八月十七日、午前五時四十二分。
学園都市第十八学区。
地下研究施設の一室で、複数の端末が青白い光を放っていた。
「……信号生成、完了しました」
研究員の報告に、真壁は頷いた。
「送信先は?」
「ミサカネットワークの外部保守用経路です。ただし、正式な制御権限は取得できていません」
「構わん」
真壁は、画面に表示された波形を見つめた。
《群体演算機構・接続試験》
《外部信号入力》
《認証状態:未承認》
《試験区分:情報干渉》
絶対能力進化計画。
第一位、一方通行の絶対能力への進化を目的とした研究。
その計画は現在、事実上の停滞状態にあった。
戦闘実験は保留。
協力能力者の参加意思も不確定。
さらに、計画外の第零位によって研究施設への介入が繰り返されている。
だが、研究資産は残っている。
大量の演算装置。
蓄積された実験記録。
そして、量産型能力者の間で情報を共有するミサカネットワーク。
真壁は、その最後の項目に注目していた。
「……研究の目的を変えればいい」
男が呟く。
第一位の進化にこだわらず、ミサカネットワークそのものを利用する。
分散された演算能力。
個体間の情報共有。
そして、通常の通信設備に依存しない独自の情報伝達。
これほど大規模な研究資産を、放棄する理由はなかった。
「……開始しろ」
真壁が命じた。
「了解しました」
研究員が操作する。
《試験信号送信》
《送信内容:標準帰還誘導》
《対象:接続個体》
画面の中央で、緑色の表示が点灯した。
信号が送り出される。
しかし。
《応答確認:不完全》
《制御権限:取得失敗》
研究員が眉をひそめた。
「……やはり、直接的な命令は受け付けられません」
「予想どおりだ」
真壁は、淡々と答えた。
「今回は、反応を調べるだけでいい」
「……反応?」
「正式な制御命令として認識されなくても、情報として伝わる可能性はある」
男は、画面を指差した。
「個体が何を受け取り、どう判断するのか。それを確認する」
研究員が頷いた。
「……了解しました」
そのとき。
別の端末に、新しい表示が現れた。
《接続個体側・異常反応検出》
真壁の口元が、僅かに上がった。
「……届いたか」
◇
午前七時十八分。
第七学区、久遠零司の自宅。
「……知らない場所です」
ミサカ九九七四号の言葉に、朝食の手を止めた少女たちが一斉に顔を上げた。
「……何?」
N-13が尋ねる。
九九七四号は、困惑した様子で周囲を見渡した。
「ミサカは、見覚えのない通路の情報を受け取りました」
「通路?」
「はい。白い壁と、番号の表示された扉があります」
その言葉に、九九七一号も顔を上げた。
「……ミサカも確認しました」
九九七二号が頷く。
「同様です」
九九七三号も続いた。
「ミサカにも、同じ光景が共有されています」
N-12が眉をひそめる。
「……誰かの記憶?」
「不明です」
九九七一号は、静かに答えた。
「通常の情報共有とは、異なる特徴があります」
そのとき。
テーブルの端に座っていた九九七五号が、急に顔を上げた。
「……帰還?」
小さな声。
零司が、携帯端末から目を離した。
「どうしたの?」
九九七五号は、自分の胸元へ手を当てた。
「ミサカは、研究施設へ帰還する必要があるという情報を受信しました」
部屋が静まり返った。
N-13が口を開く。
「……帰る?」
「はい」
九九七五号は頷いた。
「ただし、その必要性については説明できません」
「……どういうこと?」
「そのような情報が、突然認識されたためです」
零司は端末を置いた。
「……九九七一号」
「はい」
「今の情報、誰が送ってきたか分かる?」
「確認します」
少女は、少しだけ目を伏せた。
ミサカネットワーク。
妹達の間で共有される膨大な情報。
通常なら、情報がどの個体から発信されたものなのか、ある程度の区別がつく。
だが。
「……識別できません」
九九七一号が答えた。
「発信元となる個体が存在するのかも不明です」
「……つまり?」
「ミサカたちの記憶ではない情報が、ネットワークを通じて共有されている可能性があります」
N-12が顔をしかめた。
「……外から?」
「その可能性があります」
零司は、少女たちを見渡した。
全員が同じ情報を受け取っている。
ただし、反応は異なっていた。
九九七一号は情報の出所を調べている。
九九七四号は未知の映像を警戒している。
九九七五号は帰還という言葉の意味を考え込んでいた。
同じ情報を受け取っても、全員が同じ行動をするわけではない。
「……なるほどね」
零司は、ソファから立ち上がった。
「向こう、今度はそういうことを始めたんだ」
◇
午前九時二分。
第七学区。
「……ミサカネットワークへの外部介入?」
御坂美琴は、露骨に顔をしかめた。
零司は、携帯端末を差し出した。
画面には、妹達から聞き取った異常情報が整理されている。
白い通路。
番号の付いた扉。
帰還という言葉。
そして、発信元不明の情報。
「……これ、全員が見たの?」
「そうらしいよ」
美琴は、腕を組んだ。
「……おかしいわね」
「何が?」
「ミサカネットワークって、単純な通信回線じゃないのよ」
美琴は説明した。
「妹達の脳波や能力に関係する情報共有機構だから、外から適当な信号を送っただけで命令できるようなものじゃないはず」
「じゃあ、どうして届いたの?」
「……それを調べる必要があるわね」
美琴は、端末を操作した。
昨日、研究側から入手した資料。
その中には、量産型能力者に関する研究情報も含まれていた。
ただし、すべてではない。
研究機関ごとに担当分野が分かれているため、部分的な記録しか残されていなかった。
「……あった」
美琴が、一つの項目を開いた。
《量産型能力者研究》
《外部保守経路》
《ネットワーク接続状態の診断》
零司が覗き込む。
「保守経路?」
「研究施設から接続状態を確認するための設備みたい」
美琴は、説明を続けた。
「妹達の情報共有そのものを支配する装置じゃない。でも、診断情報を送り込むための入口にはなる」
「……そこから変な情報を送ってる?」
「可能性はあるわ」
美琴は、画面を切り替えた。
そのとき。
別の項目が目に入った。
《上位制御認証》
《管理個体:専用権限》
少女の指が止まる。
「……何これ」
「どうしたの?」
「……管理個体?」
美琴は、さらに資料を確認した。
しかし、詳細は表示されない。
アクセス権限が不足しているのだ。
「……嫌な感じね」
零司が尋ねる。
「何が?」
「ミサカネットワークに、通常の妹達とは違う権限を持った存在がいるみたい」
「……へえ」
零司は、少しだけ考えた。
「じゃあ、今の研究者はその権限を使えてるの?」
「分からない。でも、もし使えてたら……」
美琴は言葉を切った。
ネットワークを通じて、妹達へ何らかの命令を送り込める可能性。
それがどこまで通用するかは不明だ。
だが、実験で命を奪われてきた少女たちにとって、決して無視できる問題ではない。
「……まずは、送信元を探すわよ」
美琴は立ち上がった。
「今回の信号が、どこから来たのか調べる」
「できる?」
「妹達が受け取った時刻と、周囲の電磁的な変化を照合できれば、手掛かりくらいは見つかるかもしれない」
零司は頷いた。
「じゃあ、お願い」
「……あんたは?」
「僕は、その設備を壊す係かな」
美琴が眉をひそめる。
「……最初から壊す気?」
「使わせる理由、ないでしょ?」
「調べ終わってからにしなさいよ!」
「はいはい」
零司は、楽しそうに笑った。
◇
午前十時三十八分。
第十八学区、地下研究施設。
「……反応率が上昇しています」
研究員が報告した。
画面には、複数の接続状態が表示されている。
《外部情報入力試験》
《情報認識:一部成功》
《行動誘導:未確認》
《正式命令権限:未取得》
真壁は、腕を組んだ。
「……やはり、行動までは制御できないか」
「はい。情報を共有させることは可能ですが、命令への服従は確認できていません」
「当然だろう」
真壁は、画面を見た。
「今回の設備には、ネットワーク全体を制御する権限がない」
研究員が頷いた。
ミサカネットワークは、複数の個体が情報を共有する分散型の機構だ。
一つの中継設備を停止させたところで、すべての接続が失われるわけではない。
逆に、外部から情報を送り込めても、それを各個体がどう扱うかまでは確実に決められない。
少なくとも、現在の設備では。
「……正式な権限を取得する必要がありますね」
研究員の言葉に、真壁は頷いた。
「そうだ」
そして。
「そのための管理個体が存在する」
研究員が顔を上げる。
「……管理個体?」
「ミサカネットワークの統制を目的として用意された、特殊な個体だ」
真壁は、別の資料を開いた。
《上位制御機構》
《専用認証個体》
《管理権限:保護対象》
「……これを確保できれば」
男は、静かに続けた。
「外部からの介入方法も変わる」
そのとき。
端末に、警告が表示された。
《外部保守経路》
《不明な照会を検出》
研究員が眉をひそめる。
「……何だ?」
画面を切り替える。
複数の信号記録が並んでいた。
「……接続経路を、逆に調べられています」
真壁の表情が変わった。
「……誰だ」
研究員は、受信状況を確認した。
そして。
「……第三位の能力による干渉の可能性があります」
真壁は、数秒ほど黙っていた。
やがて。
「……御坂美琴か」
小さく呟く。
その口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「……ならば、こちらも予定を進めよう」
◇
午前十一時二十六分。
第七学区、久遠零司の自宅。
「……もう一回、来た」
九九七六号が、顔を上げた。
N-13が振り返る。
「……あの映像?」
「はい」
少女は頷いた。
「先ほどと同じ通路です。ただし、今回は別の情報が追加されています」
「……何?」
「帰還先を指定するため、現在位置を報告するよう要求されています」
その言葉に、N-12の表情が変わった。
「……住所を?」
「その可能性があります」
九九七一号が答えた。
「情報は命令の形式を取っていますが、正式な制御信号として認証されていません」
「……じゃあ、無視できる?」
N-13が尋ねる。
「はい」
九九七一号は頷いた。
「ただし、繰り返し送信されています」
零司は、窓際から少女たちを見た。
「……みんな、今どこにいるか送ってないよね?」
「はい」
九九七二号が答える。
「ミサカたちは、外部からの要求に応じて位置情報を共有していません」
「それならいいや」
零司は、あっさりと頷いた。
そのとき。
九九七五号が、小さく口を開いた。
「……質問があります」
「何?」
「ミサカは、現在位置を報告するよう要求されています」
「うん」
「しかし、それを拒否する理由は、ミサカ自身が判断してよいのでしょうか」
零司は、少しだけ考えた。
「……君、帰りたいの?」
「いいえ」
九九七五号は、即答した。
「ミサカは、研究施設へ戻ることを希望しません」
「じゃあ、送らなくていいでしょ」
零司が答える。
少女は、少しだけ目を瞬かせた。
「……命令であっても?」
「命令だからって、全部聞く必要ある?」
「…………」
九九七五号は、しばらく黙っていた。
そして。
「……ありません」
静かに答えた。
その様子を見て、N-13が小さく笑った。
だが。
九九七一号は、別のことを考えていた。
「……問題があります」
零司が顔を向ける。
「何?」
「ミサカたちは、この情報を拒否できます」
少女は続けた。
「しかし、他の個体が同じ判断をするとは限りません」
部屋が静かになる。
「研究施設に残っている個体の中には、帰還命令を通常の管理手順だと判断する者も存在する可能性があります」
N-12が眉をひそめた。
「……じゃあ」
「はい」
九九七一号は頷いた。
「現在の情報が、外部からの未認証信号であることを共有する必要があります」
零司は、少女を見た。
「できる?」
「はい」
「じゃあ、やればいいよ」
九九七一号は頷いた。
だが、その直後。
「……よろしいのでしょうか」
少しだけ迷うように尋ねた。
「……何が?」
「ミサカの判断を、他の個体へ共有することです」
零司は、首を傾げた。
「いつもやってるんでしょ?」
「はい。しかし、今回は研究側の指示と矛盾する可能性があります」
その言葉に。
零司は、少しだけ笑った。
「じゃあ、面白いじゃん」
九九七一号が、目を瞬かせる。
「……面白い?」
「研究者が命令を送ってるのに、君たちは自分で考えて別のことをする」
零司は、窓の外へ視線を向けた。
「向こう、困るだろうね」
その言葉に。
九九七一号は、数秒ほど黙っていた。
そして。
「……了解しました」
静かに頷いた。
「ミサカは、情報を共有します」
◇
正午十二時十七分。
第十八学区、通信設備管理区域。
「……この辺りね」
御坂美琴が、端末を確認した。
目の前には、複数の通信設備が並んでいる。
鉄塔。
中継アンテナ。
地下へ続く保守通路。
周囲には、一般の人間が立ち入れない区域が広がっていた。
「……どれが目的の設備?」
零司が尋ねる。
「まだ分からない」
美琴は、端末へ視線を落とした。
「でも、異常信号が出ている時間帯に、この付近の設備から特殊な通信が発生しているの」
「……へえ」
「妹達の情報共有そのものとは別の、研究用の補助信号だと思う」
その隣。
N-13が、周囲を見渡した。
「……警備、多いね」
「そうね」
美琴は頷いた。
通信設備の周囲には、複数の警備員が配置されている。
さらに、保守車両が数台。
通常の施設警備としては、やや物々しい。
「……さて」
零司が口を開いた。
「どうする?」
美琴は、少し考えた。
そして。
「まず、どの設備が信号を送ってるか確認するわ」
「僕は?」
「まだ何もしないで」
「……つまらないなぁ」
「壊すのは最後!」
美琴が、強く言った。
零司は肩をすくめた。
そのとき。
N-13が、二人へ顔を向けた。
「……わたし、見てくる」
美琴が眉をひそめる。
「……大丈夫?」
「……うん」
N-13は頷いた。
「……中に入らないと、分からないこともあるから」
零司は、少女を見た。
「危なくなったら戻ってきて」
「……分かってる」
N-13は、静かに答えた。
そして、警備員の視線が途切れる瞬間を選んで、設備の陰へ移動していった。
◇
午後零時二十四分。
通信設備管理区域、地下保守通路。
「……三人?」
N-13が、小さく呟いた。
通路の奥。
そこには、複数の研究員がいた。
白衣ではない。
灰色の作業服。
全員、端末を操作している。
少女は、壁際の機材の陰へ身を隠した。
観測干渉。
人間の注意を逸らし、認識に不一致を生じさせる能力。
ただし、熱源探知には通用しない。
そのため、少女は監視装置の種類を確認しながら移動していた。
「……試験信号、停止しますか?」
研究員の声が響いた。
「いや、継続だ」
別の男が答える。
「上から、反応記録を取れと言われている」
「……しかし、外部から照会されています」
「第三位だろう」
男は、端末を操作した。
「向こうが調べているのは分かっている」
「……では?」
「記録を回収して、設備を移動する」
N-13の目が細くなる。
設備を移動する。
つまり、ここにあるものは固定施設ではない。
少女は、さらに奥を見た。
そこには、大きな保守用コンテナが置かれていた。
内部から、低い機械音が聞こえている。
側面には、複数の接続端子。
そして、研究用の管理番号。
N-13は、携帯端末を取り出した。
《零司》
《地下に移動できる機材がある》
《研究員が撤収準備中》
送信。
その直後。
背後から、声が響いた。
「……誰だ?」
N-13の身体が強張る。
振り返る。
通路の入口に、警備員が立っていた。
その手には、携帯型の熱源探知装置。
「……そこにいるな」
男が、静かに言った。
N-13は、逃走経路を確認した。
正面には研究員。
背後には警備員。
通路は狭い。
そのとき。
警備員が、通信装置へ手を伸ばした。
「……侵入者を確認」
だが。
次の瞬間。
通路の照明が、一斉に消えた。
◇
「……何!?」
警備員が叫ぶ。
非常灯が点灯する。
しかし、端末の表示が乱れていた。
熱源探知装置にも、異常が発生している。
N-13は、その隙に通路の脇へ移動した。
携帯端末が振動する。
《美琴》
《監視装置を妨害した。今のうちに戻って!》
少女は、静かに頷いた。
そして、背後の通路へ向かおうとする。
その瞬間。
ガコンッ!
巨大な隔壁が、閉じ始めた。
「……っ!」
N-13が、目を見開く。
逃走経路が塞がれる。
しかし。
隔壁は、途中で止まった。
ガギギギッ!
金属が軋む。
固定部分が、内側から歪んでいく。
そして。
ガコンッ。
隔壁が、再び開いた。
その向こう。
久遠零司が立っていた。
「……やあ」
気楽な声。
「迎えに来たよ」
N-13が、息を吐いた。
「……零司」
「ちゃんと見つけた?」
「……うん」
少女は、通路の奥を指差した。
「……あそこ」
零司が視線を向ける。
巨大な保守用コンテナ。
その内部には、複数の通信装置が設置されている。
さらに、研究員たちが慌てて機材を取り外そうとしていた。
「……なるほど」
零司が、静かに呟いた。
「これか」
その瞬間。
研究員の一人が、緊急停止装置へ手を伸ばした。
しかし。
その指が届くより早く、装置を支えていた金属製の台座が変形した。
ガギンッ!
「……っ!?」
研究員が、目を見開く。
さらに。
コンテナの外部接続部が、一斉に外れ始めた。
固定具。
配線の支持部。
冷却設備の接合部分。
それらが順番に解除され、機材の動作が停止していく。
「……なっ!?」
研究員が叫んだ。
「……設備が!」
零司は、コンテナを見つめた。
そして。
「……悪いけど」
静かな声。
「もう、使わせないよ」
◇
午後零時三十二分。
通信設備管理区域。
「……停止した!」
美琴が、端末を見つめた。
先ほどまで観測されていた異常な補助信号。
その送信が、突然途絶えたのだ。
「……久遠!」
『何?』
「信号が止まった!」
『そう』
「……何したの?」
『機械を止めたよ』
美琴は、深く息を吐いた。
「……壊してないでしょうね?」
『まだね』
「……まだ!?」
通話の向こうから、零司の笑い声が聞こえた。
『ちゃんと調べてからにするよ』
「……最初からそうしなさいよ!」
美琴は、端末を操作した。
信号の送信停止。
接続経路の遮断。
そして、異常な情報共有の停止。
少なくとも、現在の設備から新しい信号が送り込まれることはなくなった。
そのとき。
零司から、新しい通信が届いた。
『御坂さん』
「何?」
『ちょっと、面白いものがあった』
「……何よ」
『研究用の端末』
美琴が眉をひそめる。
『そこに、別の個体番号が書いてある』
「……個体番号?」
『うん』
数秒の沈黙。
そして。
『……二〇〇〇一号』
美琴の指が止まった。
◇
「……二〇〇〇一号?」
美琴が聞き返す。
『そう』
零司の声が返ってくる。
『普通の番号より、ずいぶん大きいね』
美琴は、端末を操作した。
ミサカネットワーク。
量産型能力者。
そして、上位制御認証。
先ほどまで調べていた資料が、頭の中でつながり始める。
「……待って」
少女が、小さく呟いた。
「それ、もしかして……」
『何か知ってる?』
「……まだ、確証はない」
美琴は、画面を確認した。
《上位制御機構》
《専用認証個体》
《識別番号:非公開》
そこには、管理個体に関する断片的な情報が残されている。
通常の妹達とは異なる権限。
ネットワークの管理。
そして、外部からの制御を可能にする認証機構。
「……久遠」
美琴が、低い声で言った。
「その資料、全部確保して」
『了解』
「それと、研究員を逃がさないで」
『珍しいね』
「……何がよ!」
『君の方から、そういうこと言うなんて』
「逃がさないだけ! 殺せなんて言ってない!」
『分かってるよ』
零司は、軽く笑った。
そして。
『じゃあ、そっちはお願いね』
通話が切れた。
美琴は、端末を握りしめた。
「……二〇〇〇一号」
その番号を、静かに繰り返す。
もし。
その個体が、ミサカネットワークの上位管理に関係しているのだとしたら。
研究者たちは、今までとは違う方法で妹達へ干渉しようとしている。
そして、その鍵になる存在がいる。
「……まさか」
美琴は、顔を上げた。
「……まだ、別の妹がいるの?」
◇
午後一時十四分。
第七学区、久遠零司の自宅。
「……信号が消えました」
九九七一号が、静かに報告した。
N-12が顔を上げる。
「……本当に?」
「はい」
九九七二号が頷く。
「不明な通路の映像、および帰還要求の情報は、現在受信されていません」
「……よかった」
N-13が、小さく息を吐いた。
だが。
九九七一号は、少しだけ目を伏せた。
「……ただし」
零司が顔を向ける。
「何?」
「研究側が、同様の設備を再び使用する可能性はあります」
「そうだろうね」
零司は頷いた。
今回止めたのは、外部から情報を送り込むための一つの設備にすぎない。
ミサカネットワークそのものを支配する装置ではなかった。
そして。
研究者たちが別の設備を用意できないという保証もない。
「……でも」
九九七一号が、静かに続けた。
「ミサカたちは、今回の情報が正式な命令ではないことを共有しました」
零司が顔を向ける。
「……それで?」
「他の個体から、応答がありました」
少女は、少しだけ考えた。
「外部からの帰還要求について、今後は発信元を確認するという意見が共有されています」
「……へえ」
零司は、口元を緩めた。
「それはいいね」
九九七一号が、僅かに目を瞬かせる。
「……よいのでしょうか」
「うん」
零司は頷いた。
「向こうが勝手に命令を送っても、君たちが自分で判断すればいい」
その言葉に。
九九七四号が口を開いた。
「……質問があります」
「何?」
「ミサカたちは、今後も研究施設からの指示を拒否してよいのでしょうか」
零司は、少しだけ考えた。
「……君たちは、どうしたいの?」
九九七四号は、自分の手を見つめた。
昨日まで、研究施設で処分される予定だった少女。
その少女は、今も生きている。
だが、研究者たちから見れば、まだ管理対象の一つにすぎない。
「……ミサカは」
少女が、静かに口を開いた。
「……研究施設へ戻りたくありません」
「じゃあ、戻らなくていいよ」
零司は、あっさりと答えた。
その言葉に。
九九七五号も頷いた。
「ミサカも、同意します」
九九七六号が続く。
「ミサカも、現在の生活を継続したいと考えています」
九九七七号は、少しだけ考えた。
そして。
「ミサカは、まだ十分に判断できません」
その答えに。
周囲の少女たちが顔を向けた。
「ただし」
九九七七号は、静かに続けた。
「ミサカは、判断するための時間を希望します」
零司は、少女を見た。
そして。
「……いいんじゃない?」
小さく笑った。
「急がなくてもいいよ」
その返答に。
九九七七号は、静かに頷いた。
◇
午後四時三十九分。
第十八学区、研究管理施設。
「……外部保守設備が停止しました」
研究員が報告した。
真壁は、端末を見つめていた。
《外部接続試験》
《結果:中断》
《設備状態:使用不能》
《記録媒体:一部回収不能》
「……ZEROか」
真壁が呟く。
「はい。第三位の介入も確認されています」
「……そうか」
男は、しばらく黙っていた。
そして。
「……ならば、次へ進もう」
研究員が顔を上げる。
「……次?」
真壁は、別の資料を開いた。
《上位制御機構》
《管理個体》
《識別番号:二〇〇〇一号》
その下には、複数の項目が記されている。
《現在の管理状況》
《専用権限:保持》
《直接接続:未実施》
真壁は、静かに続けた。
「今回の設備では、正式な制御命令を送れなかった」
「……はい」
「だが、管理個体を利用できれば話は変わる」
研究員が、息を呑んだ。
「……二〇〇〇一号を?」
「そうだ」
真壁は頷いた。
「ネットワーク全体へ干渉するための権限を持つ個体」
そして。
「次の研究では、その存在が必要になる」
研究員は、資料を確認した。
その表情が、僅かに変わる。
「……しかし」
「何だ」
「……現在、管理個体の移送予定が変更されています」
真壁の目が細くなる。
「……変更?」
「はい」
研究員は、別の資料を表示した。
《管理個体移送計画》
《対象:二〇〇〇一号》
《移送日程:再調整》
《移送経路:未確定》
真壁は、画面を見つめた。
数秒の沈黙。
そして。
「……なるほど」
低く呟いた。
久遠零司。
御坂美琴。
そして、妹達。
彼らによって研究設備が妨害され、管理個体に関する情報の一部が流出した。
その結果。
関係機関は、管理個体の移送計画を変更し始めている。
「……厄介なことになったな」
真壁は、静かに笑った。
「だが、まだ終わりではない」
◇
午後十時十三分。
第七学区、久遠零司の自宅。
「……二〇〇〇一号?」
N-13が、首を傾げた。
零司は、ソファへ腰を下ろしていた。
手元には、今日回収した資料。
「そう」
少年が頷く。
「どうやら、妹達の中に特別な権限を持った子がいるみたい」
N-12が顔を上げる。
「……管理する子?」
「そんな感じかな」
零司は、資料をめくった。
そこには、通常の妹達とは異なる管理区分が記されている。
しかし、詳細は不明だった。
「……その子、どこにいるの?」
N-13が尋ねる。
「まだ分からない」
「……そう」
零司は、別の資料を開いた。
《管理個体》
《識別番号:二〇〇〇一号》
《正式管理名称:最終信号》
その文字を見て、零司は少しだけ首を傾げた。
「……最終信号?」
N-12が、資料を覗き込む。
「……変な名前」
「そうだね」
零司は笑った。
そのとき。
九九七一号が、静かに口を開いた。
「……質問があります」
「何?」
「その管理個体は、ミサカたちへ命令できるのでしょうか」
零司は、少しだけ考えた。
「資料には、そういう権限があるって書いてる」
「……そうですか」
九九七一号は、僅かに目を伏せた。
そして。
「……ミサカは、その個体に会ってみたいと考えています」
零司が顔を向ける。
「どうして?」
「その個体が、どのような存在なのかを知りたいからです」
少女は、静かに続けた。
「ミサカたちは、これまで研究者の指示に従ってきました」
「うん」
「しかし、現在は自分の意思で行動しようとしています」
九九七一号は、資料を見つめた。
「その中で、ミサカたちへ命令できる存在がいるのであれば」
少しだけ間を置く。
「その個体自身は、何を望んでいるのでしょうか」
零司は、しばらく少女を見つめていた。
そして。
「……面白いこと聞くね」
小さく笑った。
「確かに、その子にも考えがあるかもしれない」
N-13が顔を上げる。
「……じゃあ」
零司が頷いた。
「探してみようか」
その言葉に。
九九七一号は、静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
零司は、ソファへ背中を預けた。
窓の外には、学園都市の夜景が広がっている。
研究者たちは、ミサカネットワークを利用しようとしている。
そのために、特別な管理個体を必要としている。
だが。
その個体自身が何を望んでいるのか。
研究者たちは、考えているのだろうか。
「……まあ」
零司は、小さく呟いた。
「会ってみれば分かるかな」
学園都市の第零位。
久遠零司。
その少年は、まだ知らなかった。
自分が探し始めた二〇〇〇一号が、これまで救ってきた妹達とは異なる立場にいることを。
そして。
その少女を巡る争いが、絶対能力進化計画の残した問題を、別の形で表面化させようとしていることを。
研究者たちが狙っているのは、もはや一人の能力者の進化だけではない。
ミサカネットワーク。
それを管理する権限。
そして、そこにつながる少女たちの意思。
研究の目的が変わっても、彼女たちを道具として扱おうとする者は消えていなかった。
だが。
今までとは、一つだけ違う。
妹達は、もうただ命令を待っているだけの存在ではない。
自分の意思で生きることを選び始めている。
その変化が、今後どのような結果を生むのか。
まだ、誰にも分からなかった。