もしも異能がディスクロージャーされたら? 作:パラレル・ゲーマー
二〇二六年十一月十二日、木曜日。午前九時ちょうど(米東部標準時)。
ロンドンのダウニング街十番地で英国政府が『円卓の騎士団』の実在を公表し、名優ハンスリー・ポプキンスがカメラの前から自身の存在を消してみせたあの火曜日から、二日が経過していた。
ニューヨーク・マンハッタンの金融街。
ウォール街の証券取引所の取引開始ベルが鳴り響くまであと三十分と迫ったこの時間、全米の投資家やビジネスマンが視聴する経済ニュース専門チャンネル『FBN(フィナンシャル・ビジネス・ネットワーク)』のスタジオでは、メインキャスターの男が、いつになく分厚い進行台本を手にしてカメラの前に座っていた。
スタジオの背景モニターには、ワシントンD.C.のホワイトハウスでもペンタゴンでもなく、誰もが見慣れたアメリカの巨大企業――マクドナルド、Amazon、Microsoft、そしてAppleの企業ロゴがずらりと並べて表示されている。
『――おはようございます、十一月十二日木曜日のマーケット・モーニングです。
ここ二週間、ワシントンや東京、北京、ロンドンといった各国政府による超常管理組織の公表が世界中を揺るがしてきましたが、本日、ディスクロージャーの波はいよいよ「民間経済」のど真ん中へと到達することになります』
キャスターが画面のスケジュール表を指し示した。
『昨日、証券取引委員会(SEC)および労働省から、民間企業における特殊能力者の雇用および事業活用に関する「情報開示ガイドライン」が正式に通達されました。これを受け、本日はこのあと午前十時(中部時間午前九時)のマクドナルドを皮切りに、Amazon、Microsoft、AppleといったS&P500を代表する世界的企業各社が、自社の事業における特殊能力者の雇用実績について、相次いで記者会見を開く予定です』
キャスターはそこで一拍置き、視聴者に向けて重要な前提を付け加えた。
『なお、各社のプレスリリースに共通しているのは、今回初めて能力者を採用したのではなく、従来から行ってきた活用実績を公表するという点です。……スタジオのチーフ・マーケットアナリスト、グレン・カーターさんに伺います。グレン、企業側にとっては新事業の発表ではないわけですね?』
隣に座る白髪のアナリストは、手元のタブレットの株価チャートから目を上げ、落ち着いた声で頷いた。
『ええ、その通りです。フォーチュン500に入るような大企業の経営陣や人事・法務の責任者、そして政府の監督部局にとってみれば、特殊能力を持った従業員を特別契約で雇用し、コスト削減や業務効率化、機密保護に活用すること自体は、何十年も前から行われてきた「既存のビジネスモデル」に過ぎません。ただ、これまでは国の秘匿協定によって、決算説明会や有価証券報告書でその具体的な中身を公に説明することが禁じられていただけなのです』
『つまり、会社の中身は何も変わっていない、と』
『はい。本人の同意確認と機密審査を終えた企業が、自社の透明性と競争力をアピールするために、ようやく手の内を明かし始めたということです。企業側にとっては単なる「既存事業の情報公開」ですが……これから会見を目にする一般の消費者や個人投資家の皆さんにとっては、私たちが毎日利用しているサービスや商品の裏側がどうなっていたのか、文字通り初めて知ることばかりになるでしょうね』
グレンの言葉を受け、番組の画面は最初の会見場――イリノイ州シカゴへと切り替わった。
*
午前九時ちょうど(米中部標準時/東部時間・午前十時)。イリノイ州シカゴ、ウェスト・ループ地区にあるマクドナルド・コーポレーション本社ビル。
黄色いゴールデンアーチのロゴが輝く明るいカンファレンス・ホールには、経済紙やフードビジネス誌、一般メディアの記者たちが百名ほど集まっていた。
演壇に立ったのは、マクドナルド本社のコーポレート・コミュニケーション担当副社長の女性だった。
彼女は、まるで来月から発売される期間限定の新作ハンバーガーや、新しいドライブスルーのアプリ機能でも紹介するかのような、一点の曇りもない爽やかなビジネススマイルで会見を切り出した。
「――皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。
当社マクドナルドは、創業以来、多様性(ダイバーシティ)と個人の才能を尊重する職場環境づくりを進めてまいりました。その一環として、当社では長年にわたり、政府機関に登録された特殊能力を有する従業員を雇用し、そのユニークな才能を店舗運営およびサプライチェーンの支援に活かしてまいりました。
本日はその代表例として、ご本人の全面的な同意のもと、現在全米の店舗オペレーションを現場で支えている、当社の極めて優秀な管理職を一名、皆様にご紹介いたします」
広報副社長がステージの袖へと手を示すと、拍手の中、一人の男性が軽快な足取りで登壇してきた。
紹介されたのは、ダニエル・ミラー(四十四歳)。
仕立ての良いネイビーのビジネススーツに、清潔感のあるストライプのネクタイ。少し目尻に笑い皺のある親しみやすい顔立ちで、どこからどう見ても「現場の叩き上げから昇進してきた、明るくてやり手の外食チェーンの管理職」そのものだった。
「皆様、おはようございます。マクドナルド米国事業本部でシニア・エリアディレクターを務めております、ダニエル・ミラーです」
ダニエルがマイクの前で朗らかに挨拶すると、広報副社長が横から補足した。
「ダニエルは勤続十八年。現在はエリアディレクターとして、全米各地の直営店およびフランチャイズ店舗の運営指導、品質管理、ならびに店舗マネージャーの育成に携わっております」
さっそく最前列の経済紙の記者が手を挙げた。
「ウォール・ストリート・ジャーナルです。ミラー氏が業務において活用されているという『特殊能力』とは、具体的にどのようなものなのでしょうか? 高速でハンバーガーを調理する能力や、需要を予測する能力ですか?」
ダニエルは白い歯を見せてニッコリと笑い、まるで自分の趣味でも答えるかのようにあっさりと答えた。
「いいえ、私の能力は『分身能力(Duplication)』です」
「……分身、ですか?」
「はい。正確には、私自身の肉体と意識を複数に分割して同時に存在させる能力でして、現在、私は『同時に100人の自分』として活動することができます」
カンファレンス・ホールの空気が、一瞬だけピタリと止まった。
記者たちが顔を見合わせる。
「……えーと、いま『100人』とおっしゃいましたか?」
「はい。今ここに立っている私(本体)を含めて、合計100人のダニエル・ミラーですね」
ざわめきが広がる中、ダニエルは手元のリモコンを操作し、背後の巨大なLEDスクリーンに、99分割されたタイル状のライブ中継画面を一斉に映し出した。
記者たちが「……っ!?」と息を呑んでスクリーンを見上げる。
画面の左上、第1枠には『ニューヨーク州・タイムズスクエア店』。
第2枠には『テキサス州・ダラス郊外店』。
第3枠には『カリフォルニア州・サンノゼ店』。第4枠には『フロリダ州・マイアミ店』。第5枠には『ワシントン州・シアトル店』――。
全米五十州に散らばる99箇所のマクドナルドの店舗のオフィスや厨房から、リアルタイムのWebカメラ映像が繋がっていたのだが、驚くべきことに、その99個の画面のすべてに、今このシカゴの演壇の上に立っているダニエル・ミラーと「寸分違わぬ同じ顔、同じ体格、同じスーツ姿のダニエル・ミラー」が映っていたのである!
第1枠のニューヨークのダニエルは、店舗の店長とタブレットを見ながら笑顔で売上目標の面談をしており、第2枠のテキサスのダニエルは、ドライブスルーのレーンに出てインカムのテストをしており、第3枠のカリフォルニアのダニエルは、厨房のフライヤーの前で新人クルーにポテトの揚げ方のコツを身振り手振りで指導していた。
そして演壇のダニエルが「おーい、みんな、シカゴの記者会見場に挨拶してくれ!」と声をかけると、スクリーンの中の99人のダニエルが一斉にカメラの方を向いて、「「「ハロー、シカゴ!!」」」と手を振って微笑んだのだ。
「……な、なんだこの映像は……合成じゃないのか!?」
「いいえ、すべて現在のリアルタイム中継です」
演壇のダニエルは、誇らしげに胸を張って説明を続けた。
「私の100体の身体は、幻影ではなくすべて実体を持っており、それぞれが独立して思考し、会話し、業務上の判断を下すことができます。そして、100人がそれぞれの店舗で見聞きした現場の状況や課題、優れた改善事例は、リアルタイムで私という一つの意識ネットワークの中で共有・統合されます。
たとえば、朝一番に東海岸の店舗で発生した新しいキッチン機材のトラブルとその解決法を、一秒後には西海岸の店舗を巡回している私がすでに知識として持っており、先回りして現場のマネージャーに指導することができるのです」
記者席から、驚嘆のため息とどよめきが漏れた。
「……な、なるほど……! 通常のエリアディレクターであれば、飛行機や車で移動して一日に数店舗を回るのが限界ですが、あなたの場合は……」
「はい。移動時間をかけることなく、実質的に『100人のエリアディレクター』として、毎日同時に全米の担当店舗を巡回し、店長の悩みを聞き、運営を支援しております」
「全米のマクドナルドの全店舗を、お一人で管理されているのですか!?」
「いえいえ、全米には一万三千以上の店舗がございますから、私一人でそのすべてを管理しているわけではありませんよ(笑)。通常の優秀なエリアディレクターの同僚たちも大勢おりますが、私はその中でも特に広域の重要エリアを100人分担当させていただいている、という形ですね」
すると、中央の席にいたブルームバーグの経済記者が、電卓を叩くような鋭い目つきで手を挙げた。
「大変興味深い人材活用事例ですね! そこで、投資家および労働市場の観点から、差し支えなければ『報酬(給与)』について伺ってもよろしいでしょうか? 一人で100人分の管理職業務をこなされている場合、お給料はどうなっているのですか!?」
ダニエルは一瞬だけ、隣に立つ広報副社長の女性を見た。
広報副社長が、にこやかにコクンと頷く。この質問が来ることは想定済みであり、本人との間で公表の合意が取れていた。
ダニエルはマイクに向き直り、満面の笑みで答えた。
「はい、お答えします。私は本社との特別雇用契約に基づきまして、通常の私と同等職位(シニア・エリアディレクター)の管理職『80人分』に相当する基本報酬および業績ボーナスをいただいております」
記者席が、ピタリと静まり返った。
「…………80人分、ですか?」
「はい! エリアディレクター80人分の年収ですから、それはもう、家族も大喜びの素晴らしい待遇でして、私としては会社に大変満足し、感謝しております」
ダニエルは心の底から幸せそうに笑っている。隣に立つ広報副社長も、「当社としても、彼の卓越した貢献に対して誇りをもって報いております」と晴れやかに微笑んでいる。
ただ、聞いている記者席の百人だけが、頭の中で数字を計算して奇妙な混乱に陥っていた。
「……えーと、確認させてください。ミラー氏は『100人分』のエリアディレクターの業務を完全にこなされていて、受け取っている給与は『80人分』なのですよね?」
「はい、そうですね」
記者が広報副社長の方へマイクを向けた。
「……ということは、副社長。マクドナルド本社側から見れば、本来100人雇わなければならない幹部社員の人件費および社会保険料・福利厚生費を、彼一人を雇うことで『20人分(20パーセント)丸ごとコストカットできている』という理解でよろしいのでしょうか!?」
広報副社長は、1ミリも笑顔を崩さず、極めて爽やかに答えた。
「同等の職位の管理職を個別に100名雇用した場合との単純な財務比較におきましては、ご指摘の通り、約20パーセントの人件費効率化が実現できている計算になります。さらに、100名分の情報共有にかかる会議コストや意思決定のタイムラグがゼロになるという、金額に換算できない業務効率上のシナジー効果もございます」
「……な、なるほど……」
別の労働問題担当の記者が、思わずダニエル本人に尋ねた。
「あの、ミラーさん! ご本人の感覚として、100人分の身体で100人分の労働をしているのに、お給料が100人分ではなく『80人分(2割引)』であることについて、不満や『20人分タダ働きさせられている』というお気持ちはないのでしょうか!?」
ダニエルは、腹の底から愉快そうにアハハハ! と声を上げて笑った。
「まさか、不満なんてこれっぽっちもありませんよ! だって考えてみてください、私という一人の人間の銀行口座に、毎年大企業の部長クラスの年収が『80人分』振り込まれるんですよ? すでにシカゴに豪邸も買いましたし、子供たちの大学の学費も老後の資金も一生分お釣りが来るほどいただいています! 会社は20人分のコストが浮いてハッピー、私は80人分の給料をもらえて超ハッピー、これぞ最高のウィン・ウィン(Win-Win)というやつでしょう!」
演壇の上の会社側と社員本人は、固い握手を交わしてこれ以上ないほどニコニコと満足している。
「超高給取り」と「二割引の労働力」。どちらの見出しを採用すべきか、記者席では真顔で悩む者まで現れていた。
「――当社マクドナルドでは、今後も能力の有無にかかわらず、すべての従業員がその個性と才能を最大限に発揮できる職場環境を整えてまいります」
「それでは皆様、私はこのあと午前十時からまた全米の店舗のランチタイム前の巡回業務がございますので、これにて失礼いたします。ぜひお帰りにビッグマックをどうぞ!」
ダニエルが爽やかに一礼してステージを降りると、スクリーンの中の99人のダニエルも同時にペコリと頭を下げてそれぞれの店舗業務へと戻っていき、マクドナルドの会見は嵐のようなざわめきを残して幕を閉じた。
*
続いて、同日午前九時三十分(米太平洋標準時/東部時間・午後零時三十分)。
舞台は西海岸・ワシントン州シアトルにある世界最大のEC・物流企業、Amazon.comの本社へと移った。
Amazonがプレスルームの巨大スクリーンに映し出したのは、同社の生命線である物流施設(フルフィルメントセンター)のプレゼンテーション資料だった。
「――当社Amazonでは、世界中のお客様へより多くの商品を、より迅速かつ低コストでお届けするため、最先端のロボティクス技術とAIの導入を進めてまいりました。
そして本日、これに加えて、当社の北米主要物流拠点を長年にわたり支えてきた、もう一つの『革新的なインフラ技術』――すなわち、特殊な『空間拡張能力(Spatial Expansion)』を有する専門従業員たちの貢献について公式にご説明いたします」
ロジスティクス部門の広報ディレクターがスライドを切り替えると、画面には、砂漠地帯のハイウェイ沿いに建つ、ごく一般的なAmazonの大型物流倉庫の航空写真が映し出された。
外から見れば、敷地面積約十万平方メートル、高さ十五メートルほどの、どこにでもある四角い鉄骨造の巨大倉庫である。
記者たちは最初、「能力者が荷物を念動力で運んでいるのかな?」程度に考えていた。
しかし、ディレクターが説明した内容は、建築学と不動産業界の常識を根底から吹き飛ばすものだった。
「ご覧いただいているこちらの第4世代フルフィルメントセンターは、建築物としての外形および登記上の敷地面積こそ標準的なサイズですが――当社に所属する空間拡張能力者の定常的な術式維持により、建物内部に『外形寸法の数倍から十数倍に相当する広大な保管空間』を有しております」
記者席から「……内部の空間が、外側より広い?」と困惑の声が上がる。
ディレクターが検証用のドローン映像を再生した。
映像はまず、倉庫の外側の駐車場からスタートし、開け放たれた搬入口のシャッターを通って建物内部へと真っ直ぐに進入していく。
外から見た建物の奥行きは、せいぜい二百メートルほどしかなかったはずだ。
ところが、シャッターをくぐり抜けたドローンのカメラの前に広がっていたのは、高さ三十メートルを超える天井と、地平線の彼方まで霞んで見えなくなるほど延々と、それこそ数キロメートルにわたって一直線に並び続ける無数の黄色い商品棚と搬送ロボットの海だったのである!
「……お、おい、外から見た倉庫の壁はどこへ行ったんだ!?」
「ドローンがもう500メートル以上直進してるのに、まだ倉庫の真ん中にも着かないぞ!?」
どよめく記者たちを前に、ディレクターは次のスライド――『従来型倉庫と空間拡張型倉庫のコスト比較グラフ』を誇らしげに表示した。
「質疑にお答えする前に、財務的なメリットをご説明いたします。
ご承知の通り、大都市圏の近郊において広大な物流用地を取得するには、莫大な不動産取得費用と固定資産税、ならびに大規模な建設コストが必要となります」
「……ええ」
「しかし、この空間拡張技術を適用することで、当社は追加の土地を購入することなく、また建物の外観を大きくすることなく、一箇所の拠点に本来なら大型倉庫五棟〜十棟分に相当する数千万点の在庫を保管することを可能にしてまいりました。正確な削減額は企業秘密ですが、全米の用地取得コストおよび建設・維持費用の大幅な圧縮に、計り知れない貢献を果たしております」
ここで、物流専門誌のベテラン記者が手を挙げ、実務的な核心を突く質問を投げた。
「ロジスティクス・トゥデイ誌です! 大変驚くべき技術ですが、一点確認させてください。
建物の外観は200メートルなのに内部が数キロメートルもある場合、中での商品の移動距離が長くなりすぎて配送効率が落ちたり、あるいは火災や停電、能力者の体調不良などが起きた際の『従業員の避難・安全確保』に重大な問題が生じたりするのではないでしょうか!? 消防法や建築基準法はどうクリアしているのですか!?」
極めて真っ当で鋭い質問だった。
だが、Amazonの広報ディレクターは「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりに力強く頷き、専用の安全設計図を画面に出した。
「ご指摘の点は、当社が最も重視してきた最優先事項です。
空間拡張施設の内部におきましては、通常の倉庫とは異なる『空間拡張施設専用の動線設計および安全管理基準』を、政府の特殊事象管理当局(MAJESTIC-12および労働安全衛生局の特別監査班)との緊密な連携の下で策定し、運用してまいりました。
具体的には、拡張された深層エリアはすべて無人の自動搬送ロボット(Kivaシステム)専用の保管区画とし、生身の従業員が作業するエリアは建物の本来の外壁に近い『外周安全区画(非拡張領域との接続部)』のみに厳格に限定しております。万が一、能力の維持が解除されたり火災が発生したりした場合でも、空間が急激に収縮しないよう魔術的・物理的な緩衝ダンパー(フェイルセーフ機構)が組み込まれており、従業員は通常の倉庫と同じく数十秒で屋外へ避難できる構造になっております」
「――当社Amazonは今後も、最先端のテクノロジーと従業員の多様な特殊能力を融合させ、地球上で最もお客様を大切にする企業として、物流ネットワークのさらなる進化に努めてまいります」
二つ目の会見は、普段と変わらない企業広報の言葉で締めくくられた。
*
続いて、午後二時ちょうど(米東部標準時/太平洋時間・午前十一時)。
Amazonの本社があるシアトルからワシントン湖を挟んですぐ東側、ワシントン州レドモンドにあるMicrosoft(マイクロソフト)の広大な本社キャンパスで、三社目の記者会見が始まった。
「――皆様、こんにちは。当社Microsoftでは、ハイブリッドワークやクラウド環境の構築と並び、長年にわたり『オフィス空間そのものの最適化』に取り組んでまいりました。
本日は、当社の研究開発拠点を支えている非常にユニークな特殊能力――『空間の多重化(Spatial Multiplexing)』を担当する社員の貢献についてご紹介いたします」
広報担当の男性がスクリーンに映し出したのは、レドモンド本社ビル内にある、ガラス張りのごく普通の「中規模会議室(定員二十名ほど)」の映像だった。
真ん中に白い楕円形のテーブルがあり、壁には大型のSurface Hub(電子ホワイトボード)が掛けられている。
「……普通の会議室に見えますが、Amazonのように中が体育館のように広くなっているのですか?」
記者が尋ねると、広報担当者は首を横に振って微笑んだ。
「いいえ、広さは外から見た通り、約五十平方メートルの普通の会議室です。
ただし、この会議室が占める『同一の物理座標』の上には、当社の能力者社員の力によって、現在『10個の独立した空間レイヤー(階層)』が重ね合わされて存在しております」
記者席から「……10個のレイヤー?」と声が漏れる。
広報担当者が画面を切り替えると、スクリーンが10分割され、『Layer 01』から『Layer 10』までの部屋の様子が同時に映し出された。
驚くべき光景だった。
まったく同じ窓の景色、同じ照明、同じ位置にある楕円形のテーブルの部屋なのだが、
『Layer 01』の部屋では、OS開発部門のエンジニアたちがホワイトボードに数式を書いて議論している。
『Layer 02』の部屋では、クラウド営業部門のチームがクライアントとオンライン商談を行っている。
『Layer 03』の部屋では、AI研究チームがピザを食べながらブレインストーミングをしており、『Layer 04』では法務部が契約書の読み合わせをしている――以下、『Layer 10』に至るまで、10組のまったく異なる社員のグループが、同じ時刻、同じ場所にある「10個の重なり合った会議室」を同時に使用していたのである!
「それぞれの空間レイヤーは物理的にも音響的にも完全に独立しており、隣のレイヤーの話し声が聞こえたり、ホワイトボードの文字が見えたり、社員同士がぶつかったりすることは一切ありません。入り口のドア横にある認証パネルで、自分が予約したレイヤー番号(1〜10)を指定してノブを回すことで、該当する位相の部屋へと入室できる仕組みになっております」
広報担当者はそこで少し茶目っ気のある笑顔を見せ、こう付け加えた。
「社内ではこのシステムのことを、弊社のOS機能にちなんで『物理版・仮想デスクトップ(Physical Virtual Desktops)』と呼んで説明することもございます」
その瞬間、会場にいたIT・テック系メディアの記者たちから、どっと大きな笑い声が上がった。
「はははっ、Windowsの『タスクビュー(Win+Tabキー)』でデスクトップ画面を増やすのを、現実のオフィスの部屋でそのままやったわけですか!」
「ええ、概念としてはまさにその通りでして、エンジニアたちにはその説明が一番すぐ通じるんですよ(笑)」
笑いが収まると、不動産・経済担当の記者が感心したように質問した。
「しかし、これは凄まじいメリットですね! 慢性的な会議室不足が一瞬で解消されるだけでなく、1フロア分の床面積で10フロア分の会議室や極秘開発ルームを確保できるわけですから、オフィスの不動産コストや施設利用効率に計り知れない恩恵があるのではないですか?」
「おっしゃる通りです。特定の重要開発拠点に限られた運用ではありますが、当社はこの能力によって長年、極めて高い施設効率と、外部から物理的に覗き見ることが不可能なセキュリティ環境を実現してまいりました」
ここまで軽妙なトークで会場を沸かせていたMicrosoftの広報担当者だったが、質疑応答の最後に、彼はマイクを握り直し、今日一番の「満面の笑顔」を浮かべて、カメラのレンズの向こう側へと語りかけた。
「――なお、本日の会見の最後に、ただいまご紹介した『空間多重化』の能力を有する当社の社員につきまして、皆様および業界関係者の皆様へ、一点だけ大切なお知らせがございます」
記者たちが「なんだ?」とペンを構える。
広報担当者は、目を細めてにっこりと微笑みながら、はっきりと言った。
「当該社員とは、すでに数年前にご本人の完全な自由意思と合意に基づき、当社との間で『生涯にわたる専属雇用契約(Lifetime Exclusive Contract)』を正式に締結しております。報酬、株式報酬、ならびに各種の特別待遇につきましても、ご本人には大変ご満足いただいております」
会場がざわつく中、広報担当者は、まるで画面の向こうにいるシリコンバレーの競合他社(GoogleやMeta、Amazonなど)の人事ヘッドハンターたちを直接睨みつけるかのような、目だけは一切笑っていない極上のビジネススマイルで言葉を継いだ。
「――つきましては、競合他社の皆様におかれましては、当該社員の特定や、スカウト、引き抜き、移籍交渉といったご連絡は、すべて時間の無駄となりますので、どうぞお控えくださいますよう、この場を借りて心よりお願い申し上げます。すでに生涯契約を締結しておりますので、彼には今後とも末永く、当社Microsoftでのみ活躍していただく予定です」
記者席のあちこちから、堪えきれない苦笑いとざわめきが起きた。
「……ちなみに、その生涯契約の具体的な契約金額や、ご本人の年齢・氏名などを伺うことはできますか?」
「申し訳ございませんが、個別の報酬額およびご本人の氏名・所属拠点につきましては、本人の強い希望と安全保護のため、完全非公開とさせていただきます。……何卒、よろしくお願いいたします(ニッコリ)」
*
そして、同日午後四時三十分(米東部標準時/太平洋時間・午後一時三十分)。
本日の企業ディスクロージャーの掉尾(ちょうび)を飾ったのは、カリフォルニア州クパチーノの円盤型本社ビル『Apple Park』で開かれた、Appleの記者会見だった。
Apple Parkの白を基調としたステージに登壇したのは、落ち着いたグレーのスーツを着た広報担当ディレクターだった。スクリーンに派手な映像はなく、社名が静かに映し出されている。
「――皆様、こんにちは。本日、他社様からも様々な発表が行われておりますが、当社Appleにおきましても、政府のガイドラインに従い、特殊能力者の雇用状況についてご説明いたします」
ディレクターは静かな口調で言った。
「まず最初にお伝えいたしますと、一般的な採用における個人の属性は非公開ですが、現在、当社Appleの本社業務において、その『特殊能力』を直接実務に活用する特別契約を結んでいる社員は――全社で『一名』のみとなっております」
記者席から、「……え?」「たった一人だけか?」という拍子抜けしたような声が漏れた。
「質問よろしいでしょうか! 時価総額世界トップクラスのAppleが、実務で能力を活用している社員が『一名だけ』というのは、先ほどのマクドナルドやAmazon、Microsoftと比べてあまりにも少なくありませんか? 革新的な新製品の開発などに、もっと多くの能力者を使っているのかと思っていましたが」
だが、壇上のAppleのディレクターは、少しも動じることなく余裕に満ちた穏やかな微笑みを浮かべた。
「ええ、人数としては確かに一名だけです。製品のデザインやエンジニアリング自体は、当社の何万人もの優れたエンジニアとデザイナーたちの純粋な知性と技術の結晶ですから。
しかしながら、その『たった一名の能力者社員』は、当社Appleのビジネスモデルと競争力を根底から守る上で、何百人もの部隊にも代えがたい、極めて重要な役割を果たしてまいりました」
記者たちが「ほう?」と身を乗り出す。
「その一名の社員が持つ能力とは、一体どのようなものなのですか?」
ディレクターは背後のスクリーンに、シンプルな白い文字で一つの言葉を表示させた。
「――彼の能力は、専門的な登録名称で《絶対厳守(Absolute Compliance)》と呼ばれる能力です」
「……絶対厳守、ですか?」
「はい。簡単に申し上げますと、彼がその能力を適用して立ち会った『契約(Contract)』について、契約を結んだ当事者が『その契約内容に違反することを不可能にする』という能力です」
記者席の一人が、首を傾げて確認の質問をした。
「えーと、それはつまり、もし契約違反(情報漏洩など)をした場合に、その能力によって自動的に罰則が下ったり、誰が漏らしたか追跡できたりする呪いのような能力、ということでしょうか?」
「いいえ、違います」
ディレクターは静かに首を横に振った。
「違反した後に罰を与えるのではなく、そもそも『契約違反という行為そのものを、物理的・精神的に実行できなくなる』のです」
「…………は?」
記者たちの動きが止まった。
別のテック系記者が、信じられないといった顔で立ち上がって尋ねた。
「ま、待ってください! たとえば、Appleの新製品の開発プロジェクトに関わる社員や、外部の部品サプライヤーの担当者が、その《絶対厳守》が適用された『秘密保持契約書(NDA)』に署名したとしますよね? もしその人物が、ライバル企業やマスコミに買収されて、新製品の機密情報を外部へ喋ろうとしたり、設計データをUSBメモリで持ち出そうとしたりした場合は、どうなるのですか!?」
「契約内容に反する情報漏洩は、一切実行できません」
ディレクターは淡々と答えた。
「外部の人間に機密を話そうとしても言葉を発することができなくなり、メールやチャットで送信しようとしても指が動かなくなります。仮に脅迫されたり、お酒で酔わされたりした場合であっても、能力が適用された契約の有効期間内である限り、本人の意思の如何を問わず、機密を外部へ漏らすという行動自体が成立しなくなるのです」
プレスルーム全体が、水を打ったように静まり返った。
記者たちの背筋に、ゾクリと冷たいものが走る。
だが、その静寂は長くは続かなかった。
最前列に座っていた有名なApple専門ニュースサイト(MacRumors系)の記者が、ハッとしてある「矛盾」に気づき、勢いよく手を挙げて叫んだ。
「――し、失礼ですが、ディレクター!! 今のお話、ひとつだけどうしても計算が合わないことがあります!」
「はい、何でしょうか」
「もしAppleに、署名した人間が絶対に機密を漏らせなくなる《絶対厳守》の能力者がいるのだとしたら……なぜ毎年九月の新型iPhoneの発表会の前に、新しいカメラのレンズの配置や筐体のデザイン、カラーバリエーションなどの情報が、サプライチェーンから外部へリーク(流出)することがあるのですか!?」
会場中の記者たちが、「そうだ!!」「毎年ちょっとずつ漏れてるじゃないか、あれは何なんだ!?」と一斉に壇上を見た。「実はあれはAppleのわざとやってる宣伝(意図的リーク)だったのか!?」と誰もが色めき立つ。
ところが。
それまでクールで完璧なプレゼンを行っていたAppleの広報ディレクターの顔に、突然、なんとも言えない「気まずそうで、申し訳なさそうな苦笑い」が浮かんだのである。
「……ああ、その件ですね」
「はい! やはり高度なマーケティング戦略としての意図的なリークだったのですか!?」
「いいえ、意図的なものではございません。実はですね……あの能力にも、どうしても避けられない『重大な制約』がございまして……」
記者たちがゴクリと唾を呑んで身を乗り出す。どんな超常的な弱点があるというのか。
ディレクターは少し肩をすくめ、消え入りそうな真面目な声で言った。
「……当然のことながら、あの《絶対厳守》の能力は、『正式にその契約書に署名し、能力適用の処理が完了した相手』にしか効果がございません」
「……まあ、契約していない赤の他人に効かないのは当然でしょうね」
「はい。ところがですね、弊社のグローバルな開発・製造ラインには、毎年何百社もの1次・2次サプライヤーや、何万人もの現場スタッフ、配送業者、ケースメーカーが関わっております。
そのため、弊社の法務・契約管理部門の実務におきまして、まれに『書類の提出遅れ』や『担当者のハンコ・署名の貰い忘れ』『システムへの登録処理漏れ』といった事務手続き上のミスが発生してしまいますと……結果として、能力によるロックがかかっていない関係者が一部に生じてしまう場合がございます」
「……………………」
「そうした弊社の純粋な『契約事務処理上の不備(うっかりミス)』の隙間から、情報が外部へ流出してしまうケースが時折発生しております。こればかりは能力者の問題ではなく、ひとえに弊社の管理部門の不手際でございまして、誠にお恥ずかしい限りです」
ディレクターはそこで、カメラに向かって深々と恐縮したように頭を下げた。
「今後とも、契約書類の提出確認およびダブルチェック体制のさらなる改善に努めてまいります」
プレスルームの記者たちは、全員がポカンと口を開けたまま、言葉を失っていた。
やがて、記者席のあちこちから堪えきれない笑いが漏れた。
気を取り直した法務担当の記者が、もう一つ重要な確認をした。
「……ちなみに、その《絶対厳守》の能力は、契約の片方(従業員や取引先)だけを一方的に縛るものなのですか? それともApple側にも作用するのですか?」
「もちろん、双方に等しく作用します」
ディレクターは再び凛とした表情に戻って頷いた。
「契約とは、双方の対等な合意によって成立するものです。したがって、《絶対厳守》が適用された契約におきましては、相手方が秘密を漏らせないのと同時に、当社Apple側もまた、合意した代金の支払い期日や発注条件、報酬の支払いを絶対に破ることができなくなります。一方的な支配ではなく、双方の約束の履行を100パーセント確実なものにする――それが彼の能力であり、取引先企業からも高い信頼をいただいている理由です(※なお、契約の当事者ではない無関係の第三者を縛ることはできません)」
そして会見の最後、ある記者が尋ねた。
「その《絶対厳守》の能力を持つ社員の方の氏名や、具体的な雇用契約条件について公表されるご予定はありますか?」
Appleのディレクターは、いつもの落ち着いたスマートな微笑みに戻って答えた。
「申し訳ございません。ご本人との雇用契約に基づき、能力の概要を除く一切の個人情報につきましては、公開を控えさせていただいております」
「……まさかとは思いますが、その『本人の個人情報を公開しない』という雇用契約にも、彼自身の《絶対厳守》が適用されているのですか?」
「はい、適用されております」
「…………」
「ですから、私どもがここで彼の名前を喋ろうとしても、物理的に喋ることはできません。……他に何かご質問はございますか?」
記者たちが「これ以上完璧な鉄壁の回答があるかよ……」と苦笑しながら首を横に振り、クパチーノでの会見は静かに終了した。
*
午後五時ちょうど(米東部標準時)。
ニューヨークの経済ニュース専門チャンネル『FBN』のスタジオに、再びカメラが戻ってきた。
朝から四社の記者会見をすべてリアルタイムで中継し終えたメインキャスターは、手元のメモに書き殴られた要約を見ながら、なんとも言えない複雑な苦笑いを浮かべていた。
『――本日は、マクドナルド、Amazon、Microsoft、Appleの四社から、これまで公表されてこなかった特殊能力者の事業活用について、驚くべき実績が明らかになりました。……グレンさん、朝の予想をはるかに超える内容でしたね』
振られたチーフ・マーケットアナリストのグレンは、眼鏡を外して目頭を押さえながらも、どこか感心したように深く頷いた。
『ええ、まったくですね。どの能力も、映画や小説なら世界を救ったり戦ったりするのに使われそうなものばかりですが、アメリカの巨大企業の手にかかると、すべてが徹底して「人件費の最適化」「不動産コストの圧縮」「オフィス効率の向上」「NDA(秘密保持契約)の完全履行」という、極めて合理的で実務的なビジネスソリューションに変換されているのが実に印象的です』
グレンは一呼吸置き、朝の話題へと立ち返った。
『ただ、ここで私たちが改めて認識しておかなければならないのは――これら四社はすべて、今日の朝から急にこの魔法のような仕組みを導入したわけではない、という点です』
『……と、いいますと?』
『マクドナルドのダニエル氏と99人の分身は、私たちが何も知らなかった先週も、先月も、全米の店舗でポテトの揚げ方を指導していたのです。Amazonの巨大な異空間倉庫からは昨日も私たちの自宅へ荷物が届いていましたし、Microsoftの10層の会議室では昨日もWindowsの会議が行われ、Appleの《絶対厳守》の契約書は新製品をずっと守り続けていました。
経済の実態は何一つ変わっていません。今日変わったのは、ただ「その企業の裏側の仕組みを、私たち一般の人間も知ることができるようになった」という、その一点だけなのですよ』
『……なるほど。では、続いて本日のニューヨーク株式市場の終値と、為替の動きをお伝えします――』
キャスターが次の原稿をめくり、番組はいつもの日常的な株価と金利のニュースへと戻っていった。
同じ時刻。
シカゴやダラス、ニューヨークの街角では、会見を終えて通常業務へと戻った100人のダニエル・ミラーたちが、それぞれの店舗で「よし、夕方のピークタイムに向けてバンズの準備を確認しよう!」とスタッフたちに笑顔で声をかけていた。
シアトルのAmazonの倉庫では、外見からは想像もつかないほど広大な内部空間の棚の間を、何千台もの黄色い搬送ロボットが音もなく走り続けている。
レドモンドのMicrosoftの会議室では、同じ一つの部屋の『Layer 03』と『Layer 07』で、互いの姿を見ることもなく別々の開発チームが白熱した議論を交わし、クパチーノのAppleの法務部では、二度と処理漏れを起こすまいと、担当者が新しい秘密保持契約書のチェックリストを指差し確認していた。
世界は昨日までと同じように動き続けている。
ただ、その姿を目にする一般の人々にとっては、今日を境に、いつもの景色が少し違って見えるようになった。
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