とある学園都市の第零位《ゼロナンバー》   作:右左右左右

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第24話 竜の顎

 ――それは、竜だった。

 

 八月八日、午後三時五十分。

 

 学園都市第七学区、三沢塾。

 

「……何だ、それは」

 

 アウレオルス=イザードの声が震えた。

 

 白いスーツの男は、目の前の光景を理解できずにいた。

 

 上条当麻。

 

 その右腕を切断した。

 

 あらゆる異能を打ち消す右手さえ失わせれば、ただの無能力者になるはずだった。

 

 それなのに。

 

 失われた右肩から、何かが現れている。

 

 巨大な顎。

 

 鋭い牙。

 

 血に染まった、異形の輪郭。

 

 竜。

 

 それ以外に、形容する言葉が見つからなかった。

 

「……消えろ」

 

 アウレオルスが呟く。

 

 黄金錬成。

 

 思い描いた事象を現実へ変える、究極の錬金術。

 

 その力を使えば、目の前の異形など消し去れるはずだった。

 

「消えろ……!」

 

 もう一度。

 

 しかし。

 

 竜は消えなかった。

 

 巨大な顎が、ゆっくりと開く。

 

 まるで、目の前の錬金術師を嘲笑うかのように。

 

「……馬鹿な」

 

 アウレオルスが後ずさる。

 

 その手には、細い針。

 

 動揺を抑えるため、何度も首元へ刺してきた道具だった。

 

 だが、今は違う。

 

 手が震えている。

 

 思考がまとまらない。

 

 自分の力を信じられない。

 

「……あり得ん!」

 

 男が叫んだ。

 

「私の黄金錬成に、不可能など――!」

 

 その言葉が終わる前に。

 

 竜の顎が動いた。

 

     ◇

 

「……おお」

 

 久遠零司は、目を見開いていた。

 

 先ほどまでの錬金術とは、明らかに違う。

 

 アウレオルスの黄金錬成は、術者の想像した結果を現実へ反映していた。

 

 だが。

 

 目の前の竜には、妙な違和感がある。

 

 魔力の流れ。

 

 物理的な輪郭。

 

 空間への干渉。

 

 そのどれを確かめようとしても、一つの答えには結びつかない。

 

(……何これ)

 

 零司の口元が緩んだ。

 

 分からない。

 

 それが、嬉しかった。

 

 竜の顎が、アウレオルスへ迫る。

 

 男は、必死に叫んだ。

 

「――砕けろ!」

 

 空間が軋む。

 

 周囲に無数の刃が生まれ、竜へ向かって飛んだ。

 

 しかし。

 

 刃は、竜の顎へ届く前に消失した。

 

「……っ!?」

 

 ステイルが息を呑む。

 

「……魔術を、消した?」

 

 零司は答えなかった。

 

 ただ、じっと竜を見ている。

 

 その横で、インデックスが小さく震えていた。

 

「……とうま……」

 

 上条は、立っていた。

 

 右腕を失い、出血しながら。

 

 それでも倒れずに。

 

 アウレオルスを見据えている。

 

「……何なんだよ」

 

 上条自身も、自分の右肩から現れた異形を理解できていなかった。

 

 だが。

 

 目の前の錬金術師が恐れていることだけは分かった。

 

「……お前」

 

 上条が、荒い息を吐く。

 

「……人の命を、好き勝手にしておいて」

 

 アウレオルスの瞳が揺れる。

 

「……黙れ!」

 

「……自分が怖い思いをするのは、嫌なのかよ」

 

 その言葉に。

 

 アウレオルスの顔が、激しく歪んだ。

 

「黙れと言っている!」

 

 黄金錬成が暴走する。

 

 床が隆起した。

 

 壁が崩れる。

 

 何もない空間から、無数の刃が生まれる。

 

 しかし。

 

 そのどれもが、上条へ届かなかった。

 

 竜の周囲で、次々と消失していく。

 

 そして。

 

 巨大な顎が、アウレオルスへ迫った。

 

「――――っ!!」

 

 男は、最後まで何かを叫ぼうとした。

 

 だが。

 

 竜の牙が閉じる方が早かった。

 

     ◇

 

 音が消えた。

 

 いや。

 

 そう感じるほど、一瞬の出来事だった。

 

 アウレオルスの身体が、ゆっくりと傾く。

 

 黄金錬成によって変質していた室内の景色が、揺らぎ始めた。

 

 壁に生まれた刃。

 

 床から伸びた石柱。

 

 空中に浮かんでいた無数の金属片。

 

 それらが、次々と形を失っていく。

 

「……あ」

 

 上条が、小さく声を漏らした。

 

 右肩から伸びていた異形が、消え始めている。

 

 巨大な顎。

 

 鋭い牙。

 

 血に染まった輪郭。

 

 それらが、空気へ溶けるように消失していった。

 

 後には何も残らない。

 

 ただ。

 

 右腕を失った上条当麻と。

 

 床に倒れたアウレオルス=イザードだけが残された。

 

「……終わった、のか?」

 

 ステイルが呟く。

 

 零司は、倒れた錬金術師を見つめた。

 

 呼吸はある。

 

 心臓も動いている。

 

 だが。

 

 男の目からは、先ほどまでの激しい感情が消えていた。

 

「……誰だ」

 

 アウレオルスが、呟く。

 

 ステイルの表情が変わる。

 

「……何?」

 

「……ここは……」

 

 男は、周囲を見渡した。

 

 そして、自分の手を見つめる。

 

「……私は……誰だ……?」

 

 沈黙。

 

 零司は、少しだけ目を細めた。

 

「……へえ」

 

 少年は、床に倒れた男へ歩み寄った。

 

「ねえ」

 

 アウレオルスが顔を上げる。

 

「……何だ?」

 

「名前、言える?」

 

「…………」

 

 男は、口を開いた。

 

 しかし。

 

 答えは出てこなかった。

 

 何度も考える。

 

 思い出そうとする。

 

 それでも。

 

「……分からない」

 

 零司の瞳が細くなる。

 

 身体に大きな損傷はない。

 

 しかし、記憶が失われている。

 

 それも、単なる一時的な混乱とは思えなかった。

 

(……精神の方を持っていった?)

 

 少年は、先ほどの竜を思い出す。

 

 物理的な破壊ではない。

 

 ただ魔術を打ち消したわけでもない。

 

 その現象の正体は、まだ分からない。

 

「……なるほど」

 

 零司が、小さく笑った。

 

「ますます気になるね」

 

 そのとき。

 

「……久遠!」

 

 上条の声が響いた。

 

 振り返る。

 

 上条の身体が、大きく傾いていた。

 

「……あ」

 

 零司が、目を瞬かせる。

 

 右肩から大量の血が流れている。

 

 このままでは危険だった。

 

「……そっちが先か」

 

 少年は、上条へ歩み寄った。

 

     ◇

 

「とうま!」

 

 インデックスが駆け寄ろうとした。

 

 しかし、上条の血を見て足が止まる。

 

「……とうま……!」

 

「……大丈夫、だって……」

 

 上条が笑おうとする。

 

 だが、顔色は明らかに悪かった。

 

「……全然大丈夫じゃないね」

 

 零司が言った。

 

「……お前なぁ……」

 

 上条が苦笑する。

 

 その直後。

 

 膝から力が抜けた。

 

「……っ!」

 

 インデックスが悲鳴を上げる。

 

 しかし、上条の身体は床へ倒れなかった。

 

 零司が、身体を支える力の条件を変更していた。

 

「はい、無理しない」

 

 少年は、上条をゆっくりと床へ寝かせた。

 

 そして、右肩へ視線を向ける。

 

 血液の流出。

 

 損傷した血管。

 

 周囲の組織。

 

 それらを確認する。

 

「……止血だけなら、できるかな」

 

 零司が指を動かした。

 

 次の瞬間。

 

 出血が、急速に減少した。

 

 損傷部分に流入する血液の量を調整し、失血を抑えている。

 

 傷口そのものを治したわけではない。

 

 失われた右腕が戻ったわけでもない。

 

 あくまで、医師の治療を受けるまでの応急処置だった。

 

「……おい」

 

 上条が、苦しげに口を開く。

 

「……何、した……?」

 

「血、止めた」

 

「……簡単に、言うなよ……」

 

「簡単だったから」

 

 零司は笑った。

 

 ステイルが、上条の右腕を拾い上げた。

 

「……医療機関へ運ぶ必要がある」

 

「そうだね」

 

 零司は頷いた。

 

「まだ繋げられるかもしれないし」

 

 インデックスが顔を上げる。

 

「……本当?」

 

「僕はお医者さんじゃないから、保証はできないけど」

 

 零司は答えた。

 

「少なくとも、今ここで諦める理由はないよ」

 

 インデックスは、強く頷いた。

 

「……うん!」

 

 その隣で、姫神秋沙が静かに立ち上がった。

 

「……私も。手伝う」

 

 零司が顔を向ける。

 

「巫女さん」

 

「……姫神秋沙」

 

「ああ、そうだったね」

 

 零司は笑った。

 

「じゃあ、姫神さん。インデックスをお願い」

 

「……分かった」

 

 姫神は、インデックスの肩へ手を添えた。

 

 ステイルが周囲を見渡す。

 

 黄金錬成の崩壊によって、建物を覆っていた魔術式も不安定になっている。

 

 このまま放置すれば、別の被害が発生する可能性があった。

 

「……久遠零司」

 

「ん?」

 

「君は、まだ動けるか?」

 

「普通に」

 

「……なら」

 

 ステイルは、崩れた壁を見た。

 

「この建物から、一般人を逃がす手助けをしてもらいたい」

 

 零司は、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「えー」

 

 ステイルの眉が動く。

 

「……何だ、その反応は」

 

「面倒くさい」

 

「……君ね」

 

 零司は、少し考えた。

 

 そして、天井へ視線を向ける。

 

 偽・聖歌隊。

 

 建物全体に組み込まれた術式。

 

 その残骸。

 

 まだ、すべてが消えたわけではない。

 

「……まあ」

 

 少年の口元に、薄い笑みが浮かんだ。

 

「まとめて解除するなら、ちょっと面白いかも」

 

 ステイルが、深々と息を吐いた。

 

「……君の判断基準が分からない」

 

「僕も、いちいち説明するの面倒だし」

 

 零司は、軽く右手を上げた。

 

 そして。

 

「じゃ、片づけようか」

 

     ◇

 

 午後四時三分。

 

 三沢塾。

 

 建物の各階で、不思議な現象が起きていた。

 

 教室で詠唱を続けていた学生たちが、一斉に言葉を止めた。

 

 廊下に浮かんでいた魔術の光が消える。

 

 壁面に刻まれた術式の一部が、淡い光を放ちながら崩れていった。

 

 しかし。

 

 建物そのものは、崩壊しなかった。

 

 魔術によって歪められた通路が、本来の配置へ戻る。

 

 破損した床には、必要な支持力が与えられる。

 

 落下しようとしていた天井材が、空中で停止する。

 

 科学側の万象演算。

 

 そして、魔術側の位相勅令。

 

 二つの異なる力が、同時に働いていた。

 

「……さて」

 

 最上階の窓際。

 

 零司は、建物全体を見下ろしていた。

 

 術式の構造は、すでに大部分を把握している。

 

 それぞれの生徒へ繋がっていた魔術的な回路。

 

 それらを、一つずつ切り離していく。

 

 さらに。

 

 魔術によって維持されていた特殊な領域を、局所的に解除する。

 

 数分後。

 

 偽・聖歌隊は、完全に機能を停止した。

 

「……終わり」

 

 零司は、軽く手を払った。

 

 ステイルが、呆然と建物の様子を確認していた。

 

「……馬鹿な」

 

「何?」

 

「……偽・聖歌隊の術式が、完全に停止している」

 

「うん」

 

 零司は頷いた。

 

「止めたからね」

 

「……君は」

 

 ステイルは、少年を見つめた。

 

 科学側の能力者。

 

 そのはずだった。

 

 しかし、目の前の少年が行使したものは、通常の超能力とは明らかに異なる。

 

 魔力の存在を認識し。

 

 術式の接続を理解し。

 

 魔術的な条件そのものへ干渉する。

 

 それも。

 

 複数の術式を同時に扱いながら。

 

「……君は、どこの魔術結社に所属している?」

 

 ステイルが尋ねた。

 

 零司は首を傾げた。

 

「どこにも」

 

「……嘘をつくな」

 

「嘘じゃないよ」

 

 少年は肩をすくめた。

 

「面倒だもん、そういう組織」

 

「…………」

 

「命令とか、規則とか。考えただけで嫌になる」

 

 零司は、心底面倒くさそうに答えた。

 

 ステイルは額を押さえた。

 

 この少年が何者なのか。

 

 ますます分からなくなっていた。

 

     ◇

 

 午後五時四十二分。

 

 学園都市第七学区、某病院。

 

「……また君かい」

 

 カエルに似た顔の医師が、困ったように笑った。

 

 病室のベッド。

 

 そこには、上条当麻が横になっていた。

 

 右腕には、厳重な処置が施されている。

 

「……先生」

 

 上条が、情けない声を出した。

 

「……今回ばかりは、上条さんも反省しております」

 

「反省するのはいいことだけどね」

 

 医師は、記録を確認した。

 

「それにしても、随分と綺麗な切断面だったね」

 

「……そうなんですか?」

 

「うん。運び込まれるまでの失血も、驚くほど少なかった」

 

 上条は、零司へ視線を向けた。

 

 病室の隅。

 

 ソファに座り、携帯端末を操作している少年。

 

「……あいつのおかげ、ですかね」

 

 医師は、少しだけ目を細めた。

 

「少なくとも、適切な応急処置がされていたのは確かだね」

 

 そして。

 

「右腕については、接合処置を済ませてあるよ」

 

 上条の顔が上がった。

 

「……本当に!?」

 

「もちろん、しばらくは安静にしてもらうけどね」

 

「……よかったぁ……」

 

 上条は、深く息を吐いた。

 

 その瞬間。

 

「とうま!」

 

 病室の扉が勢いよく開いた。

 

 インデックスだった。

 

「……インデックス!」

 

「とうま! もう大丈夫なの!?」

 

「あ、ああ! 何とか!」

 

 少女は、上条の右腕を見た。

 

 包帯。

 

 固定具。

 

 そして、点滴。

 

 その表情が、みるみる曇っていく。

 

「……とうま」

 

「……何だ?」

 

「……もう、あんな無茶しないでほしいんだよ」

 

 上条は、少しだけ言葉に詰まった。

 

 それから。

 

「……悪かった」

 

 静かに答えた。

 

 零司は、二人のやり取りを眺めていた。

 

 そして。

 

「……青春だねぇ」

 

 小さく呟く。

 

 上条が顔を向ける。

 

「……久遠」

 

「何?」

 

「お前、絶対面白がってるだろ」

 

「うん」

 

「否定しろよ!」

 

 零司は笑った。

 

 その様子を見て、インデックスも少しだけ表情を緩めた。

 

     ◇

 

「……それで」

 

 夕方。

 

 インデックスが姫神と一緒に病室を離れた後。

 

 ステイルが、静かに口を開いた。

 

 零司はソファに座ったまま顔を上げる。

 

「何?」

 

「アウレオルスのことだ」

 

 上条も顔を向けた。

 

「……あいつ、どうなったんだ?」

 

 ステイルは、少しだけ目を伏せた。

 

 そして。

 

「……もう、アウレオルス=イザードという魔術師は存在しない」

 

 低い声で答えた。

 

 上条の表情が変わる。

 

「……おい」

 

「彼は記憶を失った」

 

 ステイルは続けた。

 

「自分の名前も、黄金錬成の術式も、過去の経歴も覚えていない」

 

「……それで?」

 

「姿も変える。別人として生きられるようにね」

 

 上条が目を見開いた。

 

「……生きてるのか?」

 

「ああ」

 

 ステイルは頷いた。

 

「少なくとも、今はね」

 

 その答えに、上条は大きく息を吐いた。

 

「……そっか」

 

 小さく笑う。

 

「……よかった」

 

 ステイルは、そんな上条を見て目を細めた。

 

「……君は本当に、お人好しだね」

 

「悪いかよ」

 

「いや」

 

 ステイルは首を横に振った。

 

「……別に」

 

 零司は、二人の会話を聞いていた。

 

 そして。

 

「……ふうん」

 

 小さく呟く。

 

 上条が顔を向ける。

 

「……何だ?」

 

「いや」

 

 零司は肩をすくめた。

 

「ステイルって、結構面白いことするんだね」

 

 ステイルの眉が動く。

 

「……何?」

 

「普通なら殺すところを、別人にして逃がすんでしょ?」

 

「……彼には、複数の勢力から追跡命令が出ている」

 

 ステイルは答えた。

 

「このまま生かしておけば、ろくなことにならない」

 

「だから、別人にする」

 

「そうだ」

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「いい判断だね」

 

 ステイルが、意外そうに顔を上げた。

 

「……君に評価されるとは思わなかったよ」

 

「そう?」

 

 零司は頷いた。

 

「殺すだけなら簡単だけど、そういう方法もあるんだなって」

 

 上条が顔をしかめる。

 

「……お前、本当に物騒だな」

 

「今さら?」

 

 零司は、楽しそうに笑った。

 

 そのとき。

 

 ステイルが、真剣な表情へ戻った。

 

「……久遠零司」

 

「ん?」

 

「一つ、忠告しておく」

 

 零司は首を傾げた。

 

「何?」

 

「君が今日見せた力は、科学側の能力では説明できない」

 

「そうだね」

 

「……認めるのか」

 

「隠すほどのこと?」

 

 ステイルは、数秒ほど黙った。

 

 そして。

 

「……魔術側に、君の存在を知る者が増える可能性がある」

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

「ふうん」

 

「……それだけか?」

 

「うん」

 

 少年は笑った。

 

「面白い人が来るなら、歓迎するよ」

 

 ステイルは、深々と息を吐いた。

 

「……君という人間は」

 

「よく言われる」

 

 零司は立ち上がった。

 

「じゃ、僕は帰るね」

 

 上条が顔を上げる。

 

「……もう帰るのか?」

 

「うん」

 

 零司は頷いた。

 

「今日は十分遊んだし」

 

「……遊んだって」

 

 上条は、呆れた顔をした。

 

「こっちは死にかけたんだぞ」

 

「大変だったね」

 

「他人事かよ!」

 

「他人事だし」

 

 即答だった。

 

 上条は、何も言えなくなった。

 

 ステイルは額を押さえる。

 

 零司は、そんな二人を見て笑った。

 

「……じゃあね、上条君」

 

 そして。

 

「また面白いもの、見せてよ」

 

 その言葉に、上条の表情が変わった。

 

「……おい」

 

「ん?」

 

「……さっきの、あれ」

 

 上条は、自分の右腕を見た。

 

 包帯に覆われた腕。

 

 そこから現れた、得体の知れない何か。

 

「……お前、見たんだよな」

 

「うん」

 

 零司は頷いた。

 

「見たよ」

 

「……何だったんだ、あれ」

 

 その問いに。

 

 零司は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……分かんない」

 

 あっさりと答えた。

 

 上条が目を瞬かせる。

 

「……お前でも?」

 

「うん」

 

 零司は笑った。

 

「でも、すごく面白かった」

 

 少年は、上条の右腕を指差した。

 

「君、自分でも知らないもの持ってるんだね」

 

 上条は、何も言えなかった。

 

 零司は続ける。

 

「まあ、無理に調べるつもりはないけど」

 

「……本当か?」

 

「うん」

 

 少年は頷いた。

 

「今はね」

 

「……今は、って何だよ!」

 

 零司は、楽しそうに笑った。

 

「じゃ、お大事に」

 

 そして、病室を後にした。

 

     ◇

 

 午後七時十一分。

 

 学園都市第七学区。

 

「……ただいま」

 

 零司が部屋へ戻ると、食欲を刺激する匂いが漂ってきた。

 

 キッチンでは、N-13とN-12が夕食を準備している。

 

「……あ、帰ってきた」

 

 N-13が顔を上げた。

 

「……おかえり」

 

「ただいま」

 

 零司は上着を脱いだ。

 

 N-12が首を傾げる。

 

「……今日は、何してたの?」

 

「んー」

 

 零司は、少し考えた。

 

「錬金術師と遊んでた」

 

「…………」

 

 二人が動きを止めた。

 

「……錬金術師?」

 

 N-13が聞き返す。

 

「うん」

 

「……学園都市に?」

 

「いたよ」

 

 零司は頷いた。

 

「なかなか面白かった」

 

 N-12は、困ったように眉をひそめた。

 

「……何か、危ないことした?」

 

「ちょっと」

 

「……ちょっと?」

 

「建物が壊れそうになったり、腕が飛んだり」

 

「…………」

 

 N-13が、ゆっくりと包丁を置いた。

 

「……零司」

 

「何?」

 

「……もう少し、普通に説明して」

 

「面倒くさい」

 

「……そこを何とか」

 

 零司は、しばらく考えた。

 

 そして。

 

「すごい魔術師がいて、変な右手の人が倒した」

 

 あっさりと答えた。

 

 N-12が、目を瞬かせる。

 

「……零司が倒したんじゃないの?」

 

「うん」

 

 少年は頷いた。

 

「僕がやってもよかったけど、面白そうだったから見てた」

 

「…………」

 

 N-13は、深く息を吐いた。

 

「……本当に、あなたらしい」

 

「そう?」

 

 零司は笑った。

 

 それから、食卓へ視線を向ける。

 

「……あ、ご飯できてる」

 

「……まだ」

 

「お腹空いた」

 

「……少し待って」

 

「えー」

 

 零司は、露骨に不満そうな顔をした。

 

 N-12が、思わず笑った。

 

「……子供みたい」

 

「失礼な」

 

 零司は、椅子へ腰を下ろした。

 

 そのとき。

 

 N-13が、ふと尋ねた。

 

「……ねえ、零司」

 

「ん?」

 

「……その錬金術師、強かった?」

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

 黄金錬成。

 

 思い描いた現実を成立させる力。

 

 確かに、規格外だった。

 

 だが。

 

 それ以上に印象に残っているのは。

 

 上条当麻。

 

 その右腕から現れた、異形の竜。

 

「……うん」

 

 零司は頷いた。

 

「強かったよ」

 

 そして。

 

 少しだけ笑った。

 

「でも、もっと面白いもの見つけちゃった」

 

 N-13が首を傾げる。

 

「……何?」

 

 零司は、窓の外へ視線を向けた。

 

 夜の学園都市。

 

 無数の灯り。

 

 科学によって築かれた巨大な街。

 

 その中に、魔術が存在している。

 

 そして。

 

 科学にも魔術にも、簡単には分類できないものが存在している。

 

「……秘密」

 

 零司は笑った。

 

 N-13が、露骨に顔をしかめる。

 

「……ずるい」

 

「そう?」

 

「……うん」

 

 零司は、楽しそうに笑った。

 

 そして。

 

「ま、そのうちね」

 

 適当に答えた。

 

 N-12は、そんな二人のやり取りを見ながら、静かに食器を並べた。

 

 いつもと変わらない夕食。

 

 騒がしくて。

 

 少しだけ奇妙で。

 

 それでも、研究施設にいた頃とは比べものにならないほど自由な時間。

 

 その中心にいる少年は、今日も気まぐれだった。

 

 そして。

 

 学園都市の暗部で第零位と呼ばれる少年は、まだ知らない。

 

 数日後。

 

 自分が、学園都市の第一位と深く関わることになるということを。

 

 久遠零司は、目の前に並べられた夕食を見て笑った。

 

「……いただきます」

 

 そして。

 

 何事もなかったかのように、箸を手に取った。

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