ!」

 

「そうだね」

 

 零司は笑った。

 

「じゃあ、ちょっと試してみようか」

 

 少年が、男へ視線を向けた。

 

 その瞬間。

 

 男の身体が、空中へ浮き上がった。

 

「……なっ!?」

 

 腕。

 

 脚。

 

 胴体。

 

 それぞれへ異なる力が働き、身動きできなくなる。

 

「……貴様!」

 

 男が叫ぶ。

 

「何をした!」

 

「ちょっと止めた」

 

 零司は答えた。

 

「この人、魔術的な人形っぽいからさ」

 

 そして、上条へ顔を向ける。

 

「君の右手で触ったら、どうなるのかなって」

 

「……は?」

 

「試してみない?」

 

 上条は、一瞬だけ呆然とした。

 

 それから。

 

「……いや、待てよ」

 

 男を見る。

 

 白いスーツ。

 

 緑色の髪。

 

 先ほどから次々と武器を作り出している。

 

 零司の言うとおり、普通の人間ではないとしたら。

 

「……こいつ、偽物なのか?」

 

 ステイルが、炎の巨人を制御しながら答えた。

 

「……おそらくな」

 

 その瞳が、僅かに細くなる。

 

「ケルト十字を核にした、魔術的な人形だろう」

 

 男が激昂した。

 

「違う!」

 

 叫ぶ。

 

「私はアウレオルス=イザードだ!」

 

 零司は、少しだけ眉を上げた。

 

「本人はそう思ってるんだ」

 

 興味深そうな声。

 

「よくできてるじゃん」

 

 男の顔が怒りに歪む。

 

 その瞬間。

 

 ステイルが叫んだ。

 

「上条当麻!」

 

「……分かってる!」

 

 上条が走り出した。

 

 床を蹴る。

 

 一直線に距離を詰める。

 

 男は、必死に鏃を放とうとする。

 

 しかし、身体が動かない。

 

 零司によって、攻撃に必要な姿勢そのものを封じられていた。

 

「……貴様ら!」

 

 男が叫ぶ。

 

 その直後。

 

 上条の右拳が、男の胸元へ叩き込まれた。

 

 ドゴンッ!

 

 鈍い衝撃音。

 

 男の身体が、不自然に揺れる。

 

 胸元から、眩い光が漏れ出した。

 

「……ぐっ!?」

 

 上条が拳を引く。

 

 その瞬間。

 

 男の身体を覆っていた魔力が、急速に崩れ始めた。

 

「……何だ、これは……!」

 

 男が、自分の胸元を見下ろす。

 

 皮膚の下から、光が漏れている。

 

 身体の輪郭が、僅かに歪む。

 

 ステイルが、静かに告げた。

 

「君は本物ではない」

 

「……違う」

 

「アウレオルス=イザードが作り出した、防衛用の霊装だ」

 

「……違う!」

 

 男は叫んだ。

 

 その声には、怒りだけでなく恐怖が混じっていた。

 

 自分が自分ではない。

 

 その可能性を、認められないようだった。

 

「私は……!」

 

 最後まで言い切る前に。

 

 ステイルの炎が、男を包み込んだ。

 

 ゴォッ!

 

 燃え上がる炎。

 

 魔力を失いつつある身体が、次々と崩れていく。

 

 上条が顔を背けた。

 

 そして。

 

 炎が消えた後。

 

 床には、小さな十字形の破片だけが残されていた。

 

     ◇

 

「……終わった?」

 

 上条が尋ねた。

 

 零司は、床に落ちた破片を眺めていた。

 

「この人はね」

 

 少年は、破片を拾い上げる。

 

 魔力の残滓。

 

 霊装としての構造。

 

 それらが、まだ僅かに残っている。

 

「……なるほど」

 

 零司が笑った。

 

「人間の形をした魔術装置か」

 

 ステイルが、手を差し出した。

 

「それを渡せ」

 

「何で?」

 

「調べる必要がある」

 

「僕も調べたいんだけど」

 

「……君は」

 

 ステイルが、苛立ったように眉をひそめた。

 

 零司は、破片を眺めた。

 

 そして、少しだけ考える。

 

「……まあ、いいか」

 

 あっさりと差し出した。

 

 ステイルが目を瞬かせる。

 

「……いいのか?」

 

「もう大体分かったし」

 

 零司は肩をすくめた。

 

「次は本物に会いたい」

 

 上条が顔を上げる。

 

「……本物?」

 

「うん」

 

 零司は、階段の奥へ視線を向けた。

 

「さっきの人形を作った本人」

 

 ステイルも、同じ方向を見る。

 

 そこには、上階へ続く長い通路があった。

 

 その先からは、さらに濃い魔力の気配が漂っている。

 

 零司が口を開いた。

 

「……ねえ、ステイル」

 

「何だ」

 

「本物は、もっと強いんでしょ?」

 

 ステイルは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……比較にならない」

 

 低い声で答えた。

 

「黄金錬成を完成させたアウレオルスは、あの程度の錬金術師ではない」

 

 零司の笑みが深くなる。

 

「そっか」

 

 その瞳に、期待が宿る。

 

「それなら、楽しみだね」

 

 上条は、呆れたように少年を見た。

 

「……お前、これからもっと危険なところへ行くって分かってる?」

 

「分かってるよ」

 

「じゃあ、何で笑ってんだよ!」

 

「面白そうだから」

 

 即答だった。

 

 上条は頭を抱えた。

 

「……不幸だ」

 

 零司は、そんな上条を見て笑った。

 

「君も大変だね」

 

「誰のせいだと思ってんだ!」

 

 ステイルは、二人を無視して歩き始めた。

 

「……時間がない。行くぞ」

 

 零司は、その背中を追った。

 

 上条も慌てて後に続く。

 

 三人は、再び上階へ向かった。

 

     ◇

 

 三沢塾、最上階。

 

 静かな部屋。

 

 そこには、一人の男が立っていた。

 

 緑色の髪。

 

 白いスーツ。

 

 先ほど倒された人形と、まったく同じ外見。

 

 しかし。

 

 こちらは、本物だった。

 

 アウレオルス=イザード。

 

 元ローマ正教の隠秘記録官。

 

 そして、黄金錬成へ到達した錬金術師。

 

 男は、机の上に置かれた資料を見つめていた。

 

 その隣には、一本の細い針。

 

「……偽物が、破壊されたか」

 

 小さく呟く。

 

 侵入者は三人。

 

 そのうち二人については、事前に情報があった。

 

 上条当麻。

 

 ステイル=マグヌス。

 

 だが。

 

 三人目については、何も知らない。

 

「……久遠零司」

 

 男は、その名前を繰り返した。

 

 科学の街の能力者。

 

 それも、通常の能力分類には収まらない存在らしい。

 

 術式の一部を解除し、偽・聖歌隊を停止させた。

 

 そして、己が作り出した人形の正体を見抜いた。

 

「……興味深い」

 

 アウレオルスは、静かに呟いた。

 

 だが、今はそれどころではない。

 

 自分には、果たさなければならない目的がある。

 

 そのために、すべてを捨ててきた。

 

 所属していた教会も。

 

 かつての立場も。

 

 そして、多くの時間も。

 

 ようやく辿り着いた。

 

 黄金錬成。

 

 思い描いた現実を成立させる、錬金術の到達点。

 

 それさえあれば。

 

「……今度こそ」

 

 男は、静かに呟く。

 

「……必ず、救う」

 

 そのとき。

 

 背後で、扉が開いた。

 

「……アウレオルス」

 

 少女の声。

 

 振り返ると、そこには巫女装束の少女が立っていた。

 

 姫神秋沙。

 

 吸血殺しを持つ少女。

 

「……どうした」

 

 アウレオルスが尋ねる。

 

 姫神は、静かに男を見つめた。

 

「……侵入者が来ている」

 

「承知している」

 

「……その中に」

 

 少女は、少しだけ言葉を探した。

 

「……おかしな人がいる」

 

 アウレオルスの目が細くなる。

 

「……おかしな人?」

 

「……うん」

 

 姫神は頷いた。

 

「……普通の能力者とは、違う」

 

 アウレオルスは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……問題ない」

 

 静かに答えた。

 

「私には、黄金錬成がある」

 

 姫神は、その言葉を聞いても表情を変えなかった。

 

 ただ。

 

 小さく呟く。

 

「……そう」

 

 そして、扉へ向かう。

 

 その背中を見ながら。

 

 アウレオルスは、机の上の針を手に取った。

 

 黄金錬成。

 

 それを完成させるまでに、どれほどの時間を費やしただろうか。

 

 今さら、邪魔されるわけにはいかない。

 

「……来るなら、来るがいい」

 

 静かな声。

 

「私の目的を妨げる者は、すべて排除する」

 

 その瞬間。

 

 部屋の空気が、僅かに震えた。

 

 黄金錬成。

 

 言葉によって現実を確定させる、規格外の魔術。

 

 その術者が、ついに動き始めようとしていた。

 

     ◇

 

 午後三時四十七分。

 

 三沢塾、上階通路。

 

「……あれ?」

 

 零司が、突然足を止めた。

 

 上条が振り返る。

 

「どうした?」

 

「……何か、変わった」

 

 零司は、天井を見上げていた。

 

 魔力の流れ。

 

 術式の構造。

 

 そして、建物全体に広がっていた特殊な境界。

 

 その一部が、先ほどとは異なる状態へ変化している。

 

「……なるほど」

 

 少年は、少しだけ笑った。

 

「本物が、こっちを見てる」

 

 ステイルの表情が険しくなる。

 

「……分かるのか?」

 

「何となくね」

 

 零司は頷いた。

 

「さっきまでとは、気配が違う」

 

 その瞳が、僅かに細くなる。

 

 人形ではない。

 

 単なる結界でもない。

 

 その奥に、明らかに異質な存在がいる。

 

 科学の側では、これまでにも規格外の能力者を見てきた。

 

 だが。

 

 魔術の側で、ここまでの力を持つ人物と直接対峙する機会は、そう多くない。

 

「……いいね」

 

 零司が、小さく笑った。

 

 上条が顔をしかめる。

 

「……何がだよ」

 

「今日、出かけて正解だったなって」

 

「…………」

 

 ステイルは、深く息を吐いた。

 

「……君は本当に、緊張感というものがないな」

 

「あるよ?」

 

「……どこに?」

 

「面白そうな相手には、ちゃんと期待するし」

 

 零司は笑った。

 

「退屈な相手なら、すぐ帰るけどね」

 

 上条は、額を押さえた。

 

 そして。

 

「……分かった」

 

 小さく息を吐く。

 

「もう、お前がそういう奴なのは分かったよ」

 

 零司は、楽しそうに笑った。

 

「それはよかった」

 

 そのとき。

 

 廊下の奥から、低い声が響いた。

 

『……侵入者ども』

 

 三人が顔を上げる。

 

 目の前の扉。

 

 その向こうから、強大な魔力が漂っていた。

 

『これ以上の侵入は許さん』

 

 ステイルが身構える。

 

 上条が右拳を握りしめる。

 

 そして。

 

 零司は、扉を見つめた。

 

「……やっと会えるんだ」

 

 その口元に、ゆっくりと笑みが浮かぶ。

 

「本物の錬金術師に」

 

 少年は、一歩前へ出た。

 

 万象演算。

 

 位相勅令。

 

 二つの体系へ干渉する、学園都市の第零位。

 

 その存在が、黄金錬成と対峙しようとしていた。

 

 科学と魔術。

 

 異なる理屈で成立する力。

 

 その二つがぶつかり合ったとき、何が起きるのか。

 

 零司自身にも、まだ分からない。

 

 だからこそ。

 

 その表情には、隠しきれない期待が浮かんでいた。

 

「……さて」

 

 少年が、小さく呟く。

 

「どこまでできるのか、見せてもらおうかな」

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