ラウラの叫び声がアリーナに響き渡った。身を裂かんばかりの、悲痛な叫び。その瞬間シュヴァルツェア・レーゲンの全身が、眩い放電を放ち始めた。
「ラウラ!?」
一夏が叫んだ。だがラウラの声はもう届かない。シュヴァルツェア・レーゲンは、まるで泥のように溶け出しその装甲がぐにゃりと歪みながらラウラの身体を包み込んでいく。異様な光景だった。ISが、機体の形を保てないほどに融解し、操縦者ごと飲み込もうとしている。一夏は白鴉を構えたまま、その光景から目を離せなかった。
「なんだ、あれは……!」
シャルルが息を呑んだ。観客席からも悲鳴のような声が上がる。だが、次の瞬間にはその声も止んだ。シュヴァルツェア・レーゲンだったものが、形を変えたからだ。溶けていた装甲が再び凝固し、新たな形を成していく。黒い。漆黒の装甲。そしてそのシルエットは——
「暮桜……?」
一夏の口から思わずその名前が漏れた。姉の機体、暮桜。その姿に目の前の黒いISはあまりにも似ていた。刀剣型の近接武器を備え、洗練された流線型の装甲。だが色は黒く、どこか禍々しい雰囲気を纏っている。黒いISは、静かにその刀身を一夏に向けた。その動作には、一切の無駄がなかった。
「来る……!」
一夏が身構えた瞬間、黒いISが動いた。目にも留まらぬ速さで間合いを詰め、雪片を振るう。一夏は白鴉のスラスターを吹かして回避した。刃が空を切る。だが黒いISはすかさず体勢を立て直し、再び斬りかかってきた。
「はやっ……!」
一夏はリニアライフルを向けて連射する。だが黒いISは、その銃弾をすべて紙一重でかわした。まるで、弾道を読んでいるかのように。一夏は歯を食いしばり、レーザーキャノンを放つ。収束した光の線が黒いISを追うが、それもまたかわされる。黒いISは、一夏の攻撃をすべて躱し終えると、ふっと距離を取った。そして静かに佇んだ。
「……なんだ、あの動き」
一夏は息を切らしながら黒いISを見つめた。その立ち居振る舞い。攻撃のタイミング。回避の判断。そのすべてに、一夏は見覚えがあった。見覚えがあるどころではない。一夏は、その動きを誰よりもよく知っている。
「千冬姉……?」
その名前が、一夏の口から漏れた。黒いISの動きは、姉のそれだった。IS学園最強の操縦者、織斑千冬。その戦い方と、あまりにも似ている。一夏の胸の奥で、怒りにも似た感情が沸き上がった。姉のデータが、勝手に使われている。そのことが、許せなかった。感情が高ぶり視界が赤く染まりかけた。
(——落ち着け)
頭の中の声が、冷水を浴びせるように響いた。
(感情に呑まれるな。お前が冷静さを失えば、それこそ相手の思う壺だ)
一夏は、はっとした。そして深く息を吸った。怒りはまだ胸の奥にある。だが、それを表面に出すわけにはいかない。一夏は、ゆっくりと息を吐き出した。
「……分かってる。冷静になる」
その声は、自分自身に言い聞かせるものだった。一夏が体勢を整えたところで、箒が静かに呟いた。
「一体、何なんだ。あの機体は……」
「千冬姉のデータが、使われてる」
一夏は、短く答えた。箒とシャルルがはっとした表情で一夏を見た。
「千冬さんのデータ……? そんなこと、どうして……」
「分からない。だが、あの動きは間違いなく千冬姉だ。それも、かなり精密に再現されてる」
シャルルは、ごくりと喉を鳴らした。ふいに『緊急放送。緊急放送。非常事態発生。トーナメントは中止します。鎮圧のため、教師部隊を派遣します。生徒は速やかに避難してください。繰り返します——』
アリーナ全体に、放送が響き渡った。観客席がにわかにざわめき始める。避難を促す声、悲鳴、そして教師たちの怒号。一夏は、黒いISから目を離さずに静かに言った。
「シャルル。箒。二人とも、避難してくれ」
「織斑君……!」
「あの動きを見ただろ。教師部隊が来ても、対応できるとは思えない。俺が、時間を稼ぐ」
「でも、それじゃあ——」
「シャルル」
一夏は、シャルルの言葉を遮った。その声には、有無を言わさぬ強さがあった。
「お前がここに残ったら、俺はお前を守らなきゃいけなくなる。それじゃあ、戦えない。分かってくれ」
シャルルは、唇を噛んだ。そして頷いた。
「……分かった。無理はしないで」
「ああ。約束する」
シャルルが、一夏の横を通り過ぎる。箒も一夏の横に並んだ。
「一夏。お前、一人で戦うつもりか」
「箒も行ってくれ。これは俺の戦いだ」
「……お前の戦いか」
箒は、一夏の目をじっと見つめた。その瞳の奥に、何かを見つけたように。そして、小さく息を吐いた。
「分かった。だが生きて帰ってこい」
その言葉に、一夏は少しだけ笑った。
「ああ。約束する」
箒が、アリーナの外へと走り去る。シャルルも、その後を追った。アリーナには、一夏と黒いISだけが残された。一夏は、白鴉を構え直した。黒いISは、その様子をじっと見つめている。まるで、一夏の覚悟を測るかのように。
(千冬姉のデータを使った機体。それも、あのラウラを乗り手にして)
(——だが、相手が誰であろうと俺は負けない)
(ラウラ。お前をこんなふうにした奴がいる。それが、俺は許せない)
一夏の胸の奥で、静かな怒りが燃えていた。それは、先ほどまでの激情とは違う。冷たく、澄んだ怒り。頭の中の声が静かに囁いた。
(——いい目だ。その怒りを力に変えろ。そして、あの機体を止めろ)
(分かってる)
一夏は、白鴉のスラスターを吹かした。白亜の機体が、黒いISへと迫る。黒いISもまた、動き出した。二機のISがアリーナの中央で激しくぶつかり合っていた。白亜の装甲が黒い刃を弾き、黒い装甲が白い銃弾をかわす。一夏はリニアライフルを連射しながら、黒いISの動きを読み続けていた。
(千冬姉の動きだ。だが、どこか違う)
一夏は戦いながらその違和感の正体を探っていた。確かに黒いISの動きは千冬のものだ。だが、どこか機械的で千冬本来の柔軟さや狡猾さが欠けている。データを再現しているだけで、そこに千冬の「意志」はない。それを見抜いた瞬間、一夏の頭の中の声が告げた。
(——ならば、その型を崩せ。データは所詮データだ。想定外の動きには対応できない)
一夏は頷いた。そして、あえて隙を作った。黒いISがその隙を見逃さず、斬りかかってくる。一夏はそれを待っていた。白鴉の左腕、パルスブレードが展開される。だが、防御のためではない。攻撃のためだ。
「もらった!」
一夏は黒いISの斬撃をパルスシールドで受け止めた。重い衝撃。だが、一夏はそのまま押し返した。黒いISが体勢を崩す。その瞬間、一夏は白鴉の全推力を解放した。背部の大型スラスターが唸りを上げ、白鴉が加速する。
「これで、終わりだ!」
一夏はパルスブレードを振り抜いた。刀身状のパルスエネルギーが、黒いISの装甲を切り裂く。手応えがあった。黒いISの装甲に、深い亀裂が走る。そしてその亀裂から光が漏れ出した。
「ラウラ!」
一夏は叫んだ。黒いISの装甲が、内側から崩れ落ちていく。まるで、殻が剥がれるように。そしてその中から——
「……ラウラ!」
黒いISの残骸の中からラウラの姿が現れた。彼女は意識を失っていた。その身体を、一夏は反射的に受け止めた。白鴉の腕が、ラウラの身体を優しく包み込む。黒いISだったものは、役目を終えたかのように静かに崩れ去っていった。
―――
ラウラは、夢を見ていた。
いや、これは夢なのだろうか。そんな疑念が浮かぶほど、その光景は生々しかった。見渡す限りの荒廃した大地。鉛色の空。遠くで響く爆発音。鉄の焼ける匂いと、焦げた土の臭いが混ざり合って鼻腔を刺激する。どこか別の星の、別の時代の戦場。そんな印象だった。ラウラは自分の身体を見下ろした。ISの装甲はない。だが、不思議と恐怖はなかった。ただ、この光景に圧倒されていた。周囲には無数の機体が転がっている。見たこともない形の、人型をした戦闘機械。その残骸の山の上に、一つの影が立っていた。
「織斑……一夏?」
その声は、ラウラ自身のものだった。影が振り向く。一夏だった。だが、纏っているものはいつものIS学園の制服ではない。装甲服のような、武骨な衣服。その目はラウラが知る一夏のものとは違っていた。もっと深く、もっと冷たくそしてどこか遠い。
「ラウラ。よく来たな」
一夏はそう言って静かに笑った。その笑みは、ラウラが知る一夏の能天気な笑顔とはまるで違う。戦場を知る者の、静かな微笑みだった。
「ここは……どこだ。お前は、何なんだ」
ラウラは問いかけた。声が、少しだけ震えた。一夏は空を見上げた。鉛色の空を、一羽の鳥が横切っていく。黒い鳥だった。鴉。それが、一夏の肩に静かに降り立った。
「ここは、俺の記憶の底。そして……」
一夏は肩の黒い鳥を、そっと見つめた。
「俺の中にいる、もう一人の俺だ。いや俺だったもの、かな」
黒い鳥が、一声鳴いた。その声はラウラの胸の奥に響いた。鋭く、冷たくそしてどこか悲しげな声。ラウラは、その鳥から目を離せなかった。その鳥の姿は、あまりにも異様だった。黒い羽根の一枚一枚が、まるで炎のように揺らめいている。まるで、何もかもを焼き尽くそうとするかのように。
「この鳥は……」
ラウラが呟くと、一夏は静かに頷いた。
「ああ。こいつは俺の中にあるものを象徴してる。戦場で生きてきた無数の俺たちの記憶。企業に利用され、戦い、そして散っていった者たちの想い。それが、この鳥の形をしている」
一夏は、黒い鳥を肩から降ろした。鳥はラウラの目の前で羽ばたいた。その羽ばたきは熱を帯びていた。ラウラは思わず後ずさった。鳥の全身が炎のように赤く輝いている。まるで、全てを焼き尽くす炎そのもののようだった。
「怖いか?」
一夏が、静かに問いかけた。ラウラは唇を噛んだ。
「怖くなどない」
「嘘をつくな。お前は今、この鳥を怖いと思っている。それでいい。恐怖を知る者はそれだけ強くなれる」
一夏は、そう言って再び笑った。その笑みは、先ほどよりも少しだけ温かかった。黒い鳥が、また一声鳴いた。そしてラウラの周りを一周すると、一夏の胸の中へと吸い込まれていった。一夏の胸に、一瞬だけ黒い炎の紋章が浮かび、そして消えた。
「織斑一夏。お前は……何者なんだ」
ラウラの問いに、一夏は少し考え込むように首を傾げた。
「さあな。俺自身にも、まだよく分かっていない。ただ、俺の中にはこいつがいる。こいつが、俺に戦い方を教えてくれる。そして、俺が戦うときこいつは俺の一部になる」
一夏は、ラウラの目をまっすぐに見つめた。その瞳の奥に、ラウラは炎を見た。全てを焼き尽くす、黒い炎を。
「ラウラ。お前は、強くなりたいんだろう?」
「……」
「ならば、俺と一緒に来い。俺の中のこいつが、お前にも何かを教えてくれるかもしれない」
その言葉に、ラウラは息を呑んで差し出された一夏の手を見つめた。その手は、どこか遠くにあるように感じられた。差し出された手を取れば何かが変わる。そんな予感があった。だが——
「断る」
ラウラは、はっきりと言った。その声に迷いはなかった。
「私は、お前に救われたのかもしれない。だが、お前の道を行くつもりはない。私は、私の力で強くなる。お前の中の何かに頼らずにな」
一夏は、その言葉を聞いて少しだけ目を丸くした。そして、ふっと微笑んだ。
「そうか」
その声は、どこか寂しげでしかしどこか誇らしげでもあった。一夏は、差し出した手を引っ込めた。そして、ラウラに背を向けた。
「なら、強くなれ。ラウラ。お前の力で」
一夏は、そう言って歩き出した。その背中が、少しずつ遠ざかっていく。ラウラは、その背中を見つめながらなぜだか胸の奥がちくりと痛むのを感じた。やがて、一夏の姿が霞に消えた。辺り一面に、白い光が溢れ出す。ラウラは目を閉じた。
——
目を開けるとそこは保健室だった。白い天井。消毒液の匂い。カーテンの向こうから、午後の柔らかな日差しが差し込んでいる。ラウラは、ゆっくりと身体を起こした。身体のあちこちが軋むように痛む。だが、それ以上に頭の中がぼんやりとしていた。
「目が覚めたか」
不意に、声がかけられた。ラウラははっと顔を上げた。そこに、織斑千冬が立っていた。腕を組み、ラウラを見下ろすような姿勢で。その表情は、いつもと変わらず冷静でそしてどこか厳しかった。
「教官……」
ラウラは、掠れた声でそう言った。千冬は、小さく頷いた。
「お前が倒れた後のことを、説明しておく必要があるだろう」
千冬は、そう前置きして静かに語り始めた。トーナメントが中止になったこと。あの黒いISが、ラウラの機体シュヴァルツェア・レーゲンが変異したものだったこと。そして、その機体を一夏が切り裂きラウラを救い出したこと。ラウラは、その説明を黙って聞いていた。千冬の言葉は、簡潔で無駄がなかった。だが、その中にラウラへの気遣いのようなものが、微かに感じられた。
「そうか……私が、あんなことに」
ラウラは、自分の手を見下ろした。あの黒いISは、自分の機体だった。自分の意思とは関係なく、あんな姿に変わってしまった。そのことが、ラウラの胸に重くのしかかる。
「VTシステム。お前の機体に、そんな機能はなかったはずだ」
千冬の声に、ラウラは顔を上げた。
「私も、知りませんでした。あの声が聞こえるまでは」
「声?」
千冬が、わずかに眉を動かした。ラウラは、頷いた。
「力が欲しいか、と。誰かの声が私にそう囁いた。私は、欲しいと答えた。そうしたら意識が無くなって……」
ラウラは、そこで言葉を切った。そして少し迷った後、意を決したように口を開いた。
「教官。私は、夢を見ました」
「夢?」
「はい。戦場の夢です。見たこともない、荒廃した大地で。そこで私は織斑一夏に会った」
千冬の表情がわずかに変わった。その目が、ラウラをじっと見つめる。ラウラは、続けた。
「一夏は私に言った。俺の中にはもう一人の俺がいると。そして黒い鳥を見せた。全てを焼き尽くす黒い炎の鳥を。一夏はそれと一緒にいると言った。私はその鳥を怖いと思った。だが、一夏はそれでいいと言った。恐怖を知る者は強くなれると」
ラウラは、そこで一度息を吐いた。そして、千冬の目をまっすぐに見つめた。
「千冬先生。あの一夏の中には、何かがいる。私はそう確信しました。あの夢は、ただの夢じゃない。あれは一夏の中の何かが、私に見せたものです」
千冬は、しばらく黙っていた。その表情は、ラウラが今まで見たことのないものだった。眉を顰め、何かを深く考え込むようなそんな表情。やがて、千冬は静かに口を開いた。
「ラウラ。その話は、他にするな」
「なぜですか?」
「今は、まだ分からないことが多すぎる。お前の話を聞いて、確信したことがある。一夏の中には、確かに何かがいる。それは私も前から薄々感じていたことだ。だが、それが何なのかはまだ分からない。下手に騒げば、一夏を危険に晒すことになる」
千冬の声には強い意志が込められていた。ラウラは、その声に思わず息を呑んだ。千冬は、一夏の姉だ。その言葉には姉としての想いが、確かに込められていた。
「分かりました。この話は、他にしません」
ラウラがそう答えると、千冬は小さく頷いた。
「ああ。それと、お前の機体のことだが」
千冬は、そう言って、ラウラの機体シュヴァルツェア・レーゲンのデータを手元の端末に表示した。
「VTシステムは、機体から完全に除去した。もう、お前の機体が勝手に変異することはない。だが、念のためしばらくは機体の調整に専念しろ。トーナメントのことは気にするな」
「……分かりました」
ラウラは、そう答えた。だがその胸の奥には、まだ靄のようなものが残っていた。あの夢のこと。一夏の中の黒い鳥のこと。そして、千冬が眉を顰めたこと。その全てが、ラウラの心に引っかかっていた。千冬が、保健室を出て行く。ラウラは一人、ベッドの上で、天井を見つめていた。
(織斑一夏。お前の中には、何がいるんだ)
その問いに、答えはまだ出ない。だがラウラは、いつかその答えを知る時が来るのだろう、と、そんな予感がしていた。