とある学園都市の第零位《ゼロナンバー》   作:右左右左右

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第35話 救われなかったもの

 八月十六日、午前九時七分。

 

 学園都市第七学区。

 

「……また増えるの?」

 

 N-13が、呆れたように呟いた。

 

 その視線の先。

 

 久遠零司は、不動産情報の表示された端末を眺めていた。

 

「まだ増えるって決まったわけじゃないよ」

 

「……でも、探してる」

 

「広い部屋?」

 

「……うん」

 

 零司は笑った。

 

「それは前からでしょ」

 

 現在、この部屋には六人が暮らしている。

 

 零司。

 

 N-12。

 

 N-13。

 

 そして、ミサカ九九七一号から九九七三号までの三人。

 

 もともと一人で生活することを想定した部屋だ。

 

 当然、全員が十分な個室を確保できるわけではない。

 

 ソファは九九七一号と九九七二号が交代で使い、寝具は床まで広がっている。

 

「……零司」

 

 N-12が、包帯の巻かれた左腕を庇いながら口を開いた。

 

「……そろそろ、本当に限界」

 

「そうだねぇ」

 

「……昨日も同じこと言った」

 

「今日はちゃんと探してるよ」

 

 そう言って、端末を掲げる。

 

 そこには複数の賃貸物件が表示されていた。

 

 ただし、条件は一般的な引っ越しとは少し違う。

 

 広さ。

 

 部屋数。

 

 出入口の数。

 

 そして、外部から監視されにくい構造。

 

 研究施設から逃げ出した少女たちと暮らす以上、単純に広いだけでは不十分だった。

 

「……質問があります」

 

 九九七一号が、テーブルから顔を上げた。

 

「何?」

 

「ミサカたちが生活するために、新しい住居を確保する必要があるのでしょうか」

 

「まあね」

 

 零司は頷いた。

 

「君たち、これからもここにいるんでしょ?」

 

「……はい」

 

「だったら、広い方がいいじゃん」

 

 九九七一号は、少しだけ考えた。

 

「……了解しました」

 

 その隣。

 

 九九七二号が、静かに口を開く。

 

「ミサカは、個人用の収納設備を希望します」

 

「収納?」

 

「はい。購入した飲料や私物を保管する場所が必要です」

 

 零司は、目を瞬かせた。

 

「私物、増えたの?」

 

「はい」

 

 九九七二号は、足元に置かれた小さな袋を持ち上げた。

 

 中には、昨夜購入した菓子と飲み物が入っている。

 

「他の個体と区別して管理したいと考えています」

 

「……なるほど」

 

 零司は笑った。

 

「じゃあ、棚も必要だね」

 

 そのとき。

 

 九九七一号の表情が変わった。

 

「……異常を確認しました」

 

 零司が顔を向ける。

 

「何?」

 

「ミサカネットワークに、通常と異なる情報が共有されています」

 

 九九七二号と九九七三号も、ほぼ同時に顔を上げた。

 

「……何かあった?」

 

 N-13が尋ねる。

 

 九九七一号は、少しだけ目を伏せた。

 

 数秒後。

 

「ミサカ九九七四号からの情報です」

 

 零司の目が細くなる。

 

「……内容は?」

 

 少女は、静かに答えた。

 

「実験予定とは異なる理由によって、複数の個体が移送されるとのことです」

 

「……移送?」

 

「はい」

 

 そして。

 

「移送に際して、対象個体の管理区分が変更されると通知されています」

 

 N-12が眉をひそめた。

 

「……管理区分?」

 

 九九七三号が、静かに口を開く。

 

「ミサカたちには、複数の管理区分が存在します」

 

「……どんな?」

 

「実験対象。待機個体。調整中個体。その他の研究用個体です」

 

 その説明に、N-13が顔をしかめた。

 

「……物みたい」

 

「研究施設では、そのように扱われています」

 

 九九七三号は、淡々と答えた。

 

 零司は、端末を置いた。

 

「……それで、九九七四号は?」

 

 九九七一号が、少しだけ間を置く。

 

「現在、移送準備中とのことです」

 

「場所は?」

 

「正確な位置情報は共有されていません」

 

「……そう」

 

 零司は、ソファから立ち上がった。

 

 そのとき。

 

 九九七一号が、再び顔を上げた。

 

「……追加の通信があります」

 

 全員が少女を見る。

 

 九九七一号は、静かに続けた。

 

「九九七四号から、直接の質問です」

 

「何て?」

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「……実験は止まったはずなのに、どうしてミサカたちは連れて行かれるのでしょうか」

 

 部屋が静まり返った。

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

「……さあね」

 

 そして、携帯端末を手に取った。

 

「御坂さんに連絡してみようか」

 

     ◇

 

 同日、午前八時二十五分。

 

 第十八学区、研究管理施設。

 

「……実験方式の再評価は継続しています」

 

 研究員が報告した。

 

 その正面。

 

 黒いスーツを着た男が、端末を確認していた。

 

 真壁。

 

 絶対能力進化計画に関係する運用管理部門の統括担当者だった。

 

 男は、画面を切り替える。

 

《絶対能力進化計画》

 

《通常実験:暫定保留》

 

《協力能力者:一方通行》

 

《参加意思:不確定》

 

 真壁は、僅かに眉をひそめた。

 

「……第一位まで態度を変えるとはな」

 

 研究員が頷く。

 

「昨日の接触以降、研究側への回答を保留しています」

 

「久遠零司か」

 

「はい」

 

 男は、しばらく画面を見つめていた。

 

 非公式の第零位。

 

 久遠零司。

 

 研究所への介入。

 

 妹達の救出。

 

 そして、実験再開手続きへの妨害。

 

 そのうえ、一方通行本人にまで接触した。

 

「……面倒な相手だ」

 

 真壁は呟いた。

 

 そのとき、別の研究員が資料を差し出す。

 

「量産個体の管理再編について、承認をお願いします」

 

 真壁は資料を受け取った。

 

《量産個体管理再編計画》

 

《対象:一部待機個体》

 

《目的:研究資材の再配置》

 

 その下には、複数の管理番号が並んでいた。

 

《九九七四号》

 

《九九七五号》

 

《九九七六号》

 

《九九七七号》

 

 真壁は、次のページを開いた。

 

《再編後の管理区分》

 

《継続研究対象:選別》

 

《研究利用終了個体:処理》

 

 そこで指が止まる。

 

「……処理?」

 

「はい」

 

 研究員が答えた。

 

「現在の実験方式で使用する予定だった個体の一部を、研究管理上の対象から除外します」

 

「除外した後は?」

 

「施設の規定に従って処分します」

 

 真壁は、研究員を見た。

 

「……生存したまま保管するのではないのか」

 

「維持費と管理上の危険性を考慮した結果です」

 

 研究員は、平然と答えた。

 

「特に、ミサカネットワークを通じて他個体へ影響を及ぼす可能性があるため、管理対象の削減が提案されています」

 

 真壁は、少しだけ考えた。

 

 実験の暫定保留。

 

 第一位の協力意思の変化。

 

 そして、妹達の独自行動。

 

 研究側にとって、計画の前提が次々と崩れている。

 

 ならば。

 

「……必要な個体だけを残す、か」

 

 真壁は、資料へ視線を戻した。

 

「実験の保留とは、別の手続きだな?」

 

「はい。研究資材の管理上の措置として処理できます」

 

「……分かった」

 

 男は頷いた。

 

「進めろ」

 

 それだけだった。

 

 四人の少女の運命は、数行の書類によって変更された。

 

     ◇

 

 午前十一時十八分。

 

 第十八学区、共同研究監理棟。

 

「……これは」

 

 榊原は、画面に表示された資料を見つめていた。

 

 数日前。

 

 久遠零司の介入によって、絶対能力進化計画の再評価申請を提出した男。

 

 共同研究監理棟の運用責任者だった。

 

 その端末に、新しい通知が届いている。

 

《量産個体管理再編》

 

《対象個体:四体》

 

《移送先:第十八学区・第四医療管理棟》

 

《管理処理予定:本日》

 

 榊原は、眉をひそめた。

 

「……管理処理?」

 

 さらに、資料を開く。

 

 そこには、具体的な処理内容が記されていた。

 

 研究利用終了個体の廃棄。

 

 生体管理の終了。

 

 そして、記録の整理。

 

「……馬鹿な」

 

 男は、思わず呟いた。

 

 絶対能力進化計画は暫定保留中。

 

 だが、その保留は戦闘実験を対象としたものだった。

 

 研究側は、管理区分の変更によって、別の手続きを進めようとしている。

 

「……これでは」

 

 榊原は、椅子から立ち上がった。

 

「……結局、同じことではないか」

 

 四体。

 

 数字にすれば、それだけ。

 

 だが、その数字が意味するものを、榊原は理解していた。

 

 生きた人間が四人。

 

 そして、研究利用が終了したという理由だけで、処分されようとしている。

 

 男は、端末を操作した。

 

《異議申請》

 

《管理処理の再確認要求》

 

 しかし。

 

 画面には、別の表示が現れた。

 

《申請権限なし》

 

「……何?」

 

 榊原は、別の項目を確認した。

 

 管理再編は、共同研究監理部門の審査対象から外されている。

 

 つまり。

 

 この施設からは、正式な停止申請を出せない。

 

「……そういうことか」

 

 男は、深く息を吐いた。

 

 絶対能力進化計画。

 

 その研究を支える組織は、複数存在している。

 

 だが、それぞれの組織が担当する範囲は異なる。

 

 戦闘実験を止めても、管理部門が別の理由で個体を処分できる。

 

 その抜け道を、研究側は利用したのだ。

 

 榊原は、資料を見つめた。

 

 そして。

 

「……ふざけるな」

 

 小さく呟いた。

 

 自分も、この研究に関与してきた。

 

 承認記録を管理し、必要な書類を処理してきた。

 

 少女たちが死亡することを知りながら、仕事として受け入れてきた。

 

 今さら、自分だけが正しい人間だと主張するつもりはない。

 

 だが。

 

 実験を保留した直後に、別の理由で同じ少女たちを処分する。

 

 その手続きを、何も見なかったことにはできなかった。

 

 榊原は、資料の複製を開始した。

 

     ◇

 

 正午十二時三分。

 

 第七学区、某喫茶店。

 

「……研究資材の再配置?」

 

 御坂美琴が、端末を睨んだ。

 

 久遠零司は、向かいの席でコーヒーを飲んでいた。

 

「そうらしいね」

 

「……実験は止まってるのに?」

 

「止まってるのは、戦闘実験だけだから」

 

 美琴は、顔をしかめた。

 

「……嫌な予感がする」

 

「僕も」

 

 零司は、あっさりと答えた。

 

 そのとき。

 

 美琴の携帯端末が振動した。

 

 画面に表示されたのは、研究管理部門の資料だった。

 

「……あれ?」

 

 美琴が眉をひそめる。

 

「……何これ」

 

 昨日まで調査していた管理系統。

 

 そこに、新しい記録が追加されていた。

 

《量産個体管理再編》

 

《対象:九九七四号〜九九七七号》

 

《移送先:第四医療管理棟》

 

 美琴の表情が変わる。

 

「……久遠!」

 

 零司が顔を上げる。

 

「何?」

 

「……見つけた!」

 

 端末を差し出す。

 

「九九七四号たちの移送先!」

 

 零司は、画面を確認した。

 

 そして。

 

「……第四医療管理棟」

 

 小さく呟く。

 

 その下には、処理予定時刻が記されていた。

 

《管理処理予定:十四時》

 

 零司の目が細くなる。

 

「……あと二時間か」

 

 美琴が立ち上がった。

 

「行くわよ!」

 

「そうだね」

 

 零司も、椅子から立ち上がる。

 

 そのとき。

 

 端末に、もう一つの通知が届いた。

 

《管理上の注意》

 

《対象個体の研究利用終了に伴い、生体管理を停止》

 

 美琴の顔色が変わった。

 

「……生体管理を停止?」

 

 零司は、画面を見つめた。

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「……なるほど」

 

 静かな声。

 

「実験ができないなら、使わない子を処分するってことか」

 

 美琴は、拳を握りしめた。

 

「……どこまで!」

 

 零司は、端末を置いた。

 

 その表情から、笑みが消えていた。

 

「……行こうか」

 

     ◇

 

 午後一時二十一分。

 

 第十八学区、第四医療管理棟。

 

 白い建物だった。

 

 外壁には、研究医療施設を示す案内板。

 

 入口には、通常の病院と変わらない受付。

 

 だが、建物の奥には、関係者しか入れない隔離区画が存在していた。

 

「……ここね」

 

 美琴が、建物を見上げる。

 

「うん」

 

 零司は頷いた。

 

 そのとき。

 

 携帯端末が振動する。

 

 N-12からの連絡だった。

 

『……零司』

 

「何?」

 

『……九九七四号から、また通信があった』

 

「内容は?」

 

『……移送された先で、ほかのミサカたちと一緒にいるって』

 

「……そう」

 

『……それと』

 

 N-12の声が、僅かに震えた。

 

『……処分って言葉を聞いたみたい』

 

 零司は、建物の入口を見た。

 

「分かった」

 

『……助けられる?』

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「今から行くよ」

 

 零司は、静かに答えた。

 

 通話を切る。

 

 その隣で、美琴が建物を睨んでいた。

 

「……もう、我慢できない」

 

 青白い火花が、少女の身体から散る。

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「じゃあ、先に行く?」

 

「……言われなくても!」

 

 美琴が、入口へ向かった。

 

     ◇

 

 午後一時二十六分。

 

 第四医療管理棟、地下隔離区画。

 

「……対象個体の処理準備が完了しました」

 

 研究員が報告した。

 

 監視室の中央。

 

 医療管理責任者が、端末を確認している。

 

《対象個体》

 

《九九七四号》

 

《九九七五号》

 

《九九七六号》

 

《九九七七号》

 

 四体。

 

 いずれも、待機個体として管理されていた少女たちだった。

 

「……処理開始まで、三十四分か」

 

 責任者が呟く。

 

 そのとき。

 

 警報が響いた。

 

《警告》

 

《第一階層:不正侵入》

 

「……何?」

 

 研究員が、顔を上げる。

 

 監視モニターが切り替わった。

 

 そこには、二人の人物が映っている。

 

 茶色い髪の少女。

 

 そして、黒髪に銀色の髪が混じる少年。

 

「……第三位!?」

 

 研究員が叫ぶ。

 

 さらに。

 

「……ZERO!」

 

 責任者の顔色が変わった。

 

 その瞬間。

 

 画面が大きく揺れた。

 

 ガギギギッ!

 

 入口を塞ぐ厚い金属製の隔壁。

 

 その固定部分が、突然変形し始めた。

 

 ボルトが外れる。

 

 支持部が歪む。

 

 そして。

 

 ドォンッ!

 

 巨大な隔壁が、壁の内側へ倒れ込んだ。

 

 その向こう。

 

 久遠零司が、両手をポケットに入れたまま立っていた。

 

「……こんにちは」

 

 静かな声。

 

「ここに、女の子が四人いるでしょ?」

 

 責任者は、答えなかった。

 

 その代わり。

 

 警備員へ向かって叫んだ。

 

「……侵入者を排除しろ!」

 

     ◇

 

 ガガガガッ!

 

 銃声が響いた。

 

 しかし、零司には届かない。

 

 発射された弾丸は、途中で軌道を変え、壁や天井へ突き刺さっていく。

 

「……っ!?」

 

 警備員たちが、目を見開いた。

 

 その直後。

 

 零司の周囲で、床材が大きく変形した。

 

 ガギンッ!

 

 金属製の支持部がせり上がる。

 

 警備員の足元を塞ぎ、身体の自由を奪った。

 

「……ぐっ!?」

 

 一人が倒れる。

 

 続いて、別の男の武器が手元から弾き飛ばされた。

 

 零司は、一歩も動いていなかった。

 

「……ねえ」

 

 静かな声。

 

「僕、急いでるんだけど」

 

 次の瞬間。

 

 廊下の奥から、別の警備員が現れた。

 

 その手には、特殊な発射装置。

 

 銃身から、複数の硬質弾が放たれる。

 

 しかし。

 

 弾丸が零司へ届くより早く、発射装置そのものが変形した。

 

 ガギンッ!

 

「……何!?」

 

 男が、目を見開く。

 

 その直後。

 

 足元の床が、僅かに沈んだ。

 

 身体が崩れる。

 

 男は、そのまま壁際へ倒れ込んだ。

 

「……はい、終わり」

 

 零司は、廊下を見渡した。

 

 警備員たちは、全員動けなくなっている。

 

 だが、誰も死亡していない。

 

 その後ろから、美琴が歩いてきた。

 

「……珍しいじゃない」

 

「何が?」

 

「全員、生かしてる」

 

 零司は、少しだけ笑った。

 

「今日は面倒だからね」

 

「……どういう意味よ」

 

「死体が増えると、後片づけが大変でしょ」

 

「……あんたねぇ」

 

 美琴は、深く息を吐いた。

 

 そのとき。

 

 廊下の奥から、警報が響き始めた。

 

《警告》

 

《隔離区画:緊急封鎖》

 

《環境制御設備:作動》

 

 美琴の表情が変わる。

 

「……何!?」

 

 次の瞬間。

 

 通路の換気音が止まった。

 

 さらに、天井から機械的な音が響き始める。

 

 隔離区画の空気環境を変更する設備が作動したのだ。

 

「……こいつら!」

 

 美琴が、歯を食いしばる。

 

 だが。

 

 零司は、天井を見上げただけだった。

 

「……そういうの、やめてほしいな」

 

 次の瞬間。

 

 設備の内部から、金属音が響いた。

 

 ガギンッ!

 

 閉じられた換気経路が、再び開く。

 

 内部の弁が変形し、気体の供給経路が遮断された。

 

 続いて、空気が動き始める。

 

 隔離区画内の圧力差が調整され、正常な換気が回復していく。

 

「……なっ!?」

 

 監視室で、研究員が叫んだ。

 

「……環境制御が、解除された!?」

 

 零司は、廊下の奥へ向かった。

 

「……さて」

 

 その灰紫色の瞳が、僅かに細くなる。

 

「今度は、ちゃんと女の子を返してもらおうか」

 

     ◇

 

 午後一時三十四分。

 

 第四医療管理棟、隔離室。

 

「……質問があります」

 

 ミサカ九九七四号が口を開いた。

 

 室内には、同じ顔をした少女が四人並んでいる。

 

 全員、白い検査着を着用していた。

 

「ミサカたちは、これからどうなるのでしょうか」

 

 監視装置から、研究員の声が返ってくる。

 

『管理処理を行う』

 

「……管理処理?」

 

『そうだ』

 

 九九七四号は、少しだけ考えた。

 

「ミサカたちは、実験への参加を予定されていました」

 

『計画が変更された』

 

「……そうですか」

 

 少女は、静かに頷いた。

 

 だが、その隣。

 

 九九七五号が口を開いた。

 

「……質問があります」

 

『何だ』

 

「管理処理とは、死亡を伴うのでしょうか」

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

『……そうだ』

 

 その瞬間。

 

 室内が静まり返った。

 

 九九七六号が、僅かに目を伏せた。

 

 九九七七号は、自分の手を見つめている。

 

 九九七四号は、しばらく黙っていた。

 

 やがて。

 

「……確認します」

 

 静かな声。

 

「ミサカたちは、実験に参加しなくても死亡するということでしょうか」

 

『そういうことになる』

 

 九九七四号は、目を閉じた。

 

 数日前。

 

 ミサカネットワークを通じて、九九七一号から情報を受け取った。

 

 実験へ参加せず、生存した個体。

 

 その個体が、今も生活している。

 

 朝食を食べ。

 

 飲み物を選び。

 

 誰かと会話している。

 

 その情報は、九九七四号にとって理解しにくいものだった。

 

 だが。

 

 今は、少しだけ分かる。

 

「……ミサカは」

 

 少女が口を開いた。

 

 その声が、僅かに震える。

 

「……死にたくありません」

 

 その瞬間。

 

 監視装置の向こうで、研究員が何かを操作した。

 

 だが。

 

 次の瞬間。

 

 ガギギギッ!

 

 隔離室の壁が、突然変形し始めた。

 

「……何?」

 

 九九七四号が、目を見開く。

 

 金属製の隔壁。

 

 その一部が、ゆっくりと外側へ開いていく。

 

 そして。

 

「……やあ」

 

 聞き慣れない声が響いた。

 

 黒髪に銀色の髪が混じる少年。

 

 久遠零司。

 

 その隣には、御坂美琴。

 

「……迎えに来たよ」

 

 零司が、静かに笑った。

 

     ◇

 

 午後一時四十二分。

 

 第四医療管理棟、地下管理室。

 

「……四体とも、救出された!?」

 

 管理責任者が、声を荒げた。

 

 研究員が、青ざめた顔で頷く。

 

「はい……!」

 

「……警備は!?」

 

「全員、行動不能です!」

 

「……馬鹿な!」

 

 責任者は、机を叩いた。

 

 そのとき。

 

 端末に、新しい通知が表示された。

 

《量産個体管理再編》

 

《処理対象:四体》

 

《結果:実施不能》

 

《外部能力者介入:ZERO》

 

 男は、画面を睨んだ。

 

「……また、あの少年か!」

 

 そして。

 

「……上位管理者へ報告しろ!」

 

 研究員が、慌てて端末を操作する。

 

 そのころ。

 

 零司たちは、すでに建物の外へ出ていた。

 

     ◇

 

 午後一時五十二分。

 

 第十八学区、研究管理施設。

 

 榊原は、資料を片手に廊下を歩いていた。

 

 午前中に確認した管理再編計画。

 

 その内容は、明らかに異常だった。

 

 だが。

 

 自分の権限では、正式に停止できない。

 

 そのため、男は別の方法を選んでいた。

 

 資料の複製。

 

 そして、外部への通報。

 

 少なくとも、研究側が何をしようとしているのかを記録として残す必要がある。

 

「……これで」

 

 榊原は、手元の端末を見つめた。

 

 そこには、資料の送信履歴が表示されている。

 

 移送先。

 

 処理予定。

 

 そして、承認者の記録。

 

 それらが、複数の外部窓口へ送られていた。

 

「……あとは」

 

 男が呟いた。

 

 そのとき。

 

 背後から声が響いた。

 

「……榊原さん」

 

 男が振り返る。

 

 そこには、黒いスーツを着た人物が立っていた。

 

「……何でしょうか」

 

「少し、お話が」

 

 榊原は、相手を見つめた。

 

 見覚えのない男だった。

 

 だが、その胸元には研究管理部門の身分証が下げられている。

 

「……何の件ですか」

 

「本日の管理再編についてです」

 

 榊原の表情が変わった。

 

「……そうですか」

 

 男は、静かに答えた。

 

「では、私からも確認したいことがあります」

 

 その瞬間。

 

 黒いスーツの男が、懐へ手を伸ばした。

 

 榊原の目が見開かれる。

 

 そして。

 

 乾いた銃声が、廊下に響いた。

 

     ◇

 

 午後二時十一分。

 

 第七学区。

 

「……四人とも、無事?」

 

 N-13が、玄関へ駆け寄った。

 

「うん」

 

 零司が答える。

 

 その後ろには、四人の少女。

 

 九九七四号。

 

 九九七五号。

 

 九九七六号。

 

 九九七七号。

 

 全員、研究施設から救出されたばかりだった。

 

「……おかえり」

 

 N-13が、小さく笑った。

 

 九九七四号が、目を瞬かせる。

 

「……おかえり?」

 

「……うん」

 

 N-13は頷いた。

 

「……ここに来たら、そう言うんだよ」

 

 少女は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「……ただいま、でよろしいのでしょうか」

 

「……うん」

 

 N-13が笑った。

 

「……おかえり」

 

 そのやり取りを、零司は少し離れた場所から見ていた。

 

 だが。

 

 そのとき。

 

 携帯端末が振動した。

 

 御坂美琴からの着信。

 

「……何?」

 

『……久遠』

 

 美琴の声は、いつもと違っていた。

 

「どうしたの?」

 

『……榊原って研究者、覚えてる?』

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

「共同研究監理棟の責任者?」

 

『そう』

 

「……それが?」

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

『……死んだって』

 

 零司の目が、僅かに細くなった。

 

     ◇

 

「……死んだ?」

 

 零司が、静かに聞き返した。

 

『……うん』

 

 美琴の声が、低くなる。

 

『今日、研究施設の廊下で撃たれたらしい』

 

「……へえ」

 

『……何よ、その反応』

 

「別に」

 

 零司は、ソファへ腰を下ろした。

 

「……それで?」

 

『……それで、じゃないでしょ!』

 

 美琴の声が強くなる。

 

『あの人、実験を止めるための申請を出した人なのよ!』

 

「僕が頼んだんだけどね」

 

『……でも!』

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

『……今日も、資料を外へ送ってたみたい』

 

 零司の表情が変わった。

 

「……資料?」

 

『そう』

 

 美琴は続けた。

 

『九九七四号たちの処分計画について、外部へ通報していたらしいの』

 

 零司は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……なるほど」

 

 小さく呟いた。

 

『……何が?』

 

「今日、君が見つけた資料」

 

 零司は、端末へ視線を向けた。

 

「……あれ、榊原さんが流したのかもしれないね」

 

『……そうみたい』

 

 美琴の声が、沈む。

 

『私たちが四人を助けられたのも、あの人が資料を残してくれたからかもしれない』

 

 零司は、静かに頷いた。

 

「そうだね」

 

 その返答に。

 

 美琴は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

『……久遠』

 

「何?」

 

『……あんた、何とも思わないの?』

 

 零司は、少しだけ考えた。

 

「……どうだろう」

 

『……っ!』

 

「僕、あの人のこと、ほとんど知らないし」

 

 零司は続けた。

 

「研究に関わってたことくらいしか」

 

『……でも!』

 

「ただ」

 

 零司は、静かに言った。

 

「あの人が資料を残したから、四人を助けられたのかもしれない」

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「……それは、覚えておくよ」

 

 美琴は、何も答えなかった。

 

 零司は、窓の外へ視線を向けた。

 

「……でもさ、御坂さん」

 

『……何よ』

 

「僕が今日、四人を助けたことと」

 

 静かな声。

 

「榊原さんが死んだことは、別の話だよ」

 

『……別じゃないわよ』

 

 美琴が、低く答えた。

 

『あの人は、あんたが止めた実験のために動いたんでしょ』

 

「そうかもしれないね」

 

『……だったら!』

 

「でも、僕が全部の人を助ける約束をしたわけじゃない」

 

 その言葉に。

 

 美琴は、息を呑んだ。

 

「……あの人を助けたかったなら、君がそう言えばよかったんじゃない?」

 

『……っ!』

 

 零司は、淡々と続けた。

 

「僕は、今日、あの四人を助けに行った」

 

 そして。

 

「それ以外の人がどうなるかまで、全部考えてたわけじゃないよ」

 

 数秒の沈黙。

 

 美琴は、何も言えなかった。

 

 零司の言葉は、冷たい。

 

 だが。

 

 彼が嘘をついているわけではないことも、美琴には分かっていた。

 

 久遠零司。

 

 この少年は、誰でも救う救世主ではない。

 

 自分が助けたいと思った相手を助ける。

 

 ただ、それだけなのだ。

 

『……分かった』

 

 美琴が、静かに答えた。

 

『でも、私は』

 

 そして。

 

『……あの人のこと、忘れないから』

 

 零司は、小さく笑った。

 

「うん」

 

 短い返事。

 

 通話が切れた。

 

     ◇

 

 午後三時二十八分。

 

 第十八学区、研究管理施設。

 

「……榊原の件は?」

 

 真壁が、静かに尋ねた。

 

 隣の研究員が答える。

 

「処理は完了しています」

 

「……そうか」

 

 男は、端末を操作した。

 

 そこには、榊原が最後に送信した資料の記録が残されている。

 

《管理再編計画》

 

《外部送信履歴:確認》

 

《送信先:複数》

 

 真壁は、眉をひそめた。

 

「……余計なことを」

 

 そのとき。

 

 別の研究員が報告した。

 

「第四医療管理棟の対象個体、四体すべてが連れ去られました」

 

「……ZEROか」

 

「はい」

 

 真壁は、しばらく画面を見つめていた。

 

 絶対能力進化計画。

 

 実験は保留。

 

 第一位の協力意思は不確定。

 

 さらに、量産個体の管理再編まで妨害された。

 

 だが。

 

 男は、慌てなかった。

 

「……なるほど」

 

 静かに呟く。

 

「ならば、別の研究成果を利用するしかないな」

 

 研究員が顔を上げる。

 

「……別の研究成果?」

 

 真壁は、別の資料を開いた。

 

《量産型能力者研究》

 

《ミサカネットワーク》

 

《群体演算機構》

 

 その下には、複数の研究機関の名称が並んでいた。

 

「……第一位の参加を前提としない研究も、存在している」

 

 男は、静かに続けた。

 

「量産個体の価値は、戦闘実験だけではない」

 

 研究員が、息を呑む。

 

「……まさか」

 

「……そうだ」

 

 真壁は頷いた。

 

「ミサカネットワークそのものを、研究対象として再評価する」

 

 端末の画面が切り替わる。

 

《研究方式変更案》

 

《群体演算機構の応用》

 

《ネットワーク管理権限:再確認》

 

 真壁は、静かに笑った。

 

「……久遠零司」

 

 その目が細くなる。

 

「君は、目の前にいる少女を救うことはできるだろう」

 

 そして。

 

「だが、すべての量産個体を、同時に守れるとは限らない」

 

     ◇

 

 午後七時四十六分。

 

 第七学区、久遠零司の自宅。

 

「……十人」

 

 N-13が、部屋を見渡した。

 

 零司。

 

 N-12。

 

 N-13。

 

 九九七一号から九九七七号までの七人。

 

 合わせて十人。

 

 明らかに、この部屋の収容人数を超えていた。

 

「……狭い」

 

 N-13が呟く。

 

「そうだね」

 

 零司が、あっさりと答えた。

 

「……ものすごく、狭い」

 

「うん」

 

「……引っ越し」

 

「探してるよ」

 

 零司は、携帯端末を掲げた。

 

 その画面には、複数の物件情報が表示されている。

 

「……本当?」

 

「本当」

 

 N-13は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

「……広いところ」

 

「分かってる」

 

「……部屋、たくさん」

 

「うん」

 

「……あと」

 

 少女が、少しだけ顔を上げる。

 

「……みんなが帰ってこられるところ」

 

 零司は、N-13を見た。

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「……そうだね」

 

 小さく笑った。

 

「それがいいかも」

 

 そのとき。

 

 九九七四号が、静かに口を開いた。

 

「……質問があります」

 

「何?」

 

「ミサカたちは、今後どうなるのでしょうか」

 

 零司は、少女を見た。

 

 九九七四号は、自分の手を見つめていた。

 

「ミサカたちは、研究施設で処分される予定でした」

 

「……そうだね」

 

「しかし、現在は生存しています」

 

「うん」

 

 少女は、少しだけ顔を上げた。

 

「……今後も、生存してよいのでしょうか」

 

 その言葉に。

 

 部屋が静まり返った。

 

 零司は、しばらく少女を見つめていた。

 

 そして。

 

「……君が決めればいいよ」

 

 静かに答えた。

 

「……ミサカが?」

 

「そう」

 

 零司は頷いた。

 

「生きたいなら、生きればいい」

 

 九九七四号は、少しだけ目を瞬かせた。

 

「……それだけで、よろしいのでしょうか」

 

「それだけでいいんじゃない?」

 

 零司は、あっさりと答えた。

 

「誰かの許可なんて、必要ないでしょ」

 

 少女は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……了解しました」

 

 小さく頷いた。

 

 その隣。

 

 九九七五号が、静かに口を開く。

 

「ミサカも、生存を希望します」

 

「ミサカも同意します」

 

 九九七六号が続いた。

 

「ミサカも、同じです」

 

 九九七七号が頷く。

 

 N-13は、四人を見つめていた。

 

 そして。

 

「……じゃあ」

 

 小さく笑った。

 

「……みんな、一緒だね」

 

 零司は、その様子を眺めていた。

 

 だが。

 

 その表情が、僅かに変わる。

 

 昼間。

 

 榊原が死亡したという報告。

 

 自分が救った少女たち。

 

 そして、研究者たち。

 

 そのすべてが、同じ計画によってつながっている。

 

 誰かを救えば、別の誰かが不利益を受けることもある。

 

 研究施設を止めれば、別の場所で新しい計画が動き始める。

 

 だが。

 

 零司は、そのことを深刻に悩んでいるわけではなかった。

 

「……まあ」

 

 少年は、小さく呟いた。

 

「面倒なことになってきたね」

 

 その声に、N-13が顔を上げる。

 

「……何が?」

 

「いろいろ」

 

 零司は笑った。

 

 そして。

 

「……でも」

 

 その灰紫色の瞳が、僅かに細くなる。

 

「向こうが何をするのか、ちょっと楽しみかも」

 

 N-13は、少年を見つめた。

 

 その表情には、僅かな不安が浮かんでいた。

 

 久遠零司。

 

 自分たちを救ってくれた少年。

 

 だが、その少年が必ずしも誰かを救うとは限らない。

 

 気まぐれで。

 

 自由奔放で。

 

 善悪に縛られない。

 

 だからこそ。

 

 彼が次に何を選ぶのかは、誰にも分からない。

 

     ◇

 

 午後十一時五十七分。

 

 学園都市第十八学区。

 

 薄暗い研究室。

 

 複数の端末が、青白い光を放っていた。

 

 その中央。

 

 一人の研究員が、画面を確認している。

 

《ミサカネットワーク》

 

《接続個体数:変動中》

 

《情報共有:正常》

 

《異常個体:複数確認》

 

 研究員は、別の資料を開いた。

 

 そこには、近年の研究成果が記されている。

 

 量産型能力者。

 

 分散型情報処理。

 

 そして、個体間の情報共有機構。

 

「……なるほど」

 

 男が呟いた。

 

 第一位をレベル6へ進化させるための戦闘実験。

 

 その方式が成立しなくなった今、研究者たちは別の可能性を探し始めていた。

 

 そして。

 

 彼らが注目したのは、妹達自身だった。

 

「……これなら」

 

 研究員が、静かに呟く。

 

「……第一位の協力は必要ない」

 

 画面に、新しい項目が表示される。

 

《研究案》

 

《群体演算機構への外部介入》

 

《制御方式:検討中》

 

《対象:ミサカネットワーク》

 

 その記録が、上位管理部門へ送信された。

 

 絶対能力進化計画は、まだ終わっていない。

 

 ただし。

 

 研究者たちが次に狙っているものは、もはや一方通行の能力だけではなかった。

 

 ミサカネットワーク。

 

 妹達をつなぐ、巨大な情報共有機構。

 

 その存在自体が、新たな研究対象となり始めていた。

 

 そして。

 

 久遠零司も、まだ知らなかった。

 

 自分が救った少女たちが、別の形で研究者たちに狙われ始めていることを。

 

 学園都市の第零位。

 

 久遠零司。

 

 その少年が変えた運命は、必ずしも幸福なものばかりではない。

 

 救われた者がいる。

 

 救われなかった者もいる。

 

 そして。

 

 そのどちらにも属さない、まだ選択の機会すら与えられていない者たちがいる。

 

 彼らの運命もまた、少しずつ動き始めていた。

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