第25話 死ぬために生まれた少女
八月十日、午前零時十七分。
学園都市第七学区、旧貨物操車場。
轟音が響いた。
積み上げられていた貨物コンテナが、紙細工のように押し潰される。
飛び散った金属片が地面へ突き刺さり、周囲に砂埃が舞い上がった。
その中心に、一人の少女が倒れていた。
茶色い髪。
白いブラウス。
灰色のプリーツスカート。
頭には軍用の暗視装置を思わせるゴーグル。
少女は、震える腕で身体を起こそうとした。
「……身体機能の低下を確認」
機械的な声が、静かな操車場に響く。
「右脚の運動機能に重大な障害。戦闘継続は困難と判断します、とミサカは現在の状態を報告します」
「……あァ?」
その声に応じたのは、白髪の少年だった。
細い身体。
赤い瞳。
どこか不機嫌そうな表情。
学園都市第一位。
一方通行。
「テメェ、さっきから同じことばっか言ってンじゃねェぞ」
少年は少女を見下ろした。
「もう立てねェンだろ?」
「はい」
「だったら終わりだ」
「了解しました」
少女は、静かに頷いた。
その反応に、一方通行は眉をひそめる。
「……オイ」
「何でしょうか」
「テメェ、本当にそれでいいのかよ」
少女が首を傾げた。
「質問の意図が不明です」
「……チッ」
一方通行が舌打ちする。
「死ぬンだぞ、テメェ」
「承知しています」
「……怖くねェのか」
「恐怖による生理反応は確認されています」
即答だった。
「しかし、ミサカの存在目的は実験への参加です。死亡は予定された結果となります」
「…………」
一方通行は、しばらく少女を見つめていた。
何かを言いかける。
だが、結局何も言わなかった。
「……くだらねェ」
足元の小石を蹴る。
直後。
少女の身体が、地面へ崩れ落ちた。
もう、動かなかった。
数秒後。
操車場のスピーカーから、機械的な音声が流れる。
《第九九七〇次実験、終了》
《対象個体:死亡確認》
《実験結果:記録完了》
一方通行は、倒れた少女へ視線を向けた。
そして、踵を返す。
「……クソみてェな実験だ」
その声を聞いた者はいなかった。
背後では、研究員たちが作業を始めている。
「対象個体を回収」
「戦闘記録を保存しろ」
「次回実験は予定どおり実施する」
彼らにとって、少女の死は研究過程の一つにすぎない。
失われた命を悼む者はいなかった。
ただ、次の実験の準備が進められていく。
◇
午後一時二十六分。
第七学区。
「……零司」
「何?」
「……それ、三つ目」
N-13が、隣を歩く少年を見上げた。
久遠零司。
黒髪に銀色の髪が混じる、十六歳の少年。
その手には、アイスクリームが握られていた。
「よく見てるね」
「……お昼ご飯、食べたばっかり」
「デザートは別腹だから」
「……二つ食べた後なのに?」
「三つ目まではデザート」
「……意味分かんない」
N-13が、呆れたように呟く。
その隣で、N-12が小さく笑っていた。
三人は、買い物を終えて帰る途中だった。
夏休みの学園都市。
街には学生たちが溢れ、商業施設からは賑やかな音楽が聞こえてくる。
零司は、アイスを食べながら歩いていた。
そのとき。
「……ん?」
視界の端に、少し変わった少女が映った。
茶色い髪。
白いブラウス。
灰色のプリーツスカート。
そして、頭に装着されたゴーグル。
少女は、自動販売機の前で立ち止まっていた。
「……商品選択に関する情報が不足しています」
小さく呟く。
「価格、容量、栄養成分の比較は可能。しかし、嗜好に基づく優先順位を決定できません」
零司は思わず足を止めた。
「……何してるの?」
少女が振り返る。
「飲料の購入を検討しています、とミサカは現在の行動を説明します」
「見れば分かるよ」
零司は笑った。
「何を飲むか迷ってるんでしょ?」
「はい」
「好きなの買えばいいじゃん」
少女が首を傾げる。
「……好きなもの?」
「そう」
「ミサカには、飲料に関する嗜好情報が設定されていません」
「……へえ」
零司は、販売機へ視線を向けた。
お茶。
コーヒー。
炭酸飲料。
果汁飲料。
様々な商品が並んでいる。
「じゃあ、飲んだことないやつを選べば?」
「……理由を伺っても?」
「飲んでみないと、好きかどうか分からないでしょ」
少女は、数秒ほど販売機を見つめた。
そして、一本の商品を指差す。
「では、こちらを選択します」
「いいんじゃない?」
少女は硬貨を投入した。
ボタンを押す。
ガタン。
取り出し口へ缶が落ちた。
少女は、それを拾い上げた。
プシュッ。
開封する。
そして、一口。
「…………」
零司が尋ねる。
「どう?」
少女は、しばらく考えた。
「……甘いです」
「そりゃ、ジュースだからね」
「しかし、不快な味覚刺激ではありません」
「じゃあ、当たりだね」
零司が笑う。
少女は、缶を見つめた。
「……記録しておきます」
「何を?」
「個体の嗜好に関する新規情報です」
「……なるほど」
そのとき。
「……あれ?」
N-13が、少女の顔を見つめていた。
N-12も足を止める。
「……この人」
「……うん」
二人が顔を見合わせた。
テレビや街頭広告で見たことがある顔。
学園都市第三位。
常盤台中学の超能力者。
御坂美琴。
「……御坂美琴?」
N-13が尋ねた。
少女は首を横に振る。
「違います」
「……え?」
「ミサカは御坂美琴ではありません」
そして。
「御坂美琴のDNA情報を基に製造された、量産型能力者です」
N-12の表情が変わった。
「……製造?」
「はい」
少女は頷いた。
「ミサカ九九七一号です」
その瞬間。
N-13の顔から、笑みが消えた。
◇
「……九九七一号?」
N-12が静かに尋ねる。
「……それが、名前?」
「個体識別番号です」
少女は、淡々と答えた。
「名称としても使用されています」
「…………」
N-12は目を伏せた。
N-12。
N-13。
かつて研究施設で与えられた番号。
自分たちも、同じように呼ばれていた。
「……あなた」
N-13が口を開く。
「……研究施設にいるの?」
「はい」
「……そこから出てきた?」
「本日は実験前の自由行動時間に該当します」
「……自由行動?」
「はい。指定区域内での移動が許可されています」
N-13が眉をひそめた。
「……許可されてるだけ?」
少女は、少しだけ首を傾げる。
「質問の意図が不明です」
零司は、三人のやり取りを聞いていた。
そして、少女へ尋ねる。
「ところでさ」
「何でしょうか」
「今日は何の実験?」
「戦闘実験です」
「誰と?」
「学園都市第一位、一方通行です」
零司の目が、僅かに細くなった。
「……第一位?」
「はい」
「へえ」
思わず口元が緩む。
学園都市第一位。
公式に認められた、最強の超能力者。
その存在は知っていた。
だが、直接戦ったことはない。
「……ちょっと興味あるな」
その隣で、N-13が尋ねた。
「……それで、何をする実験なの?」
「一方通行の絶対能力進化に必要な戦闘経験を蓄積するための実験です」
「……絶対能力?」
「はい。第一位の一方通行を、レベル6――絶対能力者へ到達させるための研究です」
零司は、小さく頷いた。
「……なるほどね」
N-13は、少女を見つめていた。
「……あなたは、勝てるの?」
「勝利する予定はありません」
「……え?」
「本日の実験における終了条件は、ミサカの死亡です」
沈黙。
N-13の表情が凍りついた。
「…………何?」
「本日二十一時、ミサカ九九七一号は死亡する予定です」
その声は、あまりにも平坦だった。
明日の天気でも説明しているかのように。
N-12が、息を呑む。
「……死ぬって」
「はい」
「……分かってるの?」
「はい」
N-13が、一歩近づいた。
「……だったら、行かないで」
「……?」
「……そんな実験、おかしいよ」
少女は、首を傾げる。
「ミサカは実験用に製造された個体です」
「……でも!」
「実験への参加が、存在目的となります」
N-13は、何も言えなくなった。
かつての自分も、似たようなことを考えていたからだ。
命令される。
実験を受ける。
役割を果たす。
それが当然だった。
しかし。
今は違う。
「……わたしも」
N-12が静かに口を開いた。
少女が顔を向ける。
「……わたしも、研究施設にいた」
「……そうなのですか」
「……うん」
N-12は頷いた。
「……でも、逃げた」
「……何故ですか」
「……死にたくなかったから」
短い答えだった。
少女は、N-12を見つめた。
「……死にたくない」
その言葉を繰り返す。
まるで、初めて聞く概念を確認するように。
零司は、食べ終えたアイスの包装を近くのごみ箱へ捨てた。
そして、少女へ顔を向ける。
「ねえ、九九七一号」
「何でしょうか」
「君、その実験に行きたいの?」
少女は、すぐには答えなかった。
数秒。
十数秒。
やがて。
「……判断できません」
小さな声。
「その質問について、ミサカには適切な回答情報がありません」
「そっか」
零司は頷いた。
「じゃあ、二十一時まで考えれば?」
「……考える?」
「うん」
少年は笑った。
「自分がどうしたいか」
少女は、手元の缶を見つめた。
中には、まだ半分ほど飲み物が残っている。
甘い。
その感覚を、今日初めて知った。
ならば。
他にも、知らないことがあるのだろうか。
「……検討します」
少女は、静かに答えた。
◇
午後八時四十六分。
第七学区、旧貨物操車場。
「……本当に来たんだ」
N-13が、建物の陰から呟いた。
少し離れた場所。
ミサカ九九七一号が立っていた。
昼間と同じ服装。
同じゴーグル。
だが、その手には小型の銃器が握られている。
「……予定どおり、か」
零司が呟く。
N-12が顔を上げた。
「……止めないの?」
「まずは、本人の答えを聞こうかな」
「……でも」
「それに」
零司は、周囲を見渡した。
コンテナ。
監視塔。
管理棟。
そして、遠くの足場に配置された複数の人影。
「……向こうも、いろいろ準備してるみたいだし」
N-13が眉をひそめる。
「……何?」
「警備員」
零司は、監視塔へ視線を向けた。
「しかも、銃を持ってる」
そのとき。
金属を叩いたような、乾いた音が響いた。
パシュッ!
N-12の頭部へ向かって、銃弾が飛来する。
しかし。
弾丸は少女へ届かなかった。
進行方向が、不自然に変化したのだ。
空中を進んでいた弾丸が、突然軌道を逸らす。
そのまま地面へ突き刺さった。
「……っ!?」
N-12が息を呑む。
零司は、両手をポケットに入れたまま、監視塔を見上げた。
「……へえ」
その声は、妙に落ち着いていた。
「いきなり撃つんだ」
次の瞬間。
別の方向から、連続した銃声が響いた。
パパパパッ!
複数の銃弾が、三人へ向かって放たれる。
「……零司!」
N-13が叫ぶ。
だが。
少年は、避けようともしなかった。
弾丸が接近する。
その直後。
空気が、奇妙な音を立てた。
パキンッ!
無数の弾丸が、進行方向を変える。
あるものは地面へ。
あるものはコンテナへ。
そして、一部は互いに衝突し、火花を散らした。
弾丸を単純に停止させたわけではない。
飛来する物体へ働く力と、周囲との運動量の交換条件。
その関係が、零司の意思によって書き換えられていた。
「……何だ!?」
監視塔の警備員が叫んだ。
「……弾が当たらない!」
「撃ち続けろ!」
再び銃声。
しかし、結果は変わらない。
零司は、少しだけ眉をひそめた。
「……ねえ」
誰にともなく呟く。
「そろそろ、やめてくれない?」
返答はない。
代わりに。
監視塔の上から、さらに銃弾が放たれた。
「……そう」
零司は、小さく息を吐いた。
「じゃあ、こっちも遠慮しないよ」
次の瞬間。
監視塔の上で、異変が起きた。
◇
「……なっ!?」
警備員が、手元の銃を見た。
銃身が、突然歪んだ。
発砲時に発生する熱。
内部に蓄積された応力。
金属の変形条件。
それらが、同時に変化していた。
ガギンッ!
銃が、内部から潰れる。
「……何だ、これ!?」
別の警備員が、慌てて銃を捨てた。
しかし。
その足元でも、異変が起きていた。
金属製の足場。
普段なら、数人の体重を支えられる構造。
その荷重の伝わり方が、突然変化する。
ガシャンッ!
足場が、一方へ大きく傾いた。
「……うわっ!?」
警備員たちが、慌てて手すりへ掴まる。
しかし、その手すりも不自然に曲がり始めた。
全員の身体が、足場へ押しつけられる。
身動きできない。
それでも、呼吸は可能だった。
「……な、何なんだ!?」
一人が叫ぶ。
その声は、零司にも聞こえていた。
だが。
少年は、何も答えなかった。
別の方向を見ていたからだ。
操車場の奥。
大型コンテナの上。
そこに、長距離狙撃用の銃を構えた男がいた。
その銃口は、零司ではなく、N-12へ向けられている。
「……ああ」
零司の目が細くなった。
「まだいるんだ」
男が引き金を引こうとした。
その瞬間。
狙撃銃の銃身が、横へ歪んだ。
「……っ!?」
男が、目を見開く。
しかし。
異変は、それだけでは終わらなかった。
足元のコンテナが、大きく軋んだ。
次の瞬間。
男の身体が、横方向へ弾き飛ばされる。
ガァンッ!
背中が、隣の金属製の壁へ激突した。
鈍い音。
男は、そのまま動かなくなった。
零司は、男の身体を一度だけ確認した。
呼吸は止まっている。
「……一人、死亡」
淡々と呟く。
その言葉に。
N-13が、顔を上げた。
「……零司」
「何?」
「……今の人」
少女は、僅かに言葉を詰まらせた。
「……死んだの?」
「うん」
即答だった。
N-13の表情が曇る。
「……そう」
零司は、少女を見た。
「嫌だった?」
「…………」
N-13は、すぐには答えなかった。
自分たちを狙っていた人間。
その人物が、死んだ。
零司が何もしなければ、N-12が撃たれていたかもしれない。
それでも。
「……殺さなくても、止められたんじゃないの?」
小さく尋ねた。
零司は、少女を見つめた。
そして。
「そうだね」
あっさりと答えた。
「……じゃあ!」
「でも、あの人は十二号を殺そうとしてた」
少年の声は、静かだった。
「だから、殺した」
それだけだった。
正義を語るわけでもない。
自分の判断が正しいと主張するわけでもない。
ただ、そう判断した。
その事実だけを告げていた。
N-13は、唇を噛んだ。
「……わたしは、嫌だ」
「そっか」
零司は頷いた。
「それでいいと思うよ」
「……え?」
「君まで、僕と同じ考えになる必要ないでしょ」
少年は肩をすくめた。
「嫌なものは、嫌でいいんじゃない?」
N-13は、しばらく黙っていた。
そして。
「……うん」
小さく頷いた。
零司は、それ以上何も言わなかった。
ただ、操車場の中央へ視線を向けた。
「……さて」
そこには、ミサカ九九七一号が立っていた。
「今度こそ、あの子の話を聞こうか」
◇
午後八時五十分。
旧貨物操車場、中央区画。
「……こんばんは」
零司が、少女へ声を掛けた。
九九七一号が顔を上げる。
「……久遠零司」
「覚えてくれてたんだ」
「はい。本日十三時台に接触した人物として記録しています」
「そっか」
零司は笑った。
そして。
「……決まった?」
少女が首を傾げる。
「……何がでしょうか」
「君が、どうしたいか」
沈黙。
少女は、手の中の銃を見つめた。
今日の実験で使用する予定の武器。
死亡するまで使用するために与えられたもの。
「……ミサカは」
小さく呟く。
「……本日の実験で、死亡する予定です」
「そうだね」
「しかし」
少女は、僅かに顔を上げた。
「……昼間の飲料について、まだ確認したいことがあります」
零司が、少しだけ目を細める。
「……へえ」
「同じ商品を、もう一度飲んだ場合、同じ感想になるのか」
少女は続ける。
「別の商品を飲んだ場合、どのような味覚評価になるのか」
少しだけ間を置いた。
「……ミサカは、それを確認していません」
零司は、しばらく少女を見つめていた。
そして。
「じゃあ、死んだら困るね」
小さく笑った。
少女が顔を上げる。
「……はい」
その返答は、昼間よりも早かった。
「……困る、と判断します」
N-13が、息を呑んだ。
N-12も、少女を見つめる。
零司は頷いた。
「じゃあ、帰ろうか」
あまりにも簡単な言葉だった。
少女は、目を瞬かせた。
「……帰る?」
「うん」
「……しかし、実験が」
「行きたくないんでしょ?」
少女は、しばらく黙っていた。
そして。
ゆっくりと、手の中の銃を地面へ置いた。
「……はい」
小さな声。
「……ミサカは、まだ死にたくありません」
その瞬間。
N-13が、嬉しそうに笑った。
「……うん!」
N-12も、小さく頷く。
しかし。
その直後。
「――おいおい」
低い声が響いた。
◇
「……何だァ、こりゃ」
操車場の奥。
白髪の少年が、ゆっくりと歩いてきた。
細い身体。
赤い瞳。
不機嫌そうな表情。
学園都市第一位。
一方通行。
その視線が、歪んだ監視塔へ向けられる。
倒れた警備員。
破壊された銃器。
そして、地面に置かれた九九七一号の銃。
「……随分と派手にやってくれてンじゃねェか」
零司が、顔を向けた。
「……ああ」
少しだけ笑う。
「君が第一位?」
一方通行の眉が動く。
「……あァ?」
「初めまして」
零司は、気楽な調子で答えた。
「久遠零司」
「……誰だ、テメェ」
「通りすがりの学生?」
「……ふざけてンのか」
「少しね」
零司は笑った。
一方通行の目が細くなる。
その視線が、九九七一号へ移った。
「……オイ、人形」
少女が顔を上げる。
「はい」
「何でまだ始めてねェンだよ」
「……本日の実験参加について、再検討しています」
「……はァ?」
一方通行が、目を瞬かせた。
そして。
「……クカカッ!」
笑い始めた。
「何だそりゃ!」
肩を揺らしながら少女を見る。
「実験用に作られた人形が、何を考えるってンだよ!」
その言葉に。
N-13の表情が険しくなった。
だが。
零司は、特に怒った様子も見せなかった。
「ねえ」
一方通行が顔を向ける。
「……あァ?」
「君、この子を殺すために来たんでしょ?」
「そうだよ」
即答だった。
「それが?」
「じゃあ、残念だったね」
零司は笑った。
「今日は帰るってさ」
数秒の沈黙。
そして。
一方通行の口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……テメェ」
赤い瞳が鋭くなる。
「俺の実験を邪魔する気か?」
「そうなるね」
「……殺されてェのか?」
「いや?」
零司は首を傾げた。
「まだ読みたい本もあるし」
「…………」
「帰ってゲームもしたいしね」
その瞬間。
一方通行が声を上げて笑った。
「……ハッハッハ!」
そして。
「……いいぜ」
足元の小石を拾い上げる。
「だったら、試してやるよ」
親指で、軽く弾いた。
直後。
空気を切り裂く音が響いた。
◇
小石が、砲弾に匹敵する速度で零司へ迫った。
普通の人間なら、反応する間もなく身体を貫かれていただろう。
だが。
零司は、避けなかった。
小石は、少年の身体へ届く直前で軌道を変えた。
鋭角に曲がり、右側のコンテナへ激突する。
ドゴォンッ!
厚い鉄板が、大きく陥没した。
一方通行の笑みが、僅かに消えた。
「……あァ?」
零司は、破壊されたコンテナを眺めた。
「……なるほど」
小さく呟く。
「小石を、あそこまで加速できるんだ」
一方通行が、目を細める。
「……テメェ」
零司へ視線を向けた。
「今、何をしやがった」
「軌道を変えた」
零司は、あっさりと答えた。
「こっちに飛んできたから」
「…………」
一方通行は、少年の身体を見た。
腕。
肩。
足。
そのどこにも、大きな動作はない。
最初から、両手はポケットに入ったままだった。
(……動作がねェ?)
赤い瞳が、僅かに細くなる。
能力発動に必要な動作がない。
少なくとも、そう見えた。
「……クカカッ」
口元が吊り上がる。
「……面白ェ」
次の瞬間。
一方通行が、地面を踏みつけた。
ゴガンッ!
コンクリートが砕け散る。
無数の破片が、凄まじい速度で飛び出した。
それらが、零司へ殺到する。
しかし。
少年の周囲で、異変が起きた。
破片が、互いに異なる方向へ流れ始めたのだ。
正面から迫った破片は左右へ。
足元から跳ね上がった破片は、上空へ。
大きな塊は、運動の向きを変えながら地面へ落ちる。
まるで、見えない川の流れに沿っているかのようだった。
零司は、その場から動いていなかった。
「……へえ」
少しだけ目を細める。
「結構、器用なんだね」
一方通行が、獰猛に笑った。
「……ハッ!」
次の瞬間。
地面を蹴る。
凄まじい加速。
白い影が、一直線に零司へ迫った。
「――オラァッ!」
右手が伸びる。
触れれば、身体内部のベクトルすら操作されかねない。
零司は、その軌道を見ていた。
そして。
少年の身体が、僅かに横へ移動した。
足元の摩擦が変化する。
地面から身体へ伝わる力が調整され、最小限の動作で位置が変わった。
一方通行の手が、空を切る。
そのまま。
ドゴォンッ!
背後のコンテナが、内側から爆発したように吹き飛んだ。
金属片が、夜空へ舞い上がる。
「……危ないね」
零司が呟く。
一方通行は、振り返った。
「……チッ」
その赤い瞳が、鋭くなる。
「ちょこまか逃げやがって」
「触られたくないからね」
「……ハッ!」
一方通行が笑った。
「俺に近づくことすらできねェくせによ!」
その言葉に。
零司の口元が、僅かに上がった。
「……そうかな?」
次の瞬間。
一方通行の足元で、異変が起きた。
コンクリートの表面が、不自然に崩れ始める。
地面へ掛かる荷重。
内部の応力。
それらが、通常とは異なる形で集中していた。
「……あァ?」
一方通行が、足元を見る。
次の瞬間。
地面が、陥没した。
ゴォンッ!
しかし。
一方通行は転倒しなかった。
自身へ働く力の方向を操作し、身体を浮かせるように移動したのだ。
「……そンなもンで!」
白髪の少年が笑う。
「俺が止まると思ってンのかァ!」
「思ってないよ」
零司は、あっさりと答えた。
「でも、確認できた」
一方通行の目が細くなる。
「……何をだ」
「君、地面がなくても動けるんだね」
「……あァ?」
「じゃあ、足場を崩すだけじゃ駄目か」
零司は、独り言のように呟いた。
その言葉に。
一方通行の笑みが、少しだけ変わった。
(……こいつ)
今までの攻撃。
小石。
コンクリート。
接近戦。
すべてに対応している。
それだけではない。
こちらの能力を、実際の戦闘を通じて確かめている。
「……テメェ」
一方通行が、低い声で呟いた。
「何者だ?」
零司は、少しだけ考えた。
そして。
「……そうだね」
小さく笑った。
「君が第一位なら」
その灰紫色の瞳が、鋭くなる。
「僕は、第零位ってところかな」
数秒の沈黙。
そして。
一方通行が、声を上げて笑った。
「……クカカカッ!」
赤い瞳が、獰猛に細くなる。
「第零位だァ?」
白髪の少年が、一歩前へ出た。
「……面白ェ!」
零司も、楽しそうに笑った。
「そう?」
「だったら――!」
一方通行の足元で、コンクリートが砕けた。
同時に、周囲の空気が激しく流れ始める。
単純な突進ではない。
足元からの加速。
周囲の気流。
そして、進行方向へ集中する運動量。
そのすべてを利用した攻撃。
「――最強がどっちか、決めようじゃねェか!」
零司は、正面から迫る白髪の少年を見つめた。
その表情に、恐怖はない。
焦りもない。
ただ、純粋な興味があった。
第一位。
あらゆるベクトルを操作する、学園都市最強の超能力者。
その力を、どこまで使いこなせるのか。
零司の灰紫色の瞳が、僅かに細くなる。
「……いいね」
小さく笑った。
「じゃあ、もう少し遊ぼうか」
その瞬間。
二人の間にあった金属片が、凄まじい勢いで舞い上がった。
だが。
それは、どちらか一方の攻撃ではなかった。
一方通行が操作するベクトル。
零司が変更する物理条件。
二つの力が、同じ空間へ同時に作用している。
万象演算。
周囲の物理現象を成立させる条件そのものが、零司の意思によって組み替えられていく。
対する一方通行も、笑みを消さない。
赤い瞳が、目前の少年を捉えていた。
第一位と第零位。
互いの能力を、まだ完全には理解していない。
しかし。
両者は、すでに気づいていた。
目の前にいる相手が、これまで戦ってきた能力者とは明らかに違うことに。
◇
午後八時五十二分。
旧貨物操車場、管理棟。
「……何だ、これは」
研究主任が、監視モニターを見つめていた。
画面には、二人の少年が映っている。
一方通行。
そして、久遠零司。
その周囲では、常識では説明できない現象が次々と発生していた。
「……第一位と、互角に近い攻防を行っている?」
隣の研究員が、震える声で呟く。
主任は、別の画面を開いた。
《第九九七一次実験》
《計画外能力者の介入を確認》
《対象:ZERO》
《能力分類:未確定》
《実験条件:重大な逸脱》
さらに。
《戦闘記録:継続中》
《追加観測:高優先度》
主任の目が細くなる。
「……なるほど」
久遠零司。
非公式の第零位。
その能力は、現時点では詳細を特定できない。
だが。
第一位の反射を突破せず、別の物理的な条件へ干渉している。
しかも、身体動作による発動条件が確認できない。
「……興味深い」
主任が呟いた。
そのとき。
通信装置が鳴った。
『主任』
「何だ」
『北側の監視部隊が、ほぼ機能停止しています』
「……そうか」
『どうしますか』
主任は、しばらく考えた。
そして。
「……戦闘記録を続けろ」
『……ですが、実験条件が!』
「構わん」
男は、画面を見つめた。
第一位と第零位。
その戦闘。
学園都市でも、まず見ることのできない光景。
「……これは」
主任の口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「……予定よりも、遥かに価値のあるデータだ」
その言葉と同時に、別の端末へ通知が届いた。
《上位管理者指示》
《ZERO:観測継続》
《実験終了後の目撃者管理:実施》
研究主任が、僅かに眉をひそめる。
「……目撃者管理?」
その下には、さらに詳細な指示が表示されていた。
《対象》
《N-12》
《N-13》
《ミサカ九九七一号》
《必要に応じて排除を許可》
主任は、しばらく画面を見つめていた。
そして。
「……なるほど」
小さく呟く。
久遠零司。
その少年が、第一位との戦闘に集中している間。
別の部隊を動かす。
「……警備班へ連絡しろ」
研究員が顔を上げる。
「……内容は?」
主任は、静かに答えた。
「北側外周から、対象を確保する」
数秒の沈黙。
そして。
「……抵抗する場合は、排除して構わん」
研究員が、息を呑んだ。
その頃。
操車場の外周道路。
ライトを消した黒い車両が、静かに進入していた。
その中には、武装した男たちが乗っている。
彼らの目的は、第一位と第零位の戦闘ではない。
その周囲にいる、三人の少女。
久遠零司が目の前の強敵へ意識を向けている間に、別の場所で作戦を実行する。
それが、研究側の選択だった。
しかし。
彼らはまだ知らない。
久遠零司にとって、能力を発動するための動作など必要ないことを。
そして。
たとえ第一位との戦闘中であっても、彼が必ずしも一つの相手にしか干渉できないわけではないことを。
学園都市第一位と第零位。
二人の戦闘は、まだ始まったばかりだった。