午前の授業が終わると、一夏は屋上へと向かった。
IS学園の屋上は広く昼休みになると生徒たちが思い思いに昼食を取る場所として開放されている。今日は天気もよく、風も穏やかだ。一夏が屋上の扉を開けると、すでに箒とセシリア鈴音の姿があった。
「一夏、遅いぞ」
箒がそう言って包みを差し出した。風呂敷に包まれたそれは、どう見ても弁当箱だ。
「え、これ、俺の分?」
「あたりまえだろ。……余ったから、仕方なくだが」
箒はそう言って顔をそらした。その頬が、わずかに赤い。一夏はそんな箒の様子に気づかないふりをして、包みを受け取った。
「サンキュー、箒。助かるよ」
「べ、別に礼を言われるほどのものじゃない」
箒がそう言ってそっぽを向く。そんな二人のやり取りを見ていた鈴音が、大きなタッパーを差し出した。
「はい、一夏。これ、前に食べたがってた酢豚」
「おお、鈴音ありがとう! これ本当に美味そうだな」
「当然でしょ。あたしが作ったんだからな」
鈴音はそう言って胸を張った。その得意げな表情は、どこか子供っぽくて微笑ましい。一夏はタッパーを受け取り、蓋を開けた。甘酸っぱい香りが、ふわりと広がる。
「うわ、いい匂い……」
思わずそう呟くと、鈴音がさらに得意げな顔をした。
そこへ、セシリアが一歩前に出た。
「織斑さん。私も、サンドイッチを作ってきたんですの。よろしければ、皆さんでどうぞ」
セシリアがそう言って、美しく盛り付けられたサンドイッチの皿を差し出した。見た目は、まるで高級ホテルのランチのようだ。
(——待て)
その瞬間、一夏の頭の中に声が響いた。警告の色を帯びた、鋭い声だ。
(あのサンドイッチには、何かがある。俺の勘がそう言っている。気をつけろ)
一夏はその声に、思わず手を止めた。何かがある、と言われても見た目は完璧なサンドイッチだ。だが、この声の警告はこれまで何度も一夏を救ってきた。無視するわけにはいかない。
(——分かった。気をつける)
一夏は心の中でそう答えてセシリアのサンドイッチをひとまず後回しにすることにした。そんな一夏の様子に気づかないセシリアは、満足げに微笑んでいる。
「さあ、遠慮なさらずに。私料理には自信があるんですのよ」
その言葉に、一夏は愛想笑いを浮かべるしかなかった。
そこへ、遠慮がちな声がかかった。
「あの……僕も、同席してもいいのかな?」
シャルルだった。購買で買ったのであろうパンの袋を手に、少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「もちろん。なあ、みんなもいいよな?」
「ああ」「構わない」「別にいいぞ」
箒、セシリア、鈴音がそれぞれに答える。シャルルはほっとしたように笑って、一夏の隣に腰を下ろした。
「ありがとう。一人で食べるのも寂しいなって思ってたところだったんだ」
シャルルはそう言って、パンの袋を開けた。一夏も箒の弁当と鈴音の酢豚のタッパーを開ける。弁当箱の中には、色とりどりのおかずが詰められている。卵焼きに唐揚げ、ほうれん草の胡麻和えに梅干しの乗った白米。どれもこれも、丁寧に作られているのが分かる。
「おお、すげえ。箒、これ全部自分で作ったのか?」
「あ、あたりまえだろ。……一夏のために、作ったわけじゃないからな」
箒はそう言って顔を赤らめた。一夏はそんな箒に笑いかけて、まずは卵焼きを口に運んだ。
「うん、美味い!」
その言葉に、箒の表情がぱっと明るくなった。だが、すぐにまたそっぽを向いてしまう。その不器用な姿が、どこか可愛らしい。
(——相変わらず、分かりやすいな)
頭の中の声が、呆れたように呟いた。一夏は心の中で苦笑した。
鈴音の酢豚にも、箸を伸ばす。甘酸っぱいタレが絡んだ豚肉は、柔らかくてジューシーだ。
「これも美味いな」
「ふ、ふん。あたしは何でもできるんだよ」
鈴音はそう言って、鼻を高くした。だがその耳が少しだけ赤いのを、一夏は見逃さなかった。
そんな和やかな空気の中、セシリアが再びサンドイッチを差し出してきた。
「織斑さん。私のサンドイッチも、ぜひ召し上がってくださいな」
その笑顔は、どこまでも上品で完璧だ。だが、一夏の頭の中の声は依然として警告を発している。
(——気をつけろ。見た目に騙されるな)
一夏は、恐る恐るサンドイッチを手に取った。そして、一口。
「…………」
一夏は、黙って咀嚼した。味は悪くない。悪くないのだが、何かがおかしい。何か決定的に噛み合っていないのだ。例えば、このサンドイッチにはさまれた野菜。シャキシャキとした食感はいいのだが、味付けが妙に甘い。それからハムとチーズの組み合わせ。悪くはないのだが、なぜここにこのソースがかかっているのか、理解に苦しむ。
(——やはりな)
頭の中の声が、呆れたように呟いた。
(見た目は完璧だ。だが味の設計が根本から間違っている。これは、料理ではない。見た目のためのオブジェだ)
一夏は心の中で深く同意した。まさにその通りだ。セシリアのサンドイッチは、見た目は美しい。だが食べ物としては、どこか欠落している。
「……どうです? 美味しいでしょう?」
セシリアが、期待に満ちた目で尋ねてくる。一夏は、何と答えていいものか一瞬迷った。だが、正直に言うのがセシリアのためでもあるだろう。
「あ、ああ。……うん、まあ、美味しいよ」
一夏は、そう答えるのが精一杯だった。セシリアはその言葉に、満面の笑みを浮かべた。
「よかった! では、皆さんもどうぞ」
セシリアがそう言って、箒と鈴音にもサンドイッチを勧める。二人は一夏の様子を見て、何かを察したのか微妙な表情を浮かべながらも、一口だけ口に運んだ。そして二人とも、複雑な顔をした。
(——だろうな)
一夏は心の中で呟いた。シャルルだけは、遠慮がちに「じゃあ、一つもらうね」と言って、サンドイッチを手に取った。そして、一口食べて微妙な表情を浮かべた。どうやら、同じ感想を抱いたらしい。
「……美味しい、ね」
シャルルが、そう言って愛想笑いを浮かべた。一夏は、そんなシャルルの心情を察して、小さく頷いた。
―――
夕食を終えた一夏は、自室に戻っていた。広さはそこそこある。ベッドが二つ、机が二つ小さなキッチンに浴室。二人で暮らすには十分な広さだった。
同室になったシャルルは部屋の隅で荷物を整理している。その背中はどこか細くて、一夏はふと「男の子にしては華奢だな」と思ったが、口には出さなかった。
「シャルル、緑茶でいいか?」
一夏はキッチンに立って、ポットにお湯を沸かしながら言った。シャルルが振り返って、にこやかに頷く。
「うん。ありがとう、織斑君」
一夏は急須に茶葉を入れ、湯を注いだ。緑茶の香りがふわりと部屋に広がる。湯呑みに注いで、一つをシャルルに差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
シャルルは湯呑みを受け取って、まずはその香りを楽しむように鼻を近づけた。それから、ゆっくりと一口。
「……おいしい」
シャルルが、しみじみとそう言った。その表情は、どこか驚いているようにも見えた。
「紅茶とは全然違うね。香りも味も。でも、これはこれですごく落ち着く味だ」
シャルルはそう言ってまた一口飲んだ。その笑顔は、昼間の明るいそれとは違うどこか穏やかで柔らかいものだった。一夏はそんなシャルルの様子を見て、自分も湯呑みを口に運んだ。
「だろ? 緑茶はいいよな。俺も小さい頃から飲み慣れてるから、落ち着くんだよ」
「織斑君の家では、よくお茶を飲むの?」
「ああ。千冬姉が茶道やってたからな。まあ、俺は全然詳しくないんだけど」
一夏はそう言って笑った。シャルルも、つられるように笑った。
「今度、抹茶も飲んでみるか? 俺点てるのは下手だけど、千冬姉に教わったから一応できるんだよ」
「抹茶……。ぜひ飲んでみたいな」
シャルルがそう言って湯呑みを両手で包み込むように持った。その仕草が、どこか可愛らしくて一夏はふと目を細めた。
「なあ、シャルル」
一夏は、湯呑みを机に置いて言った。
「今日のさ、模擬戦のことだけど」
「うん」
シャルルも湯呑みを置いて一夏の方に向き直った。その表情は、どこか真剣だ。一夏は昼間の戦闘を思い出しながら、言葉を続けた。
「シャルルはさ、俺の白鴉のことどう思った? 正直に言ってくれていいから」
シャルルは、少しの間黙っていた。そして静かに口を開いた。
「……率直に言うね。あの機体は、ISじゃない」
その言葉は、あまりにも真っ直ぐで一夏は一瞬、何も言えなくなった。
「ISじゃない、って……」
「うん。あれは、ISの技術体系で作られたものじゃない。少なくとも、今のIS学園や各国の企業が研究しているISとは、根本的に設計思想が違う」
シャルルは、言葉を選びながらしかしはっきりとそう言った。
「僕もISの開発に携わったことがあるから分かるんだ。ISは、シールドエネルギーによる防御を前提に設計されている。だから、装甲は薄くていい。機体を軽くして、機動性を高める。それがISの基本なんだ」
シャルルは、湯呑みの中の緑茶をじっと見つめた。
「でも、織斑君の白鴉は違った。物理装甲で耐久を確保して、固定武装を最適配置している。拡張空間の使用も最小限だ。あれは、ISの設計思想を否定している。いや……ISとは別の系統の技術で作られている」
シャルルはそう言って、また一口、緑茶を飲んだ。
「それに、特殊兵装もそうだ。アサルトアーマー、パルスアーマー、パルスプロテクション。どれもISの技術では説明がつかない。特にパルスプロテクションなんて、味方の攻撃だけを通すバリアなんて、戦術の常識を根本から覆す発想だ。こんなものを、どうやって思いつくんだろう」
シャルルは、ふと遠くを見るような目をした。
「……まるで、別の世界の技術みたいだ」
その言葉に、一夏はどきりとした。別の世界の技術。頭の中の声が、静かに響く。
(——近いな)
一夏は、思わず息を呑んだ。だがその声には何も答えなかった。シャルルは、そんな一夏の様子には気づかず、話を続けた。
「それから、今日の模擬戦。織斑君の戦い方、すごく合理的だった。無駄がなかった。まるで、戦場を知っている人の動きだった」
シャルルは、そこで一度言葉を切った。そして、少しだけ声を低くして言った。
「織斑君。あの機体も、君の戦い方も……どこか、普通のIS操縦者とは違う。何か、秘密があるんじゃないか?」
その問いは、純粋な好奇心から来るものだった。だが、その中にはどこか探るような色もあった。一夏は、そんなシャルルの視線をまっすぐに受け止めながら、静かに答えた。
「……秘密、か。俺自身、まだよく分かってないんだ。白鴉のことも、自分の戦い方のことも。でも一つだけ分かってることがある」
一夏は、自分の湯呑みを手に取った。
「白鴉は、戦うために作られた機体だ。そして、俺は……その機体に、選ばれたんだと思う」
その言葉に、シャルルはしばらく黙って一夏を見つめていた。そして、ふっと柔らかく笑った。
「そっか。……なら、僕がとやかく言うことじゃないね」
シャルルはそう言って、湯呑みに残った緑茶を飲み干した。
「ごちそうさま。お茶、本当においしかったよ。抹茶も、楽しみにしてるね」
その笑顔は、昼間の明るいそれに戻っていた。一夏も、つられるように笑った。
「ああ。今度、点ててやるよ」
夜は、静かに更けていく。窓の外には、星が瞬いていた。