「してはいけない」と禁じられていることをしたくなるのが人の性(さが)というもの。
4つの時代の、4つの場所の、4人の男女が体験した4つの不思議な物語。
※ 原作名が「その他・ホラー」となっていますが、ホラー要素は少ないです。
【時代・舞台】
明治43年(1910年)
北陸地方の小さな港町。廻船問屋や醤油蔵が並ぶ古い商家の町で、海難事故や疫病はいまだに祟りや土地神の怒りと結びつけて語られている。
迷信とか因習といったものを信じ込んでいて、新しいものを取り入れることは苦手な様子である。
【登場人物】
・須崎清太郎(26歳):主人公。東京で育ち写真師の技術を学ぶ。店舗は持たずカメラを背負って全国を旅しながら商売をしている。
・芳野(享年15歳):「桜の花の柄の振袖を着た娘」親の決めた相手との結婚を嫌がって海へと身投げをする。
・源田惣右衛門(61歳):北前船の船主で前述の娘の父親。
・住職(70代):清太郎の家の菩提寺・高綸寺の住職で、前述の娘を
汽車は小さな駅に着いた。
東京から続いていた鉄路はここが終点で、目的地のA町までは十キロほど歩かなければならない。
清太郎は大きな竹行李を背負うと夏の強い日差しの中を歩き出した。
北前船の寄港地として栄えたA町。
鉄道網が発達した今となってはそれも過去の栄光というもので、廻船問屋や醤油蔵が建つ古い商家の町並みがかろうじてかつての繁栄を物語るのみだ。
元号が明治と変わって四十年以上経つが、この町は江戸時代の頃とあまり変わりはない。
伝統が守られていると言えば聞こえは良いが、逆に古い迷信とか因習といったものに囚われていて新しいものを取り入れることを拒絶しているとも言えるだろう。
須崎清太郎はA町の生まれであるが幼い頃に父親に連れられて東京へと移り住んだ。
だから故郷といえるようなものではなく、懐かしいというよりもむしろ初めて訪れる知らない町という意識が強い。
そんな彼が二十年ぶりにA町の土を踏むのは一年前に他界し一周忌を済ませた父親の遺骨を故郷の墓に納骨するためである。
山の中の薄暗い道をしばらく歩いていると、突然目の前がパッと開けた。
その先には青い海が広がり、少し湿り気を帯びた潮の匂いがする夏の風は目的地が近いことを教えてくれる。
あと二キロ弱でA町だとわかると、長旅の疲れも一気に吹き飛んだ。
背負った荷物の重さは変わるはずもないが、清太郎には心なしか軽くなったような気がした。
だらだらと続くなだらかな坂道を十分ほど下りたところで眼下にA町が見えた。
視界の右手には青く輝く日本海。
そして左手は海岸近くまで山の迫る狭い土地に家々がひしめき合って建っている。
街道に面して一番面積が広くて大きな建物があるのが北前船廻船商人の源田家の屋敷だ。
その源田家の西側にあるのが船頭頭の屋敷で、さらにその隣にあるのがこの町で唯一の寺の高綸寺。
清太郎は地図を見ながら確認した。
この辺りの家々には
間垣は日本海から吹きつける強い風と塩害から家屋を守るため、海沿いの集落に設置される竹製の防風垣で、一間ごとにアテやクリの丸太やモウソウ竹の支柱を設置し、その間を高さ四~五メートルの
間垣の呼び名は支柱一間の長さに由来するとされ、通常は秋に設置し春に外すのだが通年で設置する間垣のことを「マンネンガキ」と呼んでいる。
マンネンガキは夏場の強い西日を遮る効果もあり、四季を通じて海岸沿いの生活を快適するために先人が考え出した暮らしの知恵と言える。
清太郎の泊まる宿屋にもそのマンネンガキがあった。
案内された部屋は二階で、北側の窓を開けると間垣の隙間からは青い海と高さが二十メートルくらいの崖が見える。
いい景色だと思っていると、宿の若い女中が少し怒ったように言った。
「北の窓の外を見てはいけません。見ると不吉なことが起きると言われています」
窓を開ければ夕方の涼しい風が吹き抜けるというのに閉めろとはどういうことかと思ったが、清太郎は女中の言うとおりに窓を閉めた。
「夜は雨戸も閉めて絶対に外を見ないでください。いいですね?」
女中は「絶対に」という部分に力を入れてそう言うと部屋を出て行った。
夕食を終えた清太郎は旅の疲れもあってか夢も見ずにぐっすりと眠って朝を迎えたのだった。
翌日、父親の遺骨を墓に納めてから宿に戻ると、町の名家である北前船廻船商人の当主 ── 源田惣右衛門に呼ばれた。
この町に旅の写真師が来ているということを耳にした惣右衛門に自分の遺影用の写真を撮影してほしいと依頼されたのだ。
惣右衛門は齢六十で、健康体である姿を今のうちに写真に残しておこうと考えたのだろう。
清太郎は東京で写真術を学び、カメラを担いで全国を旅する写真師となった。
宿帳に名前や住所を記入した時に職業を写真師と書いていたから、宿の人間からその話を屋敷の人間が聞いて主人に伝えたのだろう。
まだ写真館などない田舎へ行くと写真を撮影してほしいという客が一定数いて、それなりの稼ぎになる。
今回も納骨を終えたらそのまま近在の町や村を回るつもりで写真機や現像の道具も用意していたのだった。
清太郎は源田家の屋敷を訪問した。
さすがに北前船廻船商人の屋敷とあって庶民の清太郎は圧倒されてしまった。
屋敷の柱や天井など至るところに高級なヒノキやケヤキなどが惜しげもなく使用されていて、そうした建材はどれも北前船で運ばれてきたものだという。
庭の石も北前船の脚荷(バラスト)として使用された全国各地の銘石だというから当時の栄華が偲ばれるというもの。
ところがいくつもある部屋のどの部屋でも北向きの窓が固く閉められている。
屋敷の北側には広い庭と、その向こうには日本海が見えるという素晴らしい景色が広がっているはずなのだが、その景色を拒絶するかのようで清太郎は疑問に感じた。
家人に訊くと誰もが同じことを言う。
「北の窓の外を見てはならない。そういう決まりになっているのだ」
窓の向こう側の景色に何があるというのだろうか?
清太郎は惣右衛門の写真を撮影し終えると、こっそり庭へ行ってみた。
そこには手入れの行き届いた庭があり、特にこれといって変なものはない。
見てはならないものなどありそうにもない。
そして庭の向こうには青い日本海が広がっているだけだ。
宿屋に戻る途中、清太郎はあることに気がついた。
どの家も北側の窓が閉まっているのだ。
驚くことにまだ昼間だというのに雨戸が閉められている家もあれば、頑丈な板が釘で打ちつけられている家もある。
宿屋の窓も北側の窓は閉められていて、開けたら女中に窓の外を見てはならないと忠告された。
冬になれば強い北風が吹きつけるから窓を厳重に閉鎖するというのはわかるが、今は夏の気候の良い時期であって風通しを良くするために窓を開けておくことが普通であろう。
源田家の屋敷で「北の窓の外を見てはならない」というのは庭に何か見られてはならない都合の悪いものがあるというのではなく、その先にある景色に
そしてその決まり事は源田家だけでなく、町の人間たちにも広まっているということになる。
北の窓の先にあるのは日本海だけだが、もしかしたら北前船が行き交う時代に何か大きな事故でもあったのかもしれない。
それがこの町の住民にとって嫌な記憶として重くのしかかり、見たくないから見ないようにしているのではないかと清太郎は推理した。
清太郎は海岸まで行き、そそり立つ崖と波の景色を撮影してから宿屋へと戻った。
写真を撮ったのは単純に美しい風景に見えたからだ。
よそ者の彼にとっては住人たちの迷信とか因習など関係ない。
町の住民が目を背けるものであっても、写真師としての彼はシャッターを押したくなるような景色だったのだ。
宿屋の部屋で惣右衛門の写真の現像をした。
そのついでに例の写真を現像してみると、崖の上から荒れる海に何かが落ちる瞬間が写っていた。
よく見ると振袖を着た若い女性のようであり、薄気味悪くなった清太郎はその写真を破ってしまおうかと考えた。
しかしなぜそんなものが写真に写っていたのか、そして源田家の屋敷や海の見える家々の北側の窓を閉め切っている理由と関係があるのか気になった。
翌日、清太郎は源田家を訪ね、下働きの男にその写真を見せると彼は身体を震わせてひと言だけ言うと逃げて行った。
「オレは何も知らん」
続いて若い女中に訊くと、彼女も同様に怯えて逃げて行った。
「アタシは何も知らねぇ」
彼らの反応に困惑していると、道を歩いていた老婆が清太郎の上着の袖を引っ張って人目のつかない場所へ連れて行くと小さな声で言った。
「知らぬことは、罪にならぬ。知ろうとすればおまえは不幸になる。そうならぬためにも早くこの町を出て行くのじゃ」
この町の人間は何かを隠している。
江戸から明治に変わってそろそろ半世紀になろうというのに、因習とか迷信といったくだらないものに囚われて、いまだにこの町の住民は海難事故や疫病は祟りや土地神の怒りと結びつけて恐れている。
外の世界との関わりを極力避け、住人たちは昔ながらの暮らしを続けていた。
そんな閉塞感に嫌気がさした父親は母親を亡くしたばかりの幼い清太郎を連れて東京へと出て行った。
しかしそんな父親も故郷とは全く違う
所詮父親もこの町の人間であったということなのだろう。
ここに生きているのは真実から目を背けて何も知らないということで済ませ、何十年何百年と続いてきた暮らしを維持することこそが大事だと考えている連中ばかりなのだと清太郎は感じた。
清太郎は別の住民に訊くことにした。
しかし誰も「何も知らぬ」と言って関わりを避けようとする。
そのうちに清太郎の行動を知った警官が現れて、問答無用で例の写真を清太郎から取り上げた。
そして写真をちらりと見ると恐ろしい顔をして写真を細かく破いてしまった。
「この町を出て行け。出て行かねばどうなるかはわかるな?」
警官はそれだけ言って立ち去った。
清太郎が真実を知ろうとするとこの町の住民には都合が悪いらしい。
このまま何も知らずに立ち去って二度と関わり合いを持たないという道はある。
しかし真実を知りたいという好奇心に勝てなかった。
その夜遅く、清太郎は自分の部屋の北側の窓をこっそり開けた。
窓の外を見ると写真に写っていた振袖の女性と思われる娘が現れ、彼女と目が合ってしまう。
清太郎は急に恐ろしくなって窓を閉め、そのまま布団の中にもぐった。
すると振袖の女性は閉めたはずのガラス窓を通り抜けて、清太郎の枕元で正座をして語り始めた。
今から十年前、当時十五歳だった惣右衛門の娘 ── 芳野は山をひとつ越えた隣町の大地主の次男との結婚が決まった。
親同士の勝手な取り決めであって娘の意に沿わない婚姻だ。
芳野は代々続く名家の一人娘だから婿を取らなければならないとわかってはいるものの、顔も見たことのない相手と結婚することに不安で胸がいっぱいだった。
それに結婚相手の素行の悪さは娘の耳にも届いていた。
食は細り、気鬱になった彼女はとうとう婚儀の七日前の深夜にお気に入りの桜の花の柄の振袖を着て崖の上から海の中に飛び込んでしまったのだった。
清太郎は布団から出て娘に言った。
もう怖いという気持ち失せていて、そこにいる哀れな幽霊に声をかけたくなったのだ。
「命を捨てるのではなく家を捨てるくらいの勇気を出すべきだったとオレは思う」
すると芳野は顔を上げた。
「キミは家というものに囚われてしまい、自分で自分を見えない鎖で家に縛りつけていた。結婚するか死ぬかのふたつの選択肢の中から死を選ぶくらいだからよほど結婚をしたくなかったのだと思うが、選択肢はそれだけじゃなかったんだ」
「……」
「キミの事情も理解できる。だけどこの古臭い閉鎖された町の外には自由に生きられる世界があったというのにそれを知らずに命を絶ったキミはとても哀れだ」
清太郎の言葉に芳野は涙を流し、振袖の袖で顔を隠す。
「オレはこの町の生まれなんだがちっさい頃に親父に連れられて東京へ行ったもんだから、この町の澱んだ空気に耐えられない。明日の朝にキミの親父さんに写真を届けてすぐに町を出る。そもそもこの町へ来たのは親父の骨を墓に納めるためで、それも済ませたからな」
「それで東京に帰るの?」
「いや、オレは写真機を背負って全国を回ることを生業にしている。この町みたいに写真館がない土地へ行くと写真を撮ってくれという客はそれなりにいるし、見つけた美しい景色や珍しい風物の写真を撮るのは楽しい」
「羨ましい…。私にも外へ飛び出す勇気があったら、こんな苦しい想いをせずに済んだのに…」
そう言い残して芳野はすっと消えてしまった。
清太郎は幻だったのかもしれないと思ったが、彼女が座っていた辺りがびっしょりと濡れていたことで現実のことだと確信したのだった。
翌朝、清太郎は源田家の屋敷を訪ねて依頼された写真を渡して代金をもらった。
すると惣右衛門は唐突に尋ねる。
「おまえは何も見ていないし聞いてもいない。だから何も知らぬはずだ。そうだろ?」
「…はい」
清太郎は一瞬戸惑ったがそう答えた。
惣右衛門はその答えに納得しているのかそうでないのかわからないが、写真の代金とは別に封筒に入った金を清太郎に差し出した。
封筒の厚みから相当な枚数の札が入っていると思われる。
この金の意味はひとつしかない。
受け取るということは、この町で見聞きしたことを絶対に外に漏らさないという約束をしたという意味になる。
もっともこんな話を他人に話したところで誰かが喜ぶわけでも自分が得をするわけでもないのだから話すことは絶対にない。
清太郎は黙って封筒を受け取ると、写真の代金と合わせて鞄に入れて屋敷を出た。
清太郎は町を出る前、最後に父親の墓前に手を合わせようとして寺へと足を向けた。
そして住職に惣右衛門から口止め料としてもらった金を封筒ごと渡して自分の父親と十年前に身投げをした「桜の花の柄の振袖を着た娘」の供養を頼んだ。
すると住職はたいそう驚いたが、観念したのか自分の知る事件のあらましを清太郎に語ったのだった。
芳野が身投げに至る経緯は推測の域を出ないが、北前船の娘が自ら命を絶ったことは間違いない。
彼女の身投げは町の中でもごく限られた者しか知らない。
源田家の家人と使用人、芳野の遺体を発見した老漁師、老漁師から連絡をもらった警官、そして住職のみだ。
しかし狭い町の中のことだからすぐに噂が流れ始めた。
源田家の娘が崖から海に身を投げた、と。
そうなると惣右衛門はその噂を否定しなければならない。
芳野が身投げしたというのは真っ赤な嘘で、彼女は婚儀の日を楽しみにしていると惣右衛門は住民にこんな作り話をした。
姿を見せないのは少し体調が優れないためで、庭にある離れで暮らしているからだと言う。
そして惣右衛門は源田家の面目を保つために密かに遠くの町から芳野と姿かたちの似た少女を
代役を立てたことが騒ぎにならなかったのは、花嫁行列で花嫁の顔が綿帽子に隠れて見えなかったからだ。
そして花嫁が本人かどうか確かめようとする愚か者がいるはずもなく、婚儀が予定通りに行われたことで町の人々は何事もなかったかのようにいつもの日常に戻ったのだった。
芳野の遺体は密かに回収されて寺の墓地に葬られたのだが、源田家代々の墓に入れることはできないといって無縁仏とされてしまった。
しばらくは何事も起きなかったが、夏が近づいて人々が窓を開けて眠るようになると、開け放たれた北側の窓から桜の花の柄の振袖を着ている娘の幽霊が部屋を覗き込んでいて、目が合ってしまうと彼女が部屋の中に入って来たと言う者が出た。
桜の花の柄の振袖 ── それを着ることができたのはA町の中でたったひとりしかいない。
それが誰なのかはわかっているが、誰ひとりとしてその名を口にする者はいなかった。
この町に住み続けるつもりならそんな幽霊など「見ていない」ことにするしかないのだ。
源田家でも惣右衛門の枕元にその娘が現れた。
その翌日から惣右衛門は何かに怯えた様子で北側の窓を閉め切って開けないようにと使用人に命じた。
そして町の人間にも同じ命令をした。
それ以来、振袖の娘は現れなくなった。
余計なことは知らない方がいいと、関わらない方が自分のためなのだと町の人間は考えることにした。
町の人間は口々に言う。
「私は何も知らぬ。知らぬことは、罪にならぬのだ」
住職は言う。
「私は知っている。知っていることは罪ではないが、罪深いことをしているのは間違いない。しかしそうしないとこの町では生きてはいけぬのだ」
住職という立場を考えると清太郎にも彼の苦悩は理解できた。
だからといって何もしてやれることはなく、ここであったことについては絶対に口外しないと言ってから寺を出た。
そしてもうこの町へとは二度と来ることはないだろうと思いながら、清太郎はA町を離れたのだった。
清太郎は今も全国を旅しながら写真を撮り続けていた。
彼の懐には常に一枚の写真があり、それには海を背景に桜の花の柄の振袖を着た若い娘が写っている。
最初の写真は警官に破かれてしまったが、寺に納めて供養してもらうつもりで二枚目を現像してみると芳野は穏やかな海を背景にして静かに微笑んでいる姿になっていた。
彼女の姿が変わったのは、自分のことを清太郎に聞いてもらって満足したからなのかもしれない。
そしてそれを寺に預けることはやめてずっと持ち歩いていたのだ。
「ほら、見てごらん」
清太郎は写真をシャツのポケットから取り出して言う。
「オレもこんなにきれいな花畑を見るのは初めてだ」
彼の目の前には紅花畑が広がっている。
「この鮮やかな色を写真に残せないのは残念だが、オレの目にはしっかりと焼き付いている。キミにも見えるかい?」
すると心なしか芳野は喜んでいるように見えたのだった。