八月十日、午後八時五十二分。
学園都市第七学区、旧貨物操車場。
轟音が夜空を震わせた。
貨物コンテナが横倒しになり、積み上げられていた鉄骨が宙を舞う。
その中心で、二人の少年が向かい合っていた。
学園都市第一位。
一方通行。
そして、非公式の第零位。
久遠零司。
「――オラァッ!」
一方通行が地面を蹴った。
踏み込んだコンクリートが砕け、白い影が一直線に加速する。
その右手が、零司の顔面へ伸びた。
触れれば終わり。
ただの打撃ではない。
人体内部の血流すら操作できる一方通行にとって、接触そのものが致命的な攻撃となる。
しかし。
零司は、その場からほとんど動かなかった。
右足を僅かに引く。
それだけで、身体が横へ滑った。
靴底と地面の摩擦。
身体に働く加速度。
それらが調整され、必要な距離だけ位置が変わる。
一方通行の指先が空を切った。
背後のコンテナが、内側から叩かれたように吹き飛ぶ。
ガシャアアアンッ!
「……チッ!」
一方通行は振り返った。
「ちょこまか逃げやがって!」
「触られると危ないからね」
零司は、両手をポケットに入れたまま答えた。
「君の能力、結構物騒だし」
「……ハッ!」
赤い瞳が細くなる。
「分かってンなら大人しく死ねよ!」
一方通行が、再び踏み込む。
しかし、今度は零司へ直接向かわなかった。
足元の地面を蹴り砕く。
無数のコンクリート片が宙を舞った。
それらが、四方八方へ広がる。
そして。
次の瞬間。
すべてが零司へ向かって加速した。
「――避けてみろよ!」
正面。
左右。
頭上。
複数の方向から迫る破片。
だが、零司は笑った。
「それ、さっきも見たよ」
少年の周囲で、空気が奇妙に揺らいだ。
飛来する破片が、次々と軌道を変えていく。
あるものは地面へ。
あるものは別の破片へ。
そして、残りは二人の間にある空間を通り過ぎ、背後のコンテナへ突き刺さった。
ガガガガッ!
金属板に無数の穴が開く。
しかし。
「――甘ェんだよ!」
一方通行が笑った。
その瞬間、背後のコンテナへ突き刺さった破片が、一斉に引き抜かれた。
さらに、コンテナそのものが大きく歪む。
零司が横へ視線を向けた。
「……へえ」
直後。
巨大な鉄板が、横殴りに迫った。
その質量は、先ほどの破片とは比較にならない。
零司は避けなかった。
鉄板へ働く力を変え、進行方向を僅かにずらす。
頭上を巨大な金属板が通過した。
しかし。
一方通行の狙いは、そこではなかった。
「――そこだァ!」
鉄板の陰から、白い影が飛び出した。
視界を遮る巨大な障害物。
その背後に隠れて、一方通行はすでに距離を詰めていた。
右手が伸びる。
零司の首筋へ。
「……なるほど」
少年の目が細くなった。
次の瞬間。
一方通行の足元から、乾いた音が響いた。
パキンッ!
地面の表面が、突然砕けた。
「……あァ!?」
足場が崩れる。
だが、一方通行は転倒しなかった。
自身へ働く力を操作し、空中で姿勢を立て直す。
そのまま、さらに加速した。
「そンなもンが通じるかよ!」
今度こそ、右手が零司へ届く。
しかし。
指先が触れる寸前。
零司の身体が、ふわりと横へ移動した。
無駄のない回避。
一方通行の手は、またしても空を切った。
そして。
ドゴォンッ!
その先にあった金属製の支柱が、根元から吹き飛んだ。
零司は、壊れた支柱を眺めた。
「……結構、考えてるんだね」
「……あァ?」
「鉄板を目隠しにして、その陰から近づいた」
零司は笑った。
「ちゃんと戦い慣れてる」
その言葉に。
一方通行の口元が歪んだ。
「……クカカッ!」
そして。
「テメェ、随分と余裕じゃねェか!」
「まあね」
「だったら――!」
赤い瞳が鋭くなる。
「そいつがいつまで続くか、試してやるよ!」
◇
午後八時五十四分。
旧貨物操車場、北側外周。
「……すごい」
N-13は、遠くの戦闘を見つめていた。
コンテナが吹き飛ぶ。
地面が砕ける。
巨大な鉄骨が宙を舞う。
それなのに。
零司は、一度もまともな攻撃を受けていなかった。
「……零司、強いね」
N-12が小さく呟く。
「……うん」
N-13は頷いた。
零司が強いことは知っていた。
PROJECT:ECHOから逃げ出した後も、何度もその力を見てきた。
しかし。
目の前の白髪の少年も、明らかに普通ではない。
「……第一位って、あんなに強いんだ」
N-13が呟く。
その隣で、ミサカ九九七一号が口を開いた。
「学園都市第一位、一方通行の能力はベクトル操作です」
「……ベクトル?」
「はい。運動、熱、電気など、方向と大きさを持つ物理量へ干渉する能力です」
少女は、淡々と説明した。
「通常の攻撃は、身体へ届く前に反射されます」
N-12が顔を向ける。
「……零司の攻撃も?」
「現時点で、一方通行の反射を突破した攻撃は確認されていません」
N-13の表情が、僅かに変わった。
「……じゃあ、零司でも倒せないの?」
「不明です」
九九七一号は、戦闘を見つめた。
「ただし、久遠零司は一方通行の身体へ直接干渉するのではなく、周囲の環境条件を変更しています」
N-12が首を傾げる。
「……どういうこと?」
「一方通行の反射は、外部から接近する攻撃に対して機能しています」
少女は続けた。
「しかし、地面そのものの強度や周囲の構造が変化した場合、反射だけでは移動先を確保できない状況が生じます」
「……そっか」
N-13は、遠くの零司を見た。
万象演算。
物理現象の成立条件へ干渉する能力。
一方通行のベクトル操作とは、異なる性質を持つ力。
だからこそ、二人の戦闘は通常の能力者同士とは違っていた。
そのとき。
N-12が、ふと顔を上げた。
「……待って」
「……何?」
「……あの車」
少女が指差した先。
操車場の外周道路。
そこへ、黒い車両が二台進入してきた。
ライトは消えている。
車体に所属を示す表示もない。
「……研究員の車?」
N-13が尋ねた。
N-12は、首を横へ振った。
「……違うと思う」
「……どうして?」
「……こっちに来てる」
その言葉が終わる前に。
車両の扉が開いた。
◇
『対象を確認』
黒い戦闘服の男が、通信装置へ報告した。
『N-12、N-13、ミサカ九九七一号』
『ZEROは?』
『第一位と交戦中』
『了解。予定どおり処理しろ』
男は短く答えた。
『了解』
そして、周囲の隊員へ指示する。
「第一班は右から回れ。第二班は退路を塞げ」
武装した男たちが、素早く散開した。
狙いは明確だった。
零司ではない。
その周囲にいる三人の少女。
「……対象は三名。生存していれば拘束、抵抗する場合は排除を許可されている」
隊長が告げる。
「ただし、ZEROとの正面戦闘は避けろ」
部下が頷いた。
「了解」
その直後。
銃声が響いた。
◇
パパパパッ!
「……っ!」
N-13が、咄嗟にN-12の腕を引いた。
銃弾が、二人のいた場所を通過する。
背後の鉄板に火花が散った。
「……走って!」
N-12が叫ぶ。
三人は、コンテナの陰へ飛び込んだ。
続いて、足元へ銃弾が突き刺さる。
砂埃が舞い上がった。
「……何で!」
N-13が息を切らせながら叫ぶ。
「……零司と戦ってるんじゃないの!?」
「……違う」
N-12が答えた。
「……最初から、わたしたちを狙ってる」
かつての記憶が蘇る。
PROJECT:ECHO。
研究施設から逃げ出した自分たちを追ってきた武装兵。
強い能力者へ正面から挑む必要はない。
守ろうとする相手を狙う。
それだけで、相手の行動を制限できる。
「……零司を呼ぶ?」
N-13が尋ねた。
N-12は、僅かに迷った。
その間にも、追跡者の足音が近づいてくる。
しかし。
「……待ってください」
九九七一号が口を開いた。
二人が振り返る。
「ミサカにも、できることがあります」
「……何?」
「敵部隊は通信装置と電子照準機器を使用しています」
九九七一号は、自分の手を見た。
「ミサカは微弱な電気を操作できます。限定的な機器妨害であれば可能です」
N-13が目を瞬かせた。
「……できるの?」
「成功する保証はありません」
少女は答えた。
「しかし、試す価値はあります」
その言葉に。
N-12が、小さく笑った。
「……うん」
そして、周囲を見渡した。
「……じゃあ、わたしは逃げ道を探す」
N-13も頷く。
「……わたしは、あの人たちの注意を逸らす」
九九七一号が二人を見た。
「……役割を分担するのですね」
「……そう」
N-13は頷いた。
「……零司に、全部任せたくないから」
その言葉に。
九九七一号は、数秒ほど黙っていた。
そして。
「……了解しました」
静かに答えた。
◇
午後八時五十六分。
操車場中央。
凄まじい風が吹き荒れていた。
「――クカカッ!」
一方通行が笑う。
周囲の空気が、渦を巻くように集まっていく。
単純な突風ではない。
空気の流れを複数の方向へ分け、圧力差を作り出している。
その中心に、零司が立っていた。
「……なるほど」
少年は、周囲を見渡した。
右側から迫る高圧の気流。
左側には、逆方向へ流れる空気。
正面には、急激な圧力の変化。
空間そのものが、巨大な罠になっていた。
「……面白い使い方だね」
「――オラァッ!」
一方通行が叫んだ。
次の瞬間。
複数の気流が、一斉に零司へ向かった。
だが。
それらは、少年へ届かなかった。
空気の密度。
圧力の伝達。
そして、周囲の流体条件。
それらが、同時に変更されていく。
迫っていた気流が、途中で進路を変えた。
左右へ。
上空へ。
さらに、互いに異なる方向へ流れ始める。
ドォンッ!
空気同士が衝突し、巨大な音を立てた。
一方通行の目が細くなる。
「……テメェ」
そして。
口元が、獰猛に歪んだ。
「そいつを待ってたンだよ!」
零司が、僅かに眉を上げた。
「……ん?」
その直後。
一方通行が動いた。
先ほどまで零司が変更していた気流。
その一部へ、さらに別のベクトルが与えられる。
零司が流れを変えた空気。
そこに、一方通行が新しい運動を与えたのだ。
結果。
予想外の方向から、圧縮された空気が迫った。
「――そこだァ!」
零司の背後。
空気が、一瞬で圧縮される。
そして。
ドンッ!
凄まじい衝撃が発生した。
砂埃が舞い上がる。
零司の身体が、後方へ滑った。
靴底が地面を削る。
しかし。
数メートルほど移動したところで、少年は停止した。
「……へえ」
零司が、ゆっくりと顔を上げる。
制服の上着が、少しだけ破れていた。
だが、身体に目立った損傷はない。
「僕が変えた流れを利用したんだ」
一方通行が笑った。
「……ハッ!」
赤い瞳が鋭くなる。
「テメェだけが、考えてると思うンじゃねェぞ!」
零司は、しばらく白髪の少年を見つめていた。
そして。
「……そうだね」
口元に笑みが浮かぶ。
「じゃあ、もう少し複雑にしてみようか」
次の瞬間。
操車場の地面が、奇妙な音を立てた。
パキンッ。
地面の表面に、細い亀裂が走る。
一方通行が顔を下げる。
「……あァ?」
その瞬間。
足元のコンクリートが、突然軟らかく変形した。
いや。
実際に液体へ変化したわけではない。
荷重を支える条件が変更され、通常とは異なる変形を起こしているのだ。
「……チッ!」
一方通行が、空中へ跳んだ。
自身へ働く力を操作する。
そのまま、零司へ向かって加速した。
だが。
次の瞬間。
周囲の鉄骨が、一斉に軋み始めた。
ガギギギッ!
鉄骨の一部が、不自然に湾曲する。
そのまま、一方通行の進行方向へ倒れ込んだ。
「……邪魔くせェ!」
一方通行が、鉄骨へ触れる。
ガァンッ!
巨大な金属が、凄まじい勢いで弾き飛ばされた。
しかし。
その先でも、別の変化が起きていた。
足場の強度。
空気の流れ。
構造材の荷重。
それらが、次々と変更されていく。
一方通行は、舌打ちした。
「……テメェ!」
零司は、笑っていた。
「君の反射って、すごい便利だよね」
「……あァ?」
「でも、反射するだけじゃ解決しないこともあるでしょ?」
その言葉に、一方通行の表情が変わった。
零司は続ける。
「地面がなくなっても、君は動ける」
「…………」
「空気の流れを変えても、君は対応できる」
そして。
「じゃあ、それを同時に続けたらどうなるんだろうね?」
一方通行の赤い瞳が、鋭くなる。
「……クカカッ!」
その口元が、大きく歪んだ。
「上等だァ!」
次の瞬間。
白髪の少年が、地面を踏み抜いた。
轟音。
周囲のコンクリートが砕け散る。
さらに、空気の流れが急激に変化した。
零司の作った複数の条件へ、別のベクトルが重ねられる。
空気。
地面。
鉄骨。
そのすべてが、二人の能力によって複雑に動き始めた。
だが。
零司は、その光景を見て笑っていた。
「……いいね」
その灰紫色の瞳が、細くなる。
「やっぱり、第一位は強い」
その言葉に。
一方通行は、さらに笑みを深めた。
「……ハッ!」
そして。
「まだまだ、こんなもンじゃねェぞ!」
◇
午後八時五十八分。
北側貨物通路。
「……右!」
N-12が叫んだ。
N-13が、進行方向を変える。
直後。
銃弾が、左側の壁を貫いた。
ガンッ!
「……っ!」
三人は、狭い通路へ飛び込んだ。
背後から、武装した男たちが追ってくる。
「……対象を見失った!」
「監視映像を確認しろ!」
『映像が不安定だ! 位置が一致しない!』
N-13の観測干渉。
人間の注意や、記録された映像の認識に不一致を生じさせる能力。
その影響によって、追跡側は三人の正確な位置を把握できなくなっていた。
しかし。
完全に姿を消したわけではない。
熱源を検出する装置には、依然として反応が残っている。
「……そこだ!」
一人の男が、端末を確認した。
そして、銃を向ける。
その瞬間。
パチッ!
小さな電気音。
「……あ?」
男の通信装置へ雑音が走る。
照準装置の表示が乱れた。
「……故障か!?」
その隙に、三人は通路の奥へ走った。
「……成功しました」
九九七一号が呟く。
その指先には、微弱な電気が残っていた。
N-13が顔を向ける。
「……すごい!」
「限定的な電子機器への干渉です」
少女は答えた。
「長時間の妨害はできません」
「……十分だよ!」
N-13が笑った。
そのとき。
N-12が、急に足を止めた。
「……待って!」
正面。
貨物通路の出口。
そこに、小さな赤いランプが見えた。
さらに、通路の側面に取り付けられた不自然な装置。
N-12の表情が変わる。
「……あれ」
「……何?」
「……罠」
N-13が息を呑んだ。
「……え?」
「……出口に、何か仕掛けてる」
N-12は、周囲を見渡した。
背後には追跡部隊。
前方には、正体不明の装置。
そのまま進めば、確実に何かが起きる。
「……こっち!」
N-12が、側面の作業扉を指差した。
三人が駆け寄る。
しかし。
ガチャッ!
鍵が掛かっていた。
「……っ!」
N-13が顔を上げる。
「……どうするの!?」
九九七一号が、扉へ手を伸ばした。
「電子錠への干渉を試みます」
指先から、微弱な電流が流れる。
しかし。
《認証拒否》
扉は開かない。
「……解除できません」
背後から、足音が迫る。
N-12は、扉の周囲を確認した。
古い作業用扉。
側面には、外側から固定するための金具。
そして、その下には工具箱が置かれている。
「……これ!」
N-12が、工具箱から金属製の棒を取り出した。
固定具の隙間へ差し込む。
力を掛ける。
ガギッ!
金属が軋んだ。
「……っ!」
包帯のない腕に、力が入る。
さらに押し込む。
ガキンッ!
古い固定具が外れた。
「……開いた!」
N-13が叫ぶ。
三人は、作業扉の内側へ飛び込んだ。
その直後。
背後で、短い電子音が響いた。
ピッ。
N-12が振り返る。
通路の出口。
赤いランプ。
その点滅速度が、急激に上がっていた。
「……伏せて!」
少女が叫んだ。
次の瞬間。
爆発が起きた。
◇
ドォォンッ!
凄まじい轟音。
貨物通路が、大きく揺れた。
壁が砕け、鉄製の扉が吹き飛ぶ。
「……っ!」
N-13が、咄嗟に九九七一号を押し倒した。
直後。
巨大な破片が、頭上を通過する。
ガシャアアアンッ!
金属片が、壁へ激突した。
N-12は、床へ倒れ込んでいた。
「……十二号!」
N-13が叫ぶ。
N-12が、ゆっくりと顔を上げた。
頬に浅い傷。
左腕には、破片で切った傷ができている。
血が、袖を赤く染め始めていた。
「……大丈夫」
N-12が、苦しげに答えた。
「……動ける」
「……大丈夫じゃない!」
N-13が、駆け寄る。
しかし。
そのとき。
崩れた通路の向こうから、足音が聞こえた。
「……生存者を確認」
低い声。
「処理を続行する」
N-13の表情が変わった。
倒れたN-12。
傍にいる九九七一号。
そして、迫ってくる武装した男たち。
少女は、ゆっくりと立ち上がった。
「……来ないで」
小さな声。
男たちは、構わず銃を向けた。
「対象確認。射撃準備」
「……来ないで!」
N-13の声が強くなる。
その瞬間。
男たちの視線が、一斉に揺らいだ。
目の前にいたはずの少女。
その位置が、どうしても定まらない。
「……何だ!?」
「……どこにいる!」
しかし。
一人の男が、端末を確認した。
「……熱源反応は残っている」
銃口が、ゆっくりと動く。
N-13の方へ。
そのとき。
九九七一号が、男の通信装置へ視線を向けた。
パチッ!
小さな電気音。
照準表示が乱れる。
「……またか!」
男が舌打ちした。
しかし、今度は銃を下ろさなかった。
照準装置を無視し、直接目で狙う。
「……だったら!」
引き金へ、指が掛かる。
その瞬間。
男の足元が、不自然に沈んだ。
「……え?」
直後。
身体が、横方向へ弾き飛ばされた。
ガンッ!
背中が壁へ激突する。
銃が床を滑った。
続いて。
他の男たちの足元でも、異変が起きた。
荷重を支える床が、突然傾く。
複数の隊員が、まともに立っていられなくなった。
「……何だ!?」
「……床が!」
そして。
崩れた通路の奥から、声がした。
「……ごめんね」
◇
久遠零司だった。
両手は、相変わらずポケットに入ったまま。
その表情には、先ほどまでの楽しそうな笑みがなかった。
「ちょっと遅くなった」
「……零司!」
N-13が叫んだ。
零司は、倒れたN-12を見た。
血の滲んだ左腕。
頬の傷。
そして、周囲に散らばった爆発物の破片。
「……なるほど」
静かに呟く。
その瞳が、僅かに細くなった。
「……君たち」
武装した男たちへ視線を向ける。
「誰の命令?」
返答はない。
一人の男が、通信装置へ手を伸ばした。
『対象ZEROが到着。第二段階へ――』
通信は、そこで途切れた。
装置の内部が、突然変形したからだ。
バキッ!
「……っ!?」
男が、驚愕の表情で零司を見る。
少年は、静かに続けた。
「質問してるんだけど」
男は、答えなかった。
代わりに、腰へ手を伸ばす。
小型の起爆装置。
その操作部へ、指が掛かる。
零司の目が細くなった。
「……ああ」
そして。
「また、それ?」
次の瞬間。
起爆装置が、男の手から離れた。
それだけではない。
男の右腕が、不自然な方向へ折れ曲がった。
「――がああっ!?」
悲鳴が響く。
起爆装置が、床へ落ちる。
しかし。
別の男が、背後から動いた。
その手には、もう一つの小型装置。
すでに親指がスイッチへ掛かっていた。
「……っ!」
N-13が息を呑む。
次の瞬間。
男の身体が、壁へ激突した。
ドゴンッ!
鈍い音。
そのまま、床へ崩れ落ちる。
手から離れた装置が、地面を転がった。
男は、もう動かなかった。
零司は、倒れた身体を一度だけ確認した。
呼吸はない。
「……一人、死亡」
淡々と呟いた。
その言葉に。
N-13が、顔を上げた。
「……零司」
「何?」
「……今の人」
少女は、僅かに言葉を詰まらせた。
「……また、殺したの?」
「うん」
即答だった。
N-13の表情が曇った。
「……止めるだけじゃ、駄目だった?」
零司は、少女を見つめた。
数秒の沈黙。
そして。
「できたかもしれないね」
静かに答えた。
「……じゃあ」
「でも、あの人は起爆装置を押そうとしてた」
零司は続ける。
「君たちが近くにいる状態で、もう一度爆発させるつもりだった」
「…………」
「だから、確実に止めた」
その声には、怒りも興奮もなかった。
ただ、必要だと判断した行動を取った。
それだけだった。
N-13は、唇を噛んだ。
「……嫌だった」
「そっか」
零司は頷いた。
「……でも」
N-13が顔を上げる。
「……助けてくれたのは、分かってる」
「うん」
「……だけど、人が死ぬのは嫌」
零司は、しばらく少女を見つめていた。
そして。
「……それでいいんじゃない?」
小さく答えた。
N-13が目を瞬かせる。
「……え?」
「君まで、僕と同じ考えになる必要ないでしょ」
少年は肩をすくめた。
「僕は僕の判断をした。君はそれを嫌だと思った」
そして。
「別に、同じ意見じゃなくてもいいよ」
N-13は、少年を見つめた。
零司は、いつもそうだった。
自分の判断を他人へ押しつけない。
その代わり、他人の価値観によって自分の行動を変えることも少ない。
「……そっか」
N-13は、小さく呟いた。
零司は、それ以上何も言わなかった。
ただ、N-12の左腕へ視線を向けた。
「……歩ける?」
「……うん」
N-12が頷いた。
「……大丈夫」
「じゃあ、帰りに診てもらおうか」
その言葉に。
N-12が、小さく笑った。
「……うん」
零司は、倒れた男たちを見た。
そして、足元へ転がっていた黒い通信端末を拾い上げる。
「……これ、もらっておこうかな」
N-13が首を傾げる。
「……何?」
「通信装置」
零司は、端末を裏返した。
外装には、複数の管理番号が記されている。
「……誰が送ってきたのか、調べられるかもしれないし」
そのまま、ポケットへしまった。
そして。
「……さて」
少年が、顔を上げた。
「そろそろ帰ろうか」
だが。
背後から、低い声が響いた。
「――オイオイ」
◇
「……勝手に終わらせンじゃねェよ」
崩れた通路の向こう。
白髪の少年が、ゆっくりと姿を現した。
一方通行。
その赤い瞳が、零司を捉えている。
「……まだ、俺との決着がついてねェだろ?」
零司は、少しだけ眉を上げた。
「……追いかけてきたんだ」
「当たり前だろォが」
一方通行は、周囲を見渡した。
倒れた武装兵。
破壊された通路。
そして、N-12たち。
「……何だ、こいつら」
零司が答える。
「君の実験を管理してる人たちの別部隊みたい」
「……あァ?」
「僕たちを殺しに来たらしいよ」
数秒の沈黙。
そして。
一方通行が、鼻で笑った。
「……くだらねェ」
その視線が、倒れた男たちへ向けられる。
「俺の実験に、勝手に別の連中を混ぜてンじゃねェよ」
零司は、少しだけ笑った。
「そこは同感」
「……勘違いすンなよ」
一方通行の目が細くなる。
「俺は、テメェの味方になったわけじゃねェ」
「知ってるよ」
零司は頷いた。
そして。
「でも、今は続きできないかな」
「……あァ?」
零司は、N-12たちへ視線を向けた。
「こっちが先だから」
一方通行の表情が変わった。
「……テメェ」
そして。
獰猛に笑った。
「……クカカッ!」
その身体から、異様な圧力が漂い始める。
「俺から逃げるつもりかよ!」
次の瞬間。
一方通行が、地面を蹴った。
轟音。
白い影が、零司へ迫る。
しかし。
零司は、動かなかった。
その代わり。
周囲の空気が、不自然に流れ始めた。
一方通行の進行方向。
そこに、複数の圧力差が生まれる。
さらに。
足元のコンクリートが、局所的に崩れ始めた。
「……また、それかよ!」
一方通行が叫んだ。
だが、すぐに対応する。
空気の流れを操作する。
身体へ働く力を変更する。
そして、進行方向を修正した。
次の瞬間。
白髪の少年の右手が、零司へ迫った。
しかし。
触れる寸前。
零司の身体が、僅かに横へ移動した。
右手が空を切る。
直後。
背後の壁が、凄まじい音を立てて砕け散った。
ドゴォンッ!
「……あらら」
零司が、軽く息を吐く。
「結構、本気なんだね」
「……当たり前だろォが!」
一方通行が叫ぶ。
「俺の相手してンのはテメェだろ!」
零司は、少しだけ考えた。
そして。
「……そうだね」
その灰紫色の瞳が、細くなる。
「じゃあ、一つだけ試してみようか」
次の瞬間。
操車場の空気が、奇妙な音を立てた。
◇
一方通行が、眉をひそめた。
「……あァ?」
周囲の空気が、急激に変化している。
圧力。
密度。
温度。
そのすべてが、複雑に組み替えられていた。
だが、直接的な攻撃ではない。
零司は、一方通行の反射を突破しようとしていなかった。
周囲の空間を、移動しにくい環境へ変更している。
さらに。
足元の地面が、微妙に変形した。
立っている場所。
移動先。
そして、その先の支持構造。
それらが、次々と変化していく。
「……チッ!」
一方通行が舌打ちした。
だが、すぐに笑った。
「……クカカッ!」
次の瞬間。
白髪の少年が、地面を踏み抜いた。
周囲のコンクリートが砕け散る。
さらに、空気の流れを操作する。
零司が作った圧力差を、強引に組み替えていく。
その結果。
周囲に配置されていた鉄骨が、凄まじい勢いで吹き飛んだ。
ガシャアアアンッ!
「……どうだァ!」
一方通行が叫ぶ。
しかし。
零司は、笑っていた。
「……やっぱりね」
「……何がだ!」
「君、そうやって全部対応できるんだ」
零司は頷いた。
「じゃあ、僕がやってること、ちゃんと分かってるんだね」
一方通行の赤い瞳が、鋭くなる。
「……テメェ」
そして。
「……俺を試してやがったのか」
「うん」
零司は、あっさりと答えた。
「だって、第一位でしょ?」
その言葉に。
一方通行が、声を上げて笑った。
「……クカカカッ!」
そして。
「……いいぜ」
その赤い瞳が、獰猛に細くなる。
「だったら、次はもっとすげェもンを見せてやるよ!」
零司は、少しだけ笑った。
「楽しみにしてる」
その瞬間。
一方通行が、足元の地面を蹴った。
凄まじい加速。
白い影が、零司へ向かって飛び出す。
しかし。
その直後。
操車場のスピーカーから、機械的な音声が流れた。
《第九九七一次実験》
《計画外能力者の介入を確認》
《実験条件:重大な逸脱》
《本実験:無効》
その言葉に。
一方通行の動きが、僅かに止まった。
「……あァ?」
スピーカーから、続けて音声が流れる。
《対象個体:生存》
《実験継続:不可》
《追加観測記録:保存》
数秒の沈黙。
そして。
一方通行が、低く笑った。
「……ハッ」
その視線が、零司へ向けられる。
「……随分と勝手な連中だなァ」
零司は肩をすくめた。
「そうだね」
白髪の少年は、しばらく零司を見つめていた。
そして。
「……今日は、ここまでにしといてやる」
低い声。
「だが、次は逃がさねェ」
零司は笑った。
「期待してるよ」
一方通行は、鼻で笑った。
「……チッ」
そのまま、踵を返す。
そして。
「……オイ、ZERO」
零司が顔を上げた。
「何?」
「……テメェ」
白髪の少年は、振り返らなかった。
「……何で、そいつらを守る?」
零司は、少しだけ考えた。
そして。
「……そうだね」
小さく笑う。
「僕のところにいる子たちだから、かな」
一方通行の表情が変わった。
「……あァ?」
「他の人に勝手に壊されるの、嫌なんだよね」
その答えに。
一方通行は、しばらく黙っていた。
そして。
「……クソくだらねェ」
小さく吐き捨てた。
零司は、楽しそうに笑った。
「そう?」
そのまま、N-12たちへ顔を向ける。
「……行こっか」
N-13が頷いた。
「……うん」
九九七一号も、小さく頷く。
一方通行は、少年たちの背中を見送った。
そして。
「……第零位、か」
低く呟く。
赤い瞳が、僅かに細くなった。
「……面白ェじゃねェか」
◇
午後九時二十一分。
旧貨物操車場、管理棟。
「……何だと!?」
研究主任が、机を叩いた。
「……目撃者処理班が壊滅!?」
『一部の隊員が負傷、指揮系統は機能停止しています』
「……馬鹿な!」
主任は、画面を睨んだ。
そこには、先ほどまでの戦闘記録が表示されていた。
久遠零司。
一方通行。
両者の能力が干渉し、周囲の物理条件が何度も変更されている。
研究主任は、荒い息を吐いた。
「……第零位」
その声には、恐怖と興奮が混じっていた。
第一位。
学園都市最強の超能力者。
その相手と互角に近い攻防を行い、なお余力を残している少年。
「……これは」
主任が呟く。
「……想定以上だ」
隣の研究員が、震える声で尋ねた。
「……どうしますか」
主任は、しばらく考えた。
そして。
「……実験結果を保存しろ」
「……ですが、九九七一号は生存しています」
「分かっている!」
主任が怒鳴った。
その直後。
少しだけ声を落とす。
「……今回の実験は、無効だ」
研究員が目を見開く。
「……無効?」
「予定外の能力者が介入し、戦闘条件が成立していない」
主任は、画面を見つめた。
「……次回実験は予定どおり進める」
そして。
「ZEROについては、上位管理者へ報告しろ」
研究員が頷いた。
画面が切り替わる。
《第九九七一次実験》
《結果:無効》
《対象個体:生存》
《計画外能力者:ZERO》
《追加観測データ:保存》
さらに。
《目撃者処理》
《結果:失敗》
《対象:生存確認》
主任は、深く息を吐いた。
「……厄介なことになった」
そして。
画面の隅に、新しい通知が届いた。
《上位管理者より》
《ZEROへの直接的な攻撃を一時停止》
《能力情報の収集を優先》
その内容を見て。
主任は、僅かに目を細めた。
「……なるほど」
誰かが、すでに動いている。
久遠零司という存在を、単なる妨害者として排除するのではなく。
研究対象として扱おうとしている。
その事実に。
主任は、薄く笑った。
◇
午後十時三十六分。
第七学区。
「……痛っ」
N-12が、小さく声を漏らした。
「動かないで」
N-13が、傷口へ消毒液を塗る。
「……しみる」
「……我慢して」
テーブルの上には、救急用品が並んでいた。
零司は、ソファに座っている。
その隣には、ミサカ九九七一号。
少女は、初めて入った部屋を静かに見渡していた。
「……質問があります」
零司が顔を向ける。
「何?」
「……ミサカは、本日死亡する予定でした」
「そうだね」
「しかし、現在も生存しています」
「うん」
「……この状況を、どう解釈すればよいのでしょうか」
零司は、少しだけ考えた。
そして。
「……予定が変わったんでしょ?」
あっさりと答えた。
少女は、目を瞬かせた。
「……予定が」
「うん」
零司は頷いた。
「別に、予定どおりに生きる必要なんてないじゃん」
その言葉に。
九九七一号は、しばらく黙っていた。
そして。
「……そうですか」
小さく答えた。
零司は、立ち上がった。
「……さて」
N-13が顔を向ける。
「……どこ行くの?」
「コンビニ」
「……え?」
「飲み物買ってくる」
九九七一号が顔を上げた。
零司は、少女を見た。
「……何味がいい?」
数秒の沈黙。
そして。
「……昼間と同じものを希望します」
九九七一号が答えた。
零司は、笑った。
「了解」
そのまま、玄関へ向かう。
N-13が、呆れたように息を吐いた。
「……本当に、自由だね」
N-12が、小さく笑った。
「……うん」
そのとき。
N-13が、ふと口を開いた。
「……ねえ、零司」
少年が振り返る。
「何?」
「……次も、あの人と戦うの?」
零司は、少しだけ考えた。
学園都市第一位。
一方通行。
反射。
ベクトル操作。
そして、あの異常な戦闘能力。
「……そうだね」
少年の口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「また会いたいかな」
N-13は、少しだけ眉をひそめた。
「……危ないよ」
「知ってる」
「……それでも?」
「うん」
零司は頷いた。
「だって、久しぶりに楽しかったし」
N-13は、何とも言えない顔をした。
零司は笑った。
「じゃ、行ってくる」
扉が閉まる。
部屋には、三人の少女が残された。
N-12。
N-13。
そして、ミサカ九九七一号。
それぞれ異なる研究施設で作られ、番号を与えられた少女たち。
しかし。
今夜だけは、誰かの命令に従うためではなく。
自分の意思で、ここにいた。
◇
同日、午後十一時五十九分。
学園都市第七学区、某研究施設。
《絶対能力進化計画》
《第九九七一次実験:無効》
《対象個体:生存》
《次回実験:予定どおり》
白衣姿の男が、端末を見つめていた。
その画面には、第一位と第零位の戦闘記録が表示されている。
一方通行。
あらゆるベクトルを操作する、最強の超能力者。
そして。
久遠零司。
物理条件そのものへ干渉する、規格外の能力者。
その二人が交戦した。
「……興味深い」
男は、小さく呟いた。
第一位の反射は、破られていない。
しかし、零司の能力は、反射を突破せずに周囲の環境へ干渉していた。
その結果。
一方通行は、通常とは異なる対応を強いられている。
「……なるほど」
男は、別の資料を開いた。
《追加観測候補》
《識別:ZERO》
《能力分類:未確定》
《観測優先度:高》
そして。
その画面の下に、小さな項目が表示された。
《関連人物》
《N-12》
《N-13》
《ミサカ九九七一号》
男の目が細くなる。
「……第零位にも」
静かに呟く。
「……守るものが、あるということか」
その表情に、薄い笑みが浮かんだ。
第一位と第零位。
学園都市の表と裏に存在する、二人の規格外。
その関係は、まだ始まったばかりだった。
そして。
久遠零司という少年を巡る、新たな思惑が動き始めようとしていた。