四月。
賢者の石の試作品を完成させ、羂索との実験を終えてから、しばらくが経った。
試作品の結果は上々だった。複数の魂を加工し、ひとつの塊として安定させるという目的は達成できている。
あとは、これを自分のために作り替えるだけだ。
そのためには、まず私自身の身体を整える必要がある。
研究室の片隅に置かれた鏡の前に立つ。
鏡に映っているのは、まだ普通の人間の少女だった。
……うん。
そろそろ、いい頃合いだと思う。
独立した直後に、姿を変えることもできた。
けれど、私はそうしなかった。
自分の身体を作り替えるのなら、できる限り正確に行いたかったからだ。
人体の構造も、魂と肉体の結びつきも、まだ知らないことが多かった。無為転変を使えば形を変えること自体は難しくない。けれど、変えた後の身体がどう機能するのかまで理解しているわけではなかった。
だから、先に知識を蓄えることにした。
治療や実験を重ね、人体についての理解を深めていく。
そして今、賢者の石を作るために、自分の身体そのものを改造する必要が出てきた。
ちょうどいい機会だった。
私は鏡の中の自分を見つめる。
これから変える姿は、ずっと憧れていた姿。
ただ似せるのではない。
私自身が、フランドール・スカーレットになる。
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれた。
さて、始めよう。
*
まずは頭部から。
無為転変を発動し、魂の形を基準に肉体を作り替えていく。
骨格を調整し、顔の輪郭を整える。頬や顎の形、鼻筋、目の位置。細かな部分をひとつずつ確認しながら、理想の形へ近づけていく。
痛みはない。
身体の構造を理解している分、作業そのものは難しくなかった。むしろ、普段の治療よりも自由に手を入れられる。
髪も変える。
色は鮮やかな金髪。長さを整え、毛先の流れを調整する。指を通すと、さらりと髪が滑った。
次は目。
紅い瞳へと変化させる。虹彩の色だけではなく、瞳の形や周囲の組織も含めて調整した。
肌の色、唇の形、耳の形。
ひとつ変えるたびに、鏡の中の姿が少しずつ近づいていく。
身体の大きさも調整する。
年齢としては、小学六年生くらいの姿がいい。幼さを残しながらも、子供らしい丸みがある。フランドールの姿として、私が思い描いていたものに近い。
最後に歯を確認する。
口を開け、歯列を整える。犬歯は少し長く、鋭く。
鏡の前で口を開いたり閉じたりして、見え方を確かめる。
「……うん」
いい感じ。
身体の細部まで確認し、必要な調整を済ませる。
それから、私は鏡の前に立ち直った。
そこにいたのは、金色の髪と紅い瞳を持つ少女だった。
フランドール・スカーレット。
私がずっと好きだった、あの子の姿。
「…………」
しばらく、声が出なかった。
鏡の中の少女が、こちらを見ている。
私が笑えば、その子も笑う。
私が首を傾ければ、同じように首を傾ける。
頬に手を当てる。
鏡の中の少女も、同じ場所に手を当てた。
指先で頬をなぞる。柔らかい。
髪を持ち上げてみる。金色の髪が指の間から流れ落ちた。
もう一度、顔を見る。
目を細める。口元を緩める。少しだけ頬を膨らませてみる。
どんな表情をしても、鏡の中にいるのはフランドールだった。
「……あはっ」
笑いが漏れた。
嬉しい。
ただ、それだけだった。
ずっと見ていたかった姿が、今は鏡の中にある。
手を伸ばせば触れられる。頬に触れれば、その感触が返ってくる。髪を梳けば、指先に柔らかさが伝わる。
これは絵でも、映像でも、人形でもない。
私自身だ。
「ふふっ、あははっ!」
自然と笑い声が大きくなる。
嬉しくて、何度も鏡を見た。
右を向いて、左を向いて、くるりと一回転する。髪が遅れて揺れた。
もう一度、正面を向く。
やっぱり、フランドールだ。
「えへへ……」
頬が緩む。
口を開けて、声を出してみた。
「あー」
少し高い声。
「うーん……」
何度か声を変えてみる。普段の声とは違う。けれど、これもいい。
鏡に向かって、にっこり笑う。
「こんにちは」
鏡の中の少女も、にっこり笑った。
「……ふふっ」
何度でも確かめたくなる。
顔も、髪も、瞳も、身体も。
全部が、私の好きなフランドールになっている。
そして、最後に背中へ手を回した。
ここも、ずっと欲しかったものだ。
背中の骨格と筋肉を調整し、肩甲骨の周辺から新たな構造を形成する。
蝙蝠の翼から翼膜を取り除き、骨格だけを残したような構造。
背中から左右一対の骨格が伸びる。翼膜のない蝙蝠の翼を思わせるが、骨の形状は枯れ枝のように細く、先端へ向かって伸びている。
これは飾りではない。
賢者の石を吊り下げ、身体に固定するための土台だ。
その骨格の両側に、賢者の石を吊り下げる。左右それぞれ六個ずつ、合計十二個。等間隔に並ぶように取り付ける。
完成すれば、枯れ枝に果実が実ったような姿になるはずだ。
そのため、骨格の太さや強度、背中との接続部分を調整する。十二個分の重さを支えられるようにしながら、身体の動きを邪魔しない形に整えていく。
肩を動かす。背中を反らす。腕を回す。
骨格が身体の動きを妨げないことを確かめる。
よし。
これで、身体の準備は整った。
あとは縛りを結ぶ。
私は鏡の前に立ち、もう一度、自分の姿を確認した。
この姿を基本形として固定する。
別の姿へ変わることはできなくなる。少なくとも、普段の姿を自由に切り替えるようなことはできない。
けれど、その分だけフランドールの身体を安定させられる。
無為転変によって維持している不老不死も、より強固になるはずだ。
これまで他人の老化を調べ、身体の変化を観察してきた。その知識から考えれば、この縛りによって今の姿を保ち、年齢による変化も止められるだろう。
成長も、老化もない。
小学六年生くらいのフランドールの姿のまま、ずっといられる。
いいね。
私はその姿が気に入っていた。
「……これで、ずっと一緒だね」
誰に向けるでもなく呟く。
縛りを結ぶ。
魂と肉体の形を固定し、フランドールとしての姿を基本形に据える。無為転変による自己改造を重ね、身体の構造を安定させていく。
鏡の中の少女は、変わらずこちらを見つめていた。
「ふふっ」
もう一度、笑う。
やっぱり、嬉しい。
*
さて。
いつまでも鏡の前にいるわけにはいかない。
今度は賢者の石を作ろう。
研究室へ戻り、必要な器具と材料を確認する。
今回作るものは、羂索に渡した試作品とは違う。
あれは爆弾として使うための、一度きりの消耗品だった。複数の魂を融合させ、ひとつの塊として安定させることに重点を置いている。
私が作るものは、私自身の一部になる。
外殻には、これまでの研究や処置の中で確保しておいた胎児の魂を用いる。
そして、その中心には私自身の子供の魂を据える。
外殻と核は役割が違う。
外殻は賢者の石を構成するための器であり、複数の魂を加工・融合させて作る。中心の核は、賢者の石を私の身体と結びつけるためのものだ。
まず、魂を融合させるための加工方法はすでに確立している。
個々の魂の形を確認し、融合の妨げになる部分を調整する。記憶に関わる部分や、肉体の機能に関わる部分など、魂ごとの違いを整理し、互いに反発しにくい状態へ整える。
そのうえで、複数の魂をひとつにまとめる。
試作品で得られた結果を踏まえ、今回は用途に合わせて構造を設計する。
爆発させるためではない。
長期間にわたって私の身体に組み込まれ、私の活動を支えるためのものだ。
そのため、外殻には安定性を重視した構造を与える。
ただし、ひとつ問題がある。
これまでの実験を通じて、私はひとつの結論に至っていた。
今の技術をそのまま繰り返し、経験を積んで練度を上げるだけでは、今回の賢者の石を作るには不十分だ。
複数の魂を融合させる際、わずかな形の違いや干渉のずれが、全体の安定性に影響する。試作品では成立しても、長期間にわたって私の身体の中で機能させるものとなれば、求められる精度はさらに高くなる。
そこで、無為転変の運用に縛りを設けることにした。
他者の魂に干渉する際、相手の首に口をつけ、噛んで血を流させる。そして、その傷口から直接血を吸いながら、同時に魂へ干渉する。
事前に採取した血液を飲むだけでは成立しない。
血を吸うことと、魂への干渉を同時に行う必要がある。
この縛りは、他者への治療や身体改造だけでなく、堕胎の処置にも適用される。
ただし、自分自身への無為転変は縛りの対象外だ。今回のような自己改造や、自分の身体の中で行う処置に、この条件を満たす必要はない。
また、胎児は出産するまでは母体の一部として扱う。胎児の魂に干渉する場合も、独立した他者への干渉とはみなさず、母親への処置として扱われる。
そのため、他人の胎児を処置する場合には、母親の首から血を吸いながら、腹部に手を当てて魂に干渉することになる。
私自身の胎内にいる子供も、母体である私の一部だ。自分自身への無為転変と同じく、この処置に縛りは適用されない。
これまでの治療や処置の手順も、変えざるを得ない。
少々面倒になるけれど、必要な調整だった。
賢者の石の製造に求められる精度を安定させるためには、これまでの方法をただ繰り返すだけでは足りない。魂への干渉そのものに新たな条件を設け、より確実に扱えるようにする必要があった。
準備はできている。
私は作業台に向き直った。
*
まずは外殻。
材料となる胎児の魂を、ひとつずつ確認していく。
魂の形を把握し、必要な部分を加工する。記憶や肉体の機能に関係する部分を調整し、融合後に互いを拒絶しないよう整える。
その作業を繰り返す。
ひとつ、またひとつ。
加工した魂を融合させ、全体の形を整えていく。
最初は小さな塊だったものが、少しずつ大きくなっていく。
赤黒い色をした、滑らかな外殻。
試作品と同じく、複数の魂がひとつにまとまっている。けれど、今回のものは爆発させるための構造ではない。長く維持し、中心に据える核を保護するためのものだ。
外殻の形が整ったところで、次は核に取りかかる。
こちらは、私自身の子供の魂を使う。
まず、自分の身体を調整して、生殖細胞を用意する。
それぞれの細胞を必要な形に整えた後、無為転変による操作を通じて受精卵を形成する。そこから発生を進め、肉体と魂の結びつきを確認する。
私の血を引く、正真正銘の実の子供だ。
その魂を、賢者の石の中心に据える。
私はその魂の形を確かめた。
小さな魂。
まだ何も知らず、何も経験していない。
けれど、これから私の一部として、ずっと一緒にいることになる。
「……ふふ」
思わず笑みがこぼれる。
いい子ね。
自分の役目をちゃんと果たしてくれるなんて。
核を保護するための構造を作る。
滑らかな楕円形の器。その内部に核を収め、外側を先ほど作った外殻で覆う。
核と外殻が直接ぶつからないように調整し、それぞれの役割を保ったまま一体化させる。
これで、賢者の石の基本構造は完成した。
ただし、まだ完成ではない。
ここからが本番だ。
私は自分の腹部に手を当てる。
この賢者の石を、身体の中で育てる。
子宮を、ただの保管場所として使うわけではない。
賢者の石を収め、血液や栄養を供給し、成長を促すための環境として作り替える。周囲の組織も、それに合わせて変化させる。
無為転変を使い、身体の内部を調整する。
子宮の構造を変え、賢者の石を収める空間を作る。周囲の組織との接続を整え、血液が行き渡るようにする。
栄養を取り込み、成長に必要なものを供給できるようにする。
身体の一部として受け入れられるよう、接続部分を丁寧に調整していく。
最後に、賢者の石を収める。
核を中心に、外殻が包み込む。
位置を確認し、周囲の組織を整え、固定する。
……よし。
これで、賢者の石は私の身体の中に収まった。
あとは育てるだけ。
無為転変を継続的に使用し、賢者の石の状態を確認しながら成長を促す。
魂の融合状態を維持し、外殻の構造を整え、核との接続を安定させる。
その作業を、およそ半年続ける。
簡単な作業ではない。
けれど、必要な工程は把握できている。最初の段階で接続と環境を整えれば、その後は状態を確認しながら調整を続ければいい。
私は作業台の上を片付け、鏡の前に戻った。
鏡の中には、フランドールがいる。
背中には、枯れ枝のような骨格の翼。
そして、お腹の中には賢者の石の核。
これから半年かけて、私の身体の中で育っていく。
私はそっと腹部に手を当てた。
「親孝行で良い子ね」
自然と笑みが浮かぶ。
この子には、素敵な賢者の石になってもらわなくちゃ。
「ふふっ。素敵な賢者の石にしてあげるからね」
半年後が待ち遠しい。