岸辺露伴は動かない―俯瞰風景― 作:ホットサマー・マーサ
僕の名前は岸辺露伴。漫画家だ。
僕は今、とあるビルの屋上にいる。そこは随分昔に捨てられてしまった廃ビルで……これまでに八人もの少女が投身自殺したという曰く付きの場所でもある。
どうして僕がそんな物騒な場所の、しかもよりにもよって屋上という問題の事件を連想させる場所にいるのか?
それは、僕が漫画家だからだ。
漫画を描くのにはいつだってリアリティが必要だ。自分が見ていないもの、聞いていないものを他人に体感させられるはずがない。実体験が、実感が、僕の漫画において最も重要と言っても過言ではないのだから。
そういうわけで僕は屋上に『再び』やってきた。再び、という表現を使ったのには理由があって……今からその話をしようと思う。
―――最果てまであと二メートル。
思い出すだけで背筋に怖気が走る。あの夜も僕はこうして導かれる様に夜の闇へと足を動かしていた。
―――最果てまであと一メートル。
ゆっくりと、ゆっくりと近付いてくる闇。頬を撫でる夏のジメジメとした風。まるでそれは今から怪物の口の中へと向かっていくかの様だった。
ゴクリと唾を飲み、それでも僕は歩を進める。
―――最果てまで、あと一歩。
僕は遂にエッジに到達した。足元へ視線を落とすと、ビル群が放つ人工の光が作り出す曖昧な輪郭が見える。俯く様にして更に下へ目を向けると、そこには闇が見えた。
「……」
こう思ってる事だろう。『クドクド言いやがってッ、テメーの独り語りなんざ聞いてらんねーヨッ!』。
さっさと本題に、今回僕が体験したエピソードについて移ろう。
端的に言うと僕、岸辺露伴はあの夜、この屋上で投身自殺を図ろうとしたのだ。
〇
漫画を描くなら東京だ。東京で描こう……なんていう風潮があるらしい。実際僕も昔は自分が描いた漫画を持ち込む為に上京したが、今は別だ。
都会は人が多い、というより多すぎる。雑多で煩雑で物事に集中するにはあまりにもメンドくさい。FAXを始めとした機械の進歩もあって、必ずしも出版社のすぐそばで生活する必要がなくなったのは追い風だったと言える。
だから僕は連載が軌道に乗ったところで故郷であるM県S市杜王町に里帰りし、僕の望むリズムで漫画を描く事にしたのだ……まぁ、たった三か月でクソッタレのリーゼント頭にボコボコに殴られる羽目になったが。
何が言いたいか? 行きたくもないパーティーに参加する為に仕方なく東京に行くだなんてくだらなすぎるという事だよ。
「いやぁ~ッ、露伴先生ェ、来てくれて嬉しいですよォッ。もーダメかと思った!」
担当編集者である男はシャンパンが注がれたグラスを片手に、ご機嫌な笑みを向けてくる。一体全体何をどうしたらこんな細かい事をまっったく気にしなさそうな男を僕にあてがおうと思ったのか、出版社を問い詰めたい気持ちが初めて話した時からずっと付きまとっている。
「テキトーに挨拶回りして、それで終わりでいいかい? 本当なら日帰りしたかったくらいなんだよ僕は」
「まぁまぁそう言わずにッ! 折角同じ雑誌で描いてるライバル達に会えるんですし、漫画家同士積もる話とかあるでしょう!」
「無いね。全然無いねッ。そういうのは自分の漫画で語るもんじゃあないか?」
詳細は細かく覚えていないが、出版社が東京の結構な場所に移転してから何年か経った事をお祝いする……という本当にふざけた理由でそのパーティーは開かれていた。
僕はこういう形で他人に自分の偉大さをひけらかす様な真似は好きじゃあない。祝う気持ちがあるというならこんな金の無駄遣いではなく形に残る様なモノにするべきであるし、一体誰に向かって見栄を張っているのかわからないが連載中の漫画家を呼び寄せる理由もわからない。
時間の無駄。ハッキリそう言い切ってしまっても良いくらいに、僕は今この場からさっさと立ち去りたい気持ちがあるのだ。
じゃあ、どうしてそんなにネチネチと文句言うくらい嫌だったのにパーティーに出席しているのか?
それは今僕の目の前にいる脳みそまで筋肉になっていそうな、それこそキン肉マンで馬鹿な超人役が似合いそうな担当編集のせいである。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ先生ッ。ホントに頼みますよォッ、あと五分、いや三分でも良いから! そしたらちゃァんと約束の『ネタ』あげますからァッ!」
「……ちっ」
〇
僕は二十五歳、身長一八〇センチ、昔はスポーツをやっていたらしい担当編集の男を一切信頼していない。好きな映画はと聞かれて『13日の金曜日』と答えてすぐに、
「良いっスよねェ~ジェイソン。俺ジェイソンでチェーンソーをかっけーなんて思いました!」
などと、それはもうふざけた回答をしていた。
まぁそれくらいは許せる。出版社で務めるなら芸能の一つや二つ理解しておけよという説教をしかけたが、何も全ての人間に娯楽映画を細かく覚えていろ、などと細々とした要求はしない。
けれど一番許せなかったのは僕の仕事に対する理解の浅さだ。
連載中の『ピンクダークの少年』について打ち合わせをしていた時、僕は彼に次回がどんな内容になっていくのかを軽く説明した事がある。面白い内容である事は確信していたが、一応担当編集というからには意見を聞いておこうかという軽い気持ちだった。
だが話を聞いている最中、彼はしきりに頷いてあたかも理解しているかの様に見えて、
「なんかわかんないですけど、良さげっスねェ~~~~ッッ」
などと心底ふざけた反応を返してきた覚えがある。この時点で僕の中で担当編集に対する信頼は―――元から無いに等しかったが―――失われた。
そんなわけで僕は絶対に、死んでもこの男に何か乞われたとしても『ノー』を突きつけるつもりでいた。というよりパーティーに出席して欲しいと連絡が来た時もハッキリと断ってやったのだ。
けれど、担当編集は電話口で『クビにされちゃう』だのなんだの宣った果てに、命乞いをする様な声色で僕に言った。
『露伴先生の漫画に役立ちそうな『ネタ』があるんスよォ~~~ッ!!!』
ハッキリと、何度でも、誓って言おう。僕は彼が嫌いだ。脳みそが筋肉で出来ているだろうし、僕から好かれていないのがわかっているだろうに自分の保身を第一に話す短絡さには呆れ果てていた。
だからこそ、絶叫に近い訴えには鬼気迫るモノがあった。馬鹿で短絡的な彼が裏返った声で言うからには何かある……そんな直感が働いていた。
『その話嘘じゃないだろうね? 役に立つネタなんだね?』
『嘘じゃないっス』
『本当かい?』
『本当っス』
『ホントーなのかい?』
『ホントーッス!』
『ホントォかなァァァァッ??』
『ホントォォォッスゥゥゥゥッ!!』
しつこいくらい確かめて嘘をついていない事を確認し、僕は重い腰を上げてアホらしいパーティーに出る事となった。
電話口で話聞いてしまえばよかっただろう? ああ僕も思ったよ、上手く話して情報引き出して電話ぶっちしてやろうかと思ったね。
でもそこのところは頭が回るらしく、
『会場に来てくれたら話しまァすッ!』
などと先手を打たれてしまったわけである。
〇
パーティー会場を早々に抜け出した僕は編集の男と共に近くの喫茶店で『ネタ』について話し始めていた。
既に外は暗い。窓際の席に座っているおかげで、ガラス一枚挟んだところにある夜の闇を間近に感じながらの会話だった。
「で? 僕は君のお願いを聞いてやったんだ。ちゃんと対価はあるんだろうね?」
「ウッス。露伴先生、テレビとか新聞とか見られますよね?」
「僕をバカにしてるのか? 読まないワケないだろうが」
「そうっスよねェ~。でも、でもですよ、
「まぁ、そうかもしれないね……ん、待てよ。おいおいおい、まさかとは思うけれど!」
「その、まさかっス」
彼の言いたい事はわかった。僕が拾いきれていないニュースが東京にはあって、ソレを提供してやろうという魂胆らしい。
「なぁ、おい。言っておくが僕は漫画の『ネタ』を聞きに来たんだからな? そこらで買える新聞の内容を話す為に呼びつけたならタダでは済まさないぞッ!」
「そんなワケないじゃあないスか。俺はちゃんと、先生なら気に入りそうな話持ってきてるっス」
そう言って彼は持ってきていたカバンから一冊のアルバムを取り出し、開いて差し出してくる。
中身はスクラップブックだ。新聞記事の切り抜きが張り付けられ、ページをびっしりと埋めている。
「その一番小さな奴が最初の記事です」
太い指が指示したのは確かに切り抜かれた記事の中でも最も小さなモノで、メモ用紙くらいのサイズだった。
記されている内容はこうである。
『女子高生投身自殺』
「次の記事がこれです」
次に示された記事は少し大きい枠で見やすくなっていた。
『女子高生投身自殺』
「そして次がこれ」
太い指が線を引くかの様に記事をなぞっていくにつれ、記載されている内容はどんどん大きくなっていく。
『女子高生投身自殺相次ぐ』
『女子高生またも投身自殺。四人目』
『投身自殺五人目。女子高生達に関連性なし』
記事はすべて、女子高生が投身自殺したという内容のみで固められている。最後には一面を飾るレベルだ。
日付を見る限り、これらの事件は全て一、二か月に起きている様だった。これで関連性がないとはどういう目で物を見ているのか不思議でならない。
「これ、本当に関連性はないのかい?」
「実はあるんスよ関連性。死んだ子達は皆……『同じ場所』で身投げしてるんです」
そこで僕は思わず身を乗り出していた。そんな内容は記事のどこにも書いていない、隠されているのだ。
つまりこういう事である。ここ数か月の間に発生している飛び降り自殺は偶然ではない。明らかに何か、異質な何かが関わっている。そうでなければここまで異常な状況など成立しない。
「同じ場所だって? 書いてないぜここには」
「そりゃまずいっスよ。どこで死んだかなんて細かく書いたら……でも噂話なんかでもう広まってきているんス。こういう時学生って早いっスよね。俺、妹がいてソイツから聞いたんス」
「それじゃあ、それじゃあだよ。明らかに関連性アリアリじゃあないか。というかもう、ワケアリじゃないかこれ」
「そうなんスよ! でも場所は同じなんスけど自殺した子達は学校も学年もバラバラ、友達とか親戚でもない赤の他人ときていて、滅茶苦茶怖いんス。しかも極めつけに誰も遺書を書いてないときてるッ! 露伴先生、どうっスかこの話……良いネタになりませんか?」
記事の内容に今一度目を通している僕に彼は唾が飛びそうな距離で詰め寄ってくる。ムカつく距離感だと愚痴りたい気持ちに駆られながらも堪え、
「……まぁなると言えばなるだろうね」
「それじゃあ!」
「でも使えないね、このネタは」
「えぇぇぇぇぇッッ!? なんでェッ!?」
「確かに面白いよ。飛び降り自殺が連続で発生していて現場は同じ、けれど被害者に共通点は女子高生というそれだけ。実に不気味でホラーじゃあないか」
そう、確かにこのネタは魅力的だ。凄く面白い。これなら僕もわざわざ東京に足を運んだ甲斐はあったと言えるだろう。漫画家の為に資料まで用意して、担当編集らしい仕事をしてくれた彼に誉め言葉を送ってやりたいとも思う。
けれど一つ、大きな問題がこのネタには残ってしまっている。
「残念だがこの事件にはオチがない。ホラー映画っていうのは最後にオチがあるから面白いのであって、これじゃあ読者からしたら『それで?』で終わってしまう」
「そ、そりゃあそうっスけど……でもそこを考えるのが漫画家である露伴先生じゃないスか!」
「それで読者は喜ぶと、君は本気で思うかい?」
「え」
「現実の中で不可解な事件が起きている……面白いと思うよ、本当にね。でも完結していない話に加筆していくのが完全オリジナルなのは良くないッ」
リアリティは重要なモノだ。フィクションなのに、作り物なのに、真に迫る何かがある。するとストーリーは鬼気迫るインパクトが生まれ、現実ではないはずが自分事の様に真剣に受け止められる。
漫画とは、もっと言えば表現とはそういう類なのだ。であれば……折角の良いアイディアに僕の『こうなんじゃないか?』という思い込みで書き加えるなど、納得できる仕上がりになるはずがないのだ。
「そういうワケで、アイディアを提供してくれたのはありがたいけど今の話は漫画にはできないよ」
「そ、そんなァ! 勿体ないっスよ先生ェッ! なんとか漫画にしましょうよォッ!」
「僕も同じ気持ちだ。だからオチを見つけてくる。現場の住所を教えてくれよ、見に行ってくるから」
「エッ!?」
おもむろに席を立ち、僕は担当編集に手を差し出す。断じて握手なんてするつもりはない。どうせロクに手入れもしていないガサガサの肌なのはわかりきっているからだ。
僕が欲しいのは問題の自殺現場だ。何故少女達はそこで身を投げたのか、本当に彼女達に共通点はないのか、そこが知りたくてたまらないのだ。
「何してるんだい、早く住所を。このネタを漫画にしたいんだろ?」
「あ、は、はいィッ。ええとですね……」
急な展開にボーっとしていたところをピシャリと言い捨てると、彼は我に返った顔で適当な紙に現場の住所を書き記してくれた。普段何考えてるか不安なくらいのノロい男だが、動ける時は動ける様だ。
「ここっス先生。あの、もしかして今から行くんスか?」
「もちろんだ。今日明日で取材する。あ、もちろん君はついてくるなよ。絶対邪魔になるから」
さっさと担当編集を捨て置き、喫茶店を飛び出す。腕時計を見るともうすぐ午後九時に差し掛かろうとしている。
住所が記されたメモに目を通す。ここからそう遠くはない場所だ。
「……巫条ビル、か」
果たして、連続で起こった飛び降り自殺にはどんな謎が秘められているのやら。
僕は断じて探偵などではなく漫画家だ。だが漫画家だからこそ、この不可解な事件を解き明かしたい気持ちに駆られてしまっているのだ。
そして僕はこの時自分が下した判断を少しばかり後悔している。邪魔だとわかっていても誰かついてこさせるべきだった。
何故なら漫画家岸辺露伴は、この数時間後に女子高生が投身自殺する現場に居合わせ、警察のお世話になってしまうからだ。