虎杖香織が再び屋敷を訪れたのは、最初に顔を合わせてから数日後のことだった。
前回は互いの様子を探るような会話で終わった。今回は、その続きをするための時間を設けたのだろう。
応接室に通された私は、彼女の向かいに腰掛けた。
「それで、今日は何から話しましょうか」
「まずは、あなたが何を望んでいるのか、もう少し詳しく聞かせてもらおうかしら」
「研究を続けるための環境が欲しいです」
「研究の内容は?」
「魂についてです」
香織さんの目が、わずかに細くなった。
「魂、ね」
「はい。人間も動物も、命あるものには魂があります。私はそれを観察したり、形を変えたりすることができます」
「形を変える、というのは?」
「例えば、傷ついた魂を元の状態に近づけたり、身体の形を変えたり。父の病気を治したのも、その応用です」
「あなたの治療は、どういう仕組みなのかしら?」
「魂を直接観察して、傷ついた部分を元の状態に近づけています。身体は魂の形に引っ張られるようですから」
「身体ではなく、魂を治しているということ?」
「はい。私の場合は、そういう方法で治療しています」
私は、自分の能力について必要な範囲で説明した。
知っていることをすべて話す必要はない。相手にどこまで知られているのか分からない以上、こちらから余計な情報を渡す理由もなかった。
「それで、最近は複数の魂を融合させる実験をしています」
「融合?」
「はい。ただ、簡単にはいきません。別々の魂を一つにまとめようとしても、互いに反発してしまうんです。融合した状態を維持できず、すぐに分離してしまうこともあります」
「それでも、成功例はあるのね?」
「完全に安定したとは言えませんが、以前より長く融合状態を維持できる組み合わせは見つかっています」
私はこれまでの実験結果を説明した。
「血縁関係にある個体や、番となった個体は、そうでない組み合わせよりも反発が弱くなる傾向があります。それから、そうした個体同士でも、若い個体同士の方が融合状態を長く維持できることがありました」
「血縁や関係性が影響するのね」
「そう考えています。ただ、それだけでは説明できない部分もあります」
「他には?」
「魂の反発には、生まれてからどれだけの時間を過ごしたか、そして、その間にどれだけの経験を積んだかが関係しているのではないかと考えています」
魂は、時間と経験によって形作られる。
生きてきた時間が長いほど、その魂は固有の形を持ち、他の魂を受け入れにくくなるのではないか。
今のところ、私が立てている仮説はそういうものだった。
「もしそうなら、生まれてからの経験が少ない魂ほど、融合の際の反発も少なくなるはずです」
「……赤子の魂かしら」
「それも考えられます。でも、もっと若いものです」
「もっと若い?」
「胎児です。生まれる前なら、生まれてからの経験はありません。そういう魂なら、さらに反発が少ないかもしれません」
香織さんは、しばらく黙っていた。
「実際に試したことは?」
「ありません。虫や小動物の卵や、生まれたばかりの個体では試しました」
「うまくいかなかった?」
「はい。魂が脆弱すぎるんです。反発が少なくても、融合させた状態を維持するだけの強度がありませんでした」
「それで、人間に目を向けたのね」
「はい。人間の魂は、虫や動物のものよりも強度があります。胎児なら、生まれてからの経験による魂の固定化も少ないはずです。ならば、融合に必要な強度と、反発の少なさを両立できるかもしれません」
「なるほど。人間の胎児なら、これまでの実験でぶつかった二つの問題を解決できる可能性がある、と」
「そうです。もちろん、まだ仮説です。実際に確かめる必要があります」
「それで、私に協力を求めたいわけね」
「はい」
私は頷いた。
「もう一つ、研究したいことがあります。記憶を失わせた魂同士を融合させる実験です」
「記憶を消す?」
「はい。魂の反発が、生きてきた経験そのものによるものなのか、それとも記憶によるものなのかを調べたいんです」
「まだ実施していないのね」
「動物の記憶を完全に消せたと判断する方法がありません。中途半端に記憶を失わせても、実験結果の意味が曖昧になります」
記憶だけを取り除けたのか、それとも魂そのものに変化が起きてしまったのか。
そこを区別できなければ、実験として成立しない。
「だから、まずは胎児の魂について調べたいです」
「その先にあるものは?」
「賢者の石です」
その言葉を口にすると、香織さんの表情が少し変わった。
「賢者の石?」
「たくさんの魂を一つの塊にまとめて、融合した魂を安定させる。それを利用して、膨大な出力を持つ呪具を作りたいんです」
「呪具にするのね」
「はい。魂を一つにまとめるだけでは、実用性がありません。安定した状態を維持できるなら、それを呪具の材料として利用できるはずです」
「面白い発想ね」
香織さんは、口元に笑みを浮かべた。
「あなたの治療について聞いていたときは、優れた治癒能力を持つ子だと思っていたけれど。ずいぶんと違う方向にも興味があるのね」
「治療も研究の一つですから」
「そう。あなたにとっては、どちらも同じなのね」
「はい」
私は迷わず答えた。
「それで、研究を進めるために必要なものを整理してきました」
「聞かせてちょうだい」
「まず、今の家を離れて、研究に集中できる場所が欲しいです。住居と研究場所は、できれば別々に用意してもらいたいです」
「分かったわ」
「それから、新しい身分も必要です。今の家や家族との関係を整理して、別の名前で生活できるようにしたいんです」
「戸籍や身分関係の手続きも含めて、ということね」
「はい。そういうことに詳しい人を紹介してもらえると助かります」
「それくらいなら、手配できるでしょう」
「研究を始めるための資金も必要です」
「継続的な援助を望んでいるの?」
「いいえ。最初に研究環境を整えるためのお金があれば十分です。その後の研究費は、自分で稼ぐつもりです」
「稼ぐ方法は?」
「治療です。今までと同じように、私の治療を必要とする人を紹介してもらいたいです。紹介してもらった人を治療して、その対価を研究費に回します」
「治療を受ける人を紹介するだけでいいの?」
「はい。継続的に資金を出してもらう必要はありません。治療の仕事があれば、自分で研究を続けられます」
「なるほど。あなた自身が収入を得るための経路が欲しいのね」
「そうです」
私は続けた。
「それから、研究材料を集めるための人脈が必要です」
「具体的には?」
「まず、妊娠している女性と接点を持てるようにしてほしいです」
「妊婦?」
「はい。事情を抱えていたり、経済的に余裕がなかったりして、妊娠を継続することが難しい人たちです。そういう人たちに、身体への負担を抑えた、費用の安い中絶の機会を提供したいと考えています」
「そのために、私に何をしてほしいの?」
「そういう人たちと接点のある人を紹介してほしいんです」
私は淡々と説明した。
「私は胎児の魂を研究したいです。中絶を希望する人に治療を提供し、その過程で得られる胎児を研究に使います」
「本人たちには、研究のことを話すの?」
「いいえ。治療を受ける人に、研究への協力を求めるつもりはありません」
香織さんは、私をじっと見ていた。
「他にも方法はあります」
「聞かせて」
「権力を持った高齢者に、若返りの治療を提供するんです。身体の状態を改善して、若い頃に近づける。そういう治療を望む人はいるでしょう?」
「いるでしょうね」
「その対価として、妊娠している女性と接点を持てるようにしてもらいます。本人に直接協力を頼むのではなく、そうした人たちに話を通してもらう形です」
「若返りの治療と引き換えに、妊婦との接点を得るわけね」
「はい。先ほどの中絶の経路とは別です」
「分かったわ」
香織さんは頷いた。
「それ以外にも、人間を対象にした実験が必要になると思います」
「人間の魂を扱う実験ね」
「はい。犯罪者や死刑囚など、社会からいなくなっても大きな問題にならない人たちです。そうした人たちを確保できる人脈につないでほしいです」
「私から直接、対象者を紹介してほしいわけではないの?」
「違います。個人を紹介してもらうよりも、そういう人を確保できる立場の人たちとつながりたいんです。私自身で手配できるようになれば、その方が都合がいいですから」
「なるほど。あなたが必要としているのは、人そのものだけではなく、そうした人を確保できる経路なのね」
「そうです」
香織さんは背もたれに身体を預けた。
「要求は分かったわ。でも、すべてをそのまま受け入れるわけにはいかないわね」
「何か問題がありますか?」
「あなたが求めているものは、住居や資金だけではないでしょう。人脈や立場のある人間への接触、研究対象の確保まで含まれている。私が関わる以上、こちらにも利益が必要になるわ」
「分かっています」
「あなたは、私に何を提供できるの?」
「研究成果です」
「それだけ?」
「今のところ、確実に提供できるものはそれです。研究が進めば、呪具や術式に関する成果も提供できると思います」
「例えば?」
「賢者の石の試作品なら、いずれ渡せると思います」
「いずれ、ね」
「まだ完成していません。今は構想と理論を組み立てている段階ですから」
「完成時期は分からない?」
「はい。研究の進み具合次第です」
「それでも、私にとって価値がある可能性は高そうね」
香織さんは、楽しそうに笑った。
「あなたが何を作るのか、見てみたいわ」
その言葉に、私は少しだけ目を輝かせた。
「では、協力してくれるんですか?」
「協力する方向で考えているわ。ただし、こちらの都合もある。あなたの研究を全面的に保証することはできないし、何でも望みどおりに用意できるわけでもない」
「それは構いません。できる範囲で協力してもらえれば十分です」
「それと、あなたが治療を行う相手や、若返りの治療を望む人たちの紹介は、私を通す形にしてほしいわ」
「はい。そのつもりです」
「あなたが個別に窓口を作るより、私の人脈を使った方が効率的でしょう?」
「そう思います」
「それは私にとっても都合がいいのよ。あなたの治療を必要とする人間が、私を通じて集まる。特に、若返りを望む権力者なら、私との関係を保つ理由にもなるでしょう」
「香織さんにも利益があるんですね」
「ええ。あなたは治療を受ける人を得られる。私はあなたの治療を求める人たちとのつながりを得られる。お互いに悪くない話だと思うわ」
「分かりました。治療の斡旋は香織さんにお願いします」
「研究対象についても、必要な人脈につなぐ。ただし、個々の対象者の確保まで私が保証するわけではないわ」
「はい。人脈を紹介してもらえれば、あとは自分で進められます」
「研究成果については、定期的に報告してもらいたいわ」
「どの程度の頻度ですか?」
「最初は、進展があったときに報告してくれればいい。必要になれば、こちらから確認することもあるでしょう」
「分かりました」
「研究の内容をすべて明かす必要はないわ。ただし、私が提供した人脈や資金に関わる成果については、可能な範囲で共有してほしい」
「それなら問題ありません」
「住居と研究場所、新しい身分についても手配する。最初の資金も用意しましょう。その代わり、あなたは研究を続け、成果を私に報告する。治療や若返りの斡旋は私を通す。研究対象については、私の人脈を利用する」
「それでお願いします」
「本当にいいの?」
「はい。私が欲しいものは、研究を続けられる環境です。それが手に入るなら、十分です」
香織さんは、私の顔をしばらく眺めていた。
「あなたは、自分が何をしようとしているのか、よく分かっているのね」
「もちろんです」
「そう。なら、いいわ」
彼女は微笑んだ。
「これからよろしくね、フランドールさん」
「よろしくお願いします、香織さん」
こうして、私と彼女の間で協力関係が結ばれた。
新しい住居。
研究のための場所。
新しい身分。
研究費を得るための仕事。
そして、今まで手に入れることのできなかった人脈。
これまでの私にはなかったものが、少しずつ手に入る。
父の屋敷で暮らしながら、限られた環境の中で研究を続ける生活は、もう終わりだ。
これからは、自分の望むものを、自分の手で作っていける。
私は、これから始まる新しい生活を思い、自然と笑みを浮かべていた。