十四話
六月の頭。日曜日。
一夏は弾の家の部屋でコントローラーを握っていた。テレビ画面には格闘ゲームの派手なエフェクトが映っている。弾のキャラクターが画面の端に追い詰められ、ガードを固めている。一夏のキャラクターがじりじりと距離を詰めていた。
(——右だ。相手は右に回避する)
頭の中の声が静かに告げた。一夏はその声に従って、右に牽制の弱攻撃を置いた。弾のキャラクターがまんまと右に回避したところに、その攻撃が当たった。
「うおっ!? ちょ、待て一夏、今の何!?」
「ん? 普通に読んだだけだ」
一夏はそう答えた。弾はコントローラーを握ったまま、悔しそうに声を上げた。
「読んだだけってお前……! このゲーム、発売されたばっかだぞ!? 」
「いや、なんか分かるんだよ。相手の動きが」
「分かるって……お前、もしかしてこのゲームを家で練習してたのか?」
「してない」
一夏はあっさりと答えた。弾はその返答に、ますます悔しそうな表情を浮かべた。画面の中では、一夏のキャラクターがまだ弾のキャラクターを追い詰めている。弾は必死にコマンドを入力して反撃しようとしているが、その動きはすべて一夏に読まれていた。
(——次は左だ。相手は左に回避して、そこから投げを狙う)
頭の中の声がまた告げた。一夏はその声に従って、左に攻撃を置いた。弾のキャラクターが左に回避したところに、その攻撃が当たった。そしてそのまま、一夏は連続攻撃を叩き込んだ。弾のキャラクターの体力ゲージが、一気に削られていく。
「ちょ、ちょっと待て! お前本当に何なんだよ!?」
弾はそう叫んだ。その声は驚きと悔しさが混ざり合っていた。一夏はそんな弾の声を聞きながら、心の中で頭の中の声に呟いた。
(なあ。お前このゲーム、やったことあるのか?)
(——いや。だが、相手の動きを読むのは戦場でも同じだ。お前の体に、その感覚が染みついているんだろう)
(戦場ねえ……)
一夏は、その言葉に少しだけ複雑な気持ちになった。戦場。自分の中の声は、よくその言葉を使う。だが一夏自身は、戦場なんて行ったことがない。IS学園に入学するまでは、普通の中学三年生だったのだ。だが、その声が言うには一夏の体には、戦場での感覚が染みついているらしい。それは、一夏自身にもよく分からない感覚だった。だが、こうしてゲームをしていると確かに相手の動きが手に取るように分かる。それが、その声のおかげだというのなら、まあ、悪い気はしなかった。
「なあ、一夏」
「ん?」
弾が、少しだけ真剣な声で言った。一夏は、コントローラーを握ったまま、弾の方を向いた。
「IS学園って、どうなんだ? やっぱり良い思いしてるんだろ?」
弾のその言葉に一夏は少しだけ間を置いた。そして、ふっと苦笑した。
「良い思いって……何だよ、それ」
「いや、だってお前、IS学園で唯一の男だろ? 周りは女の子ばっかり。しかも、代表候補生のセシリアさんとか、お前の幼馴染の箒さんとか可愛い子ばっかりじゃねえか。しかも、寮も一緒なんだろ? これはもう、良い思いしてるって言うしかないだろ!」
弾は、熱弁を振るうようにそう言った。一夏は、そんな弾の言葉を聞いて少しだけ呆れたような表情を浮かべた。
「そんなことないぞ」
「えー? 嘘つけ。お前、絶対良い思いしてるって」
「してないって。確かに、周りは女の子ばっかりだけど……」
一夏は、そう言いかけて少しだけ言葉を止めた。確かに、IS学園の生活は普通の男子高校生のそれとはまるで違う。周りは女の子ばかりだし、寮も一緒だしクラスメイトはみんなIS操縦者だ。だが、その生活は決して「良い思い」なんて言葉で片付けられるものではなかった。むしろ、毎日が戦いだ。訓練に試合に、時には正体不明の無人機との戦闘まで。とてもじゃないが、良い思いをしているなんて言えたものではない。
「……まあ、色々あるんだよ」
「色々って、何だよ」
「それは……」
一夏が、そう言いかけた時だった。
「お兄! 一夏さん! ご飯できたよ!」
蘭の声が、リビングに響いた。一夏と弾は、同時に画面から顔を上げた。リビングの扉の向こうから、蘭がひょっこりと顔を覗かせている。その手には、エプロンをつけたままだった。どうやら、昼食の準備ができたらしい。
「お、飯か。腹減ったな」
「だな。……じゃあ、続きは飯の後にでもやるか」
「ああ。その時は、今度こそ負けねえからな!」
弾は、そう言って、コントローラーを置いた。一夏も、コントローラーを置いて立ち上がった。画面の中では、一夏のキャラクターが弾のキャラクターに止めを刺したところだった。その勝利のポーズが、やけに誇らしげに映っていた。
「お兄、また一夏さんに負けたの?」
「う、うるさいな! まだ勝負は終わってないんだよ!」
「はいはい。早く来ないと、ご飯冷めちゃうよ」
蘭は、そう言って、リビングの扉を閉めた。一夏は、そんな蘭の様子を見てふっと笑った。そして、弾の方を振り返った。
「なあ、弾。お前の妹さん相変わらずだな」
「ああ。あいつ、一夏の前だと猫被るんだよ。本当は、もっと勝気なやつなのに」
「へえ。そうなのか」
一夏は、そう言って、少しだけ驚いた。蘭はいつも一夏の前では、おしとやかで清純な女の子を演じている。だが、弾の話によるとそれは演技らしい。本当は、もっと勝気で男勝りな性格なのだという。一夏は、そんな蘭の二面性に少しだけ興味を覚えた。だが、今は、それよりも昼食だ。一夏は、弾と一緒にリビングを後にした。廊下を歩きながら、一夏はふと、頭の中の声に、呟いた。
(なあ。お前、こういうの、どう思う?)
(——どう思う、とは)
(家族で、飯を食うってことだよ。俺弾の家で、よく飯を食わせてもらうんだけどさ。なんか、いいよなこういうの)
(——そうだな。戦場では飯を食うのも、一瞬だった。仲間と食卓を囲むなんて、なかった。だから、そういうのは、いいものだと思うぞ)
頭の中の声は、そう答えた。その声にはどこか、懐かしむような色が混ざっていた。一夏は、その声を聞いて少しだけ、不思議な気持ちになった。この声の主は、一体、どんな人生を歩んできたのだろう。そんなことを、ぼんやりと考えながら一夏は、弾と一緒に食堂へと向かった。
五反田食堂のテーブルには、湯気の立つ定食が三つ並んでいた。
焼き魚に味噌汁ご飯に漬物、それに小鉢が二つ。厳が作る定食はどれも家庭的で、それでいてどこか一寸の狂いもない味付けだった。一夏は焼き魚に箸を入れながら、ふうと息を吐いた。
「やっぱり厳さんの飯はうまいな」
「だろ? じいちゃんの料理はマジでうまいんだよ。特にこの焼き魚な。秘伝のタレなんだと」
「ふん。秘伝も何も、ただの醤油とみりんと酒だ」
カウンターの向こうから厳の声が飛んできた。その声はぶっきらぼうだが、どこか嬉しそうだった。弾はそんな祖父の声に、へへっと笑った。
「じいちゃん、そういうことは黙ってろよ。ありがたみがなくなるだろ」
「うるさい。食うなら黙って食え」
「へいへい」
弾はそう言って、味噌汁をずずっと啜った。一夏もつられて味噌汁を一口飲んだ。温かい味噌の味が、体の芯まで染み渡るようだった。
「でさ、一夏。IS学園ってやっぱり色々あるんだろ?」
弾が、焼き魚の骨を外しながら言った。蘭も、箸を止めて一夏の方を向いた。その目は、興味津々といった様子だった。
「色々って、何だよ」
「いや、だからさ。寮生活とか授業とか。俺たちには想像もつかないようなこと、あるだろ?」
「まあ、あるな」
一夏は、そう言って少しだけ考え込んだ。IS学園の生活は、確かに普通の高校とはまるで違う。寮生活もそうだし、授業もIS操縦の訓練が中心だ。それに、周りは女の子ばかり。そんな環境は、普通の高校生には想像もつかないだろう。
「例えば、寮生活なんだけどさ。最初は箒と同じ部屋だったんだよ」
「はあ!? 一ヶ月も!?」
弾が、声を上げた。蘭も目を丸くしている。
「お、おい一夏。それってつまりお前とその箒って人と一ヶ月間、同じ部屋で寝起きしてたってことか?」
「まあ、そうなるな。色々あって最終的には別の部屋に移ることになったけど」
「色々って何だよ! 詳しく聞かせろよ!」
弾が身を乗り出してきた。一夏はそんな弾の様子に少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「いや、その……説明しにくいんだよ」
「何が説明しにくいんだよ! お前、そういうのはちゃんと話せよ!」
「うるさいな。とにかく、そういうことなんだよ」
一夏はそう言って話を打ち切ろうとした。だが、そんな一夏の話を聞いていた蘭は箸を置いて静かに言った。
「……私、決めました」
その声は、どこか真剣だった。一夏と弾は、同時に蘭の方を向いた。
「決めたって何をだ?」
「IS学園、受験します」
蘭はそう言った。その目はまっすぐに一夏を見つめていた。一夏はその言葉に一瞬言葉を失った。
「え……? 蘭、お前、来年受験するって……」
「うん。だって、一夏さんがそんなに楽しそうに話すんだもん。私も、行ってみたくなった」
蘭はそう言って少しだけ照れくさそうに笑った。一夏はその笑顔を見て何と言っていいか分からなかった。確かに自分はIS学園の話をしていた。だがそれは蘭が受験を決めるほどのものだったのだろうか。
「おいおい蘭。お前、本気か?」
「本気だよ、お兄。私、前からIS学園には興味あったんだ。それに、IS簡易適性試験でAランクって出てるし」
「Aランクって……お前、そんなのいつ受けたんだよ」
「この前、こっそりね」
蘭はそう言って悪戯っぽく笑った。弾は、そんな妹の様子に呆れたような表情を浮かべた。一夏は、そんな二人のやり取りを見ながら、少しだけ考え込んだ。そして静かに口を開いた。
「なあ、蘭。お前の通ってる学校ってエスカレーター式で大学まで出られる有名なところなんだろ? 途中から進路変更するのは、もったいないんじゃないか?」
一夏のその言葉に蘭は少しだけ表情を硬くした。だが、すぐに首を振った。
「もったいなくないよ。私、ずっとこのままエスカレーターで上がるのも、なんか違うなって思ってたんです。それに、IS学園に行けば一夏さんと一緒にいられるし」
蘭は、そう言って、少しだけ顔を赤らめた。一夏はその言葉になんと返していいか分からなかった。一夏さんと一緒にいられる。その言葉が一夏の胸に妙に引っかかった。
「おいおい、蘭。お前、それ本気で言ってるのか?」
「本気だよ。……それにIS学園には筆記試験も実技試験もあるんですよね?」
蘭は、そう言って、弾の方を向いた。弾はその言葉に、少しだけ考え込んだ。
「ああ。一夏、そうなのか?」
「まあ、そうだな。筆記試験も実技試験もある。実技は、ISの操縦適性を見るらしいけど」
「へえ。じゃあ、蘭。お前、筆記試験は大丈夫なのか?」
「成績は大丈夫だよ。それに、IS簡易適性試験でAランクって出てるから、実技も何とかなると思う」
蘭は、そう言って、自信ありげに笑った。一夏はそんな蘭の様子を見て、少しだけ驚いた。蘭はいつも一夏の前ではおしとやかな女の子を演じている。だが、今の蘭はどこか生き生きとしていた。まるで、自分の意志をしっかりと持っているかのように。
(——この娘本当に、IS学園に行くつもりなんだな)
一夏は、そう心の中で呟いた。そしてふと、頭の中の声に問いかけた。
(なあ。お前、どう思う? 蘭がIS学園に来るってこと)
(——どう思うも何も、その娘が決めたことだ。お前がとやかく言うことじゃない。だが……)
(だが?)
(——だが、考えておけ)
頭の中の声は静かに、しかしどこか重みのある響きで続けた。
(この世界がこのままでいられる保証はどこにもない。ISという兵器が存在する限り、いつか必ず戦争になる。その時、IS操縦者であるということは、戦場に出るということだ。この娘がIS学園に入れば、その娘も戦場に出ることになるかもしれない)
一夏は、その言葉に箸を止めた。焼き魚の身が、箸の先でほろりと崩れる。一夏は、しばらくその崩れた身を見つめていた。頭の中の声が言っていることは、分かっていた。ISは兵器だ。平和的な用途に使われている今でさえ、その本質は兵器。そしてこの世界には、あの漆黒の無人機を送り込んでくるような何かが存在する。いつ戦争になってもおかしくはない。その時、IS操縦者であるということは、戦場に出るということだ。
(戦場は、甘くない)
頭の中の声が、低く響いた。
(俺たちは、たくさんの戦場を見てきた。たくさんの仲間が死ぬのを見てきた。あの娘が、その中に加わるかもしれない。それを、お前は黙って見ているのか?)
一夏はその言葉にぎゅっと箸を握りしめた。戦場。自分の中の声はその言葉をよく使う。そしてその声が語る戦場はいつも血なまぐさい。仲間が死に機体が爆発し無数の命が消えていく。そんな世界に蘭を送り出すのか。一夏は蘭の方を向いた。蘭はまだ楽しそうに弾と話している。IS学園に行ったら何をしようか。そんなことを話しているのだろう。その笑顔は、どこまでも明るくて無邪気だった。一夏は、そんな蘭の笑顔を見て心が痛んだ。この笑顔を、戦場に向かわせるのか。一夏はゆっくりと口を開いた。
「なあ、蘭」
「はい? 何ですか、一夏さん」
蘭が、一夏の方を向いた。その目はまだ明るい。一夏は、そんな蘭の目をまっすぐに見つめながら、静かに言った。
「IS学園に来るの、もう少し考えてみないか」
その言葉に、蘭の笑顔が、少しだけ曇った。弾も一夏の方を向いた。その目には驚きの色が浮かんでいる。
「一夏さん……? どうして、ですか?」
蘭の声が少しだけ震えていた。一夏はその声に胸を痛めながらそれでも言葉を続けた。
「IS学園は、確かに楽しいところだ。俺も毎日楽しくやってる。でもな、ISは兵器なんだ。IS操縦者になるってことは、いつか戦場に出るってことでもあるんだ。今は平和かもしれない。でも、いつ戦争になるか分からない。その時、お前が戦場に出ることになるかもしれないんだ。……それを、俺は、止めたい」
一夏のその言葉に、食堂が、しんと静まり返った。弾は箸を置いて、一夏をじっと見つめていた。蘭は、一夏の言葉を聞いてしばらく黙っていた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「一夏さんは、戦場に出るのが怖いんですか?」
その言葉に、一夏は言葉を詰まらせた。戦場に出るのが怖いのか。そう問われると一夏自身もよく分からなかった。確かに怖い。だがそれ以上に蘭を戦場に出したくない。その想いの方が、強かった。
「……俺はいいんだ。俺はもうIS操縦者になった。だから、戦場に出る覚悟もできてる。でも、君はまだこれからだ。まだ引き返せる。だったらわざわざ危ない道を選ぶことはないんじゃないか」
一夏は、そう言った。その声はどこか必死だった。蘭は、そんな一夏の言葉を聞いて少しだけ目を伏せた。そして、静かに言った。
「一夏さんは、優しいんですね」
その言葉に、一夏は、はっとした。蘭は顔を上げて、一夏をまっすぐに見つめた。その目には、さっきまでの明るい笑顔とは違う色が浮かんでいた。真剣で、どこか寂しげでそれでいて、強い意志を感じさせるそんな色だった。
「でも、私は、それでもIS学園に行きたいんです」
蘭の声は、静かだったが揺るぎなかった。一夏は、その声に言葉を失った。
「一夏さんが、戦場に出るかもしれない。それなら私も一夏さんの隣にいたい。一夏さんだけを危ない目に遭わせたくない。私も一夏さんと一緒に戦いたいんです」
蘭はそう言って少しだけ笑った。その笑顔はさっきまでの無邪気な笑顔とは違っていた。どこか覚悟を決めたようなそんな笑顔だった。一夏はそんな蘭の笑顔を見て何も言えなくなった。蘭の想いは一夏の想いよりもずっと強かった。そして一夏の想いよりもずっとまっすぐだった。
「おいおい、蘭。お前そんなこと言って……」
弾が、少しだけ焦ったような声で言った。だが、蘭は、そんな弾の方を向いて静かに首を振った。
「お兄。私、本気だよ。私ずっと前から決めてたの。一夏さんのそばにいたいって。だから、IS学園に行くの。一夏さんがどんなに止めても私は行くよ」
蘭は、そう言って、一夏の方を向いた。その目はまっすぐに、一夏を見つめていた。一夏はそんな蘭の目を見て、もう、何も言えなくなった。一夏はゆっくりと、箸を置いた。そして小さく、息を吐いた。
「……分かったよ。蘭。お前の想いちゃんと受け取った。……でも、一つだけ約束してくれ」
「何ですか?」
「もし、お前がIS学園に来て戦場に出ることになったら、絶対に死ぬな。生き残れ。……それが、俺の、唯一の願いだ」
一夏のその言葉に、蘭は、少しだけ目を見開いた。そして、ふっと笑った。その笑顔は、どこまでも明るかった。
「はい。約束します。私、絶対に死にません。一夏さんの隣で生き続けます」
蘭は、そう言って、一夏に笑いかけた。一夏は、そんな蘭の笑顔を見て少しだけ、胸が熱くなった。そして心の中で、頭の中の声に呟いた。
(なあ。俺、間違ってなかったよな)
(——ああ。お前の判断は、正しかった。戦場に女を送り込むのは、俺たちの時代では当たり前だった。だが、この世界では違う。お前が、その娘を止めようとしたのは間違いじゃない。だが、その娘の想いも本物だ。だったら、もうお前がとやかく言うことじゃない。お前はただ、その娘が生き残ることを願えばいい)
頭の中の声はそう答えた。その声には、どこか優しさが混ざっていた。一夏は、その声を聞いて少しだけ、安心した。そして蘭と弾の方を向いて、笑った。
「よし。じゃあ、飯の続きを食べようぜ。厳さんの飯が、冷めちまう」
一夏のその言葉に、弾と蘭は、顔を見合わせて笑った。そして、三人は、再び、箸を取った。食堂に温かい空気が、流れていた。厳がカウンターの向こうで、静かに笑っていた。