転生したら兵器王の次男だったので、二度目の人生は好き勝手に生きます~金持ちのクズになった僕は今日も楽しい。なお、周囲の人間は僕以上に倫理観が終わっている模様~ 作:泥酔ネコ
歳は三十四。
試験に通れば給料が月に三百ダル上がる。上がったらパン屋の二階の部屋を出るつもりだ。
朝の四時から下の窯が焚かれて、部屋じゅうが焼けたパンの匂いになるのだ。
女房はいい匂いじゃないのと笑うが、八年も毎朝嗅がされていれば、パンの匂いで目が覚めるのは拷問と変わらない。
「分隊長、また寝てますよ。それ、三晩続けて同じ頁です」
向かいの長椅子でトミー・リースが、野球の記事の載った新聞から顔を上げて面白そうに笑う。
二十三で、この春に分隊へ回されてきたばかりの一番若い警官だ。
「寝てない。考えてるんだ」
「何をです?」
「お前の給料から、どうやって俺の試験の参考書代を出させるか、だ」
長椅子の向こうで古株のマッコイが馬鹿にしたように鼻を鳴らし、オルセンがトランプを切る手を止めて楽しそうに笑った。
退屈な当番の晩のいつもの軽口だ。
残りのブレナンとカーヴァーは隅の机で、昨夜の当番の書きつけを写している。
分隊で一番字のきれいなブレナンが書き、カーヴァーが横から噛み煙草の臭い息で読み上げる。それがこの二人の決まりだった。
当番部屋の奥の硝子戸の向こうでは、温めた薄い液を張った槽が六つ並び、六着の
骨には
力は人の二倍しか出ない。それでも古い型のわりに丈夫なので、国じゅうの警察と会社の私兵がいまもこの型を一番多く使っている。
もっとも市警の六着は、十年ぶんしっかりくたびれている。
装甲の凹みは叩き出しては塗り直すので、青の上に青が三度重なり、肘や膝の所から剥げかけている。
締め具ががらがらとよく鳴るので、着る者たちはこの型を〈ラトラー〉と呼ぶ。その締め具の革も、会社に頼むと高くつくから本部に出入りの馬具屋が繕っていた。
情けない話だ。
「分隊長。こいつら、毎晩温めてやってるのに、いつ出番があるんです?」
リースが退屈しのぎの冷やかし半分に、槽のほうへ顎をしゃくる。
春から毎晩この槽の番をさせられて、よほど飽き飽きしているらしい。
「眠らせたら最後、温めた液で起こすのに二時間も三時間もかかる。夜中に事が起きたときに寝ていられちゃ困るから、こうして交代で温めてるんだ。もっとも、俺が分隊を預かってからの三年で、六着そろって出たのは二度しか無いがな」
「じゃあ、俺たちは風呂番みたいなもんですね!」
「風呂番のほうが給料はいい」
マッコイが真顔で混ぜ返して、また笑いが起きる。
この古株の冗談は、たいてい半分くらいは本気だ。
「本社の私兵のほうは、売り物にもしない新しい型を着てるそうですね。外套の下で締め具の音もしないって。いいなあ、一度でいいから着てみたいですよ」
リースが新聞を畳みながら、羨ましそうに槽の〈ラトラー〉を眺めた。
どこで仕入れた噂なのか、若い連中はこういう話にだけは耳が早い。
「あっちは会社の金で温めてる。こっちは市の金だ」
マッコイが急に苦々しい顔になる。この話になると、古株はいつも機嫌が悪い。
「市の金ってのはな、坊主。去年頼んだ替えの筋肉の束が、今年になってもまだ届かねえ金のことだ」
その書類を書いたのはドーランだった。
本部の会計に回すたびに判を押されずに戻ってきて、もう三度目になるその書類を思い出すと、胃のあたりが重くなる。
「表通りも同じさ」
オルセンがカードを配りながら、つまらなそうに口を挟んだ。
「繁華街の見回りは、警備会社が店から金を貰って請け負ってる。こっちに回ってくるのは港の裏の溝と、難民街の路地だけだ。溝に浮いたのを拾うのが市警で、表通りで酔っ払いの帽子を拾ってやるのが警備会社さ」
「でも、うちの巡回の車も、そこの無線も、会社の寄付なんでしょう?」
リースが棚の上の無線の箱を、なんだか得意げに指さす。
箱の横腹に打ちつけた真鍮の札に「寄贈 アッシュクロフト社」と彫ってある。
毎晩見ている札なのに今夜はそれがやけに光って見えて、ドーランは少し面白くなかった。
「だから、会社の物が壊れたときだけ、俺たちにお呼びがかかるのさ」
マッコイの皮肉に、今度は誰も笑わない。
皆、本当のことだと知っているのだ。
「無駄口はそこまでだ。俺が昇進したら、本部の会計に怒鳴り込んで替えの束を出させる。それから真っ先に、お前らの給料を上げてやる!」
「分隊長の昇進で上がるのは、分隊長の給料だけですよ」
リースがすかさず言い返して、当番部屋にようやく笑いが戻った。
言い返されたドーランまで、つい釣られて笑ってしまう。
生意気な小僧め。
当番部屋の電話が鳴ったのは、十時を少し過ぎた頃だった。
棚の無線は黙ったままで、鳴ったのは机の古い電話のほうだ。
ドーランは問題集を閉じて受話器を取った。
本部の通信の係の声は、いつもより一段高い。
「
胃の底がすっと冷たくなる。嫌な名前だ。
「確かか。やられた者は」
「警備会社の二人と、会館の帰還兵が何人か。二人とも、拳銃を二発撃つのがやっとだったそうだ。血がすぐ止まるのも見ている。繁華街の入口の角で警備会社が線を張って、うちの巡回の車も一台向かった。
受話器を置いて振り返ると、分隊の五人はもう立ち上がっていた。
リースが新聞を握ったまま目を輝かせている。初めての本物の出動が、嬉しくてたまらないらしい。
その顔がドーランには少し恐ろしかった。
「分隊長、
「前の大戦で、軍が死にかけの兵に野生のモンスターの手足を入れて、もう一度前線へ送った連中だ。俺も話でしか知らん。力は人の三倍。還れば四倍だ。首の後ろに神経まで通してあって、こっちが引き金を引く前に向こうはもう動いてるって話だ。血は一分と経たずに止まるし、撃たれても痛がらん」
「四倍……。こっちの〈ラトラー〉は二倍ですよ」
「だから、六着で行く。六着で二倍なら、足し算では十二倍だ」
「掛け算じゃなくて、足し算なんですね」
「試験に出るぞ。覚えておけ」
マッコイが喉の奥で笑う。笑い声にいつもの張りが無い。
ドーランは自分の声が思ったより落ち着いているのを聞いて、少しほっとした。
分隊長が震えていれば分隊は震えるのだ。
「警備会社の連中も足せば、もう少し増えますかね」
オルセンがカードを箱にしまいながら、すがるように口を挟んだ。
「足したから線を張ってるんだ。張ってるのに、うちが呼ばれた」
オルセンはそれきり黙った。
誰にでも分かる引き算だ。
「いいか。一人で組むな。三人で一本の手足を押さえろ。機関銃は頭か、膝の繋ぎ目に撃て。胴に撃っても、血が止まるだけだ。撃てる隙が出来たら、迷うな!」
槽から引き上げた
肌着を替え、手首と肘と肩と背と膝に網を当て、筋肉の束と骨組みを体に沿わせて、締め具を一つずつ締めていく。
網が肌に吸いつくひやりとした感じが首筋を走った。
八年着てきても、この最初の一瞬の気味悪さだけはいまだに慣れない。
「オルセン、カードはしまっとけ」
「もうしまいましたよ。リース、さっきの負けの十ダルは帰ってから払えよ」
「帰ったら倍にして取り返しますよ! 昼飯一回ぶんの借りで死んでたまるもんですか」
リースが網を当てた肩を回しながら、威勢よく言い返す。
威勢のいい台詞で怖いのを押し隠しているのだと、ドーランには分かった。八年前の自分も、ちょうどあんな顔をしていた。
「ブレナン、書きつけの続きは」
「明日の朝に書きますよ。カーヴァーの臭い息つきでね」
「臭いのは噛み煙草だ。俺じゃねえ!」
カーヴァーが心外そうに言い返して、二人の間でいつもの小突き合いが始まる。
こんな晩でも決まりを崩さない二人が、ドーランには妙に頼もしかった。
最後に兜をかぶり、毒除けの濾し缶の付いた面当てを顔の前に引く。
顔がすっかり鋼に覆われると、自分の息の音ばかりが耳の中でうるさくなる。
着るのに三分かかり、外套を羽織るのにもう一分かかった。
それから武器棚から
人の手では持ち上げることも出来ない太い銃身の重機関銃を、
一挺はドーランが、もう一挺はマッコイが抱え、残りの四人は一粒弾を込めた散弾銃を持った。
本部の通用口を出ると、中央通りは東へ向かって車で詰まっている。
「走るぞ!」
六人の青い装甲が石畳を蹴った。筋肉の束が一歩ごとに体を前へ放り出す。
外套の裾が翻り、六つの締め具がばらばらの拍子で鳴る。
止まった車の運転席から運転手たちが口を開けてこちらを見ている。
歩道の客が悲鳴を上げて飛びのいた。外套を着た男が六人、車より速く走っていくのだから無理もない。
繁華街が近づくにつれて、逃げてくる人が増えてくる。
帽子を失くした男が青い装甲の六人を見て、走りながら振り返って叫んだ。
「電車だ! 電車がひっくり返った! 警官がみんな、やられてる!」
「みんなって、何人だ!」
ドーランが怒鳴り返したときには、男はもう人の波の中に消えていた。
面当ての中で、すぐ後ろを走るリースの息がひゅっと鳴るのが聞こえる。
「リース、俺から離れるなよ」
「離れません! 分隊長こそ、試験の前に転ばないでくださいよ」
減らず口が叩けるうちは、まだ大丈夫だ。ドーランは面当ての中で少しだけ笑った。
走りながら、ドーランはパン屋の二階の窓を思い浮かべた。
明日の朝も四時に窯が焚かれる。その匂いで目を覚ますのが、今夜はなぜか少しも嫌ではなかった。
◇
車の腹と石畳の間の指三本ほどの隙間で、あの目の光が止まった。
僕は両手で口を塞いだまま息を止めている。止めようと思って止めたのではない。息の吸い方を体が忘れてしまったのだ。
光が車の下の暗がりを、端から端へなぞるように動いていく。
開ききった瞳に街灯の光が溜まって、二つの小さな灯りのように見える。
その灯りの下に口がある。開いた口から湯気と一緒に、甘ったるい生肉の臭いが流れ込んでくる。
見つかるな、見つかるな、見つかるな。頭の中で同じ言葉ばかりが回っている。
僕は生まれてこのかた神というものに何かを頼んだことが一度も無い。兄が食事の前に輪の書を読み上げるたびに、腹の中で欠伸をしてきた。
だが今は何でもいいから頼みたい。白い輪の神でも、移民の拝む何とかいう神でもいい。
見つけないでくれるなら、明日から兄の祈りを最後まで黙って聞いてやる!
それでも足りないなら教会に十万寄付する。工員が三年近く働いて、ようやく手にする額だ。
……いや、二十万!
欲しい物を値切ったことは、生まれてから一度も無い。命なら、なおさらだ。
神様が額を気に入らないなら、いくらでも上げてやる。
生まれ変わる前の世界の賽銭は、たいてい硬貨一枚だった。それで受験でも何でも頼むのだから、神様も楽な商売だ。
光が僕の足のほうで止まった。
次の瞬間、車輪のそばの広い隙間から腕が一本差し込まれてくる。
あの腕だ。外套の袖を内側から裂いて、肘から先が倍の太さに膨れ上がった腕。
皮の下の筋肉がひと息ごとにうねって盛り上がり、肘の繋ぎ目の皮がところどころ裂けて赤い肉が覗いている。
指の付け根の骨の間からは、刃のような爪が三本突き出ている。
その爪の先が石畳を引っ掻いて、きいきいと鳴りながらこちらへ伸びてくる。
あれで一度撫でられたら、僕の顔など跡形も無くなる。母に似ていると言われるこの顔が、だ。
この顔に爪なんか立ててみろ、クソったれ。
あんな化け物じみた腕を、自分から体に入れる連中の気が知れない。僕は死んでもごめんだ。
指が僕の右の靴に触れたとき、悲鳴は口を塞いだ両手の中で潰れた。
指が靴を掴んで、引いた。体ごと車の下から引きずり出されかける。
上着の背が車の腹を擦り、膝が石畳を滑って、溝の水が襟元から背中へ流れ込む。
もう死ぬ、と思った。その瞬間に足がすぽんと抜けた。
今朝おろしたばかりのエナメルの靴だった。
仕立て屋の親父は寸法を三度も測っていったくせに爪先ばかり締めつけて、踵だけはなぜか緩く作っていきやがった。
晩餐会のあいだじゅう右の小指を虐め抜いてくれた、あのクソ忌々しい靴が踵からするりと脱げたのだ!
あのマヌケな親父に、初めて礼を言ってやってもいい。
僕は靴下だけになった右足で石畳を蹴って、車の腹の一番奥の暗がりへ転がり込んだ。
車の外でぐしゃりと湿った音がする。靴があの手の中で握り潰された音だ。
仕立て屋の自慢のエナメルが指の形にへこんで丸まり、溝の中へ放り込まれる。
あの手の中にあったのが僕の足首だったら、と考えかけて、やめた。
考えたらそこで気を失いそうだった。
上着の裾が溝に溜まった油の上に広がって、黒く染まっていく。
父の名代のために仕立て屋が寸法を詰めに詰めて誂えた、僕の体にぴったりの三つ揃いの上着だ。
それが今、溝の油を吸って僕と一緒に車の下で震えている。
腕がまた差し込まれてきた。今度はさっきより奥まで届かない。
届かないと分かったのか、車の外で低い唸り声がする。
車体がぎしりと鳴って、片側が持ち上がりかける。
車ごと持ち上げる気だ! ふざけるな、と思ったが声は出なかった。
そのとき、通りの西のほうから音が近づいてきた。
かちゃ、かちゃ、かちゃ、と細かい金具の音。一つではない。
いくつもの金具の音がばらばらの拍子で重なって、だんだん大きくなりながら近づいてくる。
それに重なって、石畳を蹴る重たい足音がいくつも。
車の下の隙間から見える石畳の上を、黒い長靴が何足も人の走る速さではない速さで駆けてくる。
長靴の上の脛に青い装甲が巻いてある。
青い装甲には見覚えがあった。
屋敷の父の書斎の棚に、あれの模型が飾ってある。子供の頃、触って叱られた模型だ。
助かった、と思った途端に涙が出そうになった!
うちの会社の
教会への寄付は取り消しだ。
助けたのは神様ではなく、うちの会社の
持ち上げかけていた手が離れて、車がどすんと落ちる。
車の横にあった膨れた足がくるりと向きを変えて、青い脛当ての足のほうへ飛び出していった。