妹様になりたい狂人の呪術廻戦転生記   作:火烏

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第4章 奇跡

父が目を覚ました。

 

それは、私が自分の術式を使って行った実験が、初めて人間に対して成功したということだった。

 

「……お父さん?」

 

父はベッドの上で上半身を起こし、自分の手を見つめていた。

 

長い間、病床に伏せっていた人間の動きではない。顔色も、呼吸も、以前とはまるで違う。

 

自分の身体に何が起きたのか理解できず、何度も手を握ったり開いたりしている。

 

やがて父は、部屋の中にいる私に気づいた。

 

「フランドール……?」

 

「お父さん、よかったね」

 

私は笑った。

 

父が元気になったことは嬉しい。もちろん、それだけではない。

 

人間の魂を観察し、そこに生じた異常を修正する。理論上の可能性を、実際に確かめることができた。

 

しかも、成功した。

 

これまで虫や小動物を相手にしてきた実験とは違う。人間の身体を、魂から変えることができたのだ。

 

もっと知りたい。

 

もっと試したい。

 

目の前で父が何かを言おうとしている。けれど、私はその言葉を待つよりも先に、自分の中で膨らんでいく期待を抑えることに意識を向けていた。

 

「フランドール……お前が?」

 

父の声は震えていた。

 

私は小さく頷く。

 

「うん。お父さん、ずっと苦しそうだったから」

 

その言葉に嘘はない。

 

父が苦しんでいたことは知っていたし、元気になった姿を見るのは嬉しい。

 

ただ、それが私の行動の理由のすべてではなかった。

 

父は私を抱きしめた。

 

少し強すぎるくらいの力だったけれど、私はそのまま身を任せた。

 

「ありがとう……ありがとう、フランドール」

 

何度も繰り返される感謝の言葉。

 

褒められるのは好きだ。

 

誰かに喜んでもらえるのも、嬉しい。

 

私は父の背中に手を回しながら、そんなことを考えていた。

 

そして、同時に思う。

 

これなら、もっとたくさんの人を診ることができるかもしれない。

 

もっと多くの魂を観察できる。

 

人間の身体について、魂について、まだ知らないことは山ほどあるのだから。

 

⸻

 

父の回復は、紅月家にとって大きな転機になった。

 

長年病床にあった当主が、突然健康を取り戻した。

 

しかも、その原因が幼い娘の力だという。

 

最初は身内の間で広まった話だったが、やがて父の知人や、以前から付き合いのあった人々にも伝わっていった。

 

父はその機会を逃さなかった。

 

私の力を利用して、紅月家を立て直そうと考えたのだろう。

 

治療を望む人間がいれば、父が話を聞く。

 

そして、私に会わせる価値があると判断した相手を選び、家に招いた。

 

誰でもよいわけではない。

 

紅月家にとって有益な人間。あるいは、その親族や関係者。

 

父はそうした相手を優先していた。

 

私にとっても、それは都合がよかった。

 

人間の身体を調べる機会が増える。

 

病気や怪我によって、魂がどのような影響を受けるのか。どこまで変形しているのか。どのように修正すれば元の状態に戻るのか。

 

対象が増えるほど、分かることも増えていく。

 

父は私の力を奇跡だと言った。

 

周囲の人々も、私を褒めてくれた。

 

「素晴らしい力だね」

 

「こんな幼い子が、これほどのことをできるなんて」

 

「紅月家にとって、まさに救世主だ」

 

私はそのたびに笑顔を返した。

 

褒められるのは嬉しい。

 

感謝されるのも嬉しい。

 

だから、相手が喜ぶような言葉を返すこともあった。

 

それが計算だったのか、自然に出た言葉だったのか、自分でもよく分からないことがある。

 

ただ、少なくとも、笑顔を向けられることを嫌だと思ったことはなかった。

 

父は私のことを誇らしげに語った。

 

私の力を紅月家の再興に役立てようとしていた。

 

それは父にとって、娘の能力を正しく活用することだったのだろう。

 

そして、私にとっても悪い話ではなかった。

 

父が患者を集めてくれる。

 

私はその患者を診ることで、研究を進められる。

 

互いの目的は違っていても、利害は一致していた。

 

⸻

 

もちろん、父に私の研究内容を話すつもりはなかった。

 

私が何を見ているのか。

 

何を操作しているのか。

 

これまで何を実験してきたのか。

 

そうしたことを正直に説明すれば、今の環境を維持できなくなる可能性が高い。

 

私が扱っているのは、単なる治療能力ではない。

 

魂そのものに触れ、その形を変える力だ。

 

虫や小動物を使った実験も、父には知られていない。

 

人間の魂を観察し、病気によって変形した部分を修正していることも、もちろん説明していない。

 

周囲に知られているのは、私が不思議な力で病気や怪我を治せるということだけ。

 

それで十分だった。

 

研究に必要なものがあれば、父に頼む。

 

ただし、用途は説明しない。

 

説明が必要なら、治療に使うものだと伝える。

 

父は私を特別な力を持った娘だと考えていたが、それでも中身は年相応の幼い子供だと思っている。

 

欲しいものをねだれば買ってくれるし、必要なものを頼めば用意してくれる。

 

父にとって、それは娘を大切にすることの一つだったのだろう。

 

私も、その好意を拒む理由はなかった。

 

けれど、父が用意してくれるものだけで、私の望みがすべて満たされるわけではない。

 

だから、別の方法も必要だった。

 

父の目の届かないところで、少しずつ人とのつながりを作っていく。

 

治療に訪れた人間の中には、私自身が興味を持つ相手もいる。

 

その人がどんな仕事をしているのか。誰とつながりがあるのか。何を知っているのか。

 

会話の中で分かることを覚えておく。

 

時には、父が紹介する相手とは別の人物に興味を示すこともあった。

 

もちろん、露骨なことはしない。

 

私はまだ子供なのだから。

 

父にとっては、娘が人懐っこく振る舞っている程度に見えていたはずだ。

 

けれど、私にとっては違う。

 

いつか、この家を離れる。

 

そのときに困らないように、今のうちから自分の居場所を作っておく。

 

父の庇護は便利だった。

 

生活に困ることはないし、研究に必要なものも手に入る。私の能力を求める人間が、父を通じてやってくる。

 

けれど、いつまでも父の管理下にいるつもりはなかった。

 

私が自由に研究できる環境を、自分の手で手に入れる。

 

そのための準備は、少しずつ進めていた。

 

⸻

 

六歳。

 

父の回復から一年が経つ頃には、紅月家を訪れる人間も増えていた。

 

私の治療を受けた人間が、別の患者を紹介することもあった。

 

父はその流れを喜んでいた。

 

紅月家の名前が再び人々の口に上るようになり、以前よりも多くの人間が父を頼ってくる。

 

その一方で、私の研究も進んでいた。

 

病気や怪我によって変形した魂は、一つとして同じではない。

 

同じような症状を持っていても、魂の形には個人差がある。

 

健康な人間の魂を参考にしながら、異常のある部分を修正する。

 

その繰り返しによって、以前よりもずっと正確に人間の身体を扱えるようになっていた。

 

もちろん、何もかもが分かったわけではない。

 

むしろ、知れば知るほど分からないことが増えていく。

 

それが楽しかった。

 

七歳、八歳、そして九歳。

 

年月が過ぎるにつれて、私の扱える範囲は広がっていった。

 

父のもとには相変わらず患者が訪れ、私はその中から自分に必要な経験を積み重ねていく。

 

父は私の力を誇りに思っていた。

 

私も、父の期待に応えているように見えることを嫌だとは思わなかった。

 

ただ、私が本当に望んでいるものは、父が考えているものとは違う。

 

紅月家の再興にも、名声にも、特別な地位にも、それほど興味はない。

 

私が欲しいのは、もっと別のものだ。

 

鏡の前に立つ。

 

そこにいるのは、まだ幼い少女。

 

けれど、私の目には、その姿の先にあるものが見えていた。

 

金色の髪。

 

赤い瞳。

 

背中に広がる、宝石のような翼。

 

フランドール・スカーレット。

 

私が何よりも愛している存在。

 

私は、あの姿になりたい。

 

あの存在そのものになりたい。

 

そうすれば、きっと。

 

みんな、私を好きになってくれる。

 

そんなことを、どこかで当たり前のように考えていた。

 

⸻

 

十歳の春。

 

その日、父から来客があると告げられた。

 

「お前の力に興味を持っている人がいる。少し話をしてみたいそうだ」

 

「私に?」

 

「ああ。以前から付き合いのある人を通じて、こちらの話を聞いたらしい」

 

父の話では、相手は私の治療能力に興味を持っているらしい。

 

私の力について、どこまで知っているのかは分からない。

 

「どんな人?」

 

「虎杖香織さんという方だ。こちらの知人から紹介を受けたそうだ」

 

「女の人?」

 

「そうだよ」

 

「ふーん」

 

私は軽く返事をした。

 

父の知人を介して、私の力に興味を持った人間が訪ねてくること自体は珍しくない。

 

けれど、今回は少しだけ気になった。

 

どんな人なのだろう。

 

私の力を知って、何を考えているのだろう。

 

やがて、客人が部屋に通された。

 

現れたのは、女性だった。

 

落ち着いた雰囲気で、物腰も柔らかい。

 

年齢はよく分からない。若く見えるが、どこか不思議な印象もある。

 

「初めまして。虎杖香織です」

 

女性は穏やかに微笑んだ。

 

「フランドールさん、今日はよろしくね」

 

「よろしくお願いします」

 

私は挨拶を返した。

 

そして、女性の顔を見た。

 

額。

 

そこに、縫い目がある。

 

一瞬、思考が止まった。

 

――縫い目?

 

私は女性の顔を見つめる。

 

額を横切るような傷跡。

 

いや、傷跡というよりも、何かを縫い合わせたような痕。

 

頭の中に、前世の記憶が浮かぶ。

 

呪術廻戦。

 

羂索。

 

肉体を乗り換え、脳を移し替えることで他人の身体を利用する存在。

 

そして、その額に残る縫い目。

 

もちろん、縫い目がある人間など他にもいるだろう。

 

それだけで決めつけることはできない。

 

けれど。

 

もしかして、この人が――。

 

私は改めて女性を見た。

 

虎杖香織。

 

その名前にも、覚えがある。

 

原作に登場する人物の名前だ。

 

ただ、私の記憶にある虎杖香織は、羂索が乗っ取った肉体の持ち主だったはず。

 

今、目の前にいるのは、その虎杖香織を名乗る女性。

 

額の縫い目。

 

名前。

 

そして、時期。

 

偶然にしては、できすぎている。

 

――もしかして、本当に羂索なのかな?

 

確信はない。

 

そもそも、原作で描かれていた情報だけで、目の前の人物が本当にそうだと断定できるわけではない。

 

それでも、警戒するには十分だった。

 

「フランドールさん?」

 

「え?」

 

「どうかした?」

 

「あ、ごめんなさい。ちょっと見ちゃってた」

 

私は慌てて笑顔を作った。

 

「おでこ、珍しい傷だなって」

 

「ああ、これ?」

 

虎杖香織は自分の額に軽く触れた。

 

「ちょっとした事情があってね。あまり気にしないで」

 

「うん」

 

そう答えながら、私は相手の様子を観察した。

 

どこまで踏み込んでいいのかは分からない。

 

今の段階で正体を確かめようとするのは危険だろう。

 

まずは、相手が何を目的に来たのかを知るべきだ。

 

「それで、今日はどうしたの?」

 

私が尋ねると、虎杖香織は少しだけ目を細めた。

 

「君の力について、少し興味があってね」

 

「私の力?」

 

「そう。病気や怪我を治せるんでしょう?」

 

「うん」

 

「それは、どうやって使っているのかな?」

 

私は少し考えた。

 

どこまで答えるべきだろう。

 

もちろん、魂を操作していることなど話すつもりはない。

 

「よく分からないけど、悪いところを元気にできるの」

 

「悪いところを?」

 

「うん。痛いところとか、具合が悪いところとか」

 

私は曖昧に答えた。

 

嘘ではない。

 

ただ、何をしているかを説明していないだけだ。

 

虎杖香織は、私の言葉を聞いて少し考えるような仕草をした。

 

「そうなんだね。君は、自分の力について詳しく調べたりしたことはある?」

 

「うん。ちょっとだけ」

 

「どうして?」

 

「もっと上手に使えるようになりたいから」

 

これも嘘ではない。

 

相手は私の顔をじっと見ていた。

 

「なるほどね」

 

やがて、虎杖香織は穏やかに微笑んだ。

 

「実は、この世界には君のように不思議な力を持つ人間がいるんだ」

 

「そうなの?」

 

「うん。そうした人間を、呪術師と呼ぶ」

 

その言葉に、心臓がわずかに跳ねた。

 

呪術師。

 

やっぱり。

 

「呪術師は、呪力という力を使う。そして、生まれつき備わった特殊な能力を持つ者もいる。それを術式と呼ぶんだ」

 

術式。

 

その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かがつながった。

 

私の力。

 

魂に触れ、形を変える力。

 

そして、前世の記憶にある、あの術式。

 

無為転変。

 

私は女性を見つめた。

 

「虎杖さんも、呪術師なの?」

 

「そうだよ」

 

女性は微笑んだ。

 

「私も、呪術に関わる人間なの」

 

その答えを聞きながら、私は考える。

 

この人は何を知っているのだろう。

 

私の力をどこまで理解しているのだろう。

 

そして、何を目的にここへ来たのだろう。

 

もし、本当に羂索なら。

 

この世界のことを、私よりもずっと多く知っているはずだ。

 

呪術についても、術式についても。

 

それに、私の力を見れば、何か気づくかもしれない。

 

「私の力も、術式なの?」

 

「その可能性は高いと思うよ」

 

虎杖香織は、少し楽しそうに答えた。

 

「君のような能力は、呪術の世界でも珍しいものかもしれないね」

 

「そうなの?」

 

「うん。だから、君と少しお話がしたかったんだ」

 

女性は私の目を見た。

 

「君は、これからどうしたい?」

 

「どうしたい?」

 

「その力を使って、何をしたいのかな?」

 

私は少しだけ考えた。

 

何をしたいのか。

 

答えは決まっている。

 

「もっと知りたいことがあるの」

 

「知りたいこと?」

 

「うん。いろんなことを調べたい。今よりもっと、いろんなものを作ったり、できるようになったりしたい」

 

「たとえば?」

 

「それは……まだ秘密」

 

私は笑った。

 

研究の内容を話すわけにはいかない。

 

けれど、必要なものを手に入れるために、相手の興味を引くことはできる。

 

虎杖香織は、私の返答を聞いてしばらく黙っていた。

 

それから、柔らかく笑う。

 

「そう。秘密なんだね」

 

「うん」

 

「いいよ。無理に聞くつもりはないから」

 

その言葉に、私は少しだけ警戒を緩めた。

 

もちろん、信用したわけではない。

 

ただ、相手は私の答えを無理に聞き出そうとはしなかった。

 

「でも、もし君が望むなら、力を伸ばすための手伝いができるかもしれない」

 

「手伝い?」

 

「そう。君が今よりも自由に研究できる環境を用意したり、必要なものを手に入れる手助けをしたりね」

 

私は女性を見つめた。

 

その言葉は、魅力的だった。

 

父のもとにいる限り、私の行動には制限がある。

 

研究に必要なものを手に入れるにも、父に頼らなければならない。

 

自分の力を自由に試すためには、いずれ今の環境を離れる必要がある。

 

そのための手段が、目の前に現れたのかもしれない。

 

ただし、相手が本当に羂索なら、無条件に信用するわけにはいかない。

 

むしろ、慎重に利用しなければならない相手だろう。

 

私は笑顔を浮かべた。

 

「本当に?」

 

「もちろん。君が何を望んでいるのか、もう少し聞かせてくれたら、考えられることもあると思うよ」

 

「そっか」

 

私は小さく頷いた。

 

この人は何を考えているのだろう。

 

私の力に興味があるのは確かだ。

 

けれど、それだけではないようにも感じる。

 

額の縫い目が、どうしても頭から離れなかった。

 

――もしかして、羂索。

 

もしそうなら、これは大きな機会かもしれない。

 

そして同時に、とても危険な出会いでもある。

 

「うん。お話、してみたい」

 

私はそう答えた。

 

虎杖香織は、穏やかな笑顔を浮かべた。

 

「ありがとう。私も、君と話せて嬉しいよ」

 

そのときの私は、まだ知らなかった。

 

この出会いが、私の研究を大きく変えることになる。

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