もしも異能がディスクロージャーされたら? 作:パラレル・ゲーマー
時間を二日前へと巻き戻す。
二〇二六年十月三十一日、土曜日。午前九時十五分。
異能格闘技リーグ『PCL』が公式アーカイブ映像を世に放つことになる月曜日の夜から遡ること、およそ五十九時間前のことである。
この土曜日の朝、日本列島のテレビ画面は、海の向こうのワシントンD.C.から生中継されたウォーレン米大統領の緊急演説と、国内で元ボクシング世界統一王者の橘迅が公開した「時速百二十キロ疾走・握力二百二十五キロ」の衝撃的なトレーニング動画の話題で持ちきりになっていた。
アメリカ大統領の演説がまだ続く一方、国内のニュースを優先する番組では、今日という「十月三十一日・土曜日」が抱える、極めて現実的なもう一つの問題へとカメラを切り替えていた。
『――さて、ここからは国内のニュースです。三日前の水曜日、二名の異能者による衝突によって大きな被害が発生した東京・渋谷のスクランブル交差点ですが、昨夜までに警察や消防、ならびに関係専門機関による危険物の撤去と道路の安全確認がすべて完了し、今朝午前六時より、一般車両および歩行者の通常通行が再開されました』
スタジオのアナウンサーの声とともに、画面には現在の渋谷駅ハチ公口前のライブ映像が映し出された。
水曜日の昼、あのフードの男が放った衝撃波と、トレンチコートの女性が展開した防壁の余波によって蜘蛛の巣状に陥没していた交差点中央のアスファルトは、周囲よりも少しだけ色の濃い真新しい舗装材によって、驚くほど綺麗に埋め戻されている。
外壁が抉り取られた雑居ビルの四階部分にはまだ青い防護シートと仮設の足場が組まれ、歩道の一部の街灯やデジタルサイネージも新品に交換されたばかりだったが、青信号が灯るたびに何百人もの通勤客や買い物客が横断歩道を行き交う光景は、すでにいつもの渋谷そのものだった。
『現地から中継です。――はい、こちら渋谷駅前です。ご覧の通り、能力の行使によって生じた残留危険物の除去や、落下する恐れのあるガラス・看板等の撤去作業が夜通しで行われ、現在は通常の通行が可能となっています。
ただし、本日十月三十一日はハロウィン当日です。渋谷区および警視庁では、三日前の事案現場を一目見ようとする見物客や、ハロウィンの仮装をした若者たちが例年以上に殺到することを警戒し、ハチ公像周辺の仮囲いや路上飲酒の禁止措置を継続するとともに、夕刻以降は数百人態勢の警察官を動員して通行整理にあたるとしています。
なお、警察と区は「交差点は通常の生活道路として復旧したものであり、ハロウィンのイベント会場として開放されたわけではない。立ち止まっての撮影や、周囲に誤解やパニックを与えるような危険な行為は厳に控えてほしい」と強く呼びかけています』
【5ちゃんねる:ニュース速報+(10月31日 09時25分)】
スレタイ:【速報】渋谷スクランブル交差点、わずか3日で完全復旧し通常通行再開へ。なお今夜はハロウィンの模様 ★1
1 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 09:25:10.00 ID:Shibuya_Revive
水曜日の昼に異能バトルでボコボコに陥没した渋谷スクランブル交差点、関係機関の徹夜工事により3日でアスファルトの舗装まで完了し、今朝から通常通行が再開された模様。
ただし今日は10月31日(土曜日・ハロウィン当日)のため、警視庁と渋谷区はピリピリしているとのこと。
14 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 09:25:38.12 ID:Road_Crew_God
日本の道路復旧業者の仕事、相変わらず早すぎて草。
博多駅前の道路陥没の時も1週間で直してたけど、超能力で吹っ飛ばされた交差点を3日で元通りにするとか、工事現場のおっちゃんたちもある意味で異能者だろwww
32 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 09:26:12.45 ID:Spetsnaz_Clean
ニュースで「関係専門機関による能力由来の残留危険物の撤去が完了」ってサラッと言ってたけど、水曜日にピンセットとジュラルミンケース持ってコンクリートの破片を拾ってたあの黒服の集団(八咫烏?)が、徹夜でヤバい痕跡を全部クリーニングしたんだろうな。
58 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 09:26:50.88 ID:Today_Halloween
しかし、よりによって通行再開したその日が「土曜日のハロウィン」って、タイミングが最悪というか運命的というか……。
79 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 09:27:22.19 ID:Dont_Go_There
……あっ。
おい、まさかとは思うが、今夜「3日前に世界で初めて超能力バトルが生中継された聖地だー!」って言って、渋谷の交差点に聖地巡礼やコスプレしに行くバカはいないよな?
105 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 09:27:55.60 ID:100_Percent_Go
>>79
絶対いるに決まってるだろwww
むしろ「来るな」って言われれば言われるほど、YouTuberやTikToker、目立ちたがりの陽キャが全国から集まってくるぞ。
138 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 09:28:30.04 ID:Pity_Police
しかも昨日の夕方に「日本人の36人に1人が異能者です」って発表されたばっかりだぞ?
渋谷に何万人も若者が集まったら、その中に何百人も本物の能力者が混ざってる計算になるじゃねえか……。警視庁のお巡りさんたち、今夜はマジで勘弁してほしいだろうなw
*
午前十時三十分。東京都豊島区・池袋東口エリア(サンシャインシティおよび中池袋公園周辺)。
警察が警戒を強める渋谷とは対照的に、ここ池袋の街は、自治体と実行委員会が公式に主催する日本最大級のハロウィンイベント『池袋ハロウィンコスプレフェス2026』の開幕によって、朝から華やかで健全なお祭りムードに包まれていた。
秋晴れの青空の下、受付を済ませた何千人ものコスプレイヤーやカメラマンたちが、指定された公園や広場、歩行者優先エリアを埋め尽くしている。
人気アニメやゲームのキャラクターに扮した色とりどりの衣装が並ぶ中、今年の会場には、三日前まではこの世に存在しなかった「まったく新しいジャンルのコスプレ」が驚くほどの数で出現していた。
「――ちょっと玲奈、あんたその衣装、本当にそれで完成なの? 先週まで大学の講義に着てきてた普通のユニクロのトレンチコートじゃないの?」
中池袋公園のベンチの前で、魔女風のゴシックドレスに身を包んだ大学三年生の美希(みき)が、呆れたように友人の姿を上から下まで眺めた。
言われた相馬玲奈(そうま れな・二十一歳)は、長い黒髪を風になびかせながら、ベージュのトレンチコートの襟をピシッと立て、白いシャツに黒のスリムパンツという出で立ちで、得意げに胸を張ってみせた。
「失礼ね! ただの私服のトレンチコートじゃないわよ、ほら、この右袖のところを見て!」
玲奈が右腕を掲げてみせると、コートの袖口から肘にかけての部分が、わざとギザギザに裂かれたようにリメイクされており、その内側に銀色のオーガンジー生地が縫い付けられてキラキラと光っていた。
「水曜日に渋谷のスクランブル交差点で、上から落ちてきた衝撃波をバリアで受け止めて三百人を守った『トレンチコートのお姉さん(#渋谷のヒーロー)』の再現コスよ! ニュースのスロー検証動画を二十回も見返して、風圧で右袖が裂けたところまで完璧に合わせたんだから!」
「ああ、袖までわざわざ切ったのか、気合入ってるわね……」
美希は苦笑しながらも、感心したように頷いた。
「まあ、玲奈は水曜日の夜からずっと『あの人みたいになれたらカッコいいのに!』って熱弁してたもんね。でも、たった三日前のニュースの人物がもうコスプレの題材になるとは思わなかったわ」
「だって、アニメのキャラクターじゃなくて、本当にこの東京の空を飛んでみんなを守ってくれた本物のヒロインなのよ? リスペクトを込めて着るしかないじゃない!」
実際、同じことを考えた若者は玲奈一人ではなかった。
公園の周りを見渡せば、同じようにベージュのトレンチコートを着て、両手を前に突き出して「見えない防壁」を張るポーズで写真を撮っている女性レイヤーが、あちこちでカメラマンに取り囲まれている。
そして、女性陣のトレンドが「渋谷のトレンチコート」なら、男性陣の間で圧倒的な大増殖を見せていたのは、さらに安上がりで、さらにホットな「今朝のニュースのあいつ」だった。
「おい、あっちの男子大学生の5人組を見てみろよ」
近くのカメラマンたちがクスクス笑いながら指差す先には、全員が判で押したように「無地の灰色のフード付きパーカー」にブルージーンズ、スニーカーという、コンビニへ買い物に行くような格好で並んでいる男たちがいた。
通りがかった知り合いのレイヤーが、彼らに声をかける。
「お前ら、せっかくの池ハロなのに私服で何やってんだよ? 衣装忘れたのか?」
「馬鹿野郎、目をよく開けて見ろ! 今日の夜中三時にニューヨークのマンハッタンで全長四十五メートルのドラゴンをワンパンして『ばいばーい!』って帰っていった世界最強の魔法使い、『Hoodie Wizard(パーカーの魔法使い)』の完全再現コスプレだろうが!!」
男たちが胸を張ってフードを被り、片手をポケットに突っ込んで、もう片方の人差し指と中指で空中に円を描くポーズをとる。
「……いや、それただの二十ドルのグレーのパーカーじゃん!!」
「本人もただのグレーのパーカー着てたんだから、これで原作再現度100パーセントなんだよ!」
「じゃあ背中に百七十八枚の光る魔法陣くらい段ボールで作って背負ってこいよ! 手抜きにもほどがあるだろwww」
「うるせえ、今日の朝四時に映像が出たばっかりなんだぞ、朝十時のイベント開始までに百七十八枚も魔法陣工作できるわけねえだろ! 世界最強の魔法使いが私服で出撃したのが悪いんだよ!」
周囲からドッと笑いが起き、それでも「タイムリーすぎて草」「写真撮らせてください!」と、灰色パーカー軍団の前にはあっという間に撮影の列ができあがった。本人の名前も素性も一切公表されていないからこそ、誰もがパーカー一枚で手軽にあの余裕たっぷりのヒーローになりきって楽しんでいるのだ。
だが、今年の池袋ハロウィンが例年と決定的に違っていたのは、そうした「能力者のマネをする一般人」だけではなかった。
昨日の夕方に政府が「三十六人に一人(三百四十二万人)」という数字を発表し、自己の能力の公表(カミングアウト)が事実上解禁されたことで、何万人もの参加者が集まるこの会場の中には、当然ながら「本物の能力者」も何百人と紛れ込んでいたのである。
「――うわっ、ちょっと美希、あっちの人だかり見て! あの悪魔のコスプレしてるお兄さんの背中の羽、どうなってるの!?」
午前十一時過ぎ、玲奈が目を丸くしてサンシャイン広場の方を指差した。
人垣の中心にいたのは、黒いレザーの衣装を着た二十代前半の細身の男性レイヤーだった。彼の背中からは、片翼二メートル近い、黒曜石のように滑らかな皮膜を持った巨大な「コウモリにも似た一対の翼」が生えていた。
小道具のプラスチックやウレタンで作られた翼ではない。太陽の光を透かして細かい毛細血管のような脈動が見え、お兄さんが肩甲骨を動かすのに合わせて、バサリ、と関節と筋肉が生き物のようにしなやかに折り畳まれたり広がったりしているのだ。
「す、すいません! その背中の翼、モーターか空気圧のギミックですか!? めちゃくちゃリアルなんですけど、どうやって動かしてるんですか!?」
最前列のカメラマンが興奮して尋ねると、黒翼の青年は少し照れくさそうに頬をかき、首から下げたイベント参加証の横にある『※能力実演・運営安全確認済(飛行不可・半径2mクリアランス確保)』という黄色い特別リストバンドを見せて笑った。
「えーっとですね……これ、造形物じゃなくて、俺の自前の身体(異能)なんですよ」
「…………え?」
「俺、342万人のうちの1人でして。背中にこの翼を具現化する能力を持ってるんです。いつもは服の下に消してるんですけど、今日はハロウィンだし、運営の安全チェックの人に『絶対に空は飛ばないこと、周りの人にぶつからないこと』って条件で許可をもらって、初めて外に出してみましたw」
「「「ええええええええええええっ!?!?」」」
周囲を取り囲んでいた数十人の参加者とカメラマンから、驚愕と歓喜の入り混じった大歓声が上がった。
「ガチの本物の異能者だあああああ!!」
「すげえええ、本物の悪魔の翼じゃん! ちょっともう一回バサッて広げてもらっていいですか!?」
「あ、はい! 周りの方、翼の先が当たると危ないので一歩下がってくださいねー!」
係員の誘導で安全な輪が作られ、青年が翼を大きく広げてポーズをとるたびに、無数のシャッター音が心地よく響き渡る。管理されたルールとマナーの中でなら、異能はこんなにも自然に人々の笑顔と拍手の中に溶け込めるのだと、その場にいた誰もが実感していた。
そして午後零時三十分。
そんな「公認の異能レイヤー」から少し離れた東池袋の中央公園の木陰では、もう一人、別の意味でカメラマンたちの熱い視線を独占している大柄な参加者がいた。
身長百八十五センチほどの、全身を銀色がかった灰色の分厚い体毛で覆われた『狼男(ウェアウルフ)』のコスプレイヤーである。
ダメージ加工された革ジャンとジーンズから突き出た太い腕には鋭い鉤爪があり、狼そのものの長いマズル(吻部)の奥には白い犬歯が覗いている。何より驚異的なのは、頭頂部の二つの尖った獣耳が、周囲のシャッター音や話し声に反応して「ピクッ、ピクッ」と独立して動き、ジーンズの後ろから出たふさふさの尻尾が自然なリズムで揺れていることだった。
「すっごい造形ですね! ハリウッドの特殊メイクスタジオの方ですか!?」
玲奈と美希も思わず足を止め、カメラマンたちと一緒に声をかけた。
「口の中の牙とか、鼻先の湿った感じまで本物の狼そっくり! その毛皮のスーツ、特注で作ったら何十万円もするんじゃないですか?」
問われた狼男は、黄金色の瞳をわずかに細め、喉の奥から低く渋いバリトンボイスを響かせて答えた。
「……ええ、まあ、企業秘密ですが、そんなところです」
「耳と尻尾が声に合わせて自動で動いてますけど、中に小型センサーでも入ってるんですか!?」
「……そういう仕様になっております。お嬢さん方、一緒に写真を撮られますか?」
「はいっ、ぜひお願いします!」
玲奈と美希が狼男の両隣に並んでピースサインを作ると、狼男は長い爪が彼女たちの衣装に引っかからないよう、実に紳士的で器用な手つきで爪先を引っ込め、カメラに向かってカッコよくポーズを決めてくれた。
「ありがとうございました! 来年も絶対見に来ますね!」
無邪気に手を振って去っていく女子大生たちの背中を見送りながら、狼男――『極東人狼氏族連盟』の関東支部に所属し、普段は都内の貿易会社で課長職として働いている本物の人狼の男性は、誰にも聞こえないように鼻先からフッと息を吐いた。
(……いやあ、人間の異能者が公表されたおかげで、今年は変に勘ぐられるかと思ったが、かえって『超精巧な特殊造形コスプレ』だと思われて快適だな。毎年ハロウィンの日だけは、全身に抑止用の化粧や擬態具をつけずに外の空気を吸えるし、何より衣装代がゼロ円で済むのが一番ありがたい……)
日本政府もアメリカ政府も、まだ「人外種族」の存在だけはひた隠しにしている。
その秘密のベールのすぐ外側で、本物の人狼はホットドッグのキッチンカーの列に並び、秋晴れのハロウィンを誰よりも満喫していた。
*
午後二時二十分。
池袋のメインストリートを華やかに彩る『池袋コスプレパレード』がスタートし、玲奈と美希も何百人ものレイヤーたちと一緒に沿道の拍手を浴びながらパレードの列を歩いた。
先ほどの黒い翼の能力者も、灰色パーカーの魔法使い軍団も、伝統的なアニメキャラや吸血鬼・魔女の衣装を着た人々も、みんなが同じ日差しの下で笑い合いながら通りを行進していく。
やがて午後三時半過ぎにパレードが終わり、公園のベンチでタピオカドリンクを飲みながら一息ついたところで、美希がスマートフォンを見ながら顔を上げた。
「ねえ玲奈、まだ四時前だし、このまま真っ直ぐ帰るのももったいなくない? 更衣室が混む前に、このトレンチコートと魔女ワンピの上にカーディガン羽織って、ちょっとだけ渋谷の様子も見に行ってみない?」
「えっ、渋谷?」
玲奈はストローから口を離し、自分の着ているベージュのトレンチコートの袖を見た。
「朝のニュースで、スクランブル交差点は今日から普通に通れるようになったって言ってたけど……あそこ、三日前の事件現場よ? 警察もいっぱい出てるんじゃない?」
「だからこそよ。別に私たち、道端でお酒飲んで騒ぎに行くわけじゃないじゃない。ただ、玲奈がせっかくその『渋谷のヒロイン』のトレンチコートを着てるんだから、実際に彼女がみんなを守ったあの交差点の景色をちょっとだけ見て、駅前のカフェでお茶して帰ろうよ」
玲奈は少しだけ迷った。
水曜日の昼、あの交差点の真ん中で恐怖に震えていた人々がいたことは知っている。だが同時に、自分があの女性の姿に憧れてこのコートを仕立てたのも事実だった。あの日、彼女がどんな景色を見ながら空から舞い降りて人々を守ったのか、自分の目で一度だけ確かめてみたいという純粋な好奇心が胸の奥で疼いた。
「……うん。邪魔にならないように、ちょっとだけ通り抜けて見に行くだけなら、いいかもね」
「決まり! じゃあ荷物まとめて副都心線で渋谷に向かおう!」
移動の電車に乗る前、玲奈は自分のXアカウントに、池袋で撮った写真とともに短い感想を投稿した。
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れな@池ハロ→渋谷 (@rena_cos_1031)
池袋のコスプレイベント、本物の翼が生えた能力者のお兄さんとかNYのパーカー魔法使いの仮装がいっぱいいて本当に楽しかった!
まだ時間あるから、これから友達と復旧した渋谷の様子も少しだけ見てくる。
今年は例年以上に、いろんな意味で特別なハロウィンだなあ。
(2026年10月31日 16:05)
――――――――――――――――――――
彼女たちが乗った電車が渋谷へと向けて走り出したその頃。
同じ東京の北西部――練馬区の静かな住宅街にあるマンションの一室では、一人の三十四歳の会社員が、せっかくの土曜日の休日が無慈悲に消滅する音を聞いていた。
*
午後四時三十分。練馬区内のマンション。
宮原修一は、洗いざらしのスウェット姿でリビングのソファに寝転がり、遅めの昼食に作ったペペロンチーノの皿をテーブルに置いたまま、スマートフォンの画面を眺めていた。
一昨日の木曜日、異能公表の翌日に通常通り会社へ出勤し、取引先からのパニック電話への回答テンプレートを作ったり、裏稼業の税務処理の心配で胃を痛めたりした彼にとって、今日十月三十一日の土曜日は、いかなる裏の仕事も入れていない、待ちに待った完全休養日のはずだった。
スマートフォンの画面では、今朝から日本中を席巻している元ボクシング世界王者・橘迅のトレーニング動画が再生されている。
「握力二百二十五キロ、垂直跳び三メートル、最高瞬間速度が時速百二十キロ、か……」
修一は缶コーヒーを一口飲みながら、画面の中で爽やかにピースサインをする二十七歳の元世界王者の姿に、感心したような溜息を漏らした。
八咫烏に登録された『Tier2(特殊作戦級)』の実働請負人である修一から見れば、橘が公開した身体能力は十分に見応えがあるものの、裏の現場で出会った身体強化型の能力者には、それ以上の速度や筋力を発揮する者もいた。もっとも、それで橘のボクシング技術まで軽く見られるわけではない。
だが、修一が心の底から「凄いな」と舌を巻いたのは、その身体能力ではなく、橘迅という青年の「度胸と思い切りの良さ」だった。
「……しかし、ずいぶん思い切ったことをしたな、この人も。自分の顔も本名も、元世界王者っていうキャリアも、能力の具体的なスペックまで、全部隠さずに世間へ晒すなんて」
修一には、逆立ちしたって真似できない芸当だった。
もし自分が会社の同僚である佐伯や谷口課長の前で「実は俺も能力者なんです」とカミングアウトしたら、翌日から自分の平穏なサラリーマン生活も、年間数千万円を稼ぎ出す裏の請負業務も、すべてがメチャクチャになってしまう。
橘のように自分の身一つでリングに上がり、観客の歓声を浴びて生きる華やかなアスリートと、社会の縁の下で誰にも知られずに危険物を片付ける自分のような実務屋とでは、そもそも住んでいる世界が違うのだ。
「さて、夕方までにもう一眠りして、夜はスーパーに半額の刺身でも買いに行くか……」
修一がスマホを置いてクッションに頭を沈めかけた、まさにその瞬間だった。
テーブルの隅で充電ケーブルに繋がれていたもう一台の黒いスマートフォン――八咫烏の秘匿端末が、ブゥン、ブゥン、と低く不吉な振動音を立てて鳴り出した。
修一の動きがピタリと止まる。
三秒間、彼は画面を見ずに「これは幻聴だ、見なかったことにしよう」と現実逃避を試みたが、無情にも着信音は鳴り止まない。
修一は重々しく上半身を起こし、まるでお通夜の案内状でも開くかのような暗い顔で秘匿端末を手に取り、通話ボタンをタップした。
「……もしもし、宮原です」
『あ、宮原さん! 八咫烏・東京支部実働調整課の篠崎です。お休みのところ、突然のご連絡で大変申し訳ございません!』
電話の向こうから聞こえてきたのは、普段から現場のミッションの手配を担当している若手調整官の、緊迫感と申し訳なさが五対五で混ざったような声だった。
「……いえ、まだ寝てはいなかったので大丈夫ですが。ちなみに篠崎さん、念のため確認ですけど、今日ってカレンダーの上では土曜日で間違いないですよね?」
『はい、間違いなく土曜日でございます。そして本日十月三十一日は、ハロウィン当日でございます』
「……で、用件というのは?」
『はい。本日夜間の「渋谷駅周辺エリア」における、特別警戒態勢への臨時予備要員としての待機・支援依頼でございます』
修一は目を閉じ、片手で自分の眉間を強く揉みほぐした。
「……やっぱり渋谷ですか」
『はい。今朝からスクランブル交差点の通常通行を再開したのですが、現在、三日前の事案現場を見ようとする野次馬やハロウィンの仮装をした若者、さらには国内外の配信者たちが、通常の週末の数倍のペースで渋谷へ流入し始めております。
もちろん、通常の交通整理や雑踏警備は警視庁の機動隊および渋谷署が全面的に担当しておりますが、万が一、この群衆の中で「三日前の逃走犯の模倣犯」や「認知変動に刺激された高Tierの未登録能力者・怪異」が暴発した場合、現場の警察官や通常のTier4監視班だけでは即座に制圧・防護しきれない懸念がございます。
つきましては、都内に在住されているTier2実働者である宮原さんに、本日十八時から二十三時までの五時間、渋谷駅近傍の連絡拠点に予備戦力として待機していただきたいのです!』
「……つまり、警察の雑踏警備の手伝いをするわけではなく、万が一の超常事案が起きた時だけ出る保険、ということですか?」
『おっしゃる通りです! もし二十三時まで何事もなく平穏に終了した場合は、待機していただくだけでそのままご帰宅いただけます!』
「…………」
『なお、本日の依頼は「第1級緊急休日招集」の扱いとなりますので、仮に実働がゼロで待機のみに終わった場合でも、通常の危険手当込みの基本委託報酬に休日割増を加算した金額が全額支払われます!』
修一の閉じていたまぶたが、パチリと開いた。
頭の中で素早く電卓が弾かれる。五時間の待機。何も起きなければ、渋谷の待機室でコーヒーを飲んでスマホをいじっているだけで、本業の会社の月給二ヶ月分以上に相当する臨時報酬が転がり込む計算だ。
「……ちなみに篠崎さん。その契約書と支払処理は、第三契約管理室の宇佐美さんのところを通ってますか?」
『はい! 第三契約管理室の宇佐美さんからも「宮原さんならまず間違いなく税務処理の名目を気にされるはずだから、新設される『特定特殊役務(都市安全環境調査)』の暫定第1号案件として、既存の確定申告スキームに一切影響しないクリーンな証憑で処理すると伝えてくれ」と伝言を預かっております!』
自分の性格と弱点が、八咫烏の経理・法務ラインに完全に把握されて先回りされていることに、修一は苦笑いを禁じ得なかった。
「……また『特殊環境調査』ですか。来年の確定申告、本当に書類の束が辞書みたいになりそうだな……。分かりました、引き受けますよ。十八時までに指定の待機場所へ入ればいいんですね?」
『ありがとうございます、宮原さん! 助かります! ではただちに電子契約書と現地の合流パスを端末へお送りいたします!』
通話が切れる。
修一はソファから立ち上がり、半分残っていた冷めたペペロンチーノをかき込むと、大きなため息とともにクローゼットを開けた。
*
午後六時ちょうど。渋谷区道玄坂・雑居ビル五階の臨時連絡拠点。
修一は、黒スーツの役人スタイルではなく、濃紺のナイロンジャケットにチノパン、スニーカーという、どこからどう見ても「週末に渋谷へ買い物に来た少し地味な三十代の一般男性」にしか見えない私服姿で、指定されたオフィスの一室へと入った。
ブラインドが下ろされた室内には、複数の無線機と渋谷駅周辺の防犯カメラ映像を映し出すモニターが並び、八咫烏の現場担当官である四十代半ばの男――佐伯(会社の後輩とは同姓の別人)と、数名の通信・観測要員が詰めていた。
「宮原さん、休日の急な呼び出しに応じていただきありがとうございます。現場主任の佐伯です」
「いえ、お疲れ様です。外、もうかなりの人出になってますね」
修一は窓のブラインドの隙間から、眼下に広がるスクランブル交差点を見下ろした。
秋の日はすでに完全に暮れ落ち、QFRONTや周辺の巨大街頭ビジョンの眩いネオンが、横断歩道を埋め尽くす無数の人々の頭上を昼間のように照らし出している。
佐伯担当官は、ホワイトボードに貼られた渋谷駅周辺の地図を指差しながら、今夜の運用ルールを簡潔に説明した。
「すでにお聞き及びかと思いますが、今夜の我々の行動原則は三点です。
第一に、一般市民の誘導や交通規制、軽犯罪の取り締まりはすべて『警視庁』の管轄です。宮原さんは警察官ではございませんので、通常の雑踏警備に介入したり、一般人に直接指示を出したりする必要はございません。
第二に、もし軽微な異能の誤用や兆候が確認された場合は、地上に配置されている我々『政府の専門機関』の現場班が、警察の特別連絡官と連携して穏便に対処・誘導いたします。なお、当機関の名称(八咫烏)はまだ公式発表されておりませんので、外向けには『内閣官房の専門調査員』という肩書きで動いております。
そして第三に、宮原さんにお願いしたいのは、三日前のような『高出力の違法能力者による無差別攻撃』や『大型怪異の顕現』など、我々現場班の手に負えない高危険度事案が発生した際の、局所防衛および対象の無力化です」
「要するに、俺の出番が来ないのが一番いいってことですね」
「まさにその通りです。正直なところ、我々も今日は何も起きないことを祈っておりますよ」
修一が肩をすくめて言うと、佐伯担当官も苦笑して頷いた。
「ただ……宮原さん。実は今夜、我々が一番頭を悩ませているのは、テロリストの襲撃よりも『異能の公表とハロウィンが重なったことによる、群衆心理のバグ』なのです」
「群衆心理、ですか」
「ええ。外へ出て一回り見ていただければ分かりますが、今夜の渋谷は……例年のハロウィンとは、少々毛色が違っておりますので」
通信機を耳に装着し、待機しつつ外周の巡回も兼ねてビルの一階へと降り立った修一は、スクランブル交差点の歩道に足を踏み入れた瞬間、佐伯担当官が言った言葉の意味を嫌というほど理解した。
三日前、テレビのニュース映像越しに何度も見た、あの事件現場。
足元のアスファルトには真新しい補修の継ぎ目が走り、見上げた雑居ビルの四階にはまだ青い養生シートが張られている。ここで本当に二人の能力者が空を飛び、街を壊すほどの力をぶつけ合ったのだという生々しい傷跡が、ネオンの光の下にくっきりと残っていた。
――それなのに、その傷跡の上を埋め尽くしている人々のなんと陽気で、なんと混沌としていることか。
*
午後六時三十分。渋谷スクランブル交差点周辺。
ハチ公像の周りは白い仮囲いのパネルで厳重に封鎖され、交差点の四隅にはDJポリスを乗せた警備車両と、蛍光ベストを着た何百人もの警察官が立ち並び、「立ち止まらないでください! 横断歩道上での撮影はやめて、ゆっくり前へ進んでください!」と絶え間なくアナウンスを響かせていた。
それでも、信号が青に変わるたびに四方から交差点へと流れ込む若者や外国人観光客の波は、時間が経つにつれて膨れ上がる一方だった。
そして、歩道を歩く修一の視界に入る仮装の半分以上が、ここ三日間のニュースをそのまま反映した「時事ネタ仮装」だったのである。
一番多いのは、やはり「灰色のパーカーにジーンズ」を着た、ニューヨークの『Hoodie Wizard』のコスプレをした若者たちだ。すれ違う男の五人に一人が灰色のフードを被り、スマホのライトを光らせながら「ばいばーい!」と手を振って歩いている。
次に多いのが、水曜日の渋谷で市民を守った「ベージュのトレンチコートの女性」の仮装だ。
さらに修一が思わず足を止めて二度見してしまったのは、センター街の入り口付近でカメラマンたちに囲まれていた「黒スーツに黒ネクタイ、サングラスをかけた男三人組」だった。
彼らは胸ポケットに、金色の紙で作った『三本足のカラス』のバッジを貼り付け、段ボールで作った『極秘回収物(ガス管の破片)』と書かれたアタッシュケースを手に持って、いかにも冷酷なエージェント風のポーズを決めていた。
「すいませーん! そのコスプレ、水曜日に渋谷に来てた『謎の黒服集団(八咫烏)』ですよね!?」
通りがかった女子大生がスマホを向けて声をかけると、黒スーツの三人組はサングラスをクイッと上げて、ノリノリで答えた。
「いかにも! 我々が政府の最高機密機関、八咫烏の事後処理班である! そこの市民、今の超常現象は見なかったことにしろ、これはただの老朽化したガス管の爆発だ!」
「自分で機密機関って言っちゃってるじゃんwww しかもガス漏れネタまで完備してて草、写真撮らせてください!」
盛り上がる若者たちのすぐ後ろを、地味なスーツ姿の八咫烏の現場班員が、無線機を隠しながら無表情で通り過ぎていく。
すれ違いざま、その本物の班員と目が合った修一には、彼の心の声――『……なんで俺たちの仮装まで湧いてるんだ、やりづらくて仕方がないだろうが』という魂の慟哭が、手にとるように伝わってきた。
午後七時ちょうど。
池袋から副都心線で移動してきた相馬玲奈と美希の二人も、渋谷駅の地下出口から地上へと上がり、その熱気の渦の中へと合流していた。
驚いたことに、池袋以上にここ「本場の渋谷」では、玲奈が着ている『右袖が裂けたベージュのトレンチコート』の注目度は抜群だった。
「あ、すみません! その右袖が破れてるコート、三日前の渋谷のバリアのお姉さんですよね!?」
交差点を渡り終えたところで、外国人観光客のカップルや、同じようにトレンチコートを着た別の女性グループから次々と声がかかった。
「袖の破れ方まで再現してるのすごい! よかったら一緒に写真撮ってもいいですか!?」
「あ、はい! もちろんです!」
同じトレンチコート姿の女性四人で並び、交差点の空を背景に、両手を広げて上からの衝撃を受け止めるポーズでシャッターを切る。
写真を撮り終えた玲奈は、周囲の賑わいを見渡しながら、美希に小さく微笑んで言った。
「……なんか、来る前は『事件現場だし、みんなピリピリして怖がってるかな』って思ってたけど、逆だったね。みんな、あの日の女の人のことが本当に大好きで、感謝してるんだなって分かるよ」
「ほんとね。名前も顔もどこの誰かも公表されてないのに、たった三日で渋谷の新しい守護神みたいになってるじゃない」
玲奈はふと視線を上げ、スクランブル交差点の頭上――水曜日の昼、あの女性が自分の身を挺して防壁を張った高さ二十メートルの空間を見上げた。
三日前、ここでは確かにガラスが降り注ぎ、人々が血を流して逃げ惑っていた。
しかし今、その同じ舗装の上を、彼女に憧れた若者たちが笑顔で歩いている。街が傷を乗り越えて日常を取り戻しつつあることが、玲奈にはなんだかとても誇らしく感じられた。
――ただ、その少し離れた駅の壁際では、あの日実際にこの交差点で被災した就活生の青年のような「当事者たち」が、複雑そうな表情で仮装の群衆を眺め、スマートフォンの画面に短い本音を吐き出してもいた。
――――――――――――――――――――
渋谷なう@就活中 (@shibuya_now_26)
バイトの帰りに、水曜日以来初めて渋谷のスクランブル交差点を通った。
道路は綺麗に直ってたし、ハロウィンの仮装した人たちがいっぱい歩いてて、もう何事もなかったみたいに賑やかだった。
あの日あそこで本気で死ぬかと思った身としては、正直まだ足がすくむし、お祭り騒ぎを見るのはちょっと複雑な気分になる。
でも、俺たちを助けてくれたあのトレンチコートの女性のコスプレをして、リスペクトしてくれてる女の子たちがたくさんいたのは、なんか素直に嬉しかったな。今日も何事もなく平和に終わってほしい。
(2026年10月31日 19:15)
――――――――――――――――――――
*
午後七時三十分。
日が完全に落ちて夜が深まるにつれ、渋谷駅周辺の人口密度はさらに一段階跳ね上がっていた。
修一は道玄坂の入り口付近にある街路樹の陰に立ち、ポケットに入れた秘匿端末で警備班の無線連絡をモニターしながら、周囲の環境を静かに観察していた。
彼の視線は、誰かが空を飛んでこないかと上空ばかりを向いていたわけではない。
修一が先ほどからずっとチェックしていたのは、もっと地味で、もっと現実的な「地上の地形と人の流れ(動線)」だった。
ハチ公前広場の仮囲いによって狭くなった通路の幅。
地下鉄のA8出口から地上へと絶え間なく吐き出されてくる新しい群衆の量。
センター街の入り口付近で、写真を撮るために足を止めがちな溜まり場(ボトルネック)。
そして、歩道と車道を隔てるガードレールや、工事用のバリケードが置かれている段差の位置。
今現在は、警察官たちの巧みなロープ誘導と声かけによって、何万人という群衆が「一方通行の川の流れ」のように滞りなく循環している。
だが、修一の肌には、この巨大な人波が孕んでいる「危うい緊張感」がビリビリと伝わってきていた。
例年のハロウィンなら、集まっている若者たちの意識は「目の前の友達や仮装」だけに向いている。しかし今夜は違った。すれ違う人々の会話の端々に、「36人に1人ってことは、この交差点の中にも何十人も本物の異能者がいるんだよな」「誰か今日、本物の魔法とか見せてくれないかなw」という、異様な期待と警戒が混ざり合っているのだ。
もしこの超過密状態の中で、誰か一人が「本物の異能」を使ったとしたらどうなるか。
修一は無線機のマイクを口元に寄せ、ビル五階の佐伯担当官を呼び出した。
「……こちら宮原。佐伯さん、ちょっとよろしいですか」
『はい、こちら佐伯です。何か不審な能力反応でもございましたか?』
「いえ、能力反応はありません。ただ、今の交差点の混雑状況を見ていて、一つ気になったことがありまして。異能による攻撃そのものよりも、もしどこかで誰かが目につく能力を使った場合、この群衆が一斉に『同じ方向を見上げて足を止めること』の方が、はるかに危険だと思います」
『……足を止めること、ですか』
「はい。水曜日の事件の時も、最初に人が浮いた瞬間、交差点の真ん中で何百人もがスマホを構えて立ち止まったせいで、後ろからの避難導線が完全に詰まりましたよね。今夜はあの時の三倍以上の人間が密集しています。もし上空や路上で何かが起きて、見たい連中が前へ押し寄せ、怖がった連中が後ろへ逃げようとして鉢合わせしたら、異能の威力とは無関係に、ただの群衆雪崩(将棋倒し)で大惨事になります」
無線機の向こうで、佐伯担当官がハッと息を呑む気配がした。
『……おっしゃる通りです。群衆が混乱する可能性は警戒していましたが、無害な能力の実演だけで、見物客と避難者が正面からぶつかり合うところまでは具体的に想定できていませんでした。すぐに警視庁の現場指揮本部と共有し、万一の際の流入遮断ルートと救護導線を再確認させておきます!』
「お願いします。……まあ、頼むから今夜くらいは、誰も渋谷の空を飛ばないでくれよと祈るばかりですけどね」
修一は通信を切り、ネオンが輝く夜空を見上げて小さく苦笑した。
もちろん、彼自身はただの冗談――あるいは切実な願望としてそう呟いたに過ぎなかった。
見上げた空には、いつもどおり渋谷の街の明かりが滲んでいるだけだった。
【5ちゃんねる:ニュース速報+(20時00分・平和な実況スレ)】
スレタイ:【実況】異能開示後初の渋谷ハロウィン、カオスすぎて面白いwww ★4
301 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:01:12.00 ID:Halloween_Watch
YouTubeの渋谷スクランブル交差点ライブカメラ見てるけど、警官の数も人の数もすげえなw
315 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:01:45.33 ID:Grey_Hoodie_Army
てか、さっきから画面の中を横切っていく奴ら、灰色のパーカー着た『ニューヨークの魔法使い(Hoodie Wizard)』のコスプレ多すぎだろwww
1回の青信号で30人くらい灰色パーカーが渡っていくぞ!
329 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:02:18.90 ID:Who_Is_Real
これだけ灰色パーカーがウジャウジャいたら、どれが本物の魔法使いだよw
347 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:02:50.12 ID:Eating_Bagel
>>329
本物のHoodie Wizardは今ごろアメリカで朝のベーグル食ってるか、ホワイトハウスでステーキ食ってるだろww なんでわざわざ渋谷に来るんだよw
365 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:03:25.45 ID:Trench_Coat_Girl
あと、水曜日に渋谷を守った「ベージュのトレンチコートのお姉さん」のコスプレしてる女の子もめちゃくちゃ多いな!
みんな右袖をわざと破いてて、リスペクトが感じられてなんか微笑ましいわ。
401 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:04:10.88 ID:Black_Suit_Cos
さっきXで見たけど、黒いスーツにサングラスかけて「我々は八咫烏である、これはガス漏れだ!」って看板持ってる3人組のコスプレイヤーまでいて腹抱えて笑ったわww
418 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:04:42.19 ID:Real_Agents_Cry
もしその隣に本物の政府の秘密組織の人が立ってたら、どんな顔して見ればいいんだよそれww
433 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:05:15.60 ID:Black_Suit_Cos
>>418
本物の秘密組織のエージェントは、自分から「我々は秘密組織です」なんて看板持って歩かねえだろwww
455 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:05:50.04 ID:Where_Are_Espers
ていうかさ、昼間の池袋のイベントでは「本物の悪魔の翼が生えてる能力者」が写真撮らせてくれて大人気だったらしいじゃん!
今これだけ渋谷に何万人も若者が集まってるんだから、36人に1人の確率なら、今この交差点の中にも500人くらい本物の異能者が歩いてるはずだよな?
472 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:06:28.33 ID:Stay_Low
>>455
計算上は絶対いるだろうけど、普通はこんな警察だらけの場所で自分から名乗り出たりしないだろw
503 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:07:05.12 ID:Want_Some_Action
えー、せっかくの異能元年ハロウィンなんだからさ、誰か一人くらいサービスで空飛んで見せてくれねえかなw
521 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 20:07:32.88 ID:Dont_Do_It_Bro
>>503
おいバカ、それだけは絶対にやめろwww 3日前のトラウマが蘇るだろ!!
*
午後八時三十五分。
スクランブル交差点の北西側――センター街(バスケットボールストリート)の入り口から少し外れた、雑居ビルの脇の歩道。
そこに、流行りの「灰色のフード付きパーカーとジーンズ」を着た、二十歳前後の大学生風の男たち三人組がたむろしていた。
そのうちの真ん中に立つ小柄な青年――翔太(しょうた)は、先ほどから自分のスマートフォンの画面に映るSNSのトレンド欄と、目の前を行き交う華やかな仮装の群衆を交互に見比べながら、心臓が早鐘を打つような高揚感に包まれていた。
「――なあ翔太、お前、マジでここでやる気なのか?」
友人の一人が、スマートフォンで動画撮影のカメラアプリを起動しながらも、少し不安そうに周囲の警察官の姿を盗み見た。
「いくら政府が異能の存在を認めたからって、ここ渋谷だぞ? 人がめちゃくちゃ多いし、やめといた方がよくね?」
「大丈夫だって!」
翔太は灰色のパーカーのフードを目深に被り直し、少し上気した顔で笑ってみせた。
「ほら、昨日の夜に政府の窓口から来たメールにも『個人の意思による自己の能力の公表については、他者の権利を害さない限り処罰の対象としない』って書いてあったじゃん! 今朝だって、ボクシングの橘迅が時速百二十キロで走る動画をXに上げて、今や日本中のヒーローになってるし、池袋のハロウィンでも翼の生えた能力者が大人気だったんだぞ!」
翔太は、八咫烏に『Tier4(微弱な自己浮遊・低速飛行能力)』として登録されている、ごく普通の大学生だった。
彼が持つ能力は、自分の体重だけを重力から切り離し、時速二、三十キロ程度でふわりと空中を浮遊・移動できるというものだ。水曜日に渋谷のビルを破壊した男のような衝撃波など一ミリも出せないし、重い荷物を持って飛ぶことすらできない。
これまで彼は、登録講習で「人前で能力を使ったら厳重処罰になる」と言い渡されていたため、深夜の自分の部屋でベッドから天井まで浮いて遊ぶくらいしか、その力を使う機会がなかった。
だが、世界は変わったのだ。
しかも今朝、自分と同じように「灰色のパーカー」を着て空に浮かび、ドラゴンを倒してカメラに『ばいばーい!』と手を振ったニューヨークの魔法使いは、一躍世界中の憧れのスターになった。
自分には百七十八枚の魔法陣は出せないけれど、「灰色のパーカーを着て、本物の力で空中に浮かび上がり、みんなに向かってカッコよく手を振る」ことくらいなら、今ここで完璧に再現できる!
「別に誰かを殴るわけでも、物を壊すわけでもないんだよ。ただこの場で、街灯の上くらいまでスッと浮いて、五秒か十秒くらいみんなに手を振って、すぐそのまま降りるだけ! 『渋谷にも本物のHoodie Wizardがいたぞ!』って動画がバズったら、俺たち一気に有名人だぜ!」
「……まあ、確かに十秒浮いてすぐ降りるだけなら、誰にもぶつからないし危なくはないか。よし、カメラ回すぞ!」
彼には、悪意など一欠片もなかった。誰かを傷つけるつもりも、パニックを起こすつもりもなかった。
ただ、二十歳の若者特有の「せっかく特別な力を持っているのだから、みんなに凄いと言われたい」「トレンドの波に乗って目立ちたい」という、ほんの少しの虚栄心と軽率さがあっただけだ。
友人が録画開始の合図に親指を立てた。翔太はひとつ大きく息を吸い込み、目の前の群衆ではなく、自分がこれから浮かび上がる頭上の空を見上げた。
午後八時三十七分。
信号が青に変わり、スクランブル交差点に何千人もの歩行者がなだれ込んだその瞬間。
「いくぞ、3、2、1……!」という友人の合図とともに、翔太は意識を集中させ、スニーカーの足裏から重力のくびきを切り離した。
フワッ、と。
音もなく、翔太の身体が歩道のアスファルトから三十センチ浮き上がった。
そのまま彼は両手をポケットに突っ込んだニューヨークの魔法使いのポーズを真似しながら、エレベーターが昇るようにスルスルと垂直に上昇していく。
二メートル。四メートル。そして街路灯や道路標識の高さを越え、地上約八メートル――雑居ビルの二階と三階の中間あたりの虚空で、ピタリと静止した。
渋谷の眩いネオンと大型ビジョンの光を背負い、灰色のフード付きパーカーを着た青年が、何もない夜空にぽつんと浮かんでいる。
翔太は眼下に広がる無数の人々の頭を見下ろし、誇らしげな笑顔で片手を上げて振ってみせた。
最初の一秒間。
彼のすぐ真下にいた若者たちが、その異変に気づいて顔を上げた。
「……えっ!?」
「おい、あれ見ろ! あいつ浮いてるぞ!!」
「ワイヤーがない! 本物の異能者だああああああ!!」
「すげえええ、ニューヨークの『Hoodie Wizard』のコスプレでガチで空飛んでる奴がいるぞ!!」
すぐ近くの若者たちから、狙い通りのド派手な歓声と拍手が沸き起こった。何十台ものスマートフォンが一斉に夜空の翔太へと向けられ、フラッシュが焚かれる。
(やった、ウケてる! みんなすげえって見てくれてるぞ!)
翔太が有頂天になりかけた――まさにその次の瞬間だった。
彼から五十メートルほど離れたスクランブル交差点の中央や、ハチ公口側の歩道にいた人々には、翔太の笑顔も、彼がただの大学生であることも見えなかった。
暗い夜空の逆光の中で彼らに見えたのは、ただ一つ。
『三日前の水曜日、この同じ交差点の上空に浮かび上がり、逃げるために何百人もの群衆へ向けてビルを砕く衝撃波を撃ち下ろしたあの犯人とまったく同じ、フード付きの服を着た男が、再び頭上に浮かんでいる』という、悪夢のようなシルエットだった。
「…………あ」
交差点の真ん中を歩いていた三十代の会社員の女性が、凍りついたように足を止め、血の気の引いた顔で夜空を指差した。
その喉から、絹を裂くような絶叫が迸った。
「きゃあああああああああああっ!! ま、またあの男よ!! 水曜日の犯人が空にいる!!」
「えっ!? 嘘だろ、また渋谷で異能者が暴れるのか!?」
「上から攻撃してくるぞ!! 逃げろ、建物の中に入れえええええっ!!」
【YouTube / TikTok 現地ライブ配信コメント欄(20時37分30秒)】
> 名無しA:うおおおお本物の飛行能力者きたああああ!!
> 名無しB:すげえ、加工なしで人が空に浮いてる!! 渋谷やべえええwww
> 名無しC:いや待て、あのフード被ったシルエット……
> 名無しD:水曜日に渋谷を爆破して逃げたあのフードの男じゃないのか!? まだ捕まってなかったよな!?
> 名無しE:え? テロリストが戻ってきたの!?
> 名無しF:違うだろ、今朝のニューヨークの魔法使いのコスプレだろあれ!
> 名無しG:でももし本物の犯人だったら死ぬぞ!! 今すぐ交差点から逃げろ!!
歓声と、悲鳴。
同じ一つのシルエットを見上げながら、数万人の群衆の認識が、一瞬にして正反対の二つへと真っ二つに引き裂かれた。
午後八時三十八分。
その認識の分裂は、物理的な「二つの巨大な人波の衝突」となって渋谷の路上を襲った。
センター街の奥や道玄坂側から、「えっ、本物の能力者が空を飛んでるって!? どこどこ、動画撮らなきゃ!」と好奇心に駆られた何百人もの若者たちが、スマートフォンを高く掲げながら交差点の中心(翔太の真下)へと向かってどっと押し寄せてくる。
ところがその真正面から、「空に能力者がいるぞ、また爆発が起きる、逃げろ!」とパニックに陥った交差点中央の数百人の人々が、駅や建物の入り口へ逃げ込もうとして、津波のように逆方向へと殺到してきたのである。
「あぶない、止まってください! 走らないでください!!」
「前が詰まっています、後ろの人、押さないでくださーい!!」
警察官たちの必死の拡声器の声が、飛び交う怒号と悲鳴にかき消される。
スクランブル交差点の北西角、歩道と車道の境界にあるガードレールの切れ目付近で、「前へ進みたい見物客の波」と「後ろへ逃げたい避難者の波」が真正面から激突し、身動きが取れないほどの超高密度の圧縮空間(クラウド・クラッシュ)が発生した。
その渦のすぐ端にいたのが、池袋から来ていた相馬玲奈と美希の二人だった。
「……きゃっ! ちょ、ちょっと美希、はぐれないように手を掴んで!」
「れ、玲奈! なにこれ、前から人が走ってくるのに、後ろからもどんどん押されて動けない!!」
さっきまで笑顔で写真を撮っていた周囲の空気が、一変して恐怖と混乱の渦に変わる。
玲奈の肩に、後ろから走ってきた大柄な男の身体が強くぶつかり、玲奈の身体が大きくよろめいた。美希が必死に玲奈の腕を掴んで支えるが、全方位から押し寄せる人間の重みで、呼吸をするための胸の隙間すら圧迫され始める。
頭上の街灯の上には、まだあの灰色のパーカーの青年がオロオロと浮かんでいるのが見えた。だが、今の玲奈たちにとって本当に命の危険を感じる恐怖は、空の上ではなく「足元の人間たちの圧力」にあった。
その時だった。
「――うわっ、あぶねっ!」
玲奈のすぐ斜め前、スマホを上空に向けたまま後ろ向きに押されていた二十歳くらいの若い男性が、歩道の縁石の段差に踵を引っ掛け、バランスを崩して仰向けにドサリと転倒した。
ヒッ、と周囲の人間が息を呑む。
倒れた青年のすぐ後ろにいた二、三人は咄嗟に足を止めた。だが、さらにその十メートル後ろから「見たい!」「逃げろ!」と押し寄せてくる何百人もの群衆には、先頭の足元に人が倒れていることなど見えていない。
後ろからの圧力を支えきれなくなった前の列の人々が、「ちょっと待って、押さないで! 下に人が倒れてるの!!」と叫びながら、倒れた青年の上へと覆いかぶさるように前のめりに崩れ落ちそうになる。
あと五秒このまま圧力がかかり続ければ、ここを起点にして何十人もの人間が折り重なって倒れ、圧死者を出す「将棋倒し」が確実に発生する――!
「――あっ!!」
倒れた青年が足首を押さえて顔を歪めているのを見た瞬間、玲奈の脳裏に、自分が今身に纏っている「右袖の裂けたベージュのトレンチコート」の意味が閃いた。
三日前、この同じ場所で、見ず知らずの人々を守るために空から飛び込んできたあの女性なら、絶対に目の前で倒れている人を見捨てて逃げたりしない。
もちろん、玲奈は三十六人に一人の能力者ではない。ただの女子大生だ。見えない防壁も張れなければ、空を飛ぶこともできない。
それでも、玲奈は美希の手を握ったまま一歩前へと踏み出し、倒れている青年の頭側を自分の身体と両脚で跨ぐようにして立ち塞がると、後ろから押し寄せてくる人波に向かって両腕を広げ、腹の底から声を張り上げた。
「すいませーん!! ここに人が倒れてます!! 前には進めません、押さないでくださーいっ!!」
美希も即座に玲奈の隣に並び、必死の大声で叫んだ。
「止まってー!! 足元に人がいるの、後ろの人ストップしてーっ!!」
二人の女子大生がスクラムを組むようにして人間バリケードとなり、前のめりになっていた男性の肩を必死に押し返す。
だが、後ろから次々に加わる人波の圧力は凄まじく、玲奈のブーツの踵がズルズルと後ろへ滑り、支えている両腕がミシミシと悲鳴を上げた。
*
そのわずか数十秒前――午後八時三十八分。
道玄坂の入り口で群衆を監視していた宮原修一は、センター街の脇から灰色のパーカーを着た青年がふわりと夜空へ浮かび上がった瞬間を、誰よりも早く視界の端で捉えていた。
『――緊急報告! センター街入り口付近の上空八メートルに、単独で浮遊・飛行する能力者一名を確認! 外見は二十代前半の男性、灰色のパーカーを着用!』
『ハチ公前および交差点北西側で群衆がパニックを起こしています! 流入と流出が衝突して滞留発生!』
耳元の無線機に、ビル五階の観測班からの緊迫した報告が飛び込んでくる。
修一は一瞬だけ夜空の青年へと視線を走らせた。
上空の青年が今のところ起こしているのは、自分自身を浮かせる現象だけだった。通信機から届く観測班の報告にも、高出力の因果干渉反応はない。もちろん、それだけで本人の真のTierや隠された能力まで見抜けるわけではない。何より青年は、眼下の騒ぎを見て顔を青くし、途方に暮れているようだった。
「……佐伯さん、聞こえますか!」
修一はすでに人波の脇をすり抜けて走り出しながら、無線機に短く的確な判断を叩き込んだ。
「上空の男に、今のところ攻撃の兆候は見られません! 本人も混乱しているようです。あちらの誘導はそちらの専門班に任せます。今すぐ一番危ないのは『地上』です。センター街入り口の歩道段差で人波がぶつかり、転倒者が出ています!」
『確認しました! 宮原さん、現場の警察官と合流して圧力の分散をお願いします!』
修一は一切の異能を使わなかった。
こんなパニックの渦中で自分が目立つ形で異能を使えば、火に油を注ぐだけだ。だが、数々の修羅場をくぐり抜けてきたTier2実働者としての観察眼と危機管理の判断力は、そのまま群衆の危険を見抜く力になった。
修一は混雑の外周を回り込みながら、パニックの根本原因である「人の流入経路」を一目で読み切った。
今、事故が起きかけている歩道の段差へ後ろから圧力をかけ続けているのは、事情を知らずに道玄坂下の横断歩道から次々と渡ってくる後続の見物客の群れだ。いくら転倒者の目の前で「押すな!」と叫んでも、十メートル後ろの蛇口を閉めなければ圧力は絶対に止まらない。
「――そこの警察官の方! 内閣官房の連絡要員です!」
修一はガードレール際で拡声器を持っていた機動隊の分隊長のもとへ駆け寄り、事前連携用の認証パスをちらりと見せて、具体的な座標を指差した。
「今すぐ、あなたの後ろのロープを使って、道玄坂側からセンター街へ向かう歩行者の流入をここで完全に遮断してください! 十メートル先の段差で転倒者が出て先頭が詰まっています! 『逃げろ』ではなく『通路確保のため右側の車道へ迂回せよ』とアナウンスを! 車道側の第1車線のバリケードを二箇所開ければ、滞留している人波の圧力が横へ抜けます!」
「っ、了解した! 第2小隊、今すぐ規制ロープを張って後続を止めろ! 車道側のゲートを解放して滞留者を横へ逃がせ、救護班は前へ出ろ!!」
ベテランの機動隊長は、修一のあまりにも的確で迷いのない状況分析に即座に反応し、笛を吹き鳴らして隊員たちを動かした。
屈強な機動隊員たちが一列に並んで規制ロープを張り、後ろから押し寄せていた見物客の流入をピタリと堰き止める。同時に、横の車道側のプラスチック柵がガシャンと開け放たれ、「こちら側へゆっくり抜けてくださーい!」という誘導路が作られた。
蛇口が閉まり、横への逃げ道が開いたことで、窒息しそうだった歩道上の群衆の圧力が、フッと嘘のように抜け始めた。
そして修一自身は、機動隊員二人を伴って人の隙間を縫い、今まさに「すいませーん! ここに人が倒れてます!!」と必死に声を張り上げて壁になっていた、トレンチコート姿の玲奈たちの横へと滑り込んだ。
「――もう大丈夫です! 後ろの流れは警察が止めました!」
修一の落ち着き払った、それでいてよく通る声が響く。
修一が片手を広げて前に立つと、その大人の余裕と確かな存在感に安心したのか、周囲で押し合いになっていた人々がすっと落ち着きを取り戻し、開かれた車道側へと順番に距離を取り始めた。
修一は素早くしゃがみ込み、路上に倒れている若い男性の肩に手を置いて状態を確認した。
「意識はありますね。呼吸も正常、頭は打っていませんか?」
「あ、はい……すいません、段差で右足首をひねって、立ち上がれなくなっちゃって……」
「無理に引き起こしたり歩かせたりしなくて大丈夫です。すぐ後ろに警察の救護班が担架を持って来ていますから、このまま待ちましょう」
修一が手際よく処置を引き継ぐと、今まで全身の力で人波を押し返していた玲奈と美希が、緊張の糸が切れたように「はあぁぁ……」と大きく息を吐き出した。
「す、すみません、本当にありがとうございます……! もう少しで後ろの人が倒れてくるところでした……!」
「いえ、こちらこそ。あなたたち二人がすぐに気づいて、この人の前で壁になって声を上げてくれたおかげで、後ろの人間が足を止められました。見事な初期対応でしたよ」
修一は穏やかに微笑み、二人の女子大生の顔を見た。
「お二人とも、ぶつかって怪我はありませんか?」
「は、はい! 私たちは全然大丈夫です!」
「それはよかった。じゃあ、救護の警察官に引き継ぐまでのあと一、二分だけ、横で彼に声をかけてあげてください」
「はいっ!」
力強く頷く玲奈の姿を見て、修一はふと、彼女が着ている衣装に目を留めた。
ベージュのトレンチコート。しかも右袖のところがわざと裂けたように加工され、内側に銀色の布が光っている。
三日前の水曜日、まさにこの場所で一般市民を守り抜いたあの女性能力者のコスプレだと気づき、修一の口元にほんの少しだけ温かな苦笑いが浮かんだ。
「……そのトレンチコートの格好、今夜の渋谷にはぴったりかもしれませんね」
「えっ?」
「いえ、なんでもありません。ちょっと後ろの誘導を手伝ってきます」
修一は軽く手を挙げると、駆けつけてきた警察の救護班に場所を譲り、何事もなかったかのように雑踏の整理へと戻っていった。
玲奈は、そのどこにでもいそうな優しい会社員風の男性が、実は八咫烏にTier2として登録され、数々の危険な超常事案を処理してきた実働請負人であることなど知る由もないまま、「すごい冷静で頼りになるお兄さんだったね……」と美希と顔を見合わせて胸を撫で下ろした。
*
一方その頃――午後八時四十二分。
地上八メートルの夜空に浮かんでいた張本人、灰色パーカーの大学生・翔太は、自分の足元で起きている光景を見て、完全に血の気を失い、ガタガタと唇を震わせていた。
(……え? な、なんだよこれ……俺、ただ十秒くらい浮いて、みんなに笑ってもらおうと思っただけなのに……!)
最初のうちは確かに「すげえ!」「本物だ!」という歓声が上がっていた。
ところが次の瞬間には、あちこちから「水曜日の犯人だ!」「逃げろ!」という悲鳴が上がり、人々がぶつかり合って怒号が飛び交い、パトカーの赤色灯と警察官の笛の音が交差点中を埋め尽くしてしまったのだ。
「お、降りよう……! 早く降りて、俺は犯人じゃないって説明しなきゃ……!」
半泣きになった翔太が、慌てて浮遊の出力を弱め、高度を八メートルから五メートルほどへとスッと下げた。
だが、彼の真下の歩道にはまだ何百人もの群衆がひしめいている。そのまま降りれば誰かの頭の上に落ちてしまうし、何より、彼が二、三メートル高度を下げただけで、地上の人々からさらなるパニックの悲鳴が上がった。
「ひぃっ、あいつ降りてきたぞ!!」
「こっちに向かって急降下してくる気だ、離れろ!!」
「いや、違うんです、ただ降りようとしただけで……っ!」
翔太が驚いて再び高度を八メートルへ戻すと、今度は別の方向から「また上に上がったぞ、上から何か撃つ気だ!」と叫び声が上がる。
降りることもできず、かといってこのまま高速で飛び去れば「犯人が逃走した!」と自衛隊や八咫烏の討伐部隊に撃ち落とされるかもしれない。
翔太は自分の飛行能力そのものは制御できているのに、自分が引き起こした「周囲の空気と群衆の動き」がなに一つ制御できず、渋谷の夜空のど真ん中で、迷子の子供のように涙目で立ち往生してしまっていた。
その地上では、一人のベテラン警察官が、鋭い眼差しで夜空の翔太を見上げていた。
三日前の水曜日、まさにこの渋谷スクランブル交差点で最初の現場指揮を執り、八咫烏の黒服たちに指揮権を引き継いだ、渋谷署地域課の『あの警部補』である。
「――警部補! 上空の灰色パーカーの男、依然として高度八メートル付近で滞空を継続しています! いかがいたしますか!?」
隣で無線機を握る若い巡査が、緊張で声を上擦らせながら尋ねた。
警部補は顎を引き、街灯に照らされた上空の青年の姿をじっと観察した。
「攻撃の予備動作や、周囲の空気の異常な圧縮はあるか?」
「い、いえ! 現時点では確認されていません!」
「手に武器や危険物は?」
「何も持っていません、ただ空中でキョロキョロと下を見て震えているように見えます!」
警部補はフッと短く鼻から息を吐いた。
三日前、この空で凄まじい因果干渉を引き起こす能力者同士が激突するのを真下から見上げ、死の風圧を肌で浴びた警部補には、今の青年の様子があの日とはまるで違うと感じられた。
あの日の男が放っていた、呼吸すらできなくなるような凶暴な威圧感は、あの上の若者には一ミリもない。あれはテロリストではなく、ただハロウィンの空気に当てられて調子に乗り、降りられなくなって半泣きになっているだけの「馬鹿な学生」だ。
「……よし、上空の男に過度な警戒は不要だ。威嚇もするな」
警部補は落ち着いた、重みのある声で部下たちに命じた。
「俺たちの仕事は三日前と同じだ。空の能力者に気を取られるな、足元の一般市民を落ち着かせて、これ以上転倒者や怪我人を増やさないことに全力を注げ! 上の若造を引きずり下ろすのは、本職の連中に任せておけばいい!」
「は、はいっ!!」
警察官たちが一斉に「上空の人物による攻撃は確認されていません! 走らず、落ち着いて誘導に従ってください!」と力強いアナウンスを開始した、午後八時四十五分。
センター街の脇にある雑居ビルの屋上(三階建ての低いテラス)に、いつの間にか二人の「黒いスーツを着た政府専門機関の現場担当官」が姿を現していた。
彼らと上空の翔太との距離は、水平にわずか十メートルほど。
担当官の一人が、狭い範囲へ声を届ける指向性のパラメトリック・スピーカーを翔太へと向け、周囲の雑踏に埋もれない落ち着いた声で語りかけた。
『――上空の登録能力者へ告げる。こちら内閣官房・特殊事象管理窓口の現場班である。現時点で君による攻撃行為は確認していない。パニックにならず、私の指示に従いなさい』
雑踏の中でも、まるで自分へ向けて話しかけられたようにはっきりと届いた声に、空中の翔太はビクッと肩を揺らし、涙目で屋上の黒服二人を見た。
「あ、あのっ、俺、なにも攻撃するつもりなんか――」
『分かっている。だが、このまま交差点の真上で降下すれば群衆と接触して二次被害が出る。今、私がレーザーポインターで示す北側の明治通り沿い・宮下パーク横の旧駐車場エリアを警察が完全に封鎖した。高度八メートルを維持したまま、時速十キロ以下でゆっくりとそちらの緑色の誘導灯の上まで水平移動し、着地しなさい。いいね?』
「は、はいっ!! わかりました、すぐ行きます!!」
翔太は何度もコクコクと必死に頭を下げると、屋上の担当官が示す緑色の誘導シグナルに従い、スクランブル交差点の上空からゆっくりと、まるでお叱りを受けてすごすごと帰る大型犬のような速度で北側へと空を滑って離れていった。
二分後。
一般人の立ち入りが規制された駐車場のアスファルトの上に、翔太の履いたスニーカーが力なく着地した。
待ち構えていた八咫烏の現場担当官と警察の連絡官の前に、翔太はその場で膝から崩れ落ちんばかりに頭を下げた。顔面は真っ白を通り越して土気色になっている。
「す、すみませんでした……っ!! 俺、ただハロウィンの仮装でちょっと浮いたらウケるかなって思っただけで、みんなを怖がらせたり怪我させたりするつもりなんて、本当にこれっぽっちもなくて……っ!」
震える声で謝り続ける青年の前に、現場担当官は武器を向けることも怒鳴りつけることもせず、ただ冷静な大人の目で立ち、静かに告げた。
「怪我はありませんね? ……まず理解していただきたいのは、私どもはあなたが『自分の能力を世間に公開したい』と考えたこと自体を責めているのではありません。昨日の政府方針の改定により、自己の判断によるカミングアウト自体は認められています」
「……はい」
「ですが、今朝の橘迅氏が管理された安全な専用施設の中で測定動画を公開したのと、何万人もの一般市民が密集し、しかも三日前に爆破事案が起きたばかりの夜の渋谷の路上で、事前通告も安全確保もなしに突然空を飛ぶこととは、全く意味が違います。
あなたの能力に攻撃性がなくとも、それを見てパニックになった群衆が転倒すれば、何十人もの命が失われるのです。車の運転免許を持っているからといって、歩行者天国のど真ん中にスポーツカーで乗り入れていいわけではないのと同じことです。……何が起きたのか、お分かりですね?」
「……はい……本当に、俺が馬鹿でした……」
うなだれて涙をこぼす翔太の肩に、担当官はそっと手を置いた。
「幸い、警察と現場要員の迅速な対応により、死者や重傷者は出ませんでした。ただ、負傷した方もいます。まずは経緯を詳しく確認し、公共の場での能力行使について安全講習を受け直していただく必要があります。今後の扱いは警察とも確認しますから、こちらの車両で事情を聞かせてください」
*
午後八時五十分。
上空から灰色のパーカーの青年が姿を消し、DJポリスの「先ほどの飛行人物は関係機関の誘導により安全な場所へ移動しました! 追加の攻撃は確認されていません。落ち着いて係員の誘導に従ってください!」というアナウンスが交差点全体に響き渡ると、渋谷を覆っていたパニックの熱は徐々に冷めていった。
今回の騒動で、最初に段差で転倒した若い男性を含め、混雑の中で尻もちをついたり足首をひねったりした軽傷者が計四名発生したものの、修一と機動隊による迅速な流入遮断と、玲奈たちの初期対応のおかげで、懸念されていた将棋倒しや重傷者は一人も出ずに済んだのである。
道玄坂の歩道脇で、警察の救護班が軽傷者を救急車へと乗せるのを見届けた修一は、壁に背中を預けて「ふうーっ……」と今日一番の深い息を吐き出した。
そこへ、ビル五階から降りてきた八咫烏の佐伯担当官が駆け寄ってきた。
「宮原さん、ありがとうございました! 宮原さんが事前に群衆雪崩の危険を指摘してくださり、現場で即座に道玄坂側の流入を止めて車道を開放させてくださったおかげで、最小限の被害で食い止めることができました。もしあと一分判断が遅れていたら、何十人も折り重なって大惨事になっていたところです」
「いえ、警察の隊長さんの動きが早かったおかげですよ。それより、飛んだ本人は?」
「はい、明治通り側の封鎖エリアへ安全に着地させ、現在保護して事情を聞いております。まだ二十歳の大学生で、悪意は全くなく、ただニューヨークの魔法使いのマネをして十秒ほど動画を撮りたかっただけとのことです」
「……やっぱり、そういうことですか」
修一は呆れたように苦笑し、そして自分が一時間前に口にした言葉を思い出して、遠い目で夜空を見上げた。
「……あの、佐伯さん。俺、さっき七時半頃に『頼むから今夜は誰も空を飛ぶなよ』って言ったばかりだったんですけどね」
「…………ええ、確かにおっしゃっていましたね」
「本当に飛ぶ奴が出てくるとは思わなかったな。次からは、余計なフラグになるような独り言は絶対に言わないようにしますよ」
修一の真面目な反省の弁に、緊張しっぱなしだった佐伯担当官も思わず吹き出して笑った。
派手な異能の撃ち合いなど一度も行わなかった。それでも、敵意のない未熟な能力者が引き起こした「新しい時代の都市型パニック」の芽を、誰にも気づかれずに的確に摘み取って見せたのは、紛れもなくこの地味な三十四歳のサラリーマン兼・Tier2実働者の経験値だった。
午後九時ちょうど。
修一が待機場所のビルへ戻ろうと歩き出したところで、救護班への引き継ぎを終えて歩道の端へ移動していたトレンチコート姿の玲奈と、魔女姿の美希が、修一の姿を見つけてパッと駆け寄ってきた。
「あ、あの! さっきのお兄さん!」
玲奈が息を弾ませながら立ち止まり、美希と一緒にぺこりと深く頭を下げた。
「さっきは本当にありがとうございました! お兄さんが警察の人を連れてすぐに来てくれなかったら、私たちだけじゃ支えきれなかったと思います!」
「いえ、こちらこそありがとうございました。倒れた彼も軽い捻挫だけで済んだみたいですよ。お二人とも、せっかくのハロウィンだったのに大変な目に遭いましたね」
修一が優しく労うと、玲奈は自分の少しシワになったトレンチコートの裾を見下ろし、少しだけ恥ずかしそうに言った。
「……私、三日前にこの交差点でみんなを守ったトレンチコートの女性に憧れて、このコスプレをして来たんです。でも、いざ目の前で人が倒れてパニックになったら、私にはあのお姉さんみたいな凄い異能なんて何にもないから、ただ立って大声を出すことしかできなくて……」
少ししょんぼりしたように呟く二十一歳の女子大生を見て、修一は少しだけ目を丸くし、それから普段会社の後輩を褒める時と同じ、落ち着いた温かい口調で言った。
「何を言ってるんですか。あんなパニックの中で、自分の足元に倒れている人を見捨てずに踏みとどまって、後ろの人間が踏まないように身体を張って助けを呼んだんでしょう?」
「……え?」
「それは『何もできなかった』んじゃなくて、『あなたが立派にその人を助けた』っていうことですよ。空を飛んだり透明な壁を出したりしなくても、目の前の一人を守るのに特別な異能なんていりません」
玲奈がハッとして顔を上げる。
修一は彼女の右袖のキラキラ光る補修跡をちらりと見て、穏やかに微笑んだ。
「……やっぱり、そのトレンチコートを着て渋谷に来てよかったじゃないですか。三日前にここで戦ったあの女性も、自分の姿を真似た人がそうやって誰かを助けたって知ったら、きっとすごく喜ぶと思いますよ」
玲奈の頬がパッと赤くなり、その瞳に誇らしげな輝きが戻った。
「……はいっ! ありがとうございます!!」
笑顔で手を振って駅の方へと歩いていく二人の背中を見送り、修一は静かに踵を返した。
*
現場の混乱はわずか十五分ほどで収束したが、当然ながら、日本のインターネット空間はそこからが本番だった。
午後九時十五分。
SNS上には、渋谷スクランブル交差点に居合わせた何百人もの人々によって撮影された動画が一斉にアップロードされ、『#渋谷ハロウィン』『#飛行能力者』『#偽HoodieWizard』といったワードがトレンドの上位を埋め尽くした。
面白かったのは、撮影した人間のいた「場所」と「切り取った角度」によって、同じ一つの出来事がまったく正反対の四種類の動画として拡散されていったことだった。
一つ目の『動画A(センター街入り口の真下から撮影)』は、タイトルが『【神回】渋谷ハロウィンに本物の飛行能力者降臨して大歓声www』。
灰色のパーカーを着た青年がスッと夜空へ浮かび上がり、周囲の陽キャたちが「うおおお本物のHoodie Wizardだー!!」と大喜びで拍手している最初の五秒間だけが切り取られており、コメント欄も「すげえええ!」「今の日本、毎日がファンタジーで楽しすぎるw」と大盛り上がりしている。
ところが二つ目の『動画B(交差点の反対側・ハチ公口付近から撮影)』は、タイトルが『【閲覧注意】渋谷で再び異能者が出現し群衆パニック!将棋倒し寸前に』。
遠くの暗い夜空に浮かぶ不気味な人影と、「水曜日の犯人よ!」「逃げろ!」という悲鳴、そしてぶつかり合う人波と警察の怒号が映し出されており、「またテロか!?」「3日前と同じ場所じゃん、渋谷呪われてるだろ!」と恐怖のコメントが殺到している。
そこへ三つ目の『動画C(明治通り沿いのビルから撮影)』として、『【悲報】渋谷の空飛ぶパーカー兄ちゃん、政府機関と警察に誘導されてしょんぼり着地&説教されるw』という動画が上がる。
緑色のレーザー誘導に従ってトボトボと空を移動してきた青年が、駐車場に降りた瞬間にペコペコと必死に頭を下げて謝り、黒スーツの担当官から静かに諭されている姿がバッチリ映っており、「テロリストじゃなくてただの調子に乗った大学生じゃねーかwww」「空飛んで怒られる世界線、シュールすぎるw」と一気に空気を緩和させた。
そして四つ目の『動画D』として、思わぬ形で数万件の「いいね」を集めて拡散されていたのが、歩道の段差付近を上空の歩道橋から捉えた映像だった。
パニックで押し寄せる人波の中で、転倒した男性の前に「ベージュのトレンチコートを着た女子大生」が両手を広げて立ち塞がり、そこへ駆けつけた私服の男性(修一)と機動隊員が鮮やかに道を開けて救出する一部始終が映っていたのである(幸い、斜め上からの引きの映像だったため、玲奈や修一の顔がアップで特定されることはなかった)。
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渋谷ウォッチャー (@shibuya_cam_1031)
空飛んで怒られたパーカーの兄ちゃんも話題だけど、個人的に今夜の渋谷で一番グッときたのはこの歩道橋からの動画。
パニックで人が転んで将棋倒しになりかけた瞬間、水曜日の『トレンチコートの女性能力者』のコスプレをした女の子が、異能もないのに自分の身体を盾にして倒れた人を守ってるんだよ。
すぐ後に警察の人たちも来て無事に助け出されたみたいだけど、コスプレって衣装だけじゃなくて魂まで宿るんだなってちょっと感動した。
(2026年10月31日 21:22 / 4.5万リポスト・19万いいね)
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【5ちゃんねる:ニュース速報+(21時30分・大論争スレ)】
スレタイ:【悲報】渋谷ハロウィン、NYの魔法使いのコスプレをした飛行能力者が実際に空を飛んでしまい大混乱に ★12
1 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:30:00.00 ID:Fly_Idiot
本日20時37分頃、渋谷スクランブル交差点付近にて、灰色のパーカーを着た20代の男性能力者が地上約8メートルまで浮遊。
近くでは歓声が上がったものの、離れた場所にいた群衆が「水曜日の爆破犯が再び現れた」と誤認してパニックになり、転倒者4名(いずれも軽傷)が出る騒ぎに。
男性に攻撃意思はなく、直後に専門機関の誘導で着地し厳重注意を受けた模様。
18 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:30:35.12 ID:Grass_No_Grass
また渋谷で人間が空飛んでて草。
35 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:30:58.45 ID:Not_Funny_Bro
>>18
草じゃねえよ! 実際に人が転んで4人も怪我してるんだぞ!
もし警察の誘導がちょっとでも遅れてたら、数年前のソウルの雑踏事故みたいな大惨事になってたかもしれないんだからな!
52 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:31:25.88 ID:Fly_Elsewhere
たかだか8メートル浮いて手を振っただけでパニックになるなんて、飛んだ本人も予想外だったんだろうけどさ……。
飛ぶなら代々木公園の誰もいない芝生の真ん中とか、地元の河川敷で飛べよww なんでよりによって3日前に空中戦テロがあった渋谷の交差点で飛ぶんだよ、TPOを考えろTPOを!
69 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:31:55.19 ID:Wait_Rule
いや、でも政府が昨日「342万人います、異能は普通に存在します」って公表したんだから、もう能力者が空を飛ぶこと自体は隠す必要ないんじゃないの?
86 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:32:28.60 ID:Tachibana_Compare
>>69
アホか、「自分が能力者だと公表すること」と、「何万人も人が密集してる頭上で無断で能力を使うこと」は全くの別問題だろ!
今朝のボクシングの橘迅を見てみろよ。あいつは自分の能力(握力225kg・時速120km)を世界に公開したけど、ちゃんと誰もいない安全な専用ジムの中で、自分一人の測定動画として公開したんだぞ?
もし橘が今日の渋谷のスクランブル交差点を時速120キロでダッシュしてたら、ただの凶器だろ! それと一緒だよ!
103 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:32:55.04 ID:Total_Agree
>>86
いや、「騒いだ人の方が悪い」って意見も見るけど、三日前にあの場所で本当に攻撃を受けた人間もいるんだぞ。フードを被った男が同じ空に浮かんでいたら、身構えるのも無理ないだろ。
190 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:33:40.12 ID:Costume_Mistake
しかしあの兄ちゃん、なんでよりによって「灰色のフード付きパーカー」なんか着て飛んだんだ?
205 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:34:05.33 ID:NY_Cosplay
>>190
今日の未明にニューヨークでドラゴン倒した『Hoodie Wizard(パーカーの魔法使い)』のコスプレをしてたんだよww
222 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:34:30.88 ID:Realize_Laugh
ああああああああ!! そういうことか!!!
本人は今朝バズった「ニューヨークの英雄」のマネをしてカッコよく浮いたつもりだったのに、渋谷にいた人たちからは「3日前に渋谷のビルを壊したフードのテロリスト男」だと勘違いされて悲鳴を上げられたのかよ!!
256 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:35:08.19 ID:High_Or_Low
178枚の魔法陣は出せないけど、自分の飛行能力を使って「空に浮くところ」だけ本物で再現したわけかww
コスプレとしての再現度が高いのか低いのか全く分からねえwww
324 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:36:12.45 ID:Dont_Overreact
まあ、今回は本人が誰かを攻撃したわけでもないし、警察の指示に従ってすぐ降りて平謝りしてたみたいだから、一人の若者の軽率な行動を理由に「やっぱり342万人の能力者は全員危険だ、外出禁止にしろ!」みたいに極端な叩き方をするのは違うと思うわ。
341 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 21:36:48.10 ID:Future_Lesson
>>324
そうだな。悪意がなくても、場所を間違えて能力を使えば周りがパニックになって怪我人が出るっていう「異能開示後の新しい社会問題」が、死者ゼロの軽い怪我だけで済んで教訓になったと思えば、まだ安い授業料だったかもしれん。
とにかく全国の能力者の皆さんは、空を飛ぶ時は広い公園か許可された場所でお願いしますwww
午後十時を過ぎると、NHKや民放の夜のニュース番組でもこの騒動が整理されて報じられた。
「本日午後八時三十七分頃、渋谷駅前において二十代の男性が異能を用いて空中に浮遊する事案が発生しましたが、攻撃行為などは一切なく、警察および関係機関の誘導に従って速やかに降下しました。混雑の中で転倒した四名が軽傷を負っており、警察と専門機関は、公共の場における無断での能力行使は重大な雑踏事故に繋がるとして、ルール策定と注意喚起を進めていくとしています」
公式なニュースによって「テロや襲撃ではなかった」と明確に周知され、渋谷の街に残っていた緊張感も少しずつ和らいでいった。
通行規制が解かれたセンター街や公園通りでは、再び仮装した若者たちが楽しそうに写真を撮り合い、カフェやレストランで笑い声を上げる、いつもの賑やかなハロウィンの夜が戻ってきていた。
*
午後十一時ちょうど。道玄坂・雑居ビル五階の臨時連絡拠点。
駅周辺の人出がピークを越え、終電に向けて人の流れが落ち着き始めたことを確認した八咫烏の佐伯担当官が、無線機のスイッチを切り、部屋の椅子に座っていた修一に向かって深く頭を下げた。
「――宮原さん、これにて本日の渋谷エリア特別警戒態勢を解除いたします。休日の夜遅くまで、本当にありがとうございました」
「お疲れ様でした、佐伯さん。いやあ、本当に大きな事故にならなくてよかったですよ」
修一は立ち上がり、凝り固まった肩をぐるりと回して時計を見た。
午後十一時。
本来であれば、練馬の自宅でゆっくりと風呂に入り、半額の刺身を肴にビールを飲んで映画でも観ていたはずの土曜日の休日が、見事に丸ごと消滅していた。
「……結局、土曜日が丸潰れになっちゃいましたね」
「誠に申し訳ございません……。ただ、お約束通り、本日の五時間分の緊急招集報酬および現場支援加算につきましては、週明けに満額でお振り込みの手続きをとらせていただきます」
「ああ、ありがとうございます。業務委託ですから、そこはしっかり頂戴しますよ」
修一はリュックサックを背負い、部屋のドアノブに手をかけたところで、ふと足を止めて佐伯担当官を振り返った。
彼の顔に、今日現場で見せたどんな時よりも真剣で、切実な表情が浮かぶ。
「……ところで、佐伯さん。一つだけ確認なんですけど」
「はい? 何でしょうか」
「今日、俺がセンター街の入り口で警察の人と連携してやったあの誘導支援って、来週提出する業務完了報告書と請求書の『作業件名』の欄には、なんて記載されることになるんですか?」
「……え?」
「いや、夕方に電話で聞いた時は『特定特殊役務(都市安全環境調査)』って名目になるって話でしたけど、まさか作業詳細の欄に『渋谷ハロウィンにおける灰色パーカー飛行能力者への対応および雑踏整理』って、そのまま正直に書くわけじゃないですよね? そんなもんが万が一にも税務署の調査官の目に触れたら、『宮原さん、あなたオフィス機器メーカーの係長なのに、なんでハロウィンの渋谷で空飛ぶ人間の交通整理をして何十万円も貰ってるんですか?』って一発で詰むんですけど」
佐伯担当官は、数秒間だけ目を白黒させ、それから困り果てたように頬をかいた。
「……えーと、その契約書面の具体的な表記方法につきましては、私ども実働調整課では判断いたしかねますので、第三契約管理室の宇佐美さんへの確認が必要かと……」
「ですよねえ。宇佐美さん、昨日から六十四ページのガイドライン改定で徹夜続きだって言ってたけど、まだ生きてるかな……」
――世界がひっくり返って、異能が公表されて、渋谷の空を若者が飛んでも、結局最後に俺の頭を悩ませるのは「書類の書き方」なのか。
修一は心の底から深いため息を吐き、佐伯担当官に軽く会釈して連絡拠点を後にした。
午後十一時三十分。
渋谷駅の改札へと向かう道すがら、修一は少し離れた歩道の上で一度だけ足を止め、スクランブル交差点の夜空を振り返った。
ネオンが瞬く空には、もう誰も浮いてはいない。
三日前の水曜日には、あそこで悪意を持った能力者が一般市民へ向けて破壊の力を振るった。
そして今夜は、悪意など微塵もないただの大学生が、ほんの少し目立ちたいというだけで空を飛び、結果として四人の怪我人と大混乱を生み出した。
三百四十二万人の能力者が「実在する」と世界に知れ渡ったこれからの社会では、能力者自身の悪意や攻撃力だけでなく、それを取り巻く一般の人々の恐怖や好奇心、そしてスマートフォンのカメラの群れそのものが、いつだって新しいトラブルの火種になり得るのだ。
「……しばらくは、こういう『戦いにならない厄介な依頼』が増えそうだなあ」
修一がそう呟いた、まさにその瞬間。
ポケットの中の秘匿端末が、ブゥン、と短く振動した。
嫌な予感に眉をひそめながら画面を取り出して見ると、そこには八咫烏の実働調整課から、一斉送信の業務連絡メッセージが表示されていた。
『件名:【継続協力のお願い】明日(11月1日・日曜日)の都内繁華街における臨時予備待機体制の延長について』
修一は、渋谷の真ん中で三秒間ほど画面を無言で見つめた。
「…………」
「……………………」
「……頼むから、日曜日くらいは休ませてくれよ……」
【5ちゃんねる:ニュース速報+(23時45分・ハロウィンスレの終わり)】
スレタイ:【実況】渋谷ハロウィン、飛行能力者が現れて大混乱 ★15
901 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 23:45:10.00 ID:Night_End
いやー、今年のハロウィンは朝から晩まで本当にいろんなことがあったな。
池袋では本物の悪魔の羽が生えた兄ちゃんが撮影会やって、渋谷ではニューヨークの魔法使いのコスプレした大学生がガチで空飛んで警察に怒られてw
917 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 23:45:42.19 ID:Three_Days_DejaVu
水曜日に渋谷で人が空飛ぶのを見たばっかりなのに、土曜日の夜にまた同じ場所で人が飛ぶとは思わなかったわww
950 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 23:46:18.45 ID:Safe_And_Sound
まあでも、トレンチコートのコスプレした女子大生や警察の人たちが頑張ってくれたおかげで、誰も死なずに軽傷だけで済んで本当によかったよ。
982 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 23:46:55.88 ID:Next_Year_Q
ていうかさ、異能が公表されてからたった3日目のハロウィンでこれだぞ?
来年の2027年のハロウィンって、一体どうなっちゃうんだ?
998 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 23:47:20.12 ID:Wait_Next_Year
……来年?
1000 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 23:47:45.00 ID:1000_Getter
1000なら来年のハロウィンは本物の吸血鬼と人狼と魔法使いが公式パレードする!
今から1年間で異能者の仮装とルールがどう進化するのか、1ミリも想像できねえwww
――――――――――――――――――――
れな@池ハロ→渋谷 (@rena_cos_1031)
やっとお家に帰ってきたー!
今日は池袋のコスプレイベント本当に楽しかったし、夜の渋谷では人が転んで一時はどうなるかと思ってすごく怖かったけど、優しい会社員のお兄さんや警察の人のおかげでみんな無事で本当によかった。
お兄さんに「そのトレンチコート、今の渋谷にぴったりですね」って言ってもらえたの、一生の宝物にする。来年もみんなが安全にハロウィンを楽しめるといいな!
(2026年10月31日 23:52)
――――――――――――――――――――
深夜零時五分前。
練馬区の自宅マンションにようやく帰り着いた宮原修一は、玄関でスニーカーを脱ぎ捨てると、ジャケットも脱がずにリビングのソファへと仰向けに倒れ込んだ。
完全休養日だったはずの土曜日は、あと五分で終わろうとしている。
私用のスマートフォンを開けば、タイムラインにはまだ、渋谷の夜空に浮かんでオロオロしているあの灰色パーカーの大学生の動画が何本も流れていた。
「……まったく。頼むから次に飛ぶ時は、ちゃんと許可を取って、安全な場所でやってくれよな」
修一が苦笑して画面を閉じようとした、その時。
今度はテーブルの上に置いた黒い秘匿端末が、控えめにピコンと鳴った。
画面に表示されたのは、第三契約管理室の宇佐美からのショートメッセージだった。
『宮原様、本日の渋谷臨時待機・支援業務、誠にありがとうございました。なお、先ほど現場より照会のありました本日の作業件名および報告書様式につきまして、現在法務部門と新書式のすり合わせを行っております。来週、3枚ほど追加の確認書類へのご記入をお願いすることになりますが、何卒よろしくお願いいたします。――宇佐美』
「…………」
修一は端末を胸の上に置き、天井のシーリングライトを見つめたまま、今日一番の深く長い溜息を吐き出した。
「……異能者が空を飛ぶより、確認書類が三枚増える方がよっぽど怖いんだけどな、俺は」
それでも――少なくとも今夜の渋谷では、誰も空から攻撃をしてこなかったし、誰の命も失われなかった。
異能が暴かれた最初の週末としては、それだけでも十分に上出来な夜だったと思うことにして、修一は静かに目を閉じた。
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