とある学園都市の第零位《ゼロナンバー》   作:右左右左右

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第27話 第三位は譲らない

 八月十一日、午前九時十七分。

 

 学園都市第七学区。

 

「……痛っ」

 

「……だから、動かないで」

 

「……動いてない」

 

「……今、動いた」

 

 久遠零司の部屋では、朝から小さな言い争いが起きていた。

 

 テーブルの前に座っているのはN-12。

 

 その左腕には、昨夜の爆発で負った傷を保護する包帯が巻かれている。

 

 向かいに座るN-13は、真剣な表情で包帯の端を留めていた。

 

「……はい、終わり」

 

「……ありがとう」

 

 N-12が小さく息を吐く。

 

 昨夜、帰宅途中に立ち寄った診療所では、傷は浅いと診断されていた。

 

 それでも、破片が当たった場所はまだ痛む。

 

「無茶しちゃ駄目だよ」

 

 ソファから声がした。

 

 零司だった。

 

 片手にパンを持ち、もう片方で携帯端末を操作している。

 

「……零司にだけは言われたくない」

 

 N-13が呟く。

 

「僕、昨日は怪我してないよ?」

 

「……そういう意味じゃない」

 

「難しいねぇ」

 

 零司はパンを口に運んだ。

 

 その隣で、ミサカ九九七一号が静かに座っている。

 

 昨日、死亡するはずだった少女。

 

 彼女は今、テーブルに置かれた二本の缶飲料を見比べていた。

 

「……質問があります」

 

「何?」

 

「昨日購入した飲料と、昨夜購入していただいた飲料について、味覚評価に差異がありました」

 

「同じジュースなのに?」

 

「はい」

 

 九九七一号は頷いた。

 

「昨夜の方が、好ましいと感じられました」

 

「へえ。どうして?」

 

「不明です」

 

 少女は、少しだけ考えた。

 

「ただし、昨日の実験が中止されたことによる心理的変化が、味覚評価へ影響した可能性があります」

 

 零司は笑った。

 

「じゃあ、また一つ分かったね」

 

「はい」

 

 九九七一号は、缶を大切そうに持ち直した。

 

 その様子を見ていたN-13が、小さく微笑む。

 

 しかし。

 

「……零司」

 

 N-12が、テーブルの端を指差した。

 

「……それ、どうするの?」

 

 そこには、黒い通信端末が置かれていた。

 

 昨夜、襲撃してきた武装部隊から回収したものだ。

 

「調べてるところ」

 

「……分かった?」

 

「残念ながら、暗号は簡単には読めないね」

 

 零司は端末を裏返した。

 

 外装には管理番号と、小さな文字が刻まれている。

 

《北部共同物流管理区画》

 

《第四搬入口》

 

 N-12の表情が変わった。

 

「……そこ」

 

「知ってる?」

 

「……うん」

 

 少女は頷いた。

 

「……研究施設にいた頃、搬送記録で見たことがある」

 

「ECHOの?」

 

「……別の施設も使ってたと思う」

 

 N-12は、記憶を辿るように言葉を続けた。

 

「……研究資材や、実験用の設備を運ぶ場所」

 

 零司の目が細くなる。

 

 昨夜の襲撃部隊。

 

 その装備に残されていた管理番号。

 

 そして、複数の研究施設が利用する物流拠点。

 

 無関係とは考えにくかった。

 

「じゃあ、今日はそこに行ってみようか」

 

 N-13が顔を上げる。

 

「……また研究施設?」

 

「物流施設らしいよ」

 

「……危なくない?」

 

「昨日の連中の関係者がいるなら、危ないかもね」

 

 零司は平然と答えた。

 

 N-13は、しばらく少年を見つめていた。

 

 そして。

 

「……わたしも行く」

 

「いいよ」

 

 即答だった。

 

「……十二号も?」

 

 N-12が頷いた。

 

「……記録なら、わたしにも分かることがあるかもしれない」

 

 零司は、少女の左腕を見た。

 

「無理はしないこと」

 

「……分かってる」

 

「なら、決まりだね」

 

 そのとき。

 

「追加情報があります」

 

 九九七一号が口を開いた。

 

「絶対能力進化計画の次回実験についてです」

 

 零司が顔を向ける。

 

「次?」

 

「はい」

 

 九九七一号は静かに頷いた。

 

「本日二十一時、ミサカ九九七二号を対象とする実験が予定されています」

 

 部屋の空気が変わった。

 

 N-13が、缶を握る少女を見つめる。

 

「……また?」

 

「はい」

 

「……また、殺されるの?」

 

「予定どおりであれば」

 

 九九七一号は、淡々と答えた。

 

「ミサカ九九七二号は、本日死亡します」

 

 N-12の拳が握られる。

 

 昨日、ようやく一人を助けた。

 

 だが、研究者たちは何事もなかったように次の実験を準備している。

 

 零司は時計を見た。

 

 午前九時二十三分。

 

「……そっか」

 

 少年は、パンの最後の一口を食べた。

 

「じゃあ、先に物流施設を調べよう」

 

 N-13が顔を上げる。

 

「……助けるんだよね?」

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「本人が生きたいって言うならね」

 

     ◇

 

 午後二時四十一分。

 

 第七学区、某研究資料保管施設。

 

「……おかしい」

 

 御坂美琴は、携帯端末の画面を睨んでいた。

 

 そこには、かつて自分が関わった研究の記録が表示されている。

 

《量産型能力者研究》

 

《研究状態:凍結》

 

《関連資料:移管済》

 

 量産型能力者。

 

 幼い頃、難病の治療研究に役立つと言われて提供したDNA情報。

 

 それを用いた研究は、すでに凍結されたはずだった。

 

 少なくとも、美琴はそう認識している。

 

 だが。

 

「……終わった研究の資料を、どうして今も運んでるのよ」

 

 画面を切り替える。

 

 閲覧可能な物流台帳には、研究名の記載こそないものの、関連する管理番号が残されていた。

 

 搬送記録。

 

 保管先変更。

 

 機材の再配分。

 

 それらが、研究凍結後も繰り返されている。

 

「……これ」

 

 美琴は、指を止めた。

 

《搬送先》

 

《北部共同物流管理区画》

 

《研究資材・機密保管物》

 

 同じ場所が、何度も登場している。

 

 しかも、搬送先の研究機関名は一部が非公開になっていた。

 

「……怪しいわね」

 

 美琴は端末を閉じた。

 

 研究が本当に終わっているのなら、何も問題はない。

 

 だが、そうでないなら。

 

「……確かめるしかないわね」

 

 少女は立ち上がった。

 

 学園都市第三位。

 

 超電磁砲。

 

 御坂美琴。

 

 自分が提供したDNAが、どのように使われているのか。

 

 それを知らないままでいるつもりはなかった。

 

     ◇

 

 午後四時五十八分。

 

 第七学区、北部共同物流管理区画。

 

「……広い」

 

 N-13が、目の前の施設を見上げた。

 

 複数の巨大な倉庫。

 

 整備された貨物道路。

 

 地下へ続く搬送用昇降機。

 

 敷地内には、何台もの配送車両が並んでいる。

 

「普通の物流センターにも見えるね」

 

 零司が言った。

 

 N-12は、建物の表示を確認している。

 

「……第四搬入口は、あっち」

 

 少女が指差した。

 

 施設の北側。

 

 一般の配送車とは別の経路に、警備用のゲートが設けられている。

 

「……監視カメラ、多いね」

 

 N-13が呟く。

 

「そうだね」

 

 零司は、周囲を一度見渡した。

 

 屋上。

 

 監視塔。

 

 搬入口。

 

 そして、ゲートの近くで警備員と話している作業員。

 

 現時点で、明確な敵対行動はない。

 

「……まずは、中を調べようか」

 

 そのとき。

 

「――ちょっと、そこのあんた!」

 

 背後から、鋭い声が響いた。

 

 零司たちが振り返る。

 

 そこには、茶色い髪の少女が立っていた。

 

 常盤台中学の制服。

 

 強い意志を感じさせる瞳。

 

 御坂美琴。

 

 だが。

 

 その表情は、驚愕に染まっていた。

 

「……何で」

 

 美琴は、零司たちの中にいる一人を見つめている。

 

 ミサカ九九七一号。

 

 自分と同じ顔。

 

 自分と同じ声。

 

 しかし、見覚えのない服装とゴーグル。

 

「……何で、私と同じ顔の子がいるのよ」

 

     ◇

 

 零司は、美琴と九九七一号を見比べた。

 

「……本当にそっくりだね」

 

 美琴が睨む。

 

「そんな感想は聞いてない!」

 

「まだ何も質問されてないけど」

 

「……っ!」

 

 美琴は一度口を閉じた。

 

 そして、九九七一号へ向き直る。

 

「……あなた、誰?」

 

「ミサカ九九七一号です」

 

「……九九七一号?」

 

「はい」

 

 少女は淡々と答える。

 

「ミサカは、御坂美琴のDNA情報を基に製造された量産型能力者です」

 

 美琴の顔から、血の気が引いた。

 

「…………は?」

 

「御坂美琴の遺伝子情報を利用して製造されたクローン個体です」

 

「……クローン?」

 

「はい」

 

 美琴は、少女を凝視した。

 

 自分と同じ顔。

 

 似た声。

 

 そして、量産型能力者という言葉。

 

 幼い頃に提供したDNA。

 

 凍結されたはずの研究。

 

 それらが、頭の中で繋がり始める。

 

「……嘘よ」

 

 美琴が呟いた。

 

「そんな研究、とっくに終わってるはず……」

 

「研究そのものが完全に終了したわけではありません」

 

 九九七一号が答える。

 

「ミサカたちは、現在も実験に使用されています」

 

「……現在も?」

 

 美琴の声が震えた。

 

「……実験って、何の?」

 

 九九七一号は、少しだけ間を置いた。

 

「絶対能力進化計画です」

 

 その言葉に、零司が口を挟む。

 

「第一位の一方通行を、レベル6――絶対能力者にする計画なんでしょ?」

 

「はい」

 

 九九七一号が頷いた。

 

「一方通行との戦闘実験に、ミサカたちが使用されています」

 

 美琴が、目を見開いた。

 

「……戦闘実験?」

 

「はい」

 

「……まさか」

 

 その声が、低くなる。

 

「……負けたら、どうなるの?」

 

 九九七一号は、静かに答えた。

 

「ミサカが死亡することを前提としています」

 

 沈黙。

 

 美琴の身体から、青白い火花が散った。

 

 パチッ。

 

「…………!」

 

 少女は、震える拳を握りしめた。

 

 目の前にいるのは、自分と同じ顔をした少女。

 

 その少女が、何の感情も見せずに自分の死を説明している。

 

「……そんなの」

 

 美琴は、唇を噛んだ。

 

「……そんなの、おかしいじゃない!」

 

 九九七一号が、僅かに首を傾げた。

 

「……おかしい、とは?」

 

「人間を作って、殺すために使ってるんでしょ!?」

 

「はい」

 

「……はい、じゃないわよ!」

 

 美琴の声が大きくなる。

 

 零司は、二人を見つめていた。

 

 その表情は、普段と変わらない。

 

 それが、美琴には理解できなかった。

 

「……あんた」

 

 美琴が、零司を睨んだ。

 

「……何で、そんなに落ち着いてるのよ」

 

「何が?」

 

「この子の話、聞いたでしょ!?」

 

「聞いたよ」

 

「だったら!」

 

 美琴の拳が、震えた。

 

「……何とも思わないの?」

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「少なくとも、まともな研究じゃないね」

 

 静かに答えた。

 

 美琴が、目を瞬かせる。

 

「……だったら」

 

「だから、昨日一人助けた」

 

 零司は、九九七一号を見た。

 

「この子」

 

 美琴の視線が動く。

 

「……昨日?」

 

「そう。本当なら昨日死んでたんだって」

 

「…………!」

 

 九九七一号が頷く。

 

「ミサカ九九七一号の戦闘実験は、久遠零司の介入により無効となりました」

 

 美琴は、しばらく二人を見つめていた。

 

 そして。

 

「……あんたが、助けたの?」

 

「本人が死にたくないって言ったからね」

 

 零司は肩をすくめた。

 

「帰ることにしたんだ」

 

 美琴は、言葉を失った。

 

 だが。

 

 その沈黙は、長く続かなかった。

 

「……それで、他の子たちは?」

 

 九九七一号が答える。

 

「現在も実験が継続されています」

 

「……何人いるの?」

 

「計画上、二万体の量産個体が使用される予定です」

 

 その数字に。

 

 美琴は、息を呑んだ。

 

「……二万?」

 

「はい」

 

 少女は頷いた。

 

「すべての個体が同時に生存しているわけではありませんが、計画全体では二万体が対象となっています」

 

「…………」

 

 美琴は、顔を伏せた。

 

 自分のDNA。

 

 自分と同じ顔。

 

 そして、殺されるために用意された少女たち。

 

「……ふざけないで」

 

 小さな声。

 

「……そんなの、絶対に認めない」

 

 青白い火花が、再び散った。

 

 零司は、その様子を見ていた。

 

 そして。

 

「……君、結構熱いね」

 

 美琴が顔を上げる。

 

「……何よ!」

 

「いや、第三位ってもっと冷静な人かと思ってた」

 

「……あんた!」

 

 その瞬間。

 

 美琴の指先から、短い電撃が走った。

 

 本人も、感情に引きずられた放電だった。

 

 しかし。

 

 電撃は、零司へ届かなかった。

 

 その直前。

 

 青白い光が、複数の方向へ枝分かれする。

 

 周囲の空気中で放電経路が変わり、電流は少年の左右へ流れていった。

 

 零司は、動いていない。

 

 手を上げることも。

 

 指を動かすことも。

 

 視線を向けることすらなかった。

 

「……っ!?」

 

 美琴の表情が変わった。

 

「……何、今の」

 

「電気」

 

「それは分かってるわよ!」

 

 美琴は、少年を睨んだ。

 

「……あんた、能力者?」

 

「そうだよ」

 

「レベルは?」

 

「ゼロ」

 

「……は?」

 

「公式にはレベル0」

 

 美琴のこめかみに青筋が浮かぶ。

 

「……ふざけてる?」

 

「本当なんだけどなぁ」

 

 零司は笑った。

 

 美琴は、目を細めた。

 

 今の放電。

 

 たとえ威力は低くても、普通のレベル0があのように処理できるはずがない。

 

 しかも。

 

 能力発動のための動作が、確認できなかった。

 

「……あんた、何者なのよ」

 

 美琴が呟いた。

 

 そのとき。

 

 零司の表情が、僅かに変わった。

 

「……その話は、後にしようか」

 

「……何?」

 

 零司は、建物の上を見ていた。

 

 屋上の端。

 

 先ほどまで誰もいなかった場所。

 

 そこに、黒い戦闘服の男が姿を見せていた。

 

 手には、狙撃銃。

 

 その銃口は、零司ではなくN-12へ向けられている。

 

「……また、あの子を狙うんだ」

 

 零司が、静かに呟いた。

 

 次の瞬間。

 

 狙撃銃の銃身が、内側から大きく歪んだ。

 

     ◇

 

 午後五時六分。

 

 第三搬入口。

 

「……なっ!?」

 

 屋上の狙撃手が、目を見開いた。

 

 銃身が、不自然な方向へ曲がっている。

 

 引き金を引く前だった。

 

 それなのに。

 

 銃は、すでに使用不能になっていた。

 

「……くそっ!」

 

 男が、通信装置へ手を伸ばす。

 

『対象ZEROに発見された!』

 

『了解。正面班、作戦開始』

 

 その直後。

 

 搬入口のシャッターが、一斉に開いた。

 

 ガラガラガラッ!

 

 内部から、武装した男たちが飛び出してくる。

 

 その数、十人以上。

 

 美琴が、目を見開いた。

 

「……何よ、あいつら!」

 

「たぶん、僕たちのお迎え」

 

 零司が答えた。

 

「……お迎え!?」

 

「昨日も来たんだよね」

 

「……昨日も!?」

 

 美琴が叫ぶ。

 

 その瞬間。

 

 銃声が響いた。

 

 パパパパッ!

 

 複数の銃弾が、地面を抉る。

 

 だが。

 

 零司へ向けられた弾丸の軌道が、突然変化した。

 

 少年の身体を避けるように左右へ流れ、背後の空きコンテナへ突き刺さる。

 

 同時に。

 

 先頭の警備員が、奇妙な声を上げた。

 

「……何だ!?」

 

 手にしていた銃が、異常な熱を持ち始めたのだ。

 

 発砲で生じる熱。

 

 銃身内部の応力。

 

 その伝わり方が変更され、金属が急激に変形する。

 

 ガギンッ!

 

 銃身が潰れた。

 

 男が、慌てて銃を捨てる。

 

「……くそっ!」

 

 別の警備員が、銃口を向けた。

 

 しかし。

 

 今度は発砲できなかった。

 

 引き金は動く。

 

 内部の機構も正常に作動している。

 

 それなのに、弾丸が発射されない。

 

 発射時の圧力が、弾丸へ十分に伝わらなくなっていた。

 

「……何で撃てない!?」

 

 男が、銃を確認する。

 

 その隙に。

 

「――どきなさい!」

 

 美琴が動いた。

 

 青白い電撃が、警備員たちの足元を走る。

 

 バチィッ!

 

 電子照準装置が火花を散った。

 

「……っ!?」

 

「機器が!」

 

 さらに。

 

 地面から、黒い砂鉄が舞い上がった。

 

 磁力によって集められた粒子。

 

 それが、細い帯となって伸びる。

 

 ガギギギッ!

 

 警備員たちの銃へ絡みつき、銃口を引き下げた。

 

「……くそっ!」

 

 一人が転倒する。

 

 別の男が、銃を手放す。

 

 その隙に、美琴が間合いを詰めた。

 

 バチンッ!

 

 短い放電。

 

 先頭の男が、意識を失って倒れた。

 

 続いて、砂鉄の帯が別の警備員へ伸びる。

 

 腕。

 

 足首。

 

 銃器。

 

 それらをまとめて絡め取り、動きを封じる。

 

「……なっ!?」

 

 男が、驚愕の表情で少女を見る。

 

 美琴は、歯を見せて笑った。

 

「……相手が悪かったわね!」

 

 その瞬間。

 

 背後の搬入口から、無人警備車両が飛び出した。

 

 低い車体。

 

 六つの車輪。

 

 上部には、複数の発射管。

 

「……まだいるの!?」

 

 美琴が振り返る。

 

 次の瞬間。

 

 パシュッ!

 

 非金属製の硬質弾が、連続して放たれた。

 

 美琴の目が細くなる。

 

「……なるほど」

 

 その口元が、僅かに上がった。

 

「電撃対策ってわけね!」

 

 周囲の砂鉄が、一斉に集まった。

 

 黒い帯が、盾のように広がる。

 

 ガガガガッ!

 

 硬質弾が、砂鉄へ突き刺さる。

 

 しかし、貫通しない。

 

 そのまま、内部へ飲み込まれていく。

 

 美琴は、右足を踏み込んだ。

 

「……だったら!」

 

 砂鉄の帯が、地面を這う。

 

 無人警備車両の車輪へ絡みついた。

 

 ガギンッ!

 

 車輪の回転が止まる。

 

 車体が大きく傾いた。

 

 そのまま。

 

 ドォンッ!

 

 横転した。

 

「……よし!」

 

 美琴が、満足そうに息を吐く。

 

 零司は、その様子を眺めていた。

 

「……さすが第三位」

 

 美琴が振り返る。

 

「……あんた、見てるだけ!?」

 

「ちゃんと手伝ってるよ」

 

「……どこが!」

 

 零司は、倒れた警備員たちへ視線を向けた。

 

 その周囲。

 

 複数の銃器が、床へ押しつけられたまま動かなくなっている。

 

 さらに、別の警備員たちは足元の摩擦が変化し、まともに立てなくなっていた。

 

「……ほら」

 

 美琴が、目を瞬かせる。

 

「……あ」

 

「君が倒してない人は、こっちで止めてる」

 

 零司は、平然と答えた。

 

 その言葉に。

 

 美琴は、しばらく少年を見つめた。

 

 そして。

 

「……本当に、何なのよ」

 

 小さく呟いた。

 

     ◇

 

 午後五時九分。

 

 第三搬入口、側面通路。

 

「……こっち!」

 

 N-12が、N-13と九九七一号を先導していた。

 

 零司と美琴が正面の警備員を引きつけている間に、別の入口へ向かっていたのだ。

 

 N-12の手には、黒い通信端末。

 

 昨夜の襲撃部隊から回収したものだった。

 

「……その機械で開くの?」

 

 N-13が尋ねる。

 

「……分からない」

 

 N-12は、端末の管理番号を確認した。

 

「……でも、同じ管理区画の装備なら、認証できるかもしれない」

 

 三人は、古い作業扉の前へ到着した。

 

 その脇には、小さな認証装置。

 

 N-12が、端末を近づける。

 

 ピッ。

 

《認証確認》

 

 カチリ。

 

 扉の鍵が外れた。

 

「……開いた」

 

 N-13が、目を瞬かせる。

 

 N-12は、小さく笑った。

 

「……よかった」

 

 しかし。

 

 扉を開いた瞬間。

 

 天井の監視カメラが動いた。

 

《未承認入室検出》

 

「……っ!」

 

 N-13が、顔を上げる。

 

 次の瞬間。

 

 監視映像に映る三人の位置が、不自然に乱れ始めた。

 

 N-13の観測干渉。

 

 人間の注意や、観測情報の一致を乱す能力。

 

 その影響で、監視側は三人の位置を正確に把握できなくなる。

 

 しかし、完全な透明化ではない。

 

「……長くは持たない」

 

 N-13が呟いた。

 

 九九七一号が頷く。

 

「ミサカが、通信回路への干渉を試みます」

 

 指先から、微弱な電流が流れた。

 

 監視カメラの通信に、雑音が走る。

 

 映像が、一瞬だけ乱れた。

 

「……今!」

 

 三人は、扉の内側へ飛び込んだ。

 

     ◇

 

 午後五時十三分。

 

 第三搬入口、内部管理室。

 

「……侵入された?」

 

 黒いスーツの男が、眉をひそめた。

 

 物流管理区画の保安責任者。

 

 黒岩。

 

 その前には、複数の監視モニターが並んでいる。

 

 零司。

 

 美琴。

 

 そして、別経路から侵入した三人の少女。

 

 警備員たちは、次々と制圧されていた。

 

 だが、黒岩の表情に焦りはない。

 

「……予定どおりだ」

 

 隣の警備員が、顔を上げる。

 

「……予定どおり、ですか?」

 

「ああ」

 

 黒岩は、端末を操作した。

 

《搬送記録》

 

《対象個体:第九九七二号》

 

《搬出時刻:十一時四十分》

 

《搬送完了》

 

「目的は、連中をここへ引きつけることだ」

 

 警備員の表情が変わった。

 

「……囮ですか」

 

「そうだ」

 

 黒岩は、画面を見つめた。

 

 久遠零司。

 

 御坂美琴。

 

 正面から戦って勝てる相手ではない。

 

 ならば、勝つ必要などない。

 

 時間を稼げばいい。

 

「本来の搬送は、すでに終わっている」

 

 男は、静かに続けた。

 

「第九九七二号は別の施設へ移された」

 

 そして。

 

「……ここには、処分して構わない資料しか残していない」

 

 警備員が、息を呑んだ。

 

「……まさか」

 

 黒岩が笑った。

 

「記録を消す」

 

 端末へ、新しい命令を入力する。

 

《管理区画:封鎖》

 

《記録媒体:破棄準備》

 

《防災設備:強制作動》

 

 警告灯が、赤く点灯した。

 

     ◇

 

 午後五時十九分。

 

 第三倉庫、内部通路。

 

「……何?」

 

 N-13が、天井を見上げた。

 

 照明が、一斉に赤く変わる。

 

《警告》

 

《管理区画封鎖》

 

《関係者は退避してください》

 

 N-12が、顔を上げる。

 

「……まずい」

 

「……何が?」

 

「……ここ、閉じ込めるつもりかも」

 

 その瞬間。

 

 背後の防火シャッターが動き始めた。

 

 ガラガラガラッ!

 

「……っ!」

 

 N-13が振り返る。

 

 出口が、閉じていく。

 

「……急いで!」

 

 三人が走り出す。

 

 しかし。

 

 シャッターの下を潜るには、距離が足りない。

 

 N-12が、咄嗟に壁際の操作盤へ手を伸ばした。

 

《非常停止》

 

 赤いボタン。

 

 押す。

 

 だが、シャッターは止まらなかった。

 

「……っ!」

 

 もう一度押す。

 

 変化はない。

 

 九九七一号が、装置へ視線を向けた。

 

「電子制御が無効化されています」

 

「……じゃあ、どうするの!?」

 

 N-13が叫ぶ。

 

 その直後。

 

 天井の設備から、白い霧が噴き出し始めた。

 

「……っ!」

 

 N-12が、袖で口元を覆う。

 

 九九七一号が、周囲を確認する。

 

「不活性ガス消火設備が作動した可能性があります」

 

「……消火?」

 

「はい。ただし、酸素濃度の低下が発生する可能性があります」

 

 N-13の顔色が変わった。

 

 火災が起きていない場所で、消火設備だけが作動している。

 

 しかも、区画は封鎖されていた。

 

「……逃がす気、ないんだ」

 

 N-12が呟く。

 

 そのとき。

 

 倉庫の外壁から、巨大な金属音が響いた。

 

     ◇

 

 ガギギギッ!

 

 シャッターが、中央から大きく歪み始めた。

 

 次の瞬間。

 

 固定具が、音を立てて外れる。

 

 巨大な金属板が、外側へ折れ曲がった。

 

 ガシャンッ!

 

 外気が、勢いよく流れ込んでくる。

 

「……っ!」

 

 N-13が、顔を上げた。

 

 そこには、久遠零司が立っていた。

 

「……遅くなったね」

 

「……零司!」

 

 N-13が、駆け寄る。

 

 少年は、室内を見渡した。

 

 白い霧。

 

 閉鎖された換気口。

 

 そして、赤く点灯する警告灯。

 

「……なるほど」

 

 零司が、小さく呟く。

 

 その直後。

 

 室内の空気の流れが、急激に変化した。

 

 天井付近へ集まっていたガスが、外部へ排出されていく。

 

 同時に、閉じていた換気口が、内部から押し開かれた。

 

 数秒後。

 

 N-12が、大きく息を吐いた。

 

「……助かった」

 

「どういたしまして」

 

 零司は、軽く答えた。

 

 そのとき。

 

「――久遠!」

 

 背後から、美琴の声が響いた。

 

「……まだ中に人がいる!」

 

 零司が振り返る。

 

 美琴が、管理端末を指差していた。

 

《作業員所在確認》

 

《第四保管室:三名》

 

《隔離状態》

 

 零司は、画面を見た。

 

「……三人?」

 

「そうよ!」

 

 美琴が叫ぶ。

 

「記録を消すついでに、作業員まで閉じ込めてる!」

 

 零司は、少しだけ眉をひそめた。

 

「……随分、雑なやり方だね」

 

「感想は後!」

 

 美琴が、端末へ手を当てた。

 

 電子回路へ干渉する。

 

 しかし。

 

《非常解錠:拒否》

 

「……っ!」

 

 美琴が、歯を食いしばった。

 

 さらに調べる。

 

 通常の電子制御とは別に、機械式の固定具が作動している。

 

「……なるほど」

 

 少女の目が細くなった。

 

「だったら、動力を止める!」

 

 配電盤へ電流を流す。

 

 内部の回路が、次々と切り替わる。

 

 ガコンッ!

 

 シャッターの駆動音が途切れた。

 

 美琴が振り返る。

 

「……久遠!」

 

「何?」

 

「動力は止めた! あとは開けて!」

 

「了解」

 

 零司は、シャッターを一度見た。

 

 次の瞬間。

 

 金属製の固定具が、内側から音を立てて変形した。

 

 ガギンッ!

 

 シャッターが、ゆっくりと左右へ開いていく。

 

 巨大な扉を、両側から引き離したかのようだった。

 

 美琴が、目を瞬かせる。

 

「……ほんっと、反則ね」

 

 零司は笑った。

 

「褒め言葉?」

 

「違うわよ!」

 

 そのまま、美琴が走り出す。

 

 N-12たちも後を追った。

 

     ◇

 

 午後五時二十七分。

 

 第四保管室。

 

「……いた!」

 

 美琴が、部屋の奥へ駆け込んだ。

 

 そこには、三人の作業員が倒れていた。

 

 全員、意識はある。

 

 しかし、呼吸が荒い。

 

「……大丈夫!?」

 

 美琴が駆け寄る。

 

 一人の男が、苦しげに顔を上げた。

 

「……た、助けてくれ……!」

 

「分かってる!」

 

 美琴は、男の腕を肩へ回した。

 

 そのとき。

 

 背後で、金属音が響いた。

 

 カチリ。

 

 振り返る。

 

 部屋の奥。

 

 そこに、黒い戦闘服の男が立っていた。

 

 銃口は、作業員の頭へ向けられている。

 

「……動くな」

 

 低い声。

 

 美琴の表情が険しくなる。

 

「……あんた」

 

「そこから離れろ」

 

 男が告げる。

 

「さもなければ、この男を撃つ」

 

 美琴の身体から、青白い火花が散った。

 

「……そんなこと」

 

「動くなと言った」

 

 男の指が、引き金へ掛かる。

 

 その瞬間。

 

 美琴の目が細くなった。

 

「……遅いわよ」

 

 パチンッ!

 

 小さな放電音。

 

 銃に取り付けられた照準装置が、火花を散らした。

 

 男が目を見開く。

 

 しかし、引き金から指は離れない。

 

「……っ!」

 

 美琴は、同時に床の砂鉄を動かしていた。

 

 黒い粒子が、男の腕へ絡みつく。

 

 ガギンッ!

 

 銃口が、強引に天井へ向けられた。

 

 直後。

 

 銃声が響いた。

 

 パァンッ!

 

 弾丸は天井へ突き刺さる。

 

 美琴は、そのまま距離を詰めた。

 

 バチンッ!

 

 短い放電。

 

 男が、床へ崩れ落ちた。

 

「……ふう」

 

 美琴が、息を吐く。

 

 その背後から、声がした。

 

「……やるね」

 

 零司だった。

 

 美琴が振り返る。

 

「……見てたなら手伝いなさいよ!」

 

「君なら大丈夫そうだったから」

 

「……ほんっと、適当ね!」

 

 零司は、倒れた男を見た。

 

 呼吸はある。

 

 意識は失っているが、命に別状はなさそうだった。

 

「……殺さずに済ませたんだ」

 

 その言葉に、美琴が眉をひそめる。

 

「……当たり前でしょ」

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「そう?」

 

「殺す必要なんてないじゃない!」

 

 美琴が、はっきりと告げた。

 

 零司は、数秒ほど少女を見つめていた。

 

 そして。

 

「……そうだね」

 

 小さく頷いた。

 

「必要がなければ、ね」

 

 その言葉に。

 

 美琴の表情が、僅かに変わった。

 

     ◇

 

 午後五時三十四分。

 

 第三搬入口、管理通路。

 

「……あれ?」

 

 N-12が、端末を見つめていた。

 

 管理室から回収した搬送記録。

 

 そこには、研究施設の管理番号と、貨物の移送先が残されている。

 

「……この記録」

 

 N-13が顔を向ける。

 

「……何?」

 

 N-12が、画面を指差した。

 

《対象個体:第九九七二号》

 

《搬送予定:八月十一日》

 

《搬出時刻:十一時四十分》

 

《搬送完了》

 

 N-13の表情が変わった。

 

「……もう、いない?」

 

「……うん」

 

 N-12は頷いた。

 

「……ここには、もういない」

 

 そのとき。

 

 零司が、後ろから声を掛けた。

 

「……どうしたの?」

 

「……九九七二号」

 

 N-12が答える。

 

「……もう、別の場所へ移されたみたい」

 

 零司は、画面を見た。

 

「……なるほど」

 

 その瞬間。

 

 通路の奥から、男の声が響いた。

 

「……ようやく気づきましたか」

 

 黒いスーツ。

 

 銀色の腕時計。

 

 そして、冷たい表情。

 

 保安責任者、黒岩。

 

 零司が顔を向けた。

 

「……君が責任者?」

 

「この施設の保安管理を担当しています」

 

「そっか」

 

 零司は、あっさりと頷いた。

 

「じゃあ、聞きたいことがあるんだけど」

 

 黒岩が、薄く笑う。

 

「……何でしょう」

 

「九九七二号、どこに運んだの?」

 

 黒岩は、答えなかった。

 

 代わりに、携帯端末を取り出す。

 

「……教えると思いますか?」

 

「思わないね」

 

 零司は、笑った。

 

 その瞬間。

 

 黒岩の右手から、携帯端末が滑り落ちた。

 

「……っ!?」

 

 男が、驚愕の表情を浮かべる。

 

 違う。

 

 滑り落ちたのではない。

 

 端末を握る指へ掛かる力が、突然変化したのだ。

 

 さらに。

 

 足元の床が、不自然に軋んだ。

 

 男の身体が、壁際へ押しつけられる。

 

「……ぐっ!?」

 

 四肢が動かない。

 

 呼吸はできる。

 

 だが、それ以外の自由は失われていた。

 

 零司は、ゆっくりと歩み寄った。

 

「……ねえ」

 

 その灰紫色の瞳が、男を見据える。

 

「昨日、僕のところにいた子たちを殺そうとしたのも、君の仲間?」

 

 黒岩は、歯を食いしばった。

 

「……何の話だ」

 

「知らない?」

 

「……知らん!」

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

「……そう」

 

 その瞬間。

 

 黒岩の右腕へ、異常な負荷が掛かった。

 

 ガキッ!

 

「――がああっ!?」

 

 悲鳴が響く。

 

 黒岩の顔が、苦痛に歪んだ。

 

 零司は、表情を変えなかった。

 

「……じゃあ、もう一回聞くね」

 

 静かな声。

 

「九九七二号、どこ?」

 

「……し、知らん!」

 

「本当?」

 

「……本当だ!」

 

 黒岩は、荒い息を吐いた。

 

「……俺が管理しているのは、この物流施設だけだ!」

 

 零司の目が細くなる。

 

「……なるほど」

 

 そして。

 

「じゃあ、君に聞いても意味ないか」

 

 黒岩の表情が変わった。

 

「……何?」

 

 零司は、少しだけ首を傾げた。

 

「君、もう必要ないね」

 

 その瞬間。

 

「――待ちなさい!」

 

 美琴の声が響いた。

 

     ◇

 

「……何やってんのよ!」

 

 御坂美琴が、通路へ駆け込んできた。

 

 その視線が、黒岩へ向けられる。

 

 壁へ押しつけられた男。

 

 不自然に曲がった右腕。

 

 そして、その前に立つ零司。

 

「……尋問?」

 

 零司が答えた。

 

 美琴の表情が険しくなる。

 

「……尋問って」

 

 少女は、拳を握りしめた。

 

「……あんた、殺すつもり?」

 

「場合によるね」

 

 零司は、あっさりと答えた。

 

 その言葉に。

 

 美琴の身体から、青白い火花が散った。

 

「……ふざけないで!」

 

 零司は、少女を見た。

 

「何で?」

 

「何でって……!」

 

 美琴は、言葉を詰まらせた。

 

 目の前の少年は、まったく動揺していない。

 

 人間の腕を折ったことも。

 

 そのまま殺すかもしれないことも。

 

 何でもないことのように話している。

 

「……人を殺していいわけないでしょ!」

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「……昨日も似たようなこと言われたなぁ」

 

 小さく呟いた。

 

 N-13が、顔を上げる。

 

「……零司」

 

 少年が振り返る。

 

「何?」

 

「……もう、いいと思う」

 

 N-13は、黒岩を見つめていた。

 

「……その人、もう動けない」

 

 零司は、少女を見た。

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「……そっか」

 

 あっさりと答えた。

 

 次の瞬間。

 

 黒岩の身体が、床へ落ちた。

 

「……ぐっ!」

 

 男は、右腕を押さえてうずくまった。

 

 美琴が、ほっと息を吐いた。

 

 しかし。

 

 零司は、静かに告げた。

 

「……じゃあ、御坂さん」

 

「……何よ」

 

「この人、任せるね」

 

「……え?」

 

「僕が続けると、殺すかもしれないから」

 

 零司は、肩をすくめた。

 

「君が責任持って見張っててよ」

 

 美琴は、少年を睨んだ。

 

「……言われなくても!」

 

 そして、倒れた黒岩へ視線を向ける。

 

「……あんた」

 

 その声が、低くなる。

 

「さっきの子たちを、どこへ運んだの?」

 

 黒岩は、苦しげに顔を上げた。

 

 そして。

 

 薄く笑った。

 

「……もう、遅い」

 

 美琴の表情が変わった。

 

「……何?」

 

「……お前たちが、ここで遊んでいる間に」

 

 黒岩は、ゆっくりと続けた。

 

「……本当の搬送は、すべて終わっている」

 

 その言葉に。

 

 零司の目が、僅かに細くなった。

 

     ◇

 

 午後五時四十二分。

 

 第三搬入口、管理通路。

 

 突然、警告音が鳴り響いた。

 

《緊急通知》

 

《絶対能力進化計画》

 

《次回実験予定変更》

 

《第九九七二次実験》

 

《開始時刻:十八時》

 

 九九七一号が顔を上げた。

 

「……っ!」

 

 N-13が尋ねる。

 

「……どうしたの?」

 

 九九七一号は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……実験予定が変更されました」

 

 その声に、僅かな緊張が混じる。

 

「ミサカ九九七二号の実験開始時刻が、繰り上げられています」

 

 N-12が、目を見開いた。

 

「……何時に?」

 

「十八時です」

 

 沈黙。

 

 零司が、時計を見た。

 

 午後五時四十二分。

 

 残り十八分。

 

「……なるほど」

 

 少年は、少しだけ眉を上げた。

 

 黒岩が、低く笑った。

 

「……残念だったな」

 

 そして。

 

「……第零位でも、すべてを救えるわけではない」

 

 零司は、男を見た。

 

 その表情から、笑みが消えていた。

 

「……場所は?」

 

 静かな声。

 

 黒岩は答えなかった。

 

「……教えても、間に合わない」

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「……そう」

 

 短く呟く。

 

 その瞬間。

 

 黒岩の身体が、僅かに浮き上がった。

 

「……ぐっ!?」

 

 零司が、ゆっくりと歩み寄る。

 

 しかし。

 

「――待って!」

 

 美琴が声を上げた。

 

 零司が振り返る。

 

「……何?」

 

「……私が、調べる!」

 

 美琴は、管理端末へ駆け寄った。

 

 その指先から、青白い電流が流れる。

 

 画面が切り替わる。

 

《搬送記録》

 

《第九九七二号》

 

《搬送経路:変更》

 

《最終搬送先:非公開》

 

「……っ!」

 

 美琴が、歯を食いしばった。

 

 しかし、諦めなかった。

 

 別の記録を開く。

 

 貨物の管理番号。

 

 使用された搬送車両の識別情報。

 

 そして、経由地点の通過記録。

 

「……これ!」

 

 美琴が、画面を指差した。

 

《搬送車両識別》

 

《最終通過記録》

 

《第十学区・旧変電区画》

 

 N-13が、息を呑んだ。

 

「……第十学区?」

 

 美琴は、即座に地図を開いた。

 

「……ここよ!」

 

 零司が、画面を見る。

 

 第十学区。

 

 旧変電区画。

 

 現在はほとんど使用されていない施設が並んでいる。

 

「……なるほど」

 

 零司は、小さく笑った。

 

 そして、黒岩へ視線を向ける。

 

「……君、運がよかったね」

 

 黒岩の表情が変わった。

 

「……何?」

 

「御坂さんが、ちゃんと調べてくれたから」

 

 その言葉に、美琴が顔を上げた。

 

「……あんた!」

 

「何?」

 

「……そんなことより、早く行くわよ!」

 

 零司は頷いた。

 

「そうだね」

 

 そして。

 

 N-13たちへ顔を向ける。

 

「……君たちは、ここから離れて」

 

 N-13が目を見開く。

 

「……え?」

 

「次に狙われる可能性があるからね」

 

 N-12が口を開いた。

 

「……でも」

 

「大丈夫」

 

 零司は、軽く笑った。

 

「今回は、二人で行くから」

 

 その視線が、美琴へ向けられる。

 

 美琴は、強く頷いた。

 

「……当然よ!」

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「……じゃあ、急ごうか」

 

 美琴が端末を閉じる。

 

「……残り十八分」

 

 その声には、迷いがなかった。

 

「絶対に、間に合わせる!」

 

 零司は、少女を見た。

 

「……いいね」

 

 そして、歩き始める。

 

 学園都市第三位。

 

 御坂美琴。

 

 そして。

 

 非公式の第零位。

 

 久遠零司。

 

 二人が、同じ目的のために動き始めた。

 

     ◇

 

 同時刻。

 

 第十学区、旧変電区画。

 

 一人の少女が、暗い実験室へ連れてこられていた。

 

 茶色い髪。

 

 白いブラウス。

 

 灰色のプリーツスカート。

 

 ミサカ九九七二号。

 

 少女は、周囲を見渡した。

 

「……実験開始時刻の変更を確認しました」

 

 研究員が、端末を操作する。

 

「予定どおりだ。配置につけ」

 

「了解しました」

 

 少女は、静かに頷いた。

 

 そして。

 

 ふと、顔を上げた。

 

 ミサカネットワーク。

 

 そこには、昨日まで存在しなかった情報が共有されている。

 

 甘い飲み物。

 

 研究施設の外。

 

 そして、自分と同じ顔をした別の個体が、まだ生きているという記録。

 

「……質問があります」

 

 研究員が振り返る。

 

「何だ」

 

「……実験終了後、飲料を購入することは可能でしょうか」

 

 男は、眉をひそめた。

 

「……何を言っている」

 

「ミサカ九九七一号の観測記録に、飲料の嗜好に関する情報があります」

 

 少女は、静かに続けた。

 

「ミサカも、その情報を確認したいと考えています」

 

 研究員は、呆れたように息を吐いた。

 

「……そんなことは、どうでもいい」

 

 そして。

 

「お前は、今日の実験で死ぬんだ」

 

 少女は、何も答えなかった。

 

 ただ。

 

 その手が、僅かに握りしめられた。

 

 研究員は、すでに次の作業へ移っていた。

 

 だが。

 

 ミサカ九九七二号は、もう一度だけ呟いた。

 

「……どうでも、いい」

 

 その言葉を、ゆっくりと繰り返す。

 

 そして。

 

「……本当に、そうなのでしょうか」

 

 誰にも聞こえないほど、小さな声だった。

 

 壁面の時計が、静かに時を刻んでいる。

 

 午後五時四十四分。

 

 実験開始まで、あと十六分。

 

 その扉の向こうに、学園都市第一位が現れるまで。

 

 もう、時間は残されていなかった。

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