バイオパンク・ヴィラン ~金と家の名前で好き勝手する、兵器王のドラ息子~   作:泥酔ネコ

9 / 15
第6話 ケスラーの娘

 店の扉の脇に立つ二人の大男は、僕たちが近づいても道を空けようとはしなかった。

 

 近くで見るとますます大きい。肩幅は僕の倍はあり、黒い外套の胸の釦が今にも弾け飛びそうに張りつめている。

 そして人の形をしているのに、人には見えなかった。

 

 まず目が違う。

 

 瞳が妙に大きく色の薄い金色をしていて、扉の上の電灯を受けると奥がちらりと光る。

 人の目を抜いて、モンスターの目から作った目に取り替えてあるのだ。

 

 遠目には灰色の手袋をはめているのかと思ったが、外套の袖から出た手の甲には、灰色の硬い板が厚い鱗のように何枚も重なって埋まっている。

 

 手首を巻く太い繋ぎ目は、ここまで近づくと縫い糸の結び目まで一つ一つ見える。

 

 目と手首から先を生体部品(バイオウェア)に換装(グラフト)してあるのだろう。

 

 気色の悪い連中だ。

 

 ケスラーの家は広輪派で、体を作り替えることをうちほどには嫌がらない。

 だから金のある家の用心棒は、こうして目や手を取り替えて門の前に置かれる。主人の金で換えた手で、主人の娘の通り道を塞ぐのが仕事だ。

 

 車寄せでは客待ちのタクシーの運転手たちが車の屋根に肘をついて、遠巻きにこの二人を面白そうに眺めている。

 

「見ろよ。ケスラーの入れ物が二つも並んでら」

 

「中身だけで、俺らのボロ車が十台は買えるぜ」

 

「おい、聞こえるぞ。耳まで換えてるかもしれねえ」

 

 運転手たちは声を落として笑い合った。聞こえる所まで寄っていく度胸は無いらしい。

 

 換装(グラフト)した者のことを、街の連中は「入れ物」と呼ぶ。

 中に詰めた生体部品(バイオウェア)のほうが、詰められた人間より高くつくからだ。

 

 でかいばかりで可愛げの無い、ケスラーの金の入れ物どもだ。

 

 その運転手たちも、ジーナがちらりと顔を向けただけで慌てて首を引っ込め、それぞれの車の陰へ逃げ込んでいった。

 入れ物ならこっちにも一人いる。それも、中身はあの二人のよりずっと高い。

 

「ケスラーの支社の車だよ、あれ」

 

 トビーが僕の袖を引いて緑の車のほうを顎で示した。

 声が妙に弾んでいるのは、両替屋の倅の目に、あの車が金の塊に見えているかららしい。

 

「親父の店の前の通りを、ケスラーの支社の一番偉い人があれで流していくんだよ。あの社章の付いた車なんて、この街にはあれ一台しかない。……ってことは」

 

「言わなくていい!」

 

 言われなくても分かっている。分かっているから、聞きたくないのだ。

 トビーは僕の顔を見て、それ以上は何も言わずに口を閉じた。こういうときだけは妙に察しのいい男だ。

 

 大男たちは僕の顔を見てからジーナを見たが、ジーナの手首の繋ぎ目に金色の目が留まると、片方の男が鼻からふっと息を抜いた。

 

 同じ商売の者を見つけた、という顔だった。

 

「あの目、あたしのより安いやつだよ。光り方で分かる」

 

 ジーナが僕にだけ聞こえる声でそう教えてきた。もうどこから潰すかを考えている声だ。

 

「どいてくれる? この店、僕の行きつけなんだけど。耳まで換えてるなら、聞こえてるだろ?」

 

「アッシュクロフトのレオン様でいらっしゃいますね。お嬢様が中でお待ちかねです」

 

 右の男の声は低くよく響いた。言葉遣いだけは丁寧で、それが余計に癇に障る。

 図体ばかりでかい木偶の坊め! 何より「待ちかねている」というのが気に食わない。

 

 僕が今夜ここへ来ることを、あの女は最初から分かっていたのだ。

 

「待っててくれなんて、頼んだ覚えはないけど」

 

 男は返事をしなかった。少しも面白くなさそうな顔のまま、半歩だけ横にずれる。

 半歩である! 僕たちはその半歩の隙間を一列になって、体を斜めにして通らなければならなかった。

 

 後ろでベティが通りすがりに男の顔を見上げ、僕の背中に小声で話しかけてきた。

 

「見た? あの目、金色。ちょっと素敵じゃない?」

 

「どこがよ。気味が悪いったら。……ちょっと、押さないで。毛皮が擦れるじゃない」

 

 ルシールが銀狐の襟を両手で庇いながら、心底嫌そうに言い返す。

 同じ物を見てこうも感想が分かれるのだから、女というのは分からない。

 

 ジーナが通るとき男の肩とジーナの肩がほとんど擦れ合ったが、ジーナは前を向いたまま、男の靴の爪先をわざと踵で踏んでいった。

 

 磨き上げた黒い革の上にくっきりと白い跡が付く。男は眉一つ動かさない。

 

 いい気味だ。

 

    ◇

 店の中はいつもと同じ匂いがする。煙草と、香水と、こぼれたシャンパン。

 

 扉をくぐるなり、ルシールが僕の脇をすり抜けて一人で前へ出た。

 

 着ているのは、きのう僕が毛皮屋で取り置きの品を倍の値で買い取ってやった一万八千ダルの銀狐の襟のコートだ。

 ゆうべは僕が瓶を抱えていて褒めてやる暇も無かったから、今夜こそが本当のお披露目のつもりでいるらしい。

 

 ルシールは襟を指で立てて肩を半分すべらせ、客席のあいだの通路をゆっくりと歩いていく。

 いつもならここで口笛の一つも飛ぶところだ。

 

 楽団はいつもの曲を弾き、客席もいつもどおり半分ほど埋まっているが、今夜は客たちの顔がみんな同じ方を向いていた。

 

 その狐を振り返る者は、一人もいない。

 

「あら、誰も見てないじゃない。ルシールの一万八千ダル」

 

「うるさいわね。……みんな、どこ見てるのよ」

 

 後ろでベティが嬉しそうに茶化すと、ルシールは襟を立てたまま振り返りもせずに言い返した。

 客席に向ける甘い声とは似ても似つかない尖った声だったので、僕は少しだけ可笑しくなった。

 

 店の一番奥の、舞台が一番よく見える僕の席はちゃんと空いている。

 

 そしてそのすぐ隣の卓に、女が一人座っていた。

 

 背もたれに深く体を預けて長い脚を組み、片方の肘を卓について、細いグラスを指先でくるくると回している。

 金茶色の髪を首の後ろで低くまとめ、深い緑の絹の服を着ている。座っていても背の高さが分かる。

 

 骨が太く、風邪一つ引いたことのなさそうな娘の、何も怖がっていない座り方だ。

 

 イザベラ・ケスラー。

 

 やっぱりいやがった。

 

「あれがケスラーのお嬢さん? 社交欄の写真より、ずっと背が高いのね」

 

「背だけじゃない。態度もでかいんだ」

 

 ルシールが僕の耳元で囁くので、僕も小声で返した。狐を素通りされた恨みが、もうルシールの声の底に溜まっている。

 

 ケスラーの家は恩恵(アフィナージュ)を受けた家だ。

 恩恵(アフィナージュ)というのは、人の形を変えない小さな強化を親から子へ子から孫へと代々重ねていくことをいう。

 

 重ねた分だけ背が伸び骨が太くなり、病気をしにくく老けにくくなるうえ、強化は血で子に伝わるので古い家ほど強い。

 金持ちと旧家の多くはこれを受けている。広輪派の教会は修繕の延長として許し、うちの白輪派は体の性能を上げることだとして許さない。

 

 旧大陸から渡ってきたケスラーの家は、あの女の何代も前からこれを重ねてきたのだという。

 

 アッシュクロフトの家は僕で四代目になる。四代続いても、体は一代目と同じ素のままだ。

 

 イザベラの両脇には、ケスラーの支社の若い社員らしい男が二人と銀行家の娘らしい女が一人、行儀よく座っている。

 

 卓の上には見覚えのある形の瓶が六本並んでいて、そのうち四本はもう空いている。

 この店で一番高いシャンパンで、僕がいつも飲んでいる銘柄だった。

 

「レオン様! お席はお守りいたしました!」

 

 支配人が油で固めた髪を振り乱して横から飛び出してきた。

 泣き出しそうな顔をしているのに、声だけは妙に誇らしげだ。

 

 五十を過ぎた男が手柄を立てた子供のような顔をしているのは、見ていてあまり気持ちのいいものではない。

 

「ゆうべレオン様に申しつけられたとおり、ここはレオン様のお席ですと何度も申し上げました。お嬢様がお座りになろうとなさったときには、私、椅子の背にしがみついてお断りいたしました。お付きの方に上から見下ろされましたが、離しませんでした!」

 

「……それで隣か」

 

「は、はい。お隣の卓でよいと仰せで……空いている卓までお断りする訳には参りませんで……」

 

 支配人は急に声を小さくして扉の外の大男たちのほうを怯えたように振り返った。

 椅子にしがみついたところまでは褒めてやってもいいが、その先の詰めが甘い男だ。

 

「あの酒は」

 

「そ、それが……お嬢様が店で一番高いのを、と仰せで。棚にございました六本を、全部。お代はもちろんお嬢様が、その場で」

 

「一本一万ダルだよ、あれ。工場の人の月給の三か月分より高いのに」

 

 トビーが僕の肩越しに空き瓶を数えて喉の奥で唸った。

 それを六本、その場で払って、僕がいつも飲む銘柄をこの店から一本残らず消したのだ!

 

 金なら僕にもある。だが今夜、この店であの酒を飲めるのは、あの女だけなのだ。

 

 あの腐れ女め、と口の中で罵ったら、腹が立ちすぎてかえって笑い出しそうになった。

 

 カウンターの陰から取り巻きの四人が恐る恐る顔を出した。

 

 営業部長の倅のフレッドに、総務部長の倅のネッド。あとの二人も似たような顔で、似たような親を持っている。

 どれも親の名前で会社の椅子が約束されていて、それまでの暇を僕の金で潰している連中だ。

 

 僕より先に着いたものの、あの女が隣の卓にいるのを見て席に近づけずにカウンターの陰で小さくなっていたらしい。

 

 昼間は親の肩書きを笠に着て威張っているくせに、ケスラーの娘の前では、ただの部長の倅どもである。

 

 役に立たないことこの上ない。

 

「レ、レオン。遅かったな。俺たちも先に席で待ってようと思ったんだけど、なんか、その……」

 

 フレッドが首の後ろを掻きながら目を泳がせて、言い訳の続きを隣のネッドに振る。

 

「表のでかいのがさ、回転扉の向こうからずっと睨んでるんだよ。なあ、ネッド」

 

「お、おう。睨んでた、睨んでた」

 

「それで、どうもしなかったんだろ? 大した度胸だな」

 

 フレッドはへらへらと笑うだけだった。笑ってごまかせば、たいていのことは済むと思っているらしい。

 

 僕は支配人を押しのけて奥の自分の席へ歩いていった。

 後ろからジーナとトビーと、ルシールとベティが付いてくる。フレッドたちは少し離れて恐々と付いてきた。

 

    ◇

 僕が自分の席に腰を下ろすのと同時に、隣の卓から声が飛んで来た。

 

「あら、レオン。遅かったのね。待ちくたびれちゃった」

 

 イザベラがグラスを回す指を止めてこちらへ顔を向けている。

 灰色がかった緑の目が、僕の頭のてっぺんから靴の先まで一往復する。

 

 昨夜の酒が抜けきったかどうかまで見透かされた気がして、思わず背広(スーツ)の裾を引っ張りたくなった。

 

「表の二人にも言ったけど、待っててくれなんて頼んでない」

 

「頼まれてないわ。好きで待ってたの」

 

 悪びれるどころか、褒めてほしそうな声だった。この女は昔から、人の嫌がることをするときに一番いい顔をする。

 

「この席、来ない晩も空けておかせてるんですってね。座ろうとしたら、支配人さんが椅子にしがみついて泣きそうな顔で離さないのよ。あなた、ずいぶん大事にされてるのね。毎月のお金で」

 

「金を払って大事にされて、何が悪い! そっちこそ、空いてる卓はほかにいくらでもあるのに、わざわざ僕の隣を選ぶなんてよっぽど暇なんだな。ブライトミアには、お嬢様の遊び相手もいないのか」

 

 言ってやった、と思った。後ろでフレッドたちがここぞとばかりに笑い声を上げる。

 もっとも隣の卓の社員たちはにこりともせず、黙って主人の娘の顔をうかがっていた。

 

「いないわ。だから来たの」

 

 イザベラは少しも怯まずに、あっさりと認めた。

 

「あの街は退屈よ。工員にはお酒を出さないし、喧嘩も無いし、夜は九時になったら街じゅう寝ちゃうの。その点、この街はいいわね。昼から酔っ払いが道で寝てて、夜は丘の上のレオン様が女の子を三人も連れて歩いてる。見ていて飽きないわ。動物園みたいで」

 

 両脇の三人がくすくすと笑う。銀行家の娘が扇の陰で隣の社員に何か囁いている。

 囁かれた男が僕を見てまた笑う。何を笑われているのか分からないというのは、笑われるより不愉快なものだ。

 

 ふざけやがって。

 

「……動物園なら、入場料を払えよ」

 

「払ったわ。このお酒で」

 

 イザベラは空いた瓶の一本を指先で軽く弾いた。澄んだ音がした。

 

「一番高いのをってお願いしたら、これが出てきたの。あなたがいつも飲んでるんですってね。おいしいわ。……あら、ごめんなさい。六本しか無かったの。あなたの分、残しておけばよかったわね」

 

 去年の観閲式でも避暑地の舞踏会でも、こうだった。

 この女と言い合いになると、言い返した筈の言葉がいつの間にかこっちの喉元へ戻ってくる。

 

 避暑地の舞踏会では、踊りの途中で靴を三度も踏まれた。嫌がらせか、よほど踊りが下手なのか。どちらにしても、四度目は無かった。

 

 そして腹の立つことに、この女の顔は初めて会った三年前よりずっときれいになっている。

 

 高い頬骨にあの目、それから笑うと片方の頬にだけ浅く出るえくぼ。

 その顔で人の隣に陣取って、人の銘柄の酒を飲み干して笑っているのだ。腹の底が煮える。

 

 いつか必ずこの女を寝台(ベッド)に引きずり込んで、泣いて許しを乞わせてやる(ヒイヒイ言わせてやる)。

 ……そう思ったところで今この場で言い勝てる訳ではないのが、余計に胸糞が悪い。

 

 この女と言い合って勝てたためしは三年前から一度も無い。

 だが、ここは僕の店だ。あの女の連れてきた三人より、僕の名前を知っている客のほうがこの店にはずっと多い。

 

 口で勝てないなら、金でやればいい。

 

 僕は椅子から立ち上がり、楽団の音に負けないように声を張った。

 

「支配人! 今夜いる客全員に、卓ごとに一本ずつ。僕からだ! 二番目に高いのでいい」

 

「は、はいっ、ただいま!」

 

 支配人が救われたような顔で厨房のほうへ走っていく。

 こういうときに何か言いつけてもらえるのが嬉しい男なのだ。

 

「レオン、それ、店じゅうで何本になるか分かってる?」

 

「数えるな」

 

 トビーが指を折りかけたので、その手を卓の下へ押し込んでやった。ここで値段を口にされたら、せっかくの奢りが台無しだ。

 

 割り勘の端数で揉めるような世界があることは、僕も知っている。

 それが今は、本数さえ数えない。

 

 一呼吸おいて客席がどっと沸いた。

 

「レオン様!」

 

「さすがレオン様だ!」

 

 あちこちの卓でグラスが上がり、僕の名前を呼ぶ声が天井の飾り灯まで昇っていく。

 さっきまで隣の卓ばかり見ていた顔が、一つ残らずこっちを向いている。

 

 これだ。この顔が見たかったのだ!

 

 噴水の晩と同じ、背中がぞくぞくするような気分が戻ってきて、僕はグラスを掲げて客席に応えてやった。

 

 ざまあみろ、と隣の卓を横目で見た。

 

「素敵。じゃあ、私からも」

 

 イザベラは座ったまま通りかかった給仕を指一本で呼び止めた。

 声を張ってもいないのに、その声はなぜか店の隅まで通る。

 

「レオン様の一本ずつに、もう一本ずつ足してちょうだい。……一番安いのでいいわ。皆さん、二番目のを一本空けたあとなら、どうせ違いなんて分からないでしょう?」

 

 一瞬の間があって、客席がさっきよりもっと大きく沸いた。

 

「ケスラーのお嬢様に!」

 

 誰かが叫ぶと、口笛と拍手が店じゅうから上がった。卓を叩いて笑っている客までいる。

 違いの分からない客と言われたのに、怒るどころか喜んで乾杯しているのだから、酒飲みというのはどうしようもない。

 

 僕の掲げたグラスは行き場を失って宙に浮いている。

 

 僕の一本ずつは、あの女の一本ずつの前座にされたのである。

 しかも一番安いのに負けたのだ。言葉どころか金でまで、店じゅうの客の前で負けたのだ!

 

 グラスを下ろして、黙って腰を下ろした。

 背中のぞくぞくは、座るまでのあいだに消えていた。

 




カクヨムで先行公開しています。続きを早く読みたい方はこちらへどうぞ。
https://kakuyomu.jp/works/11054822666094116079
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。