セブンスヘブンの壁際では、テレビが壱番魔晄炉の爆発を繰り返し報じていた。
先ほどまで客の声で賑わっていた店内も、今はすっかり静まり返っている。最後の常連客が帰ってから、どれほど経っただろうか。
残っているのは、シオンとティファ、それからマリンだけだった。
カウンターの内側でグラスを磨きながら、シオンは何度も入口へ目を向けるティファの姿を眺めていた。
彼女が何を気にしているのか、聞くまでもない。
「……ティファちゃん」
「えっ、なに?」
「こっちは僕が見てるからサァ、少し外の空気でも吸ってきたらどうかナァ?」
「でも、まだ片づけが……」
「急ぐものでもないでしょウ? 僕だって、たまには真面目に働きますヨ」
シオンが大げさに胸へ手を当てると、ティファは思わず笑った。
「ふふっ。たまにじゃなくて、いつも真面目に働いてくれたら助かるんだけど」
「おやァ、ずいぶんと信用がないネェ」
肩をすくめるシオンに、ティファはもう一度小さく笑う。
けれど、その視線はすぐに入口へ戻ってしまった。
シオンはそれを見て、今度は店の隅へ顔を向けた。
「マリンも一緒にどうだイ? ずっと店の中にいるのも退屈だろうしサ」
「えっ、外に行ってもいいの?」
「もちろん。ティファちゃんと一緒にネェ」
マリンは嬉しそうに椅子から降りた。
ティファはそんな彼女の手を取り、シオンへ振り返る。
「……ありがとう、シオン。少し行ってくるね」
「はいはァい。こっちは任せておきなさイ」
二人を見送ると、シオンは再びカウンターへ戻った。
扉が閉まり、外のざわめきが遠のく。
店内には、テレビの声と時計の針が刻む音だけが残された。
シオンは磨き終えたグラスを棚へ戻し、カウンターの端に置いてあった煙草へ手を伸ばした。
一本を取り出し、火をつける。
細い煙がゆっくりと立ち上り、天井へ向かって揺れた。
画面には、壱番魔晄炉周辺の映像が映し出されている。
黒煙に覆われた建物。崩れた通路。瓦礫の間に揺れる小さな炎。
シオンは煙草を指に挟んだまま、その光景を眺めた。
(……やっぱり、おかしいネェ)
ジェシーと何度も確かめた爆薬の計算。
少なくとも、あの条件でこれほど広範囲に被害が及ぶとは考えにくい。
魔晄炉に蓄えられた魔晄が影響したのだろうか。
それにしても、計算が合わない。
シオンは眼鏡の奥で目を細め、ゆっくりと煙を吐き出した。
現場を見たわけでもない以上、今ここで結論を出すことはできない。
「……ま、考えても仕方ないかナァ」
灰皿に灰を落とす。
もっとも、妙だと感じたことを忘れるつもりもなかった。
シオンはテレビから目を離し、カウンターに置かれた布を手に取った。
今夜はまず、あの騒がしい面々が無事に帰ってくることを願うしかない。
*
店の外では、ティファとマリンが階段に並んで腰を下ろしていた。
夜の七番街には、人々の話し声や機械の駆動音が絶えず響いている。
壱番魔晄炉の爆発について話しているらしい人影も、通りのあちこちに見えた。
マリンはティファの隣で足を揺らしながら、何度も通りの向こうを見つめていた。
「……とうちゃん、まだかな」
「そうだね。もう少しかかるのかもしれないね」
「今日は、いっぱいお話しするって決めたの」
「ふふっ。猫ちゃんのこと?」
「うん! とうちゃん、びっくりするかな?」
「きっとするよ」
ティファが微笑むと、マリンも少しだけ笑った。
それから、再び通りへ目を向ける。
その視線の先に、見慣れた大きな影が現れた。
片腕の大きな男が、人々の間を抜けてこちらへ歩いてくる。
マリンは勢いよく立ち上がった。
「……とうちゃん!」
小さな身体が階段を駆け下りていく。
バレットが娘に気づき、足を止めた。
「おお、マリン!」
「おかえり!」
「おう! ただいま!」
バレットがマリンを抱き上げると、彼女はその首へぎゅっと腕を回した。
ティファはその光景を見て、ようやく胸の奥に溜まっていた息を吐き出した。
無事だった。
少なくとも、こうして顔を見ることができた。
バレットの後ろには、クラウドたちの姿もあった。
ティファは金髪の青年へ目を向ける。
彼もまた、こちらを見ていた。
「……クラウド」
「ティファ」
短く名前を呼び合う。
それだけのことなのに、胸の奥に残っていた緊張が少しだけ和らいだ。
クラウドは何かを思い出したように手元へ視線を落とし、懐から一輪の花を取り出した。
鮮やかな黄色い花だった。
「……これ、私に?」
「ああ」
ティファは目を瞬かせた。
まさか彼が花を持って帰ってくるとは思ってもいなかった。
差し出された花と、その持ち主を交互に見つめる。
「……なんだか、昔のクラウドと違うみたい」
思わず零れた言葉に、クラウドはわずかに眉を動かした。
「……5年も経ってるんだ。変わりもするだろ」
「……5年」
ティファはその言葉を小さく繰り返した。
そう。もう、それだけの月日が流れている。
昔のままでいる方が、きっと難しい。
それなのに、なぜだろう。
目の前にいる彼を懐かしく思うほど、胸の奥に小さな引っかかりが残る。
けれど、今はそれを確かめるときではなかった。
ティファは花を受け取り、そっと指先で花弁に触れた。
「……ありがとう。大切にするね」
クラウドは短く頷いた。
その様子に、ティファの口元がわずかに緩む。
花がどこから来たのかは、まだ聞かなかった。
今夜は、みんなが帰ってきてくれた。
それだけで十分だった。
*
「シオン! とうちゃん帰ってきたよ!」
扉が開くなり、マリンの明るい声が響いた。
カウンターの向こうでシオンが振り返る。
「おやァ。そりゃよかったネェ」
いつもの調子で微笑む彼の口元には、まだ煙草がくわえられていた。
マリンの足が、ぴたりと止まる。
「……あっ!」
「ん?」
「シオン! また吸ってる!」
「……おやァ?」
マリンはカウンターへ駆け寄り、小さな指を突きつけた。
「もー! 煙草は身体に悪いんだから!」
「いやァ、でもネェ……」
「先生が言ってたもん! いっぱい吸うと、病気になっちゃうんだよ!」
「おやおや。学校の先生には敵わないネェ」
「シオンが病気になったら、マリンやだ!」
その言葉に、シオンは一瞬だけ目を瞬かせた。
それから、困ったように微笑む。
「……それは困ったネェ」
「だから、もう吸わないで!」
「はいはい。わかりましたヨ」
シオンは煙草を灰皿へ押しつけた。
小さな赤い火が消え、最後の煙が細く立ち上る。
「ほら。消しましたヨ、お嬢様」
「ちゃんと消した?」
「このとおり」
マリンは背伸びをして灰皿を覗き込み、満足そうに頷いた。
「うん!」
その様子を見ていたバレットが、大きな声で笑った。
「ハッハッハ! やるじゃねえか、マリン!」
「とうちゃん!」
「こいつはな、俺が何言ったって聞きやしねえんだ。よく言ってやった!」
「おやァ、旦那。僕はいつだって人の話を聞いてますヨ?」
「聞いた上で屁理屈こねるんだろうが!」
「んふふ。それも立派な会話じゃないかネェ」
「オメェなぁ……!」
シオンが涼しい顔で眼鏡を直す。
バレットは呆れたように鼻を鳴らした。
そのやり取りが可笑しかったのか、マリンはくすくす笑っている。
ティファも、ようやく肩の力が抜けたようだった。
「もう、二人とも。帰ってきたばかりなんだから」
「おやァ。僕は旦那を温かく迎えているだけですヨ」
「どこがだ!」
バレットの大声が店内に響く。
「んふふ。ほら、元気そうで何よりじゃないか」
「てめえ……!」
シオンは楽しそうに笑った。
その様子を、クラウドは少し離れたところから眺めていた。
さっきまで張り詰めていた店の空気が、いつの間にか柔らかくなっている。
マリンの笑い声。
ティファの穏やかな表情。
それから、バレットの怒鳴り声に、まるで気にも留めず笑い返すシオン。
クラウドは一度、壁際のテレビへ目をやった。
画面の中では、今も壱番魔晄炉から黒煙が立ち上っている。
だが、店内ではもう別の会話が始まっていた。
クラウド自身にも、確認しておかなければならないことがある。
今夜の仕事の報酬だ。
彼がバレットにその話を持ちかけると、途端に相手の顔が渋くなった。
どうやら、すんなりとは話が進まないらしい。
少し離れたところで、シオンが肩をすくめた。
「おやおや。旦那、帰って早々忙しいネェ」
「誰のせいだと思ってやがる!」
「さァ? 僕にはさっぱり」
「オメェなぁ!」
バレットが振り返り、シオンを睨む。
シオンは悪びれもせず、くすくす笑っていたそしてクラウドに視線を配りながら話す。
「んふふ。クラウド君、旦那のお世話は、ほんと大変だったでしょウ?」
「てめえ! どういう意味だよ!?」
「おやァ? 聞こえたとおりだけどネェ」
その笑い声が、妙に耳へ残った。
――次の瞬間。
「……っ!」
クラウドのこめかみに、鋭い痛みが走った。
視界が揺れる。
店内の灯りが滲み、聞こえていた声が急速に遠ざかっていった。
バレットの怒鳴り声も、マリンの笑い声も、遠い水の底へ沈んでいく。
代わりに、耳の奥でざらついた音が膨れ上がった。
――ノイズ。
黒く塗り潰されたような視界の向こうで、誰かが笑っている。
『ふふ、お疲れ様だね。――――の世話、大変だったでしょ?』
聞き覚えのあるような、柔らかな声。
つい先ほどまで聞いていた声と、どこか似ていた。
けれど、何かが違う。
『おい! ――――、どういう意味だよ!?』
別の声が重なる。
若い男の声だった。
怒鳴っているのに、どこか楽しそうで。
そのやり取りが当たり前のように繰り返されていたことを思わせる、不思議な親しさがあった。
誰かが笑う。
誰かが文句を言い返す。
遠い場所で交わされたはずの会話が、まるで今、目の前で繰り返されているかのようだった。
だが、姿は見えない。
黒いノイズが輪郭を隠し、声だけが断片的に響いている。
――誰だ?
問いかけようとした瞬間、視界が大きく歪んだ。
「……クラウド?」
ティファの声が聞こえた。
顔を上げると、そこにはいつものセブンスヘブンがあった。
カウンターの灯り。
並んだグラス。
心配そうにこちらを覗き込むティファ。
「どうしたの? 顔色、悪いよ」
「……いや」
クラウドはこめかみに手を当てた。
痛みは徐々に引いていく。
だが、耳の奥には先ほどの声がかすかに残っていた。
何だったのか。
考えようとすると、その輪郭はするりと消えてしまう。
「ちょっと頭が痛んだだけだ」
「大丈夫? 無理してない?」
「ああ。平気だ」
言葉とは裏腹に、クラウドの顔には疲労の色が浮かんでいた。
バレットも眉をひそめる。
「おい、無理すんなよ」
「……問題ない」
シオンはカウンターの向こうから、黙ってクラウドの様子を見ていた。
色付きの丸眼鏡の奥で、琥珀色の瞳がわずかに細められる。
けれど、彼は騒ぎ立てることなく、いつもの柔らかな声で口を開いた。
「……魔晄炉へ行ってきたんでしょウ? 疲れも溜まってるんじゃないかナァ」
クラウドが顔を向ける。
「少し休んだ方がいいヨォ。無理して倒れられても困るからネェ」
「……ああ」
シオンは小さく頷くと、ティファへ視線を移した。
「ティファちゃん。クラウド君の部屋、案内してあげたらどうだイ?」
「あ……そうだね」
ティファはクラウドへ向き直る。
「行こう、クラウド。部屋まで案内するよ」
「……わかった」
クラウドは短く答え、立ち上がった。
「シオン、あとはお願いね」
「はいはい。任せておきなヨ」
二人は入口へ向かう。
扉をくぐる直前、クラウドはふと足を止めた。
振り返る。
カウンターの向こうで、シオンが使い終えたグラスを片づけていた。
藍黒色の長い髪。
色付きの丸眼鏡。
白い手の甲に覗く、蛇の刺青。
つい先ほど聞こえた声が、再び頭の奥を掠めた気がした。
だが、思い出せない。
「……クラウド?」
ティファに呼ばれ、クラウドは視線を戻した。
「いや、何でもない」
そう答えて、彼女のあとに続いた。
扉が閉まる。
セブンスヘブンには、シオンとバレット、それからマリンが残された。
マリンはバレットの服の裾を掴み、父親の顔を見上げている。
「……とうちゃん、クラウド大丈夫かな?」
「ん? ああ。ちょっと疲れてるだけだろ」
そう答えながらも、バレットは閉じた扉へ目を向けた。
シオンはグラスを棚へ戻す。
「今夜はいろいろあったみたいだしネェ。休めば少しは楽になるんじゃないかナァ」
「……そうだな」
バレットが呟く。
シオンは曖昧に微笑んだ。
ひと晩の出来事で、人の表情はずいぶん変わるものだ。
無事に帰ってきた者たちも、それを待っていた者たちも。
シオンは指先に残った水滴を布で拭い、磨き終えたグラスを棚へ戻した。
テレビの画面には、相変わらず壱番魔晄炉の黒煙が映っている。
帰ってきた者たちの無事を確かめ、ようやく安堵できたはずの夜。
それでも、胸の奥に残る小さな違和感までは消えてくれなかった。
扉の向こうでは、七番街の夜がいつもどおりに続いている。
あの笑い声が、クラウドの中で何を呼び覚ましたのか。
その答えを知る者は、まだいなかった。
原作とは台詞が若干違うのは規制に引っかからないようになのであしからず汗
これどこまでがラインかまだわかってないので・・・汗
さぁ、クラウドもバレットも登場させました
次回のストックもあるので早めに投稿できるように頑張ります