FINAL FANTASYⅦ〜怪しい薬屋〜   作:薬師丸

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第2話 帰りを待つ夜

 

 セブンスヘブンは、その夜も賑わっていた。

 

 店内には客たちの笑い声が重なり、グラスが触れ合うたびに澄んだ音が響く。厨房からは油のはねる音とともに、焼いた肉の香ばしい匂いが漂っていた。

 開け放たれた扉から入り込む夜風が、酒と料理の匂いをわずかに揺らす。

 カウンターの向こうではティファが手際よく注文をさばき、シオンは出来上がった料理を運びながら、店内の様子に目を配っていた。

 

「シオン、そっちの注文お願い!」

 

「はいはァい、ただいまァ」

 

 シオンはカウンターに置かれたグラスを取り、待っていた客の前へ滑らせた。

 

「お待たせしましたァ。ごゆっくりどうゾ」

 

「おう、ありがとな!」

 

 常連客の笑顔に、シオンもいつもの調子で微笑み返す。

 仕事帰りの客たちは思い思いに酒を楽しみ、隣の席からは今日あった出来事を大げさに語る声が聞こえていた。

 いつもと変わらない、セブンスヘブンの夜。

 

 ただ、ティファは時折、入口へ視線を向けていた。

 

「……ティファちゃん」

 

「えっ? なに?」

 

「さっきから、ちょっと上の空だヨ?」

 

 シオンがカウンター越しに首を傾げると、ティファは慌てて手元へ視線を戻した。

 

「そ、そんなことないよ」

 

「そうかナァ?」

 

「もう、シオンったら」

 

 困ったように笑いながら、ティファは乾いた布でグラスを磨き始める。

 シオンはその様子を眺めていたが、それ以上は追及しなかった。

 

「んふふ。なら、いいんだけどネェ」

 

 ティファも小さく笑い返したものの、胸の奥に残る落ち着かなさは消えなかった。

 

 クラウド。

 

 久しぶりに再会した幼なじみの顔が、ふと浮かぶ。

 もう一度会えるなんて、思っていなかった。

 懐かしいはずなのに、実際に顔を合わせると、何から話せばいいのかわからなくなってしまう。

 変わらないところもある。

 けれど、昔の記憶とどこか噛み合わないような、不思議な感覚もあった。

 それが何なのか、ティファ自身にもまだわからない。

 今はただ、無事に帰ってきてほしかった。

 クラウドも、バレットたちも。

 

 ティファは小さく息を吐き、グラスを棚へ戻した。

 

 そのときだった。

 

 

 

 

 

 チン、と小さな音がした。

 

 

 

 

 

 カウンターに置かれたグラスが、かすかに震えている。

 

「……ん?」

 

 シオンが手元へ目を落とすと、グラスの中の酒に細かな波紋が広がっていた。

 

「おい、今揺れなかったか?」

 

 近くにいた客が、テーブルの上を見下ろした。

 

「ん? そうか?」

 

 別の客が笑いかけた、その瞬間。

 

 

 遠くから、低い轟音が響いた。

 

 

 腹の底を震わせるような重い音が、床を伝って店内へ押し寄せる。

 棚に並んだ酒瓶がかすかに触れ合い、窓ガラスが細かく震えた。

 

「うわっ!」

 

 入口近くの客が思わずテーブルへ手をつき、その拍子にグラスがひとつ床へ落ちた。

 乾いた音を立てて硝子が砕け、こぼれた酒が床板へ広がっていく。

 先ほどまでの笑い声が、ぴたりと途切れた。

 

「……なんだ、今の?」

 

「どっかで爆発でもあったのか?」

 

「いや、ずいぶん遠くから聞こえたぞ……」

 

 客たちは互いの顔を見合わせた。

 誰かが入口へ振り向き、別の誰かが椅子から腰を浮かせる。

 

 シオンも手を止め、音のした方角へ目を向けた。

 

(……魔晄炉の方かナァ)

 

 今夜、壱番魔晄炉へ向かった者たちがいる。

 偶然にしては、あまりにも気になるタイミングだった。

 

「……シオン」

 

 小さな声に振り返ると、ティファがこちらを見ていた。

 磨きかけのグラスを手にしたまま、不安そうに眉を寄せている。

 その視線が何を尋ねているのか、シオンにはすぐにわかった。

 けれど、ここは客のいる酒場だ。

 事情を知らない者たちの前で、迂闊なことを口にするわけにはいかない。

 シオンはいつもの笑みを浮かべ、わずかに肩をすくめた。

 

「……まだ、何とも言えないネェ」

 

「……うん」

 

 ティファは小さく頷いた。

 

 それでも、不安げな表情は晴れなかった。

 

 シオンはそれ以上何も言わず、床に散らばった硝子へ目を向けた。

 

「お怪我はありませんかァ?」

 

「あ、ああ。大丈夫だ」

 

「それならよかった。破片があるから、足元に気をつけてネェ」

 

 近くの客へ声をかけ、シオンは片づけに取りかかった。

 その間にも、店の外は少しずつ騒がしくなっていた。

 

 通りを走る足音。

 誰かを呼び止める声。

 何が起きたのかと尋ね合う人々のざわめきが、開いた扉から流れ込んでくる。

 

「おい、外が騒がしいぞ」

 

「さっきの音と関係あるんじゃないか?」

 

「ちょっと様子を見てくる」

 

 何人かの客が入口へ向かった。

 

 シオンは床の破片を片づけながら、時折、店の外へ視線を向ける。

 遠くで何が起きているのか、ここからは見えない。

 聞こえてくるのも、誰かが誰かから聞いたという曖昧な話ばかりだった。

 ティファも仕事を続けていたが、入口の扉が開くたびに顔を上げていた。

 シオンはその様子に気づいていたものの、何も言わなかった。

 

 今は、確かなことが何ひとつわからない。

 

 ただ、時間だけが過ぎていく。

 

 それから、しばらくして。

 

 壁際のテレビから、短い電子音が鳴った。

 

『番組の途中ですが、緊急速報をお伝えします』

 

 普段の番組が途切れ、画面が切り替わる。

 神羅カンパニーのロゴが映し出されると、店内にいた客たちが一斉に顔を向けた。

 

『神羅カンパニー危機対策本部によりますと、先ほど壱番魔晄炉が何者かによる攻撃を受け、爆破されました』

 

 アナウンサーの声が、静まり返った店内へ響く。

 

『現場では現在も火災が続いており、壱番街および八番街の一部では警戒が呼びかけられています』

 

『周辺地域の皆様は、今後の神羅カンパニーからの発表にご注意ください』

 

「……壱番魔晄炉?」

 

 誰かが呟いた。

 

「おい、さっきの音って……」

 

「魔晄炉が爆発したっていうのか?」

 

「そんな馬鹿な……」

 

 客たちのざわめきが広がっていく。

 

 ティファは磨いていたグラスを静かに置いた。

 

 壱番魔晄炉。

 

 その名前を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 バレットたちは、そこへ向かった。

 クラウドも一緒に。

 ティファは無意識に手元の布を握りしめていた。

 

 その隣で、シオンは黙ってテレビを見つめている。

 

 やがて画面が切り替わり、爆発現場周辺の映像が映し出された。

 黒煙が立ち上り、崩れた構造物の間で炎が揺れている。

 瓦礫が散乱した通路や破損した設備。周辺にも広がっているらしい被害の跡が、映像の中に次々と現れる。

 

「…………」

 

 シオンの目が、すっと細められた。

 

(……おかしい)

 

 以前、ジェシーと爆薬の威力について計算したことがあった。

 使用する爆薬の性質や量、設置する場所によって生じる影響。

 いくつかの条件を変え、慎重に計算を重ねたことを覚えている。

 だが、画面に映る被害は、その想定を明らかに超えていた。

 

(……あの程度の量で、ここまで?)

 

 シオンは眼鏡の奥で目を細めた。

 

 魔晄炉内部に存在する高濃度の魔晄。

 その一部が気化していた可能性まで考慮すれば、爆発の規模が大きくなること自体は不思議ではない。

 しかし、それでも何かが合わない。

 

(……魔晄の影響か。それとも……)

 

 そこで思考を止めた。

 映像だけでは、実際に何が起きたのか判断できない。

 爆発の正確な位置も、現場の状況もわからない。

 今はまだ、答えを出すには材料が足りなかった。

 

「……妙だネェ」

 

 誰にも聞こえないほど、小さく呟く。

 

 ティファが隣で息を呑む気配がした。

 

 シオンはそっと視線を向ける。

 テレビを見つめる彼女の顔には、隠しきれない不安が浮かんでいた。

 今、彼女に話すべきことではない。

 爆発の規模がどうであれ、まずは仲間たちが無事に帰ってくることが先だった。

 

 そのとき、店の隅から小さな声が聞こえた。

 

「……ねえ、ティファ」

 

 マリンだった。

 

 いつもなら店内の賑わいにも慣れている少女が、今は椅子の端に座り、落ち着かない様子で入口を見つめている。

 

「どうしたの、マリン?」

 

 ティファがそばへ歩み寄る。

 

「……とうちゃん、まだ帰ってこないの?」

 

 ティファは一瞬、言葉に詰まった。

 

 マリンは、バレットたちが今夜どこへ向かったのか知らない。

 ただ、父親の帰りが遅いことはわかっていた。

 それに、さっきの大きな音。

 店にいた大人たちが急に騒ぎ始め、テレビからは怖いニュースが流れている。

 何が起きているのかわからないからこそ、不安だった。

 

「……とうちゃんも、あの音、聞いたかな?」

 

 マリンは入口へ目を向けた。

 

「怖くなかったかな……」

 

「マリン……」

 

 ティファがしゃがみ込み、マリンの小さな手を握った。

 

「大丈夫。きっと帰ってくるよ」

 

「……ほんと?」

 

「うん」

 

 ティファは優しく微笑んだ。

 

 シオンも二人のそばへ歩み寄り、長い身体を屈めてマリンと目線を合わせる。

 

「んふふ。旦那なら、ちょっとやそっとじゃへこたれないからネェ」

 

「……うん」

 

 マリンは小さく頷いたものの、まだ少し元気がない。

 シオンはその様子を眺め、ふと思いついたように首を傾げた。

 

「そういえばサァ、マリン」

 

「……なあに?」

 

「旦那が帰ってきたら、いっぱいお話ししてあげないとネェ」

 

「お話?」

 

「今日も何か楽しいことがあったんじゃないカァ? 旦那、マリンのお話を聞くのが大好きでしょ?」

 

 マリンは少し考えるように目を伏せた。

 それから、ぱっと顔を上げる。

 

「あっ! 今日ね、ベティの猫と遊んだの!」

 

「おやァ、猫ちゃん?」

 

「うん! 三匹とも白くってね、すっごく可愛いの!」

 

 マリンは両手を広げ、身振りを交えながら話し始めた。

 

「それでね、一匹がぴょーんって跳んでね! もう一匹が追いかけて……!」

 

「へェ、そりゃ賑やかだっただろうネェ」

 

「うん! とっても!」

 

 シオンは楽しそうに頷いた。

 

「んふふ。じゃあ、旦那にも教えてあげないとネェ」

 

「うん! いっぱいお話しする!」

 

 マリンの顔に、ようやく明るい笑顔が戻った。

 ティファもその様子を見て、ほっとしたように微笑む。

 

「ふふっ。バレット、きっと喜ぶね」

 

「うん!」

 

 マリンは元気よく頷いた。

 シオンはその頭をそっと撫でる。

 その指先には、濃い葵色の蛇の刺青が覗いていた。

 

「じゃあ、帰ってきたら忘れずにお話ししようネェ」

 

「うん、約束!」

 

「はいはァい。約束だヨォ」

 

 マリンは今度はティファにも猫の話を始めた。

 シオンは二人の様子を見届けると、静かに立ち上がった。

 

 店内では、まだ緊急速報が続いていた。

 

「被害はどのくらいなんだ?」

 

「神羅は何も説明しないのか?」

 

「……アバランチの仕業なんじゃないかって話もあるぞ」

 

 客たちは不安そうに声を潜め、互いに顔を見合わせている。

 シオンはカウンターへ戻ると、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。

 

「皆さん、ひとまず落ち着いてくださいネェ。まだ詳しいことはわかっていないみたいですかラ」

 

 努めて穏やかな声で呼びかける。

 

「続報が入れば、こちらでも確認しますヨ。ひとまず、お怪我がなければ何よりです」

 

 その言葉に、客たちも少しずつ落ち着きを取り戻していった。

 シオンは片づけた硝子の破片が残っていないか床を確かめ、こぼれた酒を拭き取る。

 ティファもマリンにひと声かけてから、店の仕事へ戻ってきた。

 

「ティファちゃん、棚の方は大丈夫だった?」

 

「うん。こっちは平気みたい」

 

「そっカァ。よかった」

 

 短い会話を交わし、二人はそれぞれの仕事へ戻る。

 

 けれど、いつもの賑やかさは戻らなかった。

 テレビから流れるニュースに耳を傾けながら、客たちは少しずつ店を後にしていく。

 残った客も、先ほどまでのように大きな声で笑うことはなかった。

 

 シオンは空いたテーブルを拭き、使い終えた皿を重ねていく。

 ティファはカウンターの奥でグラスを磨いていた。

 何度か入口の扉が開いたが、入ってくるのは通りの騒ぎを気にする常連客ばかりだった。

 

 そのたびに、ティファの視線がわずかに動く。

 シオンはそれに気づいていた。

 けれど、今は何も言わなかった。

 

 やがて、店内の時計が静かに時を刻む音が聞こえるようになった。

 シオンは磨き終えたグラスを棚へ戻し、入口へ目を向ける。

 扉の向こうでは、夜のざわめきがまだ続いていた。

 マリンは時折、父親が帰ってこないかと外を気にしている。

 ティファも、何度目かになる入口への視線をそっと手元へ戻した。

 

 シオンは二人の姿を眺め、静かに息を吐いた。

 

 今はただ、帰ってくるのを待つしかない。

 いつもと変わらない店の明かりを灯したまま。

 

 まだ、誰も帰ってこなかった。




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