とある学園都市の第零位《ゼロナンバー》   作:右左右左右

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第31話 殺すための署名

 八月十三日、午前八時十二分。

 

 学園都市第七学区。

 

「……狭い」

 

 N-13の呟きに、久遠零司は朝食のパンを齧りながら頷いた。

 

「そうだね」

 

「……昨日も言った」

 

「昨日より狭くなった?」

 

「……なった」

 

 少女が指差した先。

 

 ソファには、同じ顔をした三人の少女が座っていた。

 

 ミサカ九九七一号。

 

 ミサカ九九七二号。

 

 ミサカ九九七三号。

 

 昨日まで存在すら知らなかった少女が、今では同じ部屋で朝食を取っている。

 

「……居住人数の増加に対して、生活空間が不足していると考えられます」

 

 九九七一号が言った。

 

「同意します」

 

 九九七二号が頷く。

 

「ミサカも同様の評価です」

 

 九九七三号まで続いた。

 

 N-13が零司を見る。

 

「……ほら」

 

「三対一かぁ」

 

「……四対一」

 

 テーブルに座っていたN-12が加わった。

 

 左腕には、まだ包帯が巻かれている。

 

「……引っ越し、決定」

 

「はいはい」

 

 零司は、観念したように答えた。

 

「広いところ探しておくよ」

 

 その言葉に、九九七三号が顔を上げる。

 

「質問があります」

 

「何?」

 

「ミサカも、引っ越し先に同行してよいのでしょうか」

 

「当たり前でしょ」

 

 零司は即答した。

 

「君の分の部屋も考えないとね」

 

「……了解しました」

 

 九九七三号は、静かに頷いた。

 

 その表情に大きな変化はない。

 

 だが、テーブルの下では、膝の上に置いた手が僅かに握りしめられていた。

 

 昨日まで、彼女に明日の予定など存在しなかった。

 

 実験。

 

 死亡。

 

 それで終わり。

 

 それが、与えられていた未来だった。

 

 ところが今は、引っ越し先の話をしている。

 

 まだ見たこともない部屋で、自分が生活することを考えている。

 

 その事実は、少女にとって理解の難しいものだった。

 

「……零司」

 

 N-12が、テーブルに置かれた資料を指差した。

 

「……こっちは?」

 

 零司の表情が変わる。

 

 昨夜、貨物列車から回収した運用資料。

 

 輸送記録。

 

 観測部隊の管理情報。

 

 そして、複数の研究機関の名称。

 

「そっちも調べてる」

 

「……何か分かった?」

 

「実験を動かしてるのは、一つの研究所じゃないってことかな」

 

 零司は、一枚の資料を取り出した。

 

 そこには、複数の管理部門が記されている。

 

《実験計画管理》

 

《研究予算管理》

 

《量産個体管理》

 

《実験運用管理》

 

 それぞれ、異なる研究機関が担当していた。

 

「研究所を一つ壊しても、別のところで続けられる」

 

 零司は言った。

 

「だから、昨日までのやり方じゃ終わらない」

 

 N-13が顔を上げる。

 

「……じゃあ、全部壊す?」

 

「それもできるけど」

 

 零司は資料を一枚めくった。

 

「研究所を全部探すのは面倒だよね」

 

 そして、一つの項目を指差した。

 

《共同研究監理部門》

 

《実施計画照合》

 

 N-12の目が細くなる。

 

「……これ」

 

「知ってる?」

 

「……同じ管理番号、見たことがある」

 

 少女は、包帯の巻かれた腕を庇いながら資料を引き寄せた。

 

「……ECHOの搬送記録にも、似た番号があった」

 

「同じ組織?」

 

「……そこまでは分からない。でも」

 

 N-12は、別の書類を重ねた。

 

 昨夜の輸送伝票。

 

 その下部には、小さな管理番号が印字されている。

 

 さらに、別の書類。

 

 そこにも、似た形式の番号。

 

「……研究所が違うのに、書類の管理形式が同じ」

 

 零司は、二枚を見比べた。

 

「共通の管理システムを使ってるのかな」

 

「……たぶん」

 

 N-12は頷いた。

 

「……少なくとも、どこかで情報をまとめてる」

 

 零司の口元が上がった。

 

「じゃあ、そこへ行こうか」

 

 そのとき。

 

「追加情報があります」

 

 九九七一号が口を開いた。

 

 零司が顔を向ける。

 

「何?」

 

「次回の実験についてです」

 

 少女は、静かに続けた。

 

「ミサカ九九七四号を対象とする実験の実施時刻が、未確定となっています」

 

「……未確定?」

 

「はい」

 

 九九七二号が補足した。

 

「従来の実験予定から変更されています。ただし、計画そのものが中止されたという情報はありません」

 

 N-13が眉をひそめる。

 

「……まだ続けるの?」

 

「はい」

 

 九九七三号が答えた。

 

「ミサカたちの生存によって、実験方式の再検討が行われている可能性があります」

 

 零司は、資料を閉じた。

 

「なるほど。向こうも困ってるみたいだね」

 

 そして立ち上がる。

 

「だったら、もっと困らせようか」

 

     ◇

 

 午前十時三十四分。

 

 第七学区、某喫茶店。

 

「……研究を管理してる組織?」

 

 御坂美琴が、零司を見た。

 

 テーブルには、複数の書類が並んでいる。

 

 貨物列車から回収した輸送記録。

 

 観測設備の管理情報。

 

 そして、研究予算の処理に関する資料。

 

「そう」

 

 零司が頷く。

 

「全部の研究所が、好き勝手に実験してるわけじゃないみたい」

 

 美琴は、書類へ視線を落とした。

 

「……確かに」

 

 少女は、一枚の資料を取り上げた。

 

《共同研究監理棟》

 

《第十八学区》

 

《実施計画照合記録》

 

「……ここが怪しいわね」

 

「でしょ?」

 

「でも、研究全体の本部とは限らないわよ」

 

「分かってる」

 

 零司は、コーヒーを一口飲んだ。

 

「とりあえず、書類を見に行こうと思って」

 

 美琴が顔を上げる。

 

「……どうやって?」

 

「普通に」

 

「……普通?」

 

「入口から入る」

 

「……は?」

 

 美琴は、少年を凝視した。

 

「……あんた、そこが研究関係者の施設だって分かってる?」

 

「うん」

 

「警備がいるに決まってるでしょ!」

 

「そうだろうね」

 

「……それで、正面から入るの!?」

 

 零司は、不思議そうに首を傾げた。

 

「入れない理由、ある?」

 

「……あるに決まってるでしょ!」

 

 美琴は、思わず額を押さえた。

 

 しかし、すぐに顔を上げる。

 

「……待って」

 

 少女は、少し考えた。

 

 正面から侵入する。

 

 普通なら、無謀な行動だ。

 

 だが、相手は久遠零司。

 

 第一位と互角以上の攻防を繰り広げる、規格外の能力者。

 

 通常の警備員が、彼を止められるとは考えにくい。

 

「……あんた」

 

 美琴が、ゆっくりと尋ねた。

 

「わざと目立つつもり?」

 

 零司が笑った。

 

「正解」

 

「……やっぱり」

 

「僕が正面から行けば、警備の人たちは僕を見るでしょ」

 

 そして。

 

「その間に、君が資料を探してくれると助かる」

 

 美琴は、書類を見つめた。

 

 昨夜の輸送車両。

 

 そこで回収した記録。

 

 その中には、共同研究監理棟の管理番号も残されている。

 

 正規の認証権限までは手に入っていない。

 

 しかし、どの設備が何を管理しているのかを調べる手掛かりにはなる。

 

「……分かったわ」

 

 美琴は、資料をまとめた。

 

「ただし、私も好き勝手にやるからね」

 

「いいよ」

 

「それと、研究員を殺さない!」

 

 零司は、少女を見た。

 

「邪魔されなければね」

 

「……また、その言い方!」

 

 美琴は、深く息を吐いた。

 

 そして。

 

「……とにかく、今日は情報を手に入れるのが目的よ」

 

「そうだね」

 

「人を倒すのが目的じゃないんだから」

 

「分かってる」

 

 零司は、椅子から立ち上がった。

 

 その灰紫色の瞳が、僅かに細くなる。

 

「向こうが、そう思ってくれるといいんだけど」

 

     ◇

 

 午後零時四十八分。

 

 第十八学区、共同研究監理棟。

 

 灰色の外壁を持つ、八階建ての建物。

 

 外見は、ごく普通の研究関連施設だった。

 

 受付。

 

 警備員。

 

 入退館管理装置。

 

 そして、各階へ続くエレベーター。

 

 建物の周囲には、目立った武装もない。

 

 だが。

 

 内部では、複数の研究機関が提出した実施計画や管理資料が処理されていた。

 

「……ここか」

 

 零司は、建物を見上げた。

 

 隣にはN-13。

 

 少女は、周囲の監視カメラを確認している。

 

「……結構、多いね」

 

「そうだね」

 

「……わたし、先に行く?」

 

「お願い」

 

 N-13は頷いた。

 

 そして、建物の裏側へ歩き始めた。

 

 観測干渉。

 

 人間の注意や、監視映像の認識に不一致を生じさせる能力。

 

 完全に姿を消せるわけではない。

 

 熱源探知や直接的な接触には弱い。

 

 だが、監視員の注意を逸らすには十分だった。

 

 零司は、その背中を見送った。

 

 そして。

 

 何事もなかったように、正面玄関へ向かった。

 

     ◇

 

「……いらっしゃいませ」

 

 受付の女性が、顔を上げた。

 

「ご用件をお伺いします」

 

「研究の責任者に会いたいんだけど」

 

 零司は、気楽な調子で答えた。

 

「……研究の責任者、ですか?」

 

「うん」

 

「どちらの研究でしょうか」

 

「絶対能力進化計画」

 

 その瞬間。

 

 女性の表情が、僅かに変わった。

 

「…………」

 

 零司は、受付カウンターへ肘をついた。

 

「九九七〇号から九九七三号までの実験について、聞きたいことがあるんだ」

 

 女性は、数秒ほど黙っていた。

 

 そして。

 

「……少々、お待ちください」

 

 静かに答えた。

 

 受付の下にある操作盤へ手を伸ばす。

 

 その瞬間。

 

 零司が言った。

 

「警備を呼んでもいいよ」

 

 女性の指が止まった。

 

「……え?」

 

「その方が、責任者も早く来てくれるでしょ?」

 

 零司は笑った。

 

 女性の顔色が変わる。

 

 そして。

 

 次の瞬間。

 

 館内に、警報が響き渡った。

 

     ◇

 

 午後零時五十一分。

 

 共同研究監理棟、地下管理室。

 

「……侵入者?」

 

 白衣姿の男が、監視モニターを見つめていた。

 

 五十代ほどの年齢。

 

 細い銀縁眼鏡。

 

 整えられた髪。

 

 男の名は榊原。

 

 共同研究監理棟の運用責任者だった。

 

「……身元は?」

 

 警備員が答える。

 

「久遠零司と名乗っています」

 

 榊原の表情が変わった。

 

「……ZEROか」

 

「ご存じですか?」

 

「当然だ」

 

 男は、監視画面を拡大した。

 

 受付に立つ少年。

 

 黒髪に混じる銀色の髪。

 

 灰紫色の瞳。

 

 その姿は、先日送られてきた観測資料と一致している。

 

「……どうして、ここに」

 

 榊原は、別の端末を開いた。

 

《絶対能力進化計画》

 

《計画外介入者:ZERO》

 

《関連能力者:御坂美琴》

 

《危険度:評価継続中》

 

 さらに。

 

《直接交戦:非推奨》

 

 榊原は、深く息を吐いた。

 

「……厄介な客だな」

 

 警備員が尋ねる。

 

「……どう対応しますか?」

 

 榊原は、数秒ほど考えた。

 

 そして。

 

「……警備員を集めろ」

 

「……迎撃しますか?」

 

「違う」

 

 男は、首を横へ振った。

 

「足止めだ」

 

 画面を切り替える。

 

《内部資料保護》

 

《機密記録:移管準備》

 

《保管区画:封鎖》

 

「資料を処理する時間を稼げ」

 

 その声には、焦りがなかった。

 

 久遠零司。

 

 最強格の能力者。

 

 だが、どれだけ強くても、すべての資料を同時に把握できるわけではない。

 

 ならば。

 

「……能力者と戦う必要はない」

 

 榊原は、静かに告げた。

 

「必要な書類だけ消してしまえばいい」

 

     ◇

 

 午後零時五十三分。

 

 共同研究監理棟、一階ロビー。

 

「……お待たせしました」

 

 警備員が、零司へ声を掛けた。

 

 黒い制服。

 

 腰には警棒。

 

 さらに、背後には数人の警備員が控えている。

 

「こちらへお越しください」

 

「責任者に会える?」

 

「確認中です」

 

「そっか」

 

 零司は頷いた。

 

 そのまま、案内されるように歩き始める。

 

 しかし。

 

 廊下の途中。

 

 前方の防火扉が、突然閉じた。

 

 ガコンッ!

 

「……あれ?」

 

 零司が顔を上げる。

 

 同時に、背後の扉も閉じ始めた。

 

 さらに。

 

 天井の監視装置が、一斉に少年へ向けられる。

 

《立入制限区域》

 

《警備対応開始》

 

 警備員の一人が、腰の装備へ手を伸ばした。

 

「……動くな!」

 

 零司は、立ち止まった。

 

「……やっぱり、そうなるんだ」

 

 次の瞬間。

 

 複数の警備員が、一斉に動いた。

 

 警棒。

 

 拘束具。

 

 さらに、後方の隊員は銃を構えている。

 

「……取り押さえろ!」

 

 先頭の男が飛びかかった。

 

 しかし。

 

 その身体が、突然前方へ滑った。

 

「……っ!?」

 

 靴底と床の摩擦が失われたのだ。

 

 踏み込んだ足が止まらない。

 

 男は、そのまま床へ倒れ込んだ。

 

 続いて。

 

 別の警備員が、警棒を振り下ろした。

 

 だが。

 

 その先端が、突然予想外の方向へ逸れた。

 

 振り下ろす動作で生じた運動量。

 

 その一部が、横方向へ伝わった。

 

 結果。

 

 警棒は零司を外れ、隣の壁へ激突した。

 

 ガンッ!

 

「……何!?」

 

 警備員が、目を見開く。

 

 零司は、動かなかった。

 

 両手も、ポケットに入ったまま。

 

「……ねえ」

 

 少年が、静かに口を開いた。

 

「僕、話をしに来ただけなんだけど」

 

 その声を遮るように。

 

 パァンッ!

 

 銃声が響いた。

 

 しかし。

 

 弾丸は零司へ届かなかった。

 

 少年の周囲にある空気の圧力条件が変化し、弾丸の進行方向が僅かに逸れた。

 

 背後の壁へ、乾いた音を立てて突き刺さる。

 

「……っ!?」

 

 銃を構えていた男が、目を見開いた。

 

 次の瞬間。

 

 足元の床が、僅かに沈んだ。

 

 身体の重心が崩れる。

 

 男は、銃を持ったまま膝をついた。

 

 さらに。

 

 周囲の警備員たちも、次々と姿勢を崩した。

 

 床の摩擦。

 

 身体へ掛かる力。

 

 荷重の伝わり方。

 

 それらが、局所的に変更されていた。

 

 零司は、倒れた男たちを見下ろした。

 

「……だから」

 

 静かな声。

 

「責任者を呼んでって言ったんだけど」

 

 警備員たちは、誰も答えなかった。

 

 その代わり。

 

 通信装置から、緊迫した声が響いた。

 

『……ZEROを確認!』

 

『通常装備では制圧不能!』

 

『増援を要請する!』

 

 零司は、軽く息を吐いた。

 

「……増援か」

 

 そして。

 

 少しだけ笑った。

 

「じゃあ、ここで待ってようかな」

 

     ◇

 

 午後零時五十七分。

 

 共同研究監理棟、三階管理区画。

 

「……こっち」

 

 N-13が、小さく呟いた。

 

 建物の裏側から侵入した少女は、監視設備を避けながら通路を進んでいた。

 

 観測干渉によって、人間の注意を逸らす。

 

 ただし、完全に姿が消えるわけではない。

 

 監視員が直接こちらを見れば、位置を把握される可能性はある。

 

 そのため、少女は警備員の視線が途切れる瞬間を選んで移動していた。

 

「……あった」

 

 目的の場所。

 

 資料管理室。

 

 扉には、電子認証装置が取り付けられている。

 

 N-13は、携帯端末を取り出した。

 

《御坂美琴》

 

《三階、資料管理室に到着》

 

 送信。

 

 直後。

 

 短い返信が届いた。

 

《了解。今、認証装置を調べる》

 

 N-13は、扉の前で待った。

 

 数秒後。

 

 カチリ。

 

 電子錠が解除された。

 

「……すごい」

 

 少女が、小さく呟いた。

 

 扉を開く。

 

 内部には、複数の保管棚。

 

 電子端末。

 

 そして、紙の書類が並んでいる。

 

 N-13は、周囲を見渡した。

 

 そのとき。

 

 奥の棚に、一つの表示があることに気づく。

 

《実験実施計画》

 

《絶対能力進化計画》

 

 少女の足が止まった。

 

「……これ」

 

 そこには、複数の書類ケースが並んでいた。

 

 九九七〇号。

 

 九九七一号。

 

 九九七二号。

 

 九九七三号。

 

 その番号が、順番に記されている。

 

 N-13は、一枚を取り出した。

 

 書類には、実験の実施予定と承認記録が記載されていた。

 

 その下部。

 

 複数の署名。

 

「……これが」

 

 少女が、小さく呟いた。

 

「……誰かを殺すための書類」

 

 手の中の紙が、僅かに震えた。

 

 そのとき。

 

 背後から、足音が響いた。

 

     ◇

 

「……誰だ!」

 

 警備員の声。

 

 N-13が振り返る。

 

 扉の向こう。

 

 黒い制服の男が立っていた。

 

 その手には、銃。

 

「……侵入者か!」

 

 男が、銃口を向ける。

 

 N-13の瞳が細くなる。

 

 観測干渉。

 

 少女の位置が、男の視界で曖昧になった。

 

「……っ!?」

 

 警備員が、目を瞬かせる。

 

 そこにいる。

 

 確かにいる。

 

 だが、どこへ照準を合わせればいいのか判断できない。

 

「……くそっ!」

 

 男が、通信装置へ手を伸ばした。

 

 その瞬間。

 

 廊下の照明が、一斉に消えた。

 

「……何!?」

 

 暗闇。

 

 続いて。

 

 非常灯だけが点灯する。

 

 N-13は、その隙に棚の陰へ移動した。

 

 携帯端末が振動する。

 

《御坂美琴》

 

《監視電源を一時的に切った。今のうちに出て!》

 

 N-13は、書類ケースを抱えた。

 

 そして、素早く扉へ向かう。

 

 警備員の横を通過する。

 

 男は、咄嗟に振り返った。

 

 しかし。

 

 少女の位置を正確に捉える前に、N-13は廊下の角を曲がっていた。

 

「……はぁっ」

 

 小さく息を吐く。

 

 書類ケースを、強く抱きしめた。

 

「……取れた」

 

     ◇

 

 午後一時三分。

 

 地下管理室。

 

「……資料管理室へ侵入された!?」

 

 榊原が、監視画面を睨んだ。

 

 そこには、警備員の報告が表示されている。

 

《第三階層》

 

《資料管理室:侵入確認》

 

《実験計画書類:一部持ち出し》

 

 男の表情が変わった。

 

「……まさか」

 

 久遠零司。

 

 その少年は、一階で警備員を引きつけている。

 

 しかし。

 

 別の侵入者が、三階の資料管理室へ入っていた。

 

「……囮か!」

 

 榊原が、机を叩く。

 

 そのとき。

 

 別の研究員が叫んだ。

 

「……地下の通信設備にも異常が!」

 

「……何!?」

 

「外部接続が、不安定になっています!」

 

 榊原は、画面を切り替えた。

 

 地下の通信設備。

 

 そこに、青白い電気反応が記録されている。

 

「……第三位!」

 

 男の顔色が変わった。

 

 御坂美琴。

 

 学園都市第三位。

 

 その電磁操作能力。

 

「……二人で来たのではない!」

 

 榊原は、歯を食いしばった。

 

「……三方向から、同時に!」

 

 そして。

 

 端末を操作した。

 

《緊急機密保護》

 

《資料管理区画:封鎖》

 

《記録媒体:消去準備》

 

 しかし。

 

 次の瞬間。

 

 画面に、新しい警告が表示された。

 

《通信遮断》

 

《外部指令:受付不能》

 

 榊原の表情が凍りついた。

 

「……馬鹿な」

 

 その声と同時に。

 

 地下管理室の扉から、短い音が響いた。

 

 カチリ。

 

 鍵が、外れた。

 

     ◇

 

「……こんばんは」

 

 久遠零司が立っていた。

 

 榊原が、目を見開く。

 

「……ZERO!」

 

「責任者、見つけた」

 

 少年は、室内を見渡した。

 

 複数の監視モニター。

 

 通信設備。

 

 そして、研究資料を管理する端末。

 

「……君が、ここの責任者?」

 

 榊原は、椅子から立ち上がった。

 

「……ここは、関係者以外立入禁止だ!」

 

「知ってる」

 

「……ならば!」

 

「でも、話があるから」

 

 零司は、平然と答えた。

 

 その様子に、榊原の顔が引きつる。

 

「……貴様」

 

 男は、ゆっくりと端末へ手を伸ばした。

 

 しかし。

 

 その指が触れる前に、端末が滑るように遠ざかった。

 

「……っ!?」

 

 榊原が、目を見開く。

 

 端末を支える固定具が、突然変形していた。

 

 零司は、何もしていないように見える。

 

 手を動かすことも。

 

 視線を向けることすらない。

 

 それなのに。

 

 目の前の機械が、勝手に移動した。

 

「……何をした」

 

 榊原が呟く。

 

 零司は、首を傾げた。

 

「機械を動かしただけ」

 

「……馬鹿な!」

 

 零司は、室内の椅子へ腰を下ろした。

 

 そして。

 

「……ねえ」

 

 静かに尋ねる。

 

「九九七一号たちの実験、誰が決めてるの?」

 

 榊原は、答えなかった。

 

 零司は続けた。

 

「第一位をレベル6にするために、妹達を殺す計画」

 

 その言葉に、榊原の表情が変わった。

 

「……貴様、どこまで知っている」

 

「まだ全部じゃないよ」

 

 零司は笑った。

 

「だから、聞きに来た」

 

 榊原は、数秒ほど黙っていた。

 

 そして。

 

「……勘違いするな」

 

 低い声。

 

「我々は、実験を決定しているわけではない」

 

 零司の目が細くなる。

 

「……へえ」

 

「各研究機関が提出した計画を照合し、必要な承認記録を管理しているだけだ」

 

「……つまり?」

 

「実施するかどうかの最終判断は、別の機関が行う」

 

 零司は、榊原を見つめた。

 

「……じゃあ、君たちは何をしてるの?」

 

「必要な資料が揃っているか確認する」

 

 榊原は、淡々と答えた。

 

「計画番号。予算。対象個体。実施条件。そして、承認記録」

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「……それが揃わなかったら?」

 

 榊原の表情が変わった。

 

「……何?」

 

「実験は、できないの?」

 

 数秒の沈黙。

 

 榊原は、目を細めた。

 

「……通常の手続きでは、実施できない」

 

 零司の口元が、僅かに上がった。

 

「……なるほど」

 

 その瞬間。

 

 榊原の表情が変わった。

 

「……まさか」

 

 零司は、笑った。

 

「君たち、便利な仕事してるんだね」

 

     ◇

 

 午後一時九分。

 

 三階、資料管理室。

 

「……これ」

 

 N-13が、携帯端末へ書類の画像を送信した。

 

 画面の向こう。

 

 御坂美琴が、資料を確認している。

 

『……ちょっと待って』

 

「……うん」

 

『これ、実験の承認記録じゃない!』

 

 N-13は、書類を見つめた。

 

「……そうみたい」

 

『……しかも、複数の研究機関の署名がある』

 

 美琴の声が、険しくなる。

 

『……これがあれば、誰が実験を進めているか分かるかもしれない』

 

 N-13は、静かに頷いた。

 

「……うん」

 

 そのとき。

 

 書類ケースの奥から、一枚の紙が滑り落ちた。

 

「……あれ?」

 

 少女が拾い上げる。

 

 そこには、別の記録があった。

 

《実験中止・変更申請》

 

《過去申請履歴》

 

《処理状況》

 

 N-13が、目を細める。

 

「……美琴」

 

『何?』

 

「……こっちにも、何かある」

 

 画像を送信する。

 

 数秒後。

 

『……待って』

 

 美琴の声が変わった。

 

『これ、実験の変更申請を出した記録よ』

 

「……変更?」

 

『そう』

 

 美琴は続けた。

 

『実験を進めるだけじゃなくて、止めるための手続きもあるってこと』

 

 N-13が、顔を上げた。

 

「……止められる?」

 

『分からない。でも……』

 

 美琴の声が、強くなる。

 

『手掛かりにはなるわ』

 

     ◇

 

 午後一時十三分。

 

 地下管理室。

 

「……実験を中止する手続きは、あるんでしょ?」

 

 零司の問いに、榊原は黙っていた。

 

 その沈黙を見て、少年は笑った。

 

「あるみたいだね」

 

「……貴様」

 

 榊原は、歯を食いしばった。

 

「中止申請を出したところで、最終的な判断は別の機関が行う!」

 

「そうだろうね」

 

「……それに!」

 

 男は、声を荒げた。

 

「実験は正式に承認されている! 今さら、何を提出しても簡単には覆らん!」

 

 零司は、椅子へ深く腰を下ろした。

 

「……じゃあ」

 

 静かに尋ねる。

 

「承認した人たちの名前が分かればいいんだね」

 

 榊原の表情が凍りついた。

 

「…………」

 

「実験を続けるって決めた人に、直接会えばいい」

 

 その言葉に。

 

 榊原の顔色が変わった。

 

「……貴様、何を考えている」

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「別に」

 

 そして。

 

「実験を止めてほしいって、お願いするだけだよ」

 

 その声は、穏やかだった。

 

 だが。

 

 榊原には、その言葉が脅迫にしか聞こえなかった。

 

 久遠零司。

 

 第一位と交戦できる規格外の能力者。

 

 その少年が、実験の承認者へ直接会いに行く。

 

 もし、相手が拒否したら。

 

 何が起きるか。

 

 榊原は、考えたくもなかった。

 

「……そんなことをしても」

 

 男が、震える声で呟く。

 

「……計画は止まらん」

 

 零司は、首を傾げた。

 

「どうして?」

 

「……研究は、複数の機関によって進められている」

 

 榊原は続けた。

 

「一つの機関が停止しても、別の機関が引き継ぐ」

 

 零司は、数秒ほど黙っていた。

 

 そして。

 

「……じゃあ」

 

 静かに答えた。

 

「全部、止めればいいんじゃない?」

 

 その言葉に。

 

 榊原は、何も答えられなかった。

 

     ◇

 

 午後一時十七分。

 

 共同研究監理棟、地下通信室。

 

「……久遠!」

 

 御坂美琴が、通信装置へ叫んだ。

 

『何?』

 

「……資料が見つかった!」

 

 零司の声が返ってくる。

 

『そう?』

 

「実験の承認記録と、変更申請の手続き!」

 

『……へえ』

 

 美琴は、端末を確認した。

 

 そこには、複数の研究機関の名称と、承認履歴が表示されている。

 

 だが。

 

 問題もあった。

 

「……ただし」

 

 美琴が、眉をひそめる。

 

「これだけじゃ、計画を止められない」

 

『どうして?』

 

「変更申請には、正規の承認権限が必要みたい」

 

 美琴は、画面を切り替えた。

 

《実験変更申請》

 

《必要認証:研究管理権限》

 

《処理状況:未申請》

 

「……私たちが勝手に入力しても、正式な手続きにはならない」

 

 その言葉に。

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

『……なるほど』

 

 そして。

 

『じゃあ、申請する人を探せばいいんだ』

 

「……は?」

 

『君、そこにいて』

 

「……ちょっと、久遠!?」

 

 通信が切れた。

 

 美琴は、端末を睨んだ。

 

「……あんた、また何する気よ!」

 

     ◇

 

 午後一時二十分。

 

 地下管理室。

 

「……榊原さん」

 

 零司が、静かに呼びかけた。

 

 男が顔を上げる。

 

「……何だ」

 

「実験の変更申請って、君の権限で出せる?」

 

 榊原の表情が変わった。

 

「……何?」

 

「出せるかどうか、聞いてるんだけど」

 

 男は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……申請そのものは可能だ」

 

 零司が頷く。

 

「じゃあ、お願い」

 

「……馬鹿な!」

 

 榊原が、声を荒げた。

 

「そんな理由で、実験を停止できるわけがない!」

 

「理由ならあるよ」

 

 零司は、書類ケースを開いた。

 

 そこには、九九七一号から九九七三号までの実験記録が入っている。

 

《第九九七一次実験:無効》

 

《第九九七二次実験:無効》

 

《第九九七三次実験:実施不能》

 

 零司は、書類を並べた。

 

「三回続けて、予定どおり実験できてない」

 

 榊原が、目を細める。

 

「……それが?」

 

「実験条件が成立してないんでしょ?」

 

 零司は続けた。

 

「なのに、同じ方法で続けるの?」

 

 榊原は、黙った。

 

 確かに。

 

 研究計画上、複数回の実験で条件が成立していない場合は、実施方式の再検討が必要になる。

 

 それは、正式な運用手続きの一つだった。

 

「……しかし」

 

 男は、言葉を探した。

 

「……それは、研究内容の再評価を行うための手続きだ」

 

「うん」

 

 零司は頷いた。

 

「じゃあ、再評価すればいい」

 

 その言葉に。

 

 榊原の表情が変わった。

 

 少年は、静かに続けた。

 

「実験を止めるかどうかは、ちゃんと調べてから決めればいいよ」

 

 そして。

 

「その間は、次の子を殺さなくて済むでしょ?」

 

 榊原は、何も答えなかった。

 

 零司は、椅子から立ち上がった。

 

「……まあ」

 

 少年の灰紫色の瞳が、細くなる。

 

「申請してくれないなら、別の方法を考えるけど」

 

 その声には、怒りも焦りもなかった。

 

 ただ、選択肢を提示しているだけだった。

 

 榊原は、少年を見つめた。

 

 そして。

 

 深く息を吐いた。

 

「……申請は出せる」

 

 静かな声。

 

「ただし、承認される保証はない」

 

 零司は笑った。

 

「それでいいよ」

 

     ◇

 

 午後一時二十七分。

 

 地下通信室。

 

「……来た!」

 

 美琴が、端末を確認した。

 

《実験方式再評価申請》

 

《申請元:共同研究監理部門》

 

《対象:絶対能力進化計画》

 

《理由:実験条件の連続不成立》

 

《処理状況:受付》

 

 その下に、新しい表示が現れた。

 

《次回実験予定》

 

《再評価完了まで暫定保留》

 

 美琴は、息を呑んだ。

 

「……止まった?」

 

 画面を確認する。

 

 実験予定。

 

 そこには、九九七四号の番号が表示されている。

 

 しかし。

 

 開始時刻は、未定となっていた。

 

「……本当に」

 

 美琴が、小さく呟く。

 

「……止まった」

 

 その瞬間。

 

 携帯端末が振動した。

 

 零司からの着信。

 

『どう?』

 

 美琴は、端末を握りしめた。

 

「……申請、受け付けられた」

 

『そう』

 

「次の実験も、暫定保留になってる」

 

『じゃあ、成功かな』

 

 美琴は、少しだけ目を閉じた。

 

 そして。

 

「……まだよ」

 

 静かに答えた。

 

『何が?』

 

「正式に中止されたわけじゃない」

 

 少女は、画面を見つめた。

 

「また再開されるかもしれない」

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

『……そうだね』

 

 零司が、静かに答えた。

 

『でも、今すぐ殺される子はいなくなった』

 

 その言葉に。

 

 美琴の表情が、僅かに変わった。

 

 そして。

 

「……そうね」

 

 小さく頷いた。

 

「……それだけでも、大きいわ」

 

     ◇

 

 午後二時四十一分。

 

 第七学区、久遠零司の自宅。

 

「……止まった?」

 

 N-13が、目を見開いた。

 

 N-12も顔を上げる。

 

「……本当に?」

 

 零司は、ソファへ腰を下ろした。

 

「一時的にね」

 

 その隣では、九九七一号が端末を確認している。

 

「……確認します」

 

 少女は、少しだけ目を伏せた。

 

 ミサカネットワーク。

 

 そこには、実験予定に関する情報が共有されている。

 

 数秒後。

 

「……変更を確認しました」

 

 九九七一号が口を開いた。

 

「ミサカ九九七四号の実験予定は、現在未定となっています」

 

 N-13が、息を呑んだ。

 

「……じゃあ」

 

「はい」

 

 九九七二号が頷いた。

 

「少なくとも、現在設定されている実験開始時刻はありません」

 

 N-12が、小さく息を吐いた。

 

「……よかった」

 

 その言葉に。

 

 九九七三号が顔を上げた。

 

「……質問があります」

 

「何?」

 

 零司が尋ねる。

 

「ミサカ九九七四号は、今後どうなるのでしょうか」

 

 零司は、少女を見た。

 

「分からない」

 

 即答だった。

 

「今回の申請が取り消されたら、また実験が始まるかもしれない」

 

「……そうですか」

 

 九九七三号は、静かに頷いた。

 

 その隣で、九九七一号が口を開く。

 

「……ミサカは、他の個体へ情報を共有したいと考えています」

 

 零司が顔を向ける。

 

「何を?」

 

「実験予定が、一時的に停止したことです」

 

 零司は頷いた。

 

「いいんじゃない?」

 

 九九七一号は、少しだけ考えた。

 

「ただし、全個体が同じ判断をするとは限りません」

 

「そうだろうね」

 

 零司は、あっさりと答えた。

 

「君たちだって、一人ずつ違うんだから」

 

 その言葉に。

 

 三人の少女が、互いを見つめた。

 

 九九七一号。

 

 九九七二号。

 

 九九七三号。

 

 同じ遺伝子情報を持ち、同じように製造された存在。

 

 しかし。

 

 それぞれが、違う経験をしている。

 

 違う飲み物を選び。

 

 違う言葉を聞き。

 

 違う判断を下してきた。

 

「……了解しました」

 

 九九七一号が、静かに頷いた。

 

 そして。

 

「ミサカネットワークへ、情報を共有します」

 

 数秒後。

 

 少女が、僅かに目を見開いた。

 

「……応答があります」

 

 N-12が顔を上げる。

 

「……誰から?」

 

「ミサカ九九七四号です」

 

 その言葉に。

 

 部屋の空気が変わった。

 

「……何て?」

 

 N-13が尋ねる。

 

 九九七一号は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「……怖い、とのことです」

 

 短い言葉だった。

 

「実験が延期された理由も、今後の予定も分からないため、不安を感じているようです」

 

 N-12は、拳を握りしめた。

 

「……そうだよね」

 

 九九七一号が続ける。

 

「ただし、実験への参加を拒否するかどうかについては、まだ判断できないとのことです」

 

 零司は、静かに頷いた。

 

「それでいいよ」

 

 N-13が顔を向ける。

 

「……いいの?」

 

「うん」

 

 零司は答えた。

 

「今すぐ決めなくてもいいでしょ」

 

 そして。

 

「生きるか死ぬかなんて、他人に急かされて決めることじゃないし」

 

 その言葉に。

 

 九九七三号が、静かに目を伏せた。

 

 昨日。

 

 彼女は、死にたくないと答えた。

 

 それだけで、自分の未来が変わった。

 

 ならば。

 

 まだ答えを出せない少女にも、考える時間があっていい。

 

 九九七三号は、そう思った。

 

     ◇

 

 午後四時十八分。

 

 第十八学区、共同研究監理棟。

 

「……実験方式再評価申請?」

 

 暗い管理室。

 

 一人の男が、端末を見つめていた。

 

 そこには、午後一時二十七分に受け付けられた申請記録が表示されている。

 

《絶対能力進化計画》

 

《実験方式再評価申請》

 

《処理状況:受付》

 

《次回実験:暫定保留》

 

 男は、深く息を吐いた。

 

「……榊原か」

 

 隣の研究員が頷く。

 

「はい。共同研究監理部門から提出されています」

 

「……理由は?」

 

「直近三回の実験条件が成立していないため、実施方式の再評価が必要とされています」

 

 男は、数秒ほど黙った。

 

 そして。

 

「……規定上は、確かに可能だ」

 

 静かに呟く。

 

 絶対能力進化計画。

 

 複数の研究機関が関与する、大規模な研究。

 

 その実施計画には、形式上の審査手続きも存在する。

 

 通常なら、研究の進行を妨げることはほとんどない。

 

 だが。

 

 今回は違った。

 

 三回連続の実験不成立。

 

 さらに、計画外能力者の介入。

 

 それらが正式な記録として残されている。

 

「……面倒なことになったな」

 

 男は、画面を切り替えた。

 

《計画再評価》

 

《関係機関への照会》

 

《実施方式:変更検討》

 

 研究員が尋ねる。

 

「……再評価申請を却下しますか?」

 

 男は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「……いや」

 

 首を横へ振った。

 

「形式上の問題がある以上、すぐに却下するのは得策ではない」

 

「……では?」

 

「関係機関へ通知しろ」

 

 男は、静かに続けた。

 

「今後の実験運用について、再検討を行う」

 

 研究員が頷いた。

 

「……了解しました」

 

 そのとき。

 

 男は、別の画面を開いた。

 

《ZERO》

 

《行動傾向:更新》

 

《研究管理部門への直接介入》

 

《実験運用停止手続きへの関与》

 

 その表示を見て。

 

 男の目が細くなる。

 

「……第零位」

 

 低い声。

 

 久遠零司。

 

 第一位と戦える規格外の能力者。

 

 その少年は、今まで研究施設へ直接介入していた。

 

 だが。

 

 今回は、研究の運用手続きそのものへ干渉した。

 

「……なるほど」

 

 男は、静かに呟いた。

 

「……力だけではない、ということか」

 

 その声には、僅かな警戒が混じっていた。

 

     ◇

 

 同日、午後十一時二十一分。

 

 第七学区。

 

 久遠零司は、自室のベッドに寝転がっていた。

 

 手元には、今日入手した資料。

 

 実験承認記録。

 

 変更申請履歴。

 

 そして、関係研究機関の一覧。

 

 そこには、複数の研究者や管理責任者の名前が記されている。

 

 零司は、資料を一枚めくった。

 

「……やっぱり、まだ足りないね」

 

 共同研究監理部門。

 

 実施計画の照合。

 

 予算管理。

 

 研究機関間の調整。

 

 それらが、複数の組織によって分担されている。

 

 今回の申請によって、実験は一時的に保留となった。

 

 だが。

 

 正式な中止ではない。

 

 研究者たちが実施方式を変更すれば、再開される可能性がある。

 

「……じゃあ」

 

 零司は、別の資料を取り出した。

 

 そこには、複数の承認者の署名が並んでいる。

 

 研究計画。

 

 予算。

 

 実験運用。

 

 そして、最終的な実施判断。

 

「……次は、こっちかな」

 

 少年は、静かに笑った。

 

 そのとき。

 

 携帯端末が振動した。

 

 御坂美琴からのメッセージ。

 

《今日の資料、こっちでも確認したわ》

 

《まだ関係機関が多すぎるけど、承認経路は少し分かってきた》

 

 続いて。

 

《明日、時間ある?》

 

 零司は、短く返信した。

 

《あるよ》

 

 数秒後。

 

 返事が届いた。

 

《じゃあ、また調べるわよ》

 

 零司は、端末を置いた。

 

 そして、天井を見上げる。

 

 絶対能力進化計画。

 

 第一位をレベル6へ進化させるための研究。

 

 そのために、二万体の妹達を戦闘実験へ投入するという計画。

 

 だが。

 

 研究者たちは、まだ一つ勘違いしていた。

 

 久遠零司が、自分たちの作った手続きに従ってくれるとは限らない。

 

 今回は、正式な再評価申請という方法を使った。

 

 それが一番手軽だったからだ。

 

 しかし。

 

 もし、その申請が却下されたら。

 

 もし、研究者たちが再び妹達を殺そうとしたら。

 

 零司は、そのとき別の方法を選ぶだろう。

 

 それが、どのような方法になるのか。

 

 研究者たちは、まだ知らない。

 

 そして。

 

 零司自身も、まだ決めていなかった。

 

「……さて」

 

 少年は、静かに目を閉じた。

 

「……明日は、誰に会おうかな」

 

 学園都市の第零位。

 

 久遠零司。

 

 その少年は、今度こそ実験そのものを止めるために動き始めていた。

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