放課後の食堂は部活帰りの生徒たちで賑わっていた。一夏たち五人組は、窓際の広いテーブルを囲んで腰を下ろしている。テーブルの上にはそれぞれが注文した飲み物や軽食が並び、その真ん中に鈴音が広げた一枚のプリントが置かれていた。
「でね。月末の学年別トーナメントの件だけど」
鈴音がプリントを指でトントンと叩きながら口を開いた。プリントにはトーナメントの概要が記載されている。今回は二人組のチーム戦形式で行われるというのが最大の特徴だった。
「二人組か。今まで個人戦ばかりだったからな」
「そうですね。ですから、誰と組むかが重要になってきますわ」
セシリアが紅茶のカップを優雅に持ち上げながらそう言った。
「パートナーとの連携が勝敗を左右する。個人の実力だけでは勝てないということだ」
「そういうこと。だから今日は、その話し合いってわけ」
鈴音がそう言って一同を見回した。箒は腕を組んで考え込む表情をしている。シャルルは静かに話を聞いている。一夏はと言えば、まだあまりピンときていない顔をしていた。
「で、どうする? 誰と誰が組むか」
「まず、私とセシリアはどう?」
鈴音がそう提案した。セシリアはカップを置いて、少し考え込むように首を傾げた。
「私と鈴音さん? 悪くない組み合わせですわね。私の射撃と、鈴音さんの近接。バランスは取れていると思いますわ」
「でしょ? あたしもそう思ってたとこなんだー」
「決まりですわね。では、私たちはこの組み合わせで行きましょう」
鈴音とセシリアが頷き合う。一夏はその様子を見て、なるほどと思った。確かに射撃を主体とするセシリアと近接を得意とする鈴音の組み合わせは、攻守のバランスが良い。
「じゃあ、俺はシャルルと組むってことでいいか?」
一夏が隣のシャルルを見てそう言った。シャルルは少し驚いたように目を丸くした。
「僕と、織斑君?」
「ああ。シャルルの機体は射撃も近接もいけるし、俺の白鴉とも相性がいいと思うんだ。それに……」
一夏はそう言って、少しだけ声を潛めた。
「土曜日のこともあるしさ。シャルルと一緒に戦えたらいいなって」
その言葉に、シャルルの表情がほんの少しだけ和らいだ。
「……うん。ありがとう、織斑君。こちらこそよろしくね」
「おう。よろしくな、シャルル」
一夏とシャルルが頷き合う。その様子を、箒は少しだけ複雑な表情で見つめていた。鈴音がそれに気づいて、箒に声をかけた。
「箒はどうする? 残ったのは箒だけだけど」
「……ああ」
箒は腕を組んだまま、少し考え込むように目を伏せた。
「私は……そうだな。自分で相手を探してみる」
その言葉に、鈴音が少し意外そうな顔をした。
「自分で? 当てがあるのか?」
「いや、今すぐにというわけではない。だが、他にもパートナーを探している者はいるだろう。その中から、相応しい相手を見つける」
「そうか。まあ、箒ならどこに行っても引く手あまただろ。何せ、全国優勝した剣士だからな」
鈴音のその言葉に、箒は少しだけ照れたように目を逸らした。
「やめてくれ。過去の話だ」
「あはは。でも、事実だろ?」
鈴音が笑うと、セシリアもつられるように笑った。一夏も笑いながら、箒のことを見た。
「箒なら大丈夫だよ。きっといいパートナーが見つかるって」
「……お前が言うな」
箒はそう言って少しだけ膨れっ面をしたが、その声にはどこか嬉しそうな響きがあった。
「まあ、そういうわけだ。チームは決まった。あたしとセシリア。一夏とシャルル。箒は後日、パートナーを見つける。で肝心のトーナメントまでどれくらいある?」
鈴音がプリントをもう一度見ながら言った。
「月末だから、あと二週間ってところかな」
「二週間か。短いな」
「でも、やるしかないだろ」
「そうだな。よし、決まりだ。これから二週間それぞれのチームで連携を深めようぜ」
鈴音のその言葉に一同は頷いた。食堂の喧騒はまだ続いている。その中で、一夏たちのテーブルだけがどこか熱を帯びた空気に包まれていた。
―――
学年別トーナメント当日。更衣室に入った一夏は、備え付けのモニターに目を奪われた。映し出されているのは観客席の様子だ。各国の政府関係者、研究員企業のエージェント。スーツや制服に身を包んだ大人たちが、ずらりと席を埋めている。その数は数百人単位で、とても学園内の催しとは思えない熱気と緊張感が画面越しに伝わってくる。
「すげえな……こんなに人が来てるのか」
「そうだよ。学年別トーナメントは、IS学園にとって最大のイベントの一つだからね」
隣でシャルルがジャケットの袖を整えながら答えた。その所作はもうすっかり自然で、男装の少年としての姿に迷いはない。
「三年生にとってはスカウトの場。二年生にとっては一年間の確認の場。そして一年生にとっては……」
「俺たちにとっては?」
「自分たちの立ち位置を示す場、かな。ここでの結果次第でこれからの三年間の扱いが変わってくるんだよ」
シャルルの説明に一夏はふうんと頷いた。だがその時、頭の中の声が静かにしかしはっきりと囁いた。
(——油断するな。あの客席の連中は、見物に来ているだけじゃない。お前たちを値踏みしに来ている。中には、お前を狙っている者もいる)
一夏の背筋に、すっと冷たいものが走った。声は続ける。
(組織は、常に利益を求める。お前の機体、白鴉。あれは企業にとって垂涎の的だ。データを盗もうとする者がいても、何ら不思議はない)
(分かってる。でも今は目の前の戦いに集中しろ)
一夏は心の中でそう返した。声は、それ以上何も言わなかった。
「織斑君、どうしたの?」
「あ、いや。何でもない。ちょっと緊張してきただけだ」
「ふふ、織斑君でも緊張するんだね」
「そりゃするさ。あんなに人が見てるんだぞ」
一夏が苦笑いを浮かべたその時、モニターの表示が切り替わった。対戦表が表示されたのだ。
「来たな」
「うん」
二人はモニターに近づいた。一年部のトーナメント表が表示され、Aブロックの一回戦の組み合わせが映し出される。その最初の対戦カードを見て、一夏は思わず息を呑んだ。
『Aブロック 一回戦 第一試合 織斑一夏・シャルル・デュノア 対 ラウラ・ボーデヴィッヒ・篠ノ之箒』
「箒が……ラウラと組んでる?」
一夏は、その文字を二度三度と読み返した。箒とラウラ。確かに、放課後の食堂での話し合いでは、箒は自分でパートナーを探すと言っていた。まさか、ラウラと組むことになるとは思ってもみなかった。
(そうか。ペアが出来なかった者は抽選で決められるんだったな)
一夏はそこでトーナメントのルールを思い出した。チーム戦とはいえ、パートナーがどうしても見つからない生徒もいる。そういう生徒は抽選で自動的に組まされることになっているのだ。
(ってことは、箒は組んでくれる人が見つからなかったのか)
その考えが浮かんだ瞬間一夏の胸に少しだけ痛みのようなものが走った。箒は強い。全国優勝した剣士だ。だが、それゆえに声をかけづらかったのだろう。あるいは、箒自身が誰かを誘うのを遠慮したのかもしれない。いずれにせよ、箒は一人で抽選でペアを組まされることになった。そのことが、一夏にはどこか寂しく思えた。
(箒……)
一夏は心の中で幼馴染の名前を呼んだ。そして、モニターの対戦表をもう一度見つめた。相手はラウラと箒。ラウラはあのアリーナで一夏に食ってかかった強敵だ。そして箒は、幼い頃から共に育ってきた剣の腕は折り紙付きの少女。その二人が組むというのは、一夏にとっては何とも複雑な気持ちだった。
(ラウラは俺を認めないって言ってた。箒は……俺の中の何かに気づいてるみたいだった)
頭の中の声が、静かに告げた。
(——二人ともお前のことを知りたがっている。戦えば、それはもっと深まる。だが戦いの中でそれを探ろうとするな。互いに傷つくだけだ)
(分かってる。でも、戦わないわけにはいかないんだ)
一夏は、拳を軽く握った。そしてシャルルの方を振り返った。
「シャルル。相手はラウラと箒だ。強いぞ」
「うん。でも、僕たちも負けるつもりはないよ」
シャルルの目はまっすぐに前を見据えていた。その瞳には、もう迷いはない。土曜日の夜に交わした言葉が、シャルルを強くしている。一夏はその横顔を見て、自分も負けてはいられないと思った。
「ああ。行こうぜ、シャルル」
「うん。行こう、織斑君」
二人は頷き合い更衣室を後にした。廊下を歩きながら、一夏は頭の中の声に問いかけた。
(なあ。俺、どう戦えばいいと思う?)
声は、しばらく沈黙した後静かに答えた。
(——まずは相手の出方を観ろ。ラウラは猪突猛進の気がある。箒は堅実だ。その二人が組めば、ラウラの突進を箒が支える形になる。ならば、その連携が完成する前に崩すことだ)
(具体的には?)
(——シャルルと連携しろ。お前が前に出て、ラウラを引きつける。その間にシャルルが箒を牽制する。箒は前に出ることを好む。ならば、その一歩を封じればいい)
(分かった。やってみる)
一夏は、心の中で頷いた。そして廊下の先に見えてきたアリーナの入り口を、まっすぐに見据えた。
(箒。ラウラ。悪いけど、俺たちも本気で行くからな)
その想いを胸に、一夏はアリーナへと足を踏み入れた。
―――
一夏たちの反対側の更衣室で箒とラウラは無言で対戦表を見ていた。モニターに映し出された『織斑一夏・シャルル・デュノア 対 ラウラ・ボーデヴィッヒ・篠ノ之箒』の文字が、妙に重く感じられる。箒は腕を組んだまま、その文字をじっと見つめていた。
(まさか、初戦で一夏たちと当たるとはな)
心の準備ができていなかった。いや、準備などできるはずもない。まさか抽選で組まされた相手がラウラで、その初戦の相手が一夏とシャルルだとは。箒は小さく息を吐いた。どうするべきか。そう考えていると、不意に横から声がかかった。
「篠ノ之箒」
ラウラだった。箒は少し驚いて横を見た。ラウラは腕を組み、まっすぐに箒を見ている。その目は、先ほどまで対戦表に向けていたものと同じ、鋭い光を宿していた。
「織斑一夏の戦術について、聞かせてもらいたい」
箒は、その言葉に一瞬言葉を失った。まさかラウラの方から自分に話しかけてくるとは思わなかったのだ。ラウラは一夏に対して敵愾心をむき出しにしていたし、箒自身もラウラとは特別に親しいわけではなかった。それなのに、こうして真っ直ぐに話しかけてくる。
「……どういう心変わりだ? お前が、私に話しかけてくるとは思わなかったが」
「心変わりではない」
ラウラは即座に答えた。その声には、迷いがなかった。
「私は、織斑一夏に勝つためにできるだけのことをしようとしているだけだ。そのために必要な情報は、どんな手段を使ってでも手に入れる。お前はあの男の幼馴染だと聞いている。ならば、あの男の戦い方を知っているはずだ」
箒は、その言葉に少しだけ目を細めた。ラウラの言い分は、実にラウラらしいと思った。感情に任せて突っ走るのではなく、勝つために必要なことを冷静に判断し、行動する。その姿勢は箒がラウラに対して抱いていた印象を、少しだけ変えるものだった。
「……分かった。だが、気休めかもしれないぞ」
箒はそう前置きして、言葉を選ぶように間を置いた。
「一夏の戦い方は、一言で言えば『読み合い』だ。相手の動きを先読みし、その裏をかく。だがそれはあくまで基礎の上での話だ。一夏の本当の異常さは、その場の状況に応じて戦術を即座に組み替えるところにある。決まった型があるわけではない。だから、これといった対策を立てるのは難しい」
「では、お前はどう戦うつもりだ」
「私は……そうだな」
箒は少し考えてから、続けた。
「一夏は、仲間を信じる戦い方をする。シャルルと組んでいるなら、尚更だ。ならばその連携を断ち切るのが一番だろう。一夏とシャルルを引き離し、それぞれを個別に叩く。ラウラ、お前の機動性ならそれができるはずだ」
「つまり、私がシャルルを引きつけお前が織斑一夏を相手にする、と」
「ああ。それが最も現実的な策だ」
ラウラは、しばらく黙って考え込んでいた。やがて、小さく頷いた。
「分かった。その策で行こう」
その言葉に、箒は少しだけ意外な表情を浮かべた。ラウラが、素直に自分の意見を受け入れるとは思わなかったのだ。
「……意外だな。お前が、私の策を素直に受け入れるとは」
「私は、勝つためなら手段を選ばない。お前の策が有効だと判断したから、受け入れただけだ。それ以上の意味はない」
ラウラはそう言ってくるりと背を向けた。そして、自分の機体の最終チェックを始める。箒はその背中を見つめながら、ふと、一夏のことを思った。
(一夏。お前は、ラウラにここまで思わせるのか)
ラウラの一夏に対する執着は、単なる敵愾心ではない。もっと深い、自分自身の在り方を問うような何かが、そこにはある。箒はそれが少しだけ羨ましくもあり、少しだけ怖くもあった。やがてラウラが、背を向けたままぽつりと言った。
「篠ノ之箒。お前は、あの男のことをどう思っている」
「……どう、とは」
「お前は、あの男の幼馴染だと言った。ならば、あの男の異常性にも気づいているはずだ。あの男の中に、別の何かがいることに」
箒は、その問いに答えられなかった。一夏の中にいる別の何か。それは、箒自身も感じていたことだった。だが、それを言葉にするのはなぜか怖かった。箒が黙っていると、ラウラは小さく息を吐いた。
「答えられないなら、いい。だが、一つだけ言っておく。私はあの男を認めない。だが、あの男を知りたいと思っている。それが、お前と同じかどうかは分からないがな」
そう言って、ラウラは黙り込んだ。箒はその言葉を胸の中で繰り返した。同じかどうかは分からない。だが、少なくとも自分も一夏の中の何かを知りたいと思っている。それは確かだった。やがて、アナウンスが更衣室に響いた。
『まもなく、Aブロック一回戦第一試合を開始します。選手はアリーナへお越しください』
箒は、立ち上がった。ラウラも同じように立ち上がる。二人は、一瞬だけ視線を合わせた。そして、何も言わずにアリーナへと向かって歩き出した。
(一夏。私はお前に勝つ。そして、お前の中の何かをこの目で確かめる)
箒は、心の中でそう呟いた。その想いは、幼馴染としてのものかそれとも剣士としてのものか。それは、まだ自分でも分からなかった。