バイオパンク・ヴィラン ~金と家の名前で好き勝手する、兵器王のドラ息子~ 作:泥酔ネコ
「妹を返せッ! レオン・アッシュクロフト!!」
なるほど。
これが噂に聞く、正義の味方というやつか!
夜中の一時、下の騒ぎがあんまりうるさいので、二本目の葡萄酒のグラスを片手に、三階の寝室から玄関まで降りて来てやった。
四角い顎の護衛頭が一人、黙って僕の後ろに付いて降りて来る。
玄関の階段を半分降りた踊り場から見下ろすと、扉が蝶番ごと広間の床に倒れている。
倒れた扉の上に男女が四人並んで立っている。
先頭は二十歳そこそこの若い男だ。
煤けた外套の右袖を肩まで千切って、黒光りする
その後ろに長い猟銃を構えた痩せた女。
猟銃の筒先が、壁際に並んだ僕の護衛の胸を端から一人ずつ順になぞっていて、そのせいで護衛どもは壁から背中を離せずにいる。
背骨に沿って金具をいくつも埋め込んだ、天井に頭がつかえそうな大男。それから、医者の鞄を胸に抱えた、まだ子供みたいな顔の小娘。
薄汚い入れ物どもが、僕の家の扉を土足で踏みつけている。
実に素晴らしい。
前の世界でさんざん読まされた話そのままだ。
貧しい長屋の生まれ。奪われた家族。志を同じくする仲間たち。そして権力者に立ち向かう勇気。
どこからどう見てもあっちが主人公だ。
そして僕はどうやら悪役らしい。
それにしても馬鹿な連中だ。
この街で僕に挑むなんて。
今夜この家で何が起きても、明日の朝の新聞には、兵器王の次男の家に賊が押し入った、としか載らない。
勝っても負けてもこいつらの名前の横に付くのは賊の一字だけだ。
喧嘩というのは勝ったあとのことまで考えてから売るものだ。
勝ったあとのことを何も考えずに売る喧嘩のほうを、世の中ではなぜか勇気と呼んで、拍手までして褒めてやるらしい。
「降りて来たな、アッシュクロフト」
若い男が踊り場の僕を下から睨み上げる。
夜中に人の家の扉を叩き壊しておいて、まるでこっちが呼びつけられたような言い草だ。
「そりゃ降りて来るさ。自分の家だからな。……で、その扉の代金は、誰が払うんだ?」
「扉の代わりなら、あんたの家の金で何枚でも買えるだろ。妹の代わりは、どこにも売ってないんだよ」
間髪を入れずに言い返して来る。
口の回る正義の味方とはなかなか面倒な物を引き当てたものだ。
さっきまでのように怒鳴ってはいない。
声を落として広間の護衛の数と、僕の後ろの護衛頭と、踊り場までの高さを、順に目で数えている。怒鳴るしか能の無い馬鹿ではないらしい。
「門の電話の線は切った。叔父さんの見回りの車が門の前を通るのは、四十分あとだ。妹を返せ。今返せば、これ以上は誰も死なずに済む」
「これ以上?」
「あんたの犬が一匹、三階の窓辺で死んでるはずだ」
「……見張りの者が一人、やられました、若様。三階の窓で、土手から一発です」
後ろで護衛頭が低い声で言い添える。眉一つ動かさないのが、いかにもこの男らしい。
ああ、カードの手品の若いのか。
夕方、僕の上着のポケットから勝手にカードを出してみせて、ほかの護衛どもに囃されながら得意げに鼻をこすっていた男だ。
まあいい。
カードの手品なら、明日、港で別の奴を雇えばいい。
金で雇った犬が死ぬのは給金のうちで、給金を払っている僕が泣いてやる筋は無い。
「妹は、あんたに一言返事をしただけだ。あんたに恥をかかせたって言うなら、俺が代わりに頭を下げてやる。だから、返せ」
「嫌だよ」
「……何だと」
「嫌だって言ったんだ。欲しいから連れて来たんだ。返す理由がどこにある」
若い男の顔が広間のランプの明かりの中で見る見るうちに赤くなる。
ああ、楽しい。
頭の回る男が頭の回らない答えにぶつかって顔を赤くするのを見るのは、何よりの楽しみだ!
知ったことか、ドブ板育ちの間抜けが。
頼まれたからといって欲しい物を手放す金持ちなど、この世のどこにもいない。
「ねえ、もう帰ろうよ……! 護衛が、多すぎるよ……!」
鞄の小娘が若い男の外套の裾を泣きそうな顔で引っ張る。
若い男はその手をそっと外して、今度は壁際の護衛たちに向かって声を張り上げた。
「おい、雇われども! 今夜ここで死んでも、そいつは葬式にも来ないぞ! 給金のために死ぬ馬鹿がどこにいる!」
「うるせえ! 給金の分は働くんだよ!」
「死んだ奴の分も、上乗せしてもらうんだからな!」
壁際から、護衛たちの品の無い怒鳴り声が返って来る。
雇われの荒くれに正論を説いて寝返らせようとは、頭は回っても、金で動く人間のことはまるで分かっていないらしい。
あの女を見かけたのは九月の終わりの夕方だった。
行きつけの夜の店へ向かう車の窓越しに、渡し場から上がって来た人波の中のあの女が見えた。
顔も首の細さも何もかもがどうしようもなく僕の好みだった。
だから車を降りて声を掛けた。
女は僕の顔と道端に停めた赤い車を見比べて、人波に聞こえる声で言ったのだ。
『車から声をかけてくる男に、ろくなのはいないって。兄さんの言うとおりだったわ』
人波の工員どもが腹を抱えて笑った。
だから攫って来た。
欲しい物を欲しいと言って、それで手に入らないなら、手に入る方法で手に入れるだけだ。
金持ちは昔からずっとそうやって世の中を回してきたし、世の中もそれで回ってきた。僕だけが遠慮してやる理由は、どこにも無い。
若い男が倒れた扉の上から一歩、階段のほうへ踏み出した。
「若様、お下がりを」
「大丈夫大丈夫」
僕は護衛頭の脇から一歩前へ出て、グラスを持ったまま、顎で広間をしゃくってやる。
「はーい」
手すりの上にいつの間にか黒い髪の娘がしゃがんでいて、僕の声を待っていたように顔を上げた。
寝間着の上に外套を羽織って、拳銃を一丁、指でくるくる回している。
さっきから手すりの上で下の四人を、解体場で骨の付き方を確かめるときの目で眺めていたのだ。
あの男は、護衛の数も踊り場の高さも数えたくせに、手すりの上の娘だけは数に入れていなかった。
賢い奴ほど、一番危ない物を見落とす。それを上から眺めているのが、たまらなく気分がいい。
「先頭の人の右腕、物はいいけど、繋ぎ目の縫い方が雑。闇の医者のだね。猟銃の人は、引き金の指がさっきから震えてる。大きい人は、背中の金具の継ぎ目が三つ。……誰から壊す?」
「好きな順でいい。楽しめ」
「あはっ! わかった!」
「やれ」
黒い髪の娘は手すりを蹴って下の四人の真ん中へ、楽しそうに飛び込んでいった。
猟銃が一度だけ鳴って天井のシャンデリアの硝子が一枚砕けた。
あとは早かった!
「来るなっ……! 来るなって言って——」
猟銃の銃身が飴みたいに曲がる音がする。さっきまで僕の護衛の胸をなぞっていた筒先が、もう天井しか向いていない。
「遅い遅い! さっきまで偉そうに、みんなの胸をなぞってたくせに!」
黒い髪の娘の笑い声がシャンデリアの下で弾む。あの娘は、人の骨を折っているときが一番いい声で笑うのだ。
「てめえ、ガキのくせに……ぐ、あっ!」
大男の背中の金具が外れる音。天井につかえそうだった図体が、荷を落とした起重機みたいに膝から崩れていく。
「いや、いやぁっ!」
医者の鞄が床に落ちて、中身がばらばらと散らばる音。包帯の巻きが一つ、白い尾を引いてほどけながら石の床を転がって来て、踊り場の下の段に当たってようやく止まる。
「離れろ! そいつから離れ——がっ……!」
若い男の黒い右腕が肘のところで、ありえない向きに曲がる音。よく回る口がやっと黙って、僕は思わず口笛を吹きたくなった。
広間の壁際の護衛たちが誰一人として壁から背中を離さないうちに、四人とも、さっき自分たちが叩き壊した扉の上に転がっている。
黒い髪の娘は息一つ乱さずに倒れた大男の背中に腰を下ろした。
「終わったよ、レオン」
ここで調子に乗らずに、いつ乗るというのか。
僕はグラスを手すりに置いて、広間へ降りていく。
勝った側が負けた側へ降りていくときの足音は、どうしてこうも気持ちがいいのだろう。
「ぐ……うぅ……っ……!」
床の若い男が肘から妙な向きに折れた右腕を抱えたまま、食いしばった歯の隙間から苦しそうな声を漏らしている。電話の線だの四十分だのと、得意げに並べていた時の顔はもうどこにも無い。
「どうした? その程度で挑んできたのか?」
床の四人からは、呻き声しか返って来ない。まともに口がきけないように、あの娘が丁寧にのしてやったのだから当たり前だ。
「……ちく、しょう……ガキ一人に、四人がかりで……」
大男が黒い髪の娘の尻の下で、潰れた蛙みたいな声を絞り出す。背中の金具を自慢にして暴れ回っていたあの図体で、娘一人の椅子にされているのだから、さぞかし悔しくてたまらないことだろう。
「ねえ、あたしのことガキだってさ」
黒い髪の娘が大男の背中の上で、わざとらしく頬を膨らませて僕を見上げる。怒っている顔ではない。僕に何か言わせたい顔だ。
「見る目のないやつだ。所詮は長屋の無能だな」
黒い髪の娘はふふんと鼻を鳴らして、また楽しそうに床の四人を見下ろした。
機嫌のいい晩のこいつほどよく働く護衛はこの街のどこにもいないのだから、機嫌を取っておいて損をしたことは一度も無い。
倒れた扉の上の四人を一人ずつ見下ろしてやる。
曲がった猟銃を抱えて呻く女と、背中を押さえて動けない大男。散らばった包帯の中で泣いている鞄の小娘。
それから、右腕を抱えて這いつくばっている、正義の味方。
「得意げに電話線を切ったとか話してたよな! 見回りが来るまで四十分だったか!?」
床の若い男の頭の上から、腹の底からありったけの声を浴びせてやる!
「その四十分で何をするつもりだったんだ!? たった一分で床とお友達か!?」
「あんた……いつか、この手で撃ち殺してやる……」
曲がった猟銃を抱えた女が、床から呻く。
目だけはまだ、僕の喉元に狙いを付けているつもりらしい!
「その猟銃でか? 曲がってるぞ。撃ったら、お前の顔に弾が返って来る」
「レオン、大きい人がまだ動いてるよ」
「放っとけ。背中の金具が外れたら、ただの重たい肉の袋だ」
「ははっ、違えねえ! ただの重たい肉の袋だとよ!」
壁際の護衛たちがげらげらと手を叩いて笑う。
夜中の広間に品の無い笑い声が、気持ちよく反響する。
ガウンのポケットを探ると、折り目のついた紙幣が一枚、指に触れた。
指先でつまんで、ひょいと放る。
紙幣はランプの明かりの中をふわりと舞って、床に伏せた若い男の血の滲んだ鼻先の、ほんの指一本ぶん手前に落ちる。
「ひゅう! 若様、俺らにも一枚くださいよ!」
壁際の護衛の誰かが、口笛まじりに調子よく囃し立てる。
「拾え。帰りの艀代だ。お前らの勇気に免じて、特別に恵んでやる。四人で一枚だ。仲良く分けろ」
豚には豚の餌の拾い方があると思ったのに、若い男は紙幣を見もしなかった。
左腕一本で床を押して、ゆっくりと体を起こしていく。
額から血を流して折れた右腕をぶら下げて、それでも膝を立てて、僕の顔をまっすぐに見上げる。
「……妹は、必ず取り返す。今夜が駄目なら明日、明日が駄目なら来月だ。あんたがこの家にいる限り、何度でも来てやる」
しぶとい野郎だ、クソったれ。
負けて床を這わされたくせに、まだこっちを睨んでいる、腹の立つ目だった。
負けたくせに負けたと思っていない目だ。
何度でも来る、と言ったら本当に来る、と顔に書いてある。こういう目をした奴に限って、いつの間にか長屋の連中を百人も集めて、何年か経つと新聞に名前が載ったりするのだ。
鼻で笑いかけて、やめた。
何度でも来られたら、さすがに面倒だ。
面倒な物は面倒になる前に片づけるに限る。金持ちが金持ちのままでいられるのは、面倒の芽を、芽のうちに摘んでおくからだ。
「おい」
「なあに、レオン」
黒い髪の娘は大男の背中に腰掛けたまま、拳銃をくるりと回して、楽しそうに首を傾げた。
僕が何を言うか、とっくに分かっている顔だ。
「若様、それは……」
後ろで護衛頭が何か言いかけた。
いつも真面目くさったこの男にしては珍しく、困ったような顔をしている。
「黙ってろ。お前の仕事じゃない。……そいつを撃て」
「どこ撃つ? 右の膝? 左の肩? それとも、もう起き上がれなくなる所?」
「二度と歯向かってこれないようにしろ」
「はーい!」
黒い髪の娘は新しい玩具を買ってもらった子供のように嬉しそうな顔で、寝間着の袖から伸びた白い腕で拳銃を持ち上げた。
若い男が膝を立てたまま、銃口をまっすぐに見返す。
最後まで腹の立つ目を逸らそうとはしなかった。
「……妹に、伝えてくれ。兄さんは、ちゃんと迎えに来たって」
死ぬ時の台詞まで主人公かよ。
僕は若い男に背を向けた。
わざわざ汚い物を見て、せっかくの晩の気分を悪くすることも無い。
「言えたら言う」
肩越しに手をひらひら振って、僕は寝室へ戻ろうと歩き出す。
銃声が響いた。
鞄の小娘の悲鳴が玄関の広間の高い天井に跳ね返って、銃声と一緒に尾を引いて消えていく。
硝煙の匂いが、背中まで薄く漂って来る。
空の薬莢が一つ、石の床の上をからからと転がって、背中の向こうで、倒れた扉の縁に当たって止まる音がした。