八月十四日、午後七時二十一分。
学園都市第七学区。
空き缶が潰れた。
乾いた音を立て、路上に転がっていたアルミ缶が一瞬でひしゃげる。
続いて、その残骸が弾丸のように跳ね上がった。
「――オラァッ!」
一方通行の声とともに、金属片が零司の顔面へ殺到する。
だが、届かない。
缶の破片は少年の手前で軌道を変え、足元のアスファルトへ突き刺さった。
「相変わらず、挨拶が物騒だね」
「テメェが余計なこと言い出すからだろォが!」
一方通行が口元を歪める。
赤い瞳には、明確な敵意が浮かんでいた。
「俺の実験を何度も邪魔しておいて、今度は説教でもする気かァ?」
「説教は嫌いなんだけどね」
零司は、両手をポケットに入れたまま答えた。
「君が何を考えてるのか、ちょっと気になっただけ」
「……ハッ!」
一方通行が地面を踏みつける。
その瞬間、足元のアスファルトに亀裂が走った。
しかし、破片が飛び上がるより早く、零司が口を開いた。
「その前に、場所を変えようか」
「あァ?」
「ここ、普通に人がいるし」
二人の背後にはコンビニがある。
歩道には学生が行き交い、交差点では車が信号待ちをしていた。
「僕は構わないけど、邪魔が入ると面倒でしょ?」
「……逃げるつもりかよ」
「君と遊べる場所を探してあげてるんだよ」
一方通行の笑みが深くなる。
「……クカカッ!」
その足元が爆ぜた。
「いいぜ! どこへでも付き合ってやるよ!」
直後、白い影が夜の街へ飛び出した。
零司も地面を離れる。
身体へ働く加速度と空気抵抗が調整され、少年は建物の上を滑るように移動した。
後方から轟音が迫る。
一方通行だ。
建物の屋上を次々と蹴り砕きながら、恐るべき速度で追いかけてくる。
零司は振り返らなかった。
代わりに、進行方向の廃工業区画へ視線を向ける。
「……あそこなら、ちょうどいいかな」
◇
午後七時二十八分。
第七学区、旧河川調整施設。
巨大なコンクリート製の水路。
使われなくなった水門。
錆びた管理用の橋。
周囲は立入禁止区域となっており、照明のほとんどが消えていた。
その中央へ、零司が降り立った。
「……うん。悪くない」
直後。
ドォンッ!
対岸のコンクリートが砕け散った。
一方通行が着地したのだ。
白い髪が夜風に揺れる。
「……で?」
赤い瞳が零司を捉えた。
「ここなら好きに暴れられるってわけか」
「そういうこと」
「……クカカッ!」
一方通行が笑った。
「だったら、遠慮は要らねェなァ!」
白髪の少年が地面を蹴ろうとする。
しかし。
零司の方が早かった。
ガギギギギッ!
「……あァ!?」
一方通行の左右。
巨大な水門の支持柱が、同時に内側へ折れ曲がった。
数十トンものコンクリートと鋼材が、二方向から白髪の少年へ殺到する。
回避する間もない。
ドゴォォンッ!
凄まじい衝突音。
巨大な構造物が、中央で激突した。
周囲に破片が飛び散る。
だが。
「――くだらねェ!」
爆発するような衝撃とともに、コンクリートが四散した。
その中心に、一方通行が立っている。
無傷。
当然だった。
彼の身体へ向かう物理的な衝撃は、反射によって弾き返される。
「こんなガラクタで俺を潰せると思ってンのか!」
「思ってないよ」
零司は、平然と答えた。
「最初からそれで倒せたら、第一位も大したことないでしょ」
「……あァ?」
一方通行が眉をひそめる。
その瞬間。
足元から、異様な音が響いた。
ゴボッ。
崩れたコンクリートの隙間。
そこから、大量の水が噴き上がった。
いや。
ただの噴水ではない。
水路の奥に残されていた水が、圧力差によって一箇所へ集中していた。
次の瞬間。
ドパァァンッ!
巨大な水柱が、一方通行を真下から襲った。
「……チッ!」
水流は反射され、周囲へ弾け飛ぶ。
だが、零司の攻撃はそれで終わらない。
空中へ散った水が、今度は複数の流れへ分かれた。
正面。
左右。
さらに頭上。
別々の角度から高圧水流が襲いかかる。
「――オラァッ!」
一方通行が右足を踏み込んだ。
その周囲に強烈な気流が発生する。
水流が巻き込まれ、巨大な渦となって吹き飛んだ。
しかし。
その先では、すでに別の変化が始まっていた。
ガギンッ!
頭上を走る管理用の橋。
その支持部分が、突然大きく歪んだ。
巨大な橋桁が傾く。
一方通行の進行方向を塞ぐように、鋼鉄の塊が落下した。
「……テメェ!」
白髪の少年が触れた瞬間、橋桁は凄まじい勢いで弾き返された。
ドゴォンッ!
鋼材が対岸へ激突する。
だが、そのときには零司の次の攻撃が始まっていた。
水路の両側で、細い亀裂が一斉に走る。
コンクリートが破断し、無数の巨大な破片が宙へ浮き上がった。
「……次は、こっち」
零司が呟く。
直後。
破片が一斉に加速した。
◇
ガガガガガッ!
無数のコンクリート片が、一方通行を中心に炸裂する。
正面から迫る破片は反射。
背後からの攻撃も反射。
頭上から落下する巨大な塊も、身体へ届くことなく弾き飛ばされていく。
しかし、零司の攻撃には一定の規則性があった。
同じ方向から続けて攻撃しない。
一つ目の攻撃が反射された直後、別の方向から次の攻撃を仕掛ける。
さらに、反射された破片の着地点まで利用し、周囲の地形を作り替えていた。
「……クカカッ!」
一方通行が笑う。
「やるじゃねェか!」
白髪の少年が、足元を踏み抜いた。
ドォンッ!
巨大な衝撃。
周囲のコンクリートが砕け、飛び散った破片へ新たなベクトルが与えられる。
今度は一方通行からの反撃だった。
「――全部返してやるよ!」
無数の破片が零司へ殺到する。
だが。
零司は、避けようともしなかった。
破片が飛来する。
その直前。
進行方向が変わった。
零司の左右へ流れ、背後の壁へ激突する。
しかし。
「――そいつはもう見たンだよ!」
一方通行が叫んだ。
その瞬間、背後の壁に突き刺さった破片が再び動き始める。
零司がそちらへ注意を向ける。
だが、白髪の少年はすでに別の攻撃を準備していた。
周囲の空気が、急激に圧縮される。
さらに、足元の水が大量に持ち上がった。
コンクリート。
空気。
水。
三種類の攻撃が、異なる方向から同時に零司へ向かう。
だが。
零司の口元が、僅かに上がった。
「……なるほど」
その瞬間。
三つの攻撃が互いに衝突した。
破片の進行方向が変わる。
高圧水流が圧縮空気へ巻き込まれる。
その衝撃で、周囲に激しい水飛沫が舞い上がった。
ドォォンッ!
巨大な音が響く。
一方通行は、目を細めた。
「……あァ?」
零司は、反撃すら受けていなかった。
正確には、三つの攻撃が彼へ届く前に、互いの運動を妨げ合っていた。
「……組み合わせはよかったね」
零司が言った。
「でも、攻撃のタイミングが揃いすぎかな」
「……テメェ!」
一方通行の赤い瞳が鋭くなる。
その直後。
白い影が、地面を蹴った。
一直線。
凄まじい速度で零司へ迫る。
しかし。
今度も零司は、相手の接近を待たなかった。
足元のコンクリートが盛り上がる。
一方通行の進行方向へ、巨大な壁がせり出した。
「――邪魔だァ!」
白髪の少年が触れる。
壁が吹き飛ぶ。
しかし、その背後。
今度は鋼鉄製の配管が、巨大な輪を描くように変形していた。
複数の配管が、一方通行の周囲を取り囲む。
「……あァ!?」
さらに。
水路の底から、圧縮された水が噴き上がった。
逃げ道を塞ぐように、複数の水柱が立ち上がる。
一方通行は舌打ちした。
「……チッ!」
反射によって配管を吹き飛ばす。
続いて、自分の身体へ加速度を与え、上空へ移動した。
しかし、そこにも。
ガギギギッ!
管理橋から外れた巨大な鋼材が、進路を塞ぐように落下していた。
「――なめてンじゃねェぞ!」
一方通行が、鋼材を弾き飛ばした。
そして、その反動を利用して一気に上空へ抜ける。
次の瞬間。
水路全体を揺るがすような轟音が響いた。
◇
午後七時三十四分。
旧河川調整施設、上空。
「――オラァッ!」
一方通行が、空気を操った。
凄まじい気流が渦を巻く。
周囲の水滴や瓦礫が巻き上がり、巨大な竜巻のような流れが形成されていく。
その中心に、白髪の少年がいた。
「今度はこっちの番だァ!」
直後。
圧縮された空気が、一直線に零司へ向かって放たれた。
その圧力は、通常の防壁では耐えられないほど強烈だった。
だが。
「……へえ」
零司は、空中へ浮かんでいた。
身体を支える力。
周囲の空気抵抗。
加速に伴う負荷。
それらを調整し、地面に頼らず姿勢を保っている。
少年の前方で、空気の流れが変化した。
迫っていた気流が、左右へ分かれる。
さらに、その一部が上空へ逃がされた。
ドォンッ!
圧縮空気が周囲の構造物へ激突する。
零司の制服が、僅かに揺れた。
それだけだった。
「……ハッ!」
一方通行が笑った。
そして、身体を加速させる。
今度は空中戦。
足場の制約がないなら、直接距離を詰めればいい。
白い影が、一気に零司へ迫った。
その右手が伸びる。
だが。
零司の姿が、僅かに横へ移動した。
指先が空を切る。
次の瞬間。
少年の背後で、空気が急激に圧縮された。
「……っ!?」
一方通行が振り返る。
そこには、無数の金属片が浮かんでいた。
先ほどまでに破壊された配管。
管理橋の破片。
そして、細かな鋼材。
それらが、空中で複数の層を形成している。
「……今度は何だァ?」
「ちょっとした実験」
零司が、静かに答えた。
次の瞬間。
金属片が、一斉に加速した。
正面からの攻撃。
一方通行は鼻で笑った。
「――くだらねェ!」
反射。
迫った金属片が、凄まじい勢いで弾き返される。
しかし。
その直後。
一方通行の背後で、巨大な音が響いた。
ガァンッ!
反射された金属片が、別の鋼材へ激突したのだ。
零司は、その衝突位置も計算に入れていた。
さらに。
衝突によって生じた衝撃が、別の金属片へ伝わっていく。
ガガガガッ!
連続する衝突。
反射された運動量が、周囲の鋼材を次々と動かしていく。
その結果。
一方通行の周囲で、複数の金属片が新しい軌道を描き始めた。
「……テメェ!」
一方通行が、目を細める。
零司は笑っていた。
「君が弾き返した力も、使えるからね」
その言葉に。
一方通行の口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……クカカッ!」
そして。
「だったら、反射する方向を変えりゃいいだけだろォが!」
白髪の少年が、右足を振り抜いた。
空中にあった金属片が、凄まじい速度で吹き飛ぶ。
さらに、周囲の気流が変化した。
零司の仕掛けた衝突の連鎖。
その一部へ、新しいベクトルが与えられる。
結果。
複数の金属片が、零司へ向かって加速した。
零司は、少しだけ目を細めた。
「……いいね」
直後。
金属片が、少年の周囲を通過した。
その進路は、すべて変更されていた。
だが。
一方通行は、そこで終わらなかった。
金属片の陰から、一気に距離を詰める。
「――そこだァ!」
右手が伸びる。
零司の首筋へ。
しかし。
届く寸前。
零司の身体が、斜め後方へ移動した。
一方通行の手が空を切る。
その直後。
零司の背後にあった巨大な配管が、突然動き始めた。
ガギギギッ!
配管の先端が、一方通行の進路を塞ぐ。
さらに、別の方向から鋼材が迫った。
「……チッ!」
一方通行が、反射によってそれらを弾き飛ばす。
しかし、零司はすでに次の位置へ移動していた。
そして。
今度は、水路の側壁が大きく軋み始めた。
◇
「……オイオイ」
一方通行が、下方を見た。
巨大なコンクリート製の壁。
その表面に、無数の亀裂が走っている。
さらに、壁の内部から低い音が響き始めた。
ゴゴゴゴッ。
零司は、片足をゆっくりと地面へ下ろした。
「……そろそろ、少し大きいのを試そうか」
「……あァ?」
その瞬間。
巨大な水門が、動いた。
数十年にわたって水流を制御してきた、巨大な鋼鉄製の構造物。
その支持部分が、内部から変形していく。
ガギギギギッ!
金属が軋む。
ボルトが外れる。
そして。
ドォォンッ!
巨大な水門が、水路の中央へ倒れ込んだ。
しかし、それだけではない。
倒れた水門を押すように、背後から大量の水が流れ始める。
巨大な鋼鉄の塊。
その背後から押し寄せる水圧。
さらに、周囲のコンクリート壁までが進行方向を制限するように変形していた。
一方通行の周囲が、巨大な圧力容器へ変わっていく。
「……ッ!」
白髪の少年が、目を細めた。
反射によって、身体への衝撃は届かない。
だが、周囲の構造物は別だ。
鋼鉄を反射で吹き飛ばしても、背後から水が押し寄せる。
水を弾き返せば、その圧力が周囲の壁へ伝わる。
壁を破壊すれば、崩れた構造材が次の障害物になる。
零司は、一方通行の反射を突破しようとしていなかった。
反射された後の物理現象まで利用し、戦闘空間を組み替え続けていたのだ。
「……なるほどなァ」
一方通行の口元が歪む。
「テメェ、俺を閉じ込めるつもりか」
「できるかどうか、試してみたくて」
零司が答えた。
「第一位なら、どう抜けるのかなって」
その言葉に。
一方通行は、声を上げて笑った。
「……クカカカッ!」
そして。
「――上等だァ!」
次の瞬間。
凄まじい轟音が響いた。
白髪の少年を中心に、周囲の空気が爆発的に加速する。
さらに、接触した構造物へ新しいベクトルが与えられた。
巨大な水門が、外側へ弾き飛ばされる。
水流が、複数の方向へ吹き飛ぶ。
周囲のコンクリートが、次々と砕け散った。
ドゴォォンッ!
そして。
白い影が、崩壊する構造物の上方へ飛び出した。
「――どうだァ!」
一方通行が叫ぶ。
その身体には、傷一つない。
反射も、完全に機能している。
だが。
零司は、すでに別の場所へ移動していた。
「……さすが」
少年が、静かに笑った。
「ちゃんと抜けたね」
「……テメェ!」
一方通行が、歯を剥き出しにする。
零司は、壊れた水門を一度見た。
そして。
「でも、これで分かったよ」
「……何がだ!」
「君を倒す必要は、やっぱりないってこと」
一方通行の表情が変わった。
◇
午後七時四十一分。
旧河川調整施設。
激しかった轟音が、ようやく収まった。
水路の中央には、巨大な瓦礫が散乱している。
折れ曲がった鋼材。
砕けたコンクリート。
そして、破壊された水門。
その上に、一方通行が立っていた。
「……何を言ってやがる」
低い声。
零司は、少し離れた場所へ降り立った。
「君、強いよ」
「……あァ?」
「反射は破れてないし、僕の攻撃にも全部対応してる」
零司は、平然と続けた。
「普通の能力者じゃ、まず勝てないだろうね」
「……ハッ!」
一方通行が笑う。
「当たり前だろォが!」
「でも」
零司の灰紫色の瞳が、白髪の少年を捉えた。
「君、さっきから僕の攻撃に対応するので忙しかったでしょ?」
「……何?」
「逃げ道を作ったり、飛んできたものを弾き返したり」
零司は、壊れた水門を指差した。
「その間に、誰かを助けるくらいの時間は十分あったと思うよ」
一方通行の表情が変わった。
「……テメェ」
「君を倒さなくても、実験は邪魔できる」
零司は続けた。
「実際、三人助けたしね」
数秒の沈黙。
そして。
「……クカカッ!」
一方通行が、低く笑った。
「だったら、俺はテメェを倒せばいいだけだろォが!」
「そうだね」
零司は、あっさりと頷いた。
「できるなら、それでいいと思うよ」
その返答に。
一方通行の笑みが消えた。
「…………」
零司は続ける。
「でもさ」
少年は、少しだけ首を傾げた。
「君、本当にそこまでして実験を続けたいの?」
一方通行の赤い瞳が、鋭くなる。
「……あァ?」
「もう第一位なんでしょ?」
「……それが?」
「普通の能力者じゃ、君に勝てない」
零司は、静かに尋ねた。
「だったら、どうしてレベル6になりたいの?」
数秒の沈黙。
そして。
一方通行が、鼻で笑った。
「……何も分かってねェな」
「そう?」
「最強ってのはなァ」
白髪の少年が、ゆっくりと歩き始めた。
「誰にも負けねェってだけじゃ足りねェんだよ」
零司は黙っていた。
「誰も逆らおうと思わねェ」
「…………」
「誰も戦おうなんざ考えねェ」
赤い瞳が、鋭くなる。
「そういう存在になって、初めて意味があンだよ」
零司は、しばらく少年を見つめていた。
そして。
「……へえ」
小さく頷いた。
「君、戦うのが嫌なんだ」
一方通行の表情が変わった。
「……あァ?」
「誰も戦おうと思わなくなるくらい、強くなりたいんでしょ?」
「……勝手に決めつけンな!」
一方通行が、地面を蹴った。
砕けたコンクリートが宙を舞う。
しかし。
零司は、それより早く攻撃していた。
ガギンッ!
一方通行の足元。
巨大な鋼材が、横方向へ跳ね上がった。
「……っ!?」
白髪の少年が、反射によって鋼材を弾き返す。
だが、その反動で周囲の瓦礫が崩れ、進行方向を塞いだ。
零司は、その光景を見ながら言った。
「……ほら」
「……何がだ!」
「今だって、僕に攻撃されたら反撃するでしょ?」
零司は、少しだけ笑った。
「別に、戦わなくてもいいのに」
一方通行の表情が険しくなる。
「……テメェ!」
その瞬間。
白髪の少年が、凄まじい速度で飛び出した。
だが。
零司は、もうその場にはいなかった。
◇
ドォンッ!
一方通行の右手が、背後のコンクリートを粉砕した。
零司は、数メートル離れた場所に立っている。
「……ねえ、一方通行」
「……あァ!?」
「君、そんなに強いのに」
零司は、静かに続けた。
「どうして研究者の言うとおりに人を殺してるの?」
その瞬間。
一方通行の動きが止まった。
「…………」
「研究者が時間を決めて、場所を決めて、相手まで用意してくれる」
零司は、淡々と続ける。
「君は、そこへ行って殺すだけ」
一方通行の赤い瞳が、細くなる。
「……テメェ」
「それって、君が本当にやりたいことなの?」
沈黙。
水路を流れる水の音だけが響いた。
やがて。
「……黙れ」
一方通行が呟いた。
「……何?」
「――黙れっつってンだよ!」
白髪の少年が、地面を踏み抜いた。
凄まじい衝撃。
周囲の瓦礫が、一斉に跳ね上がる。
しかし。
その直後。
零司の周囲で、別の変化が起きた。
巨大なコンクリート片が持ち上がる。
続いて、鋼材が不自然に折れ曲がった。
さらに、水路の底から大量の水が噴き上がる。
零司は、すでに次の攻撃を準備していた。
「……じゃあ、もう一つ」
静かな声。
「君、あの子たちを本当に殺したいの?」
その瞬間。
一方通行の表情が、激しく歪んだ。
「――人形を壊してるだけだろォが!」
白髪の少年が叫ぶ。
「同じ顔! 同じ声! 同じ喋り方!」
そして。
「研究所で作られた、実験用の人形だ!」
零司は、動かなかった。
その灰紫色の瞳が、僅かに細くなる。
「……そう」
静かな声。
「じゃあ、君は知らないんだね」
一方通行の眉が動いた。
「……何をだ」
「九九七一号が、甘いジュースを気に入ったこと」
「……あァ?」
「九九七二号が、自分で飲み物を選ぶようになったこと」
零司は、続ける。
「九九七三号が、死にたくないって言ったこと」
一方通行は、黙っていた。
「同じ顔でも、同じ人間じゃないよ」
零司は、静かに告げた。
「あの子たち、一人ずつ違うから」
数秒の沈黙。
そして。
「……くだらねェ!」
一方通行が、吐き捨てた。
「少し喋った程度で、人間になれると思ってンのか!」
零司は、首を傾げた。
「逆じゃない?」
「……あァ?」
「最初から人間だから、自分で考えるんでしょ」
その瞬間。
一方通行の表情が、凍りついた。
◇
午後七時五十三分。
旧河川調整施設。
一方通行は、黙っていた。
赤い瞳には、苛立ちが浮かんでいる。
だが。
先ほどまでのように、すぐ攻撃してこようとはしなかった。
「……テメェ」
低い声。
「正義の味方にでもなったつもりか?」
零司は、少しだけ考えた。
「全然」
即答だった。
「僕、そんなに優しくないよ」
「……あァ?」
「興味がなかったら、あの子たちだって助けなかったかもしれないし」
零司は、平然と続けた。
「僕が殺した人間だっている」
一方通行の眉が動いた。
零司は、壊れた水門へ視線を向けた。
「自分の大切なものを守るためなら、他の誰かを犠牲にすることもあると思う」
そして。
「だから、君に人を殺すななんて説教するつもりはないよ」
一方通行は、しばらく少年を見つめていた。
「……だったら」
赤い瞳が、鋭くなる。
「……何で、俺の邪魔をする?」
零司は、少しだけ笑った。
「僕が助けたい子を、君が殺そうとしてるから」
短い答えだった。
「それだけ?」
「うん」
一方通行は、目を細めた。
「……随分と勝手な野郎だなァ」
「そうだね」
零司は頷いた。
「でも、君だって勝手に殺してるんでしょ?」
「…………」
「だったら、お互い様じゃない?」
その言葉に。
一方通行は、声を上げて笑った。
「……クカカカッ!」
そして。
「……いいぜ」
赤い瞳が、獰猛に細くなる。
「だったら、俺はテメェを倒して実験を続けるだけだ!」
零司は、静かに頷いた。
「そうだね」
その瞬間。
周囲に散乱していた金属片が、一斉に浮かび上がった。
一方通行の表情が変わる。
「……あァ!?」
さらに、足元の水面が大きく波打った。
零司は、両手をポケットに入れたまま笑った。
「じゃあ、続ける?」
白髪の少年が、獰猛に笑う。
「――上等だァ!」
その直後。
一方通行が、地面を踏み抜いた。
同時に。
零司の周囲から、無数の金属片が加速する。
正面。
左右。
そして、頭上。
複数の方向から、一方通行を襲った。
だが。
次の瞬間。
すべてが反射された。
金属片が周囲へ吹き飛ぶ。
しかし、零司はすでに別の攻撃へ移っていた。
足元の水が、巨大な柱となって立ち上がる。
さらに、背後のコンクリート壁が内側へ傾いた。
複数の攻撃。
異なる方向。
そして、異なるタイミング。
一方通行は、反射とベクトル操作を駆使して対応する。
水柱を吹き飛ばす。
コンクリートを砕く。
金属片を弾き返す。
そのすべてを、瞬時に行っていた。
「……クカカッ!」
一方通行が笑う。
「……どうしたァ!」
白髪の少年が、零司へ向かって加速した。
「もっとすげェ攻撃を見せてみろよ!」
零司の口元が上がる。
「……いいの?」
その瞬間。
水路の底から、巨大な轟音が響いた。
ゴゴゴゴッ。
一方通行が、僅かに目を細める。
「……何だ?」
直後。
足元のコンクリートが、大きく割れた。
巨大な亀裂。
その両側から、複数の構造材がせり上がる。
さらに、水路の奥から高圧水流が噴き上がった。
一方通行を中心に、巨大な構造物が次々と動き始める。
「……テメェ!」
白髪の少年が、目を見開く。
零司は、静かに笑った。
「さっきより、少し複雑にしてみた」
次の瞬間。
巨大な鋼材が、複数の方向から一方通行へ殺到する。
ドゴォォンッ!
凄まじい轟音。
だが。
「――なめてンじゃねェぞ!」
一方通行が、すべてを弾き返した。
巨大な構造物が吹き飛ぶ。
さらに、周囲の空気が爆発的に流れ始めた。
その力で、白髪の少年が上空へ抜ける。
しかし。
そこには、零司が立っていた。
空中。
何もない場所。
それでも、少年は平然と浮かんでいる。
「……どうだった?」
零司が尋ねた。
一方通行は、歯を剥き出しにした。
「……クソが!」
その表情を見て、零司は少しだけ笑った。
「……やっぱり、君は強いね」
「……当たり前だろォが!」
「うん」
零司は頷いた。
「だから、聞きたいんだよ」
一方通行の眉が動く。
「……何をだ」
「そんなに強い君が」
少年の灰紫色の瞳が、白髪の少年を捉える。
「どうして、研究者の予定に従って人を殺してるのか」
数秒の沈黙。
そして。
「……チッ」
一方通行が、舌打ちした。
その表情には、苛立ちが浮かんでいた。
だが。
今度は、すぐに攻撃してこなかった。
◇
午後八時二分。
旧河川調整施設。
戦闘は、ようやく止まっていた。
周囲には、破壊された構造物が散乱している。
巨大な水門。
砕けたコンクリート。
歪んだ金属製の配管。
その中央で、二人の少年が向かい合っていた。
「……テメェ」
一方通行が、低く呟く。
「……勝ったつもりかよ」
零司は、首を傾げた。
「別に?」
「……あァ?」
「君の反射、まだ破ってないし」
零司は、あっさりと答えた。
「攻撃も、全部防がれたね」
一方通行の口元が歪む。
「……ハッ!」
「でも」
零司は、静かに続けた。
「僕も、君に負けてないよ」
数秒の沈黙。
そして。
一方通行が、低く笑った。
「……クカカッ」
その赤い瞳が、鋭くなる。
「……上等だァ」
零司は、少しだけ笑った。
「今日は、ここまでにしようか」
「……あァ!?」
「君と話したかったことは、だいたい聞けたし」
一方通行は、少年を睨んだ。
「……テメェ、何様のつもりだ」
「久遠零司」
「……そういう意味じゃねェ!」
零司は、楽しそうに笑った。
そして。
「……ねえ、一方通行」
「……何だ!」
「九九七一号たち、まだ生きてるよ」
一方通行の表情が、僅かに変わった。
「……あァ?」
「九九七二号も、九九七三号も」
零司は、静かに続けた。
「今は、僕の家にいる」
数秒の沈黙。
そして。
「……くだらねェ」
一方通行が、吐き捨てる。
だが。
その声には、先ほどまでのような勢いがなかった。
「……それで?」
零司が尋ねる。
一方通行は、しばらく黙っていた。
そして。
「……本当に」
低い声。
「……死にたくねェって言ったのか」
零司は、静かに頷いた。
「言ったよ」
「…………」
「三人ともね」
一方通行は、視線を逸らした。
零司は続けた。
「会ってみる?」
その言葉に。
一方通行の表情が変わった。
「……あァ?」
「本人たちがよければだけど」
零司は、肩をすくめた。
「直接聞けばいいでしょ」
一方通行は、何も答えなかった。
やがて。
「……知るかよ」
低く吐き捨てた。
零司は、少しだけ笑った。
「そっか」
そのまま、踵を返す。
「じゃあ、またね」
一方通行は、少年の背中を睨んでいた。
そして。
「――オイ!」
零司が振り返る。
「何?」
「……次は」
白髪の少年が、歯を剥き出しにする。
「……次は、こんなもンじゃ終わらせねェからな!」
零司は笑った。
「楽しみにしてるよ」
そのまま、夜の街へ向かって歩き始めた。
◇
午後八時二十六分。
第七学区、久遠零司の自宅。
「……おかえり」
玄関の扉が開くと、N-13が顔を出した。
「ただいま」
零司が答える。
その後ろから、N-12が覗き込んだ。
「……怪我は?」
「してないよ」
「……本当に?」
「本当に」
零司は笑った。
N-13が、少しだけ息を吐く。
「……よかった」
部屋へ入る。
そこには、三人の少女が座っていた。
九九七一号。
九九七二号。
九九七三号。
「……質問があります」
九九七一号が口を開いた。
「何?」
「一方通行との接触は、どうなりましたか」
零司は、ソファへ腰を下ろした。
「話してきたよ」
「……戦闘は?」
「したよ」
N-13が顔を上げる。
「……やっぱり」
「向こうもやる気だったからね」
零司は、あっさりと答えた。
N-12が、少しだけ眉をひそめる。
「……それで、勝ったの?」
「決着はついてないよ」
零司は、少しだけ笑った。
「でも、楽しかった」
「……零司らしいね」
N-13が、小さく呟いた。
そのとき。
九九七一号が、再び口を開いた。
「……一方通行は、何と言っていましたか」
零司は、少女を見た。
「君たちが、本当に死にたくないって言ったのか聞かれた」
その言葉に。
三人の少女が、僅かに目を見開いた。
「……ミサカたちが?」
九九七二号が尋ねる。
「そう」
零司は頷いた。
「だから、本当だって答えた」
数秒の沈黙。
そして。
「……そうですか」
九九七一号が、小さく頷いた。
零司は、少女を見つめた。
「……それと」
「何でしょうか」
「直接、会ってみるかって聞いておいた」
その言葉に。
N-13が、目を見開いた。
「……え?」
零司は、九九七一号を見た。
「君たちがよければ、会って話してみてもいいと思う」
九九七二号が、少しだけ首を傾げた。
「……ミサカたちの意思を、確認していただけるのですか」
「もちろん」
零司は頷いた。
「会いたくないなら、会わなくていいよ」
その言葉に。
九九七三号が、小さく目を伏せた。
「……ミサカは」
静かな声。
「……まだ、怖いです」
N-13が、少女へ顔を向けた。
九九七三号は続ける。
「一方通行との接触は、ミサカにとって死亡の可能性を連想させます」
零司は頷いた。
「そっか」
そして。
「じゃあ、無理しなくていいよ」
九九七三号は、僅かに目を瞬かせた。
「……よろしいのですか」
「うん」
零司は笑った。
「怖いのに、わざわざ会う必要ないでしょ」
その言葉に。
少女は、小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
その隣で。
九九七一号が、静かに口を開いた。
「……ミサカは」
零司が顔を向ける。
「何?」
「……会ってみたいと考えています」
N-13の表情が変わった。
「……本当に?」
「はい」
九九七一号は頷いた。
「ミサカは、予定された死亡を回避しました」
そして。
「現在も生存していることを、本人へ伝えたいと考えています」
零司は、しばらく少女を見つめていた。
そして。
「……分かった」
静かに頷いた。
「じゃあ、そうしようか」
◇
同日、午後九時四十三分。
第七学区。
一方通行は、自室のソファへ倒れ込んだ。
「……クソが」
低く呟く。
その手には、缶コーヒー。
だが、開ける気にはならなかった。
久遠零司。
あの少年との三度目の戦闘。
結局、決着はつかなかった。
反射は破られていない。
攻撃も、まともには受けていない。
だが。
相手を倒すこともできなかった。
それどころか。
あの少年は、自分へ次々と攻撃を仕掛けてきた。
巨大な水門。
高圧水流。
鋼材。
コンクリート。
そのすべてを、まるで玩具でも扱うように操っていた。
しかも。
身体を動かす必要すらない。
「……第零位、か」
赤い瞳が、僅かに細くなる。
最強。
学園都市第一位。
その肩書きは、誰にも譲るつもりがない。
だが。
目の前の少年は、そんな肩書きなど気にしていなかった。
戦うことを楽しみ。
勝敗に固執せず。
自分の気分で人を助ける。
そして。
『君、そんなに強いのに、どうして研究者の言うとおりに人を殺してるの?』
あの言葉。
「……チッ」
一方通行は、舌打ちした。
何度も聞いた説明。
妹達は実験用に製造された個体。
人間ではなく、研究のための存在。
そう教えられてきた。
自分も、そう扱ってきた。
だが。
『九九七一号が、甘いジュースを気に入ったこと』
思い出す。
『九九七二号が、自分で飲み物を選ぶようになったこと』
くだらない。
そんなもの、能力の成長には関係ない。
『九九七三号が、死にたくないって言ったこと』
「…………」
一方通行は、缶コーヒーを見つめた。
そして。
ふと、思い出した。
数日前。
旧貨物操車場。
死にかけた九九七〇号。
あの少女へ、自分は確かに問いかけた。
『怖くねェのか』
少女は、恐怖による生理反応があると答えた。
それでも、予定された実験結果を受け入れていた。
「……クソが」
白髪の少年は、缶をテーブルへ置いた。
そのとき。
携帯端末が振動した。
《絶対能力進化計画》
《次回実験:調整中》
《実験運用方式の変更について、後日通知予定》
一方通行は、画面を睨んだ。
研究者たちは、まだ実験を続けるつもりらしい。
それは分かっていた。
だが。
次の実験対象が、また同じ顔をした少女だとしたら。
その少女も。
死にたくないと言うのだろうか。
「…………」
数秒の沈黙。
そして。
一方通行は、端末を裏返した。
「……知るかよ」
低く呟く。
しかし。
その声には、以前のような確信がなかった。
最強になれば、誰も自分へ挑まなくなる。
誰も傷つけずに済むほどの力を手に入れれば。
そんな考えを、いつから抱いていたのか。
今となっては、自分でもよく分からない。
ただ。
目の前に現れた第零位は、そんな自分へ平然と言い放った。
『君、戦うのが嫌なんだ』
そして。
『君は、あの子たちを本当に殺したいの?』
「……うるせェ」
一方通行は、目を閉じた。
だが。
その言葉は、簡単には消えてくれなかった。
学園都市第一位。
最強の超能力者。
その少年が、初めて自分自身の選択を疑い始めていた。
そして、まだ気づいていなかった。
久遠零司が自分の前に現れたことで、これまで当然だった日常が、すでに変わり始めていることに。