八月十五日、午前九時十四分。
学園都市第七学区。
「……会うんだね」
N-13の問いに、ミサカ九九七一号は静かに頷いた。
「はい。ミサカは一方通行との面会を希望します、とミサカは改めて意思を表明します」
久遠零司の部屋。
テーブルを囲む五人の少女たちの間には、いつもとは違う緊張感が漂っていた。
九九七一号。
九九七二号。
九九七三号。
そして、N-12とN-13。
話題になっているのは、学園都市第一位との面会だった。
「……怖くないの?」
N-13が尋ねる。
「恐怖はあります」
九九七一号は即答した。
「ミサカは本来、八月十日の実験で死亡する予定でした。一方通行との接触は、その状況を想起させます」
「……だったら」
「しかし」
九九七一号が顔を上げた。
「恐怖があることと、会いたいと考えることは矛盾しません」
N-13は口を閉じた。
その言葉を聞いていた九九七二号が、静かに頷く。
「ミサカも面会を希望します」
「……九九七二号も?」
「はい。ただし、今回は九九七一号の意思を優先することが適切と判断します」
九九七三号は、二人を見つめていた。
そして、小さく口を開く。
「……ミサカは、同行を希望しません」
N-13が振り返る。
「……うん」
「一方通行との再接触を想像すると、身体に強い緊張が生じます」
九九七三号は、自分の手を見つめた。
「ミサカは、まだ会いたくありません」
「それでいいよ」
ソファから声がした。
久遠零司だった。
黒髪に銀色の髪が混じる少年は、携帯端末を操作しながら会話を聞いていた。
「全員で行く必要なんてないでしょ」
九九七三号が顔を上げる。
「……よろしいのですか」
「君が嫌なら、行かなくていいよ」
零司は、あっさりと答えた。
「誰に会うかくらい、自分で決めればいい」
その言葉に、九九七三号は小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
零司は端末を置いた。
「じゃあ、九九七一号」
「はい」
「本当に会いたいんだね?」
「はい」
「分かった」
零司は立ち上がった。
「まずは、向こうに聞いてくるよ」
N-12が顔を上げる。
「……一方通行に?」
「うん」
「……来てくれるかな」
「さあ?」
零司は肩をすくめた。
「来なかったら、それはそれでいいんじゃない?」
その答えに、九九七一号が頷いた。
「ミサカは面会を希望しますが、相手に強制する意図はありません」
「そういうこと」
零司は笑った。
「じゃ、行ってくる」
玄関へ向かう。
その背中へ、N-13が声を掛けた。
「……零司」
「何?」
「……今度は、戦わないよね?」
零司は少し考えた。
「向こう次第かな」
「……もう」
N-13が眉をひそめる。
零司は笑った。
「少なくとも、今日は喧嘩しに行くわけじゃないよ」
そう告げて、玄関の扉を開いた。
◇
午前十一時二分。
第七学区、某コンビニエンスストア。
「……またテメェか」
一方通行は、露骨に顔をしかめた。
手には缶コーヒー。
その正面には、久遠零司が立っている。
「こんにちは」
「何がこんにちはだ」
白髪の少年は舌打ちした。
「昨日あンだけ暴れて、まだ足りねェってのか?」
「今日は違う用事」
「……あァ?」
「九九七一号が、君に会いたいって」
その瞬間。
一方通行の手が止まった。
「…………は?」
「だから、君に会って話したいんだって」
零司は、平然と続けた。
「昨日、直接会ってみるかって聞いたでしょ?」
「……テメェ」
一方通行の赤い瞳が細くなる。
「本気で言ってンのか?」
「うん」
「……あの人形が、俺に会いたいだァ?」
「そうらしいよ」
「……ハッ!」
一方通行は鼻で笑った。
「何の冗談だよ」
零司は、何も答えなかった。
白髪の少年が続ける。
「俺はあいつを殺す予定だったンだぞ?」
「知ってる」
「……それなのに、会いてェって?」
「本人がそう言ってるんだから、そうなんでしょ」
一方通行は、しばらく零司を睨んでいた。
だが、目の前の少年はまったく動じていない。
「……クソが」
低く吐き捨てる。
「何を考えてやがる」
「僕じゃなくて、あの子に聞けば?」
零司は、少しだけ笑った。
「来るなら、午後二時。第七学区の旧防災訓練広場」
「……行くとは言ってねェぞ」
「うん」
零司は頷いた。
「来なくてもいいよ」
そして、踵を返した。
「じゃあね」
「……オイ!」
背後から声が響く。
零司が振り返る。
「何?」
一方通行は、缶コーヒーを握ったまま立っていた。
数秒の沈黙。
そして。
「……あいつ」
低い声。
「本当に、俺を怖がってねェのか?」
零司は少し考えた。
「怖がってるよ」
「……あァ?」
「普通に怖いって言ってた」
その返答に、一方通行の眉が動く。
「……だったら、何で来る?」
「だから、本人に聞けばいいじゃん」
零司は笑った。
「君も、知りたいんでしょ?」
一方通行は、何も答えなかった。
零司は、それ以上追及しない。
そのまま背を向けて歩き出した。
残された一方通行は、しばらくその背中を睨んでいた。
「……クソが」
小さく呟く。
そして、手元の缶コーヒーへ視線を落とした。
◇
午後一時四十三分。
第七学区、旧防災訓練広場。
「……ここ?」
御坂美琴が周囲を見渡した。
広い舗装地。
使用されなくなった訓練施設。
そして、周囲を囲む金網。
普段は立ち入る者も少ない、静かな場所だった。
「そう」
零司が答える。
「人が少ないし、見通しもいいからね」
美琴は、その隣に立つ九九七一号を見た。
「……本当に大丈夫?」
「はい」
少女は頷いた。
「ミサカは、自分の意思でここへ来ました」
「……そう」
美琴は、少しだけ唇を噛んだ。
一方通行。
妹達を殺してきた張本人。
自分のDNAから生まれた少女たちを、実験のために殺害し続けてきた能力者。
その相手と、目の前の少女を会わせる。
理屈では理解していた。
だが、感情が追いつかない。
「……ねえ、久遠」
「何?」
「あいつが何かしたら、すぐ止めるわよ」
「もちろん」
零司は頷いた。
「僕もそうするつもり」
「……そう」
美琴は小さく息を吐いた。
そのとき。
広場の入口から、足音が響いた。
「……チッ」
不機嫌そうな声。
「面倒くせェことに巻き込みやがって」
白髪の少年が姿を現した。
一方通行。
学園都市第一位。
その赤い瞳が、零司を捉える。
「……来たぞ、ZERO」
零司が笑った。
「律儀だね」
「……ぶっ殺すぞ」
「今日はやめておこうか」
「……チッ」
一方通行は舌打ちした。
そして。
零司の隣に立つ少女へ視線を移した。
「…………」
茶色い髪。
白いブラウス。
灰色のプリーツスカート。
頭に装着されたゴーグル。
ミサカ九九七一号。
八月十日。
自分が殺すはずだった個体。
「……おい」
一方通行が口を開いた。
「何でテメェが生きてンだよ」
九九七一号は、静かに答えた。
「久遠零司の介入により、実験が中止されたためです」
「……ンなこたァ知ってンだよ」
白髪の少年が、顔をしかめる。
「俺が聞いてンのは、何でわざわざ俺に会いに来たかってことだ」
九九七一号は、少しだけ間を置いた。
そして。
「あなたへ、確認したいことがあります」
「……あァ?」
「ミサカ九九七〇号を、覚えていますか」
その瞬間。
一方通行の表情が変わった。
◇
「……九九七〇号?」
「はい」
九九七一号が頷く。
「八月十日午前零時十七分、第七学区旧貨物操車場において死亡した個体です」
一方通行は、何も答えなかった。
だが。
その記録には、覚えがあった。
旧貨物操車場。
倒れた少女。
そして。
『……怖くねェのか』
自分が問いかけた言葉。
『恐怖による生理反応は確認されています』
あの返答。
「……あァ」
一方通行が、低く答えた。
「覚えてるぜ」
九九七一号の目が、僅かに開かれる。
「……そうですか」
「……それがどうした」
少女は、少しだけ視線を落とした。
「ミサカネットワークには、九九七〇号が最後に共有した情報の一部が残されています」
「……ネットワーク?」
「はい」
九九七一号は頷いた。
「すべての記憶が共有されるわけではありません。しかし、当時の状況と感情に関する断片的な情報は残されています」
一方通行の赤い瞳が細くなる。
「……それで?」
「九九七〇号は、恐怖を感じていました」
静かな声。
「しかし、その感情を実験拒否の理由として扱いませんでした」
「……だから何だ」
「ミサカも、以前は同じでした」
九九七一号は、自分の手を見つめた。
「死亡することを予定された結果として受け入れていました」
そして、顔を上げる。
「ですが、現在は異なります」
一方通行は、黙っていた。
「ミサカは、まだ生きたいと考えています」
「…………」
「それを、自分で決めました」
白髪の少年は、目を細めた。
「……クカカッ」
低く笑う。
「随分と立派なことを言うようになったじゃねェか」
九九七一号は、首を傾げた。
「立派であるかどうかは不明です」
「……あァ?」
「ただし、ミサカは現在の生活を継続したいと考えています」
その返答に、一方通行は眉をひそめた。
「……生活?」
「はい」
九九七一号は頷いた。
「朝食を取り、買い物をし、他の個体やN-12たちと会話しています」
「……くだらねェ」
一方通行が、吐き捨てた。
「そんなことが何だってンだよ」
九九七一号は、答えた。
「ミサカにとっては、重要なことです」
その声に、迷いはなかった。
◇
「……テメェ」
一方通行が、低く呟いた。
「何を期待してンだ?」
九九七一号が顔を上げる。
「……期待?」
「俺に謝れってのか?」
白髪の少年が、口元を歪める。
「それとも、実験をやめろって泣きつきに来たのか?」
美琴の拳が、強く握りしめられた。
青白い火花が散る。
だが、零司は動かなかった。
九九七一号自身の答えを待っていた。
「……いいえ」
少女は、静かに首を横へ振った。
「ミサカは、謝罪を要求するために来たのではありません」
「……あァ?」
「また、あなたを許すためでもありません」
その言葉に。
一方通行の表情が、僅かに変わった。
「…………」
九九七一号は続けた。
「ミサカは、あなたを許していません」
静かな声。
怒鳴ることもない。
涙を流すこともない。
ただ、自分の意思を告げていた。
「あなたは、九九七〇号を殺害しました」
「……知ってる」
「そして、それ以前にも多くのミサカが死亡しています」
一方通行は、黙っていた。
「ミサカが生存したことによって、それらの事実が変わるわけではありません」
少女は、一歩前へ出た。
美琴の表情が変わる。
「……ちょっと」
だが、九九七一号は止まらなかった。
「ミサカは、あなたに知ってほしかったのです」
一方通行が、赤い瞳を細める。
「……何をだ」
「あなたが殺そうとした個体が、現在も生きていることを」
「…………」
「そして、死亡した個体にも、恐怖や意思が存在していた可能性があることを」
一方通行は、しばらく少女を見つめていた。
その顔は、御坂美琴と同じだった。
だが、目の前の少女は御坂美琴ではない。
研究員の指示に従って死ぬはずだった個体。
その個体が、今は自分の意思でここへ来ている。
「……だったら」
一方通行が、低く呟いた。
「……俺が次の実験をやめりゃ、満足か?」
九九七一号は、すぐには答えなかった。
そして。
「ミサカは、次の個体が死亡しないことを望みます」
静かに告げる。
「しかし、それによって過去の死亡が取り消されるわけではありません」
「…………」
「ミサカは、あなたを許すかどうかも、まだ決めていません」
一方通行の口元が歪んだ。
「……クカカッ」
だが、その笑いにはいつもの勢いがなかった。
「随分と勝手な人形だなァ」
その瞬間。
「――人形じゃないわよ!」
美琴の声が響いた。
◇
「……御坂さん」
零司が、静かに呼びかけた。
しかし、美琴は止まらなかった。
「あんた、まだそんなこと言ってるの!?」
一方通行が顔を向ける。
「……あァ?」
「この子が何を言ってるか、分からないの!?」
青白い火花が、美琴の身体から散った。
その目には、明確な怒りが浮かんでいる。
「殺された子たちは、もう戻ってこないのよ!」
「……知るかよ」
「……っ!」
一方通行が、低く笑った。
「実験用の人形を何体壊そうが、俺の勝手だろォが」
その言葉に。
美琴の表情が変わった。
次の瞬間。
青白い電撃が迸る。
「――あんたぁっ!」
だが。
電撃は一方通行へ届かなかった。
放電経路が、空中で変化したのだ。
青白い光が左右へ分かれ、地面へ流れていく。
「……っ!?」
美琴が、目を見開いた。
零司は、彼女を見ていた。
「御坂さん」
「……何よ!」
「今は、九九七一号が話してるんでしょ?」
「……でも!」
「君が怒るのは分かるよ」
零司は、静かに続けた。
「でも、あの子の話を途中で終わらせるのは違うんじゃない?」
美琴は、言葉を詰まらせた。
そして。
九九七一号を見る。
少女は、美琴を見つめていた。
「……御坂美琴」
「……何?」
「ミサカのために怒っていただき、ありがとうございます」
「…………」
「ですが、ミサカは自分の言葉で伝えたいと考えています」
美琴の表情が、僅かに緩んだ。
そして。
「……分かったわ」
小さく頷く。
「……ごめん」
九九七一号は、首を横へ振った。
「謝罪は不要です」
その返答に、美琴は苦笑した。
零司は、二人の様子を見ていた。
そして、再び一方通行へ視線を向ける。
「……じゃあ、続けようか」
一方通行が舌打ちする。
「……チッ」
◇
午後二時十七分。
旧防災訓練広場。
「……一つ、聞いてもよいでしょうか」
九九七一号が口を開いた。
一方通行が、面倒くさそうに顔を向ける。
「……まだあンのかよ」
「はい」
「……何だ」
少女は、静かに尋ねた。
「あなたは、ミサカたちが死にたくないと考えていることを、今後も無視しますか」
その瞬間。
一方通行の表情が変わった。
「…………」
零司は、何も言わなかった。
美琴も、少女を見つめていた。
一方通行は、しばらく黙っていた。
そして。
「……テメェらが何を考えてようが」
低い声。
「……俺には関係ねェ」
九九七一号は、頷いた。
「……そうですか」
その返答は、あまりにも静かだった。
まるで、予想していた結果を確認したかのように。
だが。
「では、ミサカも自分の判断に従います」
一方通行の眉が動く。
「……何?」
「ミサカは、あなたに殺されることを拒否します」
少女は、はっきりと告げた。
「今後も、生存を希望します」
「……ハッ!」
一方通行が、鼻で笑った。
「俺に逆らうってのか?」
「はい」
即答だった。
「必要であれば、抵抗します」
その言葉に。
一方通行は、目を見開いた。
実験用の人形。
命令に従い。
予定された死亡を受け入れる存在。
そのはずだった少女が、自分へ抵抗すると言っている。
「……クカカッ」
白髪の少年が、低く笑った。
そして。
「……だったら」
一歩前へ出る。
「……今ここで、実験の続きをしてやろうか?」
その瞬間。
広場の空気が変わった。
◇
ガギンッ!
一方通行の足元。
厚い舗装地が、突然大きく歪んだ。
「……あァ!?」
次の瞬間。
巨大なコンクリート片が、下方から跳ね上がった。
一方通行の身体へ向かって加速する。
「――チッ!」
反射。
コンクリートが、凄まじい勢いで弾き返された。
しかし。
その先では、すでに別の攻撃が始まっていた。
広場の周囲に設置されていた金属製の訓練設備。
その支持具が、一斉に変形する。
ガギギギッ!
複数の鋼材が、異なる方向から一方通行へ殺到した。
「……テメェ!」
一方通行が叫ぶ。
鋼材は反射され、周囲へ吹き飛んだ。
だが、零司は攻撃を止めなかった。
地面の支持構造。
空気圧。
金属の応力。
それらを同時に変更し、一方通行の周囲だけを戦闘区域へ変えていく。
九九七一号や美琴のいる場所には、瓦礫一つ飛んでこなかった。
「――ZERO!」
一方通行が、怒鳴った。
その声に。
零司が、静かに答える。
「何?」
少年の両手は、ポケットに入ったままだった。
「君、今何て言った?」
「……あァ!?」
「実験の続きをするって」
零司の灰紫色の瞳が、細くなる。
「僕の目の前で?」
一方通行の表情が変わった。
「……テメェ」
その瞬間。
零司の周囲に、複数の金属片が浮かび上がった。
それらが、一斉に加速する。
ドゴォンッ!
一方通行が、すべてを反射した。
だが、その衝撃で周囲の構造物が崩れ、移動経路が塞がれる。
さらに、別の方向から鋼材が迫る。
「……クソが!」
一方通行が舌打ちした。
反射で弾き返す。
身体のベクトルを操作し、上空へ移動する。
だが、その先でも圧縮された空気が待ち構えていた。
零司は、一歩も動いていない。
「……ねえ、一方通行」
静かな声。
「君、僕と遊びたいの?」
白髪の少年が、零司を睨んだ。
「……あァ!?」
「だったら、ちゃんと相手してあげるよ」
零司は、少しだけ笑った。
「でも、あの子に手を出すなら話は別」
その声に、先ほどまでの気楽さはなかった。
「次は、僕も途中でやめるとは限らないから」
一方通行は、しばらく零司を睨んでいた。
そして。
「……チッ!」
舌打ちする。
身体の周囲に渦巻いていた気流が、ゆっくりと収まった。
「……分かったよ」
低い声。
「今日はやめてやる」
零司は、静かに頷いた。
「そう」
次の瞬間。
周囲の構造物の動きが止まった。
歪んだ鋼材が、地面へ落ちる。
砕けたコンクリートが、乾いた音を立てて転がった。
戦闘は、数十秒で終わっていた。
◇
「……一方通行」
九九七一号が、静かに呼びかけた。
白髪の少年が、顔を向ける。
「……何だよ」
「最後に、一つだけ」
「……まだあンのか」
「はい」
九九七一号は、自分の胸元へ手を当てた。
「ミサカは、あなたに会ってよかったと考えています」
その言葉に。
一方通行が、目を細めた。
「……はァ?」
「あなたが、ミサカたちを人形だと考えていることを確認できました」
「……それで?」
「今後、その認識が変わるかどうかは、あなた自身の問題です」
少女は、静かに続けた。
「ですが、ミサカは今日の会話を記憶します」
「…………」
「そして、あなたにも記憶してほしいと考えています」
一方通行の表情が変わった。
「……何をだ」
「ミサカ九九七一号が、あなたに会いに来たことを」
少女は、一歩後ろへ下がった。
「ミサカは、ミサカ九九七一号です」
その声は、決して大きくなかった。
だが。
一方通行には、はっきりと聞こえていた。
「九九七〇号ではありません」
「…………」
「九九七二号でも、九九七三号でもありません」
少女は、静かに頭を下げた。
「一人の個体として、あなたに会いに来ました」
そして。
「……本日は、ありがとうございました」
一方通行は、何も答えなかった。
九九七一号は、それ以上言葉を重ねない。
零司の方へ振り返った。
「……久遠零司」
「何?」
「ミサカの用件は終了しました」
零司は頷いた。
「そっか」
そして。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい」
九九七一号が頷く。
美琴も、二人へ歩み寄った。
そのまま三人は、広場の出口へ向かう。
一方通行は、黙ってその背中を見送っていた。
だが。
途中で、零司が振り返った。
「……ああ、そうだ」
一方通行が顔を上げる。
「……何だよ」
「君、さっき実験の続きをするって言ったよね」
「……あァ?」
零司は、静かに笑った。
「僕、冗談だとは思ってないから」
その言葉に。
一方通行の表情が変わった。
「…………」
「次にあの子たちを殺そうとするなら、また僕が止めるよ」
そして。
「そのときは、今日より面倒なことになると思うけど」
零司は、肩をすくめた。
「まあ、君が決めることだね」
そのまま、背を向ける。
白髪の少年は、何も答えなかった。
◇
午後三時三十八分。
第七学区、久遠零司の自宅。
「……おかえり」
玄関の扉が開くと、N-13が顔を出した。
「ただいま」
零司が答える。
その後ろには、九九七一号。
さらに、御坂美琴。
「……大丈夫だった?」
N-13が尋ねた。
九九七一号は頷いた。
「はい。ミサカは無事に帰還しました」
「……よかった」
N-13が、ほっと息を吐いた。
その奥から、九九七二号と九九七三号が姿を見せる。
「面会は、どうでしたか」
九九七二号が尋ねた。
九九七一号は、少しだけ考えた。
そして。
「……一方通行は、ミサカたちを人形と認識していました」
九九七三号が、目を伏せる。
「……そうですか」
「はい」
九九七一号は頷いた。
「ただし、ミサカの意思を直接伝えることはできました」
N-12が顔を上げる。
「……それで?」
九九七一号は、静かに答えた。
「ミサカは、今後も生きたいと考えています」
短い言葉だった。
N-13が、微笑んだ。
「……うん」
そのとき。
美琴が、零司へ顔を向けた。
「……ねえ」
「何?」
「あんた、今日も攻撃したわね」
「したね」
零司は、あっさりと頷いた。
美琴が、深く息を吐く。
「……相手があいつだから、仕方ないけど」
「そう?」
「でも、あんたが本気で戦い始めたら、周りがどうなるか分からないでしょ」
零司は、少しだけ考えた。
「今日はちゃんと場所を選んだよ」
「……そういう問題じゃなくて」
美琴は、言葉を詰まらせた。
そして。
「……まあ、いいわ」
小さく息を吐く。
「今日は、あの子が無事に帰ってきたんだから」
零司は笑った。
「そうだね」
その言葉に。
美琴も、少しだけ表情を緩めた。
◇
午後六時四十二分。
第七学区、某研究施設。
「……第一位から、連絡は?」
研究主任が尋ねた。
隣の研究員が、端末を確認する。
「現在、正式な回答はありません」
「……そうか」
主任は、画面を見つめた。
《絶対能力進化計画》
《実験運用:暫定保留》
《次回実験:調整中》
《協力能力者:一方通行》
その下に、新しい項目が追加されている。
《個体行動傾向》
《九九七一号:計画外接触》
《接触対象:一方通行》
《結果:観測情報不足》
主任の目が細くなる。
「……直接会ったのか」
研究員が頷く。
「はい。ただし、接触内容については十分な記録が取得できていません」
「……ZEROが同行していたためか」
「その可能性があります」
主任は、しばらく画面を見つめていた。
そして。
「……厄介だな」
小さく呟いた。
久遠零司。
御坂美琴。
そして、妹達。
これまで実験用の個体として管理されていた少女たちが、自分の意思で行動し始めている。
その影響は、研究計画の運用にも現れ始めていた。
「……第一位へ、連絡を入れろ」
主任が告げた。
「実験再開時の協力意思を確認する」
研究員が頷く。
「了解しました」
端末が操作される。
《一方通行》
《実験再開に関する意向確認》
《送信》
数秒後。
通信が接続された。
『……あァ?』
不機嫌そうな声。
「一方通行さん。絶対能力進化計画の運用再開について、ご連絡しました」
『……で?』
「次回実験の日程は現在調整中ですが、再開後もご協力いただけますでしょうか」
短い沈黙。
そして。
『……オイ』
「はい?」
『テメェら、俺が何も考えずに命令を聞くと思ってンのか?』
研究主任の表情が変わった。
「……何をおっしゃっているのですか」
『実験の予定を勝手に決めて、俺を呼び出して』
低い声。
『そのたびに、同じ顔の人形を連れてきやがる』
「……それが研究計画ですので」
『……チッ』
一方通行が、舌打ちした。
『次の予定は、まだ決めンな』
主任が、目を見開いた。
「……それは、どういう意味でしょうか」
『そのまンまの意味だ』
そして。
『俺が参加するかどうかは、俺が決める』
通信が切れた。
研究主任は、端末を見つめていた。
数秒後。
「……どうしますか」
研究員が尋ねる。
主任は、ゆっくりと息を吐いた。
絶対能力進化計画。
第一位をレベル6へ進化させるための研究。
その中心にいる能力者が、実験の参加について態度を変え始めた。
「……上位管理者へ報告しろ」
主任が、静かに告げる。
「第一位の協力意思が不確定となった」
研究員が頷く。
「了解しました」
そして、報告書の作成を始めた。
だが、主任は別の資料を開いていた。
《研究計画》
《継続条件》
《協力能力者の参加》
そこには、実験を進めるために必要な条件が並んでいる。
第一位の協力。
量産個体の管理。
研究設備。
そして、実験実施の承認。
主任は、低く呟いた。
「……こうなれば」
その目が細くなる。
「……計画そのものの運用を、見直す必要があるな」
◇
午後九時十七分。
第七学区。
一方通行は、自室のソファに座っていた。
テーブルには、開けられていない缶コーヒー。
その隣には、携帯端末。
画面には、先ほどの研究施設からの連絡履歴が表示されている。
「……クソが」
白髪の少年は、低く呟いた。
今日、会った少女。
ミサカ九九七一号。
自分が殺すはずだった個体。
その少女は、確かに生きていた。
しかも。
自分の意思で、会いに来た。
『ミサカは、あなたを許していません』
あの言葉。
「…………」
一方通行は、目を閉じた。
謝罪を求められたわけではない。
許してほしいと言われたわけでもない。
ただ。
自分が殺そうとした少女が、生きていることを伝えに来た。
それだけだった。
『ミサカは、ミサカ九九七一号です』
その言葉が、頭から離れなかった。
同じ顔。
同じ声。
同じように製造された個体。
だが。
あの少女は、自分を九九七一号だと名乗った。
他の個体とは違う存在として。
「……くだらねェ」
一方通行は、低く呟いた。
しかし。
その声には、確信がなかった。
ふと、思い出す。
八月十日。
旧貨物操車場。
死亡した九九七〇号。
あの少女へ、自分は問いかけた。
『怖くねェのか』
その答えは。
『恐怖による生理反応は確認されています』
「…………」
一方通行は、目を開いた。
そして、携帯端末を手に取った。
絶対能力進化計画。
実験再開に関する通知。
その画面を、しばらく見つめる。
「……チッ」
舌打ち。
そして。
端末を裏返した。
「……俺が決めるっつってンだろ」
誰に聞かせるでもない、低い声。
学園都市第一位。
一方通行。
その少年は、まだ自分の行為を悔いてはいなかった。
殺した妹達を、許されない罪として受け入れたわけでもない。
だが。
少なくとも、研究者に言われるまま次の実験へ向かうことには、疑問を抱き始めていた。
そして。
その変化を、研究者たちは歓迎していなかった。
◇
同日、午後十一時三十八分。
学園都市第十八学区。
薄暗い管理室。
一人の男が、報告書を読み終えた。
《絶対能力進化計画》
《協力能力者:一方通行》
《参加意思:不確定》
《実験運用:継続困難》
男は、資料を机へ置いた。
「……なるほど」
静かな声。
その隣で、研究員が尋ねる。
「……今後、どう対応しますか」
男は、しばらく考えた。
第一位。
一方通行。
絶対能力進化計画の中心となる能力者。
その協力が得られなければ、従来の実験方式は成立しない。
だが。
研究計画に関わる組織は、一つではない。
予算。
設備。
研究員。
そして、量産個体。
それらは、まだ残されている。
「……計画を中止するつもりはない」
男が告げた。
「しかし、従来の方式では難しいだろう」
研究員が顔を上げる。
「……では?」
男は、別の資料を開いた。
そこには、複数の研究計画が記されている。
絶対能力進化計画。
量産型能力者研究。
そして、過去に凍結された複数の関連研究。
「……我々は、研究者だ」
男は、静かに続けた。
「一つの方法が使えなくなったなら、別の方法を検討する」
研究員が、頷く。
「……了解しました」
男は、画面を見つめた。
久遠零司。
御坂美琴。
一方通行。
そして、妹達。
彼らの行動によって、研究計画は大きく変化し始めている。
だが。
その変化が、必ずしも妹達にとって望ましい結果になるとは限らない。
男は、静かに呟いた。
「……ZERO」
その目が細くなる。
「君が守ろうとしているものは、本当にすべて守り切れるのかな」
研究者たちは、まだ諦めていなかった。
そして。
久遠零司も、まだ知らなかった。
自分の介入によって救われる者がいる一方で、別の場所では異なる運命が動き始めていることを。